翌日の放課後。
セシリアとラウラは机を挟んで向かい合っていた。放課後の時間を友達と談笑しているように見えるが、二人の普段の行いと、今の表情を見れば友人関係にないことだけは理解できる。
けらけらと他人を嘲笑うセシリアと、嘲笑を受けて射殺しそうな視線を向けるラウラ。片や優勢の立場で心に余裕があり、片や劣勢に立たされて心に余裕がない。
ふっふっふーん。勝者はわたくしにあり、だ。
手に持ったカードを吟味して笑うセシリア。五枚のカードの内、四枚にはKの字が書かれている。勝者の証と言っても過言ではない四枚のキング。威厳に満ち溢れた王の絵はセシリアの心そのものだった。 有り金全部頂いてやりたいが、オケラちゃん相手にそれは可哀想だからな。金の代わりに苛め抜いてやる。
性根の腐った勝負師のようなことを考えるセシリア。今の彼女はいやらしい獣だ。
「さあ、さあ。どーするよ、ラウラちゃーん」
猫なで声で名前を呼ぶ。相手がいかに不利であるかを再確認させ焦らせる。
その術中に嵌り、手に持ったカードをぐしゃっと握りつぶすラウラ。食いしばる歯と歯の間から「コロスころす殺す」と聞こえてくるが、セシリアにとっては自身を祝福してくれる音楽と代わらない。
「……うぐっ」
「うぐぅ?」
「……うぐぐっ!?」
歯をがちがちと打ち鳴らすラウラ。目に見えて挙動不審で、あちこちに視線をやって打開策を検討していた。
セシリアは、勝ち目もないのに足掻いているラウラを注意深く観察していた。
勝利事態はセシリアに傾いたまま戻ることはない。今更何をやっても天秤が揺れ動くことはない。そういう意味ではラウラを警戒する必要はなかった。
しかし、逆転勝利の術はなくても負けない術なら考えられる。
負けなければ良い、セシリアの行動原理の一つでもあるが、場合によっては相手の行動原理にも成り得るものだ。
セシリアの警戒は杞憂には終わらなかった。ラウラの視線がある場所で、瞬間的に止まったのを確かに見た。
「……手が滑った!」
ラウラが動き出す。カードを持った手を、裏のまま重なっているカードの塔へとぶつけた。カードが床に四散する。吹き飛んでいくカードの中にラウラは手持ちの札を紛れさせて勝負を有耶無耶にした。
「すまない。手を滑らせた」
豪快に手を滑らせたラウラはしれっとした顔で謝る。謝罪に一ミリも心が籠っていないが、とにかく形だけ謝った。
謝っていない謝罪を受けたセシリアは、怒りを見せずに喉を鳴らして床に散らばったカードを回収していく。
ラウラは地面に這いつくばってカードを拾い上げていくセシリアを心の中で嘲笑ったが、彼女が幾つかのカードを机の上に戻すと、笑ってもいられなくなった。
「まったく。これ以上手を滑らせるなよ」
全てのカードを拾い集めたセシリアが再びラウラと向かい合う。
「さーてと」
セシリアが鋭い視線を送る。
ラウラのそばにはくしゃくしゃになったカードが五枚。
「わざわざ目印を付けてから手を滑らしてくれるたぁね。おかげで手札が行方不明にならずに済んだ」
勝ち戦の宣言をすると、セシリアは四人の王と戦力外の3を表に出した。
「さあ、勝負だ」
既に勝ちは決まっているようなものだが、セシリアはそこでやめるようなことはしない。目に見える勝利と、敗北に呻くラウラの顔が見たいのだ。
「めくってごらーん」
優しい声音でラウラに行動を促す。ここでセシリアが手を出してはいけない。ラウラ自ら負けの道を進むことに意味がある。
めくれば敗北が決定する。もっとも負けたくない相手に。
ラウラはぐしゃぐしゃのカードの上に手を置いたまま俯く。こんな奴だけには負けたくないという思いと、どうすれば状況を突破できるかを考えている。
時間稼ぎとばかりに「う~う~」唸ってはいるが、稼いだ時間は無駄に浪費されていくばかり。
セシリアの押し殺した笑い声。腕を組んでふんぞり返っている姿は憎たらしいことこの上ない。
しかし、その姿はラウラに一つの道を与えることになる。
そして密かに活路を見出したラウラを、勝者の目線で眺めていたセシリア。絶対の勝利に酔いしれているに見せながらも、ラウラが行うであろう悪あがきを予想していた。
「はっ!」
短い掛け声を合図にラウラが机を蹴り上げる。
机を蹴飛ばしてセシリアの注意を引き、その間に教室の外へと飛び出す。そしてゴミ箱でもどこでもいいから手札を捨て去って、カードを紛失という流れで試合を有耶無耶にする。
それがラウラの描いた負けない為の手段。
ラウラの蹴りによって机は天井近くまで舞う……はずだった。
「おらぁっ!」
床から足を離した机を、セシリアが拳を叩きつけて強制着陸させる。
「ちっ!」
作戦の初期で失敗。行動を読まれたラウラは舌打ちする。
しかし、ラウラは作戦を強行。
机の上にあったカードの山を投げつけて目晦ましすると、出入口目掛けて走り出した。
「待てコラァ!」
最初の段階で阻止できたと安心してしまったセシリアは出遅れる。
「私の勝ちだ!」
教室と廊下の境目を乗り越える時、勝利を確信したラウラ。
次の瞬間、全速力で教室に入り込んできた一夏にぶつかって、追ってきていたセシリアの方へと飛ばされていった。
「おぶぅっ!?」
急に飛んできたラウラの肘が、セシリアの腹部に偶然打ち込まれる。
セシリアは無言で蹲る。予想外の一撃に全く対応できなかったのだ。
「うおっ!? セシリア、悪い」
ぶつかったと思って慌てて謝る一夏。謝る相手が違う気がするのだが、悲しいかな彼にはラウラの存在が見えていなかったのだ。
一夏に存在認識をされていなかったラウラは、それを不快に思うことはなかった。そもそもそんなことを考えている暇はないのだ。今のラウラはこの教室から抜け出すのが先である。
片側の出入口は蹲るセシリアと、あたふたしながら声をかける一夏に塞がれている。
ラウラはこっそりかつ素早くもう片側の出入口へと向かった。
「誰か助けてぇ!」
後少しで出られるというところで、ラウラはまたも入室者に蹴散らされてしまった。
教室に入って来たのは涙目のシャルル。発した言葉と肩で息をしている様子から、何かしらから逃げてきたことが明白だった。
「いってぇ~ぞ!」
「シャルル。どうしたんだ慌てて?」
「あっ!? い、一夏! ……とセシリア」
またもや存在を認識されなかったラウラ。
シャルルの元へとやってくる二人の目を掻い潜りながら、さきほどまで塞がれていた方の出口へと向かって行く。
「で、一人でどうしたんだよ、セシリアは」
「一人ってわけじゃあないがよ。ったくよぉ、いきなり飛びこんでくるなよ」
「うっ!? ……悪い」
「いいよ。で、シャルルはどーした?」
「えっ!? あ、ええと……あ! 助けてよ、二人共!」
三人でがやがやとしている隙に、ラウラは出入口へと向かう。
三度目の正直という言葉もあるので、今度こそ教室を出ていこうとしたが、またしてもそれは阻まれた。
「織斑くん!」
「デュノアくん!」
「一夏!」
「い、一夏!」
怒涛のように押し寄せる人だかり。ラウラは抗うことも出来ずに人波に揉まれて、気がつけばセシリアの腕の中にいた。
「お帰り、ラウラちゃん」
地獄の底から鳴り響く声に、ラウラはびくりと肩を跳ね上げる。腹に回されたセシリアの腕が万力のように押しつぶしてくるに従って、ラウラは踏まれたカエルのような鳴き声をあげはじめる。
セシリアがゆっくりとラウラの腹を締め上げている間、一夏とシャルルは多くの女子生徒たちに囲まれ追いたてられていた。
「私と組んで織斑くん!」
「デュノアくん。あたしとイイことしましょ!」
「一夏。お前は私と組むのが道理だろ!」
「駄目に決まってんでしょ! こんなのよりアタシと組みなさいよ!」
「こんなのとはなんだ!?」
「すぐ木刀持ち出すんじゃないわよ!?」
わーわーきゃーきゃーと一夏とシャルルを囲む群衆が騒ぎ出す。その騒めきは中心から外円部へと浸透していき、規律のない音楽となっていった。
その波によって教室の隅に押しやられていたセシリアとラウラは文字通り蚊帳の外だったが、所詮は蚊帳でしかなく防音対策はまったくなっていない。
段々とラウラの腹を締めているセシリアの腕の力が増していく。それはラウラに苦痛を与えるためだけに締め付ける力を上げているわけではなく、蚊帳の内側から聞こえてくる騒音に苛々し始めているからだった。
堪忍袋の緒が切れるまでの時間はわずか数秒。
ぎゅっと渾身の力でラウラを締め上げると、人のモノとは思えない泣き声が鳴り響く。
奇怪な音に、その場にいた全員が騒ぎを止める。
誰もが蛇に睨まれたカエルのように身体を固める。
動けば殺される。
額から汗が噴き出してしまうが、それを拭う隙も与えられない。
「お楽しみ中に水差すようで悪いけどさ」
いいえ、こちらこそ騒いですみません。この場にいる全員が油の切れたブリキ人形のように首を曲げてセシリアに注目する。
注目を浴びたセシリアは不機嫌を隠せていない笑顔を浮かべながら、その場を見渡して告げる。
「悲鳴がきこえないだろぉがよぉ。ちったぁ静かにしてくれないか? なぁ、みんな?」
「げぎゃぁっ!?」
「言ってること分かんだろ?」
「ちょ、まっ!? 今日は飯食ってないから! これ以上耐えられないぞ!?」
「えー?」
そこには邪気がいた。犠牲になっているのは憐れな子羊ではなく、同じレベルの邪気なのだが空腹が原因でいいように遊ばれている。
空腹でなければセシリアの拘束など瞬時に抜け出せるが、今のラウラは燃料不足でそんなことできはしない。
ラウラの状況に、全ての活力を奪われ、恐怖をぶち込まれた生徒たちは沈黙を保つしかなかった。邪魔をすれば自分たちが締め上げられると思っていたのだ。
周囲の畏怖の目線を気にせず、セシリアは日頃の恨みを込めてラウラを締め上げ続けた。
心行くまでラウラを苛め抜いたセシリアは、恍惚の笑みと共に冷静さを取り戻し始めていった。
そして2や3じゃ足りないくらいの目線を感じ取って顔を上げる。
「……あれ? なんでこんなに人がいんだ?」