二十年後の半端者   作:山中 一

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第五部 六話

 普段着ることのないフォーマルな格好をすることになり、凪は少々萎縮した。それも、ただのスーツではなく、格式ばった執事服である。

 平日は学生服とジャージ、休日はパーカーとジーンズが基本の凪にとっては、非常に息苦しいスタイルである。

 空菜は空菜でクラシカルなメイド服である。バストサイズもウエストもばっちりだったというから驚きである。

「そういえば、先月東雲さんにあれこれ測られましたね。うーん、あれですかね」

 正月に東雲が帰省したときの話である。

 メジャーを使って、空菜の身体を細かく計測していたのだという。その後、ネット通販で何着か服を買っていたが、そこで得た情報を下にこのメイド服も作られたのだろう。

 新しく加わった「妹」に戸惑うでもなく積極的に関わっていたのは東雲の性格がよく現れた場面だろう。

 ともあれ、白と黒のモノクロカラーは、空菜に落ち着いた印象を与えている。もともとが感情表現の乏しい性格だ。美しすぎると評される美貌も相俟って、メイド姿の空菜はどうも近づき難い雰囲気を醸し出している。

 クラスの男子がこの姿を見たら、泣いて喜ぶであろうことは明白だ。

 着替えを済ませると、これまた同じくメイド服に着替えたアカネが迎えに来た。

「お二人ともお似合いですよ。シノ様もお喜びになるでしょう」

「そうですか……あの、それで俺たちがこの服を着た理由はなんでしょう?」

「あれ? 聞いてませんか?」

「何を……?」

 先頭を行くアカネが意外そうな表情で振り返る。

「凪様と空菜様にはこれから短期使用人講習を受けていただくことになっています。空隙の魔女……南宮那月様からも是非にと伺っていたのですが」

「使用人講習……? 何ですか、それ……?」

「それはもちろん、執事やメイドの基本技能を学ぶ短期講習です。一日三時間、明後日までです」

「何も聞いてないんですけど。南宮教官も関わってるんですか」

「はい。あの方も時々こちらの大学などに来て魔導犯罪の講演をなさいますので、その際に当家に立ち寄られることもあるのです」

 那月は世界的に有名な攻魔官である。

 その戦闘能力は条件次第では真祖と正面から戦うこともできるほどで、単独で壊滅に追い込んだ魔導犯罪組織は両手の指で数えられないほどの数に上る。

 その力は魔女になった際の契約の代償に由来するもので、他人が真似ることはまず不可能だが、彼女の経験や技術を求めて各国の関係機関が講演の依頼をすることは珍しくない。

「今回企画した短期使用人講習は、もともとは南宮様が開発した攻魔師養成講座の一部をアレンジしたものです。わたしも以前受講しました」

「攻魔師養成講座と何の関わりが?」

「暁の帝国だと馴染みがないかもしれませんが、使用人にも一定の戦闘能力を求めるのが混沌界域の慣わしです。何せ、使用人というのはわたしもそうですが、主の近くに四六時中いますからね。日常的に護衛の役割を果たせると重宝するんです」

「はあ、なるほど」

 アカネの説明でしっくり来た。

 もともと日本の絃神島を母体とし、二十年程度の歴史しかない暁の帝国にはそもそも日常的に使用人を雇うほどの富裕層は少数だ。それも、生まれついての貴族というのは暁家しかないのが現状だ。

 だが、混沌界域は違う。

 遥か古代から続く夜の帝国は皇族だけでも相当数存在している。

 彼等は当然のように使用人を雇い入れるし、政争も戦争も日常茶飯事だった時代もあっただろうから、暗殺の危険に対処するべく護衛も近くに置く。そうした中で、使用人と護衛を兼ねるという風潮が生まれるのは自然な流れだったのだろう。

「攻魔師になれるような人材は、軍に入るか貴族の使用人になるかってところです。民間で攻魔師やるより安定してますからね」

「そういうものなんですね、こっちでは」

「いつだって、戦える人材は引く手数多ですよ。もっとも、わたしは戦力というには……まだまだですが」

 アカネから感じる魔力は、大したことはない。彼女は人間だ。魔族ではない。となると、年齢も凪とそう変わりないだろう。ならば、よほどの才能がない限りはまだまだ未熟の域を出ない。人間よりも遥かに頑強で、長寿の魔族が多い世の中で、ただの人間が社会で活躍するにはそれ相応の努力が必要だ。とりわけ、混沌界域は夜の帝国だ。国防力の中核を魔族――――特に吸血鬼が担っているため、人間の人口のほうが遥かに多くとも、魔族の社会的地位は高い。

 使用人に戦闘能力が求められるというのなら、人間が魔族優位の社会に割って入るのは大変だろう。いくら、人手不足とはいえ、上の席は長寿の魔族が占めている場合が多いのだから。

「もちろん、何から何まで戦闘能力を求めているわけではないですよ。戦えると優遇されるというだけなので、家事全般や秘書的役割など他に求められる場面は多々あります」

 と、アカネは語る。

 東雲に仕えているアカネは、暁の帝国から給金が出ている。

 孤児となった彼女を拾い上げ、この家に連れてきたのはジャーダだが、雇い主は古城である。ジャーダから古城に彼女を使用人として教育し、雇ってみてはどうかと提案があり、古城もそれに同意した。「行き場がないならここにいるか?」といった程度の理由で雇われたのが始まりなのだとアカネは自分の来歴を簡単に説明した。確かに、古城ならばそういう判断をしそうではある。

 

 

 

 凪と空菜がアカネに案内されたのは、地下だった。重たい鉄扉を潜った先にある螺旋階段を降りていくと、かなり大きな空間に出た。おそらく二十五メートルプールが丸々入るくらいはあるだろう。強力な結界がいくつも設置され、厳重な管理が成されているのが一目で分かった。

 見た目は学校の体育館にそっくりだ。天井は高く、床は木製であった。地下なので窓はなく、照明の明かりが唯一の光源であった。

「地下シェルター兼運動場です。ここが、講習会場になります」

「シェルター……?」

 なるほど、確かにそう言われてみれば、この頑強な構造は地下シェルターと言われても納得できる。パッと見だが、下手な眷獣の直接攻撃にも揺るがない防御能力がありそうだ。

 この屋敷は領事館に併設されており、皇女が日常を過ごしているのだ。有事の際の避難場所を確保しているというのは、自然なことなのだろう。

 凪が暮らす自宅マンションも、皇帝一族が暮らしているが、ここまでの施設はない。そもそも増築できるだけの、土地がないし、皇帝も皇后も庶民派過ぎて、お金に余裕のある一般人の延長線上の生活をしていることからしてもアルディギア王国で堂々と姫をしているクロエの次に東雲は姫君らしい生活をしていると言えるのではないか。

「それで、講習は何をするんですか?」

 と、空菜が口を開く。

 攻魔師の勉強もできるぞ、と事前に言われてはいたが、ここまで本格的な勉強をするとは聞いていない。学ぶところもあるのだろうという程度の覚悟で、ほぼ旅行気分だったのだ。

「まずは座学です。とりわけ、今回は清掃、調理、整体、医療、介護をみっちり詰め込んであります」

「一日三時間で三日間……それでできる内容ですか?」

「医療介護といっても、基礎中の基礎だけです。応急処置のやり方とかですね。それに一日三時間は外の時間です」

 いやな予感しかしない。

 外の時間という言い回し。それはつまり――――。

「シェルター内部の時間を三分の一にまで減速しますので、一日九時間ですね」

「俺、最近受験終わったばっかなんですけど……」

 受験勉強を終えて海外旅行に来たと思ったら、学習塾の受験対策合宿みたいな状況に放り込まれるとは。

 大きなシェルター内に机が二つ並んでいて、そこで寂しく勉強するということか。その前にはホワイトボードが置かれている。

「時間の操作は、とても難しい魔術と聞きますが。魔女ならばともかく、個人で扱うレベルの技術はまだ開発されていないのでは?」

 と、空菜が尋ねる。

「そこは、その分野の一流の魔女が関わっていますから。第四真祖がシノ様を守るために南宮様に依頼して造ったのがこの施設です」

「ここも教官が関わってたのか」

 時空間制御の魔術は超高度な魔術だ。凪はその概要を理解することすらできない。術式を見て、それが空間制御の魔術だと理解することはできるが、どういう理屈で発動しているのかを読み解くことは困難だ。

「それで、アカネさん。講習っていうことは、先生もいるってことですか?」

「はい。もうそろそろいらっしゃる頃合かと……あ、噂をすれば」

 扉を押し開けて入ってきたのは、身長二メートルはありそうな大男だった。肩幅が広く、筋骨隆々。頭はスキンヘッド。スーツ姿だが、明らかにカタギの雰囲気ではない。

「もう揃っているようだな」

 太くざらついた声で男が言った。

 流暢な日本語である。

「その二人が、受講者ということでいいのかな、アカネ」

「はい、左様です」

 アカネがカーテシーで挨拶をして、それから凪と空菜に振り返る。

「こちら、全界使用人協会会長のリカルド様です」

「使用人協会会長……?」

 思わず、凪は男を見る。

 巨大だ。

 まるで巨人のようである。外見年齢は三十代から四十代半ばだが、魔力の感じはもっと古い――――恐らくは旧き世代の吸血鬼であろう。『使用人』という肩書きが恐ろしく似合わない。

「昏月凪、です。よろしくお願いします」

「昏月空菜です。よろしくお願いします」

 威圧感を放つ大男に、凪と空菜は気圧されながらも頭を下げた。

「使用人協会会長のリカルドです。どうぞ、よろしく」

 リカルドはにかっと笑みを浮かべて言った。

 それまでの威圧感を吹き飛ばす人好きのする笑みであった。

「初対面で威圧するのはいかがかと思いますよ、会長」

「せっかくこんな見た目なのだ。少しは活用したいだろう。この国では、顔が知れてしまっていて面白みがないからね」

 アカネとリカルドが軽口を交わしている。

「ああ、すまない二人とも、席に着いてくれ。アカネも一緒にどうかな。久しぶりに、復習のつもりで」

「いえ、結構です。買出しに行かなければならないので」

「そうか。残念だ。主が一人とはいえ、この屋敷を少数精鋭で回すのは大変だな」

「そうでもありませんよ。楽しくやらせていただいてます」

 そう言って、アカネは笑う。

「凪様、空菜様。申し訳ありませんが、わたしはこれで失礼します。講義が終わった頃にまたお迎えに上がりますね」

 また一礼して、アカネが去っていく。残されたのは凪と空菜と会長の三名だ。

 そして、施設の結界が動き出した。

 時間操作の魔術で時間の流れが遅くなったのだろう。内部にいる凪と空菜には、実感がまったくないがもしも、外を眺めることができれば、外の人たちの動きが三倍速に見えるはずだ。

「うむ、ここを使わせてもらうのも久しぶりだな」

「あの、ここ使うことがあるんですか? 使用人協会とかで」

「もちろんだとも。時間遅延魔術を組み込んだ施設は世界中のどこを探してもここだけだからね。短時間でみっちりトレーニングをするには、優れた施設と言えるだろう。まあ、三倍速で歳を取るので、それを嫌う人もいるがね」

「日本語、お上手ですね」

 と、凪が言う。

 先ほどからずっとリカルドは日本語を話している。

「ん? ああ、日本語はビジネス界では必修だからね。暁の帝国の台頭は、そういった分野にも影響しているのだよ。それに、一流の使用人ならば三ヶ国語は話せなければね」

 暁の帝国の公用語は日本語だ。

 そして、暁の帝国の技術力は世界屈指である。ビジネスマンの間で日本語の人気が高まっているというのは、世界の科学技術をどの国が牽引しているのかということを如実に表しているのだった。

 リカルドはジャケットを脱いだ。

 ワイシャツが筋肉でパツパツになっているではないか。

 ボディビルダーのような魅せるための筋肉ではない。この筋肉は、戦うための筋肉である。

「さて、ではさっそく始めよう。時間に融通が利くとはいえ、無駄にしていいわけではないからね。一時間目は、調理の基礎中の基礎からだ。うん、君達の国では家庭科と言ったかな。調理に裁縫、掃除まで学校で教えてくれるというのはすばらしいことだ。我が国は、その辺まだまだでね」

 リカルドはにこやかにマジックペンのキャップを外した。

 凪は手元に視線を向ける。

 分厚い教本がそこにあった。ノートとシャーペンもきちんと揃えてある。

「まずはテキストの三十ページから始めるぞ。私が教鞭を取るからには、三日で使用人検定の三級程度は軽く合格できるようにするから覚悟するように」

 そして、突然始まった勉強会は凪の想像もしていなかった展開に進んでいく。それは頭も身体も使う、厳しい戦いであった。

 

 

「脇が甘い。膝もきちんと曲げろッ。礼は基本中の基本だぞッ」

 空菜に指導が飛ぶ。

 カーテシーのやり方を徹底的に仕込まれているのだ。

 その隣で、凪は右足を引き、左手を腹部に当てた姿勢のまま固まっている。「正しい姿勢を身体に覚えこませる」という方針の下で、十分近くこの姿勢を維持しているのだ。

 二時間に及んだ座学の後で待っていたのは、お辞儀の基本講座であった。

 もちろん、それまで和風の、それも正式なものではない学生レベルのお辞儀しかしてこなかった凪と空菜にとって本場の執事とメイドの礼儀作法など門外漢だ。空菜も知識としては知っていたが、実際に使ったことなどなかったので指導が入ってばかりである。

 初めは気恥ずかしさがあったのだが、会長は本気だ。熱意を持って指導してくれる。攻魔師として必要かどうかは別として、これは適当に流していいどうでもよい勉強ではないということは確かだ。

 凪は途中から無心の境地に至っている。空菜はどう思っているのだろうか。彼女は恐らく、凪に巻き込まれただけだ。

「何より必要なのは敬意だ。敬意は行動によって表される。執事なら執事、メイドならメイドの作法をきちんと守り、示すことが、相手だけでなく、『礼』の文化と歴史に対しても敬意を示しているということになるのだ」

 自論を熱く語りつつ、身体を傾ける角度から言葉遣い、時に表情に至るまで指導が入る。普段、表情の変化が少なく感情表現が苦手な空菜が大いに苦戦したところである。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおッ」

 凪が吼える。

 魔力で肉体を強化して、リカルドに立ち向かう。

 相手は身長二メートルに達する筋骨隆々な魔族である。それも、話を聞けばかつては軍に所属していたという。この肉体を見れば、まったく驚くに値しない。むしろ、軍人でないことが驚きである。

 凪が手に持つ竹刀が、小枝のように見えるくらいの鍛え抜かれた肉体だ。

 座学ばかりでは飽きるだろうと、この日の後半は模擬戦となった。

 凪と空菜が二人掛りでリカルドに挑む形となる。

「いい動きだ。相当に仕込まれているな」

 感心したようにリカルドが呟く。

 向かってくる凪の竹刀を自分の竹刀で受け流す。力任せに振り回すのではなく、確かな技術で竹刀を振るっている。力と技を高い次元で組み合わせた軍人の剣だ。

「実戦経験も何度かあるのだろう。今の時代、その歳で現場を知る者はそうはいないな」

 空菜が紡いだ風の魔術を易々と斬り裂くリカルド。

 素早く動く凪の額に竹刀を打ち込む。

 凪はそれを紙一重で回避する。

「素晴らしい。しっかりと見えているな」

 リカルドは凪の動きを高く評価している。

 十五歳という年齢にしては、凪の戦い方は様になっていると見える。リカルドの剣を紙一重で回避する反射神経だけでなく、リカルドの動きをきちんと目で追っているところが高評価だ。優れた直感の持ち主だと聞いてはいたが、目もいいらしい。これは普段から厳しい鍛錬を積んできた証である。一朝一夕に身に付くものではないし、生まれついて才覚があっても鍛えなければ使い物にはならない技術だ。

 空菜のほうも、同様だ。あちらも近接戦も魔術も眷獣も使いこなすという異彩を放つ少女である。どちらも大きな可能性が未来に広がる人材だ。惜しむらくはこの国の人間ではないということだろう。

小さな黄金(タイニー・アウルム)ッ」

 黄金に輝く雷光の豹が、リカルドの視界に紫電を走らせる。

 吸血鬼ではないのに吸血鬼の特性を有する珍しい体質だ。

 それゆえに眷獣の召喚もできる。ここ数ヶ月、吸血鬼化の進行により眷獣を使用する際の負担も大きく減ってきている。以前はこの小さな黄金すら召喚するだけで表皮が裂けて血が噴出す有様だったが、今はそこまでのダメージはない。

 眷獣としては非力な小さな黄金だが、雷光の豹らしく速度は最高峰である。速く鋭く相手に迫り、一撃を加えるのがこの眷獣の使い方だ。

「まだまだッ」

 轟、と魔風が吹き渡る。

 瞬間的に膨れ上がった魔力が、指向性を持つ風の弾丸となり、性格に小さな黄金の身体を跳ね飛ばしていた。リカルドが飼う眷獣の力だ。完全に召喚せず、その能力だけを顕現して見せたのだ。それだけで、凪の眷獣が打ち消される。

 空菜が魔力の暴風を斬り裂いて進む。眷獣を顕現させずに能力だけを身に纏うのは、リカルドの特権というわけではない。

 空菜の刃の白銀(シーカ・アルゲントゥム)は、魔力を無効化し、斬り裂く眷獣だ。零菜の槍の黄金(ハスタ・アウルム)よりも幾分か性能が劣るものの、相手が魔力による干渉をしてくるのであれば滅法強い。対魔術、対眷獣の戦闘では反則級の能力だ。

 刃の白銀の能力を全身に纏わせた空菜の拳は、吸血鬼の再生能力や獣人の魔力強化済みの肉体強度を貫通し、ダメージを与えることができる。

「よしよし、なかなかだぞ」

 空菜の能力を把握していたリカルドの表情に焦りはない。

 空菜の拳をいなしたリカルドは、足払いをかけて空菜の体勢を崩す。思わず踏ん張ってしまったところで、リカルドに捕まった。右手を掴まれてあっさりと振り回された挙句に、凪に向かって投げ飛ばされる。

「んきゃッ!?」

「うおッ!?」

 バタバタと音を立てて転がる二人。

「二人とも筋がいい。特に眷獣の使い方。眷獣は力の塊だ。ただの人間が相手なら、適当に暴れさせるだけでも十分脅威を与えられるだろう。だが、理性ある吸血鬼ならば、その力の塊をただ暴れさせるだけでなく、如何に戦闘に組み込むかを考えねばならん。その点、昏月兄妹はよく徒に力を使うだけでない分のびしろがありそうだ。まあ、眼に頼りすぎているという欠点もあるがね」

「ありがとうございます……何と言うか、お強いですね」

「若者に負けていられんよ。重ねてきた年月も時間も違う。十年二十年で追いつかれるわけにはいかないだろう。それに、最高の執事というのは最高の兵士を兼ねるものなのだよ」

 得意げに話すリカルドの言葉に嘘はない。

 彼はそう信じて徹底して自分の技術を鍛え上げてきたのだ。それこそ、百年単位で磨いた技術だ。凪と空菜が例え超天才児だったとしても、十五年程度の年月を超えられるほど、彼の研鑽は安くはない。

「さて、ほどほどに動いたことだし、本日の復習をして終わりとしよう」

「ほどほど、ですか……」

「もう疲れました」

 げっそりとした表情で愚痴を言う二人。

 座学も組み手も、想像以上にハードだった。

 体力も魔力も気力もガリガリと削り、頭と身体にリカルドの語る使用人を叩き込んでいく作業である。

 座学や身体能力に於いて凪を上回る空菜ですら、疲労困憊といった様子だ。

 何度も何度も投げ飛ばされて床を転がり、腱鞘炎になろうかというくらいノートを取った。九時間に渡った講習は、体感でそのさらに三倍もの時間を費やしたようで、途方もない密度であった。これが、後二日も続くのかと思うと気が滅入る。

 あまりにも突然始まった地獄の講習会だ。もともと勉強することがあればいい、という程度の気分だった凪にとっては不意打ち極まりないものだが、だからといって異国の地では逃げ出すこともできない。何より、弱音を吐いたり逃げたりするのは恥ずかしいと感じる心が凪にはある。方法はどうあれ、那月がお膳立てしてくれたことに変わりはなく、旅費は暁家負担なのだ。ならば、この講習も食らい突いて乗り越える。那月の説明不足は今に始まったことではないし、講習内容は確かに凪の将来にも関わる貴重なものだ。これを学習し、自分の血肉にすることこそ自分が今するべきことなのだと凪は心身を奮い立たせた。

 

 


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