二十年後の半端者   作:山中 一

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第五部 五話

「だるい」

 朝起きて、最初の一言がそれだった。

 三十八度二分――――旧式の脇に挟むタイプの体温計の無情な機械音が妙に耳障りだった。二度三度、測りなおしてみたが結果は一分二分程度の増減を示すだけで誤差の範囲内だ。とどのつまりは熱がある。平熱が三十六度五分程度の暁東雲にとっては超高熱である。

「風邪ですね」

 と、往診に来た医者は言った。

「吸血鬼のわたしが風邪なんて、そんな、ゲホゲホ、ありえない、ゲホ、おえ……」

 しゃべりながら咳をして、それで咽て胸を叩いた。

「吸血鬼でも風邪を引かないことはないですよ。まあ、薬を飲んでゆっくり寝てれば、すぐに良くなりますよ」

 祖母の深森と同じタイプのハイパーアダプターだというこの医師は、簡単な触診だけで東雲の風邪が重篤なものではないと判断した。

「今日、人が来るし、この時期に風邪とか困る」

「お祭も近いですからね。東雲さんは吸血鬼ですし、そこまで長引くことはないと思いますよ」

「……ありがとうございます。薬は早く効くのがいいです。ゴホッ、ゲホッ」

 四日後の二月十四日は、混沌界域におけるチョコ祭の日だ。バレンタインデイに感謝の印や好意の表れ、あるいは友情の確認のためチョコレートを贈る風習は日本発祥で、暁の帝国にも当然のように根付いている文化だが、それをジャーダが取り入れて始まった祭である。

 混沌界域は、何といってもカカオの原産地だ。三千年以上も前から様々な用途でカカオを利用してきた。ジャーダにとっても大切な作物である。それを、世界的にアピールしながら、内需を増やす目的で始めたチョコ祭は、どちらかというと奇祭の一つとして認識されている。首都で行われるチョコ合戦は、毎年、各国から多くの記者や観光客が訪れる一大イベントへと成長した。

 東雲も一般参加枠で突撃予定だったので、祭を直前に控えた段階での体調不良はショックだった。

「ふぐぐ……」

 ベッドに横になり、唇を噛み締める東雲。

「ゲホ、喉痛い……頭痛い……ゲホ、ゲホ」

 マスクをかけて冷却シートを額と脇に貼り付けている。

 透き通った白い頬は、熱のせいで真っ赤になっている。

 全身に倦怠感があって、異様に寒い。

 ただでさえ喉が痛いのに、咳をするたびに肺が痛む感じがして苦しい。

 記憶にある限り風邪を引いたことのない東雲にとって、これは想像以上の苦行だった。

「お水をお持ちしました、シノ様」

 ノックの後に寝室に入ってきたのは、メイド服を来た女性だった。

 スレンダーな身体つきだ。身長は空菜と同じくらいで、東雲よりも少し年上に見える。外見年齢は、十代後半から二十代前半といったところだ。吸血鬼でなければ、きっとそれくらいであろう。内側に緩くカールしたボブカットの黒髪にブルーの瞳で、アジア系ともラテン系とも見える顔立ちだった。

 アカネ・シルバ――――東雲がこの国に来た頃から仕えているメイドである。

「ありがと」

 東雲はコップの水をごくごくと飲んだ。

 寝汗をたくさんかいていたし、喉も痛かったので、冷たい水がありがたかった。

「汗が拭きますから背中を向けてください」

「んー」

 東雲はのっそりと起き上がり、言われるがままに背中をアカネに向けた。

 アカネは東雲の桃色のパジャマを捲くり、柔らかい新品のタオルで背中の汗を拭き取る。

「後でシャワー行きたい」

「熱の様子を見てからですけど、肌を清潔にするのは大切ですからね」

 そう言いながら、アカネは東雲の背筋に指を這わせた。

「はわッ。ちょっと、変な触り方しないでよ」

「ふふ、すみません。すべすべだったのでつい」

「もう……」

 だるそうにながらもぷりぷりと頬を膨らませる東雲。

「……それでは、前もしましょうか」

「前はいい。自分でできるから」

「いえ、しかし、病床のシノ様のお手を煩わせるわけには参りません。ここは、このアカネにすべてお任せを」

「だから、いいってば」

「……分かりました」

 不承不承といった感じで、アカネは東雲から離れた。

「新しいタオルはここに置いておきますね」

「ん」

「それと、こちらに水も用意しておきます」

「ん」

 ごろり、とベッドに寝転がった東雲にアカネは話しかけた。新品のタオルとコップ、そしてスポーツドリンクをベッド脇の書棚に置いた。

「ねえ、そういえば、薬は?」

「お持ちしております。シノ様が早く効くのがいいと仰ったので、一番即効性のある薬を処方していただきました」

「え、ほんと? ありがとー」

 東雲はすぐにでも回復したいのだ。

 風邪が思いのほか苦しいということもあるが、何よりも祭に間に合わせたいというのがある。

 予定通りなら、凪と空菜が今日にも到着するだろうし、心配させたくもない。

「食前に一粒ということですので、ええと……今は正午前ですので、ちょうどいいかもしれませんね」

 薬袋の説明書を読み上げたアカネが、がさがさと袋を開封した。

「今、やってしまいますか?」

「ん? んー、そうだね。早いに越したことないし、ゲホ……ぇほ、うー、苦しい」

「では、分かりました」

 アカネは、薬袋から一回分ずつに分封された薬を取り出す。透明なビニールの袋に入っているのは、一粒の紅白のカプセルだ。

「何か、大きくない、それ……? 飲むの大変じゃない?」

 カプセルは、一センチを越える大きさである。水で流し込むにしても大きすぎる嫌いがある。普段から薬を飲む機会のない東雲としては、もっと飲みやすい大きさの薬を処方して欲しかった。

 吸血鬼用の風邪薬が、あまりないということもあるのかもしれないが、患者が楽になるよう小型化してもいいのではないか。

 そんな風に思って、疑問を呈したのであるが、アカネはきょとんとした顔で首を傾げる。

「飲む? これを飲んだらダメですよ」

 と、言った。

「え?」

 東雲の目の前で、アカネが医療用の使い捨てゴム手袋を装着している。日夜、洗剤や冷水などの様々な刺激からメイドの手を守る必需品である。

 ゴム手袋をした手で、アカネは薬の封を切り、カプセルを指で摘んだ。

「シノ様、お尻を出してください」

「へ……?」

「きちんとお尻を出してもらわないと、座薬を入れられないじゃないですか」

「ざ、座薬? そんなの頼んでないし……ゲホッ……嫌なんだけど」

 さっと顔を青くする東雲。

「この歳になって座薬とか、無理なんですけど!」

「何言ってるんですか、年齢とか関係ないですよ。これは、医療行為です」

「やだ、恥ずかしい!」

「もう、我侭言わないでください。シノ様が即効性のある薬を求められたので、お医者様がわざわざ処方してくださったのですよ」

「う、それは……でも、座薬とか、女子高生にとって抵抗があるというか……とにかく、無理だってば、ぅゲホッ、ェホッ」

「ほら、大声を出すから……まったく、そんな状態で昏月様方をお迎えするつもりですか?」

「それは……」

 東雲は言葉に詰まる。

 わざわざ、海を渡って暁の帝国からやって来る凪と空菜を熱を出したままで迎えていいのかと言われると、それはダメだと思う。しかし、だからといって飲み薬ならばまだしも座薬というのは極端な選択肢ではないのか。十六歳の乙女として、これは大きな決断だ。確かに、座薬のほうが飲み薬よりも効くのが早い傾向があるというのは聞いたことがあるし、即効性の薬を求めたのは東雲だ。

「とにかく、今は、心の準備が」

「服薬時間も決まってるんですから、大人しくしてください。大丈夫ですよ。わたし、病院実習で座薬打つの、誉められたんですから。少なくとも痛みはないです。むしろ、皆さんもっともっとと大変喜んでいただいたくらいです」

「え、何それ、ほんとに座薬だったの!?」

「シノ様、あまり興奮されると熱が上がりますよ」

「誰のせい、あ、ちょっと、待って、やめ……ゲホ、ゲホ、ぅあ」

 医療拒否する主人を手早く組み伏せるアカネ。我侭な主人を素手で制圧するのも従者の務めとばかりの手際のよさである。

「や、やめて、離せぇ」

「当身」

「う……ッ」

 ジタバタする東雲に、アカネの右手が閃いた。

 一瞬の出来事であった。痛みを感じる間もなく、東雲の抵抗が刈り取られたのである。

 六年の付き合いになる親友とも言える相手に、座薬攻撃を仕掛けられるという乙女として終わってしまいそうな展開に羞恥心で血流が上がり、高熱で意識も朦朧としてきた。

「ふふふ、これは、医療行為、ですからね、大人しくわたしに身を預けてくださいね」

 なにやら頬を上気させたアカネが東雲の服に手をかける。

 二度と風邪を引かないと、東雲はブラックアウトしそうな意識の片隅で誓った。

 

 

 

 ■

 

 

 

 凪の受験は無事に終わった。

 目標に定めていた高校への進学が決まり一安心。中学に行く必要性もなくなり、入学式までは悠々自適な生活ができるようになった。

 空菜も彩海学園に合格したので、最低限の行き先は確保できた。三月に入ってから、凪と同じ高校の一般入試に臨むが、彼女の成績ならば心配はないだろう。単純な知識を競う問題で、後れを取ることはない。そもそものスタートラインが他の学生と違いすぎている。

 受験が終わり、行き先が決まったので、凪は心置きなく海外渡航ができるようになった。

 母がアルディギア王国で生活していることもあって、パスポートを所持していた凪だが、暁の帝国から出るのは初めてだった。

 第三真祖が治める混沌界域は、暁の帝国の友好国の一つである。

 中米から南米にかけて勢力を有する熱帯の国である。

 日本から見れば、暁の帝国は南国ではあるが、混沌界域からすればまだまだ序の口である。赤道直下にあるこの国は、一年を通して熱く、湿度が高い。飛行機から一歩外に出れば、その環境の違いを実感することができた。

 混沌界域は、豊かな国だ。アメリカ大陸の中で、最も成功している国と言ってもいいだろう。その理由こそが、第三真祖の存在である。

 真祖は単独で一国の軍と同じ扱いを受ける。それだけ、強大な力を有している。夜の帝国は、真祖という強力な軍事力を中核として、その地域で数千年に渡って力を誇示し続けてきた。誕生から現在まで、敗戦らしい敗戦がなく、首都が戦火に曝されたことはほとんどない。中南米の盟主として君臨する混沌界域は、それだけ経済的にも軍事的にも安定している。世界的な人魔協調路線が四十年以上になり、北方のアメリカ連合国にも国際的に優位になっている。

 いずれにしても第三真祖ジャーダ・ククルカンという絶対盟主がいる限り、この国は政治的にも軍事的にも安定し続けるだろう。

 そんな混沌界域に、凪が足を踏み入れることになったのはジャーダからの招待状によるものだ。

 古城に届いたそれは、非公式に古城の娘達を混沌界域に旅行させてみないかとの誘いであり、そこに凪と空菜の名もあった。

 ただし、凪と空菜は旅行ではなく、短期留学という名目である。

 攻魔官を目指す凪にとって、外国の夜の帝国を見ることのできる機会は重要だ。夜の帝国の仲間入りを果たしたばかりの暁の帝国からしても混沌界域は学ぶところの多い国である。こちらの攻魔官とも関われる機会があるのなら、それは喜ぶべき経験である。

 学校の勉強は面倒だと感じる凪だが、攻魔官に関わりがあるのなら積極的に取り組めるのだ。

 受験が終わり、ほっと一段落ついたところだ。

 海外旅行気分も上乗せして、凪はスーツケースを引っ張って熱帯の国に降り立った。

「何、この国、暑い」

 さっそく不平を漏らしたのは空菜である。

 初体験の混沌界域は真夏のど真ん中である。最高気温は四十度に到達しようとしており、高温多湿の環境は不快指数を桁外れに跳ね上げる。

「息苦しい。ジワジワ来るな、これ」

 照りつける太陽に焼かれ、吹き渡る熱風を浴び、あっという間に汗が噴き出してくる。

 湿度が高いせいで汗が揮発せず、滝のように流れ出ていく。

 アスファルトが高温で溶け出しそうになっている。陽炎がゆらゆらと揺れて、世界そのものが蒸し風呂になっているかのようであった。

 凪と空菜は快適な空港のターミナルビルから外に出て、熱帯の洗礼を浴びることになった。

 話には聞いていたが、実際に体験してみるとその不快感が桁外れだ。

 夏の暑さが当然のように人の命を責め苛む。

 中東の国々もそうだが、地域によっては夏という季節そのものが強大な敵として現れることもある。暁の帝国の夏などまだましな部類だ。

 二月十日、生まれて初めての混沌界域デビューは、想像以上の環境の違いに困惑するというスタートであった。

「この後は、迎えが来るんでしたよね?」

 と、空菜が言う。

「そのはず。待ち合わせはここでいい……と思う」

 なかなか勝手が分からない異国の地である。

 英語とも異なる文字は、まったく理解できないので携帯に頼るしかない。

 東雲からの連絡では、空港のロータリーに迎えを寄越してくれるということだが、果たしてどこにいるのか。

 何かの行き違いでもあったのだろうか。東雲に連絡をしようかと思い立ったとき、凪たちの前に黒塗りの車が停まった。

 助手席のドアが開いて、スーツ姿の女性が下りてきた。

「昏月様ですね? 遅くなって申し訳ありませんでした。初めまして。シノ様の身の回りのお世話をさせていただいております、アカネ・シルバと申します。シノ様の命により、お迎えに上がりました」

 アカネと名乗ったスーツの女性は、人好きのする笑みを浮かべた。少し年上に見えた風貌は、その笑みで若干幼く見えるようになった。

「あ、はい……ありがとうございます」

「それではどうぞ、お乗りください。まずは、お屋敷にご案内しますね」

 どうぞ、と後部座席に乗るように勧められる。

 中を覗くと奥行きがあってゆったりとしたシートだ。

 無駄な装飾は見当たらないが、素材にしっかりとしたものを使っているという印象だ。

 巧妙に隠されているが、この車には防護術式が何重にも仕込まれている。真下で爆弾が炸裂しても、この車は無傷で装甲を続けるだろうと思えるほどの頑強な設計だ。

 日常生活で乗る車は、路線バスが精々の凪からすれば、セレブ御用達の高級車に乗り込むのは気後れする。緊張しながら促されるままに後部座席に乗り込んだ。

 重厚感のある外観とは裏腹に、ゆったりと車は走り出した。

 暁の帝国とはまったく異なる景色が左右に広がっている。

 海に面した空港の周囲は自然が多く、地平線は連なる山脈によって隠されている。

「本物の山だな」

「本物の土の畑でしたね」

 凪と空菜は物珍しそうに外を眺めた。どちらも暁の帝国では見る事のできない貴重な光景だ。

「山も畑も珍しいですか?」

 と、アカネは尋ねる。

「はい。うちは人工島なので、山も畑もないんですよ」

「あッ、なるほどー。そうですね。言われてみれば、確かに」

「山は人工物ですし、畑はバイオプラントですからね。個人農家なんてほぼいないんじゃないですか」

 暁の帝国が他の国々と違うのは、一から人間が作り出した海に浮かぶ人工島という点だ。鉄と石と魔術で構成された国土には、天然の土は算出しない。海洋資源開発で出た海底の土から塩分を除去して、国営公園の造園に充てていたりはするが、他所から土を持って来てやっと緑が生きられる環境ができるというのは、大地に根付いた伝統的な農業と相性が悪すぎる。

「そういえば、暁の帝国は世界で最もバイオプラントが発達した国なんて言われてるんでしたね」

「そんな風にも言われているみたいですね。ないと困りますし」

 大工業国である暁の帝国の弱点は、食糧自給能力の低さにある。

 海洋資源に恵まれているとはいえ、土がないので農業が育たない。喫緊の課題として、安定した農業生産物の供給が挙げられ、長年バイオプラントの拡張と効率化を推進してきた。

 食料を輸入に頼っていると、海上封鎖をされた際に受ける打撃が大きくなりすぎる。

 太平洋に浮かぶ暁の帝国と中南米の混沌界域の「仲のよさ」は、海を挟んで隣国であるというのも大きい。この二カ国が友好関係にあれば、簡単に海上交通を麻痺させることはできない。

「ところで、今日、東雲さんはどちらに?」

「シノ様は、お屋敷におられます。本当は、ここに来る予定だったのですが、風邪を引かれまして」

「え、風邪?」

「はい。今はベッドでお休みになっております」

「そうですか。大丈夫なんですか?」

「大したことはないですよ。騒ぐ程度には元気がありますから」

「騒いだんですか……」

「ええ、まあ色々と」

 騒ぐ東雲というのは、もともとのフランクな性格もあって想像に難くないが、我儘を無理強いするタイプではない。いったい、何があったのだろうか。

「まあ、気にしなくて結構です。今頃はお目覚めになり、ベッドの上でゴロゴロしてる頃でしょうし」

「本当に大したことなさそうですね」

「ただの夏風邪ですから」

 不老不死の吸血鬼も風邪を引くことはある。

 不老不死なので大抵の細菌やウィルスは効かないのだが、精神的な不調で体調を崩したり、魔力欠乏で倒れたりと、如何に不死の呪いを持っていても、どんなときにでも万全の体調を維持できるわけではないのだ。

 それでも、第二世代の中でも肉体的なスペックは最高純度で、最も真祖に近いとまで言われる東雲が風邪というのは、珍しいことではある。それをただの夏風邪で済ませてよいものなのかどうか、凪は心配になる。

 空港から市街地まではバイパス道路が一直線に走っている。いつの間にか畑はなくなり、住宅街を見下ろす高台に到達していた。起伏の激しい地形は、それだけで平坦な街に生きる凪にとっては新鮮だ。

「ああ、見えてきました。あちらに見えるのがシノ様のお屋敷です」

 住宅街の中にひと際大きな建物がある。西洋風の庭園が整備された白磁のように白い建物は、暁の帝国の領事館で、領事館と接続する洋館が東雲の屋敷である。

 写真では見たことがあるが、とても立派な建物だ。もともとは庁舎の一つだったものを改装し、暁の帝国との友好のため、ジャーダから寄贈されたものであるという。

 領事館の裏手から、敷地の中に入る。屋敷の前で凪と空菜は車を降りた。

「それでは、中にどうぞ」

「お邪魔します」

 アカネに促されてエントランスに入る。

 ここもまた高級感が漂うエントランスだ。高い天井にシャンデリアが吊るしてあり、なんだかよく分からない絵画が壁に列を成してかかっている。

 中世の城かそれをイメージしたホテルを思わせる。

 タワーマンションをワンフロア丸々暁家のものにしているが、敷地面積はここのほうがずっと広いだろう。

「ここに一人で住んでるんです? なんか、お姫様みたいですねぇ」

「お姫様なんだよ、アイツは。正真正銘の……」 

 親族ということもあって忘れがちだが、東雲は第四真祖の娘だ。一国の皇帝の娘なのだから、お姫様という表現はまさにそのまま適用される。

「凪ちゃん、空菜ちゃん、いらっしゃーい。待ってたよー」

 と、声が降ってくる。

 東雲が二階から手を振っていた。

「シノ様、お目覚めになったのですね。体調は如何ですか」

「まあまあ……喉痛いし頭も痛いけど、朝ほどじゃない。ていうか、なんだか酷い目にあった気がする」

「気のせいでしょう」

「そうかな」

「はい」

 しれっとアカネは答えた。

 熱のせいか、医者の往診以降の記憶が途切れ途切れになっているのだ。

「凪様と空菜様のお部屋をこれから案内します。シノ様はもうしばらくお部屋でお休みください」

「えー」

「風邪をうつすと大変です」

「……まあ、そうだけどさー」

 不満げにしながらも、東雲は引き下がった。

 自分だけならばともかく、凪と空菜に風邪をうつすことがあってはならないからだ。

「後で診に行きます。その時に熱が下がっていれば、多少自由にしてもいいと思いますよ」

「はいはい、じゃあ、お言葉に甘えて休んでますよ。じゃあ、またね」

「ちゃんと、休めよ、病人なんだから」

 風邪を引いたという情報しかない凪は当たり障りのない声かけをする。東雲は小さく笑って、奥に去っていく。

「さて、お部屋にご案内しますね。それから、着替えをしていただきますので」

「着替え?」

「はい。一先ず、こちらへ」

 凪と空菜は屋敷の奥に案内された。

 宛がわれた部屋は二階で、凪と空菜にそれぞれ一つずつだ。内装は同じで、普段使っていない来客用の部屋だそうだ。

 大きな屋敷に東雲とアカネと若干の使用人だけでの生活だ。使わない部屋も多いのだとか。

「着替えはこちらで用意したものになります。一時間後に呼びに来るので、それまでに着替えてくださいね」

 そう言い残してアカネは部屋を出て行った。

 取り残された凪は、とりあえずテーブルの上に置かれた着替えを手に取る。

 ジャケットにベスト、そしてスラックス、ワイシャツもある。衣服に詳しくない凪でも、それがスーツ一式であることはさすがに分かる。

 式典であっても学生服で出席できるので、あまりスーツを着た記憶はないのだが、この屋敷に相応しい服装と考えると納得もできる。

 トントン、とドアをノックされる。返事をすると、空菜が入ってきた。

「その格好……?」

 凪は驚いて、言葉をなくした。

 現れた空菜は、伝統的なヴィクトリアンメイド服と編み上げブーツという組み合わせであった。

「それが用意されてたの?」

「はい。メイド服、ですね。クリスマスに零菜が着ていたものと同一……いえ、こちらのほうが本物っぽいですか」

「多分、ガチの本物なんだろうな……零菜が着てたのは、コスプレ用のはずだし」

 クリスマステロの際に、零菜が那月に押し付けられたメイド服は、ヴィクトリアンメイドではあったが、コスプレの域を出ないものだった。那月の自宅にある多数のコレクションの一つである。しかし、空菜が身につけるメイド服は現役のメイド服である。

 混沌界域では、今でもヴィクトリアンメイドが現役で採用されている。これは、ジャーダの趣味を受けてのものだという。

「どういうことでしょう。凪さんのそれも、たぶん執事服になるんですよね」

「この流れだとそうなんだろうな」

 空菜のメイド服は大変可愛らしいのだが、これから執事とメイドとして東雲に関われということなのだろうか。一時間後にアカネがやってくるということのなので、そこで説明があるはずだが、何かしら役割を与えられることになりそうだ。


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