「ば、場を弁えたことをするな」
注文した品を目の前にしてラウラが小さく呻き声を上げる。歯を食いしばる姿にセシリアはウットリとした微笑みを浮かべて、自分が注文したハンバーガーに喰らいつく。見目の良いハンバーガーは味も良く、セシリアは何度も頷きながら咀嚼する。
ラウラもハンバーガーに手を伸ばすが、後少しで触れるというところで顔を歪める。歯と歯の間から地鳴りのような音を出すと、伸ばした手を引っ込めた。
「どーした? 食わないのか?」
意地の悪い笑みを浮かべている。自分でも顔の変化が分かってしまった。セシリアは吊り上がる頬を隠そうとせずにラウラに視線を向ける。
向かい合って座る机の下では、セシリアの踵が正面の相手の足に突き刺さっていた。ラウラがハンバーガーに手を伸ばす度に、突き刺さった踵が掘削機さながらに動き出す。日頃の恨みが籠った踵は常人を超えた威力を発揮し、ラウラは痛みを回避するために手を引かなければならなかった。
「ぐぐぐっ! 足を退けろ」
「足を退けてください、だろーが。無銭飲食ちゃんよぉ。テメェーが金持ってねえってんだ。身体で払えよ。ストレス解消の為にこれくらいさせろよ」
再び手を伸ばし、末端部からの激痛に顔を真っ青にするラウラ。セシリアは涼しい顔をしていることもあり、強者と敗者の構図が出来上がっていた。実際の実力者は真逆なのだが、今は確かにセシリアが勝者だった。
ほっそりとしたフライドポテトを摘まむ。ハンバーガーだけが美味しいわけじゃないと分かり、セシリアはこの店に合格印を押した。
摘まんだポテトをラウラへと向ける。自分の注文したハンバーガーはセシリアの魔の手によって食べることの出来な状況で、目の前に突き付けられたポテトは地獄に仏だった。
ラウラは顔を前に突き出してポテトへと迫る。後少しのところでポテトが天高く舞った。
「あっ!?」
縦回転で上昇したポテトを目で追うラウラに、セシリアは失笑した。飛ぶところまで飛んだポテトは運動エネルギーを失って落ちてくる。着地地点は天を仰ぐセシリアの口の中だった。
「ぐぬぅ!?」
「誰がやるって言った?」
「意地が悪い。意地が悪いぞ」
ラウラの言葉を無視して店内の時計を見る。短針が一時を示しかけていた。
水着を買いに来て四時間が経とうとしている。目的のブツは未だに手元にはなく、代わりに財布からは二人分の食事代が飛んでいき、余計な人工物が引っ付いてきている。せめてストレス解消の道具にしようと足を攻撃しているが、当初の目的を果たせていない事実が苛立ちを燻らせている。
目の前でハンバーガーに熱い視線を送り続けている人工物を見ると、能天気なくらい悩みがなさそうで羨ましくなる。
セシリアは溜息を吐き出す。前世では海と無縁な生活を送っていた。似たような言葉で一番縁のあるものと言えば血の海くらいだ。しかし、同じ海でも泳げる海ではない。よって水着の必要性はなかった。さらに言えば、前世の海は泳げるレベルの海ではなかった。そもそも水着なんてモノは存在していなかった気がする。過去を振り返っても海と接点がなかったことに、これでは水着選びも進まないわけだ、とセシリアは頭を抱える。
「ラウラ。もう食っていいぞ」
絶望感が諦めさせる。虐め心も萎えてしまったセシリアは足を退けて許可を出した。突然の解放にラウラは訝しんだが、空腹には勝てずハンバーガーに飛びついた。バクバクとハンバーガーを蹂躙していくラウラを、セシリアは頬杖を突きながら眺めた。
一心不乱にハンバーガーを胃袋に収めるラウラは餓鬼みたいだった。小さい見た目は子どもらしい純真さがある。多くの人がこの姿に暖かい気持ちになるかもしれないが、セシリアにはどうしても理解ができなかった。たとえ従順で可愛がりがいのある態度で寄って来られても、きっと慈しむことは不可能だ。
ラウラは不愉快感を感じなくなったと言う。それは事実だとセシリアは思った。目に悪意がなくなったことで理解ができる。だけどわたくしは全く悪意も敵意も振り払えないんだから、もしかしたらコイツの言うように器が小さいからか。人間性に関しては誇れないことくらいセシリアにも分かっている。だが、自分が蛇のように執念深かった記憶はない。
コイツと前世で何があったのか。それさえ分かれば全てが解決しそうな気がする。ふむ、店内に目を向けると、さきほど案内してくれた店員が新しい客を席へと案内している。やはり嘘くさい笑顔だ。
嘘くさい笑顔と言えば、備品室でラウラとの関係について考察していた時、是ッ清が何かを思いついた素振りをしていたのを思い出した。何も思いついてない、と主張していたが一つ仮説を立てたのではないだろうか。それも、一般的には馬鹿にされかねないような仮説を。いいや、セシリアとラウラのどちらか、あるいは両名から怒鳴られることを恐れて言わなかったのかもしれない。
わたくしが怒鳴りたくなるような仮説とは何か。実は前世のラウラと戦って殺されたとかか。うん、怒るな。だが、だとしたらわたくしはなんで覚えていない。殺し殺されの関係ならどちらかが覚えていてもいいはずだ。前世の記憶もあるのだ。名前を知っていても不思議じゃないはずなのに、わたくしもラウラも互いの名前を出していないのか。
もしかして、ラウラの言っていたわたくしの弱体化と関係があるのか。ポテトを一本ずつカリカリとリスのように食べるラウラ。なんだ、と目が問いかけてくる。
「タッグトーナメントの時、わたくしの母親がわたくしに何かしたって言ったよな。何を言っていたか覚えてるか?」
セシリアが問いかける。
返答次第では奢ってやろうと考えながら、ラウラの言葉を待っていると「前に話したこと以外なら」と思い出すように天井を仰ぎ見た。
「確か……娘を救ってくれ、とか言ってたな」
「救ってくれ? わたくしをか」
あの鬼女がそんなことを言った、ということが信じられなかった。仕事の鬼であり、体面ばかりを重んじるような母親に娘を救う、という言葉は似合わない。調教や、再教育という人権を侵害しかねない言葉の方が唇に合っている。
「というかそれくらいしか言ってなかったな」
「さすがだ。あのババア」
故人を、それも母親の悪口を言うことに関して、セシリアには一切の抵抗感はなかった。母親を慕った覚えが全くないことが原因かもしれない。
「救う、か」
救う。セシリアには考えが及ばない。母親がどういった意図でそんな言葉を使ったのか。唯一理解できるのは、その救いはセシリアを想って口走った言葉じゃないということくらいだ。自分の名誉を守ることが前提にあるに違いない。
食事を終え、相方が食べ終えるのを待つだけの身となったセシリアは考える。普段ここまで脳みそを使い込んだことはなかった。
体面や名誉を気にする女はどう動く。わたくしの弱体化の原因だとして、一体何をしたのか。前世の自分を振り返っても、姿かたち以外で変わったところはないはずだ。
「分かんねぇぞー」
机に突っ伏したセシリアは考えることを止めて、ラウラが食べ終わるのを待った。
数分後、セシリアは仕方なくラウラを引き連れて水着売り場に戻り、確認せず適当に掴んだ水着を買って学園へと帰った。
そして翌日、セシリアは臨海学校を欠席した。