数時間前。
本音に連れられて生徒会室にやってきたセシリアは、目の前で優雅に紅茶……黒い液体だったがティーポットから注がれたのでおそらく紅茶を飲んでいる生徒会長の存在に、すぐにでも教室に帰りたくなった。生徒会長こと更識楯無をめんどくさいと思っていたからである。
「ふっふっふっ。セシリアちゃんが来ることを予見できないとでも思ったのかしら」
出会い頭の一発目から少々頭の痛そうな発言をする楯無。本人としてミステリアスな自分を見せつけているのかもしれないが、セシリアからしてみれば自分がいかに可哀想な存在であるかをアピールしているようにしか見えない。
このような輩は相手にしないことが一番だが、セシリアを引っ張ってきた本音はとても純粋だったようで敵の術中に嵌ってしまった。
「あれ~、せいとかいちょー。変なものでも食べちゃったの。いつもよりイタイよ~」
「本音。仮にも使えるべきお嬢様なのですから、目の前にしてそのような発言はよくありませんよ」
術中に嵌ったように見せかけて容赦なく喉元をどついた本音と、セシリアの目の前に黒くない紅茶を置きながら的外れなことを指摘する少女。
「おっ、気が利くなぁ。もてなしてくれない主と違って気が利くよな」
出された紅茶に口をつけるセシリア。
褒められた少女・布仏虚は穏やかな笑みで「ありがとうございます」とお代わりを注ぐ。
「うーん。これでも私、けっこう偉いはずなんだけど。どうして総攻撃を受けているのかしら」
「アレだよ。偉いだけだからだろ」
「強くもあるんだけどね。具体的に言うとセシリアちゃんよりかは強いわよ」
「ですが、セシリアさんとの試合の後に裏で、危ない負けるところだった、と冷や汗をかいていました」
カミングアウトする虚。そこに主の為を想う心は介在しなかった。
「う、裏切者!?」
「何を言うのですか、お嬢様? 私も本音もまだ裏切ってません」
「後々裏切るみたいな言い方!?」
「慕われてねぇな。だから生徒会なのに手勢が二人しかいないんだよ」
「私が二人だけ望んだのよ」
何時頃だったか、セシリアが生徒会室を訪れると、部屋の主である楯無を包囲する布陣が出来上がるようになっていた。きっかけはセシリアだったかもしれないし、楯無が勝手に株を下げたからかもしれない。分かっていることは楯無を身を挺して守る忠臣がいないということだ。
「で、なんでココにいるんだよ。わたくしはこれから、本音と虚、二人と共に昼飯にすんだよ」
「なんでって、それはココが私の城だからよ。お姉さんこう見えても信頼されているのよ」
「あーそう」
不敵に笑う楯無の言葉を、一ミリたりとも信じる気のないセシリアはおざなりな返事をする。
「で、もう一度聞くけどな。なんでいるんだよ」
暗に出ていけと言うセシリア。こうまで攻撃的なのは過去に負けたことで恨みを持っているからというわけではなく、楯無の人をおちょくるような言動を気にいらないからだ。いちいち癇に障る言葉選びと、少々まとわりつくような声の出し方が好ましいと感じられなかった。
だから相手が年上の生徒会長であっても敬語は一切使わない。皮肉った時にしか使わない。そもそもセシリアが年上を理由に敬語を使うことはないのだが。
「しかたないわね。ぐずるセシリアちゃんをこれ以上虐めるのは可哀想だから、いい加減教えてあげましょう」
「めんどいからつっこまねぇぞ」
「私が生徒会室で待ち伏せできたのは、ひとえに情報提供者の存在があったからよ。それもとびっきり優秀な提供者」
情報提供者。それはセシリアの近くに裏切者がいるという証拠だった。
セシリアの周辺で、こんな生徒会長とつながりのある人物と言えば、布仏本音くらいだろう。それも突然の訪問を伝えられる立場は彼女以外にしか考えられない点を考えると容疑は濃くなる。
「……本音に裏切られるっていうのは辛いな」
時折やってきては食事を奢ってくれる本音のことを、セシリアはかなり優しい友達と思っていただけに、心に負う傷の大きさは計り知れない。これが本音じゃない別の誰かだったとしたら、彼女は自身の中で発生した怒りと持てる全ての力を使って、裏切者を粉砕していたことだろう。そして刑務所へと直行してしまう末路だったはずだ。
裏切者の正体が本音であるからこそ、セシリアは辛い気持ちを言葉にすることだけで済んでいるのである。
こんなのほほんとした生き物を殴ることはできない。たとえ一族郎党を皆殺しにされたとしても。
「酷いよ、せっしー。大切な友達のことをかいちょーなんかに売ったりしないよ~」
長すぎる袖によって隠された腕をぶんぶん振って、疑いに対して不服申し立てをする本音。仕えるべき主を貶めているような発言があったが、誰もがスルーした。特に気になる点でもなかったのと、気にしたら心を痛める可能性があったからである。
「だよな。そうだよな。けっこう信じてたぞ、本音」
100%信じていたとは言わないセシリア。
「わ~い。疑いが無事に晴れた」
「あら。良かったわね、本音」
それに対して、気分を害した様子もなく喜び飛びついてくる本音と、そんな二人を温かく見守る虚。
「よしよし。それで情報提供者って?」
腰に手を回して顔を押しつけてくる本音の頭を撫でながら、追及を開始するセシリア。
意識的に見られ続け、その動きをいちいち報告されるというのは気分が悪いのが人間であって、セシリアもその例に漏れない。それも嫌っている人間に情報が渡っているというのは許せるものではない。
「うー、ん。私も詳しくは知らない」
えへへ、と照れ笑いをする楯無。
「もっとマシな誤魔化し方をしろよ」
「そう言われても事実だからね。顔も名前も学年も、なーんにも知らない」
「そんなハテナで埋め尽くされた奴とどうやって知り合うんだ?」
「ある日SNSで知り合ったのよ。名前はIS学園所属女子生徒。明らかな偽名ね」
「今時な友達関係だな。顔も名前も分かんないネット世界だけの付き合いってヤツ」
「否定はしないけど、色々と情報を持ってきてもらっているから重宝しているの。ほんとになんでも知っている。たとえば、昨日の昼にセシリアちゃんと数学教師が備品室で密会していたとか。その時に転入生のラウラ・ボーデヴィッヒのことについて話し合っていたとか。その話し合いの結果、ラウラちゃんにフレンドリーに接することにしたりとか」
一切形の見えていない情報提供者からの情報を口に出す楯無に、セシリアは少なからず驚きを見せた。どの情報も事実ということもあるが、差し出された内容というものは教師とセシリアの二人だけの会話だった。つまり情報が第三者からもたらされることなどあるはずがない。あの数学教師の口が羽のように軽かったとしたら、情報が飛散してしまうのは理解できるが。
「……学校内のいたるところに監視カメラでもあるのか?」
「ないわよ。それは保証してあげるわ」
ふざけるふりして、裏で何かやっている相手に保証されても警戒は解けないのだが、今回に関してはセシリアの警戒は解けた。楯無の顔が本当のことだと語っているからである。
「それでね。最近やってきたラウラ・ボーデヴィッヒちゃんのことについて、色々知りたいことがあるからセシリアちゃんに会いに来たのよ」
「あー、そう。でも、だったらその情報提供者に聞いた方が何倍も速いんじゃないのか?」
「教えてくれないのよ。名前とか年齢とか、そこまで必要としていないところは教えてくれるんだけど。もっと切り込んだ情報を求めると、教えない殺すぞ、って一点張りだからさすがのお姉さんも困っちゃうのよ」
「わたくしが言うのもなんだけどさぁ、ころすぞ、って脅し文句でどうにかなると思ったのかソイツは。そして思い通りに追及やめてんだよ、お前は」
「だって仕方ないじゃない。これ以上しつこいと個人情報拡散させるって脅すんだもの」
「社会的に殺すってことか。そりゃ屈するな」
ネット社会の普及が及ぼした、新たな人間殺害方に打ち勝つことは大層難しい。今のところセシリアにそういった被害はないが、もしもその魔の手が迫ったら悔し涙を浮かべて土下座するよりほか手がない。
セシリアは溜息を吐き出す。とんだ情報提供者を掴みこんでしまったものだと。しかし、彼女自身に被害がないのでそっとしておくことにした。巻き添えは御免だった。
「お前のことなんて知らん。とにかく飯だ」
寄生することで糊口をしのいでいるセシリアは厚かましい顔で飯の催促をした。
数時間後。
「当たれ!」
空間が歪むのを見た。
「当たれ!」
再び歪んだ。
「本当にマジでいい加減当たれ!!」
見えない弾丸がラウラの脇を抜けていく。いい加減に諦めろ、と彼女は抑揚なく呟く。かれこれ十数発向けられた、不可視の弾丸を避けるのもさすがに飽きてきていた。
「迂闊に近づけない。鈴、当たりもしない弾をバカスカ撃つな!」
仲間の攻撃のせいで踏み込むこともかなわず、思うように戦えない状況に箒が叫ぶ。
箒の装着している打鉄は日本製の防御型ISで堅牢さが売りだ。防御力を頼りに相手に肉薄するのが主な戦闘スタイルなのだが、それはつまり中遠の攻撃を欠いてしまうことを意味していた。射撃用の武器を持たず、今はただ敵の周りを飛び回って踏み込む隙を探っているだけだった。
「うっさいわね。アイツが止まってりゃ当たるんだから」
現状ありえないことを鈴は自信満々に言ってのける。彼女にしてみれば冗談の一環なのだが、箒は「動く的に当てられんのか」と怒られ、ラウラは我関せずと惰性飛行で不可視の弾丸を回避していった。
「……ってか戦いなさいよ! クラゲみたいにぷかぷかしてないで。これじゃあアタシ一人が熱くなってるみたいで恥ずかしいじゃない!」
「知らん」
ぎゃぁぎゃぁと叫ぶ鈴を短い言葉でバッサリ切り捨てるラウラ。
「そもそもレッスンしてやる、なんて言ってたくせに一度も攻撃してこないのはなんでよ!」
戦闘が始まって、鈴と箒は畳みかけるように攻撃を仕掛けているのだが、苛烈な攻撃を前にしてラウラは一切攻勢に出ることなく最小限の回避だけにとどめていた。セシリアと見るもくだらないいざこざを、ムキになった演じていた姿からは考えられない。まるで非暴力の精神が乗り移ったかのようだった。
行動だけでなく心の内でも、ラウラは攻撃する気がなかった。勝てないから避けに徹しているのが理由ではない。
ラウラがその気になれば、鈴と箒を叩きのめすのはわけない。余裕という言葉の前に「超」がついてもいい。
しかし、ラウラは一度も手をあげることはしていない。理由は簡単で、叩きのめさなければならないほどの金を所持していなかったからだ。金を得られないのに力を使うのは無駄でしかない、と考えての判断だった。
「つまらないな」
不可視の弾丸で牽制、その後に突撃してきた鈴の攻撃を上手にいなす。やる気のない言葉に反して、ラウラの動きは正確でシールドエネルギーを削られることなく防戦を維持していた。
「そろそろやめていいだろうか?」
「いいわけないでしょ!」
怒りを乗せた攻撃を淡々と防いでいくラウラの言葉に、ようやく疲れが見え始めていた。事実、味のしなくなったガムを噛み続けるような疲れを感じていた。
「箒。挟み撃ち!」
ラウラの声音から勝機を見出した気がした鈴は、ここぞとばかりに箒に指示を飛ばす。
……が、箒は音沙汰ない。
訝しんで確認してみると、箒はアリーナの壁にもたれかかっていた。隣にはいつの間にかやってきた一夏やシャルル、セシリアがいて楽しそうに会話していた。
「オッケー。やめようか。一時休戦、やることができたから」
そう言うなり鈴は試合を止めて楽しそうな集まりに突撃していってしまった。
代わりに青い装甲のISを装着したセシリアがやってくる。
そうすればさきほどまで微少だった不快感は一気に増し、ラウラは冷淡な顔を見せながらも僅かに顔をしかめる。
「よっす。強いじゃない」
「失せろ」
「はっきりと言うんじゃねぇよ。テメェこそ失せろ」
「今までのおべっかの皮を剥いだか」
「そりゃ、お前なんかにおべっか使ってもなぁ。こっちが疲れるだけって分かったし」
やれやれと両手をぶらつかせるセシリア。我慢弱いものだった。
ラウラとしてはその我慢弱さに救われたのと言っても良かった。不愉快な相手にすり寄られても気持ち悪いだけなのだから。
「お前、金持ってるか」
ラウラが問いかける。持っていたら即攻撃を仕掛けて賞金を得るつもりだった。
暗に賭け試合を持ちかけられたセシリアは「おけらちゃんだぜ」と舌を突き出して突っぱねた。
「オメェも貧乏かい。金があったら奢ってやっても良かったんだけどな。生憎財布が軽くてね」
「私の為により軽くしろ」
極限まで腹の減ったラウラの中には、既に敵に物乞いをする屈辱はなくなっていた。彼女も大概我慢弱かった。