二十年後の半端者   作:山中 一

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第三部 一話

 ジェリー・ブラッドは世界的に知られたテロリストであり、隠密性に優れた眷獣を使った他者を操ることによる突発的なテロを得意としている。その能力ゆえに、各国の捜査機関の手を逃れて各地を放浪し、犯罪組織から金を得てテロを行う悪質な犯罪者である。

 百年余りの年月を裏の世界で生き延びてきたジェリーが絃神島とかつて呼ばれた暁の帝国を訪れたのも、ある組織からの依頼を受けてのことだった。

 とはいえ、今回は散々だった。

 暁零菜に毒を打ち込むという依頼は、結局失敗に終わった。混乱に拍車をかけるために妹のほうに毒を打ち込みはしたが、依頼主は余りいい顔をしないどころか、報酬の支払い拒否までし始めた。

 もともと、ジェリーに支払う金などなかったのだろう。彼らは人身売買を生業とする犯罪組織ではあるが、大陸の組織との競争に敗れてすでに落ち目である。第三皇女を狙った理由はいくつか考えられるがもはや、その思考に意味はない。

 組織は潰えた。

 ジェリーよりも先に、特区警備隊にかぎつけられて暁の帝国での活動拠点が虱潰しに消されているのである。こうなっては、依頼主へのお礼参りにも行けない。それどころか、無事にこの島から脱出することも難しいだろう。何せ、ここは人工の島国である。脱出の難しさは、国境が地続きの他国とは次元違いである。

 幸い、ジェリーの風貌はアジア人としても通用する。人込みに紛れて数日をやり過ごし、精神操作の眷獣を駆使して一般家庭に入り込めば、まず見つかることはない。

 こうして、百年もの間警察組織の目を逃れてきたのだ。まさか、縁もゆかりもない家の中で普通に過ごしているとは誰も思わないだろう。折を見て、地方に住居を変え、然る後に国外への高飛びを検討しなければならない。

 住宅街に逃げ込んだのは、監視カメラの数が少ないという理由もあってのことだ。徹底的な監視社会は、現代の先進国では実現することは難しい。特にプライバシーの問題に触れるとあっては、行政も住宅地に監視カメラの設置は困難だからだ。仮に暁古城を初めとするこの国の上層部が、そうした管理徹底をしているというのならば話は別だが、あの性格でそれはしないだろう。

 老夫婦の息子という立ち位置を擬似的に獲得したジェリーは、宛がわれた自室に引き篭もって思案に暮れる。不老不死なので、時間をどれだけ無為に過ごしても失うものはない。そういった余裕もあって、ジェリーは何年でも今の生活を維持する心積もりでもあった。隙を見つけて、国外逃亡を図る。

 何と為しにテレビを付けるジェリーは、ニュース番組に思わず視線を止めてしまう。

『はろういんフェスタの開催を明日に控え、けやき中央通はすでに様々なコスチュームに身を包んだ人たちで賑わっています!』

 レポーターが興奮したように喋っている。

 ジェリーが起こしたテロ事件が解決に向かって進んでいることもあり、世間は明るい話題を取り戻しつつある。

 はろういんフェスタは絃神島の時代から続くハロウィンをモチーフにした祭を暁の帝国風に作り直したもので、十月の第二土曜日から一週間に渡って行われるのが慣例になっている。もはや宗教上の原型はなく、コスプレや露店が立ち並ぶ帝国独自の祭へと昇華したそれは、億単位の経済効果があるとも謳われる一大イベントである。

 海外からの観光客も著しく増加することになる。

「チッ、しばらくはここにいるしかねえか」

 ジェリーは舌打ちをしてベッドに寝そべった。

 人の出入りが多くなるということは、それだけ空港や港の警備が厳しくなるということである。国外に抜け出すのならば、イベントが終わって気が抜けた頃を狙うのがいい。

 時間が経過すればするほどに、ジェリーに対する警戒心は薄れていくだろう。焦らずに、その機を待つべきだと判断した。こうした判断力は、決して強力な吸血鬼ではないジェリーを長年官憲の手から逃れさせてきた武器である。

 くだらない情報を垂れ流すテレビは消してしまってもいいのだが、如何せん自分は追われる身。情報源は多いに越したことはない。

 菓子でも食べようかと、居間から持ってきた菓子袋に手を伸ばす。この国の菓子類はコンビニで売っているものでもかなり美味しい。

 ドアをノックする音を聞いて、ジェリーは警戒心を高めた。最小限の動きで立ち上がり、いつでも眷獣を出せるように準備する。

 先ほどのノックは三回。この家の人間には、ノックを五回するように暗示をかけてある。つまり、今、ドアの外にいるのはこの家の住人ではないということだ。

 また、トントントンと三回のノック。気配は一つだけだ。声を殺し、じっとしていると床を軋ませてその人物は去っていった。遠のく気配に、ふうと息を吐く。

 しかし、何者だったのか。

 声をかけることもなかったというのは解せない。特区警備隊が動いているというのならば、周囲はもっと騒然としているはずである。

「ッ……」

 隣の部屋から物音がする。ガチャン、と鍵を開ける音の後に引き戸を開ける音が続く。

 この部屋のベランダは、隣の部屋のベランダと繋がっている。相手の狙いを察した時には、すでにジェリーは発見された後だった。

 現れたのは、十代中頃の少女だった。

 陽光に濡れたいぶし銀に近い黒髪と、魔法使いのような長い黒ローブという全身を黒尽くめでコーディネートした出で立ち。普通であれば目を引く姿も、はろういんフェスタを控えた今は奇異というほどには目立たない。無論、ベランダにそんな人物がいれば衆目を引くのは当然であろうが。

「ジェリー・ブラッドを捕捉。オーダーを実行します」

 その一瞬をジェリーは理解できないまま跳ね飛ばされた。

「が……!」

 窓ガラスが砕け散り、突風に舞うガラス片が身体を傷つける。

 ドアに背中から叩きつけられたジェリーは咳き込みながら襲撃者を改めて見遣った。

「お前、何をする!?」

「マスターからのオーダーにより、あなたを抹殺します」

 これ以上ないほど明確な殺害予告。しかし、フードに隠れた顔からはまったく殺意を感じることができない。彼女の言の通り、これは彼女の意思によるものではなく命令を実行しているだけなのだろう。

「ふ、ざけんなよ、小娘!」

 立ち上がったジェリーに傷はない。吸血鬼は多少の怪我なら瞬く間に治せてしまうからだ。

「あのジジイの差し金だろうが、そう上手く行くとは思うなよッ」

 この少女は、雇い主たる組織の長が口封じに放った刺客と見て間違いない。

「てめえの主は今何をしている? 特区警備隊にとっ捕まったはずじゃねえか? 助けに行かなくていいのか? ええ?」

「マスターから救出の依頼は受けていません」 

「そうかよ。融通の利かない小娘だな!」

 室内に真っ赤な蜂が溢れかえった。 

 それは一瞬の出来事で、出現を予感させるものもなかった。小さな蜂の群れは虚空から現れるや少女に向かって殺到する。

「感情の爆発で自滅しな!」

 赤いジガバチの群れは全方位を取り囲み、少女の身体を押し包む。攻撃性能は低いものの、一刺しで吸血鬼すら前後不覚に陥れる精神攻撃である。それが数十匹分ともなれば、心が崩壊して死に至ることもある。

 敵を倒すのに大仰な眷獣など必要ない。狭い室内に踏み込んだ時点で、ジェリーが圧倒的に優位だったのだ。

 しかし、そんな勝利の確信は黄金に輝く膜の前に霧散する。

 少女を取り囲むように展開される黄金色のカーテンがジェリーのジガバチを寄せ付けない。それどころか触れた傍から消えていく。――――食われていく。

「なん、うぐ……! てめ、俺の眷獣を……!」

 眷獣を介してジェリーの魔力がごっそりと抜け落ちる。金色のカーテンが次第に厚みを増し、薄らと輪郭の分かる巨人の姿を象り始めた。

黄金の腕を持つ者(クリソスロノス)

「ま、待て……待て! やめろおおおおおおおおおお!」

 光が満ちる。

 ジェリーの断末魔は黄金の眷獣を操る少女には届かない。メリメリと身体を押し潰される感覚に絶望しながら、ジェリーの意識は消えていった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 金曜の午後、学校を終えた凪は真っ直ぐ帰宅することはせず、友人とともに中央行政区のけやき中央通りに出向いていた。

 はろういんフェスタイブともなれば、すでに祭時と寸分違わぬ集客である。歩行者天国となった大通りの左右に並ぶ露店は日本のそれと大差ないが、これはあくまでも一部に過ぎない。絃神島のときからの伝統で、はろういんフェスタは大企業がそれぞれの技術や商品を世間に喧伝する日でもあり、決してけやき大通りだけが会場ではない。中央行政区全域に渡って、この機に乗じて一攫千金を目指す企業が主催するイベントが重なるのである。

 一通り騒いだ後で、凪は帰路に着く。

 午後九時を回るくらいだろうか。

 祭のメイン会場から離れれば、さすがに人通りは落ち着いてくる。車通りが多いのは仕方ないことではあるが、住宅地に入ればそれも普段を大きくは変わらない。 

 遠くから聞こえてくる祭の音色を聞きながら、凪は薄暗い夜道を歩く。凪の自宅は通りに面した古いマンションだが、近道のために住宅地を抜けるのはお決まりの通学路である。

 そういえば、はろういんフェスタ中に彩海学園は学園祭をするらしい。凪が通う、至って普通の公立校は、そんな気配はまったくなく、祭の開催期間中だからといって羽目を外すことがないようにとの通達が出される程度である。

 何せ学生世界は短いながらも秋休みに入るのだ。土日を入れて五日の連休となれば、学生の気持ちが浮かれてしまうのも当然であろう。

 月明かりに照らされた路地を歩いていると、ゴミ捨て場の傍にしゃがみこむ人物を見つけた。

 そんなところにしゃがみこんでいるのも不審であるが、何よりも黒いローブを来ていてフードで顔を隠しているというのが何よりも気になった。気にはなったが、ついさっきまではろういんフェスタで盛り上がるけやき中央通りを練り歩いていたのである。コスプレははろういんフェスタの華である。別におかしくもないかと、凪は一人勝手に納得した。

 たった一人で、人気のない路地に座り込んでいる、という事実については不審といわざるを得ない。無視するというわけにもいかず、声をかける。

「あの、どうかしましたか?」

 何か事件に巻き込まれたか、体調不良か。

 電灯が点滅する。

 フードの奥で瞳が動いたのに気付いた。紅い瞳が凪を見ている。カラーコンタクトでなければ、吸血鬼ということになるだろう。

「あなたは……?」

 暗くてよく見えないが、その人物は凪と同い年くらいの少女だった。声には特におびえもなく、落ち着いている。事件に巻き込まれたわけではないらしい。

「こんなところにしゃがみこんでいたから、調子でも崩したのかと思って声をかけたんだけど……」

「そうですか、それはご心配をおかけしました」

 少女は外灯を支えにして立ち上がる。身長は凪の胸くらいまでか。ちょうど零菜と同じくらいの身長だ。立ち上がった少女は、膝に力が入らなかったのかがくりと体勢を崩した。

「あ、あぶね!」

 凪は咄嗟に少女を抱きとめる。

 しゃがみこんだ凪は身体を下にして少女を受け止めることに成功した。

 倒れこんだことで、フードが外れた。凪の胸に顔を押し付けるようにしているので顔は見えない。電灯に照らされる髪はいぶし銀色をまぶしたような綺麗な黒髪だった。

「一つ、お願いが」

「救急車なら、すぐに呼ぶけど」

「いえ、それは不要です。ただ、あなたの血をいただきたいのです――――昏月凪さん」

「な――――、ぐ!」

 ぎちり、と身体に重しを付けられたような気がした。密着状態からの拘束魔術だ。手足が棒になってしまったかのように動かない。

 少女が動き出す。

 守りをなくして、露になった風貌が凪の眼前に現れる。

「お前――――なんで」

 驚愕に目を剥く凪を尻目に、少女は牙を突き立てる。

 痛みを感じる間もなく凪の意識が遠退いていく。これもまた、何かしらの魔術行使であろう。抵抗するということがまったく許されないまま凪は力なく路上に倒れこんだ。

 変わりに少女は立ち上がった。

 凪の血を吸って、活力を取り戻したらしくふら付くこともない。

「ラストオーダーを決行します。お手伝い願います、昏月さん」

 ぴくり、と凪は覚醒する。

 焦点の定まらない瞳で少女を見上げる。

 自由意志のない感情の抜け落ちた表情が、凪の置かれた危機的状況を物語っていた。


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