二十年後の半端者   作:山中 一

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第二部 五話

 青炎の獣が咆哮する。

 放たれる炎が地面を焼き、可燃物を瞬く間に炎上させる。その炎を雷光を纏って麻夜は潜り抜ける。装着しているのは黄金の鎧。雷を従える最速の眷獣だ。二挺のトマホークですれ違い様に相手を斬り付ける。

「く……」

 呻くのは麻夜だ。鎧で守ってはいても、灼熱の炎の塊である眷獣への近接戦はそれなり以上の厳しさである。紗葵を直接叩きたいところだが、残虐なる合成獣(ブルタール・シメーレ)は紗葵への攻撃には過敏に反応し、我が身を楯にして麻夜の進路を塞いでくる。速度が売りのル・ジョーヌであっても、攻略は難しい。凪がしたように、眷獣そのものを叩いてから紗葵を狙うしかないのだろうか。

 凪の援護が欲しいところだが、困ったことに凪にも紗葵の眷獣が襲い掛かっている。

 捻じ切る颶風(ヴィント・ホーゼ・シュピラーレ)の獣形態が地面を踏み鳴らして凪に挑みかかっているのだ。射撃と行進を間断なく繰り返し、凪の眷獣と互角に戦っている。まさか、本当に三体の眷獣を平然と使いこなすとは思わなかった。この結界の中にいる限り、麻夜たちは決して紗葵に対して優位には戦えない。

 麻夜は凪の血を吸って絶好調とはいえ、一度に使える眷獣の上限が著しく上がったわけではない。二から三体が限度で、それも魔力の消費量を考えれば長期戦には向かない。

「ハアッ!」

 麻夜は二挺のトマホークを投擲する。

 左右から弧を描き、引き付け合うように炎の眷獣を挟撃する。腹部と背中を強かに斬り付けられた残虐なる合成獣は、怒りに任せて炎を撒き散らす。土砂降りの激しさが、延焼を防いでくれているが、余り長く戦いが続けば自然公園が火の海になってしまう。

「まったく、困った妹だな! ル・ブルー!」

 麻夜は鎧を交換する。瞬時に黄金から青の鎧を纏った麻夜は、凍気の魔力で灼熱を押し返す。

 周囲には水気が満ちている。氷の力を存分に発揮することができる環境だ。麻夜の魔力は空から降り注ぐ大量の雨にも干渉し、残虐なる合成獣の頭上に数え切れないほどの氷の槍を形成した。

「ッ――――残虐なる合成獣(ブルタール・シメーレ)!」

 炎の眷獣は青き咆撃で空の氷を消し飛ばす。

 燃え盛り身体の魔力をそのまま使った息吹は、恐るべき威力である。砲台としても優れた眷獣と言えるだろう。その巨体の真下に、麻夜は踏み込んだ。ハルバードを全力で首元に叩き込む。

「ぐ、うぅ……」

 冷気による守りがなければ全身大火傷を負っていただろう。それほどの熱量を持つ眷獣に突き込まれたのは、絶対零度の刃である。背反する属性の攻撃を受けて、両者の眷獣は激しく動揺する。

「頑張れ、ル・ブルー!」

「麻夜姉さん、そこ、どいて!」

 紗葵が眷獣に魔力を注ぎ込んだ。暴れるキメラは麻夜を振り払い、爪を振るって攻撃を加える。

 ――――まったく、暴走してるくせに……。

 麻夜は内心で舌打ちをする。

 紗葵は暴走している。それは間違いないが、その暴走は善悪の区別がつかなくなり、我欲を優先するようになるといった形での暴走のようだ。つまり、ショッピングモールで感情任せに暴れまわった吸血鬼とは微妙に暴走の仕方が異なっているのである。前後不覚になっていない。判断能力を残している。それが、厄介だった。

 暴れまわることが目的ではなく、凪の血を吸うことが最終目的だからだろうか。

「ほんと、もてる男だね、凪君は!」

 残虐なる合成獣の前足にハルバードを叩きつけ、怯んだところで顎にアッパーカットを放つ。凍結の拳と燃える顎の激突だ。

 その直後、目の前に一枚の鉄札が舞い降りてきた。その札が突如として強烈な光を放つ。閃光弾のような光は麻夜の視力を一時的に喪失させる。

 紗葵の魔術だ。

 想定外の攻撃に曝された麻夜の鎧を、キメラの豪腕が弾き飛ばす。

「うぐ……!」

 吹っ飛びながら、麻夜自ら魔術を練り上げて視力を取り返す。魔術の腕前はほぼ同等。術式が違うものの術師としての技量はそう変わらない。視力をいつまでも封じられることはない。

 しかし、火力不足は否めない。

 紗葵の眷獣は強力だ。殴り合いで負けているとは思わないが、それでも一撃の大きさが違う。鎧を着て自分の防御力を高めるというのは、本体が脆弱な吸血鬼の弱点を補う回答の一つではあるが、破壊範囲が人が個人で出せる程度の範囲に納まってしまうが難点だ。鍛錬を続けていけば、数十年の後にはビームが撃てるようになるかもしれないが、今の時点ではどこまで可能か。眷獣を纏ったまま、眷獣の力を最大限に発揮させるというのは、中々難しい問題なのだ。

「だったら――――!」

 飛び退き、炎を躱す。

 爆炎を冷気で凌ぎ、新たに眷獣を呼び出す。

「ル・ブラン、ル・ルーシュ……眷獣融合」

 ギチリ、と身体に多大な負荷がかかるのを奥歯を噛み締めて堪える。

 身に纏う眷獣が変わる。白と黒の眷獣が合成されて、灰色の眷獣に生まれ変わった。眷獣を融合し、その能力を跳ね上げるのは、何も麻夜の専売特許ということではない。一部の吸血鬼が持つ技能の一つであり、珍しいながらも使い手はいる。だが、やはり才能がなければ眷獣融合を使うことはできないのだ。麻夜の吸血鬼としての資質の高さを物語る能力だ。紗葵の眷獣変形と比較してもそん色ない才覚と言える。

 灰色の眷獣は右手に黒のメイスを持ち、左手に金剛石の楯を構えていた。出力も、大幅に増加している。

「だあああああああああ!!」

 威勢よく怒鳴り、炎に正面からつっこむ。金剛石の楯が紗葵の炎を跳ね返し、重力によって加速したメイスが残虐なる合成獣の頭を打ちのめす。

 地面がひび割れて、魔力の嵐が吹き荒れた。

 

 

 

「マジで死にそうだぞ」

 凪は風の矢を潜り抜けてぼやいた。

 半透明で見難い風の眷獣が相手だ。紗葵の意識は高速で移動し攻撃を仕掛けている麻夜に釘付けになっているので、こちらはある程度余裕を持って対処できるが、眷獣自身にも意思はある。凪を倒せと命じられた捻じ切る颶風(ヴィント・ホーゼ・シュピラーレ)は、その命令を適切に履行するために風の矢を吐き出し続けている。手加減はしてくれているのだろう。砲撃というほどの威力ではない。しかし、一度に射出される風の矢は最大でも二十本に達する。それが銃弾以上の速度でばら撒かれるのだから、普通に考えても、凪は肉片にされてもおかしくはないのだ。そうなっていないのは、麻夜からの魔力供給でリスクを回避して使えるようになった眷獣のおかげである。

 緋色に燃える二角獣の頭を楯のようにして、凪は飛んでくる矢を迎撃する。

 二本の角を音叉のようにして激しい衝撃波を発する。風と衝撃波のぶつかり合いは、不可視ながらも明確な破壊の嵐を生み出している。

「どうにかしないとマジでマズイ」

 心配なのは麻夜の魔力だ。こちらは麻夜からの魔力供給で持ち堪えているが、麻夜自身も戦っているのだ。吸血鬼が無限の魔力を持つ魔族であっても、急速な魔力の消耗は身体に堪える。まして、凪の魔力消費まで負担するとなれば、吸血によって力を著しく強化していたとしても無視できる負担ではないのだ。

 ならば、こちらを早く片付けて麻夜の負担を減らさないことには勝利はない。

 凪はバイコーンを戻し、即座に金剛石の眷獣を呼び出した。

「来い、神羊の大角(ドール・アダマス)!」

 召喚されたのは金剛石の大楯だ。身を隠すほどの巨大な楯は、中央に大角羊の文様を刻んでいる。

 楯に触れた風の矢は、尽く跳ね返された。鋭い矢の衝撃を全身に受けて、風の眷獣がよろめく。

「はあ、く……キッツ……」

 魔力の消費に眩暈がして膝を突く。口の中に鉄錆の味が広がった。麻夜からの補助を受けていても、吸血鬼の魔力を人の身で扱うのは無理があるということなのか。自分の魔力を使わないので、寿命への影響はないが魔力を通す身体のほうは相変わらずポンコツのようだ。

 どうやら、不完全な一時的契約ではノーリスクでの眷獣使用というわけにはいかないらしい。けれど、それでも負担は大分軽い。

 凪は空に向けて手を振り上げる。

「来い、夜摩の独鈷剣(インフェリア・アーテル)

 ギリギリと身体を締め上げる魔力の負荷をかみ殺す。

 勝利のために、多少の無茶もするべきだ。

 狙いは上空。

 灰色の天蓋のさらに上だ。

 

 異変に気付いたのは紗葵が最初だ。

 凪の眷獣召喚の気配はあったが、現れない。魔力を伴う眷獣召喚を紗葵の眷獣の胃の中でしておきながら、紗葵が感知できないというのはどういうことか。答えは簡単だ。

「凪!」

 紗葵は凪を止めるために風の眷獣に砲撃を命じる。

 だが、もう遅かった。

 眷獣の召喚は完了している。

 閉じた世界からは見えないが、この天蓋の遙か上に真っ黒な刃が現れていた。真っ直ぐな両刃の刀身が光のすべてを吸収している。刃だけの未完成の剣の眷獣だ。

 重力を操り加速する全長二十メートルの眷獣は、真っ逆さまに紗葵の結界眷獣の頂点に突き刺さる。

「あ、ああああああああああああああああ!!」

 びしり、と空に罅が入った。

 卵の殻が割れるように、ドームの天蓋が割れていく。激突と同時に、凪の眷獣は消滅した。威力の割りに、打たれ弱いらしく衝突の襲撃だけで大分参ってしまったらしい。フィードバックはもちろん凪の身体で受け止めなければならない。

「クッソ、なんだこの自爆眷獣は……!」

 毒づく凪は楯の後ろで呻いた。

 だが、効果はあった。

 紗葵の眷獣が目に見えて弱りだした。紗葵も倒れて、苦悶の表情を浮かべている。曠野の空谷(ヴュースト・ボーゲン)の魔力収奪能力で複数の眷獣召喚に耐えるだけの魔力を賄っていたのだ。結界に罅が入れば、それだけ紗葵の負担は激増する。たった十四年の歴史では、三体の眷獣を同時に操るだけの精神力は養われていない。魔力の供給源が傷つけば、それだけ紗葵に負荷がかかるのは自明の理であった。

「凪……この……あたしは、まだァ!」

 血反吐を吐くような顔で紗葵は吼えた。なけなしの魔力が二体の眷獣に送り込まれた。打ち倒されたキメラが闘志を燃やして起き上がり、風の眷獣が砲撃の準備に入る。

「紗葵、いい加減にしろ!」

 麻夜がしかりつけるように怒鳴る。だが、止まらない。凪の血を吸うために、ここまで暴れたのだ。凪を支配して、食い尽くすという我欲の囁きに、どうしたって耐えられない。

「うるさい」

 紗葵は呻くように呟く。

「うるさい、うるさい、うるさい、分かってる。分かってるんだよ。悪いことだって! やっちゃいけないって! でも、止められない。我慢できない! どうにもならないのッ!」

 身体を掻き毟るように紗葵は叫んだ。

 眷獣が紗葵の不安定な感情に影響されたかのように咆哮する。ビリビリと響く眷獣の声には魔力が乗っていて、その脅威が依然として存在していることを如実に物語っている。

 今まさに二体の眷獣がそれぞれの攻撃を加えようとしたとき、ひび割れた天蓋をさらに押し破り破壊する侵入者がいた。

「な……!」

 紗葵が愕然として空を見上げる。

 灰色の空は完全に破壊された。

 押し入ってきたのは、魔犬(ケルベロス)だった。さらに、ケルベロスが開けた穴を押し広げるように、その周囲に無数の呪矢が突き立ち、爆発する。対魔族用の呪矢は、並の眷獣ならば一矢で消し飛ばすほどの威力があった。そんな桁外れの呪矢を放てるのは、紗葵の母親である紗矢華しかありえない。紗葵はそう直感し、身体を硬直させた。

「紗葵!!」

 砕けた眷獣が姿を薄れさせて、本物の空が現れた。土砂降りなので色は変わらないが、雲が見えるだけでも大きな違いだ。開放感がある。

 紗葵を呼んだのは、案の定紗矢華だった。

 すらりとした長身が豹のような美しさを醸し出す。信じ難い身体強化魔術で、あっという間に現場に駆けつけて来たのである。

「か、母さん……」

 嫌なところを見られたと、紗葵は顔を背けて後ずさった。

 凪の血を吸うという感情よりも母親に見られた羞恥心とバツの悪さが勝ったのだろうか。

「紗矢華さん、速い」

 遅れてやって来たのは、メイド服を着た女性だった。

 奇抜な格好だが、可愛らしい顔立ちで妙に似合っている。

「ヴェルディアナさん? なんでここに?」

 驚いたとばかりに麻夜が尋ねた。

「買出しの途中で紗矢華さんに捕まったのよ。車出せって。暁家には色々と世話になってるから、まあ、ね」

 ついでに眷獣で結界を割る手伝いもした。

 先ほどのケルベロスは、ヴェルディアナの眷獣なのだ。

 紗葵は紗矢華と睨み合ったまま動かない。麻夜は紗葵から離れて凪の傍まで駆け寄ってきた。

「麻夜、この人知り合いか?」

「ヴェルディアナ・カルアナさん。喫茶カルアナの社長さん」

「え、ええ!?」

 喫茶カルアナはメイド喫茶に始まりファミレスや牛丼屋のチェーン店を全国展開する最大手である。メイド喫茶から始まったこともあり、手広く展開していても本社は喫茶の名を冠したままになっている。

 女社長ということで社交界にも顔を出している。何と元は戦王領域の貴族の家系なのだそうで、領地を失い没落した後で、絃神島に渡りアルバイターから身を起こしたのである。皇帝である古城とも古い馴染みで、暁の帝国成立に手を貸している。

 生まれて百年を越えたくらいではあるが、本人はカルアナ伯と呼ばれた一族の記憶の大半を失っているそうで、貴族だったといわれてもピンと来ないらしい。

「うん、初めまして。君が凪君?」

「え、はい。初めましてカルアナさん」

 凪は立ち上がって、頭を下げる。

「ヴェルでいいよ、長いしね。それにしても、古城によく似てるわね。うん、お父さんにも」

「父を知ってるんですか?」

「うちの常連だったのよ。最近はアルディギアにいらっしゃるみたいね」

「は、はあ……え、常連……」

 なかなか会う機会のない父だ。思い入れがあるかといえば微妙だが、メイド喫茶の常連だったと言われると、言葉にならない衝撃を受ける。

「じゃあ、紗矢華さん。この二人は連れてくから」

「はい、お願い」

 紗矢華は振り返らずに言った。

 紗葵ももはや何も言わない。関心が凪から紗矢華に移ったというわけではない。複雑そうな顔で、凪を見つめている。凪を追いかけたいが、紗矢華を出し抜くのはまず不可能。一方で紗矢華も紗葵の転移の眷獣を考えれば、目を離すことができない。弱点も含めて知っている紗矢華であっても、目を離した隙に転移される可能性は捨てきれないからだ。

 ベルディアナは凪と麻夜に言った。

「後は親子で話をつけるから、部外者は帰るわよ」

 尻を叩かれるように、凪と麻夜はヴェルディアナに連れて行かれる。

 紗葵のことが気にかかるが、凪がこの場にいてももはやどうにもならないのは明白である。ベルディアナの言うとおり、ここが退きどころだった。

 




ヴェルディアナに昔の常連さんの息子さん超美味しそうというちょっと妖しげな視線を向けられていたりする凪君。
原作より二十年経ってるので、記憶を失った分を差し引いてもそこそこ眷獣も強くなっています。

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