べつじんすと~む   作:ネコ削ぎ

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セシリアさんとラウラさんは

 ひたすらに廊下を走る。廊下は授業開始の合図が鳴った後で、人通りなどないに等しく真っ直ぐと駆けることができた。どたばたと足音に気を使う暇もなく足を動かして、俺は一心不乱に職員室へとひた走る。

 職員室にたどり着くと、他人様を顎で使うのが得意な女教師が不機嫌そうな顔でこちらへと向かってきた。

 たかがマーカーを取りに行くだけでどれほどの時間をかける必要がある。そう言われる気がした。この女教師は自分こそが一番と考えるきらいがあり、俺のみならず他の教員からも疎まれている。嫌味ったらしくねちっこい。ヘドロか、と言いたくなる。

 しかし、今の俺にはこのヘドロと関わっている暇はない。文句の一つ拝聴する時間を持ち合わせちゃいないのだ。

 

「置いておきます」

 

 五色入りマーカーを出入口から一番近いデスクに置くと、俺はさっさと背を向けて職員室から出る。女教師がヒステリックな叫び声が聞こえてくるが、今の俺を止めるほどの恐怖はない。

 教員室を出て来た道を急いで戻る。行ったり来たりをするのは面倒だが、そんなことは言ってられない。足が棒になってポキリと折れるまで全力疾走。廊下は走ってはいけないんだろうけど、教師の特権と非常事態に付き除外、という免罪符を掲げる。それにこういうのは現行犯だ。見られてなければなんとでもなる。

 途中、自販機で二人分の飲み物を買ってから備品室へと戻る。

 部屋の中に入れば、備品の山を背にして気を失っている少女がまだ居た。あれから五分は経過したが、意識を取り戻した様子はない。痛々しい姿に顔が引き攣ってしまう。アレが自分の顔にされたら、と思うとアレを作り上げた職人に平伏したくなる。痛いのはご勘弁だ。

 

「おっ、ご苦労さん」

 

 右手を見れば、備品の山の一角に手を突っ込んで何かを探しているセシリアが居た。背を向けているにも関わらず、的確に俺を見抜くとは。というか年下なんだから、お疲れ様と言うところだろうが、と言えない小心者な俺。

 備品を漁るセシリアは「よっ」と小さく漏らすと山の中から新品のガムテープを引っ張り上げた。

 ガムテープを片手にセシリアは山の上で動かない少女へと近づく。気を失っている少女を見下ろしたセシリアはガムテープを使って、まずは少女の口を塞いだ。次に身体をガムテープでぐるぐる巻きにして簡易的に拘束した。さらに、両足もガムテープで拘束する。これで少女は身動きを封じられ、助けを呼ぶこともできなくなってしまった。とても犯罪臭がして気持ちが落ち着かない。

 

「おい。何してんだ?」

 

 教師として、そもそも社会人としてセシリアの行動を訊ねなければならない。犯罪っぽいことになるならばすぐさま警察に連絡して引き取ってもらわなければ。いいや、そうなると現場に居合わせた俺に疑いがかかるかもしれない。というか女尊男卑のこの社会で、果たして俺の証言が信用してもらえるのか。セシリアが濡れ衣を被せにきたら絶対に負けるだろ。こうなれば毒を食らわば皿までだ。まだ悪に手を染めたわけじゃないけど。

 犯罪者になることをやけくそ気味に決意していると、セシリアが生徒手帳を投げ渡してきた。

 

「見りゃ分かるだろ。逃げられないように縛ってんの」

 

 当たり前のように言われてしまった。セシリアは気絶する少女の身体を触って持ち物検査をしていた。財布の中身を確認して舌打ちしたのが妙に印象的だ。

 渡された生徒手帳を開くと、少女の学年と名前が判明する。広場天子という二年女子だ。名前に聞き覚えがないから受け持ったことはない。

 プライバシーを忘れて生徒手帳を物色するが、カレンダー部分にもメモ欄にも記述はなく中身は新品同様だった。ちょっとつまらなかった。

 

「で? なんで……この広場天子とかいう女子をボコボコにして縛るんだ? 海外に売り飛ばすのか?」

 

「しねぇよ。そんな人脈持ってないし。それに人聞きが悪いぜ。こっちは挨拶がてら軽く小突いただけだ」

 

「俺の知ってる限り、顔が腫れあがる状態は小突いて出来るもんじゃないぞ」

 

「勝手知ったる仲だから正直に言っちゃうぜ。お礼とお礼参りを同時にこなしただけ」

 

「……何をお前の恨みを買ったんだ?」

 

 買ってきた飲み物をセシリアに投げ渡す。好みを知らないから微糖のコーヒー。すぐに投げ返されたので、仕方なく無糖の方を投げ渡した。プルタブを開ける音が聞こえて来たので、これからは無糖を買ってくるようにしょうと思った。パシリの心がマックスだった。

 

「アタシを解放してくれた礼と、縛りつけてくれたお礼だよ。これでもいい方。プラマイのマイナスがちょっと増してるくらいのことさ」

 

 一人称の違いが耳に引っかかって来る。コイツの一人称は確かわたくしだったはずだ。母親が五月蠅いから一人称だけは屈したとかなんとかで。それなのに、両親が死んで数年経って今更変えるってどういうことだ。解放という言葉と関係があるのか。

 疑問はいっぱいある。どうして臨海学校に行っているはずのセシリアが学園に残っているのか。どうして広場天子は縛り上げられているのか。どうして解放という言葉を使ったのか。どうして、縛りつけられていたのか。一番は、セシリアの雰囲気が今までと違うことだ。

 セシリアは獣ような少女だったはずだ。油断すれば喰いつかれるんじゃないかってくらいおっかない猛獣だったはずなんだよ。

 だけど、今のセシリアはそんな直線的じゃない。猛獣を目の前にする恐さ以上のものがある。言葉に表すのも難しい、独特の雰囲気を纏っている。

 

「臨海学校に行ったんじゃないのか?」

 

 まずは一つずつ疑問を解消していこう。それも、セシリアの機嫌を損ねないよう慎重に。

 

「行きたかったけどね。夜中の内にソイツに縛られた。当日にアタシのケータイ使って、楯無経由で担任に欠席を知らせたらしい。脅してさせたんだってよ」

 

 拘束されていたことを、事もなげに話すセシリア。表情の機微を読み取れるだけ読み取ってみたが、俺の観察眼を信じるのならもう怒ってはないようだ。広場天子の顔の腫れ上がりを見れば気が済んだのだろう。

 

「楯無を脅した? あんな奴を脅して従わせるなんて無理だろ」

 

「無理じゃないから、アタシは海に行けずじまいなんだって」

 

「でもよ。脅すって何するんだよ」

 

「個人情報の流出。それだけ十分だ」

 

「現代的な手段だ。恐ろしいな」

 

 インターネットやSNSの普及が悪い方向に、なんて保守的で変更的なことばかりを告げるコメンテーターみたいなことを言うつもりはないが、やはり繋がりやすいは危険かもしれない。

 

「さっきの解放とかいう言葉もコイツと関係あるのか」

 

 一つずつ知っていこうとしたが、最初の質問でけっこう分かった。セシリア拘束で海に行けず、解放後に報復行為として広場天子ボッコボコ。

 後は解放と雰囲気の様変わりについてだ。

 

「ある。前にここで、あの人工物と記憶合わせみたいなことしたろ。その時にあの人工物に弱体化してるなんて言われて、ずっと引っかかってたんだよ。あのババアが何かしたが何をされたかは分からない。ずぅーっと知りたいと思ってたんだ。それをコイツが手荒な真似で教えてくれたんだよ。お節介だな。で、そこでアタシは頭の中を弄られて、ちょっとだけ善い子ちゃんにさせられちゃったってことが分かったんだ。まったく、おかげでアタシは『わたくし』なんて気持ちの悪い言葉遣いをさせられちゃったんだよ。ああ、気持ちわる。さらに気持ち悪いのは、あんな人工物にアタシが手も足も出なかったことだ。コイツはムカついて仕方がねぇ。挙句にその人工物はアタシにべた付いてくる。唾吐きかけたくなるなぁ!」

 

 セシリアが叫ぶ。勢いで広場天子の腹を蹴飛ばした。憐れだ。俺が標的じゃなくて良かったよ、と思う俺は最低なのか。

 可哀想な芋虫を眺めていると、ソイツは蹴られた痛みで目を覚ました。腫れ上がった瞼がゆっくりと持ち上がると、日本人らしい黒い瞳が姿を見せた。

 広場天子が目覚めたことに気がついたセシリアは、彼女の近くにしゃがむと口に覆い被さって張り付いたガムテープを無造作に剥ぎ取る。べりべりべり、という音を鳴らしながら剥がされるガムテープに引っ張られる唇は、大層痛そうで軽い拷問のようにしか見えない。

 

「備品室に転がされるとは困ったな。せめてガムテープはやめてほしかった。制服が駄目になってしまう」

 

 意識を取り戻した広場天子は嫌に冷静だった。殴られ拘束されたというのに動揺一つ見せずに、淡々とセシリアに語り掛けている。よほど肝っ玉が据わっているだろう。

 

「俺は逃げられないよ。たとえ百メートル離れたところか逃走を開始しても一分も経たずに捕えられ、手足の一本や二本へし折られるだろうし。だから拘束する必要はないじゃないかい。ああ、やられたから仕返しというわけかい」

 

 セシリアの顔を臆することなく直視して、広場天子はすらすらと言葉を紡ぎ出す。最後の一言はまるでセシリアのやり口を分かっているかのような言葉だ。

 

「いるかのよう、じゃない。タイムラグなしで分かっているんだよ。転生者の町田先生」

 

 偶然か、と疑うには難しい言葉をぶつけられ、思わず身体が強張る。この部屋には既にセシリアという恐怖を感じさせる相手が居るというのに、そこにまだ未知の恐怖を放り込んでくる。

 チキンと言われようがビビりと言われようが構わない。俺は広場天子に気づかれないように出入口へと移動しようとする。

 だが彼女が視線をこちらに移して微笑んだために、俺の静かな逃亡計画は挫折を余儀なくされた。まるで俺の心を読んだか、わずかな表情の変化を敏感に感じ取ったかのように、出鼻を挫いてきた。

 

「逃げなくても俺には直接な力はないから。そんなに怯えない」

 

 その言葉に、俺は安堵なんて出来なかった。むしろ心を除かれているような、物理的にも精神的にも裸に剥かれてしまったかのような気分にさせられた。


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