二十年後の半端者   作:山中 一

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第三部 二話

 私立彩海学園は、暁の帝国でも指折りの名門校として知られる学校である。土地の都合もあって校舎は決して広くはないが、技術の進歩もあって絃神島の頃よりも高層建築が可能となった現代では、縦に増築が繰り返され、時代を先取りした先進的授業も内外からの注目を集めている。私立校でありながら、皇帝の出身校ということでも注目度が高く毎年高い競争率を記録している。

 この日は土曜日。

 最近の私立校にしては珍しく、彩海学園は土曜日の授業がない。そのため、通常ならば部活動に汗を流す生徒以外は、登校していないはずだが、この日ばかりはそうではない。

 年に一度の学園祭だ。

 中等部から高等部の上から下までがてんやわんやの大騒ぎになる日である。常から学業に駆り立てられている学生たちが、学内で多いに騒げる日というのは、そうそうない。学校の外ははろういんフェスタで盛り上がっていることもあって、学生たちの気分は最高潮に達している。

 そんな中にあって、難しい顔をしているのは帝国第三皇女暁零菜であった。

 多数の客でごったがえす第二食堂の窓際カウンター席に頬杖を突いてバニラシェイクを啜っている。

 隣に座っている麻夜は、そんな零菜を眺めて微笑ましげにしている。顔立ちはまったく違うがれっきとした姉妹であり、両者共に高レベルの美少女と言うに相応しい容貌である。街を歩けば声をかけられることも珍しくないが、ここは学食、彼女たちの身分を知る者も多い。気さくに接してくれる友人は多いが、他学年の生徒などはやはり遠巻きに眺める程度である。そうしたこともあって、少々近付きづらい雰囲気になっているのだろう。人目は引いても、不用意に話しかけてくる者は皆無だった。

「まだ、連絡付かない?」

 麻夜が聞いた。

「全然」

「そう、何してんだろうね」

 麻夜は困ったように笑みを零す。

 零菜の手には携帯端末があり、着信履歴には同じ番号への発信が六回も溜まっている。

「麻夜ちゃんは?」

「僕のほうも全然だね。電話に出ないし、既読も付かない」

 麻夜は携帯の画面を見せる。

 確かに既読のマークが付いていない。携帯を見てもいないということか、それとも表示だけ見てアプリを開いていないのか。後者だったら完全に無視されているということになる。

「むぅ、せっかく案内してあげようと思ったのに」

「何かあったんだろうね。さすがに何の連絡もなくデートすっぽかすタイプじゃないからね」

「……デートじゃないし。てか、麻夜ちゃんもいるじゃん」

「まね。僕のシフトは午前だけだったし、暇だし」

 麻夜も零菜も自分の教室の出し物は午前中のみの参加だった。厳正なる籤の結果だ。午後のほうが余裕をもって回れるので、午前シフト希望者は熾烈な争いだったのである。とはいえ、蓋を開けてみれば凪が現れなかったことで零菜の午後の予定は空白になってしまった。開校日なので、授業が終わる時刻までは学外に出ることは許されておらず、結局残りの半日が宙ぶらりんになってしまった。

「連絡つくまで、その辺うろつくのもありじゃない? どうせ、学校からは出れないし」

「そうだね。萌葱ちゃんのとこ行ってみる? 高等部見学兼ねて」

「あっちには滅多にいかないし、行くかな」 

 萌葱は一つ年上の高校生である。敷地を同じくしていても、高等部と中等部では意識の面で大きな違いがある。高校生が中等部に顔を出すことは滅多にないし、その逆もまた然りである。零菜も麻夜も、用事がなければ高等部の校舎には立ち入らず、その用事自体がそもそも存在しない。そして、高校生も中等部には立ち入らない。禁止されているわけではないが、意識的な部分での壁が生まれるのである。部活動くらいだろうか。両者が繋がるのは。

 零菜と麻夜は揃って席を立つ。ゴミを捨てて学食を後にした。残されたのは二人の会話を盗み聞きしていたその他大勢のざわつきだけだ。

「デートって?」

「嘘やろ、誰ですの相手は」

「れぐるす・あうるむ不可避」

 等々、憎悪や好奇がどこの誰とも知らぬ相手に向けられる。なお、この後容疑者に上がった数名が無実ながらも追い回される悲劇に見舞われるが、零菜とその関係者にはまったく関わりのない話である。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 かつて、波朧院フェスタと呼称されたイベントが絃神島にはあった。当時は、島の規模も大きくはなかったので、島全域を巻き込むようなイベントとなったようだが、暁の帝国となって十年の月日が流れる間に国土は膨張し、今では日本の四国と同程度の大きさにまで成長している。結果、島全域に渡ってのイベント開催というのはまず不可能になってしまい、はろういんフェスタのメイン会場は中央行政区が担うことになった。もちろん、帝国内各地で便乗したイベントは行われているので、関連行事を含めれば国全域が祭の空気に飲まれているとも言えるだろう。

 ちなみに名前がはろういんフェスタに変わったのは、絃神島から暁の帝国として独立したこともあるが、何よりも漢字が分かりづらく、商業的に利用しにくいという理由によるものである。

「では、第三オーダーです。あのチョコミントアイスはろういんバージョンの購入を要求します」

「ぐぬ……!」

 ケヤキの街路樹がその名の由来である中央行政区けやき中央通は、はろういんフェスタ開催直前の金曜日と開催期間中の土日に限って歩行者天国となり、多くの露店が立ち並ぶ。若者が普段集まる繁華街――――中央3号線と垂直に接続する位置にあり、マンションやアパートが立ち並ぶ区域である。

 一年に一度のお祭に引き寄せられた無数の客でごったがえす通りを凪は歩いていた。隣には、凪から血を吸った少女がぴったりとくっ付いており、腕まで組んでいる。フードをすっぽりとかぶって顔を見せない彼女は、凪から離れることなく、これはと思った食料を凪の財布を使って物色しているのである。

「お前、ホントに何なんだよ」

 凪は振りほどこうにも振りほどけない少女に毒づく。

「見ての通り、今は昏月さんの彼女です」

 などと、表情を変えることなく言う。

 彼女の名はヴァニタス。

 あくまでも自称で身分を示すものは何もない。服もなかった。昨夜、凪を一時的に前後不覚にした後、彼女は凪の家に上がりこんだ。その際はローブの下に何も着ていなかったのである。彼女の正体について、はっきりしたところは何もないが、自力で意識のみは回復できた凪はヴァニタスにジャージを着るように嘆願したのであった。そういうこともあり、今のヴァニタスは真っ黒なローブの下にジャージを着ているという何とも滑稽な格好をしている。女性用の服など、凪は持っていないのだから仕方がない。

 フード付きローブは如何にもハロウィンという雰囲気である。周囲にもコスプレをした人たちが溢れているので、決してヴァニタスが浮くこともない。

 道路脇に設置されたベンチに座り、バリバリとコーンを齧りつくしたヴァニタスは、指についた溶けたアイスを舐めてから立ち上がる。

「それでは次に行きましょう。そろそろ三時。おやつの時間です」

「今食ったろ! いい加減にしてくれないと、俺の財布が死ぬ! お前、目的何なんだよ!」

 思わず怒鳴る凪を尻目にヴァニタスは腕を絡み付けて凪を引っ立てる。けやき中央通を抜けて、中央3号線に出る。そして、きょろきょろと周りを見回して、近くのケーキバイキングに乗り込んだ。

 凪からすれば堪ったものではない。

 一夜を明かし、午前中も大人しくしていたヴァニタスが昼頃から凪を操ってはろういんフェスタに出向いている。しかも、凪を自分の彼氏として扱い、露店巡りを決行している。金の出所は凪の財布であり、普段それほど出費せず貯金している凪の財布が急速に萎みつつあった。

 ケーキバイキングはやはり盛況で、席に着けるまで実に三十分も待つことになった。それでも、運はいいほうなのだろう。ガヤガヤとざわめく店内の片隅で、凪とヴァニタスは向かい合って座っている。

「昏月さんも、好きな物を取ってきていいですよ」

「俺はいい。コーヒーがあれば十分だ」

 食べ放題に払う金はない。ないが捻出しなければならない。となると出費はヴァニタス一人分に絞ったほうがダメージが少ない。

「では、いただきます」

 フードを外し、ヴァニタスはその可憐な容貌を露にする。

 隠れた素顔――――それは凪の従妹、暁零菜にそっくりだった。

 相変わらず無表情のまま、スプーンを皿と口で行き来させる。止まることがないので、美味しいとは感じているのだろうが、如何せん彼女の表情から読み取れる情報がほとんどない。口は達者なようだが、こんなことをする目的が未だに掴めない。

「なあ」

「はい」

「そろそろ目的を教えてもらえないか?」

「いいですよ」

 あっさりとヴァニタスは了承した。

 席に着いてから二十分弱。三種類のカットケーキを胃に送り込んだ直後であった。

「わたしの目的は簡単です。マスターからのオーダーを実行することに尽きます」

「マスター?」

「大村夕美の名で世間的には知られているでしょう。最近も、ニュースになっていました」

「大村、夕実……おい、まさか」

 時事問題に疎い凪ですらその名に聞き覚えはあった。

 昨今国内で発生したテロ事件の主犯格とされている人物である。実行犯であるジェリー・ブラッドを雇い、国内で活動させた人物として特区警備隊に追われ、先日討伐された女。人身売買を主とした犯罪組織の長であることが判明し、特区警備隊は引き続きその下部組織の撲滅のために忙しくしていると聞いている。

「特区警備隊が組織を攻撃する直前に、わたしは起動しました。オーダーは二つ。一つは『ヘマをしたジェリー・ブラッドの抹殺』もう一つが『性能試験』です」

 ヴァニタスは紅茶を口に含み、周囲を探ってから言葉を続ける。

「前者はすでに達成済みです。直に発見されるでしょう。後者についてはこれから実行します」

「達成済み? お、おい、まさかと思うが……」

「ジェリー・ブラッドには裏切りを防止するための追跡装置が渡されていましたので、見つけるのは容易でした」

 さも当然とばかりに言うヴァニタスではあるが、彼女の言が正しければジェリー・ブラッドはすでにこの世にはいないことになる。聖域条約に基づけば、確かにジェリーほどの悪人魔族は討伐されても仕方がないが、それは攻魔官の仕事であろう。もちろん、犯罪者同士の抗争の末に死亡したジェリーに思うところはないが、零菜と同じ顔をした少女が何と言うこともなく口にするとなれば、戦慄を覚える。

「性能試験ってのは……」

「暁零菜を凌駕すること。それを以て吸血鬼のホムンクルスに付加価値を付け、ビジネスとして安定させるというのがマスターの思惑でした」

 それは、ジェリー・ブラッドの殺害宣言以上の衝撃を凪に与えた。

 ホムンクルスは古くから存在する人工生命体で、錬金術に該当する。製造技術は十六世紀にはほぼ現在と同じ水準で確立していたとされるが、倫理面やあまりにもコストが高いという理由から、ほとんど下火になっている技術体系である。同時に科学の発展に伴いクローン技術が誕生するとますますホムンクルスの有用性が失われることとなった。

 それは世界の常識である。

 まして、吸血鬼のホムンクルスは作れないともされている。不死の呪いや眷獣の再現は現在の技術では届かない神代の技法である。

「マスターはそれを可能としたのです。ホムンクルスに付加価値が付けば、高額の製造費用を捻出することも容易となり、わざわざ商品を誘拐する必要もなくなるというのが出発点だったようです」

 凪の常識を遙かに上回る衝撃的な裏話だ。

 彼女のマスターは人身売買組織の長であり、取り扱う商品は人間、あるいは魔族である。今の時点では貧困による身売りや戦争難民などを拉致するほうが安価に済むが、吸血鬼のホムンクルスとなれば兵士としても高い価値が生まれるだろう。その一点に賭けて、落ち目となった組織を立て直すべく大村夕実は残酷な実験着手したのだ。

「お前がホムンクルスということは……お前は……」

「わたしは暁零菜の遺伝子情報をベースに製造されています。もちろん、純粋な吸血鬼ではなく獣人や夢魔の性質も組み込まれていますが、眷獣の使用も可能です。何故、わたしが第三皇女をベースにしているかは、言わずとも分かるかと思います」

槍の黄金(ハスタ・アウルム)……か」

「はい。魔力を無効化する眷獣は、貴重且つ戦力として申し分ない。量産できれば、真祖にすら対抗できる軍勢が作れるでしょう」

 もっとも、そんなに上手くことは運ばない。

 吸血鬼のホムンクルスを製造できただけでも、奇跡的だったのだ。槍の黄金の完全再現は終ぞ実現できなかった。ヴァニタスに与えられたのは、不完全な人工眷獣。吸血鬼ではあるが、吸血鬼としては半端な存在なのだ。

「昏月さんを巻き込んだことについては――――そうですね……恐らくは申し訳ない、というのでしょうか、この気持ちは……言葉にできない感情があるのは事実です」

「そう思うなら、自由にしてもらえないか? ついでに、零菜を巻き込むのもやめてもらえるとありがたいんだけどな」

「それはできません。マスターのラストオーダーは最優先事項です」

 にべもなく、ヴァニタスは言った。ホムンクルスの思考は、主に縛られることが多い。

「もう少し協力していただきます。あなたとアベックごっこをしていれば、フードを被っていても怪しまれずに行動できますので」

 ヴァニタスはフードを被って顔を隠す。零菜に似た顔立ちというのは、それだけで人目を惹き付ける。皇女であると理解できる者はそう多くないだろうが、美貌が目立つというのはあるだろう。それを避ける意味でも、フードは必要だと判断しているのだ。

 誰かに助けを求めることもできない。ヴァニタスの魔術か眷獣か、何かしらの能力なのだろう。言葉は話せるが、特定のワードが喉に引っかかって出てこないのだ。それは、誰かに助けを求めたり、ヴァニタスを告発するような言葉である。

 立ち上がったヴァニタスは、凪を操って立たせる。

「では次に行きましょう」

「この買い食いに意味はあるのか? 最優先事項はどうした!?」

 凪の主張も空しくヴァニタスははろういんフェスタに盛り上がる街に繰り出していく。

 零菜もそうだが、財布の心配もしなくてはならない。凪は終わりの見えない「デート」に戦慄し、冷や汗をかくのだった。


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