クリスマスパーティは厳戒態勢で行われる。
各国大使館からも多くの客が来る。厳重な警戒態勢が敷かれて当然である。特区警備隊のみならず、アルディギア王国からやって来た騎士団員も数多く出入りしているのが見て取れる。
アルディギア人は北欧系。透き通るような白い肌と白銀の髪が特徴で、アジア人が中心の暁の帝国内では目立つ。
凪が窓の外を見ると、見たことのない機械を持ち込んでいるアルディギアの騎士が見えた。特区警備隊としては、あまりいい顔はしていないだろう。凪の知り合いも、苦々しく思っているようではあった。自分の国に他国の騎士が我が物顔で入り込むのは正直複雑な感情を抱いている。
タキシードなどという大仰な衣服を着るのは、少々気恥ずかしい。
凪はあくまでも招待された客の一人でしかなく、政治的な背景を背負っているわけでもない。適当に参加して、パーティを端っこで眺めていればいいと比較的気軽な思いで開始時刻を待っている。
迎賓館の外は広い自然公園になっている。緑の少ない人工島では、こうした土地は重要なのだ。
パーティが始まるのは午後七時。それまで、凪はぶらぶらと時間を潰さなければならない。
「何をしていいのか分からないといった感じですね、お兄さん」
「空菜。そっちこそ、手持ち無沙汰って感じだな」
エントランスを出て、日差しの下にやって来たところで空菜がふらりと現れた。
「お前、零菜たちと一緒じゃなかったのか?」
「途中までは。ですが、わたしは暁の人間ではありませんし、零菜によく似た赤の他人なのでメディア対応もお偉いさんとの顔合わせもする必要はないです。ぶっちゃけメンドイのです」
空菜は零菜を元にしたホムンクルス。
当然、一国の姫のホムンクルスなど存在そのものがイレギュラーにもほどがある。取り扱いを誤れば、大きなスキャンダルとなるだろう。
微妙な立場にある空菜は、今現在古城の娘として扱われてはいない。昏月の姓を名乗っているところからも、親族ではあっても、暁家の一員とは数えられていないのである。
「で、どうですか」
「ん?」
空菜が唐突に尋ねてくる。
何が、と問い返す前に空菜は自分のドレスのスカートの先を摘み上げた。
「どうですか?」
空菜のドレスは薄い桃色を主体としたフリルのついたパーティドレスだ。身体に密着するようなタイプではなく、全体的にふんわりとした可愛らしさを協調しているように見える。若々しさをアピールするためだろうか。スカートの丈は膝くらいのミニだった。
「すごい似合ってて可愛いと思う」
「……ん、できれば、もっと心を込めて言って貰いたいところですが、凪さんにそこまで求めても酷でしょうし、このくらいで勘弁してあげます」
「何だよ、その上から目線」
「で、凪さんは暇しているわけですか」
「そりゃあな。警備の仕事が俺に回ってくるはずもないし、後一時間、どうすっかなってとこだよ」
西に太陽が傾きつつある夕方。そろそろ、空腹を自覚する頃でもあった。
「お姫様たちは、もう会場入りしているみたいですけどね。開場まで三十分あります。散歩します?」
「まあ、そうだなぁ」
ちょうど、ここは自然公園だ。遊歩道もあるし、トラックもある。日本風庭園を備えている区画もあれば、人が足を踏み入れる事のない雑木林としか言えない区画もある。人工の島にない景色を求めた結果がこれである。一応、国民にも解放されているから無駄にはなっていないどころか、貴重な自然ということで学校や保育園の遠足の場としても重宝されているくらいだ。
空菜と一緒に遊歩道を散策することになった。が、かといって話が弾むということもない。もともと口下手な凪と口数の少ない空菜の組合せだ。一緒に生活する仲ではあっても、無駄話に興じることは決して多くはない。
凪の数メートル前を歩く空菜は遊歩道の左右に広がる緑の森を興味深そうに眺めている。日本の山をイメージしたという森は、とどのつまりは雑木林でしかないのだが、機械とコンクリートばかり見てきた空菜にとっては緑溢れる自然というだけで物珍しいのかもしれない。
「こうして歩いていると、街中とは全然違うのですね」
「例えば、どんなところが?」
「ん、そうですね。風が涼やかです。それに、匂いが違います。これが、土の匂いというのでしょうかね」
「まあ、コンクリアスファルトとは違うだろうな。……気に入ったのか?」
「ええ。なかなか面白いです」
空菜は手近な葉を一枚千切ってまじまじと眺めている。その空菜の頭にひらひらと飛んできた黒揚羽が止まって羽を休めた。
「?」
空菜は違和感に気付いたものの、特に気にしないのか頭に止まっている黒揚羽を無視して歩き始める。
木でできた遊歩道は全長二キロ。夕暮れ時は木で西日が隠れるので、薄暗くなる。数十メートルおきに外灯が設置されている。その外灯が淡い光を放ち始めた。
「もう夜だな」
「やっぱり外灯がないと真っ暗になりますね。空は、ずいぶんと明るいようですが」
見上げる空は街の明かりに照らされて夜ながらも、比較的明るい。雲が光を反射してオレンジ色にぼんやりと染まる。雲が多い日にはよく見られる景色ではある。地上が明るいので、暁の帝国の星空はあまり見えないのだ。
「ん、誰かいますね」
「誰かって」
前を見ると、確かに人が歩いてくる。三人か。凪たちとその人影は十メートル先の外灯の下で顔を付き合わせることとなった。
先頭を歩いていた少女は白銀の髪をサイドに流したアルディギア系。アルディギア王家に名を連ねる凪の親戚、クロエ姫だった。
「兄さん?」
「クロエ? 何してんだ、こんなところで」
「わたしは父さんに挨拶した後で、開場までの時間つぶしだ。公園の散策なんて、普段できないからな。色々とうるさくて」
クロエは鬱陶しそうに付き添いの二人に視線を向ける。一人はアレックス。長身の美人で、こう見えて高校生。クロエの幼馴染でもある。そして、もう一人は背の高い筋肉質の男だった。アルディギアの軍人だろうか。
「せっかくだから一人でぶらついてみようと思ったのにこれだ」
「姫様、そうは仰いますが何かあってからでは遅いのです。ご自重ください」
「分かってる。でも、アルディギアよりは治安がいいだろう、この国は。一人で歩いていたところで、何かあるとは思えないけどな」
近年のアルディギア王国はかつてほど治安が安定していない。もちろん、犯罪率の低さは先進国の中でもトップクラスではある。だが、それでもここ二十年、経済的な問題と政治的な問題からテロ事件の件数は増えつつあるのは事実だった。
もともとアルディギア王国は軍事国家としての側面があった。武器の入手しやすさはかつて日本だった暁の帝国よりは上だ。
「吸血鬼は武器云々以前に眷獣使えるし、魔術だってあるんだからそういう油断はしないほうが身のためだぞ」
「兄さんまでそういうこと言う」
ぶぅ、とクロエは不満げに唇を尖らせる。
「凪様の仰るとおりです、姫様。アルディギアの未来を担う大切なお身体です。あまり心配をさせないでください」
アレックスにも窘められてクロエは四面楚歌の状態になった。
あまりに不利な状況にクロエは話題を変えようとしたのか、凪の隣にぼうっと立っている空菜に視線を向けた。
「……ん、もしかして空菜さんか?」
「はい、昏月空菜。凪さんの義理の妹です」
「よろしく、もう知っているかと思うが、凪兄さんの従妹でアルディギア王国の第一王女のクロエ・リハヴァインだ」
クロエが右手を差し出して、空菜が握手に応じた。
「しかし、本当に零菜姉さんによく似ている」
「事情が事情なので」
「ああ、まあ、それは知っているけれどな」
複雑そうな表情を浮かべるクロエ。
一応、肉体年齢では空菜のほうが一つ年上のはずだが、クロエのほうが身長が高く大人びた風貌なので一見するとクロエのほうが年上に見えなくもない。
「姫様。そろそろ、お時間です」
「え、ああ、そうだな」
騎士の男に話しかけられて、クロエは腕時計を見た。開場まで十分を切っている。ここから歩けば、ギリギリで間に合うかどうかというところだろうか。開始時刻に遅刻することはありえない。
「わたしは、また色々とあいさつ回りをしないといけないみたいだから、ここで失礼する。兄さんも空菜さんも、デートは早々に切り上げないと姉さんたちがむくれて面倒だよ」
「何だよ、それ」
「ふふ、じゃあ、また会場で」
クロエはそう言って、従者を伴って凪たちが来た道を辿っていく。
「さて、どうしますか、凪さん」
「まだ、開始まで時間あるからな。お姫様たちと違って準備がいるわけじゃないし」
「では、一周しても時間に余裕はありそうです。この公園を一周してから向かいましょう」
空菜は引き返すのではなく、進むことを提案した。
もう暗くなっているので、遊歩道を進んでも大して面白みもなさそうではある。空菜の視力ならば、この暗闇を見透かして木々の間の小動物を見つけることもできるだろうが、凪にそこまでの眼力は期待できない。人より少し目がいいだけの凪は残念ながら外灯を頼りに歩くくらいしかないのだ。
それでも、空菜が進みたがっているのならば付き合ってやるくらいの甲斐性はある。
「しかし、あれですね」
「ん?」
「こんな暗がりで吸血鬼と二人きりとか、首筋かむかむされても仕方ないといいますか、誘ってんのかと勘違いする人もいるかもしれませんね」
「何だよ、いきなり。血なら昼にやったぞ」
「そうですね。まあ、でも、ほら雰囲気とかありますし。一噛みいこうぜ、的なノリ」
「ない。今タキシードだしな。血がついたら何事かと思われる」
「ぶぅ、そうですか、そうですか。あなたはそういう人だったんですね」
「そうですよ、俺はそういう人だったんですよ」
どこかで聞いたようなフレーズでむくれる空菜をあっさりと受け流す凪。
「まあ、いいです。わたしはどっかの誰かと違って凪さん無理矢理どうこうしようとはしない主義です。じゃあ、いつも通り十時になったら貰いにいきますので」
「はいよ、待ってればいいのか?」
「はい。いっそ、寝ててもいいですよ。鍵だけ開けていてもらえれば」
「十時だと寝てはいないかな」
空菜への血液供給は最低でも一日に一回、可能ならば二回がよいというのが祖母の見解だ。彼女の体内に仕込まれた「裏切り防止機構」は軍事目的で製作されたホムンクルスならではの爆弾であったが、空菜自身が吸血鬼としての力を高めていけば自然と消滅していくだろうとの見立てである。半年から一年は、身近な人間が彼女に血を与えなければならず、必然的にその役割を担うのは凪となった。
空菜は、時折こうして約束の時間以外でも血を吸おうと迫る時はある。休日はもとより、学校の昼休みでもだ。基本的に断わっているし、学校で吸血なんてさせられない。凪の社会的な立場が崩壊してしまう。ただでさえ、空菜は美少女として多くの注目を浴びている。義妹の吸血鬼に血を吸わせているとなれば、凪がどのような視線に曝されるか分かりきっている。
困ったことに、空菜にはその辺りの羞恥心がまだ芽生えきっていないのだ。
歩いているうちに遊歩道が終わった。目の前に広がるのは芝生のだだっ広い公園だ。昼間は多くの家族連れで賑わう公園も、今は軍関係の車両やテントが散見されて物騒な気配と漂わせている。アルディギア製の自動歩兵も五体ほどいる。
「厳重だね、まったく」
凪は物々しい気配にため息をつく。
彼もまた攻魔師の見習いとして何度か特区警備隊の任務に参加したことはあるので、慣れていないというわけではないが、だからといって落ち着いていられるかというとそういうわけでもない。
やはり、こういうのは緊張を強いる。
軍でなくとも警察なり役所なり堅苦しい空気の場所に向かうとこちらが一方的に感じる圧力がある。向こうはそんなつもりがなくとも萎縮してしまうのだ。
「凪さん、行きましょう」
「ん、ああ」
頷いて、空菜と一緒に明るく照らされた道を歩く。
芝生の公園をぐるりと囲む陸上トラックを横断し、迎賓館を目指す。開始時刻まで後十五分といったところか。受付も始まっており、後は会場に入るだけだ。招待状をポケットから取り出して、凪と空菜は受付に向かうのだった。
■
暁の帝国主催のクリスマスパーティはそこまで大規模に行われているわけではないのに、一般庶民の凪からすれば圧巻の一言であった。
帝国の政府要人も当然のように出席している。
テレビでしか見ないような人がすぐそこにいるというのが、凪にとっては別世界の光景に見える。
ガヤガヤと、日本語以外の様々な言語が入り乱れている。
凪はVIPの喧騒から逃れるようにして広間の端のほうに立ち、黙々と飲食に励んでいた。
ざっと、広間全体を見渡すと、暁姉妹たちが各々知り合いと話をしているのが見て取れる。萌葱は情報系部局の長らと話をしているようだし、紅葉は母親と共になにやら話をしている。零菜と紗葵は見た目同年代の友人と談笑中。ほかは――――、
「ぼんやり突っ立っているだけかい、凪君」
「麻夜こそ、さっきから出たり入ったりじゃないか」
「見てたのか……あはは、まあ、こういう空気は苦手だからね。慣れないと、とは思ってるよ?」
麻夜はこそこそと折を見ては会場の外に出ていた。
古城の挨拶が終わり、自由に談笑できる空気になってからというもの、いつ逃げ出してやろうかと機会を窺っているようにも見える。
「兄さん、楽しんでる?」
「凪さん、これ美味しかったですよ」
クロエと空菜は妙に意気投合しているようで、さっきからずっと一緒に行動している。
空菜が差し出したグラスを受け取ろうとして凪は手を止める。
「これ、口つけてないか」
「それがどうしたんです?」
「いや、あのな。自分が口つけたのを他人に勧めるのはよくないんだぞ」
「存じてます。ですが、凪さんは他人ではないので問題ないかと」
「他人じゃないと言ってもらえるのはありがたいんだけどな……」
空菜の価値観が分からず、凪は困惑する。
間接キスという概念を、この義妹は正しく理解してはいないのだろうか。いや、理解はしているが気にするような理由がないというべきだろう。ホムンクルスらしい合理性重視の考え方ではある。
「ふふ、困りものだねこれは」
「楽しそうにするなよ、麻夜」
「いつもこんな感じなのかな?」
「割と。最近はそうでもないけどな」
「……一緒に住んでるってのは、なかなかに厄介だよ」
ふう、と麻夜はため息をつく。
その彼女が何かに気付いたように振り返る。麻夜の視線を追うように、凪が視線を動かした先には、金髪の青年が佇んでいた。
見覚えのある顔だった。
「アルデアル公」
「覚えていてくれたのかい、昏月凪。君と以前会ったときは、まだ小さな子どもだったはずだけれど」
「テレビで、時々見ますから」
「結構。私のような者はどうしても目立ってしまうからね。当然と言えば当然だ」
肩を竦めた美青年は、クロエから麻夜へ視線を動かし、最後に空菜を見た。
「おや、零菜姫かと思っていたが、他人の空似か」
「昏月空菜です」
空菜は少しだけ警戒の色を顔に浮かべて名乗った。
「昏月? 君と同じファミリーネームだね」
「妹です、一応」
「なるほど。君に零菜姫そっくりの妹がいるとは知らなかったよ。初めまして、空菜嬢。私はゲオルグ・ヴァトラー。第一真祖より、正式にアルデアルの地を任された者だ」
ヴァトラー家は第一真祖の血筋に連なる吸血鬼の貴族の家系。二十年前の当主が問題を起こして失踪したことを機に断絶しかかっていたところを親戚筋のゲオルグがその名跡を継いで存続したらしい。前当主はかなりのバトルマニアだったようで、そのためにヴァトラー家は多くの恨みを買っている。現当主は前当主の負の遺産の処理に方々を駆けずり回っているのだと聞いたことがあった。
「ゲオルグさんが参加されるのは、久しぶりだと思いますが……その、お忙しいのではありませんか?」
「ははは、まあほどほどに忙しいよ。二週間ほど前に軽く戦争したばかりだからね」
「せ、んそう?」
「ああ、まあ報道はされていないよ。戦争と言っても先代に恨みのある連中が夜襲を仕掛けてきただけだからね。当然、叩き潰してあげたけれどね」
「そうですか……」
麻夜はそれ以上何も言えなかった。
比較的安全な環境で育ってきただけに、戦争と呼ばれるような行為に現実感がないのだ。麻夜からすればゲームか映画の中の出来事である。
しかし、大陸では今でも散発的に戦争に近い領地争いが続いているという。
「ま、うちはほどほどだけどね。最近はアルディギアと事を構える必要もなくなってきたし安定してるほうさ。第二真祖のところは、相変わらず皇族同士の小競り合いがあるみたいだ。君達のところは、まだ仲よくやっているかな」
「特に喧嘩もしないですね」
「うん、封建制以後の帝国だからかな。今後どうしていくのか気になるところだけれど」
領土争いになるほど、第四真祖の帝国の領土はまだ広くない。不老不死の吸血鬼であり、姫でもある麻夜達が将来何を収入源とするのかは、確かに課題の一つではあった。
「さて、昔懐かしい凪と再会できたことだし、一つ提案があるのだけれど」
「はい、何でしょうか」
凪は青い瞳に見つめられて身体を固くする。
「君、私に執事として雇われてみないか?」
「は?」
凪はゲオルグが何を言っているのかまったく理解できなかった。
ぽかんと口を開けて思考を停止した。
「ちょうど、執事に空きができてね。以前努めていた人間が定年退職してしまったんだ。血の従者にはならずに人として一生を終えたいと言ってね。彼は霊媒として非常に優秀だったから、私としては手放したくなかったんだけどね」
「はあ……」
「もちろん、給料はきちんと出すよ。完全週休二日。夏休みに冬休み、この国の習俗に合わせてお盆休みも認めようじゃないか。その他各種保険に家賃の実費支給も約束するし、学費の面倒もみようじゃないか」
「いやいやいや、いきなりの提案過ぎて訳わかんないんですけど、どうしてそんなことを?」
「ん? さっきも言っただろう。辞めた執事は霊媒としても優秀だったとね。以前あったとき、君は私が今までに出会ったあらゆる人間を遙かに上回る霊媒だと気付いたんだよ。フフ、恐らくはほかの吸血鬼も注目しているはずさ。凪、君がもしもアルデアルの人間だったのなら、出会ったその場で身請けしたんだけどね。残念だよ。第四真祖の血縁となると無理に連れ出すわけにもいかないからね」
じろり、とゲオルグの視線に舐められて凪は背筋が凍りついた。
「アルデアル公。凪君は、僕らの血縁でもあるので簡単に国を出るわけにはいきませんよ」
そこに口を挟んだのは麻夜だった。
「その通りです。それに、わたしとしても兄と離れるのは困ります」
さらに空菜が同調する。
二人の発言にゲオルグは悪感情を抱くどころか面白そうに笑みを浮かべる。
「ああ、その通りだ。だから、こうして誘いをかけているのさ。来てくれれば儲けモノ、くらいの誘いさ」
「そうですか……」
「うん、それと一つアドバイスをしておこう。麻夜姫、それにクロエ姫も。君達も吸血鬼として早く成長したいのならば、強力な霊媒は手元に置いておいたほうがいいよ。私達吸血鬼にとって、霊媒の血こそ力の源なのだからね。君達の父君しかり、私の先祖然りね」
古城にとっての霊媒は麻夜の母親である優麻やクロエの母親であるラ・フォリアなどが該当する。血の従者として共に永遠を生きる彼女達は、古城の妻であると同時に血液を提供する霊媒でもあった。
「霊媒を手元に置くと仰いましたが、兄さんは男性ですよ?」
「それがどうかしたのかい、クロエ姫」
「え? いや、だって……」
ちらちらとクロエは凪の様子を窺った。
「ふ、もう一つ人生の先達としてアドバイスしてあげようか。いいかい、愛の前に性別など無意味で無価値だ。私が愛するのは強力な霊媒。それ以上でもそれ以下でもない。うん、俗な言い方ではフェチというのかもしれないけれどね。男女の差異など、私にとっては大した問題じゃないのさ」
「は、はあ……そういう、ものですか」
「まあ、生まれて十五年も経たない君達では少し難しいかもしれないけどね」
ゲオルグは肩を竦めて言った。それから腕時計を見て、
「おっと、私はこれで失礼する。次の仕事が入っていてね。……凪、先ほどの件、検討しておいてくれ。何なら学業を終えた後でも構わないよ。私達にとって時間は無限にあるからね。これは私の名刺だ。二日はこの国に滞在することになっているからね、もしよければ、ここのホテルを訪ねてくれ。歓迎しようじゃないか」
受け取った名刺にはホテルの住所と部屋番号、さらにはゲオルグの連絡先まで書いてあった。
さわやかな笑みを浮かべて一礼し、ゲオルグは側近を伴って去っていく。
凪は颯爽とした後姿を見送ってからも、全身に走った悪寒が消えないでいた。
「凪さん、顔色が悪いようですが」
「いや、そりゃ面と向かってあんなこと言われたらな……うお、鳥肌立つわ」
空菜が心配そうに見上げてくるので、苦笑いを浮かべて答えた。
「ずいぶんとキャラの濃い人だったな、アルデアル公」
情熱的なゲオルグの言葉に影響されたのかクロエの頬は少し紅い。
「先代も相当だったらしいけどね。ところで、凪君」
「何だよ、麻夜」
「アルデアル公のところに行ってみたりはしないのかい? かなり情熱的なアプローチだったし、今夜一晩だけ血を吸わせてあげたりとかは?」
「しねえよ! 何だよ……いや、何で残念そうなんだよ!」
「いや、別に。男同士の吸血って現実にはどうなのかなって。ほら、漫画とかだと人気のジャンルだしさ」
「人気なのか、それ。……いや、BLってやつなんじゃ」
「最近の少女漫画には多いし、人気じゃないなんてことはない」
麻夜は少し語気を強めて断言した。
「読んでるのか、そういうの」
「読んでるよ」
「そう、へえ……」
何一つ恥じるところなく、麻夜は断言した。知らなかったし、知りたくもなかった麻夜の一面に触れて凪は絶句する。
「少女漫画? 麻夜さんが読んでるのは、どういった内容ですか?」
漫画が空菜の興味を引いたのか、空菜が会話に参加した。問われた麻夜は、何を説明しようかと少し頭の中で情報を整理してから答えた。
「ん? そうだね、最近買ったのは、亡国の王子様がスラムのがっちり系吸血鬼の血の従者になって国を取り戻すためにあれやこれやするハード系。一巻から過激な吸血描写と王子の嫌だけど仕方ない、から始まる心理描写が秀逸だってネットでも話題騒然なヤツだね。今は三巻まで出てるよ。何? BL興味ある? 貸そうか?」
「BLというのがどういうのかよく分かりませんが、漫画は興味あります。凪さんからもよく借りてます」
「うん、そうか。分かった、じゃあいくつか初心者向けの作品を見繕うよ。向こうで話をしよう。でもどうしようか、ソフトなヤツは零菜に貸してるところだった」
「零菜がソフトならわたしはハードで大丈夫です。オリジナルに負けることはありません」
「そう? それでいいのなら……」
話をしながら、麻夜と空菜は広間を出て行ってしまった。
完全に置いてけぼりを食った凪とクロエは視線を交わした。
「あー、何か大変だな、兄さん」
「んー、俺が大変ってわけじゃないけどな……まあ、空菜がまた変なことを言い出さなけりゃいいんだ、ほんと」
基本的にまっさらなのが空菜の長所であり短所だ。余計な情報で勘違いを繰り返して突飛な行動を取らないか心配である。
空菜とは一緒に暮らしているのだ。振り回されることも無きにしも非ず。
「さて、兄さん。ちょっと相談なんだけど」
「何だ、いきなり」
声を潜めて、クロエが言った。
「これからわたしは外に出るんだが、一緒にどうかな」
「抜け出すのか?」
「一応、母さんから許可は取ってる。騎士たちに言うと反対されるから秘密だけどな。アレックスが一緒ならいいそうだ。で、兄さんはどうする? 暇なんだろ?」
「そうだな。一緒に行かせてもらえるのなら行かせてもらうか。どこに行くんだ?」
「その辺の散策。アルディギアとは別の景色だ。気難しい連中は抜きで楽しみたい」
「そういうことね」
了解した凪はそこで一旦分かれることになった。外で待ち合わせだ。クロエが言うにはアレックスが同行するとのことなので、ラ・フォリアから話が通っているのだろう。アレックスは騎士団員というよりも、ラ・フォリア子飼の護衛騎士なのだ。
凪は会場となっている広間からエントランスに出て、そこから迎賓館の外に出た。先に外に出ていたクロエとアレックスの二人と合流し、クロエの興味の赴くままに夜の自然公園を歩き回ることになったのだった。