魔族の中でも最強と名高い吸血鬼。その吸血鬼の中でも最も古く、すべての吸血鬼の祖となったとされる存在が真祖である。第一から第三までの真祖が、古よりこの世にあり、二十年前に第四真祖がそこに加わった。彼等は存在そのものが天変地異と等しく、単独で一国の軍隊と同等の扱いを受ける正真正銘の怪物だ。
真祖たちはその圧倒的な力を背景に人と魔族を束ね、国家を形成している。吸血鬼の帝王が統治する国を
ここはその内の一つ、中央アメリカにある夜の帝国――――混沌界域。第三真祖、
一月の末。
年末年始が終わり、何かと騒がしい日々が過ぎ去って、ようやく落ち着きを取り戻した頃である。混沌界域であっても、国際的な暦を導入しているので、この辺りは変わらない。他国と異なる文化風習はあるものの、年末年始を祝うという全世界的なイベントはこの国にも根付いている。
ジリジリ、という擬音がぴったりだろう。
太陽照りつける「真夏」の混沌界域は、熱帯に属するためにかなりの高温多湿だ。日本の夏とか、まだまだ甘いのだ。
内心で多種多様な文句を並べ立てながら、暁の帝国からの留学生である暁東雲は汗を拭いながらゴミ袋をゴミ集積所に放り投げた。
混沌界域は中央アメリカだ。赤道直下。四季らしい四季はなく、雨季と乾季の二つに一つだ。そして、今は乾季である。雨が降らず、日がな一日太陽がガンガン照りつけてきて、高温多湿が加速度的に高まっていく最悪の季節。一般に、混沌界域ではこの乾季を夏と呼ぶ。
「あっちー、もー帰りたい」
と東雲は一人ごちる。三週間前まで実家に帰省していた。暁の帝国も赤道よりではあるので気温は高いが、それでも真夏の混沌界域に比べればずっと過ごしやすい気候ではあった。ジメジメジリジリカンカンと日光と湿度のダブルパンチは体力に自信のある東雲をも蝕んでいる。
学校の電光温度計に表示された気温は摂氏四十五度。普通の人間であれば、日焼けからの水ぶくれも考えられるし、命の危険もある気温だ。気象観測庁からは朝から高温注意を呼びかける案内が出されている。
曲がりなりにも吸血鬼が、全力全開の太陽光の下にいつまでもいるものではない。ゴミ捨てを終えた東雲は、さっさと校内に逃げ帰った。
「シノー、ゴミ捨て終わった?」
と、クーラーの効いた教室でトランプに興じている同級生が聞いてくる。人間の少女で、名前はティーラ。遠くからでも良く分かる眩い赤毛が特徴だ。
気温上昇により、授業は午前で切り上げだ。
この国ではよくあることで、四十度以上の気温になると休校になる場合があるのだ。クーラーはあるが、登下校に危険が伴う、などと言う理由で休校を選択する日もある。ヨーロッパだと二十五度以上で休校になる国もあるのだとか。
「ファッキンホット。まじで外やばいんだけど」
「何度だった? 見た?」
「四十五」
「何だ、昨日と同じじゃん」
「同じでもヤバさには変わりないからね」
五年近くこの国にいるが、この暑さはどうにも慣れない。体質的なものだろうか。
「てか、ティーラは暑さに強いよね。なんで? 人間なのに」
「人間のほうが環境適応力は高いって話もあるぞ」
横から口を挟んだのはティーラのトランプの相手を務めていたルイーズだ。ヨーロッパからの移民の子で、ゲルマン系のほっそりとした顔つきだ。ちなみに、戦王領域出身の吸血鬼を祖としている吸血鬼でもある。
「吸血鬼は世代交代が遅いからね。その点、人間の種としての強さじゃないかなぁ」
「そうは言うけど、わたし達、あんたらみたいに不死身じゃないから。死ぬときはすぐ死ぬから。あー、もう歳取りたくないよー助けてルイーズ」
「二十五過ぎて同じこと言ってたら、わたしの血の従者にしたげる」
「誠心誠意お仕えします」
吸血鬼と人間。見た目は同じでも生物としての差はあまりにも大きい。普通に会話を交わし、感情をぶつけ合うことができるのに、一方は不死身でもう一方はそうではないのだ。ティーラは、このままだと老いて死ぬ。東雲とルイーズは、どこかで成長を止めて、歳を取っていく彼女を見ていくことになる。血の従者にする以外にこの悲しい結末を避ける術はない。
とはいえ、そう簡単に進む話ではない。簡単に血の従者を作ってしまえば、世の中が混乱する。吸血鬼に人生を差し出してでも生き永らえたいという人間は枚挙に暇がない。吸血鬼と人間はそうした葛藤の中で共存の道を探っているのだ。
「ティーラの彼氏は吸血鬼じゃなかった? そっちに頼めばいいじゃん」
「もう別れましたけどー」
「え、ごめん。知らなかった」
思わず地雷を踏んでしまったことに焦る東雲。
「ふん、こっちから振ってやったっての。他の女の血を吸ったのよ。わたしに隠れて。最悪じゃない?」
「えー、うん。そうだね」
「あ、そんな風に全然思ってないな、コイツ」
「仕方ないでしょ。特別なご家庭の出身だしね。まあ、高位の吸血鬼がハーレム作るのは自然だから。わたしの爺さんもそうみたいだし」
東雲の考えを代弁するのは吸血鬼事情を肌で感じて育ったルイーズであった。
東雲が第四真祖の子であることも、第四真祖がハーレムを構築していることも知っている。無論、後者については世界的に知れていることではあるが。
「第四真祖はいいのよ。別に。でも、アイツはちげーから。ただの一般吸血鬼なんだからハーレムすんならどっかの領主になってからにしろってんの」
ぷんぷんと怒り心頭といった様子のティーラ。浮気をされたことがよほど腹に据えかねているらしい。
「吸血と言えば、シノは例のつがい候補とはよろしくやったの? 帰省したんだから、顔くらい合わせたでしょ」
唐突にルイーズが話を振ってくる。
「は? 何?」
「年末年始は実家戻ったんでしょ? で、お気に入りの男がいたはずだよね。それどうした? 番った?」
「番うとか、品がないな……」
「親に獣人が混じってるとどうにもねー」
「すべての獣人さんたちに謝れ」
「すんませーん」
と、まったく謝罪の気持ちなくルイーズは受け流す。
「それで、会ったの?」
興味深々なのはティーラも同じだ。
恋バナを先に振ったのは東雲だ。深掘りされるのは仕方がなかったのかもしれない。ティーラは彼氏と別れたというからこれ以上は突っ込めないし、ルイーズにも相手がいるのは確定していて、彼女の場合はそこを突いてもなんらダメージにならない。
彼女たちは細かいところまでは話していないものの、好意を抱く相手がいる程度のことは伝えていた。ならば、それが発展したかどうかを確かめたくなるのが人の情というものだ。
「会うのはね。当然、会ったよ」
「ほーそれで。キスとかした?」
「……実はした」
「マジ? え、ほんとに?」
ぐっとルイーズが身を乗り出すようにして聞いて来る。
「シノが? ほんとに? こういうことに関しては口だけのヘタレが?」
「ヘタレって言うな。何、その評価」
心外とばかりに東雲は机を叩く。
「そりゃあ、頭ン中で色々妄想してても実行に移せないならヘタレじゃん」
「そこは身持ちが固いとかでいいんじゃない?」
「でも、コイツ貞淑とかそういう言葉は似合わない気がするよ」
「うーん、確かに」
二人して勝手なことを言っている。
もちろん、東雲自身も自分に貞淑さを求められても困るとは思っている。大変遺憾ではあるが、友人二人の評価は的を射ているように思うのだが、それを他者に指摘されるのはあまりいい気がしないものだ。
「ん? てことは、番った?」
「番ってない」
「暁の帝国のラブホってどんなのがあるの?」
「行ったことないって。知らないわ、そんなん」
ルイーズとティーラの質問に正直に答える。
過激な話をしているようだが、年頃の女子の話はこんなものだ。
眼前の二人とは、それこそ留学してきた頃からの付き合いになるので五年弱になるだろうか。ずっと、こうしてつるんできた。進学してからもクラスが同じになり、変わらない顔ぶれに苦笑したものだが、少なくとも東雲よりもこの二人は「大人」だ。いつの間にか彼氏を作り、いつの間にか大人の階段を登っていた。ティーラに至っては先ほど別れたと言っていた男子は、中学時代から数えて三人目の彼氏だったはずだ。振るのも振られるのも慣れたもので、怒っているようではあるが、内心ではもう吹っ切れているはずだった。
彼女たちに限らず、同級生達は高校に上がった途端に次々と大人になっていく。クラスのグループも自然と高校デビューに成功した勝ち組は塊になっていることが多かった。
東雲が所謂勝ち組側にいるのは、見目麗しい美少女吸血鬼であるという点と友人二人が勝ち組側であるという点が大きい。
そんな友人二人に置いていかれまいと、つい対抗心から口をついて出たのが凪の存在だった。
付き合っているわけではないというのは前提としてあるが、どうにもティーラもルイーズも、ゆくゆくは付き合うのだろうという見立てで東雲に話を振ってくる。そういう甘酸っぱい展開があればいいなと思わないでもないが、生憎とこれまでにそういった出来事は皆無である。
凪と本気で関係を持とうとするのなら、それこそ積極的にアプローチを仕掛けていく必要があるだろう。彼の性格は分かっている。よほど琴線に触れない限り、恋愛面で自分から動くことはないはずだ。
むしろ、分からないのは自分の感情だ。果たしてどこまで本気で凪に好意を抱いているのか。恋愛らしい恋愛をしたことのない東雲では、妄想するのが精一杯だった。関係を無理矢理進めて、取り返しの付かないことになるくらいなら、現状維持でもいい。でも、他の娘と付き合うようになったらそれはそれでショックを受けることになるだろう。面倒くさいことこの上ないが、それが東雲の現状であり、同時に他の姉妹も同じような感情を抱いているはずだった。
「何、ほんとにキスまでなの?」
と、ルイーズが聞いてくるので、適当に頷いてみる。
まさか、自分の血を口移しで飲ませたなんて言えるはずがない。あれは、姉妹間だからこそカミングアウトできた話だ。
つまらなそうにする二人組み。東雲からすれば、あそこまで凪に迫ったことはこれまでに一度もなく、かなりの大事なのだが、ティーラとルイーズからすればまったくそうではないらしい。真の肉食系にとって東雲のような妄想主体の肉食系もどきは、端から相手にならないということだろう。
何ともやるせない思いを抱えて自宅に戻る羽目になった東雲。こっちにはこっちの都合がある、と内心で言い訳を重ねる。キスをしたと言ってしまったが、あれだって状況的には凪の力を目覚めさせるための儀式の一端でしかない。
あれで凪が東雲を意識するようなことがあれば儲けモノだが、凪自身があれを儀式で必要だったからだと納得している。あの男の残念な点は、まさにそういったところだ。状況が整えば、大抵の事は受け入れるが、そこから人間関係を派生させようという気概はない。基本的に受身で、押せば押すほど引いていくような感じすらする。正面から告白すれば、それに対して誠実に対応するタイプでもあるだろう。だからといって東雲から行動するということも、これまではなかった。
関係を変えるのが怖いという思いが頭を過ぎっている。
「ぬ、ノックくらいせんか」
自室のドアを開けると、見知った顔がベッドの上で漫画を読んでいる。ジャーダ・ククルカン。第三真祖その人であった。
「どうして、ここに?」
「何、貴様が帰国した際にメレンゲの最新刊を入手していたと風の噂で聞いてな。都合よく暇をしていたから入らせてもらった。許せ」
不法侵入を悪びれもせず、ジャーダは言ってのける。この国の最高権力者であり最高戦力でもあるジャーダは東雲の戦闘の師であった。アヴローラとの交友から、その娘である東雲にはよくしてくれるのだ。
「ジャーダ……漫画くらい、いくらでも読んでもらって構いませんが……しかし、真祖が漫画」
「娯楽は重要だぞ、東雲。統治者にとって臣民の心身を如何に安んずるかは重要案件。こういった読み本はな、古来、規制の対象として目を光らせるべきものでもあるのだ」
思いもよらぬ正論に、東雲は言葉を詰まらせる。
確かに、昔から風紀の乱れを糾すため、出版物を規制する統治者は少なくなかったし、出版物に干渉することで自らの権威付けに利用することもあった。現代の漫画ですらその表現等で賛否両論が巻き起こる。経済活動にも政治活動にも利用し得る漫画という表現媒体は、すでに子どもの玩具の次元を超えているのだ。
「長く生きると娯楽に餓えるようになる。愉しむためだけに突き詰めた空想というのは、それだけで価値がある。二十に満たぬ貴様には理解できぬだろうがな」
そう言いながらジャーダはページを捲る。東雲が暁の帝国で入手した最新刊だ。日本語でかかれたそれをジャーダは苦もなく読んでいる。
「あの、ところでアカネはどこに?」
アカネとは東雲専属のメイドの名だ。日系三世で、二つ年上。孤児となり行き場をなくしていたところをジャーダが気まぐれで拾い、メイドとして雇い入れた。あまり堅苦しいメイドを必要としていない東雲にとっても、メイド初心者だったアカネは受け入れやすかった。
「あれなら買い物に行かせた。ワインくらい常備しておけ」
「飲む人いないんですけど」
「
飲酒可能年齢は国によって異なる。暁の帝国は日本の法律を基にしているので二十歳以上となっているが、必ずしも世界中がそうではない。むしろ二十歳としている国は少数で、多いのは十八歳以上だ。さすがに、十六歳で飲酒ができる国となると少ないが、混沌界域はそんな数少ない国の一つであった。
「ああ、それとあれだ。明後日にな、あれが来る予定だ。言い忘れていたが」
「あれ?」
「貴様が入れ込んでいるプレイヤー。昏月凪とかいう名前だったか」
「は? え? なんで?」
「
と、本当に気まぐれを起こしただけのようだった。
「それと、来週には貴様の姉妹も来ることになった。バレンタインのチョコ祭りに合わせてな」
「どういう風の吹きまわしでしょうか……?」
今までにこんなことはなかった。混沌界域に来たことがある暁家の人間は子ども世代では東雲だけだ。
「風の吹き回しも何も、半年も前から計画していたことだからな。テロのこともあったから、どうしたものかと思ったが、実現できそうだから話したまでのこと。二月十四日のバレンタインにチョコを送る。うん、あれはいいアイデアだ」
バレンタインデイ。
それは二週間後に控えた日本及び暁の帝国で行われる重大イベントだ。厳密には他国でも同様の風習はあるのだが、日本と暁の帝国では女子から好意を抱く男子にチョコを送る日として定着している。ここ十数年は、友達同士であったり、感謝している相手であったりとチョコの送り先は大きく変わっているが、「チョコを送る日」という点は一貫している。
混沌界域では、この風習を利用して、バレンタインデイに合わせてチョコ祭りを開催しているのだった。それは、偏にこの国がカカオの、そしてチョコの最大の生産地であるからだ。
恋愛イベントにチョコを絡めた日本のメーカーのアイデアを拝借し、チョコの内需を活性化しつつ観光客を取り込むための一大イベントを企画したのは他ならぬこのジャーダである。
今年で十年目になるチョコ祭りは、溶けたチョコを手当たり次第にぶっ掛けあい、街中がチョコ一色になるチョコ戦争が最大の見所で、昨年は三日間で二百六十万人を記録している。
もちろん、東雲も常連だ。誰かれ構わずチョコをかけるチョコ祭りは、子ども達にも大人気なのだ。
「まあ、だから貴様に何かせよというわけでもない。せっかく親族がバカンスに来るのだから、一緒に楽しくやればよかろう」
ジャーダは適当にそう言って、別の漫画を漁りだした。暇というほど暇ではないはずだが、彼女にも息抜きは必要だろう。だからといって東雲の部屋で漫画を読み漁るのは如何なものかと思うが、フレンドリーな態度であっても一国の元首。世界最強生物吸血鬼の真祖である。なかなか、会話の距離感が難しい相手ではあった。子どものころのように無邪気に話しかけられる相手ではないのだ。
ともかく、重要なのは凪が来るということであって、できることならジャーダには今すぐにでも出て行ってもらって部屋の整理整頓をしたいところであった。