二十年後の半端者   作:山中 一

2 / 92
第二話

 作戦は夜を待って行われる。

 最優先に確保するべきは三人。二十代の男が二人と、百年を生きた吸血鬼の女が一人だ。

 危険なのは、吸血鬼の女のほうか。戦闘経験の有無に拠らず、魔族というのは人間以上の能力を秘めている。とりわけ吸血鬼は、眷獣を従えているので本人の実力以上の危険がある。

 作戦としては非常に簡単だ。

 密かに施設を取り囲み、対象者が退勤してきたところに同行を求める。抵抗することがあれば実力行使となる。

「いきなり配置につけって言われたんですよ」

「あの教官の弟子ってだけでも尊敬するがね。少年」

 三十人の武装した隊員が、大型車の中で待機する。

 凪が送り込まれた車には、男女合わせて五名が乗り合わせていた。

 大型車両が停車しているのは、広大な駐車場の隅だ。

 車内の詰める隊員のうち、運転席にいる隊員以外は武装を済ませている。

 スパイに同行を求める穏便なやり方をする初動の部隊はスーツ姿だが、彼らは後方に控える実働部隊。戦闘行動が行われた際に前線に投入される部隊である。

「まあ、大抵こういう場合は素直に勧告に従ってくれるから、戦いになることって少ないんだけどね」

 隣に座っている女性隊員が気さくに声をかけてくる。それに対して、班長が嗜めた。

「そう言うな。油断は命取りだぞ。なんせ、相手は吸血鬼だ」

「わたし、眷獣の相手ってアスタルテさんしかしたことないんですよね」

「だったら、今度第三管区の吸血鬼に組み手を頼めばいい。合同訓練のときにでもな」

 国内にいる吸血鬼の絶対数はまだ少ない。“第四真祖”が世に認められて二十年余しか経っておらず、その血族も二世までだ。他の“夜の帝国(ドミニオン)”のように、皇帝たる真祖の血筋を主体とした戦力が構築できていないのが、この国の弱所であり長所でもあった。

 そのため、特区警備隊(アイランドガード)内に占める魔族の割合は二割程度で、吸血鬼となるとさらに少なくなる。

「と、来たぞ」

 車内に緊張が走った。

 駐車場に現れた三人は、間違いなく問題のスパイとみなされる者たちだ。白衣を着ていていかにも研究者といった風である。

「三人纏めてか。あまり、上手くはねえな」

 隊長が呟くと、女性隊員が頷いた。

「そうですね。できれば、一人ずつ確保するのが一番だったのですけど」

「まあ、想定内でもある。後は、素直に投降してくれれば御の字だが……」

 ライフルを握る手に力が篭っている。

 凪が見守る中で、静かに近付いていった特区警備隊計十人が、三人を取り囲んだ。

 少しして、男の一人が包囲を破ろうと突進して、もみ合いになった。

「総員準備!」

 号令と共に車外へ飛び出していく実働部隊。

「昏月君は、とりあえずここで見ていなさい」

 隊長に厳命され、凪は後部座席に浮かせかけた腰を落ち着ける。

 面倒くさがりの凪は、やるべきことはやるが人任せにできることは人任せにする主義である。異論なく、傍観に徹することにした。

 そして、戦闘が始まった。

 初めに接触した十人が一様に宙を舞った。突如吹きあれた想定以上の魔力が隊員の対魔防御を上回ったのである。

 そこに駆けつけた特区警備隊は二十人。そのうち、魔族は吸血鬼の隊員が一名である。相手にも一名吸血鬼がいるとはいえ、力ならば、これで互角以上である。

 対魔族用のアサルトライフルを構えた隊員が三名のスパイを包囲し、投降を勧告する。怪我をした十人も、包囲の輪に加わる。また、戦闘不能になるほどの怪我ではなかったのであろう。

 しかし、それだけの人数差がありながら、戦況は一進一退を繰り返していた。

 それは、女吸血鬼の眷獣が、調査段階で浮かんでいたものと性質を異にしており、しかも非常に強力だったからである。

 十メートルはあろうかという蟹の眷獣であった。

 硬い甲羅が、銃弾をいとも容易く弾き返し、巨体が振り下ろす鋏は凶悪な威力で特区警備隊の接近を封殺する。さらに、厄介なのが吐き出す泡だ。大量の泡が、三人を覆い隠してシェルターのようになってしまったのだ。泡の強度は銃弾を弾くほどで、泡の外では蟹の眷獣が特区警備隊の吸血鬼の眷獣と殴り合いをしている。

 巨大な犬の姿をした眷獣も蟹の眷獣に負けていないが、勝っているとも言い難い。

「初動でミスったな、こりゃあ」

 頭を掻いて戦況を見守る凪は、誰にともなく呟いた。

 相手が吸血鬼なのだから、眷獣での抵抗も想定はしていただろう。だが、質と能力が想定外だったわけだ。通常装備で、あの眷獣は倒せまい。こちらの吸血鬼がどれほど善戦できるかというところにかかっているだろう。

 とはいえ、特区警備隊も馬鹿ではない。

 攻撃が通じないと分かれば、持久戦に持ち込むだけだ。

 相手は篭城しているに等しい。眷獣同士でぶつかっているから消耗は続いていく。敵の抵抗も、そう長くは続かないだろう。

 戦線を下げた特区警備隊は相手の動きを押さえるために銃撃を続ける。

 膠着状態が続くほど、天秤は特区警備隊に傾いていく。

「ん……?」

 それに気付けたのは、離れたところから傍観していた凪だけだった。

 戦闘に集中するあまり後方支援を専門とする部隊も、その強襲を把握できなかった。しかしながら、把握できたからといって、対処できただろうか。

 突如として空に現れた怪炎が、今まさに降り注がんとしていたのである。

 一瞬にして、視界が赤く燃え上がる。

 敵の正体は鳥の姿をした眷獣であった。燃えるような赤い翼の眷獣が、火を吹いて地上を焼き払ったのである。

 爆風で特区警備隊の包囲網が崩れ、巨大な犬の眷獣は炎に包まれて炎上した。

 その隙に、蟹が犬に襲い掛かり、首を一撃の下に切り落としてしまった。

 断末魔の悲鳴すら上げずに消える犬の眷獣。眷獣のダメージは宿主にも影響する。吸血鬼の隊員は、大幅に戦闘力を削られたといっていいだろう。

 吸血鬼を倒したのなら、後は特区警備隊の人間だけだ。もはや、女吸血鬼に敵はない。堂々と、この戦場から逃亡するだけだ。

 おまけとばかりに、巨鳥が炎の弾丸をばら撒いていく。駐車場全体に炎が飛び散り、大炎上する。

「うおぉぉ、ヤベエ!」

 危険を察して、凪はドアを開けて外に転がり出た。

 その直後、火球の一つが凪のいた大型車両を直撃し、爆発した。

 間一髪で命拾いした凪は仰向けに転がる。炎の熱が肌を焼き、怒号が響き渡る。救助と増援を求める声が飛び交う中で、三人の犯行グループは夜闇に紛れて姿を消した。

「……那月ちゃんに殺されかねねえか」

 あの魔女が敵の逃走をみすみす見逃したとなったら、どのような鍛錬を後で課してくるか。後ろで見てろとは言われたが、逃げる敵を追うなとは言われていない。それに、敵が向かってきたらそれはこちらの仕事だとも言われた。

 特区警備隊が見事に敵にしてやられたからには、自由に動ける自分が何とかしなければならないだろう。

「最低限、何とかしようとした体は装わないと、死ぬな」

 凪は身体を起こして、状況を確認する。魔力によって発生した炎がアスファルトを溶かし、悪臭を放っている。

 よし、やるかと凪は髪についた砂埃を払って動き出した。

 特区警備隊の中の何名かが、逃げた相手を追いかけているようで、爆発が続いている。それは、敵の眷獣が激しく応戦しているからであろう。

 凪は魔力を搾り出して重力を軽減し、手近な倉庫の屋根に飛び乗る。

「いた」

 相手は五百メートル先で、道路を封鎖していた特区警備隊の包囲網を蟹がこじ開ける。バリケード如きでは、押さえることはできない。

 となれば、やはり眷獣での戦いになるだろう。

 凪は屋根から屋根へ飛び移る。体重を軽くして踏み出し、即座に体重を戻す。それを繰り返して、加速し、一息に数十メートルを跳ぶように走る。

「来い、不出来な黒剣(インフェリア・アーテル)

 右手に現れたのは、光を放たない漆黒の剣だ。刃渡り一メートルほどで、飾りの類は一切ない。

 凪の第七の眷獣。意思を持つ重力剣であった。

 凪は、戦う準備を済ませた上で、相手を待ち伏せることにした。

 やるなら奇襲だ。

 凪は近接戦闘なら大抵の相手に勝つことができると自負しているが、体質の影響で長時間戦い続けることができない。ドツボに嵌る前に、速攻で決める。

 倉庫の屋根に隠れて凪は、座る。剣の腹を額に当てて、深呼吸する。

 実際に戦うのは、これが初めてだ。

 緊張はするし、怖い。

 不死性の低い凪は、死ぬときはあっさりと死んでしまう。油断は禁物である。

 敵が走ってくる。ここまでの抗争で、吸血鬼の女以外は脱落したようだ。つまりは、タイマン勝負となる。

 相手は包囲網を食い破ったばかりでこちらにまで意識を割く余裕はないはずだ。

「いくぞ」

 吸血鬼が自分の真下に来るのを見計らって、凪は飛び降りた。

 剣を振りかぶり、相手の頭を目掛けて振り下ろす。刃ではなく、腹で殴れば気絶くらいはするだろう。

「ッ……!」

 女は美しかった。それでいて、酷薄な顔であった。外見年齢は二十代後半。茶色みがかったウェーブする髪が数本風に舞った。

 外した。

 直前で、相手を傷付ける覚悟を決め切れなかった凪の甘さだ。

「グランキオ!」

 女吸血鬼が吼える。同時に背後に現れた蟹の眷獣が強大な爪を振り下ろした。

「く、のッ」

 凪はギリギリで爪をかわす。

 蟹の爪で大地が陥没し、地面が割れて凪を巻き込む。その隙を突いた蟹の爪が凪を襲う。凪は体重を軽減し、さらに脚力を魔術で強化して蟹の巨体を飛び越えて事なきを得た。

「何かと思えば、その剣。まさか、眷獣かい? つーことはT種か?」

 敵が凪を見て言う。

 意思を持つ武器を眷獣とするのは、T種と呼ばれる吸血鬼の特徴の一つとされる。

「いや、違うね。T種の男なんて聞いたこともない。変なヤツだ」

 不意打ちをしたにもかかわらず、相手は比較的冷静だ。これは失敗したかもしれない。

 蟹の眷獣は攻防一体の強大な怪物だ。力と力の打ち合いでは分が悪い。自分の一番の得意分野である、近接戦で切り崩す。

 凪は八双の構えで突進する。自分よりも大きな相手は、アスタルテを相手に散々経験している。

 まして相手には機動力がない。アスタルテよりも、さらに鈍重だ。

 高速の領域で、凪は蟹の挙動を視る。

 攻撃手段は三つ。左右の鋏と泡。致命的なのは鋏だが、泡に圧し包まれるのも危険だ。

 攻撃順序は右の鋏が真上から。その直後に泡、そこで動きを止められた後、左の爪が胸を抉る。そこまで読み取って、凪は右の鋏を急制動をかけて、バックステップで回避する。

 急な動きに内臓が悲鳴を上げる。それを押し殺す。

「オオッ!」

 凪は右の鋏を踏み、飛び上がる。

 これで、先に視た未来は回避された。凪の未来視は、獅子王機関の剣巫すらも上回る。三手先を読むと評された霊視が、未来の死を覆す。

「バカめ! それでどうやって避ける! 始末しろ、グランキオ!」

 吸血鬼が笑みを浮かべて吼える。

 宙に逃れた凪には足場がない。足場がなければ、避けることもままならない。

 蟹の鋏が凪を襲う。対して凪は、その剣を思い切り蟹の甲羅に向けて投げつけた。

 不出来な黒剣(インフェリア・アーテル)は重力制御を能力とする。投げた瞬間には、その重さは数十トンに達する。いかに頑強な甲羅を持つ蟹の眷獣と雖も、これをまともに受け止めるのは不可能だ。

 激突した鋏が砕け散り、そのまま蟹の背中を粉砕して地面にクレーターを作り出した。蟹の眷獣は内側から弾け飛び、跡形もなく霧散してしまった。

「くああああああああ!」

 眷獣が倒され、その爆発に巻き込まれた女吸血鬼は思い切り吹き飛ばされた。それを見て取って、凪は着地した。

「この、ガキがッ」

 立ち上がった女吸血鬼が必死の形相で魔力を吐き出す。新たな眷獣を呼び出すつもりだ。その眼前を黄金が駆け抜ける。

 一匹の豹が、女吸血鬼の首に噛み付いていた。

「あが、がああああああああああッ!!」

 そして、激しい雷撃が発した。豹の眷獣は、全身が雷で構成されているのである。

 首に噛み付かれ、感電した女吸血鬼は痙攣してその場に倒れた。 

 凪は、相手が確実に気絶しているのを確認する。

 吸血鬼の肌には電流による火傷のあとがあるが、目立った怪我はそれだけだ。再生能力のある吸血鬼にとっては、この程度は怪我のうちにも入らないかもしれない。

「終わったぁ。お疲れ、小さな黄金(タイニーアウルム)

 傍に歩み寄ってきた黄金の豹が座り込んだ。くるくると喉を鳴らす。なでてやりたいが、触れると感電するので我慢する。

「ふん、派手にやったな」

 そこに、ずいぶんと遅れて那月がやってきた。

「那月ちゃん、いたッ」

 扇で額を打ち据えられた。骨の部分に当たったために、かなりいい音がした。

 額を摩りながら、那月に抗議の視線を送る。

「馬鹿者。師をちゃん付けで呼ぶな」

「師匠が前線に出てくれば、こんな事態にならなかったんでは?」

「こちらはこちらですることがあったからな。この女の眷獣の強大さは想定外だった」

「そっすか」

 那月は魔法陣を出して、凪が倒した女吸血鬼を監獄結界に転送する。

 恐ろしい能力だ。監獄結界は一度掴まれば、“第四真祖”ですら、脱出は難しいとされる那月が管理する牢獄である。

「さて、初陣はどうだった。馬鹿弟子」

「最悪」

「ふん、まあそんなものだろうな」

 凪の答えにさして不満を見せることもなく、那月は口の端を吊り上げた。

「今日はここまでだ。それと、しばらく眷獣は使うなよ」

 那月は意味ありげな視線を凪に向ける。

 凪は、神妙な顔つきで頷いた。

「次の鍛錬の日時は追って報せる。今日は休んでいろ」

 それから、那月は凪の足元に魔法陣を展開した。

「電車賃代わりだ」

「え、ちょ……!」

 凪が何か言う前に、身体が魔法陣に飲まれて消えた。

 那月が得意とするのは、空間魔術だ。

 凪を転移させるのは造作もない。一瞬にして、凪は自分の家の玄関前に立っていた。

「すげえな。ほんと」

 那月の魔術は強力で、しかも便利に過ぎる。

 相対しても、勝利する未来が一切視えない怪物だ。しかし、今回の一件で那月の評価は上がった気がする。そう思えば気分も少し高揚する。

 凪は鍵を差込み、回そうとして眉根を寄せる。鍵を抜いてから、ドアノブを捻ると、ドアが開いた。家の中から明かりが漏れる。

「ん……?」

 凪は、警戒しながらそろりと家の中に入る。廊下を進み、正面のリビングに入るとテレビの前のソファにどっかと座る白衣の少女がいた。

「萌葱、姉さん……?」

「あろー、凪君。元気?」

 髪を染めた少女は、暁萌葱という。皇女の一人でもあり、“第四真祖”の第一子という極めて高い地位にある吸血姫だ。

「ぼさっと突っ立って何してんの?」

「そりゃ、こっちの台詞ですけど。俺の家なんで」

「古城君の家でもあんじゃん。であれば、あたしの家も同然よ」

 とんでもない暴言もあったものである。確かに、この家は、皇帝となる前の暁古城が暮らしていた家だ。萌葱が鍵を持っているのも、そのような理由であろう。

「ねえ、凪君。ここ、蛍光灯切れてたから換えておいたよ」

「あ、マジか。ありがとう、萌葱姉さん」

 蛍光灯が切れていたのをすっかり忘れていた。買いに出ていたところで、あの事件に遭遇したからだ。萌葱は、どうやらわざわざ買いに出てくれたらしい。

「うむ。弟たるもの姉に奉仕するべしってね。じゃあ、まずは肩でも揉んでもらおうかなぁー」

 萌葱が背凭れに頭を乗せて、こちらを見てくる。

 そして、その視線をすぐに険しいものに変えた。

「その手……」

「え、ああ。ちょっとね」

「ちょっとね、じゃないでしょう」

 萌葱はすぐに凪もところにまで足音を立てて歩み寄り、乱暴に手を取った。

 凪の手の平は酷く焼け爛れていた。その怪我は蜘蛛の糸のように腕を這い上がり、肘にまで到達しようとしていた。

「酷い怪我。包帯と消毒がいるわね」

「え、大丈夫だよ。これくらい」

「それがただの怪我ならね。魔力を感じるわ。……眷獣、使ったんでしょ」

 萌葱はすべてお見通しと言うかのごとく断定的に言った。

 凪は、視線を逸らして頷く。

「南宮先生ね。まったく、あの人も何を考えているんだか。凪君に眷獣を使わせるなんて」

 萌葱は親指の爪を噛み、忌々しそうに顔を歪める。

「今回は不可抗力だったんだよ。ちょっと、事件に巻き込まれただけだ。解決するのに、使わないといけなかったんだよ」

「そう。まあ、凪君が言うならそれでいいけど」

 萌葱は救急箱から包帯と消毒液を取り出して、凪の手の処置を行った。

 正直にいえば、その手並みはあまり上手いとは言えなかった。萌葱の一家は、吸血鬼一家だ。怪我とは無縁で、消毒液も包帯も必要としていない。たどたどしく巻いた包帯は、継ぎ接ぎ感が多いに出ていた。

「萌葱姉さんは、相変わらず不器用だな」

 両手をミイラのようにされた凪は苦笑して言う。

「わ、悪かったわね。こんな怪我、したことないんだからしかたないでしょ」

「いや、でも悪いって意味じゃない。その、ありがとう」

「ん。まあ、いいわ」

 と、萌葱は気分を取り直して凪に向き合う。

 指を凪の眼前に突きつけた萌葱は、敢然と言った。

「もう、軽々しく眷獣は使わないこと。いいわね」

「え、ああ。まあ、それはそうだ。法でも定められているしな。仮免攻魔官とはいえ、軽々しく使わないって」

「そうじゃなくて、ああ、もう。何度も言ってるじゃないの。凪君は吸血鬼じゃないんだから(・・・・・・・・・・)、眷獣を使ったら寿命を縮めるって。身体のほうも魔力に耐えられなくて傷ついてるんだから」

 この世で眷獣を召喚、使役できるのは極僅かな例を除けば負の生命力を無限に有する吸血鬼だけだ。眷獣の召喚には、莫大な魔力を必要とし、人間ではあっという間に命を食いつぶされて死んでしまう。凪は両親が人間なので、吸血鬼ではないが、同時に人間でもなく寿命は非常に長い。だから、眷獣の召喚にも、一応は耐えられる。

「みんな、心配してる。古城君も、お母さんたちも。それに、零菜だって」

「…………分かってる。けど、俺だってこの国で安穏と暮らしているのは嫌なんだよ」

 凪は自分の気持ちが分からない。

 人間から外れながら、魔族にもなれない半端者。人間と吸血鬼の間に奇跡的に留まった半吸血鬼。世界唯一のダンピール。それが昏月凪という少年の本性だ。

「古城さんに助けられた命だ。何とか、この国に活かしたい。今はただそれだけなんだよ」

「気持ちは嬉しいけど。本当に無茶はしないでよ」

「ああ。分かってるよ、萌葱姉さん」

 萌葱は包帯と消毒液を救急箱に入れて、それを元の場所に戻した。

 それから、縛っていた髪を解き、髪留めを白衣のポケットに仕舞うと、

「じゃあ、家主も帰ってきたことだし、お風呂借りるわよ」

 などと言い出した。

「はあ、何で!?」

「そりゃ、あたしだって女だし。風呂に入らないで一日を終われないでしょ」

「自分の家で入ればいいじゃねえか」

「あたし、今日この家泊まるから」

「いや、意味分からんぞ。萌葱姉さん」

「明日、この近くの公民館で学会発表あるのよ。それ、見に行きたくてね。それに、うちは今修羅場ってるし」

「はあ、そう……また、古城さんが?」

「この前、日本に外遊したときにね。また、女の子を引っ掛けたらしくて。まあ、いつも通りだよね」

 暁古城は、どういうわけか訪問先で事件に巻き込まれることがままある。しかも、そのたびに女性と何かしらいい雰囲気になるものだから、后たちは心配で仕方がない。

 現段階で、すでに複数の女性を囲っているのだから今更ではあるが、今の后たちは互いに認め合い、牽制しあっている。新たな女性の影は、彼女たちにとって安定を崩す要因になりかねず、それでも古城が懲りないものだから、度々暁家の中に修羅場が具現するのである。

 それで、娘たちはそれぞれの友人宅に難を逃れたり、観戦したり、煽ったりしているらしい。

「ダメって言っても聞かないんだろ。もう、好きに使ってくれ」

「どーもねー」

 観念した凪に笑いかけた萌葱は、自分の着替えを抱えて風呂場に向かっていった。

 萌葱がいなくなって、一人になると、途端に静寂が押し寄せてくる。

 外見もそうだが、雰囲気からして明るい萌葱は、そこにいるだけで場の空気をがらりと変える。

 ミイラのように包帯で両手をぐるぐる巻きにされた凪は、天井を仰いだ。

 そして、自分の手を明かりに翳す。巻かれているのは治癒促進の魔術が施された特別製の包帯だ。凪自身の再生力もあって、朝には傷が塞がっていることだろう。

 それでも、その再生力は吸血鬼には程遠い。

「吸血鬼ではない、ね。そりゃそうだ……」

 しかし、その一方で人間でもない。

 左手首には魔族登録証。人間ではない証である。

 どちらにもなりきれない、中途半端な生き物だ。

 生きているだけ儲けモノだと、そう思えたのは昔の話。生を拾った感動は、その瞬間にしか成立し得ない。それから先は、新たな原動力なり目標なりが必要になる。しかし、困ったことに凪は、未だにそういったものが見出せていない。

 ただ、救ってくれた相手に恩を返すという、安直な目標だけで、将来自分がどうなりたいかとか、どう生きるかとかは見えないままだ。

 そもそも、こんな中途半端な生き物が、彼女たちと関わっていいのだろうか。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。