二十年後の半端者   作:山中 一

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第六部 二話

 凪が進学した中央高校は、暁の帝国の中でもそこそこの進学校だ。夏休み中でも前半には夏期講習が設定され、夏期休暇中の課題も中学時代よりも遥かに多い。学校の勉強には身が入らない凪にとっては苦痛だが、気が乗らなければサボタージュも可能だった義務教育時代とは異なり高校は出席日数も留年も存在するので、油断は禁物だ。

 学年で一番になるというような意欲はないものの、中の上くらいは目指しておかなければならないという程度の意識はある。

 法的には皇族から外れていて、現第四真祖の血を継いでいるというわけでもない。しかし、遡れば確かに暁家に辿り着く以上は、自分の存在が皇族の失点になってはならない。それくらいの気持ちは持っていた。同じマンションで暮らし、すぐ近くに零菜や萌葱といった皇女たちが暮らしている特殊な環境だ。これで、彼女たちと自分の立ち位置を意識しないということはあり得ないのだ。

 進学校に進んだのも、そうした意識の現れだ。

 学校の勉強にはやる気が湧かなくても、呪術を初めとする攻魔師関連の勉強には積極的に取り組み吸収する地頭の良さはある。

 気持ちが向かえば、学校の勉強についていけないということもないのが幸いだった。

 もちろん、一を聞いて十を知るほどの天才ではない。

 従姉妹の皇女様たちは誰も彼も不思議なくらい勉強で躓かないほど頭が良くて恨めしいくらいだが、残念なことに凪はその点については普通だ。

 日頃から教科書と参考書を開いてノートにシャーペンを走らせていなければ、テストが散々なことになる。目下の所、夏休み明けの課題テストを乗り越えるために、夏休み課題に取り組む必要に迫られているのである。

 攻魔師のバイトにも慣れてきて(といっても現場に出ることは少なく事務所の事務員のような扱いではあるが)自由に使える小遣いで懐が潤っている。散財するほど多趣味ではないが、少しくらいの遊興は自費でできるくらいになったのは、ありがたいことだった。

 早めの夕食を摂って自室に篭って課題に取りかかる。

 古文や歴史などの呪術の知識を応用できる科目は夏休みに入って早々に終わらせたので、今残されているのは数学や物理といった理系科目だ。正直、苦手の部類である。あまりやる気が湧いてこないこともあって、シャーペンの先は五分近くもろくに仕事をしていない。白紙のノートに点を打つだけの作業で、時間だけが過ぎていく。問題文は見えているだけで頭にはまったく入っていない。集中力は限りなくゼロに近く、うとうとと眠気に誘われる。

 昼間に体力作りのために麻夜とランニングをした。

 その疲れもあって、身体が睡眠を欲しているようだ。

 眠いときに眠るといい睡眠が取れるのだ。

 明日に予定は入っていないので、このままベッドに潜り込んで惰眠を貪るのも一つの手だ。

 凪はカーテンの向こうに視線を向けた。

 雲を照らす街の明かりは、人々の活動がまだまだこれからだと語っているかのようで、事実、夜に強い性質の魔族はこれからが仕事という者も少なくない。

 昼間に比べて人通りが少なくなる大通りであっても、完全に人気がなくなるということはあまりない。

 そういった人々の営みを、凪の部屋から俯瞰することができる。

 初めは物珍しかったこの景色も、一年もすれば見慣れたものになる。

 この部屋に引っ越してきてから、それだけの時間が経った。

 進学もしたし、攻魔師としての活動も始めた。

 だが、この一年の間にどれだけの成長ができたのだろうか。これだけのことができるようになりましたと、胸を張って言えることはないのではないか。

 つらつらと余計なことを考えていると、携帯端末が震えた。

 バイブレーション機能が作動して、机の上で大きな音を立てたのだ。

『いまいい?』

 画面にシンプルなメッセージが表示される。

 相手は零菜だ。

『大丈夫』

『どう?』

 返事を打ち込むと、すぐに次のメッセージが飛び込んでくる。

 たったの三文字だが、凪が一文字打ち込むよりも早いかもしれない。

 と同時に画像が貼り付けられる。

 鏡に映った零菜の姿だ。携帯端末を横にして鏡に構えている。

 いつもの私服姿でも制服姿でもない。

 零菜が着ているのは古式ゆかしいメイド服だ。

 よくあるコスプレのミニスカートのメイド服とは異なるロングスカートの端をちょこんと摘まんでいる。 

 黒と白の色合いが、しっとりとした零菜の黒髪も相まって全体的に落ち着いた印象を形作っている。

 ちらりと見える足下は編み上げ革靴だろうか。

 サバゲーで使いそうなゴツいブーツを履いていて、コスプレ感がある。

『可愛い。いつものヤツと違うじゃん。新しいメイド服にしたんだ』

『今度の試着。変なとこない?』

『ない。明後日はそれで行くのか?』

『そのつもり。あんまり奇抜なヤツで目立つ気ないからね』

 零菜が言う「今度」は、はろういんフェスタのプレパーティのことだ。

 日本から独立して半世紀も経たない新興国の暁の帝国には、歴史的な伝統行事というものがほとんどなく、お盆やクリスマスといった日本時代から続く慣習をそのまま継続しているものが大半を占めている。

 そのような中で数少ない暁の帝国で醸成された文化の一つがはろういんフェスタだ。

 これも、結局のところは北欧をルーツに持つハロウィンにあやかった祭である波朧院フェスタが絃神島で生まれ、商業的理由からはろういんフェスタに改題したというだけの宗教色のないイベントではあるが、間違いなく暁の帝国国内で発展し伝統行事として根付いたものだ。

 多分に経済的事情で継続しているものではあるが、民族的アイデンティティのない暁の帝国人にとっては、国内産の大規模イベントはそれだけで重要な行事だ。

 今となっては絃神島時代以上にその重要度は増しているといってもよく、経済的にも心理的にも欠かせないものといっても過言ではない。

 そしてはろういんフェスタには二つの顔がある。

 一つは全国各地に根付いた「この日に祭を行う」という意識に根ざしたもの。

 各家庭や学校でハロウィンを楽しむ文化だ。

 そしてもう一つがはろういんフェスタ実行委員会主催の大規模イベントである。

 一般にはろういんフェスタと言えばこちらを指す。

 プレパーティは、はろういんフェスタ実行委員会の関係者の集いであり、皇室も出資している以上、出席は必須であった。

 日本を経由して誕生したハロウィンのイベントなのではろういんフェスタはコスプレでの参加が一般的だ。

 普段はコスプレをしない者でも、この日に限ってはコスプレをして街に出るということも珍しくないし、国内外からコスプレイヤーがやってきて盛り上がることは言うまでもない。

 そうした祭なので、プレパーティでもコスプレでの参加が求められる。

『一国のお姫様がメイド服ってのは、いいのか?』

『いいんじゃない? そもそも普段と違う役回りを演じるのもコスプレなんだし』

 それも一理ある。

 自分と違う誰かに成り代わるというのは、誰もが大なり小なり有する変身願望を満たすことでもある。

 暁の帝国の皇女である零菜がメイド服を着るというのは、かなり背徳的だが、普段と異なる姿になることで抑圧から解放され、精神的充足を得るというコスプレの醍醐味を存分に味わうことができるのかもしれない。

 もっとも、零菜は普段からコスプレをしているし、彼女のメイド服にもバリエーションがある。

 実際、凪が零菜のメイド服を見るのはこれが初めてではない。

 暁の帝国で生まれ育ったのならば、ハロウィンの時期にコスプレをすることに違和感は覚えないし、メイド服はコスプレとしてはよくある部類で零菜が言うように奇抜なものではないのだ。

 零菜と麻夜は高等部に進学し、義務教育を終えた。

 今後、皇族としての仕事も少しずつ増えていくのだろう。

 プレパーティも、そんな仕事の一つなのだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 世の中は夏休みの真っ最中。

 はろういんフェスタの実行委員会が少しずつ本番に向けて活動を活発化させているものの、まだ世間は秋のイベントよりも、夏のイベントを味わい尽くすかということに目を向けている。

 テレビコマーシャルでよく見る大型のレジャー施設は、ブルーエリジウムと双璧をなすマリンレジャー施設だ。

 太平洋の島国である暁の帝国は、海洋資源が豊富である反面マリンレジャーの分野では未だ発展途上だ。

 というのも、人工島である以上大自然の絶景は皆無であり、自然の浅瀬もない。そのため、どうしても人工的にレジャー施設を作り観光地に仕立てなければならないのだ。

 施設を造ったからには、投資を回収しなければならない。

 大々的にCMを出しているのも、夏休みが一番の稼ぎ時だからだ。時期を外せば、客足が遠のくのは必至なので、連日、耳に残る軽妙な音楽とともに繰り返されるコマーシャルは、厄介なことにネット上にも繰り出しているようで、何を見ても目に入ってくる。

 今年はブルーエリジウムですでにレジャーは体験済みだ。本物かつろくでもないホラーではあったが、それを除けばすでに楽しい思いはしているので、凪は特別、この施設に関心はないし、夏真っ盛りの時期に好き好んで外に出ようとは思わないのであった。

 冷房の効いた部屋で一日をだらだらとして過ごしたい、というのが本音である。もちろん、攻魔師として必要な訓練をサボることはしないが、それ以外の理由で外に出るのは魅力を感じない。わざわざ暑い世界に飛び込もうということに面倒さを感じているだけなのだが。

 自室のテレビの電源を落として、凪は部屋を出る。

 喉が渇いたので、水分補給をするためだ。

 リビングには、麻夜と空菜がいて、テーブルの上に漫画が積み上げられている。

 どうやら麻夜が持ってきたものを二人で読んでいるところだったらしい。

「凪君、どうかした?」

 と、麻夜が尋ねる。

 漫画を読んでいる二人を何となしに眺めていたのが気になったのだろう。

「何でもない。水飲みに来ただけ」

 凪はそう答えて、キッチンに向かった。

 冷蔵庫の中にはキンキンに冷えた麦茶が入っている。

「麻夜はプレパーティ出るんか?」

 と、凪は聞いた。

「はろういんフェスタの?」

「そう」

「わたしも高校生になったからね。こういうところには出ておかないとダメっぽい」

「祭も仕事なんだな」

「仕方ないね」

 肩を竦める麻夜。

 プレパーティは、はろういんフェスタを運営する企業の重役や政治家が参加するパーティだ。

 そこに出席することは公務としての色合いを帯びる。

 今までは中学生ということもあって、こうした行事に参加する機会は少なかったが、義務教育を終えたことで、少しずつ皇女としての活動が増えてくることになる。

 その第一歩が、このプレパーティなのだ。

「凪君は来ないのかい?」

「そんなご大層なパーティには行けません」

 凪は血縁者ではあるが、特別な役職に就いているわけではないし、皇族として扱われているわけでもないのだから参加する理由がない。

 プレパーティはあくまでも実行委員会の決起集会だ。

 無関係の高校生がうろつく理由がない。

「プレパーティはコスプレするのが伝統なんだろ。麻夜は何にするんだ?」

「そりゃあ、わたしの衣装は魔女だよね」

 ハロウィンのコスプレの代表格は魔女だ。

 さらに、麻夜の母は正真正銘の魔女であり、麻夜自身もその特性を受け継いでいる。悪魔と契約こそしていないものの、母親が持つ呪術の才能はばっちり麻夜に継承されているのだ。

 インターホンが鳴ったのはその時だ。

 このマンションの鍵はエントランスのオートロックとこの部屋の入り口の二カ所にある。今のインターホンは部屋の入り口に設置されているものである。これはつまり、家族の誰かがインターホンを押しているということだ。

 返事をしていないのにドアが開いた音がした。ガタンと振動がリビングまで届いた。

「なんだ?」

 ドスドスと廊下を踏みしめる足音がして、リビングの扉が開く。

「兄さん、ご無沙汰です。麻夜姉さんと空菜さんも、久しぶり」

 勢いよく無断侵入を果たした侵入者は、紙袋を腕にかけた白銀の美少女――――クロエ・リハヴァインだった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 クロエは、第四真祖にして暁の帝国皇帝の暁古城と北欧のアルディギア王国女王ラ・フォリア・リハヴァインとの間に生まれた吸血姫だ。

 普段は母方のアルディギア王国で生活し、帝王学を学びながら騎士として修練を積んでいるので、こちらに顔を出すことは滅多にない。

 何せ飛行機でも片道十二時間はかかるのだ。王族かつ皇族のクロエが簡単に行き来できる距離ではない。

「どうしたんだ、急に」

 と、凪は困惑しながら尋ねる。

「はろういんフェスタに向けてわたしもこっちに滞在することになったんだ。短期留学ってヤツだな」

「ハロウィンまでって、二ヶ月あるぞ」

 はろういんフェスタの本番は十月の最終週だ。

 これから予定されているプレパーティですら、実行委員会の決起集会であって、まだイベントは水面下でしか動いていない。世間的にも、まだ先の話で、今の注目は夏休みの最後をどう飾るかというところだろう。

「二ヶ月といってもあっという間だぞ。せっかく、こっちに来るんだったら、一日二日だともったいないし、それにわたしはこっちの皇女でもあるからな」

 そう言われて見ると、確かにおかしな話ではない。クロエは古城の娘でもあるのだから、父方でしばらく生活するというのは悪いことではない。

「短期留学って言っても、学校は?」

「彩海に手続きしたよ。二ヶ月だけの留学生ってことで」

「そんな簡単にできんの手続き」

「彩海学園とわたしが通う学園は仲がいいんだ。普段から交換留学も短期留学もしてる。わたしが来る代わりに誰か短期留学することになるはずだと聞いてるぞ」

 クロエが普段から通っている学園は、アルディギア王国の王族を受け入れる超名門校で、古城は輩出した縁で成り上がった彩海学園とは歴史も伝統も何もかもが違う。

 クロエは荷物を空いていた椅子の上に置いて、ガサゴソと中を漁る。

 取り出したのは包装紙で包まれた底の浅い箱だ。

「お土産。麻夜姉さんと空菜さんがこれ」

「悪いね」

「ありがとうございます」

 クロエは、麻夜と空菜に手渡す。

 麻夜と空菜にはそれぞれ見るからに高級なハンドタオルが贈られた。麻夜は黒に金のラインが入っていて、空菜は青に銀のラインが入ったシンプルなタオルだ。

「何かすごい手触りがいいな」

「そうだろう。うちは昔から木製の家具で有名だけど、そこからこういう高級な日用雑貨にも力を入れるようになったんだ」

「高級家具に抱き合わせってことだね」

「そういうこと。はい、兄さん」

「サンキュ」

 青い包装紙の箱を受け取った凪は、包装紙を外し、箱を開ける。

 中に入ってたのは、長方形の布だ。ハンドタオルかと思ったが、筒状になっている。

「俺は枕カバーなのか?」

「母様がそういうのがいいと仰っていたから」

「なるほど」

 凪の枕カバーは、使い始めてずいぶん経つ。そろそろ交換してもいいかと思っていたくらいだ。

「でかでかYESって書いてあるの何なんだよ」

 緑色の下地に白抜きでYESと刺繍されている。

 どこからどう見ても噂に聞くYES/NO枕のそれだ。

「母様がそれでいこうと仰ったから」

「あの女王陛下は……」

 ラ・フォリアは女王になってからも身内に対してはお茶目な悪戯心を遺憾なく発揮する。

 特に娘をけしかけることもあるので性質が悪い。クロエはクロエで生真面目なところがあるので、ラ・フォリアの餌食になる。

「クロエ、これの意図は」

「そういうデザインなんだろうな」

 クロエは世のYES/NO枕がどういう使われ方をするのか、あるいはどう見られているのかを理解していないのだ。

「いいじゃん、凪君。今度からそれ使わないと」

「お前は分かって言ってんだろ」

 茶化す麻夜はにやついてこちらを見ている。外見が大分しおらしくなったが本質的には変わっていない。

「裏にすればいいんじゃない」

「裏もYESだよ、これ」

「何? ほんとだ、これYES枕じゃん」

「拒否権なしかよ」

 ご丁寧に裏側にもYESが刺繍されていて、裏表内側の四面すべてがYESだ。凪に拒否権はないと言いたげな強権的な枕であった。

「まあ、仕方ないね。今度から凪君の答えは、はいかYESだね」

「権力側にいるヤツが言っちゃダメだろ、それは」

 クロエはきょとんとしているが、ラ・フォリアは分かっていてこれを贈らせたのは間違いない。

 クロエが母の悪戯心を理解せず、ちゃんとした贈り物だと思っているのがさらに性質が悪い。冗談として受け止めて今の枕を使い続けるという展開に繋げにくくなった。

「凪さんの枕カバーが不要ということですね。なら、わたしのと取り替えましょう。ちょうど、わたしの枕カバーが壊れたところです」

「壊れるって何だよ。どんな使い方したら枕カバーが壊れるんだよ」

 と、空菜の発言に凪がツッコミを入れる。

 もらった物を無碍にすることはできない。まして、相手はアルディギアの王女で、アルディギアの女王のアドバイスで選ばれた物だ。

 文句を付けることすら不敬である。

 ここはありがたく頂戴し、使用しないといけない。

 枕カバーは人に見せるようなものではないとはいえ、妙に使い勝手の悪いデザインなのは困りどころだ。


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