ラウラがそいつに話しかけられたのは、放課後も終わりを迎えた時だった。
昼食を抜いて、午後の授業から続く空腹に耐え続けていたラウラ。彼女が腹を押さえてぐったりしていると、シャルルが教室にやってきた。
「あ、ラウラ。ちょっと話があるんだけど」
そう言うなり、飴玉を差し出してきたシャルルに、ラウラはもっと寄こせば話を聞いてやると高圧的な態度で応じた。口の中に放り込んだ飴玉を舌で弄びながらなので、あまり締まっていないのだが。
「で、話とは何だ? 金と飯の話なら他を当たれ」
「ごめん。そこまでラウラ寄りの話じゃないんだけど」
ラウラ本人の考えが多分に含まれ過ぎた予想。シャルルは苦笑いを浮かべる以外のやり過ごし方が分からなかった。
ラウラはピーチ味の飴玉を転がすことに意識を集中させながらも、シャルルの動きにも注意を怠らなかった。世の中、思っていた以上のことが起こるのは当たり前なのだ。自分には考えもつかないような事態にならないとは言えない。
糖分摂取にラウラの脳は活性化していく。日常生活では対して役に立たない脳みそではあるが、これでもラウラにとっては欠かすことのできないパーツなのだ。
口の中をピーチが広がり、頬が緩まる。
甘くて美味い。
空腹に犯されていたせいであろう。ラウラの味覚は、スーパーで一番安値で売られていた飴玉に酔いしれていた。
しかし味覚は酔っていても、視覚ははっきりとしている。
ラウラは飴玉を転がしながらも、シャルルの頬が痛々しく腫れ上がっているのを見た。
「あのね。ラウラも、ボクがすぐにでも帰国することを勧めていたけど……」
「勧めていたんじゃない。帰れ、と言ったのだ」
「あ、あー、うん。それでね、帰れって思う理由はなんなのかなー、なんてね?」
セシリアと同じくらい、もしくはそれ以上に危ない相手に、シャルルの腰が引けるのは仕方がないことだった。
「あの時以上に言うことはない。共犯者になる気はない。それだけだ」
「は、犯罪者扱いなんだね」
当たり前だ、とラウラは鼻を鳴らす。ついでに手のひらをシャルルへと突き出す。
手のひらの意味を理解したシャルルはポケットから飴玉を取り出すと、その上へと置いた。
「この話は既に結論が出ている。ウザいから私以外に泣きつくんだな」
新しい飴玉を受け取ったラウラは、包装紙を剥ぎ取ってヒョイと口の中に放り込む。メロンソーダ味だ。
飴玉にご満悦なラウラを、シャルルは溜息を吐き出しながら眺めた。ラウラの対応から、セシリアと同レベルで役に立っていないことが分かる。
シャルルは思わず自分の不幸を話しそうになったが、セシリアからの仕打ちを思い出して、慌てて口を閉じた。
「ええと……じゃあ、ラウラは自分でこれは不幸だな、って感じたことある?」
セシリアの時と違い、出来る限り角のない言葉遣いで質問をする。
質問を受けたラウラは、思考が停止したかのようにピタリと止まった後に「ない」と答えた。
「どうしてないの?」
「不幸と感じたことがないからだ」
ラウラは生まれてからこのかた、迫りくる様々な事柄に対して不幸を感じたことはない。ある使命を背負って生み出され、それからの実験と訓練の繰り返しの中で生きてきたのだ。それが日常であるから不幸の定義など存在しない。
IS学園でセシリアという不愉快な奴に出会っても、それは不幸ではない。所属するドイツ軍から全く支援してもらえない為に、常に空腹に苛まれていても不幸ではない。
「もしも不幸を感じたことがあるとしたら」
飴玉を噛み砕く。
「この学園のレベルの低さに不幸を感じる」
バリバリ、と飴玉が噛み砕かれる音が、二人しかいない教室に鳴り響く。
バリバリと音が鳴るに従って、シャルルの肩は恐怖で跳ね上がる。
「と、同時にセシリアがいて幸運だとも思う。アイツはこの学園の中でも上位に位置しているからな」
「じゃあ、セシリアと組んだのは嫌なんじゃないの? 戦えなくなっちゃうし」
「別に」
「べ、別に?」
「アイツの考えることは理解できている。だから付き合ってやってるんだ」
セシリアの考えにある程度検討がついている。なので彼女と組むことにラウラは異論なかった。むしろ他の人間と組むことの方が気が進まない。
ラウラは転入してからわずか数日で、同学年の実力のほどを見抜いていた。
一般生徒たちはISでの訓練時間が少ないので論外。国に選ばれ教育を施された代表候補なら少しは相手になるかと思ったのだが、ほんの数十秒ぶつかっただけで彼女たちの底の浅さが見えてしまった。
セシリア以外に相手になるのがいない。それがラウラの出した評価である。
「アイツのことだ。勝つ為に手段は選ばないということだろう。それならそれで、こちらとしてもやりやすい」
やりやすい。
空腹で弱っているところを本音に突かれて了承したとはいえ、ラウラも別に菓子欲しさだけに頷いたわけではない。
素人同然の一般生徒よりも、我の強い代表候補よりも、セシリアの方が何倍もやりやすいと思ったのだ。
トーナメントで勝ち抜いていく中で、弱い仲間は足を引っ張るだけで何の役にも立たない。邪魔立てをして足枷の役割をするくらいだろう、とラウラは考えている。
代表候補としてもそうだ。
基本的にISは個人戦しかない。
今回、学園内では初の試みであるタッグ戦は、個人戦で慣らした代表候補たちには苦難と成り得る。自分のやり方が定着しているから、相手のやり方に上手く合わせられないであろうことは、容易に想像がつく。
それならば、個々で強いペアを作り上げればいい。
そこでラウラは一番嫌っているセシリアの手を取ることに決めた。
セシリアは勝負をするなら勝ち星をあげるのが当然、と考えている。たとえラウラが戦う気を見せなくても、勝手に雑兵たちを蹴散らして勝利をもぎ取ってくるに違いない。
私は然るべき時が来るまで静観する。それまではセシリアが必死になって動き回ってればいいんだ。
自分の周りを忙しなく回ってあちこち威嚇するセシリアの姿を幻視し、ラウラは邪悪な笑みを浮かべた。
見る者を恐怖に駆り立てる笑みを崩したラウラが手を差し出す。そうするとシャルルは出来の良い従者のように飴玉を手渡した。恐怖によって噛み合った阿吽の呼吸だった。
包みから取り出した飴玉をパクリと口の中に放り込む。
三度目の至福を味わうべくラウラは舌で飴玉を転がす。
「……不味い!?」
味を感じ取った瞬間に飴玉を吐き出す。
口から放たれたのはハッカ味だった。
「きたなっ!?」
綺麗な放物線を描いて飛んでいった飴玉は、誰にも受け止められずに床へと転がっていった。