多重世界の特命係   作:ミッツ

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歌姫の守り人 2

 765プロはほんの少し前までは余程のアイドル通以外には名を知られていない弱小プロダクションであった。それがここ数か月の間で急速に知名度を上げ、今や各種メディアに引っ張りだこの存在となっている。

 765プロの特徴を一つ上げるとするならば、所属アイドルが僅か12人でありながら、全員がそれぞれ違った個性を持ち、それを生かした分野で活躍していることであることだろう。また、それぞれのアイドルには専属となるマネージャーが存在せず、実質2人のプロデューサーによって仕事が管理されている事実に注目すべきだろう。

 

 杉下とカイトの二人が765プロの事務所までにつく間の短い時間で集められた情報は以上のようなことであった。他に所属しているアイドルの名前なども調べたが、彼らが注目しているのは現在スキャンダルの渦中にある如月千早だ。

 如月千早の名は二人も耳にしたことがある。しかしながら、二人とも普段はあまりバラエティ番組を集中してみることはなく、彼女について知っていることと言えば朝の芸能ニュースで流し聞きした程度のものしか有していなかった。後は雑誌に載っていたスキャンダルから得た情報位のものなのだが、情報源が情報源だけに丸っきりそのまま信じるのには憚られる。

 

「実際どこまで本当なんですかね?車に轢かれた弟を見殺して家庭崩壊を招いたなんて。あんまり信じたくない事ですけど。」

 

「そのあたりは本人に確認してみない事にはどうにもなりませんからねえ。おや、カイト君、どうやらこの建物のようですよ。」

 

 一旦車を近くのパーキングエリアに駐車したのち、二人は改めて765プロの事務所のある建物まで歩いてきた。

 二人がまず驚いたことは売れっ子アイドルが多数在籍する芸能事務所であるにもかかわらず、事務所自体は非常にこじんまりしたものだったことだ。気を取り直してエレベーターに乗ろうとするが、エレベーターの扉には『故障中』と書かれた紙が貼られていた。これには流石にカイトも唖然としてしまう。

 

「俺が言うのもなんですけど、なんかこの事務所の行く末がすげえ心配になってきました。」

 

「心配するにしても先ずは実際に関係者の方とお会いしてみるほかありません。階段で行きましょう。」

 

 そう言って杉下はさっさと階段を昇って行ってしまい、その後をカイトがやれやれといった具合に続く。

 階段を上りきり、二人は「芸能プロダクション 765プロダクション」と書かれた扉を前にする。一息ついたのち杉下は扉をノックする。すると中から『ハーイ、少々お待ちを。』という声が聞こえ、数瞬の後に扉が開かれた。

 事務所の中から現れたのは緑を基調とした事務服を着た20代と思われる女性であった。彼女は杉下とカイトの二人を見ると、いぶかしげな表情を浮かべた。

 

「えーと、いったい何の御用でしょう?」

 

「つかぬことをお聞きしますが、こちらは765プロの事務所で間違いないでしょうか?」

 

「え?ああ、はい間違いないですけど…」

 

「申し遅れました。警視庁特命係の杉下です。」

 

「同じく、甲斐です」

 

「あ、ご丁寧にどうも、事務員の音無小鳥と申します。って、警察!」

 

 杉下たちが警察手帳を見せながら名乗ると小鳥はひどく驚いた様子を見せる。

 

「少々お聞きしたいことがあるのですが、立ち話もなんですので中に入れてもらってもよろしいでしょうか?」

 

「は、はい。ど、どうぞお入りください。」

 

 小鳥は緊張した様子で二人を事務所に入れると応接用に区切られている場所に案内した。2人は事務所の中を観察するが、これと言って変わったところは存在しない。壁に立てかけられているボードにはみっちりと予定が書き込まれている。流石売れっ子アイドル事務所と言ったところだろう。

 

「ちょっと待っていてください。今お茶を入れてきますんで。」

 

「いえお構いなく。それよりも、今事務所にはあなた以外にはだれもおられないのです?」

 

 杉下が事務所の中を見渡しながら訪ねる。あまり広くない事務所でありながら随分と静かであり、それこそ目の前にいる事務員意外に人がいる気配がない。

 

「ああ、はい。今度定例ライブがあるんで、アイドルのみんなやプロデューサーさん達は会場でリハーサルをやってるんです。社長も得意先を回ってるみたいで…」

 

「そうでしたか。その定例ライブにはここに所属しているアイドルの方々は全員出演されるのですか?」

 

「はい!その予定…だったんですが……」

 

 そう言って小鳥は落ち込んだように目線を伏せる。その様子に疑問を抱いた杉下が質問を続けようとした瞬間、事務所に備え付けられている電話が鳴りだした。

 小鳥は杉下たちに断りを入れたうえでいったん席を立ち、受話器を取った。

 

「お電話ありがとうございます、765プロです…はい……はい………申し訳ありません、そう言った取材はうちでは現在受け付けておりません。………いえ、引退などではなく………はい、ではそういう事ですので失礼します。」

 

 通話を終え受話器を下すと小鳥は疲れたように溜息を吐いた。

 

「…つかぬ事をお聞きしますが、もしや今のお電話は如月千早さんに関することですか?」

 

「え?ああ、はい。あの記事が週刊誌に乗ってからずっとなんです。ここ最近はだいぶ落ち着いてきたんですけど、今みたいにたまに取材の依頼が来て…千早ちゃんは今休養中ってなってるのに…」

 

「休養中というと、やはり記事の影響でですか?」

 

 カイトの質問を受け小鳥は気まずげに眼を逸らすと恭しく頭を下げた。

 

「…すいません。これ以上は個人のプライバシーに関わる事なんで私ではお答えすることが出来ません。」

 

「ああ、いえ。こちらこそ不躾な質問をしてしまい申し訳ありません。」

 

「いえいえ、そんなことは!ところで、今日はいったいどういった御用なんでしょうか?もしかして、うちの事務所が警察のお世話になるようなことをしてしまったんでしょうか?」

 

「いや、今日はそう言ったことではなくてですね…」

 

 カイトが765プロを訪れた事情を説明しようとしたが、何やらスイッチが入ったらしい小鳥は興奮した様子で妄想を飛躍させた。

 

「は!まさか、芸能事務所では従業員に怪しいドリンクを売りつけ、金を巻き上げているっとか言う噂を調査しているんですか!?うちはそんなことしていません!多少人手不足なことに目を瞑れば、どこからどう見てもクリーンなホワイト企業です!」

 

「いや、だからそういったことではなくてですね…」

 

「それじゃああれですか!?プロデューサーさんが未成年の子に手を出したとか!違うんです!確かにプロデューサさんはハニーとか呼ばれていますけど、あれは美希ちゃんがただ感情表現が素直すぎる子なだけで決してプロデューサーさんとふしだらな関係にあるという訳では…」

 

「落ち着いてください音無さん!」

 

 止まらなくなった小鳥に対しカイトが大声を上げると、小鳥はようやく自分の醜態に気づいたらしく顔を赤くし小さく「ごめんなさい」と呟いた。

 その様子がどうしようもなく不憫に思えたのでカイトは咳払いをして話を切り替える。

 

「ええとですね、今日こちらに出向いたのは少しお話をお聞きしたいからです。音無さん、この男性に見覚えはありますか。」

 

 そう言ってカイトは渋澤の写真を取り出すと小鳥に見せた。彼女は難しい表情で写真を眺めていたがやがて首を横に振った。

 

「申し訳ありません。私には見覚えが…」

 

「この人はフリーの記者で最近この事務所の周りをうろついていたみたいなんですけど…」

 

「フリーの記者…あ!それってもしかするとプロデューサーさんが言ってった人かもしれません!」

 

 思い出した!とばかりに小鳥は両手を打つ。

 

「以前、うちの所属アイドルが変な記者に付きまとわれてゴシップ記事をでっち上げられるってことがあったんです。その時、プロデューサーさんが所属アイドルたちに注意喚起を行っています。」

 

「そのゴシップ記事をでっち上げられたアイドルというのは、もしや四条貴音さんでは無いですか?」 

 

「え、ええ、そうですけど…」

 

 だとすると、渋澤が765プロのアイドルを追っていた可能性はますます高くなる。後は実際に渋澤を見た人物に確認し、765プロと渋澤の関係を明らかにしておきたいところだ。

 

「音無さん、実際にその記者を見たという方はいたのでしょうか?」

 

「えーと、確かプロデューサーさんと四条さんが警察署の一日署長のイベントの時に見たって言ってたような…」

 

「その二人は今はライブ会場でリハーサルをやっているのですね?」

 

「はい。そうです。」

 

「お手数ですが、ライブ会場の場所を教えていただいてもよろしいですか?」

 

「わかりました。ちょっと待ってて下さい。」

 

 小鳥はメモ帳から紙を一枚破ると、そこにライブ会場の住所を記す。杉下たちはそれに礼を言い、事務所を後にした。事務所を出る際、後ろから「若くて直情的な刑事と理知的な中年刑事のコンビ…ピヨッ、たぎるわ…」という声が聞こえてきたのだが、二人は気が付かなかった。

 

 階段を降り、ビルの外へと出るとカイトが杉下に話しかける。

 

「やっぱり、渋澤は前からこの事務所のアイドルを狙ってたみたいですね。」

 

「ええ。四条貴音さんの写真が多く取られていたことを考えると、彼女のゴシップ記事にも渋澤さんが関与している可能性があります。しかしそうなると、なぜ如月千早さんの写真は一枚しかなかったのでしょう?」

 

「そこらへんも含め、まだまだ調査が必要ですね。」

 

「そのようですねえ。行きましょうか。」

 

「はい。………ん?」

 

 カイトは背中に視線を感じ、通りの反対側を振り向いた。しかし、通りには人の姿はまばらにあるだけで特命係に目を向けている人間は一人として存在しなかった。

 

「どうかしましたかカイト君?」

 

「いえ…何でもないです。」

 

 カイトは視線を前に戻すと、杉下に続いて車に乗り込んだ。そして車はライブ会場に向かって走り出す。その車体の後ろを、キャップの唾で目線を隠した人物がじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 杉下たちがライブ会場に付き、会場内に入ると丁度リハーサルの最中だったらしく、ステージの上ではアイドルたちがダンスの位置取りの確認などを行っていた。観客席の最前列から出る指示に従い一つ一つライブに向け調整を進めるアイドルたちの表情はいずれも真剣なもので、曲がりなりにも彼女たちがプロであることを杉下と甲斐とは感じ入る。

 

「なんというか、思ってた以上にガチな現場ですね。正直所詮アイドルのライブだと嘗めてましたよ。」

 

「どのような職業であろうと、相応の努力がなくして自分の居場所を手に入れることはできません。彼女たちが人気アイドルで要られるのは彼女たちがそれに相応しい努力をしているからでしょう。」

 

「そうですね。でもどうします?とてもじゃないけど邪魔ができる雰囲気じゃ…」

 

「おいあんたたち!そこで何をしているんだ!」

 

 突然、杉下たちを咎める声が上がる。振り向くと日に焼けた大柄な男が二人に向かって大股で歩いてきた。その表情はどこか苛立っているようにも見えた。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ。部外者は出てってくれ!」

 

「申し訳ありません。我々はこういったものです。」

 

 杉下が懐から警察手帳を取り出し男に見せると、男は動揺したのか顔色を失う。

 

「…警察がいったい何で。」

 

「765プロの関係者の方に少しお話を伺いたいと思いまして。あなたは関係者の方ですか?」

 

「いや、俺はこの会場設営の責任者だ。765プロのプロデューサーなら今ステージの前にいるけど、呼んでこようか?」

 

「ぜひ、お願いします。」

 

「…わかった。おーい、プロデューサー君!」

 

 男がステージの方に向かって声をあげると、ステージに向かって指示を出していたメガネの青年が振り向いた。青年は隣にいたメガネの女性に指示を与えるような素振りを見せると、駆け足で杉下たちの方へ近づいてきた。

 

「どうしたんですか大木さん?」

 

「こちら、警察の方。765プロの人に話が聞きたいんだとさ。」

 

「警察…いったい何の話でしょうか?」

 

 プロデューサーと呼ばれる青年が柔和な顔を不安げにしながら杉下に尋ねる。杉下は青年を安心させるため微笑を浮かべながら話を始めた。

 

「あなたが765プロのプロデューサーさんですね。実はこの男性についてお話をお聞きしたいのですが。」

 

 そう言って杉下は渋澤の写真をプロデューサーに見せる。渋澤の写真を見たプロデューサーは目を見開いた。

 

「あっ!この男は!」

 

「ご存知ですか?」

 

「ええ!以前うちのアイドルに付きまとってた記者です。最近は姿を見なくなっていたんですが…」

 

「付きまとわれていたのはいつの事だったんでしょう?」

 

「ええと、2週間くらい前の事だと…あの、この男が何か事件に関わっているんでしょうか?」

 

「ええ。実はこの男性、渋澤さんというのですが、今朝方に亡くなっているのが発見されました。」

 

「亡くなった!?」

 

「現在のところ、事件と事故の両面で捜査を進めて…」

 

「ちょっと待ってください!まさかあなた達、うちのアイドルを疑っているんですか!?」

 

 突如プロデューサーは血相を変え杉下たちに詰め寄る。その剣幕に思わず杉下も仰け反ってしまった。

 

「落ち着いてください。何もあなたがたを疑っているわけではありません。渋澤さんと関係がありそうなところをあたっていく中で、765プロが含まれていただけにすぎません。」

 

「あ…すいません、早とちりしちゃったみたいで。」

 

「いえいえ。ところでプロデューサーさん、765プロに対し恨みを抱いているような人物に心当たりはありませんか?」

 

「え?」

 

 唐突な杉下の質問にプロデューサーの目が点になる。それに構わず杉下は話を続ける。

 

「渋澤さん個人について調べていくうちに面白い情報を得ることが出来ました。どうやら渋澤さんは昔書いた記事が原因で出版業界から干されている状態にあったそうです。何でも引退した伝説的アイドル、日高舞が事務所に未成年の男児を連れ込み、女装をさせて玩具にしているという記事を書いて出版社ごと訴えられたそうですよ。そのため、彼の記事を取り扱う大手出版社は先ず無いそうです。

 ところが、彼が撮ったと思われる写真が使われた記事が二つも大手出版社の雑誌に掲載された。おそらく、渋澤さんと出版社の間を仲介した人物がいたのでしょう。そして掲載された記事の内容を見るに、その人物には765プロ、および765プロに所属するアイドルの風評を意図的に下げようとする意志があります。

 つまり、765プロに敵意を抱く人物が渋澤さんに命じ、スキャンダルになりそうな写真を撮らせていた可能性が高いのです。どうですか。そのような人物に心当たりはあるでしょうか?」

 

 暫くの間、プロデューサーは杉下の言葉に圧倒されポカンとしていたが、やがて悩ましげに顔をゆがめ始めると周りを見渡し誰も聞き耳を立てていないことを確認した。そして杉下たちに顔を近づけると小声で話し始める。

 

「これはオフレコでお願いしたいんですけど、以前からちょくちょくうちのアイドルが嫌がらせを受けることがありまして…」

 

「具体的にはどのような?」

 

「雑誌の表紙をうちのアイドルがやるはずだったのが他のアイドルの写真にさし変えられたり、番組の収録をしていた子が突然車に乗せられて人気のないところに下ろされたり…」

 

「それってもう犯罪じゃないですか!」

 

「ええ、刑法第224条、未成年者略取及び誘拐罪の可能性があります。それで、そのような嫌がらせをしてくる相手というのはいったい誰なのでしょうか?」

 

 杉下の問いに、プロデューサーは再び周囲を警戒したうえで答えた。

 

「961プロダクションの社長です。」


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