二十年後の半端者   作:山中 一

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第三部 三話

 身体の自由を奪われてからというもの、凪の心中はまったく以て穏やかではなかった。もちろん、身体が勝手動いてしまうということもあるが、それ以上に相手の狙いが零菜であるという点が問題だった。

 ヴァニタスと名乗るホムンクルスの少女。

 その正体は、犯罪組織が生み出した零菜をベースにした人工吸血鬼である。恐らくは世界初の快挙ではあるのだろう。吸血鬼のホムンクルス化成功は数百年に渡って膠着した錬金術の世界に革命をもたらすと同時に不死の呪いの謎を解く一助ともなる可能性がある。彼女の存在は学術的にも価値がある。しかし、当人たちにそのような認識はまったくない。理解はしているが、それは重要ではない。ヴァニタスは零菜と戦うことを目的に行動しており、凪はその協力者を強制されている。

 少なくとも思考と口は自由を取り戻せている。誰かに助けを求めるということも不可能ではないが――――。

 多くの人々が行き交うはろういんフェスタの真っ最中である。もしも、凪が助けを求めたとしても、凪が危険な目にあっているということを理解してくれる人がどれだけいるだろうか。その一方でヴァニタスは即座に周囲に眷獣を解き放てる。それを思えば、今は大人しく彼女の言うとおりに動くしかない。

「クソ、まったく何ともならねえ」

 苛立ち紛れに毒づいても、結果が変わることはない。

 凪はベンチに座って西に傾く太陽を見る。人通りは依然として多く、むしろ増えているようにも思う。そういえば、彩海学園の学園祭も今日だったはずだ。零菜に招待されていたが、すっぽかす羽目になってしまった。後で謝ろう。

「人が多くて酔ってしまいそうですね」

 ローブが隣に腰掛ける。

 今日三つ目になるアイスがフードの中に消えていく。

「食べすぎじゃないか?」

「大丈夫です。これでも腹八分に留めています、うん。甘味は活力の元ですね」

 機械的な言葉遣いかと思えば、ところどころに感情が混じりこむ。

 これが、ホムンクルスという一個の機械だと割り切れればよかったが、そうでもないのが問題だった。何よりもホムンクルスというのは扱いが難しい。凪の師の一人がホムンクルスということもあって、どうにも彼女への接し方が掴めない。

「零菜と戦って、何かヴァニタスに得るものがあるのか?」

「特にないです。強いて言えば、命令を完遂したという事実が手に入ります」

「もういない主の命令だろ」

「それでも、命令は命令です。命令を実行できない機械など三流以下の粗大ゴミです」

 コーンを咀嚼した後、ヴァニタスは包み紙を丸めてゴミ箱に投げ入れる。投じられた紙屑は、十メートル先の仮設ゴミ箱に過たず入った。

「ホムンクルスの製造にはコストがかかる。私は出来損ないの粗大ゴミになりたいとは思わないのです」

 初めて、感情の揺らぎが明確に感じ取れた。

 それは主からの命令を実行するという最優先事項に対する彼女なりの意地だ。

 自分を作り出した者に対する忠誠心ではない。あくまでも、彼女が自分自身を無駄にしないための最低限の意地なのだ。

「……仮に失敗したら、どうするんだよ。零菜は結構強いぞ」

「その時はその時です。どちらにしても犯罪は犯罪……処罰は受けるでしょうが、わたしには関わりないことです」

 主の命を守れるか否かがすべてと割り切るヴァニタスにとって、計画の後のことについてはどうでもいいのだ。それが犯罪であろうとも彼女の倫理観には触れない。そのように設計されていない、というよりもその点についての教育がされていないということなのだろう。罪であると知っていても、より優先すべきことがあった場合にはそちらを優先してしまう。彼女の中で法律というものが非常に軽い扱いを受けている。

 こうなっては言葉では止まらない。零菜個人の能力もあれば、護衛も何人かついているはず。あまり、悪い結果にはならないと信じているが、不安は募る。

「それでは、行きましょうか」

「どこに行くつもりだよ」

「決闘場」

 そう言って、ヴァニタスは凪を引っ立てて歩いていく。

 人込みを掻き分けて進む様は積極的な彼女に引き摺られる晩熟な男子に見えるだろう。ヴァニタスは顔を隠しているが、身長や動作が異性の――――それも恋人のそれに近しいのだから当然である。そして、彼女は意図してそのように振る舞っている。あえて腕を組んでいるのも、その演出だろう。

 ヴァニタスの目的は零菜と戦うことだ。

 可能ならば勝利する。できなくても、現在の自分の性能を評価する試験として有用な情報となる。もう、その情報を活かす主はいないが、情報を取得するという当初の目的は果たせる。自らの生死すらも、度外視して戦うという一点のみを重視している。そのためには、零菜と戦える環境が必要不可欠である。

 ヴァニタスは凪と行動を共にしながら、探っていたのだ。零菜を自然に呼び出せて、かつ邪魔の入らない場所を。

 ――――彼と二人だけで過ごせる、できるだけ広い場所を知りませんか?

 ヴァニタスは訪れた店の店員などに、折を見てこのように尋ねていた。いつも離れたところに佇む凪をそれとなく店員に意識させることで、ヴァニタスの問いに信憑性が付与されて、微笑ましいものを見るような表情で店員たちは各々の知識を披露してくれた。

 結果、ヴァニタスは五つの候補地を絞り込むまでになった。

 が、しかし、彼女は結局そのどれも採用はしなかった。戦場としてはこの上ない場所だ。凪の携帯を使用すれば零菜を呼び寄せることも不可能ではないだろう。だが、その場合は彼女の護衛の攻魔師が一緒にやって来るに違いない。そうなれば、零菜との決闘など叶わない。一国の姫に就けられる護衛の戦闘能力を甘く見るほどヴァニタスは自分の性能を過大評価していない。低く見積もるつもりはないにしても、性能試験をするのであれば、適切な環境を整える必要があるのだ。邪魔が入っては元も子もない。

 そうしてやって来たのは中央行政区のタワーマンションの直下だ。凪にしても見覚えのある高層マンションである。

「おい、ここ――――んぐ」

 凪の唇が唐突に自由を失った。

 ヴァニタスが支配力を強めたのである。本人の言うところによれば夢魔の力だというが、非常に強引ながらも強力な支配能力である。

「そうです。ここなら、護衛は入らない」

 灯台下暗し。護衛が必要なのは外出先で危険に会う可能性があるからである。学校や自宅にまで護衛を置くことは、まずない。それこそ、王宮のように広大な敷地があれば別だが、暁家はマンションの五十階と五十一階を自宅として利用しているだけである。外国の王宮ほどの厳重な守りがあるわけではないのである。無論、侵入しようとしてもできないようにはなっている。が、それもヴァニタスを相手にしては形無しだった。

 ヴァニタスは零菜のホムンクルスである。

 そのため、生体認証に引っかからない。おまけに傍には親戚の凪を引き連れている。人とすれ違っても零菜がコスプレをしているとしか思われない。

 電子錠による機械的な処理が裏目に出た瞬間だった。

 今日ははろういんフェスタ関連のイベントで古城を初めとする暁家の大半が自宅にはいない。それもねらい目だった。

 ヴァニタスと凪はエレベータに乗りこんだ。目指すは屋上。ヴァニタスが選んだ、決闘場である。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 殺人的な暑さだった一日も日が沈むと比較的穏やかな気温に戻る。風は冷たく、どことなく秋の気配を感じさせる。

 今日は綺麗な満月だった。

 街の明かりで星は消えても、月光までは打ち消せない。

 夜の魔族だからだろうか。月明かりは太陽光よりもずっと好きだ。

 零菜は早足で廊下を歩いていた。

 高層ビル特有の強風に煽られる髪を手で押さえながら、階段を跳ねるようにして上がる。

 数分前凪からメールが来たのだ。

 今日の昼間の約束をすっぽかした謝罪と、罪滅ぼしに屋上で月見でもしないかという誘いだ。

 メールが来てからそう時間も経っていないので、凪が来るのはまだしばらくかかるだろう。でもとりあえずはと、零菜は先に屋上に行くことにした。

 祭の後で気分が高揚していたこともあるだろうし、凪にすっぽかされた怒り――――のようなものもあった。そういった後押しもあり、凪と会うということに二つ返事で了承してしまった。

「ん、制服じゃなくて、ハロウィンらしい服にすればよかったかな」

 階段を上がりつつ、零菜はそんなことを呟いた。

 零菜は麻夜と祭を楽しんだために帰宅が遅くなり、先ほど戻ってきたばかりなのだ。そのため、学校指定の制服を着たままである。ついつい、勢いで待ち合わせ場所の屋上に向かってしまったが、どうせならそれらしい衣服を選べばよかったと今更ながらに後悔する。

 だが、まあ気にしなくてもいいだろう。

 月見の会場として利用するのは屋上。

 今回はまずは二人でとの申し出だ。下手に気張った服装で勘違いされても困るので、いつも通り意識しようと零菜は内心で繰り返す。

 屋上への出入りは普段はあまりしない。

 景色を楽しむのならば自室で十分だからだ。利用するとすればバーベキューをするときくらいだろう。

 基本的に利用者は暁家だけの屋上だ。施錠もされていないので、扉を開けるのは簡単だ。

 屋上を舐めるように吹き抜ける強風に視界が揺らぐ。

 優雅に月見、という環境ではなさそうだ。

 安全を考慮した二重のフェンスがぐるりと取り囲み、三十×五十の四角い空間が広がる。上には満月と風に流れるふわふわとした雲があり、前後左右は人工の明かりが広がる地上の星に満ちている。

 そして――――、

「暁零菜さん、お待ちしておりました」

 風に舞う黒いローブ。

「誰……」

 凪ではない。

 身長は零菜と同じくらい。声音からして女だ。こんなところにいるのがまず不可思議で、しかも零菜を待っていたとはどういうことだ。

「自己紹介しましょう。わたしはヴァニタス――――端的に言って、あなたをベースにして作られたホムンクルスです」

 ヴァニタスは何一つ隠すことなく零菜に告げて、フードを取った。

 露になるのは零菜と瓜二つの顔だ。

「え、へあ?」

 零菜は素っ頓狂な声を出して目を丸くする。

 いきなり目の前に自分と同じ顔の人間が現れれば、誰だって我が目を疑うだろう。まして、自分のホムンクルスを名乗るなど、常識の範囲外にもほどがあるというものだ。

「ちょ、ちょっと、あなたいきなり何言ってんの? え、ええ? わたしをベースにしたホムンクルス? ちょっと何いってるか分かんないんだけど……」

「そうですか? そのままの意味ですけど」

「そのままって、そんなのいきなり言われて納得できる訳ない……」

「あなたが納得するしないは関わりないことですから。わたしは事実を伝えたまで。その上で、わたしはあなたと戦う必要があるということですので、暫しお相手願います」

 バン、と扉が閉まり、魔術的な施錠が行われる。

 結界が屋上全体を覆い、内部と外部を切り離した。

 しかし零菜は振り返って状況を確認することができなかった。

 このときにはすでに、ヴァニタスが眷獣を呼び出していたからだ。

 彼女の右手に現れたのは、白銀に輝く二挺の短刀だった。

刃の白銀(シーカ・アルゲントゥム)

 緩やかな反りの入った短刀を持ったヴァニタスは、一足飛びに零菜に飛び掛ったのだ。言葉を交わすほどの時間もない。ただの一歩で風を切り、零菜の眼前に迫った。

「うわッ!」

 零菜は横っ飛びでヴァニタスの斬撃を躱した。地面を転がり、二撃目を回避する。

槍の黄金(ハスタ・アウルム)!」

 黄金が白銀と激突する。

 雷光が煌めき、明滅する光が両者を弾き飛ばす。

「い、いきなり何するのよ!」

「この期に及んで危機感のない人ですね。わたしはあなたを倒すと言っているのです。真面目にしないと、死にますよ」

「だ、だから、こんなことされる理由がないんだって」

「戦いなんて、あなた自身に理由なくても周りが勝手に作るものです。特にあなたはお姫様。巻き込まれる理由なんて掃いて捨てるほどあるはずです」

 零菜は槍を握る手に力を入れる。

 彼女の言うとおり、業腹ではあるが零菜が事件に巻き込まれる可能性は否定できない。そのため普段から護衛まで付けられているのだ。普通の家の娘のように過ごすことができないのは、分かりきっていることではあった。とはいえ、自分のホムンクルスを名乗る少女に命を狙われるとまでは思わない。

「戦う理由がいるのなら、そこをご覧になれば十分ではないですか?」

 ヴァニタスは右手の刀を自分の頭上に向ける。

 零菜とヴァニタスの位置関係は逆転している。ヴァニタスの刀の切先は、出入り口の上に備え付けられている貯水槽に向けられていた。

「え、あ?」

 零菜は再び目を剥いた。

 そこには荒縄で縛り上げられ、ガムテープで口をふさがれた凪が磔になっていたのだ。

「ちょ、凪君!?」

「戦う理由としては十分ですか?」

「何で、こんな」

「あなたと戦うためです」

 ヴァニタスはトンと床を蹴って貯水槽の隣に飛び上がった。

「わたしはあなたと戦わなければなりません。そのために、あなたの親戚である彼に協力していただいたのです。わたしには、夢魔の特性があります。精神を操るのは苦手ですが、条件さえ揃えれば肉体を支配下に置くことは不可能ではありません。ということで丸一日、わたしと行動を共にしていただきました」

 ヴァニタスは馴れ馴れしく凪の頬を撫でた。本人は意識がないのかぐったりとしたままで、反応がない。

「消耗していたわたしにとって、凪さんとの出会いは偶然ですが運命的でもありました。彼のおかげで、わたしは力を回復し、こうしてあなたと向き合うことができたわけですから」

「凪君を操って、連れ回してたってこと?」

「そうです」

「あなたの目的はあくまでもわたしなんでしょ。だったら、もう凪君は解放してもいいんじゃない? これ以上、凪君に迷惑をかけるのは止めて」

 零菜は空色の瞳に怒りを湛えてヴァニタスを睨み付けた。

 冷ややかな口調には隠し切れない怒気が込められている。

「生憎と、そのつもりはありません」

 ヴァニタスは、零菜の要求をまったく無視してしまう。

「彼がここにいてくれたほうが、あなたも危機感を覚えるでしょう。わざわざ縛ったのもそのためですし。要するにあなたに見せ付けるための演出というヤツです。まあ、こういう役回りの似合いそうな人ですし」

 そう言いながら、ヴァニタスは凪の頭を横に逸らせる。露になる首筋に、牙を突き立てた。

「ああッ! な、なぁッ!」

 零菜は言葉を失って愕然とした。

 深くヴァニタスの牙が凪の柔肌に突き刺さり、鮮血が吸い出されている。

「ん、中々……わたしは燃費が悪いのですが、凪さんの血はわたしの欠点を補って余りあるものです。これも理由の一つ」

「こ、この……訳の分からないこと、並べ立てて、人に迷惑かけて」

 カタカタと零菜は肩を震わせる。

 いきなり巻き込まれた挙句に目の前で凪の血を吸われるという事態に脳が追いついていない。

「わたしがあなたに要求するのは、わたしと一戦交えていただくことだけ……それが、わたしの価値を明確にする唯一の道だからです。これは、わたしの理屈でわたしはこれをあなたに押し付けます」

 凪から離れたヴァニタスは、紅く染まった瞳を零菜に向けた。

 そして、零菜に向かって白銀の雷刀を投じた。

「ッ!」

 零菜は槍の黄金で飛んでくる刀を打ち払う。――――と、その時点でヴァニタスが零菜の懐まで飛び込んでいた。ヴァニタスの武器は二刀だ。一挺を投じても、もう一挺が残っている。

 零菜は半身になって刺突を回避する。空手だった左手に、いつの間にか短刀が握られているではないか。ヴァニタスは身体を反転させて、零菜を斬り付ける。

 首を目掛けて振るわれた横凪ぎの刃を零菜は咄嗟に槍の黄金の石突で受け止めた。火花の変わりに黄金と白銀の雷撃が弾ける。目の前で弾ける雷光に目が眩む。が、零菜は未来視でヴァニタスの動きを読み、連撃をギリギリのところで回避し、受け流す。

 眷獣と眷獣がぶつかるたびに、熱と魔力と光が飛び交った。

 ヴァニタスの剣筋は型に囚われない変幻自在の妙技だった。武器の性質からして重さはないが、斬撃の速さは驚異的とも言えるだろう。未来を予測する霊眼がなければ、数合のうちに斬り捨てられていたかもしれない。槍の間合いの内側に入られているということが零菜を追い込む要因であり、もう一つ零菜をして驚かせているのは眷獣でありながら槍の黄金と打ち合えているという点である。

 零菜の眷獣――――槍の黄金(ハスタ・アウルム)は世界的に見ても例のない魔力無効化能力を有する眷獣である。これはおそらくは母親からの遺伝的性質が具現したものだろうが、その効果ゆえにあらゆる眷獣を一方的に打ち倒せるのである。眷獣は魔力の塊である。その魔力を打ち消す槍の黄金は眷獣を扱う吸血鬼の天敵となる眷獣なのだ。本来であれば、ヴァニタスの眷獣もまた槍の黄金に触れた瞬間に消えていなければならない。だが――――、

「ぐ……!」

 踊るような回転斬り。二連撃を柄で受けて、零菜は三歩下がる。ヴァニタスの刃の白銀(シーカ・アルゲントゥム)は零菜の眷獣に触れても何も影響を受けていない。それはつまり、零菜の眷獣と同様の能力があるということだろう。魔力無効化能力の刃――――吸血鬼の再生能力を阻害するだけに、掠り傷が致命となりかねない。

「この、調子に乗るな!」

 零菜は槍の黄金に魔力を注ぎ、放電させた。雷撃が刃となり、ヴァニタスを押し返す。

「さっきから好き勝手なこと言って、迷惑なんだけど!」

「でしょうね。重々承知しています」

「分かってやってるから、なおのこと質が悪い……」

 表情一つ変えないヴァニタスではあるが、今の交錯で分かったこともあった。

 ヴァニタスの眷獣は確かに魔力無効化能力を持ってはいるが、零菜の眷獣ほど強力なものではないということだ。いぶし銀の黒髪が燻っていて、彼女の頬や裾にも電光で焼けた形跡が認められる。零菜のように全身に作用するものではないということだ。

 近接戦ではなく、遠距離戦にこそ活路がある。

「いいよ、やってあげるよ! 凪君に迷惑かけた分も含めてね!」

 槍の先端に雷の魔力が集中する。

 集積した雷撃のエネルギーをヴァニタスに向けて放射する。

「ッ!?」

 ヴァニタスは魔力の流れを読み、零菜の雷撃に先んじて身を投げ出した。刃の白銀の守りがあるとしても、それに頼りきりでは勝てる戦いにも勝てはしない。眷獣の守りが万全でない以上は、身体能力と判断力で身を守るのが大前提となる。その点、零菜ほどではないにしても未来を予測する力を持つヴァニタスは類希な身体能力もあって雷撃に先んじるだけの能力が備わっていると言える。零菜からすれば雷を避けたというのは驚きであろうが、ヴァニタスからすれば当然の帰結であった。

 雷撃の放射は予想外ではあったが遠距離攻撃をしてくる可能性は考慮の範囲内。対して零菜はまさか回避されるとは思ってもいなかった。その僅かな差が、ヴァニタスに反撃の糸口を与えた。

「モードチェンジ……」

 自己暗示めいた言霊と共に、ヴァニタスが弾丸となる。

 踏み込んだコンクリートの床が削れるほどの脚力による突進は、零菜の反応速度を瞬間的に上回った。目は追えている。霊視もヴァニタスの行動を予測しているだろう。だが、身体が付いていかない。それでも反射的にヴァニタスの斬撃に槍を合わせたのはさすがと言えるだろう。火花が散る。直後、ヴァニタスの強烈な膝蹴りが、零菜の腹部を打ち抜いた。

「うぐ……ッ!」

 呻き声を残して、零菜は蹴り飛ばされた。

 凄まじい脚力。内臓が破裂したのではないかと思えるほどの衝撃に曝されて零菜は床をバウンドして転がる。

「あぐ……ぐ、げほッ……!」

 嘔吐しかける零菜は歯を食い縛って堪えた。

 痛みに任せるよりも、乙女としてそれはできないという意地が勝ったのだ。とはいえ、ダメージは深刻だった。鳩尾に一撃を食らったのだ。身体の構造は人間と同じ。多少頑丈でも弱点らしい弱点は共通している。神経系が密集する鳩尾を強かに打ちぬかれたことで、零菜は呼吸困難に陥っている。不死の呪いがあろうが、この結果は変わらない。

 拘っていたわりにはあっけない終わりにヴァニタスは自分でも理解し難い無常感に苛まれていた。

 これは性能評価試験である。ならば、自分の性能がオリジナルである零菜の性能を上回っていたということが実証されたに過ぎず、それ以上の価値などないはずだ。

 理解できない失意を抱えてため息をついたヴァニタスは、半ば反射的に二刀をクロスして前面に構えた。視界を覆う雷撃の圧で、身体が浮き上がる。

「ぐ……!」

 魔力無効化の結界ごと押し戻されていく。チリチリと肌を焼く熱を感じる。ヴァニタスの眷獣では打ち消せる魔力量に限度がある。まして、魔力無効化の性質を帯びた雷撃ともなれば、完全に防ぎきるのは難しい。

 雷撃が通った後の鼻を突くオゾン臭も、屋上を吹き抜ける強風に流れて消えていく。

「もう立てるんですか」

 ヴァニタスは小刀を握る手に力を込める自分を止められなかった。それは、半ば無自覚の行動だったのだろう。

「何笑ってんの」

「笑ってる? そうですか?」

「人を蹴り飛ばしておいて、楽しそうにするなんて信じらんない」

 死ぬかと思った、という言葉を零菜は飲み込んだ。さすがに、そこまで弱みを見せたくはなかった。今、こうして立ち上がりはしたものの、頭はくらくらするし腹は痛いしで泣きそうなのだ。

「……で、何、その格好」

 零菜は槍を突きつけ、尋ねた。

「格好?」

「いきなり変身したのはどういうこと? あなた、獣人だったりするの?」

 零菜の問いは、ヴァニタスの外見にあった。

 彼女の頭に二つの突起が生まれているのだ。三角形のそれは、見るからに動物の耳そのものである。

「ああ、これですか。まあ、生えてきちゃうんですよね」

 ヴァニタスは自分の頭についた第三の耳の先端を掴んで言った。

「ちなみに尻尾もありますよ。こう見えて、獣人の因子も入っているので」

「言わなくていいよ、そんなのまで」

 ローブに隠れて見えないが、獣人だというのならばそういう変化もしているのだろう。通常の獣人のような完全に獣の外見になるのではなく、人の容貌を残したままの中途半端な獣人化である。希に、そういった個体が存在していることを零菜は知っている。例えば、彩海学園で教鞭を取っている、カーリという女教師はその類だ。本来の獣人ほどの身体能力を発揮できないために、嘲笑と差別の対象になるという。だが、それでも身体能力は常人の数倍以上。吸血鬼をも上回る。零菜をベースにしたホムンクルスと言いつつも、身体能力を獣人の因子で補強している点は、強化体と言うべきではないか。

「どっちかと言えば、キメラというのが正しいのかもしれませんね。わたしのようなものは」

「それこそ、どうでもいいよ」

 そんな呼び方に意味はない。

 零菜にとって意味があるとすれば、自分のホムンクルスを名乗るこの少女には断固として負けられないという点だけだ。

 状況は決して最悪ではない。

 ヴァニタスの能力に翻弄されはしたが、よくよく振り返れば彼女の身体能力も桁外れというほどではない。彼女を上回る身体能力を持つ獣人はごまんといるし、眷獣の性質でも零菜のほうが勝っているのは確実である。ただ、その二点が組み合わさって総合的にヴァニタスの能力値を押し上げているに過ぎない。適切に対処すれば、致命的なダメージを受けることはない。

 周囲を覆う結界も、槍の黄金の力でズタズタに引き裂かれている。ヴァニタスはその都度修復しているようだが、零菜からの攻勢が強まれば、それも間に合わなくなるに違いない。ここは護衛の入らない暁家の真上に位置するが、だからこそ異変を感じて駆けつけてくれる者もいるだろう。例えば、彼女の姉や妹がそうだ。遊びに行ってみんな不在なのが恨めしいが、そろそろ戻ってきてもいい頃ではないか。

「そうですね。その通りです」

 ヴァニタスは頷いて小刀を構え直した。

 白銀の電光が刃を流れている。零菜の槍を流れる黄金の電光とは異なる魔力ながら、その性質は非常に近しい。存在するだけで大気中の酸素をオゾンへと変換してしまうために、その周囲からは常に異臭を漂わせる。

「では、続きをしましょう」

 獣人に匹敵する身体能力でヴァニタスは零菜に接近する。獲物に向かってかける豹のように、しなやかな五体を駆使して滑るように零菜の胸に向かって刃を突き出す。

天球の蒼(エクリプティカ・サフィルス)!」

 零菜が対抗して膨大な魔力を解き放つ。

 槍の黄金(ハスタ・アウルム)ではない。また別の眷獣であろう。槍の黄金以外の眷獣については、組織のデータベースにも記載されていないのでまったくの不明である。だが、問題ない。刃の白銀はあらゆる魔を断ち切る。

 果たして、貫かれたのは衣服のみ。青と白で色づけされた彩海学園中等部の制服は無残にも焼け焦げ、両断されたブラジャーが転がった。

「な……」

 ヴァニタスはさすがに驚いて動きを止めてしまった。

 次に零菜の姿を認めたのは、遙か背後――――貯水槽のある場所だった。

「転移魔術? しかし、今のは……」

 確かに膨大な魔力の発露を感じ取った。あれはまさしく眷獣の召喚であったはずである。ならば、今召喚されたはずの眷獣が転移の能力を有していたということだろう。

「しかし全裸になるとは……わたしですらローブは着ているのに」

 ひゅん、と小刀を振るう。

 零菜の目的は分かっている。

 後は逃げるか向かってくるかの二択だろうが、向かってくるのであれば受けて立つ、逃げるのであれば存分に背後から刺すまでだ。

 

 

 

 ヴァニタスの予想の通り、零菜の第二の眷獣天球の蒼(エクリプティカ・サフィルス)の能力は転移ではあるが、それはあくまでも能力に一側面に過ぎない。本質は別にあり、極めれば時空すらも越えることができる――――つまりはタイムスリップを可能とする非常識な眷獣なのである。現状、零菜はそこまでには至っておらず、転移したとしても肉体と精神を飛ばすのが精々で、一度使えば衣服が残ることになる。

 一糸纏わぬ姿となった零菜はヴァニタスの速攻をやり過ごして貯水槽に縛り付けられた凪に駆け寄った。

 槍の黄金で縄を焼ききり、呪詛を取り除く。口からガムテープを剥がして完全に自由を取り返した。それでも意識が回復しないのは、強制的に眠らされた影響だろう。魔術による眠りから自然な眠りに変わったのだ。今目覚められても困るので、これはこれでいい。

「凪君、ゴメン」

 零菜は凪の首に噛み付いた。ヴァニタスが噛んだ部位とは反対側だ。一口だけ血を啜り、全身に活力を漲らせる。

「まあ、そう来るでしょうね」

 ヴァニタスが零菜の背後に飛び上がってくる。

「ちょっと、不愉快です」

「こっちの台詞」

 刃と刃が激突する。

 しゃがむ姿勢の零菜に対して、ヴァニタスは上から斬り付ける体勢である。体重をかけることができる上に筋力も上なので、押し切ることもできる。ヴァニタスはそう考えていたのだが、零菜を押し潰すことができないどころか、押し返されるという状況に困惑した。

 零菜の足元から影が伸び上がり、彼女の身体に巻きついていく。

「はあッ!」

 零菜は槍の黄金を振り上げて、ヴァニタスを振りほどいた。

 零菜の身体を包み込む影は黒い衣装となった。黒いロングコートと黒の手袋である。

「ッ!」

影の漆黒(リヒト・ニゲラ)

 零菜の右ストレートがヴァニタスの鳩尾に突き刺さる。

「ごふッ……!」

 数分前の焼き回しだ。立場の逆転はあるが、腹部を殴りつけられたヴァニタスが今度は宙を舞った。

「うん、よし」

 零菜は吹っ飛んだヴァニタスを見送った後で、拳を握ったり開いたりして状態を確認する。

 使い方は脳裏に浮かぶが、このような形の眷獣もあるのかと驚いた。

 麻夜の眷獣の性質に近いだろう。纏うことで、身体能力を飛躍的に高める効果がある。零菜はロングコートの前をしっかりと締めてから、凪の元を離れて屋上に舞い戻る。

「やられた分だけやり返してやったわ。どうよ」

「げほ、うぐ……ええ、まったく。これは辛いものですね」

 顔を歪めて、ヴァニタスは呟いた。

 急きこむ姿は先ほどの零菜を髣髴させる。

「どうするの? まだやるの? さすがにこれ以上は人がくると思うけど?」

「どうもこうもないですよ。ここまで来たら、最後までやるしかありませんし、あなたを逃がすつもりもありません」

 魔力が渦巻いていく。ヴァニタスを中心に強い魔力の奔流が発生しているのだ。

「じゃあ、叩きのめす。後悔しても遅いからね!」

 止まるつもりがないのならば、どこかで拘束しなければならない。 

 相手は吸血鬼。眷獣を保有している以上は中途半端な形での拘束では意味がない。周囲を危険に晒すだけである。

 零菜は強化された身体能力で駆け出した。今の零菜ならば、ヴァニタスまで二歩で届く。二歩目は拳を叩き込むための踏み込みとなる。一瞬に近しい短時間で距離を零にした零菜は固く握りこんだ拳を振りぬく。

「ぐ……!」

 だが、零菜の拳は半透明な黄金の膜に遮られて通らない。鋼鉄を打ち据えたような、硬い音が響くだけだ。

「今しばらくお付き合い願います」

 ヴァニタスは紅い瞳を輝かせて、眷獣を呼び出した。

黄金の腕を持つ者(クリソスロノス)

 暴風が物理的な力となって零菜を弾き返す。

 立ち上がったのは黄金の巨人だ。ヴァニタスを取り込んだ巨人は、表情のない顔で零菜を見下ろしてくる。

黄金の腕を持つ者(クリソスロノス)って、まさか――――」

 この巨人に酷似した眷獣を零菜は知っている。

 零菜の驚愕を、ヴァニタスは正しく理解している。

「そう、この子は人工眷獣(ロドダクテュロス)のデータを引き継いでいるのです。もっとも、断片的なものでしかありませんので、型落ち品とでも思ってください。人工物のわたしには、人工眷獣が相応しいでしょう」

 巨人が拳を握り締める。

 人工の眷獣と言ってもその力は絶大だ。薔薇の指先(ロドダクテュロス)の型落ちであろうとも、眷獣というだけで強大な戦闘能力を秘めているのは明白である。

 振り下ろされた拳は大魔術に匹敵する威力を誇る。直撃すれば、零菜とて無事ではすまない。

 零菜はするりとヴァニタスの攻撃を潜り抜けた。今の零菜は高速機動と先読みの組み合わせで、高い回避能力を身に付けている。大振りのパンチなど当たるはずもない。

「いやあッ!!」

 零菜は力いっぱい黄金の腕を持つ者を殴った。

 やはり固い。鋼鉄のような防御力である。

「う、わッ」

 零菜は慌てて距離を取る。

 黄金の腕を持つ者に触れた拳に異変があった。影のグローブがボロボロに崩れているのである。

「まさか、魔力を食って、わわッ」

 ゴミを払うかのように振るわれた腕を零菜は伏せて躱した。

 魔力を食らう眷獣と戦うのはこれが二度目。一度目は大蜘蛛の眷獣だが、そのときも零菜は魔力を吸い取られて瀕死にまで追いやられている。正直、苦手意識はあった。

槍の黄金(ハスタ・アウルム)

 だが、相手が魔力の塊であるのなら、槍の黄金が通じるのは自明の理。

 強化された筋力を駆使して、零菜は黄金の槍を一閃する。

 まるでバターを熱したナイフで斬ったかのように、あっさりと人工眷獣の腕が両断されて、虚空に消えた。

「じゃあ、決めるか」

 零菜はくるくると槍を回して切先をヴァニタスに突きつける。

 ヴァニタスは即座に失った腕を修復する。魔力があれば、いくらでも治せるということだろうか。それはそれで厄介な能力ではある。

 ならば、治らなくなるまで切り刻むか本体を叩く。それだけでの簡単な作業だと零菜は言い聞かせて、ヴァニタスとの決着に向けて踏み出したのだった。

 

 




今回凪君は完全に部外者。可愛い女の子に血を吸われるだけの簡単のお仕事でした。

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