二十年後の半端者   作:山中 一

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第五部 十二話

 暁家が屋敷にやってきたことで、屋敷の中は一気に賑やかになった。二人で暮らすにはあまりにも広すぎる洋館が、ついにその役目を果たすこととなったのだ。それでも、やってきたのは両手の指で数えられる程度の人数だ。無駄に広いと東雲が語る洋館の収容人数からすれば、スズメの涙くらいの数でしかなく、学校のクラスまるまる一つ分が泊っても対応できるだけの広さがあることを考えれば、まだまだ寂しいと思えるくらいだった。

 凪はベッドでゴロゴロしながら、テレビをつけた。

 特に何があったわけでもない一日で、むしろこれからが本番だ。正直、チョコ祭に参加できるのは嬉しかった。世界的にも大きな注目を集める奇祭だ。暁の帝国でも毎年、その様子が報道されて話題になる。テレビを見ても、どの局も今日の大一番に向けて過去の映像でチョコ祭の振り返りをしていたり、祭の会場に集まり大騒ぎをしている若者を映していたりする。報道キャスターが何を言っているのかはさっぱり理解できないが、とても盛り上がっているのはひしひしと感じられた。

 ドンドンドン、と力強くドアがノックされたのはその時だ。

「はい?」

 返事をしたが、応答はなかった。

 怪訝な表情を浮かべて凪はドアに近づく。

 覗き穴から様子を窺ったが、誰もいない。

 凪は不用心にドアを開けた。ここで何があるわけでもない。目的不明ながら、誰かが悪戯を仕掛けてきたのかもしれない。

「トリック・オア・トリート!」

 声は真下から響いた。

「うお、びっくりした」

 心臓が跳ね上がったかと思った。

 瞳と夏穂が菓子の箱を持って立っていたのだ。まだ年中組の二人の背丈では、覗き穴では見えなかったのである。

「トリック・オア・トリート!」

 ぐいぐいと瞳が凪にチョコの箱を渡しにくる。受け取ると、手を出してきた。

「握手握手」

 その小さな手を凪は握ってシェイクハンドする。

「ちがーうッ」

 憤慨したとばかりに瞳が頬を膨らませた。

「トリック・オア・トリートって言った。お菓子くれるぅ、にむに」

 むくれる瞳の頬を揉みしだく凪。もちもちしていて柔らかい。

「お兄さん、これ、あげる」

「夏穂ちゃん、ありがとう」

 夏穂がくれたチョコのパッケージには英語で「Splash!!」と書かれている。混沌界域で販売されている一般的なチョコ菓子だ。

 瞳がくれたのも同じメーカーのもので、こちらはなぜか漢字で「雅」とでかでかと書いてあった。

「瞳ちゃんのは、なんで開いてるんだ?」

「美味しかったぞ?」

「途中で食べたんだな?」

 実はけっこう本能に忠実なのかもしれない。瞳は歳のわりにしっかりもの――――と見えて、実はその後ろをくっついて歩いている夏穂のほうがしっかりしていて、瞳のブレーキ役になっているのかもしれない。

「わたしだけじゃないよ。夏穂も食べた」

「美味しかった」

「もうちょっと我慢できなかったかな」

 二人の部屋から凪の部屋まで一本道だ。ざっと二十メートルくらいの距離である。瞳と夏穂はそれすら我慢できなかったらしく、途中で開封し、中のチョコレートを半分も食べてしまっていたのだ。

 本来であれば、菊の花を模した一口サイズのチョコが十二個入っているはずのところ、今は六個しか入っていない。

「これで、トリート貰おうってか。まあ、いいんだけど」

 凪はとりあえず部屋の中に引き返した。

 その後ろからトコトコと幼女がついてくる。

 凪は部屋の隅に置いていたスーツケースを開けた。しゃがみこんで中を漁る。何かあったような気もするし、なかったような気もする。とりあえず、お菓子類の残りがないか探してみる。

「凪くん、何してんの?」

 瞳が背中に引っ付いて、スーツケースの中を覗き込んでくる。

「探し物」

 ずっしりとした重みを感じながら、凪は手を動かす。

 着替えの入った袋をどかすと、小さなビニール袋があった。中にはレトロな缶入り飴が入っていた。キャンディドロップスは祖父母の世代が子どもの頃から存在する歴史ある駄菓子である。缶の中に何種類もの飴が入っていて、缶を振って飴を取り出す。欲しい飴を選ぶのは難しいタイプの缶である。

「飴、やるから手を出せ」

「ほい」

 奇妙な返事で元気よく瞳が凪の前に手を回してきた。背中からは離れようとしない。小さな手の平に飴を一粒出した。転がり出てきたのは黄色の飴だった。

「レモン味だ」

「レモン好き。やったぞ」

 嬉しそうにレモンの飴を口に放り込む瞳。それを羨ましそうに眺めている夏穂にも、凪は声をかけた。

「夏穂ちゃんも」

「ん」

 夏穂の手の上で凪は缶を振る。出たのは真っ白な飴だった。

「当たりだな、夏穂ちゃん。ハッカだぞ」

「ん、ありがと、お兄さん」

 夏穂はハッカ味の飴を口に運ぶ。味が豊富なキャンディドロップスの中でもハッカは封入数が少ない飴だ。一缶につき、五つくらいしか入っていないレア。そのため、ハッカは当たり扱いだ。小さいころは、ハッカが出ると喜んでいたものだ。

「凪くん、わたしもハッカ欲しいなー」

「レモン食べてるでしょ」

 背中によじ登る瞳に凪は言う。

 すると、頭上でゴリゴリと固い物が砕ける音がした。

「なくなった」

「よく噛み砕けたな……」

 瞳はレモンの飴を噛み砕き、飲んでしまったのだ。口の中の飴を食べてしまって、二個目を要求するためだった。

「はいはい、手を出しなさい。ハッカね、ハッカ」

 凪は缶の穴を覗き込んでハッカが出てくるように中の飴の位置を調整する。

「あーんする」

「何?」

「知らないの? ドラマでやってた、あーんってヤツ」

「ああ、そういうの。ほれ」

「ありがとー」

 肩に頭を乗っけてくる瞳の口にハッカ飴を入れる。瞳はぱくりと飴を食べて舌の上で転がした。

「美味い?」

「美味くもあって、美味くなくもあって不明」

「どういうこった」

 妙に神妙な言葉遣いで瞳は答えた。最近見ているドラマの影響を受けていると思しい。先週の放送で似たようなフレーズが使われていたのを凪は思い出した。

 瞳と夏穂は、少し前までたどたどしく舌足らずな口調だったのが、ここ一、二か月の間にずいぶんと成長を感じさせるようになった。テレビの影響もあり、急速に語彙を増やしている。

「あーんは仲良しの証だって」

「それもドラマで言ってたのか?」

「ママが言ってた。こじょーくんとしてた」

「おう、それは……まあ、いいか」

 夫婦仲がいいのはいいことだ。子どもにとっては最良の環境だろう。微笑ましい光景なはずだが、あれこれ邪推してしまうのは凪が思春期だからか。とりあえず話題を変えて、夏穂に話しかけた。

「夏穂は、何がいい?」

「オレンジ」

「オレンジね」

 瞳に二個目を上げて、夏穂に上げないわけにはいかない。夏穂の要求通りにオレンジの飴を缶から出して渡した。

 背中に瞳を張り付けたまま、凪は立ち上がった。子どもの相手をする機会はほとんどない。離れて暮らしていた時は、それこそ年に数回くらいしか顔を合わせることはなかった。今は同じマンションの同じ階に住んでいるので、頻繁に顔を合わせるようになったが、瞳と夏穂が凪のことをどのように認識しているのかはよく分かっていない。

 瞳と夏穂の世界は、もともと父と母と姉と先生の四通りだ。そこにふらりと現れた親戚のお兄さんとの距離感は、他とは違うものではあるのだろう。

「凪君、ちょっといいかな?」

 ドア越しに萌葱の声が聞こえてきた。

「姉さん? いいよ」

「お邪魔します……お? なんだ、二人ともここにいたの?」

 萌葱がドアを開けて入ってくる。瞳と夏穂がいることは想像していなかったようで、少し驚いた様子だ。

「萌ちゃーん」

 凪の背中にくっついたまま、瞳が萌葱に手を振った。

「瞳ちゃん、バランス崩すからあまり動かないで」

「あはは、ぶらぶらするぞ」

「動くなってば」

 瞳はさらに凪の背中をよじ登って肩車を始める。古城にも同じことをしていたし、話によると保育園でもよくやっているらしい。どうやら、瞳は高いところに上るのが好きなようだ。

「あらまあ、仲のいいことで」

「親戚のお兄さんはレアキャラだからな」

「何言ってんの、ほぼ毎日顔合わせてるでしょ」

「ここ一か月くらいだけどね」

 凪が今のマンションに越してきたのは最近のことだ。それまでは、瞳と夏穂にとっては滅多に会うことのない親戚でしかなかった。

「萌ちゃん、何しに来たん?」

 瞳が尋ねる。

「え? あー、まあ、いっか。はい、凪君」

 萌葱はクリーム色の包装紙でラッピングされた箱を凪に渡した。

「お、ありがとう姉さん」

「ん、まあ、いいってことよ。今年は、ほらクリスマスに助けてもらったし」

「別にそれは気にしなくていいのに」

「気にしないのは無理でしょ、さすがに」

 萌葱は気恥ずかしそうに頬を掻く。

 クリスマス当日に起こったテロ事件で萌葱は危うく悪魔に取り込まれてしまうところだった。凪が果敢に死地に飛び込んでこなければ、今頃どうなっていたか分からない。それだけでも感謝してもしたりないくらいの出来事だった。

 大きな事件を乗り越えることができたのは、凪のおかげだ。バレンタインは、凪にその時の感謝を伝えるいい機会でもあった。

 凪にチョコレートを渡すのは例年通りだ。今更、緊張も何もないのだが、クリスマスの一件が背景にあるので、少しばかり贈るチョコレートには気を使ったし、いつものバレンタインとは違う意味合いがあるのも事実である。

 色々と思案しながらこの部屋を訪れたのだが、さすがにこの場に瞳と夏穂がいたのは予想外だったし、少し当てが外れたようにも思った。しかし、同時にありがたいとも感じた。二人がいなかったら「微妙な空気」に耐えられなかっただろう。子どもがいれば、子どもに合わせて話を回せるので都合がいいと考えることにした。

「チョコ、チョコどんなの? ねえこれ、どんなの?」

 瞳が凪の手にある包に手を伸ばす。

「はいはい、ダメダメ。チョコはさっき食べてたでしょ」

「えー、見るだけ。萌ちゃんの見るだけ」

「とりあえずそろそろ降りなさい」

 凪の上でゆさゆさと揺れる瞳を持ち上げて、凪はベッドの上に瞳を下ろした。

 不満げな瞳はすぐに頬を膨らませて拗ねた風を装う。

 可愛らしい年相応の不貞腐れ方に凪と萌葱は苦笑する。

「姉さんのは落ち着いたら開けるよ」

「そうね。今、開けると瞳たちに食べられそう」

 クスクス笑いながら、萌葱は頷いた。

「わたし、食べないけど!」

「自分のすら、途中で食べた、よ?」

 心外だと抗議する瞳に夏穂がツッコミを入れた。まさにその通りで、瞳の主張には何一つ信頼できる要素がないのだった。

「忘れたぁ」

「あぅあ……」

 瞳が夏穂に抱き着いてそのままベッド上に押し倒す。プロレスごっこの始まりだ。とはいえ、あまり夏穂はやり返さず、瞳を押し返すだけだ。ゴロゴロ転がって猫のように夏穂にくっつく瞳に対し、夏穂はどこか冷めたように対応している。

 二人の性格は正反対だ。しかし、そのためか仲たがいすることもなくいつも一緒に行動しているようだった。

「んー」

 瞳に背中から抱き着かれて息苦しそうに呻く夏穂は、瞳を振り払うことなく身体を起こした。のそのそとベッドの上を這って、枕元に置かれている飴缶を拾い上げた。

「ん」

 と、夏穂は凪に飴缶を渡した。

「なんだ、もう一個いるのか?」

「いらない」

「いらんのか?」

 夏穂は頷き、そして萌葱を指差した。

「え、何?」

 萌葱は急に夏穂に指差されて首を傾げた。

「仲良しする?」

「え、何のこと?」

 夏穂の言っていることが分からず、萌葱は目をぱちくりとする。

 意味を正しく理解できるのは、凪と瞳くらいのものだろう。

「それいー。凪くんと萌ちゃんでそれしよー」

 瞳が夏穂の提案に乗っかった。

「凪君、何これ。どういうこと?」

「なんか、この二人の間で流行ってる儀式みたいなの」

「はぁ?」

 まったく意味が分からないと萌葱は間の抜けた声で応答する。

「儀式じゃないよ。ただのアイサツ。簡単だよ。凪君がね、この飴を萌ちゃんにあーんする。それだけ」

「あーん!? どゆこと!?」

「ママがこじょーくんとしてた」

「ん、ぐ……そういうのは聞きたくなかったな」

 萌葱は父の醜聞に渋い顔をした。

「萌ちゃんと凪くんもするといいよ。わたしたちもしたし」

「凪君と……?」

「子どもの遊びだぞ」

「分かってる」

 瞳の言い分を額面通りに受け止めれば、ロリコンのそしりは免れないので一応の反論はしておく。もっとも、そのまま受け止めるのはよほど理解力のない人間か状況を意図して読まないタイプの面倒な人間だけだろう。子どもの遊びに付き合ってやるだけのことにいちいち目くじらを立てる必要はないし、別に悪いことをしているわけでもないのだ。

「萌ちゃん、しないの? 仲良しじゃない?」

「え? あー、ん、そんなことないよ。ねえ、凪君?」

 瞳は不安そうに萌葱を見上げる。その表情に居た堪れなくなり、萌葱は凪に助けを求めるように確認する。

「もちろん」

 それ自体はただの事実である。否定の余地はなく、凪は頷いた。

「はあ……仕方ない。凪君、ちょっと恥ずかしいけどさ、それしようか」

「まあ、別に姉さんがいいならいいけど。何味にする?」

「なんでもいい。てか、懐かしいなそれ」

 キャンディドロップスは誰もが子どものころにお世話になる駄菓子である。缶のデザインは何十年も変わっておらず、今となってはその外見だけでアンティーク家具と並べても雰囲気を壊さないくらいには古めかしいデザインだ。萌葱は凪同様子どもの頃に親しんだが、そうでなくとも見た目だけである種の郷愁をの念を抱かせるだろう。

 凪の手の平に転がり出たのは、真っ白な飴玉だった。

「お、当たり」

「やっぱ、そうなるよな」

「いや、ハッカは当たりでしょ」

 そう言いながら、この先どうするというのが凪と萌葱の心中に浮かんだ。言葉にすれば、簡単だ。凪が萌葱にこの飴を食べさせればいいのだ。しかし、思春期真っただ中の少年少女である。姉と弟も同然とはいえ、子どもにじっと見つめられながらというのは心理的抵抗感がかなり強い。

 何か期待しているような視線が二つ凪と萌葱の注がれている。瞳と夏穂の好奇心を宿した純粋な視線である。

「姉さん、はい」

 凪がハッカの飴を萌葱に差し出す。

 萌葱も腹をくくった。

 萌葱は凪からハッカ飴を食べさせてもらう。

「おおぉ」

 瞳が感嘆の声を上げた。

 何が「おおぉ」なのか分からないが瞳はそれなりに納得したようだった。

「ん……ハッカは、久しぶり」

「まあ、滅多に食べないからな、これ」

 中学生になった頃くらいには、キャンディドロップスは思い出の彼方に消えていた。今、凪の手元にこれがあるのは、暁の帝国を出国する前日、東雲への手土産を選んでいた時に候補として空菜が持ってきたからだった。

 凪は缶に蓋をして、枕元に投げた。

 ドンドンドン、とドアが叩かれる。

「はいはーい!」

 返事をしたのは瞳だった。

「お邪魔しまーす」

 部屋に入ってきたのは麻夜だった。その後ろから零菜と紗葵も現れる。

「瞳に夏穂も、お母さんたちが呼んでたよ?」

「ママが?」

「なんで?」

「さあ。早くいった方がいいんじゃない?」

 麻夜の言葉に瞳と夏穂はベッドから飛び降りた。母が呼んでいるとなれば、一目散に向かわなければならない。瞳は夏穂の手を引いて、「おじゃましましたー」と叫びながら部屋を走って出て行った。

「嵐みたいだったな」

 凪は疲れたように独りごちた。

 瞳くらいの年齢なら、これくらい元気なほうがいいのかもしれない。付き合わされるのは疲れるが、嫌ではない。

「あんたら、何しに来たの?」

「萌葱姉さんと同じ理由だと思うよ」

 麻夜はそう言ってビニール袋から、小さな包みを取り出した。手のひらサイズの紙の包みだった。

「はい、凪君。いつもの」

「サンキュ」

 あっさりとした受け渡しは毎年のことだ。

「凪、あたしのはこれ」

 紗葵が麻夜に続く。麻夜に比べると一回り大きな紙袋は、有名な量販店のものだ。その中に小さなカップが入っていた。紗葵はカップケーキをくれたようだ。

「紗葵もありがとな」

「三倍、よろしく」

「これ三個? まあ、食べられるか」

「そういうことじゃないけど!? まあ、食べられるけど、食べられるけどね?」

 紗葵が小さい身体を大きく膨らませるようにして主張する。カロリーも糖質も特に気にした様子はない。普段からあまり気にしないで食事をしている、間食も意識していない。花より団子な年頃なのだろうか。

「……じゃあ、はい」

「悪いな」

 思えば零菜からこうしてバレンタインのチョコレートを貰うのは久しぶりだ。零菜との関係に溝ができてから五年もの間、付き合いはあったので季節の節目節目に顔を合わせはしたが最低限の関わりに留まっていた。この一年で大きく変わったことがあるとすると、零菜と普通に会話ができるようになったことだろう。それは凪にとっても零菜にとっても非常に大きな出来事で、昨年のこの時期には想像もできなかったことだった。

 華やかな美人姉妹からチョコレートを貰うというのは、恐らくは同年代の男子からすれば垂涎の的であろう。それが親戚付き合いも兼ねた毎年のルーチンワークであったとしてもだ。そして、凪にとっても毎年のことであって、一か月後にはこのお礼をしなければならない。こういった催しは、面倒だと思う気持ちもあるのだが、凪は性格的に投げ出すことができない。今から、今年はどうしようかと頭の片隅で思案している。

「ねえ、そろそろ時間だよー」

 大きな声で、ドアの向こうから声をかけてきたのは東雲だった。

「時間だって」

「もうそんなか」

「いよいよだね」

 時計を見ると、確かに東雲が事前に伝えていた時間まで五分を切っていた。いよいよ、チョコ祭最大の催しであるチョコ合戦の時間が近づいていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

「はい、それでは初めての参加となる皆さんに事前説明をします」

 大広間に集まった凪たちの前に立つのはアカネである。メイド服から青いジャージに着替えていて、雰囲気ががらりと変わっている。

「チョコ合戦の概要ですが、大通りの左右に分かれて反対側に向かってチョコを投げるだけです。簡単ですね。まずは禁止事項です。ルールは魔力の使用禁止、暴力禁止、道具は運営で用意したもののみ使用可、まあ、基本中の基本ですね」

「それだけならルール説明も何もないような」

 目の前にいる人にチョコレートをかけるだけというシンプルなルールだ。相手に怪我をさせなければ、問題はないということか。

「まあ、確かにあまり細かなルールとかありませんね。勝敗を競うものでもないので。……えーと、それから、ぶっかけていいチョコも運営が用意したものだけです。主に溶けたチョコを封入したゴム風船……チョコボムを投げます。事前予約をした人には、チョコ鉄砲とチョコバズーカが貸与されますが、わたしたちは今回はありません」

「チョコ鉄砲はチョコ用の水鉄砲ね」

 東雲が補足説明をする。なお、チョコ鉄砲もチョコバズーカもカートリッジ式で、運営が用意したカートリッジ以外は使えない仕様になっているとのことだ。

「チョコボムなくなったらどうするの?」

「会場になる道の端に、補給テントがずらっと置かれるので、そこに取りに行きます。補給用のチョコボムがなくなったら、チョコ合戦終了です」

「すぐ終わりですね」

 麻夜が呟く通り、チョコ合戦はそこまで長時間のイベントではない。チョコボムがなくなり次第終了なので、短期決戦になるのが恒例だった。

 昔は二チーム制で勝敗を競っていた頃もあったが、加熱しすぎるのとギャンブルの対象になるということで廃止されたという経緯がある。

「チョコは固まんないんだよね?」

「チョコは混沌界域の独自技術とかで、常温でも液体のままだよ。さすがに固まってたら、痛いからね」

 零菜の質問に答えたのは東雲だった。

 混沌界域はチョコレートを主要産業に位置付けていて、様々な商品開発を国家プロジェクトとして推し進めてきた。冷やしても固まらないチョコレートは、その事業で開発された技術の一つであった。

「ええと、後は、さすがに用意はしてないと思いますけど、ホワイトチョコを混入するのは禁止されてます。使ってる人がいたら運営に通報してください」

「ホワイトチョコ、なんでダメなんですか?」

 紗葵がアカネに疑問を呈した。

「一回目の合戦後に、いろんなところから苦情が来たみたいです。見た目がアウトだそうです。まあ、そうなりますよね」

「アウト? なんでそれがアウトなんですか? ホワイトチョコでもいいような気がしますけど。別に害はないし」

「害はないですし、チョコとして捉えるならいいんですけど、世の中にはそうでない人もいるわけで、えーと、それをわたしから説明するのは難しいかなと……はい、じゃあ、それはシノ様にお任せします」

「え、わたし!?」

 急に話を振られて東雲は驚く。

「いや、今、わたしに振られても困るんだけど! 説明するのはアカネでしょ! 最後までちゃんとしてよ!」

「妹様に変な知識を与えるわけにはいきませんので。責任とれませんて。姉としてちゃんとした知識を伝えてください」

 声を潜めて主従が口論する。紗葵は何をそんなにバタついているのか理解できていないようで胡乱な表情で二人を見ている。

「ねえ、凪」

「ん?」

「なんで、ホワイトチョコダメなの?」

「えー、そうだな」

 紗葵はどうもこの手の話に疎いようで、いまいちピンと来ていないらしい。こういうのは聞かれたほうも恥ずかしいのだが、それ以上に聞いている方がもっと恥ずかしい。今はいいとして、友達に聞いたりしたら大変なことになる。

「保健体育的な話になるんだ……痛ぇッ」

 横腹を抓られて凪は呻いた。犯人は零菜だった。

「ちょっと、凪君。何、言おうとしてんの!?」

「じゃ、どうすんだよ」

「んー、とにかく凪君言うのはセクハラだから」

「そう言うと思ったけど……じゃあ、零菜何とかしろよ」

「わ、わたしに説明させるのも、セクハラだから!」

「どうしろってんだよ」

 零菜は頬を染めて凪に抗議する。言わんとすることはよく分かる。確かに凪が説明するのも零菜に説明させるのもセクハラと言われかねない。

「その、萌葱ちゃんに何とかしてもらう、とか」

「え、わたし?」

 萌葱は萌葱で飛び火してきて肩を震わせた。

 気配を消して会話に組み込まれないように黙っていたのに零菜からストレートに飛んできて困ってしまっていた。

「ねえ、何でみんなしてそんな慌ててんの? あたし、変なこと聞いた?」

「変なことではないんだけど、その、ねえ」

「説明が難しいというか……」

 姉と兄が言いよどむ理由がさっぱり分からない紗葵は、ムッとする。一人だけ分かっていないという状況に腹を立てているのだ。自分の無知さを論われているような気持にすらなるし、自分の質問をきちんと受け止めてもらえていないようにも思える。

「とりあえず……チョコ合戦が終わったら自分で調べるってことで」

 萌葱の適当な妥協案。しかし、姉も兄もそれで合意したようで、これ以上の回答は得られそうもなく紗葵はムスっとした。

 説明担当としての職責を全うさせられるのではないかと危惧していたアカネもほっと一息ついた。

「えー、じゃあ、説明に戻りますね。といっても、最後に服装で……これは自由ですけど、雨合羽で済ませる人もいれば、服が汚れるのを嫌って水着になる人もいますし、コスプレする人もいます。現地に着替える場所はないので、ここで着替えて行きます。これで、大まかな説明は終わります。出発まで三十分ありますので、それまでに着替える人は着替えてくださいね」

 以上、とアカネは説明の終了宣言をした。ちなみに、ジャージの下にはすでに水着を着ているらしい。アカネは準備万端のようだ。

 水着の準備は、出国前に済ませていた。チョコ祭で水着に着替えるというのは事前情報としてすでに把握していたし、せっかくの南国である。チョコ祭がなくとも暁の帝国にはない天然ビーチに行く予定もあった。女性陣にとってはチョコ祭もあるが貸し切りの天然ビーチが魅力的過ぎた。テンションも上がるし、この旅行のために全員が水着を新調していたのだった。

 




下ネタが一人だけ通じないと辛いぞ。昔、雑談の中で出てきた下ネタを下ネタと理解できず、単語の意味を同級生に聞きまくったけど誰も答えてくれなかったし、後で卑猥な意味の単語だったと知って学校に行きたくなくなったぞ。

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