二十年後の半端者   作:山中 一

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第六部 三話

 カタカタと音がする。

 電気ケトルの中でお湯が沸いた音だ。カチリ、と自動的にスイッチが切れた電気ケトルをスタンドから外して、ガラスのティーポットに湯を注ぐ。

 ローズヒップとハイビスカスのブレンドティーである。

 見る見るうちにティーポットの中が深紅に染まって、爽やかないい匂いが鼻腔をくすぐった。

 蜂蜜とティーカップを並べて、頃合いを見てティーポットを手に取った。

 お茶に関しては作法とか飲み方が色々とあるのだろうが、一人で楽しむのにそこまで気にはしない。さすがに皇族なので見苦しくないように学んではいるが、それはそれである。重要なのは自分が楽しむことだ。故郷に戻ってきてから、学校にも通わず超長期休暇状態が続いていて、時間に余裕ができたので、今まで手を出さなかったことにも手を伸ばしている。それは料理であったり、ラーメン屋巡りであったりするが、お茶についても、ちょっとした趣味の一つとして手を出してみた。

 世間が夏休みに入ってからなので、まだ一ヶ月も経っていない。体験した茶葉の種類も多くはなく、趣味と言えるほど深掘りもしていない段階である。

 身も蓋もないことを言えば、美味しいものを飲み食いしたいというのが東雲の趣味の根幹で、自分にはラーメンだけではなく、少しお洒落な趣味もあるのだと言いたいという不純な動機もあって始めたことではあったが、悪くはないと思い始めているところだった。

 お湯を沸かせばいいだけなので、時間はかからず面倒なこともない。

 本気で掘り下げていく程の熱意はないので、片手間で継続できるくらいがちょうどいいのだ。

 ソファの上には、橙色のドレスが広げてある。

 ジャック・オー・ランタンをモチーフにした衣装だ。

 プレパーティを明日に控え、用意をしていた衣装の確認をしていたのだ。

 一段落ついたのでお茶を淹れて休憩しているが、一度座ると片付けるのが面倒になってくるのが困りものだ。

 暁の帝国に帰国してから、学校にも通わずずっと家にいるので、怠け癖がついてしまったのだろうか。

(九月から学校、大丈夫かな)

 と、思わずにはいられない。

 何せ、実に半年近くも学校に通っていないのである。

 しかも、九月から通うのは新しい学校だ。

 クラスにも馴染めるか不安はある。

 ティーカップに口を付ける。

 仄かな酸味が舌の上に広がる。

 安物のティーパックを使っているが、悪くはない。さすがに、混沌界域の宮廷で飲んだものとは比較ににならないが、あまり高級だと気軽に楽しめないというのが、姉妹に共通する性根であった。

 皇女でありながら、金銭感覚は庶民的だ。それは、暁の帝国が最近になって建国されたばかりで、皇族自身が皇族という立場を手探りで運用しているからだ。

「今日はパンにしよっかな」

 食パンが余っているので、今日消費してしまおうと考えた。

 昼食にはあまり手間をかけず、手早く済ませてしまって明日に備えることにしよう。

 そう考えて、ティーカップの中身を飲み干そうとしたとき、インターホンが鳴った。

「はあーい」

 と、気の抜けた返事をする。

 どうせ家族の誰かだ。このインターホンはノックの代わりだ。入ってきたのは昨日アルディギアからやってきたクロエだ。まだ中学二年生だというのに身長はすでに東雲を越え、腰はくびれて胸も大きい。発育の良いモデル体型である。もともと、自身の発育に多少のコンプレックスを抱いている東雲にとって、クロエは目に毒なのだ。

 黒を基調としたアルディギアの軍服は、クロエの青みがかった銀髪と白い肌を強調する。

 十人中十人が振り返る美少女に育った妹は、優雅なティータイムを過ごしていた姉に笑いかけ、

「姉さん、決闘しよう!」

 と、宣った。

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 クロエの素っ頓狂な第一声の後、首を傾げた東雲の視界が歪み、気がつけば古風な城砦の中庭らしきところに転移していた。

 夏の暁の帝国の冷房の効いた快適な自宅が、物寂しい石造りの壁に取り囲まれた景色に一変する。

 日が暮れかかっていて空の大部分は群青色になっている。城門も城壁も半壊していて、崩れた石が散乱しているという有様だ。

 暁の帝国に、このような場所はない。いや、あるとすれば一つだけ。

「那月ちゃーん! こういうの拉致監禁って言うんじゃないの!」

 南宮那月の監獄結界。

 ここは、その内部だ。

 何度か出入りしたことがあるので、雰囲気だけで分かる。

「うるさいぞ。年上をちゃん付けで呼ぶな」

「うわ、何かでっかくなってる」

 現れた那月は、二十代半ばくらいの見た目になっている。

 もともと人形のように愛らしい少女の外見だったが、今の那月は、その少女が美しさを損なうことなく成長した姿だ。

 見た目は完全に別人だが、威圧的な表情と視線はまさに那月そのものである。

「わたし、ティータイムだったんですけど。説明を求めます」

「クロエから説明しただろう」

「決闘とか言ってましたけど」

「ああ、その通りだ。そして、わたしは決闘場の提供と戦闘技能の教導を依頼された。どうだ、理解したか?」

「今の説明で何を理解しろと?」

 那月の言葉足らずな説明では、何も分からない。

 まず、東雲が確認したいのはクロエと決闘する理由だ。

 当事者のクロエは、東雲から十メートルほど離れたところにいる。彼女に説明を求めたほうが早そうだ、と視線を向ける。

「端的に言うと、眷獣を使った戦闘訓練をしてみたかったんだ」

「戦闘訓練ー? アルディギアでもいくらでもできるでしょ」

「うちは対魔族の技術は発達しているんだけど、吸血鬼として戦うというのは確立してないんだよ。一昔前までは第一真祖と対立していたから。なので、姉さんに協力してもらおうと思って決闘に誘ったんだよ」

「決闘って言い方、ちょっと違うでしょ。何事かと思ったわ。ていうか、なんでわたしなのよ」

「そりゃあ、東雲姉さんが一番強いから」

「はあ? 零菜ちゃんとかじゃないの?」

「零菜姉さんは反則っていうか、吸血鬼的に参考にならないし。でも、シノ姉さんは混沌界域に留学してた。吸血鬼の本場にね。それが理由」

 確かに零菜の能力は吸血鬼の能力というには異質だ。一方で東雲は、純粋に吸血鬼として優れている。そしてその才能を混沌界域でさらに磨いていた。眷獣での戦闘を本場で学んだのは東雲だけだ。

「それにしたっていきなりすぎるんじゃないの」

「ごめん。でも、シノ姉さん暇そうだし」

「暇じゃねえのよ。優雅なティータイム中だって言ったでしょ!?」

 あまりな妹の言いように反論する東雲。

 とはいえ、本音を言えば暇だったのは事実で、半年あまりも学校に通っていない状況でもあったので説得力はない。

「那月ちゃんもなんでこんなに協力的なの?」

「南宮先生には、わたしがこっちにいる間のチューターを依頼しているんだ」

 アルディギア王家からの正式依頼というのは、確かに重みのある依頼だ。

 世界的に有名な攻魔師の元で短期間でも修行ができるのなら、それは実のある経験である。

 クロエが言うようにアルディギア王国は吸血鬼と戦う経験は豊富でも、吸血鬼を育てる経験には乏しい。王家に生まれた建国史上初の吸血鬼の扱いはなかなか難しいところもあるのだろう。それは、東雲の才能を持て余した暁の帝国と似通った事情ではある。となると、頭ごなしに拒否するというのも心情的に難しい。

「それで、ルールは?」

 と、東雲は尋ねる。

 答えたのは那月だ。

「お前たちの首に呪符を提げさせる。一定の魔力を浴びると変色する仕組みだ。先に呪符の色が変わったほうが負けだ。眷獣の使用は可能だが、出力は抑えさせてもらう」

「まあ、当然ですね。危ないし」

「監獄結界の中だ。お前たちの眷獣如きで死ぬことはないが、まあ見栄えは悪いからな」

「見栄えとかって問題じゃないと思いますが?」

 監獄結界は那月の夢の世界だ。

 真祖の眷獣ならばまだしも、東雲とクロエの眷獣が暴れたところで那月の敷いたルールを覆すことはできない。つまりは眷獣を使った表ではできない、より実戦的で危険な対決も、この監獄結界の中ならできるということだ。

 呪符をつけたネックレスを首にかけた東雲とクロエは、互いに向かい合った。那月特製の防具で頭を胴手足をしっかりと覆い、万が一に備えている。

 監獄結界内であっても魔力を使って戦うのだから痛みはある。それを最小限にするための対応だ。

「それじゃあ、シノ姉さん。胸をお借りします」

「後で何かちょうだいね」

「うちからいい茶葉取り寄せるよ」

「よし、じゃあ、やろうか」

 那月が両者に視線を配る。

 各種防具を装着し、安全性に問題がないことを確認してから、扇を勢いよく閉じる。ぴしり、と乾いた音がして、

「用意はいいな……始め」

 那月の声を合図に、東雲はバックステップを踏んだ。

 決闘の舞台となった中庭は円形で、眷獣を暴れさせるのに十分な広さがある。驚いたことに空間が拡張しているのか、東雲が連れてこられた時よりも広くなっているのだ。

 十分な広さが確保されているのなら、クロエの近くにいる必要はまったくない。吸血鬼の戦いの大原則は眷獣召喚であり、標的との距離が近すぎると戦いにくくなる。

 後ろに跳んだ東雲を目がけてクロエが走ってくる。いつの間にか、クロエの右手には黒い棒が握られていて、それを槍のように突き出してくる。

 黒棒はクロエの身長よりも長く、黒一色で見た目から材質は特定できない。

 後ろに下がる東雲と前に進むクロエでは、やはり速度が違う。唸りを上げて迫る黒棒を、東雲は頭を振って避ける。

「あッ、ぶなッ、わあ!」

 ひゅんひゅんと耳元で風切り音がする。

 東雲は動物的な反射神経でクロエの攻撃を躱して、飛び退る。決してお上品な避け方ではなかったが、クロエの振るった黒棒は一発も東雲に当たることはなかった。

「シノ姉さん、すばしっこいな」

「いきなり姉を棒で殴りつけるバイオレンスな妹はちょっと問題あると思うの」

「決闘だってば」

「知ってるけどさ、武器持ち込みオッケーとは聞いてないんだけど」

「持ち込んでない。作ったんだ。だから、反則じゃない」

 一呼吸置いて、クロエが攻めてくる。

 黒棒は、クロエが錬金術で即製したものなのだろう。魔導科学が発展しているアルディギア王国は、錬金術についても広範な知見を有しているのだ。

 東雲はすれすれのところで黒棒を避ける。

 基本的に相手の攻撃は受け止めるのではなく避けるものだ。零菜のように防御魔術を無視する能力や、触れるだけで効果を発揮する呪詛といったものも世の中にはある。

 例えばクロエが相手の場合、この黒棒に対吸血鬼用の攻撃魔術を仕込んでいるということは十分に考えられる。何せ第一真祖と何百年も戦争を繰り広げてきた王国のお姫様の棒なのだから、それだけで警戒するに値する。

 驚くべきは、東雲の身体能力だろう。

 クロエの攻撃は決して単調ではないし、遅いわけでもない。東雲は僅かな空気や魔力の流れを読み、勘を働かせて素早く安全圏に退避している。

 瞬発力だけで見ても、東雲のほうがクロエを上回っている。

「セイッ」

 クロエの突きが東雲の左肩を打つ。よろけた東雲の肩を、そのまま黒棒が突き抜けていく。驚愕に目を見張るクロエの前で東雲の身体が金色の霧となる。そして、瞬時にクロエの頭上に実体化すると回し蹴りを放った。首を刈り取るような回し蹴りをクロエは右腕を盾にして凌ぐ。空中で支えがないにもかかわらず、その一撃は重くクロエはよろめいた。

「重……!」

「足を止めていいのかな?」

「う……わッ」

 驚いたことに東雲は空中を蹴ってクロエに躍りかかった。東雲の体重を乗せた跳び蹴りをクロエは黒棒で受け止める。

 クロエは膝をバネにして東雲を跳ね上げる。東雲はクロエの抵抗を利用してバク転。身体を捻りながら頭を下にして落下する。

(ここだッ)

 クロエは空中の東雲に向けて、黒棒を横薙ぎにスイングする。

 クロエの黒棒が東雲を捉える寸前で、ピタリと東雲の落下が止まる。予想外の動きに目測を誤った黒棒はそのまま東雲の頭頂部を掠めて空振りに終わる。

 おまけに、身体を捻った東雲の顔はクロエのすぐ目の前にある。

 東雲の瞳は深紅に染まっていた。

(しまッ……!)

 強烈な魔力が視線を介して脳を侵す。

 クロエの身体が脱力して、踏鞴を踏んで黒棒を取り落とした。

 魅了の魔眼は、吸血鬼の基本能力の一つだ。強弱には個人差があるが、東雲は生来、吸血鬼が一般に持つ能力を高い次元で備えた才女だ。眷獣に限らず霧化に獣化、そして魔眼とこの歳で多くの能力を使いこなしている。

 至近距離から魔眼の呪縛を受けたクロエは、全身の魔力を動員して東雲の魔力を洗い流す。

 普通の人間が相手ならこれで終わっていたが、クロエもまた第四真祖の娘でありアルディギア王家の血を継ぐ貴種である。

 魔眼の呪縛を解除するのに、そう時間は掛からない。

 クロエの身体が自由を取り戻した。

「ちょっと、遅い」

 逆さまのまま空中で静止した東雲の得意げな声と共にクロエの身体は再び自由を失った。

 細い糸がいつの間にかクロエの身体に巻き付いて、キツく締め上げてきたのである。

「な、これ、蜘蛛の糸みたいなの、いつの間に」

「蜘蛛の糸じゃなくて、髪の毛」

「そうか、ヨミ」

「正解」

 東雲の眷獣の一体、ヨミは長い髪の毛を操る眷獣である。今はその力の一端を呼び出して、物質化する寸前の状態で周囲に張り巡らせていたのだ。東雲の合図とともに、それらの魔力は髪の毛として出現し、敵を絡め取る網となる。

「シノ姉さんが跳んだり跳ねたりしてたのも、これを足場にしてたからか」

「本体を召喚することだけが眷獣の戦いじゃないの。参考になった?」

「うん、ありがとう。さすが……シノ姉さんだ。でも、まだわたしは負けてないよ」

 ギシリ、と髪の毛が軋む。

 黒棒の効力ではない。

 ここまで対峙して、クロエの黒棒には何も仕込まれていないことは分かっていた。

 この威圧感、魔力の高鳴りはクロエの体内から発生している。

「来て、ファーヴニル!」

 爆発的な魔力の高まりと共に白い炎が噴き上がる。それがヨミの髪の毛を焼き切った。自由を取り戻したクロエの全身を炎が包んでいる。それは次第に形を取って翼と一本の尾を形成した。

「そんな眷獣あったの!?」

「去年、兄さんの血で目覚めたみたい」

「あー、凪君のね」

「じゃあ、行くよ。第二ラウンド!」

 轟然とクロエが突進してくる。

 黒棒の先に至るまで白い炎が包んでいる。

(やっぱ身体強化系。しかも燃えてるし、ヨミじゃ相性悪いか)

 身体能力に自信のある東雲だが、さすがに眷獣を纏って強化された相手と競うほど無謀ではない。こういう手合いは近づけないのがセオリーだ。

「シバルバー。相手してあげて!」

 東雲が呼び出したのは巨大なサイの骸骨だ。その骸のすべてが氷でできていて、凍てつく風を身に纏っている。

 白い炎を纏ったクロエと凍気を纏ったシバルバーが正面衝突する。

「くぅ……!」

 打ち負けたのはクロエのほうだ。勢いを殺されて苦悶の表情を浮かべる。シバルバーは東雲の眷獣の中でも突破力に秀でた眷獣だ。その全長十五メートルに達する巨体は、体重差を考慮してもクロエがぶつかるには厳しい相手である。

「まだまだぁ!」

 轟、と白炎を吹き上げて凍気を焼き払うクロエは、飛び上がると白炎を噴射して加速し、シバルバーの眉間に黒棒を突き入れる。

 思わぬ反撃にシバルバーは頭を振った。思いのほか痛かったらしい。さらに、その隙にクロエの棒術が炸裂する。シバルバーの頬を打ち、顎を突き上げる。大怪獣を少女が圧倒するというのは、何とも見栄えのする光景だ。

 シバルバーは、突進力を削がれると持ち味が活かせないようだし、意外に打たれ弱い性格らしい。鉄砲玉として敵陣に突っ込ませるのが最適解なのだろうか。

 シバルバーを本気で暴れさせれば、クロエを振り払うことはできるだろうが、妹相手にそれはやり過ぎだ。

 全身から冷気を放出させてクロエを吹き飛ばし、シバルバーの役目は終わりにする。

「引っ込めちゃうの?」

「相性悪そうだったしね。それに、クロエちゃんのほうもキツそうだけど大丈夫?」

「そう見える?」

「顔色悪いよ。その眷獣、消耗激しいでしょ」

 白い炎も最初の頃に比べて出力が落ちているのは目に見えて明らかだ。クロエの魔力を燃料としているのなら、燃やせる魔力がなくなれば鎮火するのは当然だ。翼も尾も形を維持するので精一杯といったところだろう。

「眷獣同士の戦いってのなら、もう十分感覚掴んだんじゃない?」

「まあ、ね」

 白い炎が弱まっていき、やがて消えてしまう。

 額に汗の粒を浮かべたクロエは苦笑して胸元を押さえる。

「その眷獣、もしかしてそこにいるの?」

「心臓が触媒なんだ」

「そりゃ、負担大きいね」

 眷獣の中には肉体の一部に宿って召喚されるタイプもある。有名どころだと魔眼として現れる眷獣などだ。クロエの場合は心臓だというから、身体への負担は通常の召喚獣よりもずっと大きい。身体を酷使するタイプなので、身体を普段から鍛えていないとまともに使えない。

 意思ある武器(インテリジェンス・ウェポン)と呼ばれる武器型の眷獣は、それを扱う技術が必要だが、身体に宿るタイプの眷獣は純粋に体力勝負なところがあるので、さらに厄介だ。

 ロケットエンジンを後付けするようなものだ。コントロールするにはそれに耐えられる機体(身体)を用意しないといけないが、クロエの身体は成長中で、まだ眷獣による身体強化に耐えることができない。

「じゃ、これで終わり。お開きにしよう」

 と、東雲は言った。

「え、なんで?」

「なんでって、なんで?」

「せっかく、眷獣の感覚が掴めてきたんだから、もう少し付き合ってよ」

「いやいや、もうお腹減ったし、明日プレパーティあるんだけど」

「もうちょっとだけ。あと十分かからないからさぁ」

 そう言いながらクロエは次の眷獣の召喚準備に入っている。

 那月が設定した試合の終了条件も満たしていないので、那月のほうも止める気配はない。

「監獄結界の中だけど、妹怪我させたくないんだけどなぁ」

 呟く東雲を尻目にクロエは鈍色の大型犬を呼び出していた。その数は九匹。すべて鉄製の使い魔だ。黒棒を作ったのと同じ錬金術による使い魔だ。

「眷獣じゃないじゃないの」

「眷獣はこれから。ドラウプニル!」

 クロエの右手首に黄金の腕輪が嵌まる。同時に召喚した鉄犬の首輪に同じ意匠の首輪が嵌められた。腕輪と首輪は魔力で接続し、鉄犬たちの魔力量が激増した。

 一体一体が眷獣に匹敵する力を帯びて、唸り声を上げている。

「身体強化の次は味方の強化か。いろいろ手札があるみたいだね」

「シノ姉さんほどじゃないよ」

 好戦的な笑みを浮かべるクロエは、右手首の腕輪を撫でる。黄金色の腕輪から毒々しい紫色の魔力が溢れて使い魔たちを染め上げる。さらに強力に魔力を充填された使い魔は、ただの魔術で作り出されたものとは思えないほどに凶悪な怪物に変質した。

「行けッ」

 クロエの合図と同時に九匹の鉄犬が猛然と走り出す。

 一息に東雲との距離を詰めるほどの速度で、それが東雲の退路を断つように連携して襲ってくる。

 対する東雲は鉄犬の牙が届く前に空に逃れる。ワイヤーアクションをするように飛び上がり、そのまま虚空を踏む。

 ヨミの髪を蜘蛛の巣のように張り巡らせて、空中に東雲だけの足場を作ったのだ。自分の身体に髪を巻き付けて、足場から足場にターザンのように移動する。

「こんな危ないのを姉にけしかけるなんて、とんでもない妹だね」

「シノ姉さんのそれずるくない?」

「ずるくない。クロエちゃんだって、ほんとは飛べるでしょ?」

 クロエには天馬の眷獣がある。

 クロエの愛馬であり、空中戦能力は姉妹随一だ。ここで出してもいいが、決闘場の範囲が狭い。空を自由に飛び回って初めて真価を発揮する眷獣を活躍させるには、少々、那月が用意したフィールドは狭く、むしろ東雲の眷獣の的にされてしまう。

「じゃあ、飛べ!」

 クロエに命じられた使い魔たちが、地面を蹴ってジャンプする。そのまま弧を描いて落下する、とはならず、何と鉄犬たちはまるで空気が足場であるかのように走り始める。

 魔術で生み出された使い魔が物理法則に縛られないのは驚くに値しない。まして、眷獣で強化されているのだから、これくらいできて当然だ。

 東雲は髪を手繰って瞬時に鉄犬たちの正面に蜘蛛の巣を編み上げる。

 さらに、正面だけでなく全方位を取り囲むように蜘蛛の巣を組み合わせて、髪でできた立方体に鉄犬を閉じ込めた。

「そんなことまで!?」

「飛んで火に入るなんとやらってね!」

 東雲が手を叩く。

 立方体の各面が、一気に狭まる。

 蜘蛛の巣を構成する髪は、鉄をも斬り裂く鋭利な刃だ。それが数百本も組み合わさった同時斬撃。立方体に閉じ込められた鉄犬は、一秒後には無残な鉄くずに姿を変えているだろう。

 鉄犬たちが黒い檻に包み込まれる寸前に、内部から紫色の炎が上がった。それは瞬く間に燃え広がり、ヨミの髪檻を焼却してしまった。

 紫の炎を纏って鉄犬たちが飛び出してくる。

 魔力の供給量を増やして鉄犬を強化し、強引に突破を図ったのだ。

「クロエちゃん、可愛い顔して脳筋だよね」

 ぼそっと東雲は呟く。

 実際、クロエの眷獣はどれも高性能だ。魔力量も潤沢である。第四真祖とアルディギア王家の力を継いでいるので、その性能はトップクラスである。生まれついて高性能エンジンを積んでいて、大抵の問題はそのエンジンを起動させれば片付く。

 そもそも、吸血鬼が最強の魔族とされているのは、その無限とも言える魔力を餌に召喚される眷獣の力が他の魔族を圧倒するからだ。その吸血鬼の中でも最強の眷獣を有する第四真祖の娘の眷獣は、歳経た旧き世代の眷獣に勝るとも劣らない力をすでに持っているのだ。

「だからこそ、わたしなのかぁ」

 猛然と襲いかかってくる鉄犬の牙も爪も、東雲には届かない。

 ヨミの髪による拘束ではない。

 突如現れた九枚の盾が、九匹の鉄犬の攻撃を受け止めていたからだ。

「力任せに突っ込んできたところで、もっと強い力で跳ね返されるのがオチなんだから」

 どくん、と盾が脈打つ。

 鉄犬と同じ紫色の炎が盾から噴き出して、鉄犬を包み込んだ。

 雄叫びを上げてのたうつ鉄犬は、もんどり打って落下する。

「攻撃を跳ね返す盾の眷獣? シノ姉さんの意思のある武器(インテリジェンス・ウェポン)ってこと!?」

「盾じゃなくて、鏡だけどね」

 そう言っているうちに、東雲の周囲を旋回していた鏡が割れて、小さな鏡に分裂する。きらきらと光を反射する鏡は、回転しながら数を増していく。

 ただの意思のある武器というだけでなく、無数の眷獣の集合体。群体型の眷獣なのだ。

 鏡の一部が回転したままクロエに向かって飛んでいく。

 分裂したとはいえ、一枚一枚がクロエの身体と同じくらいの大きさだ。

「わ、わ、あぶなッ、きゃん!?」

 跳んで跳ねてクロエは鏡の体当たりを躱す。

 地面から黒棒を作り出して、飛んできた鏡をすれ違いざまに叩く。

 対魔族用の術式を込めた破魔の一撃だ。簡易的ながらも吸血鬼の身体能力を駆使して叩き込まれる破魔の打撃は、並の獣人ならば一発でノックアウトできる威力がある。

 バシン、という音がして黒棒が弾かれる。

 それだけでなく破魔の術式の効果がそのままクロエに跳ね返る。咄嗟に魔力を全身に巡らせて抵抗しなければ、大ダメージを負っていた。

(危なかった。反射能力は物理攻撃も魔術攻撃も関係ないのか)

 尻餅をついた勢いで後転して立ち上がる。立ち止まると囲まれて袋だたきにされるので、動き回らないとすぐに決着がついてしまうのだが、遮蔽物のない決闘場では、単に逃げ回るのも難しい。

 このままだと決闘のルールに則って決着するより先に、クロエの体力が尽きて負けることになりそうだ。

(だったら、纏めてヤルしかない!)

 攻撃を反射するのなら、反射できない高出力の眷獣を叩き付けるしかない。

 零菜の槍の黄金のような反則技はない。

 愛槍ミストルティンが手元にあれば話は変わったのかもしれないが、あれは強力な魔具であって自分の力とは言いがたい。

「来い、ヴァナルガンド!」

 クロエは深呼吸して魔力を一気に解放する。極上の魔力を呼び水に、その血に宿る魔が目を覚ます。ミシリ、と空間が歪み、灼熱とともに現れたのは青白い巨狼だった。その体躯は、東雲が呼んだシバルバーに匹敵するだろう。まさに怪獣だ。

 ヴァナルガンドは紅蓮の炎を全身に纏って、大きく吠え立てると、周囲に群がる鏡を熱波で吹き散らした。

 さらに巨狼は顎を開くと口腔内に溜めた魔力を火炎に変換して放射した。

 東雲は鏡を組み合わせて一枚の巨大な壁を作って炎を受け止める。

「さすがに重い……!」

 おそらくはクロエが持つ眷獣の中でも最大火力を誇る眷獣であろう。

 このような眷獣がいるとは知らなかったが、東雲も含め、まだ未覚醒の眷獣はいる発展途上なのも暁姉妹の恐ろしいところだ。

「クロエちゃん、そんな正面から力で攻めるだけじゃ、やっぱダメなんだよ」

 炎を受け止めながら、鏡の眷獣が変形する。

 六芒星になり、さらに底面の各辺から三角形が垂直に立ち上がる。

 それはまるで万華鏡のようで、先端に開いた穴にヴァナルガンドの炎が吸い込まれていく。

「さあ、力を見せて――――ミクトラン!」

 鏡の眷獣が、ついにその力を解放する。

 ヴァナルガンドの炎が筒の中で乱反射する。巨狼から供給される火炎は、絶妙に調整された鏡の角度から何度も鏡から鏡に反射し続ける。そのうち、ミクトランの魔力も上乗せされて、飛躍的に高まった魔力が底面の一点に収束、蓋が開いて一条の破壊光線へと生まれ変わる。

 ヴァナルガンド自身の力とミクトランの力が混ざり合った熱線は、ヴァナルガンドの炎を押し戻し、巨体を貫通した。

「きゃああああ!」

 勝敗はあっけなく決した。

 ヴァナルガンドは頭から尾までを一瞬で貫かれて消滅し、その反動がクロエを襲った。クロエはぺたんと座り込み、ぜえぜえと荒く呼吸する。

 膨大な魔力が吹き荒れて、クロエの首元につるした呪符が魔力を受けて黒く変色する。

「そこまで」

 那月が東雲とクロエに声をかける。

 眷獣が消えて、直前までおどろおどろしい魔力が吹き荒れていたのが嘘のように静寂を取り戻した監獄結界は、決闘が始まる前の荒涼とした城砦に戻った。

「クロエちゃん、大丈夫?」

 早足で東雲がクロエのところにやってくる。

「ああ、大丈夫。やっぱり、シノ姉さんは強いな。全然、本気にならなかったね」

「本気じゃないのは、そっちもでしょ。ていうか、眷獣を本気で解放なんて、いくらなんでもやり過ぎだし」

 監獄結界の中なら眷獣の被害は考える必要はない。しかし、相手がいるとなるといくら那月が安全装置となってくれているからといって心情的にも本気で眷獣を使う気にはならない。

「さて、ここまでがチュートリアルなわけだが、アルディギアの王女様は何か言うことはあるか?」

「ないです」

「では、十分休憩の後に魔力のコントロールから徹底的に叩き込む。二時間は休みがないものと思え」

「は、はい。よろしくお願いします!」

 クロエは居住まいを正して声を張った。

 アルディギアの騎士団で修行しているので、礼儀は骨身に染みているのであろう。

「わたしはもう帰っていいよね?」

「ああ、もう帰っていいぞ。それとも妹に付き合っていくか?」

「いやいや、結構です。明日に疲れは残せないので」

 那月の修行に参加するのなら、それなりの覚悟が必要だ。このようななし崩し的に参加するようなものではない。

「シノ姉さん、今日はありがとう」

「はいはい、お大事にね。那月ちゃんのはキツいから」

 ひらひらと手を振って、東雲は答える。

 クロエも明日のプレパーティに参加するはずだ。

 那月もそれを承知しているから、あまり厳しいことはしないとは思うが、それでも那月の指導は非常に厳しい。攻魔師の頂点に君臨する超一流が、一流の結果を求めてくるのだから、その要求に応えるのは難しいのである。

 東雲も那月の指導を受けることはある。

 凪のように継続した師弟関係ではないが、戦う術を学ぶのは吸血姫としての義務でもあるのだ。

 東雲は那月の作った門を潜って自分の部屋に戻った。

 ティーポットはまだ温かさを残している。

 濃密な時間を過ごしたような気がしたが、離れていたのはほんの三十分程度だったのだ。

 東雲はせっかく淹れたブレンドティーをどうしようか考えて、温め直すためにキッチンに向かった。


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