二十年後の半端者   作:山中 一

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第四話

 陽光の下を黒い傘が跳ねる。

 日の光。そして、紫外線は、吸血鬼はもとより乙女の天敵。不老不死ではあっても、人間と価値観をほぼ共通する昨今の吸血乙女たちは、もともとの体質もあって日光を嫌う傾向にある。生物学的視点ではなく、精神面での嗜好が影響しているというのが一般的な見方である。

 「吸血鬼が太陽を浴びると、老ける」

 何の根拠もない噂。

 そもそも不老の吸血鬼に老けるという概念は適応されにくい。個体差が非常に大きく、肉体の成長が止まる年齢は吸血鬼それぞれだが、大概が人間換算で十代から二十代の容姿を維持する。子孫を産み育てるのに適した肉体年齢で成長が止まるように、遺伝子にインプットされているのではないかという説もあるが憶測の域を出ておらず、結局は原因不明なままだ。

 とはいえ、吸血鬼の成長の度合いがどのように変わるのか不透明だということは、「もしかしたら」という憶測を生みやすい。

 紫外線対策が、人間の乙女の必須事項に挙げられていることも手伝って、吸血鬼の少女たちにも大きな課題の一つとして認識されているのだった。

 日本は梅雨明けを迎えた季節。

 “暁の帝国”はこの日も当たり前のように太陽が輝いている。

 下校時刻を迎えても、正午ごろと日差しの強さがそれほど変わらないような気がする、と吸血姫暁零菜は苦々しい思いで小石を蹴った。

 ギラギラと自己主張する太陽が憎い。陽光が身体を溶かし、アスファルトに吸い込まれていきそうになる。いっそ、そのほうがいいようにも思った。

(帰りたくないなぁ……)

 零菜はため息をつく。

 一週間のうち、四日間を零菜は戦闘訓練に費やしていた。

 中学に入ってから始まった実戦的な訓練。痛いし辛いし遊べないしで、まったく楽しくない。しかし、零菜は槍バカ(母親)に頭が上がらず、しぶしぶ訓練に付き合っているのだ。

 西に傾きつつある陽気な太陽とはうって変わって零菜の頭の中は沈鬱なままだ。

 母親の雪菜は零菜のことを思っているのだろうが、零菜からすればいい迷惑だ。

 あの堅物なところとか、気に障る。感性が合わないと言えばいいのだろか。零菜自身の顔立ちが母親の生き写しかと思うくらいに似ていることもあり、鏡を見たときなど一瞬冷や汗が出ることもあるくらいだ。

 違うのは、目の色と胸部。中学生でありながら、零菜の胸部は母親の上位互換と言ってもいいくらいになっている。おそらくは祖母の遺伝子であろう。そして、目の色は父親のそれに近い。光の加減によっては空色にも見える黒目である。

 父親から受け継いだのは、目の色だけではない。

 父親からは、膨大な魔力と不死の呪いを受け継いだ。成り上がりの吸血鬼よりも肉体のスペックは上のはず。

 しかし、零菜は母親にはまだ勝てない。仮に本気で殺しあったとしても十中八九敗北を喫するだろう。何せ、雪菜はあらゆる魔力攻撃を無効化する槍と第四真祖の眷獣という凶悪な組み合わせで敵を殲滅する大魔神だ。この支配から抜け出すには、せめて一矢報いる程度の実力を示さないといけない。

 肩を落として歩いている、まさにそのときだ。

 あ、と零菜は小さく声を漏らし、コンビニの軒下に小走りで駆け込んだ。

 黒い日傘に角度をつけて顔を隠す。

「凪君……?」

 そっと、見る。

 道路を挟んで反対側をスクールバッグを担いだいとこが歩いていた。通信端末を弄りながら、彼は零菜に気付かず自宅方面に歩いていく。

 その姿を、零菜は息を殺して見送った。

 そういえば、凪と最後に話したのは、いつにだったか。

 ほかの姉妹は頻繁に会っている娘もいるようだが、零菜に関してはこの距離まで近付くのも久しぶりだ。記憶にある限りでは、年末年始に顔を合わせたくらい。そのときも、会話がないわけではないが、零菜のほうが距離を取ってしまい、結局ギクシャクしたままで関係改善は遅遅として進んでいない。

 悪いのは、零菜のほう。

 分かっていても、一歩を踏み出せないでいる。

「あれ、零菜じゃん。何してんの?」

「あ、萌葱ちゃん?」

 話しかけてきたのは異母姉の萌葱だった。

 ウェーブのかかった長髪が、柔らかく風に踊る。仄かに、柑橘系の匂いが尾空をくすぐる。

「それ、香水? 柔軟剤?」

「お、気付くか。そうそう、今朝アルディギアの王室から贈られてきたばかりの新商品。零菜のも家に届いてるんじゃない?」

「アルディギア王室。ラ・フォリア女王から?」

「いや、クロエからだね」

「クロエちゃんか」

 暮らしている国が異なれば会う機会が減るのは当然である。零菜の父暁古城は多くの愛人を囲む艶福家であるが、その中でもアルディギア王国の女王が、古城と関係を持っているというのは周知の事実だ。アルディギア王国と“暁の帝国”は深い同盟関係で結ばれていて、経済的にも関わりが深い。クロエは、アルディギア女王のラ・フォリアと古城の間に生まれた娘で、零菜の一つ下の学年だ。

「で、零菜は挙動不審で何やってたのさ」

「え、わたし? いや、わたしはなんて言うか。まあ、ぶらぶらと」

「雪菜さんなら、今日は仕事が遅くなるから帰れないってさっき研究室に来たときに言ってたけど?」

「ほんと!?」

 萌葱の言葉に零菜は期待に目を輝かせて尋ねた。

「何か連絡入ってないの?」

 言われて、零菜はカバンから携帯電話を取り出した。四角い板状の通話機は二世代ほど前の機種だ。壊れていないので、零菜は買い換えていない。

 画面を眺めると、確かに雪菜からメールが一件届いていた。

 母親の性格を現すかのように、絵文字もなければ顔文字もない簡素な内容の文面。

「ご飯は萌葱ちゃんとこで、だって」

 零菜の表情が明るくなる。

 雪菜との戦闘訓練が休止したことで、この日の夜は萌葱の家にお邪魔して遊び惚けることができる。落ち込んだ気分を上昇させるには、ちょうどいい。

「ここ、コンビニ前だし、夕ご飯買っちゃったのかと思った」

「ううん。別に何か買ってたってわけじゃないから」

「そう。じゃあ、用事ないなら、帰る? 今日は他にも麻夜とか来るから、鍵を開けないといけないのよ」

「そうなんだ。じゃあ、一緒に行く」

 萌葱に並んで、零菜は歩く。

 萌葱の家は、中央行政区(セントラル・ゾーン)の中央、行政機能が集まるエリアに建つ、五十二階建ての高層マンションの五十一階にある。最上階は古城のプライベートスペースになっていて、その妻と子どもは五十階から五十一階をそれぞれ思い思いに使っている。使っていない部屋もあれば、勉強専用の部屋もあり、さらにはカラオケや書斎など部屋の用途は多岐に亘る。非常にもったいない使い方をしているように思うが、そこは皇族の特権というものだ。それに、四十九階未満は賃貸にするなど、抜け目がない。

 カードキーで電子錠を解除して、二人はマンションのエントランスを潜る。エレベーターに乗って、そのまま五十一階の萌葱宅へ向かう。

「お、萌葱姉さん。早いね」

 萌葱の家の前に麻夜が立っていた。

 ビニール袋を真っ青な甲冑に持たせている。凍結の能力を持つ麻夜の眷獣は、その両手を冷凍庫と同じ程度の温度に設定して袋の中身を冷やしていたのだ。

「アイスが溶けちゃうところだったよ」

「自分の家の冷凍庫でいいでしょ」

「いちいち家を往復するのは面倒じゃないか」

「それで眷獣を出すのはどうかと思うわよ」

 ため息をつく萌葱は、冷凍庫扱いされている憐れな眷獣に憐憫の視線を向けた。ル・ブルーも心なしか不機嫌そうだ。甲冑なので表情を読み取ることができず、完全な萌葱の空想でしかないが。

「とりあえず、開けるから下がって」

 萌葱は妹二人を家に上げるため、慣れた手つきで開錠した。

 

 

 

 □

 

 

 

 時刻は夜の九時を回った。

 夕食の片付けを終えた萌葱は、冷蔵庫を漁っている。

 風呂上りの萌葱は、紺色のジャージに眼鏡という化粧っけのない出で立ちだ。

「萌葱ちゃーん。お風呂どうする? 栓抜く?」

 黄色い薄手のパジャマを着て脱衣所から出てきた零菜が、萌葱に尋ねた。

「んー、そうだね。あと三十分してもお母さんが帰ってこなかったら、抜いちゃうか」

「分かった。じゃあ、とりあえずほっとく」

 結局仕事が長引いているのか、雪菜も浅葱も帰ってきていない。この家には、三人の暇人が集っているだけだ。

「てか、麻夜。あんた、その格好どうにかならないの?」

「え、何。何かおかしい?」

 ソファの上で胡坐をかく麻夜は首を捻り、自分の身体を見直す。

「いや、おかしくないけどさ。ちょっと、無防備すぎるでしょ」

 萌葱の指摘を受けて、麻夜は改めて自分の服装に目を向けた。

 無地の半袖Tシャツに太ももの半分も隠せていない短パンという組み合わせだ。

 健康的な肌が、これでもかと露出しているのはうら若い乙女としてどうかというのが萌葱の指摘であった。

「んー、でも普段からこの格好で寝てるしさ。夜暑いのに、変に着込むのも無理っしょ」

「そうかもしれないけど、その無防備さが心配なのよ」

「大丈夫だって。へーきへーき」

 なんの根拠もない自信を堂々と披露して、麻夜は自分が持ち込んだアイスを齧った。

「てか、うち、冷房入れるんだけど、とっちは入れないの?」

「窓全開で吹き込んでくる風を楽しむのが乙なんじゃないか。そこは、ほら。風情ってやつ?」

「人工の島に風情を求めてもしょうがないっていうか……まあ、考え方次第だけど、うちは冷房つけるから」

「寒くなったら布団被るからおっけー」

「あくまでも上を着ないつもりか。まあ、それでいいならいいわよ」

 麻夜の生活習慣にいちいち口を出すのも野暮というもの。これ以上姉貴風を吹かせても、羞恥心が決定的に不足している彼女には何の意味もないだろう。

「その格好で外をうろつかないでよ」

「いや、さすがの僕もそんな非常識な真似はしないよ。信用ないなぁ」

 麻夜は、アイスをすべて食べきり、残った棒をゴミ箱に投じた。

 弧を描いた棒は、ゴミ箱の縁に当たって床に落ちた。

「ありゃ」

「麻夜ちゃん下手」

 床に落ちた棒を、零菜が拾ってゴミ箱に入れ直した。

「悪いね、零菜」

「どういたしまして」

 零菜は、そのままリビングの隣にある和室に歩いていく。

 長座布団を敷き、その上でストレッチを始める。

「何してんの?」

「見ての通り」

「そんなことしなくても零菜元々くにゃくにゃじゃん」

「くにゃくにゃって何? 変な言い方やめてよ」

 前屈をして自分のかかとを触る零菜を見て、麻夜は「見ての通りじゃん」と笑う。

「きちんとやっとかないと、勝てないからね」

「相変わらず打倒雪菜さん?」

「もちろん。ぎゃふんと言わせてやる。ぎゃふんと」

 吸血鬼の肉体にとっては、外傷は大した意味を成さない。よほどの重傷ならば話は別だが、ストレッチを怠ったからといって肉離れや捻挫などにはならない。なったとしても、すぐに回復する。しかし、肉体の柔軟性は回復力とはまた別の問題だ。スポーツでも言えることだが、柔軟性が高いほど動きはよりしなやかになり、届かないところにも手足が届くようになる。戦闘訓練においては、数ミリの動きの差が勝敗を別つことも珍しくない。ストレッチは、打倒雪菜のためには必要不可欠なのだ。

「あ、発掘ー」

 零菜が気合を入れてストレッチをしていると、キッチンのほうから萌葱の声がした。

 それから、トタトタとテーブルまで歩いてきた萌葱は、その手に抱えるビニール袋をテーブルの上に置く。

「萌葱姉さん。それ何?」

「これ、この前貰ってきたヤツなんだけど、すっかり飲むの忘れててさ。この機会にね」

 と、萌葱は袋をひっくり返す。

 中から出てきたのは銀色のパウチ容器だ。アルミラミネートフィルムが鈍く輝いている。

 麻夜はテーブルまで歩いていって、容器の一つを手に取った。ラベルには「AB型Rh+」と書かれている。

「これ、血じゃん」

「そう、血。人工だけどね」

「飲料用の人工血液って、事業失敗してなかったっけ? 新しいの出たの?」

 血液を人工的に作り出し、吸血鬼を対象に販売するという企業戦略に打って出た会社もかつて存在したが、需要が少ないことと、本物の血を味わえる輸血パックには及ばず撤退に追い込まれている。

「でも、ほら。輸血パックの血は飲料用じゃないし、いざというときに使うのを嗜好品として消費するのはよくないでしょ」

「何度かニュースになってるから、それは分かるよ」

「うん。だから、本格的に飲料用を開発したほうが後々のためになるって判断があったの」

 吸血鬼にとって人間の血は必須のものではない。

 口にすれば、魔力を充足し、精神を昂ぶらせ、肉体的にも一時的にタフになる――――要するに強烈なドーピング薬のようなものである。嗜好品としての摂取のほかに、緊急事態では自分の身を守るために血を摂取することもある。

 しかし、日常を生きる上で吸血が必要とされる場面はほとんどなく、制度上も人間からの吸血は法に抵触するとあって、萌葱たちも他者から吸血したことはない。輸血パックなら、許可さえ取れば入手できるので、血を口にしたことがないというわけではないが。

「試作品か」

「そ。でも、よくできてるって専らの噂」

「へえ、じゃあ、ちょっと貰おうかな。何型があんの?」

「一般的なのは全部。何、あんた。もしかして、血液型で味変わるとか思ってんの?」

「まさか、そんな俗説信じないって」

 麻夜は笑いながら適当に容器の一つを選んだ。

 血液型による味の違いは、一昔前に流行った俗説だ。科学的には、血液型による味の違いはほぼ皆無だと証明されている。強いて言えば、血中コレステロール値や血糖値などで味が変わることがあるくらいで、吸血鬼の味覚でも味の違いを判別するのは難しい。

 最も重要なのは、その血液の中にどれだけ魔力や霊力が含まれているのかという点で、これは人工の血液では再現できず、輸血パックの血液でも時間が経てば、その内部から魔力や霊力が失われてしまう。結局、吸血鬼が最も美味しく血を味わえるのは、人間に牙を突き立てたときだけなのだ。

「うーん、やっぱり味気ないなぁ」

 麻夜はプラスチックの蓋を外して、中の人工血液を吸い上げた。一口吸って、眉を顰める。

「不味くはないけど」

「まあ、病院食みたいなもんだしね。血の味が恋しいときに舐めるのがちょうどいいくらいよ」

 などと、萌葱は言う。

 彼女も、口を付けてはいるが微妙そうだ。

「吸血は吸血鬼のアイデンティティーだし、ちょっとは飲んどいたほうがいいって言うけどねぇ」

 今の人工血液ならば、嗜好品として飲むようなことにもならないだろう。

 これは、プロジェクトが軌道に乗らなかったのも頷ける。今後の課題は、どのようにしてオリジナルに近づけるか。味ではなく、魔力や霊力といった部分で。

「零菜はいる?」

「わたし?」

 和室でストレッチをしていた零菜は、足を組み直して、別の筋を伸ばし始める。

「……わたしは、いいよ。血は、飲まない」

「そう。まあ、飲みたくなったら言ってね。結構、残ってるから」

「分かった」

 おそらく、そのようなことにならならないだろう。

 零菜自身だけでなく、萌葱や麻夜もよく分かっている。零菜には吸血禁止令が母親から出されているし、零菜自身も血を忌諱しているからだ。

 いや、血を忌諱しているというのは建前に過ぎない。

 本当に忌諱しているのは、血ではないのだから。

 零菜は足の裏を合わせて股関節を伸ばす。

 両膝が座布団に付くくらい、股関節が柔らかい零菜にとってはあまりに意味のないストレッチだ。けれど、今はリビングに行きたくなかった。血の匂いに当てられると、思い出してしまうから。

 思考を無にしてストレッチに励んでいると、麻夜がひょっこりと顔を出した。

「零菜、ストレッチ終わった? ゲームやろうよ」

 いつの間にか、リビングから血の匂いが消えている。片付けたのだろう。

「ん、いいよ」

 麻夜がコントローラーを手に現れた。零菜はほっとして、コントローラーを受け取って立ち上がる。

「萌葱姉さん。テレビ借りていい?」

「どうぞー」

 萌葱は、携帯の画面を弄って気のない返事をする。テーブルの上にあった人工血液は、いつの間にか冷蔵庫に戻されたらしい。

 テレビゲーム。

 あまり、零菜はやらないが。

「何するの?」

「んー、手っ取り早くパーティ系で」

 麻夜がゲーム画面を起動する。

 大型のテレビ画面に映されたゲーム内容の選択画面。最近は大容量ハードディスクにすべて保存されていて、ディスクそのものをセットするタイプは少なくなった。

 麻夜は、表示されるゲームの中から大人気パーティゲームの最新作を選び、スタートした。

 

 


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