二十年後の半端者   作:山中 一

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第七話

 翌日から夏休みに突入するというだけあって、平然と夜更かしした凪たちの消灯は二時を過ぎた。

 部屋を管理する紗矢華は結局帰ってくることはなく、大人に文句を言われることもないまま夜遅くまで遊び惚けたのだ。

 学校指定の体操着に着替えた凪は、ソファの上で仰向けになる。

 部屋割りは多少もめたが、紗葵と紗矢華のベッドを萌葱、紗葵、麻夜の三名で使用し、リビングに置いてあるソファを凪が使用することで決着した。零菜は、凪の正面のソファでタオルケットに包まって浅い寝息を立てている。

 凪はちらりと零菜に視線を向けてからすぐに逸らした。

(あいつ、思いっきり足出てんじゃねえか……)

 すらりとした白い足が、タオルから伸びている。熱い夜を乗り越えるため、短パンを履いていた零菜だったが、その短パンすらも幾度か繰り返した寝返りによって捲れ上がってしまったらしい。

 隣の寝室では三人の美少女があられもない姿で寝ているのだろう。年頃の男子にはキツイ状況に留め置かれてしまった。

「寝れん」

 一人暮らしが染み付いた凪にとっては、誰かと同じ部屋で寝るという行為そのものに抵抗感があるもので、どうにも落ち着かない。きっと無防備な自分を曝け出すことが嫌なのだ。理由は分からないが、自分のことを誰かに語るのが苦手な凪はその延長ではないかと考えていた。

 自分と他人との間に、見えない壁がある。

 シンディにボッチなどと不名誉な呼ばれ方をするのは、恐らくはそういった雰囲気を読み取られているからだろう。

 心のどこかで、自分は人とは違うという思いが燻っている。ダンピールという世界でただ一人の存在。厳密に言えば、吸血鬼の能力を持ってしまった人間。強化人間と言ったところだろうか。同様の例は今まで確認されておらず、凪の存在は極めて珍しい症例として記録されている。

 今の流れのままでは夏休みを一人で過ごすという当初の予定は白紙に戻ることになりそうだ。それこそ、速攻で怪物を退治しない限りはこの辺り一帯が厳戒態勢の下に置かれることになるだろう。

 夏休みは観光シーズンということもあり、経済に与える影響も馬鹿にできない。

 凪はソファから抜け出して、ベランダに向かった。

 ガラス戸を開けて外に出る。

 生暖かい夏の夜も、五十階という高さになればかなり冷えている。地表よりも幾分か気温が低い分だけ、涼やかな風を感じることができる。

 マンションの五十階から俯瞰する夜景に人はなく、時間が時間だけにオフィスビルの多くも電気を落として薄暗闇の中で静かに眠りに就いている。

 動くモノはない。

 航空障害灯の赤い光が、地上の星となって凪の目に残光を残す。

 下を見ると、街路樹が本当に小さな点に見える。この高さから飛び降りたのかと、数時間前の自分に驚いたりする。

 高さ、恐らくは三百メートルほどになるだろう。

 勝算はあったとはいえ、今から飛び降りろと言われて飛び降りれるかというと無理だ。

「凪君、一人で何してるの?」

 いつの間に起きたのだろうか。

 零菜が後ろにいた。

「一人で出歩くの、ダメだよ」

「分かってる。別にどこかに行こうとか思ってない」

「本当?」

「本当だよ。暑かったから、出ただけ」

「そう」

 吹き込む風がカーテンを柔らかく揺らし、零菜の髪を撫でた。

「ああ、涼しいね」

「高いところはいいな。うちは、吹き込んできても熱風だからな。冷房を入れてばかりだ」

 一年中夏日を持続する熱帯の島国だ。

 冷房は必要不可欠であり、家庭の支出のトップを占めるのが冷房の費用だったりするし、なんと冷房代を一部国が補助するほど気を使っている分野でもあった。もちろん、世界屈指の技術大国である“暁の帝国”に出回る商品は、大半が超省エネで、各家庭での自家発電も普及しているので早々非常事態は発生しない。ライフラインは島国の弱点でもある。特に人工の島である“暁の帝国”にとっては、ライフラインは国家の生命線だ。家庭レベルで分散できるものは分散しなければ、災害発生時に致命的なダメージを被りかねない。もっとも、今の帝国の面積を考えれば、その心配もほとんど無用ではあるのだが。

「あの……そっち、行っていい?」

「いいよ。というか、居候に聞くことじゃないだろう」

「わたしも居候」

「そっか」

 この家は零菜の家というわけではない。泊まりに来ているのは零菜も同じなので、凪と条件は同じだった。

 零菜はぺたぺたと足音を立てて近付いてきて、サンダルに履き替えてベランダに出てきた。

「あ、外はもっと涼しい」

 月光に照らされる零菜の姿は、神秘的な妖艶さに包まれているような気がした。上は長袖のジャージに下が短パンという色気のない格好のはずなのに。着飾っていない、家庭的な空気が醸し出されているからだろうか。

 零菜は凪の隣にゆっくりとやってきて手すりを軽く掴み、下を覗き見た。

「こっから飛び降りたのか。うん、やっぱり死ぬかもね」

「悪かったよ。俺もさっき、自分が仕出かしたことのヤバさを実感したばかりだ」

「眷獣、使ったもんね。あの黒い剣」

「ああ」

 吸血鬼が肉体的に人間を上回っていたとしても、三百メートルを越える高さからの落下に耐えられる構造はしていない。不老不死の肉体も、損傷が激しければ機能を停止し死に至ることはある。真祖であれば、バラバラになっても再生できるだろうし、その子どもか孫世代くらいまでならば、真祖由来の高すぎる不死性を持っているだろうから、復活は不可能ではないだろう。しかし、それでも死に至る苦痛はそのまま感じるし、復活できない可能性もまた内包していることは忘れてはならない。

 とりわけ凪は、吸血鬼ほどの再生力も不死性も持っていない。そんな凪が生きていられるのは、重力を操る眷獣で斥力場を生み出し、落下の衝撃を打ち消したからだ。

「なんともない?」

 零菜が恐る恐る尋ねてくる。

「大丈夫だよ。今回は、時間内に収まったからな」

 眷獣を召喚すると膨大な魔力を持っていかれる。不死ではない生物では、あっという間に寿命を食い潰されるため、現実的には眷獣を召喚、使役できるのは吸血鬼だけとなっている。凪は、吸血鬼ではないため眷獣の召喚は命懸けなのだが、短時間であれば命に関わらない範囲で召喚することを可能としている。要するに自分で賄える範囲の魔力であれば、持っていかれても問題ないのだから、その範囲内で運用すればいいということだ。

 眷獣の出力によるため、明確に何分という形で表現はできない。

 しかし、今回は飛び降りてから地上に到着するまでの数秒の間だけの顕現だった。凪の命に触れるような運用ではなかった。

「でも、もうしないで」

 零菜は、呟くように言った。

「……飛び降りか。まあ、実際怖かったしな」

「凪君」

 零菜は声のトーンを落として、凪を見た。

 角度によっては蒼穹の色にも見える黒の視線が凪に突き刺さる。責めているようにも、懇願しているようにも見えた。

 視線をそっと逸らす。

 直視はとてもできなかった。

 だというのに、零菜の不安げな表情が、夜の闇の中に浮かび上がるような気がした。

「零菜は、寝ないのか」

 目を瞑り、あからさまな話題転換をする。

 零菜は、自分の視線を街並に戻して答える。

「凪君が寝るなら寝る」

「俺のことはいいだろう」

「わたし、護衛役だから。凪君が夜の街を徘徊するのなら、止めなくちゃいけないし。古城君の言いつけだから」

「そうか」

 古城の言いつけには逆らえない。凪も同じだ。ならば、凪も零菜も勝手にこの家から出て行くことはできないわけだ。不良もどきを気取って出歩くことも不可能ではないが、迷惑をかけたくない人に迷惑がかかると思うと躊躇する。悪ぶっていても、結局はその辺の学生と大差ない。

 凪は髪を乱暴にかき上げて、盛大にため息をついた。

「じゃあ、俺は寝るぞ」

 零菜はこくんと頷いて、室内に戻る凪の後ろをついてくる。

「ここ、網戸でいいよね」

「寒くなければ、いいんじゃねえの」

「じゃ、それで」

 零菜はガラス戸を全開にして、網戸だけで外界と仕切ることにした。さわさわと、カーテンが柔らかく揺れて涼やかな風が室内の空気を循環させる。

 凪は、ソファに戻り、タオルケットの中に潜りこんだ。

 ソファの肘掛部分を枕にして目を瞑る。別のソファに零菜が倒れ込む気配を感じつつ、ベランダから戻って以降、彼女と会話をすることもなく、静かに眠りに落ちるのだった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 地上五十階という高所に位置する暁家には、日の出を知らせる鳥の声は届かない。

 地上から隔絶した空の孤島は、路上を駆け回る自動車の音や人々の喧騒とも関わりなく、夏休み初日のまったりとした気分をそのまま残していた。

 じりじりとした南国の暑さも、冷房を入れた室内には届かない。

 まさしく楽園とも言うべきこの空間から外に出るつもりなど毛頭なく、凪は瞳や夏穂といった年少組を相手にウノに興じていた。

 リビングは、麻夜や紗葵もいるのだが、それぞれが独自に好きなことをしていてまったくと言っていいほど協調性が見られない。麻夜は携帯端末で日本のプロバスケットリーグの観戦中、紗葵も携帯端末を眺めているが、こちらはファッション誌のメールマガジンの確認中だ。

「ほんとに自由人の集まりよね、これ」

 そんなリビングを一目見てため息をつくのは最年長の萌葱だ。母親の学生時代を想起させるような明るく染めた髪が特徴の今時娘ながら、高い家事スキルを有する。今も、おなかが減ったと訴える幼少の妹のために簡単なお菓子を作ってあげている真っ最中だ。

「萌葱姉さん、これどう思う?」

 紗葵が萌葱に端末の画面を見せる。

「えー、ピンクがきつ過ぎない?」

「そっちじゃなくて、その隣」

「あ、こっちなら紗葵に似合いそう。シックな感じ出てるし、色合いもいいんじゃない。んー、でももう少しだけ可愛い系がいいかな」

 萌葱は画面をタップし、ページを変える。

 それを幾度か繰り返し、紗葵とファッションの話で盛り上がった。

「問題は値段ね」

「いいよ、今は。そのうち何とかするしー」

 萌葱の呟きも紗葵は気にしない。

 紗葵が眺めていたファッションブランドの商品は、決して高級路線を追及するようなブランドではなく、学生でもその気になれば手が届く商品も多い。とはいえ、紗葵の月々の小遣いは日本円にして千五百円。皇女の懐は寂しく、打開策として持ち物の共有制度が自然と定着した。無論、衣服を好き勝手に購入できるほどの余裕はなく、物入りのときは、親に相談するのが常だった。

「いざとなれば古城君に頼めばいいわよ。ダメとは言わないでしょ」

「言わないって分かっててお願いするの、何か違和感あるなぁ」

「あんたって意外に真面目よね」

 ショートポニーをひょこひょこと跳ねさせて凪の下に去っていく紗葵は、その勢いのままにウノに参戦した。

「萌葱ちゃん、焼けたー」

 キッチンから零菜の声がする。それと同時に仄かな甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「ん、すぐ行く」

 

 

 焼きたてのホットケーキがテーブルの上に鎮座する。

 甘いものに目がない女性陣は、勝負事も観戦も途中で放棄してテーブルに群がった。

 メインは幼少の二人。

 母親が共に仕事で離れている間、ここで預かることになっている。魔力を狙う外敵がいる状況なので、迂闊に一人にするわけにはいかない。もっとも、いざとなればユスティナをはじめとする親衛隊が動くので、夏穂の守りは万全と言っても過言ではないのだが。

 瞳と夏穂は、ホットケーキに蜂蜜をかけて頬を綻ばせて食べている。その様子にほんわかとしつつも、凪は同じようにテーブルを囲まずソファに居座る。

 理由は簡単で、椅子が足りないからだった。テーブルは四人掛けだ。どうしようもない。

「ほいよ、凪君」 

 萌葱が切り分けたホットケーキを皿に載せて持ってきて、凪の前にある長方形のガラステーブルの上に置いた。

 ホットケーキの甘い匂いが胃袋を掴む。しかし、凪の視線はホットケーキの隣に並ぶ棒状のお菓子に向けられた。

「お姫様がパンの耳の砂糖揚げって、何かなあ」

 それは、揚げたパンの耳に砂糖を絡めた簡単なお菓子だった。美味しいのは分かるが、庶民的にもほどがあると思うのはおかしいだろうか。

「小学校の給食に出てくる、揚げパンみたいだよ、これ」

「あ、分かる。中学に入ってから、一度も食べてないや」

 麻夜の言葉を零菜が笑って肯定する。

「まあ、そんな感じだとは思うけど」

 凪が言っているのは味云々ではなく、イメージのことなのだが。“暁の帝国”のお姫様が休日にパンの耳をおやつにしているというのは、物好きな週刊誌あたりなら面白おかしく書いてもおかしくない。別にスキャンダルでも何でもないからいいかもしれないが。

「何よ、まさかアンタ。お姉ちゃんが作ったもんが食べられないって言うの?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど。いや、食べますはい」

 フォークで突き刺してホットケーキとパンの耳を片っ端から片付ける。

 情けないとは思うまい。

 これは単純に男女比の問題。女子の勢力が圧倒的な環境下に於いて男子の存在感など蟻の巣の中に迷い込んだ蚊と同程度でしかない。

「これから何するー?」

 ホットケーキを齧りながら紗葵が尋ねた。

「映画鑑賞会」

「うちには映画の類はないよ」

「そう。んー、うちのは見飽きたしなあ」

 麻夜の提案も物がなければ実現できない。都合よく面白い作品が放送されているわけでもない。

「借りてくるか」

 ネット上での配信が一般化した現代にあっても、ディスクのレンタルは続いている。歩いて五分ほどのところにある大型レンタルショップに行けば、有名所はほぼすべてレンタルできるだろうし、マイナー作品も探せば見つかる。

 問題は、誰が借りに行くのかということだが。

「言いだしっぺが行けばいいんじゃないの」

「それだと面白くないじゃないか零菜。なんていうか、選ぶ映画によって人の感性が垣間見えるだろ」

「そんなことを言う人のために映画を借りてこようとは思わないよ」

 零菜の真っ当な意見も、面白がった萌葱と紗葵に却下される。

「じゃんけんね。じゃんけんで負けた人が借りに行きましょう。二人でね。凪君も」

「え……」

 萌葱に言われて凪はテレビから視線をテーブルに移す。

「俺もそれに入るのか、萌葱姉さん」

「もちろんよ」

「もちろんなのか」

「至極当然」

 少しばかり寂しい胸を張って、萌葱が言う。

 ここまで言われては、凪に断わることはできない。

 凪は負けを認めて大人しく萌葱の下まで歩いていったのだった。


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