「あんたは、私が絶対倒すんだから!!!」
幼い凛の叫びを不敵な笑みで返す魔王、その笑みを凛は深く目に焼き付けた。
***
・・・夢を見た。10年間、ただの一度も色あせる事もなく何度も思い返した記憶、何度も思い返した故に含むものもなく何度も口にした感想が漏れる。
「・・・・ああ、またか。」
元来、遠坂凛は朝が弱い。しかし今この時はハッキリと覚醒した意識でベッドを出て、机の上に置いてあったスクラップを開いた。
―――――――広域封鎖事件、八年前
凛はスクラップを閉じて右腕に浮かび上がった『令呪』を見つめる。
(魔王は死んだ。でもまだチャンスはある)
聖杯。あらゆる願いを叶える万能の釜、それを手に入れるのは遠坂の悲願であり、凛個人の望みを叶える為の最大の砦である。
(今夜はその為の第一歩を踏み出す。だから今は全てを温存しとかなきゃね)
興奮していく気持ちを収め、学校に行く為の身支度を整えて家を出る。
遠坂家の家訓たる常に優雅たれを心の中で何度も反復し、校門の前に付いた所で声を掛けられた。
「よ、遠坂。今朝は一段と早いのね」
相手は弓道部首相の美綴綾子、校門には彼女以外誰も居ない。この時凛は漸く気付いた。
「おはよう美綴さん。つかぬ事を聞くけど今何時だか分かる?」
「ん?まだ七時前だろ」
どうやら家の時計は軒並み一時間早くなっていたようだ。決意の朝だと思った矢先に躓く、これも魔王の呪いなのかと不条理な疑念に捉えられた。
「おーい、どうした?思いつめた顔して、遠坂もとうとう恋煩いでも起こしたか?」
「まぁそんなところよ。やっとあいつに会えるかもと思ったら柄にもなくウキウキしちゃってね」
白々しく応えた凛に綾子一瞬呆然として勢いよく食いついてきた。
「ええーーーー!!!遠坂の待ち続けた春がやっと来たのか。水臭いなぁ何で教えてくれないんだよ?」
「ま、待ち続けた春って・・・・何よそれ?」
「だって今まで多くの告白を振ってきて、それなく『何で?』って聞いたら『アイツと比べることも出来ないから』って、その時は方便かと思ったけど・・・今の台詞も『アイツ』って出てきたし・・・そうかぁ、本当に好きな人居たんだ。浪漫だね」
そう言えばそんな事もあったなと、凛は朧げながらも思い出し失言を悟った。そして妄想に耽っている綾子に下手な嘘は逆効果だと当たり障りのない対応で切り抜けることにした。
「あの美綴さん。まだ本当に会えるかどうか分からないから・・・その、此処だけの話としてくれると・・・・・」
「ああ、分かってるって、遠坂のイメージを無碍に壊すような真似はしないから。その代わりと言っちゃ何だけど、会えたなら私にも紹介してね。それじゃ、私朝錬あるから」
返事も待たずに上機嫌で弓道場に向う綾子に凛は一抹の不安を感じながらも見送るしかなかった。
そんな、そわそわした気持ちで校内に入り生徒会長の柳洞一成やその連れである衛宮士郎と他愛無い会話をするも内容は全く頭に入っていなかった。
そうこうしている間に普通に生徒も登校し授業になり、あっと言う間に放課後になった。
寄り道もせず真っ直ぐ家に帰ると留守電が一件あったので確認すると後見人であり聖杯戦争の監督役からだった。内容は察しが付くが再生する。
『凛、残る空席は二つで期限は明日までだ。戦うなら早く召還しろ、戦わないなら今日中に連絡しろ。こちらも暇ではないのだ』
「・・・ふん。降りろって言われても降りてやるもんですか。この時が来るのを八年いや十年待ったんだから」
凛は赤い宝石の付いたペンダントを握りしめ、今夜の召還に取り組むことした。
深夜二時を確認し、凛は地下室に描かれている魔法陣の前に立った。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバインオーグ。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ
みたせ 閉じよ みたせ 閉じよ みたせ 閉じよ みたせ 閉じよ みたせ 閉じよ
繰り返す都度に五度。ただ、満たされる刻を破却する」
凛は自身の中の魔力の錬度を高め、カタチのないスイッチをOnにする。魔術回路に魔力を通す。マナを通す。
取り込んだ純然たる魔力を形のある魔力に変換する。
体が融ける。
魔法陣が光り輝く
エーテルが乱舞する
まるで銀河のようだ、と思いつつ・・・
―――――
今までの短い人生の中で最高の魔力行使。遠坂の魔術刻印が暴走寸前まで稼働する。魔術回路に暴力的なまでの魔力が流れる。
膨大な魔力の内圧に耐え切れず、いくつかの爪がはじけ飛んだ。痛みは感じない。
「――――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
感触を得た。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
思わずガッツポーズを心の中でとった。完璧だ。これ以上のモノはないだろう。まちがいなく最強のカードだろう。
しかし、目の前には何も現れず変わりに居間の方で爆発音は響いた。
大急ぎで今に向おうとするとドアが変形しており強引に蹴破る。するとそこにはめちゃくちゃになった居間に踏ん反り返っている赤い外套の褐色の男が居た。
そして破壊を免れた柱時計を見たとき最悪を思い出した。
(そうだった。時計今日は一時間早かったんだ)
「やれやれ、これはまた、とんでもないマスターに引き当てられたものだ」
貧乏くじを引いたとばかり言う男に凛は不機嫌を募らせるが、直後にプルルルルと電話の音が鳴り響き凛は怒りを一旦収め受話器を乱暴にとり、怒気を含めて言った。
「もしもし、誰よこんな時間に!」
『んん。何だか上機嫌とは程遠い声だな。だが久しぶりに声が聞けて嬉しいよ』
「なぁ!」
凛は電撃的な直感でその声の主が誰なのか悟った。
『よければ明日会えないか?
「魔王!!」
その後、数十秒程度の会話の後、凛は受話器を置きワナワナと震えだしていた。その姿は呼び出した
「ふふふふふ、ハハハハハハッ、そうか今朝からのはやっぱり魔王の呪いだったのね!!」
「落ち着け。さっきからいや最初から意味不明だぞ。興奮を収めて説明を求めるが・・・」
「うるさーい!私は今最高の気分なの、水さすんじゃないわよ!!大体、サーヴァントならわたしに絶対服従でしょうが!!!」
「なにーーーーー!!!!」
***
翌日、赤い外套のサーヴァント・アーチャーに色々な小言を言われながらも凛は聞く耳を持たず、居間の掃除を押し付けてさっさと就寝、日の出とともに目覚めて朝食も取らず身支度を整えると霊体化したアーチャーを伴って魔王との待ち合わせ場所に向った。
(予定よりも早くつきすぎちゃったわね)
新都の駅前で凛は座りもせず険しい目で絶えず辺りを見回していた。まだ早朝とは言え高校生の少女のその仕草は些か以上に目立ち、アーチャーも無駄を承知で注意しようとした時―――――
「こっちだ。遠坂凛」
声がした方を振り返ると駅の改札辺りから黒いコートを着た男が歩いてきていた。
凛はその男をじっと見つめ声を出した。
「魔王」
凛の前に立った魔王は気負うこともなく語りかけた。
「朝食は済ませたか?まだなら何か奢ろう。それほど高いものは無理だが」
「ならお言葉に甘えさせて貰おうかしら。でもテーブルに向かい合ってはごめんよ」
凛の余裕に満ちた対応に苦笑しながらも二人は適当なファーストフード店でセットをテイクアウトし、新都の中心部に足を運んだ。
「あの焼け野原が此処まで整地された公園になるとは、十年の歳月は伊達ではないな」
ベンチに腰掛け飲み物を啜りながら忌憚無い感想を漏らす魔王に隣に座っていた凛が訝る。
「何よ。まるで自分は無関係だと言いたげね。アンタがあの大火災を起こした張本人じゃないの?」
「いいや、違う。断じて言うがアレは起こしたのは私じゃない。寧ろ私も被害を被った口だ、そしてそのお陰で今こうしてこの地に
魔王の台詞に後ろに控えていたアーチャーが姿を現し声を掛けた。
「
「実際、私は魔術師ではない。だが悪名は世界ランクだと自負している。ちなみに私のサーヴァントとしてのクラスは
そう言って立ち上がる魔王、同じく立ち上がり警戒心を強める凛とアーチャー。
「そう身構えるな。今、戦うつもりはない。まだ予定ではないし、そもそも
「随分な言い草ね。私がアンタの言うとおりにするとでも、それともお得意の計略による誘導かしら?」
「深読みしすぎだ。今回は宣戦布告だけ、カードが揃ってないのに戦いを始めるつもりはない。其方も召喚したばかりでまだやる事があるのだろう。それでも戦いたいなら、誰でもいいからサーヴァントを一騎打ちとって見ろ、そうすれば予定が繰り上がるか、修正するかして戦えるかも知れんぞ?」
魔王の安すぎる挑発に凛は激昂することもなく、されど深い闘志を込めて応えた。
「魔王、これだけは言っておくわ。アンタを倒すのは私よ、だから詰らない奴に倒されるじゃないわよ」
「いい返事だ。この十年で身体も心も成長したようだな、実に
一人称を公用から私用に変え満足そうに去っていく魔王、後姿が見えなくなった所で凛も反対方向に歩いていった。
『いいのか?隙だらけと言うか、隙しかない相手だ。簡単に討ち取れると思うが・・・』
霊体化したアーチャーの問いに凛は全くぶれる事無く返した。
「アーチャー、私はこの時を十年待った。アイツには相応のやり方でこの気持ちをぶつけなきゃいけないの」
まるで理由になってないが、凛の魔王に対する凄まじい執着に道理は通じないと悟った。
その後、二人は新都の要所を見て周り最後に町全体を見舞わせる高層ビルの屋上に赴き帰路に着いた。
***
翌日、アーチャーの反対を押し切り学校に登校した凛に美綴綾子が声を掛けた。
「よぉ遠坂、何だかやけに清々しい顔してるけど、例のアイツにでも会えたのかな?」
「ええ、昨日ね。ただまた会うのに、ある約束しちゃったから残念だけど紹介は無理ね」
凛の即答に綾子が固まるも持ち直して小声で話しかけてくる。
「あのさ。その約束っての教えて貰うのは・・・・・」
ニッコリと微笑み。
「無理」
そう言って笑顔のまま校門をくぐった瞬間、いっぺんに気分が悪くなった。
(結界、でも仕掛けた奴は三流ね)
だが凛が今抱いているのは嫌悪感とは程遠い高揚だった。
(飛んで火に入る夏の虫、わざわざ私のテリトリーに魔王の差し金なのか分からないけど受けて立ってやるわ)
そうして昼休みや夕暮れの放課後に校内を捜索し七つの呪刻を見つけ、すっかり日が暮れた屋上で起点を発見し調べようとした所に甲高い声が響いた。
「なんだよ。消しちまうのか、勿体ねぇ」
振り返ると給水塔の上に群青色のボディスーツの様な物を着た獣じみた男が居た。
「これ、あんたの仕業?」
「いいや、小細工は嫌いだ。俺たちはただ―――――――」
男が言い終わる前にフェンスに向って全力で走る凛、男・ランサーは紅い槍を出現させ狩ろうとするも凛は既に校庭のグランドまで駆けていた。
高いところから地上まで一気に駆け下り、遠くにいる『アイツ』に追いつけるように十年間、夢を見るたび思い習得した技術がこんな形で役に立つとは人生なにが幸いするのか分からないものだと、苦笑する凛の前に青い獣ランサーが降り立つ。
「いい脚だな。ここで仕留めるのは勿体ねぇ」
ランサーは臨戦態勢を整えておりすかさず凛は叫んだ。
「アーチャーーー!!貴方の力、此処で見せて」
問答無用とばかりに戦いを急かす凛に、ランサーとアーチャーが揃って苦笑する。
「可愛い顔に似合わず血の気の多いお嬢ちゃんだな」
嬉しそうに皮肉を言いながら槍を振るうランサー。
「すまんな。昨日、想い人に激を貰って戦意が高まりまくってるようでな」
アーチャーの両手には白黒の双剣が握られ槍を捌きながらも前に出ようとする。
「そうか。結構なことじゃねぇか!!」
二人のサーヴァントの攻防は激しさを増し響きあう剣戟は音楽のようで、どんどんリズムを上げていく。
だがそれは唐突に終わりを告げた。
「――――誰だ!」
ランサーが声をあげ振り向いた瞬間、生徒の人影は一目散に逃げていった。それを追うランサー、そして凛はこの時やっと理性を取り戻しアーチャーに命じた。
「まだ人が残ってたなんて!・・・追ってアーチャー!!」
即座にランサーを追うアーチャー。
凛が校内に入っていくとそこには倒れている男子生徒の前に立っているアーチャー、間に合わなかったようだ。
アーチャーにランサーを追うよう指示を出し、彼を確認した瞬間、凛は驚愕する。
「・・・・やめてよね。なんで、あんたが」
凛は数秒の逡巡のあと、赤いルビーのペンダントを取り出した。
***
「あーあ、やっちゃった」
帰り道に切り札になりえる宝石を使い、あの彼を助けたことを思い返す。すると其処には魔道を教えた父でなく、魔王がニヤニヤしている顔が浮かんだ。
「あー、なんでアンタが出てくんのよ!」
両手で頬を叩き思考を切り替える。
そうして家に帰り、アーチャーの帰りを待ちながら先程の戦闘を纏め分析する。
(過ぎたことは仕方がない。それよりも先のことを考えないとアイツに辿り付くことすら出来ないわ)
しばらくしてアーチャーが帰って来た。
「成果はどうだった?」
挨拶も成しに尋ねてくるマスターにアーチャーは首を横に振る。
「失敗した。用心深いマスターのようだが少なくともこちら側の街にはいなかった」
「そう、ご苦労さま。その情報だけでも得られたのだから今夜それで良しとしましょう。数が揃ってないってアイツも言ってたし、本当の開始の合図があるまでにやれることはやっときましょう」
凛の前向きな姿勢はアーチャーを良い意味で驚かせた。
「覇気は衰えてないようだな。・・・・・一つ訊きたい、その原動力たるアヴァンジャー、いや魔王とは何者でどんな因縁があるんだ?」
アーチャーの問いに凛はそれ以上ない真剣な表情で答える。
「アイツが前回の聖杯戦争でマスターだったのは聞いたわよね。その戦いに私の父さんも参加してたの。
何でもありの殺し合い。それを地で行くようにアイツは私を誘拐し父を嵌め、更に母を利用して他のマスターを謀殺して行ったのよ」
「・・・・つまり復讐か?だが、奴は・・・」
アーチャーの疑問に答えるため、凛は一度席を立ち寝室に在ったスクラップを持って来た。
「それから二年、つまり八年前、富万別市って所で、それこそ冬木の大火災なんて比じゃない大事件を引き起こした通称〝広域封鎖事件〟この国の安全神話が崩壊したって大騒ぎだったわ。主犯の魔王の悪名も知れ渡り、その後死んじゃったことで拍車が掛かった。言ってみればアイツは反英雄ね」
凛は一度区切り、アーチャーが資料を見終わるのを待った。
「死んだって訊いた時、私は納得できなかった。
だから降霊でもなんでもしてアイツを呼び出して落とし前付けなきゃって、そんな時『令呪』の兆候が現れた。私の望みはハッキリしてたし勝って、もう一度アイツを私の前に引きずり出すつもりだった。
まぁ、その必要は半ば達成されたけど」
「奇しくもアヴェンジャーとして召喚された奴を再び地獄に叩き落すのは君の願いと言うわけだ」
「少し違うわね。両親を死に追いやった事は憎いとは思うけど、私だって魔術師よ。死を観念する世界でそんな甘い事でどうこうする気はないわ。
私の望みはアイツを受肉させて、それこそ私の使い魔にして未来永劫こき使ってやることよ!」
アーチャーの顔は途方もなく面食らっていた。
「つまり君の願いと言うのは・・・・」
「そう。アイツに勝って私の方が上だって事を証明するのよ。これ以上ない形でね」
凛の宣言に資料を閉じて肩をすくめるアーチャー。
「この最悪の犯罪者である魔王を下につけるか。大物だよ君は、一時とは言え使える相手としてこれ以上の者はいまい」
アーチャーの賞賛に照れくさそうに顔を背ける凛。
そして、この話は終わりと学校に忘れてきたペンダントの話に移り、助けた彼に危険が迫っていることを思い至った。
(ああもう。なんて間抜け)
凛は自己嫌悪に晒されながらもアーチャーを伴い家を飛び出した。
***
幸い彼の住所は知っていたので迷う事無く全力で走る。
郊外に近い武家屋敷が見えてきた、深夜にも関わらず先客がいるようで凛は唇を噛む。だがその時、強烈な光が輝いた。その光で凛はなにが起こったかを理解した。
「うそ―――――――」
「どうやら七人全て揃ったようだな」
それはアーチャーも同様であり、裏付けるようにランサーが逃げるように去っていった。
直後、強い風が吹き、全く別のサーヴァントが自分たちに向かい襲い掛かって来た。
次回からは魔王視点に変わります。