べつじんすと~む   作:ネコ削ぎ

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しばらく

 セシリアが教室に入ると臨海学校以来の顔合わせになるクラスメイトたちがこちらを見る。時間帯は朝のSHRが始まってすぐのことで、唯一遅刻してきたセシリアに視線が集まるのは当然の結果だった。

 教壇に立つ千冬が鋭い視線を突き刺してくる。時間にも授業態度にも厳しい彼女は、堂々と遅刻をするセシリアの後ろめたさのない表情に出席簿を振り上げる。クラスのほぼ全員がセシリアの頭にクリーンヒットする出席簿を想像したが、セシリアは一呼吸よりも早く振り下ろされた出席簿を軽々と受け止める。

 周囲が息を飲むのを感じ取ったセシリアはこの程度の速さで驚くなよと思った。頭を叩かんと振り下ろす力を発揮し続ける千冬の腕を簡単に押し退けると、セシリアは遅刻の謝罪をせずに席に向かった。

 

「ええと。こ、これから出来るだけ遅刻は控えてくださいね」

 

 固まったまま動かない千冬を見た真耶が慌てて注意するのを、セシリアは片手を挙げて応えた。

 SHRを終えると、真耶は固まる千冬の背中を押して教室を出ていった。セシリアは一時限目の授業までを寝て過ごすことにした。教科書もノートも机の上に出すことなく、代わりに上半身を乗っけて眠りの体勢を取った。別に昨日夜更かししていたわけではなく、単に授業中にやることがないから眠るだけなのだ。

 

「セシリア」

 

 突っ伏して腕で顔を覆い隠したセシリアに、ラウラが近寄って来る。

 これから眠ろうと言う時に声をかけられ、セシリアは不機嫌そうに「あん?」と顔を上げた。眼前にラウラが映り込むと、不機嫌そうな顔を夢いっぱいの笑顔に変える。

 

「よぉ。どーしたんだ、ラウラ」

 

 親友同士の会話。普段の二人を知らなければ仲良しの会話に見えなくないが、周囲はセシリアのラウラ嫌いを知っているために何かを企んでいるのでは、と思った。

 セシリアは周囲の危惧も知らずに、気さくな態度でラウラと会話をしていた。

 

「風邪はもういいのか?」

 

「ああ、まぁな。別に大したものじゃねぇし」

 

 ああ、そういえば病欠扱いにされてたんだな。天子によって欠席届けを出されていたことを思い出したセシリアは話を合わせることにした。ラウラが嬉しそうな顔をしているように見えるのが気になったが、ひとまず放っておくことにしよう。

 

「ならいい。お前が元気ならそれでいい」

 

「ふん。気持ち悪いくらいにアタシを心配してくれるじゃないか」

 

 タッグトーナメント以降、何かと引っ付いてくるラウラに、セシリアは獣のような笑顔をはめ込んで対応する。内心では、ふざけんじゃねえよ、と悪態をついていた。人の身体をいいように使って、挙句にボロボロにしたムカつく奴だ。気が済むまで殴らないと怒りが収まらないが、今はその時ではないとセシリアはぐっと堪えていた。過去のセシリアと違って、自制心も強くなっていたから、ラウラの前で笑顔を浮かべることなんて簡単だったが、その裏では着々と怒りの感情を溜めこんで自制心に負けないくらいに強くなっていた。

 

「アタシ……? まさかママの記憶が」

 

 ラウラがブツブツと呟く。ママ、という単語に引っかかりを覚えたが、妄想でも語っているのか、とセシリアは気にしなかった。長く話を続ける気がなかったこともあり、机に突っ伏すして話を切り上げた。

 

「また来る」

 

 気を使ったのかラウラはあっさりと居なくなった。また来るのかよ、とセシリアは伏せた顔を呆れさせて眠りについた。

 意識が浮上してきたのは教師が授業の終了を告げた時だった。勉強という前世では考えられなかった苦行を回避したセシリアは、寝起きでぼんやりとした頭を振って姿勢を正した。

 あくびをしていると、教室の前方の扉から是っ清が顔を出した。教室内をぐるりと見渡すと、セシリアに目を合わせて「よっす、オルコット」と教師にしては軽率な挨拶を繰り出してきた。生徒たちがギョッと目を見開いて是っ清に注目した。

 セシリアは億劫そうに手を挙げる。

 

「よお、是っ清。どーした、ナンパでもしに来たのか?」

 

 そんな度胸はないんだろうけど。まぁ社交辞令だ。

 

「別にそうじゃねえよ。現国の教師が疲れ切った顔で出ていったから、ちょっと原因を探りにな」

 

 苦笑して答える是っ清。かつての彼は笑顔の裏に大きな恐怖心を抱えていたが、今は吹っ切れたのか小さな恐怖心しか抱いていない。同じく吹っ切れたのか、日頃の嘘くさい真面目が剥がれ落ちて、今はやる気のない不真面目な顔をしている。その証拠に生徒の前であくびをしていた。コイツはもう真っ当な教師じゃないな。

 

「仲間意識が強くてなによりだ。隠蔽するには打ってつけの友情だぜ」

 

 隠蔽という単語にクラスメイトたちが僅かにざわつく。日々のニュースで不祥事が起こっていることを知って敏感に反応したのだろう。セシリアはそう結論づけてクツクツと笑った。この教師に教師間の仲間意識を期待するのは無駄だ。こき使われてムカつくとか言っているような奴だからな。

 

「ははは。残念だけど興味本位なだけさ。べっつにそこまでべたべたした関係性を持とうとは思わないって」

 

 愛想笑いではなく、心から本当に笑って否定する是っ清。だろうな、とセシリアは思った。母親の呪縛から解放されてようやくクリアになった視界と、持ち前の勘の良さが過去のセシリアには感知できなかったことまで知れるようになっていた。

 勘が告げたのは味方。是っ清と天子は味方で、本音も生徒会が関わらなければ味方だ。目を合わせれば分かる。好意と後ろめたさがごっちゃになった感情を感じとれた。

 

「で、興味を満たすものはあったか?」

 

 味方と分かる相手に無駄な暴力は振るわない。かつてセシリアと名乗る前と同じように、分別を持って接するセシリアに、是っ清は態度を軟化させていた。

 

「おお。お前が原因だって分かった。オルコット、もしかして威張るだけで能無しなんで、気合を入れてやったとか言うんじゃないだろうな。それしたらあの先生は二度と学校に来なくなるぞ」

 

「何言ってんだ? 馬鹿じゃねーの」

 

 セシリアが可哀想な者を見る目をすると、是っ清はバツの悪そうな顔を見せる。大方、受けると思ったことが受けなくて気恥ずかしくなったのだろう。セシリアはあえて視線の色を変えずに見つめ続けてみた。

 視線の圧力に耐え切れなくなったのか、是っ清は取り繕うように笑顔を見せると「そういう時は愛想笑いで流してやるのが大人だ」と言って、セシリアのみならずクラス中に言い聞かせるように語った。

 セシリアは思わず一夏に視線を向けた。彼がくだらないギャグを言う癖があることを知っていたからだ。もしかしたら是っ清の言いたかったことが分かるんじゃないかと思ったのだが、一夏の何とも言い難い奇妙な表情に、ギャグの類いではないことが分かった。

 

「じゃあ、とりあえず次の授業があるから帰るわ」

 

 場の雰囲気を微妙な温度に変えた是っ清が何食わぬ顔で告げる。恥ずかしくなって逃げ出すつもりだな、とセシリアは感づいたが、武士の情けという言葉もあると追い打ちはかけないことにした。

 是っ清は何か言いたげな視線でクラス内を見渡すと、そそくさと教室から出ていった。

 一夏に箒、ラウラ、本音の順に視線を止めたのをセシリアは見た。探る目で一瞬だけ視線を止めていた。もしかしたら何かを確認するために足を運んだのかもしれない。考えたセシリアは、すでに是っ清の口から答えが出てきていたことに気がついた。

 

「アタシか」

 

 是っ清はセシリアの変わり様によって、教室内がどう変化を見せたのか気になって顔を出した。それもおそらく興味本位の類いで。踏み込み過ぎない謙虚さと、踏み込む勇気のない小心者具合にセシリアは悪くないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みにもなるとクラスメイトたちは、いい加減セシリアの変わり具合に慣れたようで臨海学校前と変わらない様子になっていた。恐いのは相変わらずだが、以前よりも親しみやすくなった気がする、と何人かがこそこそ話しているのをセシリアの耳ははっきりと聞いた。

 セシリアは彼女達の言葉に特に気分を害したということもなく、立ち上がると昼食を買いに教室を後にする。

 

「せっしー」

 

 ふらりふらりとおぼつかない足取りで歩くセシリアを、後ろから本音が駆けてくる。駆けてくるとは言っても亀のように遅い足取りだ。セシリアの歩行速度と変わらない。

 

「おっ、本音か。なんだ?」

 

 振り返ると、ぎこちない分かる笑顔を浮かべた本音が居る。いつものほんわかした柔らかい頬はわずかに強張っていて、セシリアは珍しいものを見た。原因は自分にあるのだろう。過去のセシリアと今のセシリアは雰囲気が大きく変わっている。整形した別人なのではないかと疑ってかかる人間が居ても不思議ではないほどに。

 

「三日ぶりのせっしーだから、一緒にご飯食べたいんだよ~」

 

「たかが三日だけどな」

 

「むぅ。その三日が長いんだよ。男子三日会わざれば刮目して見よー、なんだよ」

 

「よく分からないけど、きっと使いどころ間違えているだろ」

 

「ええと、私にも分からないから大丈夫。それよりもご飯食べようよ。生徒会室開けておくから」

 

 生徒会室、という言葉にセシリアは浅く溜息をつく。勘が、楯無が何かしら考えているに違いないと注意を呼びかけていた。おそらく、何となくの提案ではない。本音は思惟を持って生徒会室での食事を提案した。表情を見る限り、提案せざるを得ない状況に陥っているとも取れるが。どちらにせよ、情になどに絆されて頷くことはセシリアにはない。

 

「悪いな。今日は遠慮しておくぜ。アタシはパンの気分だからな」

 

 本音の頭頂部に手を置いてひとしきり髪をかき乱すと、セシリアは廊下の先へと向かった。

 廊下の曲がり角付近で足を止めると、ポケットからケータイを取り出して素早くメールを送る。送信のメールを送ると、間を置かずに返信メールが送られてきた。内容は『本音君が楯無君に任務失敗、と連絡しているよ』と、本音の行動が記されていた。

 やっぱりな、とセシリアは頷くと購買へと向かった。購買は学食で食事を取れないような生徒たちが殺到していた。部活動の打ち合わせや、委員会活動に追われる生徒たちは重宝しているとのことだ。

 

「げ、オルコット!?」

 

 一人の生徒がセシリアに気がついて声をあげると、購買の前を陣取っていた生徒たちが真っ二つに割れて道を作り出す。前のセシリアの時から行ってきた行為が、彼女たちに恐怖を植え付けて特定の場面において絶対服従を強いていた。

 

「お、わざわざ悪いじゃんか」

 

 出来上がった道をさも当然のように抜けたセシリアは、手作りであろう惣菜パンの群れを眺める。コンビニ等で置いてあるようなパンもあるが、味に雲泥の差があるために居残りを決め込むことが多い。セシリアも居残り組には興味がなく、二つの惣菜パンを手に取って購買を仕切る恰幅の良い中年女性に手渡す。

 

「おお、上手く空いてるな」

 

 背後からぬっと手が伸びてきて、パンコーナーの隣にある弁当をヒョイと持ち上げる。周囲が息を飲む音が耳に入って来るので、セシリアは振り返って弁当を掬い上げた人物を確認する。視界に映り込んだのは是っ清だった。

 

「いやいや、オルコットが居ると空いてるよな」

 

 わざとらしく周りを見渡す是っ清の足の上に自らの足を乗せたセシリアは、少しずつ体重をかけて制裁を加える。是っ清は数秒は耐えたが、セシリアがぐっと力を入れると顔を、痛みに顔を真っ赤にしてギブアップした。

 まぁ、もった方かな。痛みに悶える是っ清の姿に免じて足を退けてやったセシリアは、購買の中年女性からパンの入ったビニール袋を受け取ると金を投げ渡した。

 一応のためにビニール袋の中を確認して、セシリアはニヤリと顔を歪める。中年女性を一瞥すると、購入した惣菜パンの一つと全く同じものを手に取った。

 

「これ追加で買ってくれ」

 

 踏まれた足先を抑えて蹲る是っ清の頭に惣菜パンを乗せると、セシリアはビニール袋を引っ提げて購買に背を向けた。

 

「変なもん入れんよー」

 

 それだけを言うとセシリアは備品室へと向かって行った。購買の中年女性が奇異の視線を向けていることを肌で感じながら。


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