べつじんすと~む   作:ネコ削ぎ

44 / 50
男の子は

 臨海学校から帰ってきたまず行ったことは中破したシュヴァルツェア・レーゲンの修理だった。整備士たちに待機状態のISを預けるだけのことなので、ラウラが四苦八苦する必要はない。よって、ラウラは翌日の午後に完璧に直ったISを受け取るだけだった。

 夜はセシリアの部屋に忍び込みたいのを我慢して床につき、翌日は通常より早く起床したラウラはこれまたセシリアの部屋に突撃したいのを抑えつつ、いつもより早い朝食を取った。

 人間は考えすぎると知恵熱が出る。脳の酷使に身体がドクターストップをかけるように熱を出し、休眠体勢に入るのだ。セシリアも同じような理由で病欠したのではないだろうか、言えばぶん殴られることをラウラは真面目に考えている。箸が口元まで行かないほどに熟考していて、現実世界が著しく疎かになっていた。

 もしや、ママとしての記憶を取り戻そうとして脳に負担がかかってしまっていたのでは。そうだとすれば私としても申し訳がない。そこまで危険を冒してまで私の為に記憶を取り戻すとしてくれているなんて、きっと頑張っているのを気取られるのを恥ずかしがって表に見せられずオーバーヒートしてしまったのだろう。

 娘として母親に無理を強いてしまった。焼き魚のほぐし身を頬に押し当てながら、ラウラは自らの不甲斐無さに溜息をつく。

 普段の起床時間でないためか、食堂内を見渡してもセシリアの姿は確認できない。残念と思っているとケータイが静かに震えた。学園に来てから一切の活躍を見せることのなかったケータイの活躍に、ラウラは焼き魚の塩加減に満足いきながらも首を傾げる。箸を咥えたままケータイを操作し、一件メールの受信を確認した。食事中のケータイ使用はマナー違反ではあるが、その程度の常識を乗り越えたラウラはメールの中身を表示する。差出人は不明。メールのやり取りをしる相手がいないために、メールアドレスに心当たりもない。

 不明だらけのメールを不審に思いながらも、ラウラはメールの本文を見てみることにした。害意があるかどうかだけでも確かめる必要がある。ボタンを押すとメールが開き、『残念だったな、バカ』という一文を黙読した。

 イラッとした。思いのほか苛立って、ケータイを物理的にセパレートタイプへと機種変更させてしまいそうになった。

 

「なんだ、コレは?」

 

 ケータイを折りたたんで制服のポケットに突っ込む。人の心でも読んだのか、と疑いたくなるようなグッドタイミングのメールに嘲笑われている不快感が募った。舌打ちをしたラウラはイライラを解消する為に朝食を荒々しく胃袋に収める。それだけでは足りず、食器の乗ったトレイを持って全品のおかわりを要求しに行った。暴飲暴食をすることによって苛立ちを収め、同時に日常生活をスムーズに過ごす為の燃料補給を行う。

 朝食を詰め込んだラウラは暫く食堂で時間を潰したが、それでもセシリアが姿を現さないので諦めて教室へと向かった。道中に一夏や箒に出くわしたが、ラウラは特に声をかけるようなことをせず黙々と廊下を歩いていく。一夏は数日前の撃墜劇が脳みそから吹き飛んでいるのかへらへらとしていたし、箒は箒で同じく数日前の浜辺で何かをやったのか機嫌悪そうにしていた。浜辺で何があったのか多少興味はあるが、どうせくだらない恋愛沙汰だろうと結論づけた。

 三日ぶりの教室はいつも通りの光景で、ラウラには懐かしいとも思わなかったが、後に続くクラスメイトたちは口々に「懐かしい」や「久しぶり」と数年ぶりの来訪を楽しむかのような調子だった。いまだに臨海学校の気分が抜けきっていない証拠とも言える。

 席についたラウラは頬杖をついてセシリアの席を眺める。もしかして、まだ風邪が治っていないのかもしれないな。それなら今日は諦めるしかない。生徒たちがちらほらと席を埋めていくのを横目に、ラウラは溜息をついて今日という日が早く終わることを願った。

 結局、SHRが始まるまでの間にセシリアはやってこなかった。SHRでは織斑千冬が臨海学校の余韻が抜けていない生徒たちに活を入れる。なにやら脅しをかけるような言葉を選んでの演説に、数名の真面目な生徒たちは姿勢をぴしりと整えていたが、ラウラを含め多がピクリとも反応していなかった。夏の海は魔的な魅力を持っていると言われても違和感がない状況だった。

 ふにゃふにゃと締まりのない雰囲気に包まれた教室であったが、教室前方の出入口が音を立てて開いたのを機に態度を一転させた。頬杖の姿勢を貫いていたラウラも、扉を開けて入ってきた人物を見るなり、思わず姿勢を正してしまった。

 遅刻しておいて堂々とした立ち姿を見せるのはセシリアだった。血色は良く、風邪は完治したのだろう。ラウラはホッと胸を撫で下ろした。

 千冬が遅刻者への制裁を行ったが、セシリアは難なく防ぐと悪びれもせずに席についた。そして場の空気が凍り付いたままSHRは終了した。

 動かなくなった千冬を引っ張っていく真耶の背中を見送ると、ラウラは立ち上がってセシリアの席に向かった。机に上半身を預けて眠りの体勢を取とうとするセシリアを呼び止めることに気が引けたが、それでもとラウラは「セシリア」と声をかける。三日会わなかっただけだというのに、ラウラは顔を上げたセシリアを別人のように感じていた。この前までの彼女がどういった雰囲気を纏っていたのか。思い出せなくなりそうになる。

 ラウラに声をかけられたセシリアは眠そうな顔をこれでもかと言わんばかりの笑顔に変えた。

 

「よぉ。どーしたんだ、ラウラ」

 

 ぞくっ、と背中を何かが抜けていった。理由の分からない身体の反応に、ラウラはもしかして母と子の共鳴か、と思った。

 

「風邪はもういいのか?」

 

「ああ、まぁな。別に大したものじゃねぇし」

 

 笑顔で応じるセシリアに、ラウラは態度の軟化を疑問に思った。いつものセシリアならば素っ気ない態度で応じていた。笑顔だって意地の悪い笑顔以外見せたことはなかったはずだ。だが、目の前のセシリアは常に笑顔を絶やさずにいる。そして、普段なら顔も向けてくれないというのに、今のセシリアはラウラの顔をきちんと見ていた。

 もしかしたら、少しずつ記憶を取り戻しているのか。そう思うとラウラは心なしか頬を緩ませた。

 

「ならいい。お前が元気ならそれでいい」

 

「ふん。気持ち悪いくらいにアタシを心配してくれるじゃないか」

 

 ニヤリといつもの様でいつもらしくらしくない笑顔を見せるセシリア。ラウラはその表情も気になったが、それよりも彼女が自分のことをアタシと言っていたことの方が強く気になった。セシリアの一人称は常に『わたくし』だった。それなのにたった三日で『アタシ』と変えた。

 

「アタシ……? まさかママの記憶が」

 

 脳みそがフル回転する。もしや、もしや、もしや、もしや、と同じ言葉が思考を埋め尽くしていく。セシリア・オルコットは前世の記憶を取り戻した。そうとしか考えられない。愛しむかのような笑顔を向けてきて、きちんと受け答えをしてくれていることを考えると、ママとしての記憶を取り戻したとしか思えない。

 どうやって甘えようか。ラウラの脳みそは既にセシリアを母親であると認定し、これからの柔らかい付き合いについて想いを巡らせていた。まずはおはようのキスから始めるべきではないか、とセシリアの方を見ると、彼女は机に突っ伏して顔を伏せてしまっていた。

 もしや、まだ本調子ではないのだろうか。完全に治さないと風邪は何度もでもぶり返してしまう。セシリアの身体を気遣い、ラウラは「また来る」とだけ言い残して席へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前の授業が終わると例によって食事の時間を迎える。多くの生徒たちは雑談しながら学食へと向かう。人によっては弁当を持参して教室や屋上で食事を取る。そんな中で弁当も持たず、かと言って学食でどうこうできるほどの余裕のないラウラは、ただただセシリアを見つめていた。彼女がどのような行動を取るか見守っているのだ。

 午前中、セシリアはずっと机に突っ伏したまま眠りこけていた。病み上がりだというのに、無理して授業に参加しようとしたのだろう。しかし、結局は風邪にやられて動けないままだった。ラウラは心配して授業が一つも身に入らなかった。普段から真面目に授業を受けているわけではないが、その普段よりも不真面目になってしまっていた。真面目なのはセシリアを気遣う心だけと言っても差支えない。

 おもむろに立ち上がり、よたよたと頼りない足取りで教室を出ていくセシリアを、ラウラは追いかけようと席を立った。声をかけて一緒に食事でも食べよう、と誘うつもりだった。近くにいれば何かあっても対応できるからだ。

 しかし、ラウラが教室の外へ出るよりも速く、本音がセシリアを追って廊下へと飛び出す。よく見るのんびりとした速度だった。追い越すことは容易だったのだが、ラウラはポケットに潜ませたケータイの振動に気を取られてしまい、本音の先を行くことができなかった。

 忌々しい。空気の読めない機械だ。荒々しく手を突っ込んでケータイを引っ張り出すと、素早く着信を確認する。また、メールだった。おそらく同じ差出人だろう。メールの中身は『妄想お疲れ』の一文だけ。妙に人の神経を逆なでする一撃に、ラウラはまたもケータイをセパレートタイプに進化させてやりたくなった。

 そうこうしている内に本音が誘ってしまう。急いで廊下へ出ると、ちょうど本音の頭に手を乗せて髪をぐちゃぐちゃにかき乱しているセシリアを見た。羨ましいとラウラは思った。きっと気持ち良いのだろうな、とも。

 ひとしきりなで終わったのか、セシリアは本音を置いてきぼりにして曲がり角に姿を隠してしまった。

 残された本音はブカブカの袖からケータイを取り出すと、何かしらの操作をしてからケータイを袖に戻してしまった。メールを打ったな。もしや、差出人不明のメールはアイツからか、と本音を疑うのだが、一向にケータイが震えないために考えを切り捨てた。

 セシリアを見失いメールの送り主も不明のまま、ラウラは学食に足を運んだ。もしやセシリアが居るのではと希望を抱いたのだが、学食に居たのは一夏と箒、鈴の三人だった。その集まりにセシリアの姿がないことにがっかりしたラウラは、そのもやもやした気持ちを払拭するために、一夏に昼飯をたかった。

 三人と義務的に雑談を交わした後、ラウラは整備課へと顔を出し修理の終わったシュヴァルツェア・レーゲンを受け取った。特に労いの言葉をかけずに整備課を出ると、またもケータイが着信を受けて震えた。

 

「今度は何だ?」

 

 文面を見る前から苛々し出したラウラがケータイを荒っぽく開いた。メールを確認するためにキー操作を行い、メールの文面だけをディスプレイに映し出したラウラは、メールの内容にまずは首を傾げ、次には敵意を持ち、最後には嘲笑った。

 

『挑戦状を叩きつける。本日放課後に第三アリーナまで足を運ぶように言っておく。ISを用いてラウラ・ボーデヴィッヒを打ち倒すことを宣言する。IS学園最強の座(非公認)をかけて勝負しろ。勝利は必ず我が手にあるが故に負けることはなし』

 

 廊下にケータイを折りたたむ音だけが響いた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。