コンキリエ枢機卿の優雅な生活   作:琥珀堂

19 / 24
何となくきりのいいところまでできたから投稿してみる。
……てゆーか前の投稿から、もう一ヵ月か……月日の経つのは早いのう……。


恐怖! ガリア三頭政治なのじゃ。

 わーい。わーい。新しいお仕事いっぱいもろたぞー。

 儲けもいっぱい、社会的な名誉もいっぱい手に入る! もう笑いが止まらぬわ。よーし、ここはひとつ、気合い入れてバリバリ取り組んじゃうぞー☆

 

 

「……なんて言うか、ボケええぇぇ――――ッ!」

 机の上いっぱいに積まれた書類の山を、グーパンチで粉砕しつつ、我は腹の底から叫んだ。

「うわぁ! またヴァイオラがキレた!」

「シザーリア、プリンを出して。早くご主人様をなだめる」

「心得てございます、シャルロット様。さあさヴァイオラ様、こちらはシェフが腕によりをかけた、クリームたっぷりのプリンでございます。ひと口食べておくつろぎ下さい」

 のじゃーのじゃーと暴れる我を、イザベラとシャルロットが押さえつけ、シザーリアがどこからか取り出したプリンを口に運んでくる。

「うおおおお! こんなもんで我はごまかされんぞー! やろうぶっ殺してや……ふぐっ、もきゅもきゅもきゅ……あまーい」

 どんなに心が荒んでおっても、甘味を楽しめばある程度癒されてしまうのが、女という生き物の浅ましさよ。自分でも少し悲しくなるが、もしプリンという精神力回復薬がなければ、我はずっと前に廃人となってしまっていたじゃろう。

 ヴェルサルテイル宮殿の抱えるパティシエは凄腕で、ことあるごとに頂けるプリンは、文句のつけようもない絶品なのじゃが、卵やクリームや砂糖を惜しげもなく使ったそれを、わりとちょくちょく、心が折れそうになるたびに食べておるもんじゃから、太らんかどうかがすごい気になる。

「ふう、ふう……あースッキリした。イザベラもシャルロットも、すまぬ。仕事の邪魔をしてしもうた」

「なに、気にすんなって。気持ちはわかるからさ」

「本当にそう。私もよく、叫び出したい衝動にかられる」

 青髪のふたりも、顔に疲れをにじませて、我に同調してくれる。我ら三人、今は運命を同じくする共同体じゃ。こいつらが頑張っとる時に、我だけいつまでもごねてもおられぬ――仕方がない、もうちょい気を張るか。

 そう思いながら机に戻り、我が崩した書類に再び手につけようとすると。

「イザベラ様、シャルロット様、マザー・コンキリエ。ナントの治水工事についての計画書が届きました。承認を――」

「アンティーブの財政監査の報告書です! ご確認の上、次の指示を――」

「ゲルマニアからの鋼鉄材輸入について、八つの団体が優先権を主張しておりますが、どのように処理いたしましょう――?」

 ばったんばったん扉が開いたり閉まったりして、次から次へと仕事が舞い込んでくる。

 我、イザベラ、シャルロットのそれぞれの机の上に、さらに書類が重なっていく。目に見える範囲にある羊皮紙の半数以上に、「至急」の朱書きがしてあるってどうなんじゃ。

「……のう、イザベラ……シャルロット……ちと提案があるんじゃが」

「……何だい、ヴァイオラ」

「だいたい想像はつくけど、一応聞く」

 書類の山の向こうに隠れて、顔の上半分しか見えぬふたりに、我はダメもとで言うてみた。

「何もかも放り出して、逃げるとかどうじゃろ?」

「…………………………」

「…………………………」

 ふたりとも、五秒以内には「否」とは言わなんだ。

 こいつらも濃密な疲労の中で、心に棲む悪魔に、ちらっちらっと同じような誘惑をされておるのじゃろう。あと少し自我が削れておったら、たぶんノリノリでヒャッハー言いながら、三人一緒にお外に駆け出しておったと思う。

 そんだけ我らは疲れておる。追い詰められておる。まさかこんなことになるとは――数日前の、イザベラの誘いにホイホイ乗ってしまった間抜けた我をぶん殴りたい。

「……と、とにかく、仕事は放り出せないよ。泣き言はこの書類を全部片付けてからにしようじゃないか」

「…………イザベラの、言う通り」

「のじゃあああ〜……」

 ギリギリで誘惑に打ち勝ったイザベラたち。二対一で破れた我は、羽ペンを持った手を動かしながら、涙をホロリとこぼすしかなかった。

 ヴェルサルテイル宮殿、国王執務室。通称オーバル・オフィスの空気は、今日も湿っぽい。

 

 

 さて、何がどうしてこういうことになったのか。

 あの恐ろしいアーハンブラ城からの帰り道、両用戦艦の甲板で、イザベラから王家に仕えないかと誘われた我は、大いに喜んでそれに飛びついた。

 だってあれじゃぞ、ハルケギニアいち豊かな国と名高いガリアの王家に仕えるって、その時点で勝ち組必至じゃろ。

 豊富な税収、世界中にまたがるコネ、クソ民衆のすみからすみまで手が届く絶大な権力。それに間近でちょっかい出せるわけじゃ。

 しかも、これから政権を握るイザベラは若く、あまりに経験が不足しとるように見える。ならば、どうしても政務は周りの人間に頼らなくてはならんわけで――我の自由にできる部分が、さらに大きいものになると期待できる。

 イザベラを傀儡に、我がガリアを操るというステキプランが、かなり現実的な形で目の前に! まぶしくて涙が出る! ひゃっほい!

 そこからしばらくは、夢の中におるようなふわふわした時間じゃった。

 ヴェルサルテイル宮殿に戻ったイザベラは、玉璽と王家の秘宝『土のルビー』と『始祖の香炉』を確保し、王位継承に向けてフル回転で動いた。翌日にはリュティス郊外の聖マーロー大聖堂で戴冠式を執り行い、名実ともにガリア王国新女王、イザベラ一世となったのじゃ。

 我ももちろん、その式には出席しておった。我を世界の操縦席に案内してくれるお人形様の晴れ舞台じゃもの、これまでにない笑顔で祝福できておったな、うん!

 冠と錫杖を取り、王としての祝福を受けたイザベラは、最初の仕事として、大赦の布告を出した。ジョゼフ王時代に、反逆の罪で地位を剥奪されたオルレアン家の名誉を回復し、さらに、投獄されておったシャルル派貴族のうち、思想が穏健な者を幾人か解放した。これによって、タバサ――シャルロット・エレーヌ・オルレアンは、貴族として表舞台に戻ることができたのじゃ。

 この王の従妹は、もちろん立場が立場じゃから、それに相応しい地位が与えられる。役職名はなんか長ったらしかったんで忘れたが、イザベラの政務を補佐する特別な役職――ひと言で言うと、副王とでも呼ぶべき位置に抜擢された。

 イザベラの父、ジョゼフと、シャルロットの父、シャルルの間に起きた悲劇的な事件は、ほとんど国中に知れ渡っておったため、その娘たちにこのような蜜月関係が訪れたことには、多くの者が驚きを隠せなんだようじゃ。

 確かにかつては、我もイザベラから、シャルロットとの仲が悪いことを相談されたりもしたが、今のあいつらは散歩の時に手を握り合うようなラブラブちゅっちゅじゃ。二人三脚で政治にあたるなら、わりと息の合った働きを見せてくれるんじゃなかろうか、と、我はこの頃から思っておった。

 んでもって、んふふふ、イザベラは我のこともな、「広範囲な外務と財政についての相談役」として、国民の皆様にちゃーんと紹介して下さったわ。

 翌日の情報ギルドの出した、号外を見てみるがいい。『イザベラ一世、オルレアン大公令嬢シャルロット、マザー・コンキリエによる、ガリア三頭政治の発足』とデカデカ書かれとるんじゃよー? 三頭政治、なかなか的確で洒落たネーミングではないか。これってつまり、ガリア国民が我のことを、ガリアの三つのブレインのひとつ――特に偉い指導者の一角として認めたっちゅーこっちゃよな! えへ、えへ、えへへへへへ!

 その後、かつてジョゼフが独り占めしておった国王執務室、オーバル・オフィスに、我とイザベラ、シャルロットのための三つのデスクが用意されて――よっしゃ、これからいっぱい頑張ってイザベラたちを利用しまくって、私腹を肥やしてやるぞーっと、甘く明るい未来に思いを馳せた――その辺りが、我の絶頂期じゃった。

 甘かった。砂糖入れ過ぎた上に、上等なハチミツまでぶちまけたプリンより甘い考えじゃった。

 ヒトとカネを操ることにかけては、我も風石メジャーの会長的なことやっとったから、それなりに自信があったんじゃが、国政って、それとは勝手が全然違うんじゃよ。

 たとえば、公共事業。長年暖かく育んだ縁故主義(ネポチズム)を食らえーっとばかりに、我の息のかかった会社ばかりに、旨味のある仕事を回しまくろうとしたんじゃが、それはいかんと言われてしもた。競争相手の会社はもちろん、事業によって利益を得る地域の住民、さらには、間接的に関わってくる別な事業の担当会社にまで配慮して、一番無難な選択をせんといかんらしい。

 今まで我が得意としておった資本主義的経営法なら、我と我の味方だけで利益を独占して、競争相手だとか関係ない奴だとかは徹底的にぶっ潰すぐらいの気持ちでやればよかったんじゃが、政治は基本的に社会主義。みんなにまんべんなく得が回らねばならん。あっちにいい目見させるために、こっちに悪い目見せてはいかんのじゃ。えこひいきってのは、王様の信用を落としてしまう。それはよくない。民から評判の悪い王様に統治されとる国っちゅーのは、周りの他の国からナメられるでな。

 よしよしわかった、じゃあみんながいい目見れるよう、国民どもの願いをひとつひとつ叶えていってやろう。その中でチマチマおこぼれ頂戴できればそれでもええわ――と考えたはいいが、これの実行がまた難しい。

 みんなは何を望んでおるのかな? なになに、役に立つ道路や水路を整備して欲しいって? よっしゃーやったるぞー、と、計画を立ててみるとする。それによって流通が活発化することで利益を得られる人たち――商人とか、都会から人を呼びたい観光地の人たちからは歓迎された。しかし、それによって損をする人たち――陸路や水路での流通が活発化することで、相対的に高コストになり、客を奪われることになる風竜便や風石船の関係者からは、強い反発を受けた。

 どこどこの地方で、農作物の不作から失業者があふれて、困窮から犯罪に走る例が増えておるっつー話を聞いたんで、とりあえず連中の生活費の面倒を見てやりつつ、何か適当な仕事を用意してやろうと計画しとったら、それなら子供たちの教育にも、病院の設備充実にも、養老院で暮らすお年寄りたちの待遇改善にも、どこどこの工業地開拓にも、どうか支援をーと、蟻のごとく陳情が群がりおった。予算は限られておるゆえ、いくつかは突っぱねなければならなくなるんじゃが、そうなるとその関係者が、不公平だと言うて烈火のごとく怒る怒る。

 うん、何日かやってみて、少しずつ感じがつかめてきたんじゃけど――政治って、要するに人と人の取りなしが主なんじゃね。

 対立する勢力の利害を調節して、どっちもが「まあ、これなら文句は引っ込めてもいいかな」って思えるポイントを模索するお仕事。基本的にどの勢力も、愛すべきガリア国民であるがゆえ、敵対はできんからめんどくさい。右から左からあーだこーだ言うのをまとめて、着地点を提案していく。どっちかが納得してくれんかったら、また新しい案を出す。それでもまだダメなら、さらに別の案をという感じで――すごい、疲れる。

 そうしてさんざん苦労して、ひとつの案件を合意に導いても、下々の連中はよくやったね、なんては誉めてくれん。もうちょっと上手い解決策があるだろとか、ひとつの問題にいつまで時間をかけてるんだとか、ブチブチと文句を言いおる。国の予算を使って何かすれば、それで利益を得られる人は協力的になってくれるが、それ以外の奴は否定的な言葉しか吐きよらん――ああ、直接的に害を受ける人とか、何か我慢を強いられる人は、そういうのを言う権利はあると思うとるよ? しかしこういう時、一番声がでかいのは、利益も害も受けぬ、まったくの無関係な連中なのじゃ。自分たちの出した税金を、そんなことに無駄遣いすんな、とな。

 民衆という頭の悪い生き物どもは、自分たちに直接還元される使い方でなければ、すべからく無駄じゃと思い込んどるフシがある。関係ない誰かを助ける使い方というのは、何の意味もないらしい。我が風の偏在でも使えたならば、分身して片っ端から殴りに行きたい。どんな使い方であろうと、無駄に使われた余分な銭など、一ドニエもない。無駄だと誰かが主張する使い方をされた一ドニエは、他の誰かの死命を決する一ドニエなのじゃ。

 自分と無関係な奴のことなどどうでもよい、という考え方の奴は、政治に口を出すべきでないと本気で思う。そして、自分と無関係な奴のことなどどうでもよい、という考え方を地で行く我なんぞは、商人としてはやっていけても、政治家としては難があるということがよくわかった。

 そんな相性の悪さに加えて、我やイザベラ、シャルロットのもとに持ち込まれる案件は、他の大臣や下っ端役人では手に負えぬような、めんどくてデカいヤマばかりじゃ。その分、判断も難しいし、ミスった時の被害もデカい。それがもう、次から次へと、ポコポコポコポコ持ち込まれてくる。なんぞこれ。ガリアって順調に見えて、山のような問題に蝕まれとったヤバい国じゃったんか。

 それとも、先代であるジョゼフがサボりまくっとって、そのツケが今ごろ来たのか――と思って、ジョゼフにも仕えておった大臣に聞いてみたところ、奴は同じくらいの量と質の仕事を、たったひとりで、合間に昼寝を交えつつ片付けておったらしい。なんじゃそれ。なんじゃそれ!?

「なあイザベラ……今からでも遅くない、事務員代わりとしてでもええから、あの青ひげのオヤジを呼び戻さんか? それだけでだいぶ楽になると思うんじゃけど」

 我はすがるような気持ちで、はす向かいで鬼気迫る空気を醸し出しておる女王様にそう言ってみた。

 イザベラに敗れ、強制的に引退させられた前王ジョゼフは、側近のミス・シェフィールドとともに、エルバ島という小島に流されていった。

 小さな屋敷がひとつあるきりの無人島で、訪ねる者は週に一度、船で食料を運んでくる業者のみ。ジョゼフは魔法が使えぬし、ミス・シェフィールドもメイジではないらしいので、島からの脱出は不可能。奴らを殺すことなく、政界から完璧に排除する、我らにとっても奴らにとっても安全な追放である。

 今頃は主従ふたりで仲良く浜辺に座って、のんびり魚釣りでもしとるんじゃなかろうか。我らの苦労を知りもせんと。

「親父を……? できるわけないだろ。あの変態がすごい奴だったってのはよくわかったけど、だからって頼っちゃダメだ。今のガリアのトップは、ここにいるあたしたちなんだからね。あたしたちがしっかりしなきゃ、この国に未来はないよ」

 うおおチクショウ、根性のねじ曲がった不良姫じゃったイザベラが、真面目な顔して真面目なことほざいておる。人間変われば変わるものというが、こいつは最初に会った時に比べて、キャラがブレ過ぎではなかろうか。

「な、ならば……そうじゃ、シャルロット。あのビダーシャル卿に手伝ってもらう、っつーのはどうじゃ。彼はまだおるんじゃろ? あやつほどの知性の持ち主ならば、充分戦力になると思うんじゃが……」

「駄目。彼はとても大事な調合作業中。邪魔はけっして、許さない」

「……じゃよねー……」

 アーハンブラ城にて、トリステインのガキどもに敗れた見かけ倒しのエルフ、ビダーシャルは、今はシャルロットの客として、このヴェルサルテイル宮殿に滞在しておる。

 もともとはジョゼフが雇っておったらしいんじゃが、そのジョゼフがイザベラに負けて、もういろいろどうでもよくなったらしくて、ビダーシャルに頼んでおった仕事を、もうやらんでいいよーと言っちまったらしい。

 そこで困ったのがこの律儀なエルフ。ここで契約を打ち切られては、自分の要求が通らない。どうも彼がジョゼフに支払ってもらう予定だった報酬というのは、金銭ではなかったらしく、イザベラが代わりに払ってやるから帰れ、と言っても、首を縦に振らなんだ。

 そこでジョゼフの奴、じゃあシャルロットの望みでも叶えてやれ、そうすればお前の望んだ通りにしよう――なんて、急に人格者じみたキモチワルイことを言い出して――シャルロットはシャルロットで、その提案に一も二もなく飛びついて、母の病を治す薬を作ってくれと頼んでおった。

 ビダーシャルはこの要求を快く受け入れ、今はグラン・トロワ奥に与えられた研究室において、せっせと怪しげな薬草や粉末を混ぜ混ぜしておる。

 シャルロットにしてみれば、最愛の母上様を治してくれる、ようやく掴んだ希望の光じゃ。一分一秒でも早く仕事を完成させてほしいじゃろうし、邪魔立てする者がおれば容赦はすまい。

 つまりやっぱり、我々三人は誰にも頼らず、朝飯とか昼飯とかの時間も惜しんで、日によってはお休みの時間を大幅に削って、コツコツコツコツ書類を片付けていかねばならぬということじゃ。

 そりゃ、トリステインで似たようなことしとる兄様が、まだ若いのにめっちゃ老けるわけじゃよ。我もこの仕事、あと半月も続けておったら、疑いなく白髪が生じてしまう。

 休み欲しい。贅沢で栄養のある美味いメシが欲しい。いや、もっと根本的な解決が――誰かからの助けが欲しい!

 そんな風なことを切実に思っとった時じゃった。我らのもとに仕事を運搬してくる女官が、もうこの日何度目かわからぬ入室を告げてきた。

 ひい、また書類の追加かとおののいた我らじゃったが、そいつは今回に限っては、書類の束を持参してはおらなんだ。その代わり、たった一枚と思しき、筒状に巻いた羊皮紙を手にしておった。

「イザベラ様、シャルロット様、マザー・コンキリエ。お仕事中失礼します。エルバ島のジョゼフ様から、お手紙が参りました」

「何だって? ……ったく、このくそ忙しい時に……その辺に置いときな」

 イザベラは不愉快そうに眉根を寄せると、ぞんざいに手を振って、その手紙の扱いを指示した。

 島流しになったジョゼフじゃが、完全に外界との連絡が絶ち切られたわけではない。もし何か、不都合なことが起きたり、緊急的に知らせたいことが生じた場合には、食料を運んでくる船に、イザベラ宛ての手紙を託すようにと伝えてあった。

 その手紙が、こんな早くやって来るということは――もしかして――。

「い、イザベラや、しばし待て! その手紙、まずちょっと開けてみよ!

 追放されてからまだ間もないのに、ジョゼフに問題が生じたとは思えぬ。もしかしたら、仕事の引き継ぎのことで何か、言い忘れたことがあるのかも知れんぞ!

 た、たとえば……仕事を早く片付けるための、経験者としての知恵だとか……いや、もっとダイレクトに、役に立つ人材の推薦だとか書いてあったら……!」

 我の指摘を受けたイザベラの表情が、ハッと変わる。デスクのすみに置かせた手紙に手を伸ばし、急いで封蝋をはがしにかかった。

 我とシャルロットも席を立ち、イザベラの肩越しにその手紙を覗き込む――ガリアの国政をひとりでうまく回しておった、辣腕家からの情報。それを上手に使えば、我々の苦労も少しは――!

 丁寧に巻かれていた羊皮紙が、ばっと広げられる。そこにジョゼフの直筆で、水茎麗しくも書き綴られていたのは――。

 

『でっかいおさかな釣れた(*´ω`*) byジョゼフ』

(その文字の下に、五十サント強の鯛と思しき魚拓)

 

「うおおおぉぉぉ――ッ! くたばりやがれあのクソ親父イイィィ――――ッ!」

 バリバリバリィィと、羊皮紙を真っ二つに引き裂いて咆哮するイザベラ!

「縛り首にしとくべきじゃった! 縛り首にしとくべきじゃった! ふざけよって! ふざけよって!」

 引き裂かれた手紙を奪い取り、床に叩きつけ、げしげしと踏みつける我!

「イザベラ、ヴァイオラ、どいて。それをエア・カッターで細切れにしてから、ウィンディ・アイシクルで吹き飛ばす」

 震えた低い声で、ごっつい杖を構えるシャルロット!

 我ら全員心はひとつ! 仕事の疲労でまいっとるところにこのクソ手紙! 頭の奥底で何かがプッツンしたところで、何の不思議があろう!?

 ガリアの首脳が三人同時にはっちゃけたのを抑えることは、さすがのシザーリアでも困難じゃった。我々は、シザーリアが呼んだ元素の兄弟が部屋に突入してくるまで、思い思いの方法で、ジョゼフの手紙に鬱憤をぶつけ続けた。

 

 

「……ふう、何とか落ち着いたのぅ」

「ああ。これでもうしばらくは、机に向かいたくないね」

「同感。文字を読むのも、嫌」

 ジョゼフの手紙を巡る大騒動を演じた、その日の晩。

 ついに書類を全部片付けた我らは、プチ・トロワのテラスで、遅い夕食を摂りながら、お互いの健闘を讃え合っておった。

 今は、シザーリアすらも席をはずしておる。我とイザベラとシャルロットの三人だけ――あの地獄を支え合いながら乗りきった我々だけで、ゆったりのんびりくつろぐのじゃ。

 とりあえずここ数日の、嵐のようなお仕事の群れは、これでひと段落したと、大臣どもが言うておった。王が変われば、あちこちでいろいろ変えなきゃならんところが出てくる。でも一度変わって落ち着いてしまえば、もう同じ問題は起きなくなる――ものらしい。

 つまり、明日からはもーちょいだらけることができるようになるっちゅーわけじゃ。いやはや、本気で安心した。あのペースの仕事がこれから永遠に続くとかじゃったら、我は絶対逃げとった。

「もういくつか、細々した調整をしさえすれば、まとまった休みも取れるようになるよ。

 とにかく、お疲れさん、シャルロット、ヴァイオラ。今夜ばかりは、たっぷり飲もうじゃないか」

 イザベラの音頭によって、我々はワイングラスを打ち合わせ、乾杯をする。ほどよく冷えたボルドーの赤を、キューっと喉に流し込めば、これまでの苦労も吹き飛ぶというものじゃ。特に飲みっぷりのいいイザベラは、まさに会心の表情と呼ぶべき笑顔で、ひと息にグラスを空にしておった。

「明日持ち込まれる予定の書類は、今日の半分とかいう話だよ。楽勝でいけるね。明後日はさらに減るし、明々後日はそれ以下だ……あたしたちとガリアの未来は、とっても明るいよ」

「でも、書類仕事が全部終わったからといって、それで将来に渡って何もかもうまくいく、というわけでもない。目下の大問題についても、なるべく早くカタをつけたいところ」

 グラス片手に、海老のオイル煮をつついておったシャルロットが、イザベラの楽観的なセリフに続けるように、そんなことを言いおったので、我は思わずため息をついた。

「ああ……シャルロットや、嫌なことを思い出させんでくれんか。あの、ジョゼフの手紙のことを言うとるのじゃろうが、せっかくのびのびくつろげる時間を、台無しにしてはもったいないぞ」

「でも、あれは放っておけない。至急何とかしないと、冗談抜きにガリアが危ない。

 アルビオン革命の裏話……明らかになった日には、私たちの政権にとって、致命的なスキャンダルになる」

 そう言われては、我も黙り込むしかなくなってしまう。イザベラも、さっきまでの笑顔を苦々しいものに変えて、考え込んでしまった。

 ――先王ジョゼフから届いた、ぶん殴りたくなる類のお手紙。その書き出しと、でかでかとした魚拓につい気をとられてしもうたが、よく見ると一番下に小さな字で、けっして見逃せない重大な告白がしたためてあったのじゃ。

 その告白というのは、ついこの間、アルビオンで起きた共和革命についてのことじゃった。

 オリヴァー・クロムウェルという男が、無数の貴族をまとめあげ、六千年続いたアルビオン王家を打倒した――あの歴史的事件。

 それを裏で操っておったのが、なんと、我らがガリア王国の先代アホタレ王、ジョゼフ・ド・ガリアだったらしい。

 ジョゼフの命令を受けたミス・シェフィールドが、ラグドリアン湖に棲む水の精霊から『アンドバリの指輪』なる伝説級のマジック・アイテムをパクり、それをクロムウェルに渡した。彼はその指輪のケタ外れた洗脳能力で、アルビオン貴族どもを操り、王家に対して弓を引かせた――っつーのが、ことの真相だそうじゃ。

 確かにあの革命には、起きた当初から疑問が囁かれておった。アルビオン王家にはもともと、モード大公粛清事件など、貴族どもの不満を集める要因がいくつかあった。しかしそれでも、長いこと王家へ忠誠を誓っておった連中が、いきなり一致団結して蜂起するなんちゅーことは、非常識過ぎて考えにくかったのじゃ。

 しかもその旗印であるクロムウェルは、貴族ですらないただの僧侶。軍部の中枢におった将軍とか、王族に次ぐ格式を誇る公爵だとか、そういった奴が率いるのならまだわかるが、僧侶が革命て。

 一時期は、クロムウェルが始祖の再来、この時代に蘇った虚無の使い手で、その神々しい力を見せつけられたからこそ、貴族たちは彼に従ったのだ、などというクソ下らん流言も広がっておったが、真相がわかってみりゃ、やっぱりアホみたいな嘘っぱちはリアリティがないのう。虚無(笑)じゃって。そんなんおるわけないじゃろーに、どんな脳みそコドモな発想じゃ。まだしも、イーヴァルディの勇者に憧れる方が現実的ってもんじゃよ。

 水の先住魔法を秘めたマジック・アイテムってのも眉唾ではあるが、虚無(爆笑)に比べればまだしも頷ける。実際、ラグドリアン湖には水の精霊がおるし、こいつが一時期、湖の水位を勝手に上げまくるっちゅー事件を起こしたこともあった。

 この事件の解決に当たったのが、当時北花壇騎士じゃったタバサことシャルロットなんじゃが、なんと水の精霊と会談する機会を得て、奴が「盗まれたアンドバリの指輪を取り戻すために、水位を上げている」と言うのを、はっきり聞いたそうじゃ。しかもその窃盗容疑者たちのひとりが「クロムウェル」という名で呼ばれていた、という証言も得ておる。となるとやはり、アルビオン革命の裏側には、アンドバリの指輪という秘宝の暗躍があったのじゃなと、断定せざるを得まい。

 そして、このくそったれた指輪をクロムウェルに渡したのが――ジョゼフだとするなら――あの戦争の責任は、ガリア王国にあると言っても過言ではない。

 この事実は不都合過ぎる。まったく、これっぽっちも歓迎できん。シャルロットの言う通り、公になったら、それだけでガリア王室を崩壊させかねない大スキャンダルじゃ。イザベラやシャルロット、そして我という、現在のトップには何の関係もない謀略であったとしても、大衆は「ガリア王室が起こした許しがたい非人道的事件」としか判断せぬじゃろう。王宮に出入りする貴族はみんな同じ穴のムジナ、ある政党の政策がダメなら、その政党に属する政治家は全員ダメ、ってのが、典型的な浅はか能無し身勝手愚民どもの思考じゃからの。間違いなく、我々はあの変態ジョゼフとひとくくりにされてしまう。

「隠し通さなければならぬ。なんとしても、な」

 たん、と音がするくらい、強めにグラスをテーブルに置いて、我は言った。それ以外に選択肢はあり得ぬ、と、断言するかのように。

「ありがたいことに、最大の証拠品であるアンドバリの指輪は、我々の手の中にある。そうじゃったな、イザベラ」

「ああ。あの手紙に書かれていた通り、ミス・シェフィールドの私室で見つけたよ。

 あたし自身がディティクト・マジックをかけたけど……確かにありゃ、とんでもない水の力を秘めたアイテムだね。あれなら、アルビオン貴族どもをまとめて洗脳するって絵空事も、不可能じゃなさそうだ」

「その指輪を見つけたこと、ここにいる我とシャルロット以外には話したか?」

「まさか、だよ。大臣たちにすら話せる内容じゃない。スキャンダルの暴露とは関係なく、もしもあの指輪の存在が、野心的な誰かの耳に入りでもしたら……それを使って、よその国に戦争を仕掛けようって意見が沸き上がってきても不思議じゃないだろ?

 実際のところ、あれさ。うまく使えば、トリステインぐらいならあっという間に征服できるよ。こっちの被害ゼロで、ね」

 う、ううむ。そこまでなのか――ちょっと魅力的に思ったのはナイショにしとこう。

「できれば、あの指輪をラグドリアン湖に放り捨てて、知らぬ存ぜぬを決め込みたいところなんだけど、ね……」

「そう。問題の本質は、アンドバリの指輪そのものじゃない。むしろ気にするべきは、アルビオンにいるオリヴァー・クロムウェルの動向。

 クロムウェルが、自分の革命にガリアが関わっていたことを、どの程度具体的に知っているのか……その答えによって、危険度がかなり、変わってくる」

 それなんじゃよなぁ。

 シャルロットの言う通り、今一番危険なのはクロムウェルの口じゃ。奴が、果たして、自分を操っていたのが、ガリア王ジョゼフじゃと知っていたかどうか?

 ガリアの政変、ジョゼフの失脚については、もうアルビオンにも聞こえておろう。クロムウェルがジョゼフを上役として仰ぎ、これに頼りっきりじゃったとすると、今頃は大慌て、何をしていいのかもわからずウロウロしとるといったところじゃろう。

 しかし、まさかガリア王が関わっとるとは知らず、有力で野心的な貴族の誰かじゃと思っとったなら――たぶん、それほどは危機感を持っておらぬ。黒幕から連絡が来なくなっても、今はお国がゴタゴタしているから、こっちに指示を出す余裕がないんだろうなーって、気をきかせて黙っとるじゃろう。

 今、アルビオンはトリステイン=ゲルマニア連合から、包囲戦術を仕掛けられておる。これはアルビオンにしてみれば、破ることは厳しいが、すぐに負けることもないのんびりした戦争じゃ。自前の補給策を模索したり、国内情勢を立て直したりしながら、黒幕から連絡が来るのを、一年か二年、慌てず待つくらいの気分にはなれるじゃろう。

 でも、心底飢えて、もうどうしようもなくなったら?

 クロムウェルが悪賢い狐じゃったら、きっとこっそりと、ガリアを脅しにかかってくる。

「私はあなたの国から支援を受けて、戦争を起こしたんですよー。このことを言いふらされたくなかったら、小麦粉と野菜下さい」とか、きっと言ってくるはずじゃ。

 こうなると、もういろいろと手遅れじゃ。突っぱねりゃ、ことの次第を世間にバラされる。アンドバリの指輪はこっちにあるが、それ以外に何か証拠になるものをクロムウェルが握っておる可能性だって、けっして無視できない。

 脅迫を受け入れて、アルビオンを秘密裏に支援するっつー選択肢もあるが、こりゃもう普通に泥沼じゃね。我々は陰謀に関わってなかったんですよー、っつう逃げ道もなくなる。我々はあのお空の小国に手綱を握られて、言いなりのお馬さんになってしまう。

 どっちもよろしくない。ヤバい。なんちゅう置き土産を残してくれやがったんじゃ、あのアホジョゼフめが。

 イザベラとシャルロットの顔も暗い。他国も関わる大問題だけに、より慎重に考えねばならんし、かといって中途半端な対応は禍根を残す。できれば我も、知らんぷりしてロマリアに帰りたいところじゃ。

 しかし、今この問題から逃げるわけにはいかん――すでにして、我はガリアの政治家として、イザベラに抱えられてしもうたんじゃからの。イザベラの失脚は我の失脚で、ここでの失策は我の将来にも長く響くであろう。

 逆を言えば、ここでこのアンドバリの指輪問題をうまく片付けられれば、我に対してのガリア女王の信頼はより深くなる。世界の頂点への道を、さらに一歩進めることができる。

 というか、じゃ。ある意味王の中の王というべき教皇を目指しておる我がじゃぞ? おそらく、さらにたくさんの複雑な問題をさばかねばならぬであろう教皇を目指す我が、この程度を解決できんでどうするっちゅー話じゃ。

 この難問も、一種の試練と捉えるべきなんじゃろう。うまくさばいて、天下に我の王たる資質を示さねば。いずれはこのイザベラもシャルロットも、教皇となった我にひざまづくことになるんじゃから。

「まあ、こうなると……ガリアの立場を悪くせずに、ことをおさめるには、ふたつしか方法はあるまいな」

 我がそう呟くと、青髪ガールズの目が同時にこっち向いた。

「ふたつもあんのかい? 頼もしいね。聞かせておくれよ、ヴァイオラ」

「私も、聞きたい」

「うむ、よかろ。イザベラ、シャルロット、耳を貸せ。この案は、正直なところ、我が口に出したことが知られただけで、醜聞になってしまうたぐいのもんじゃ。ゆえに、小声でしか話さん。

 ……まずひとつは、めっちゃ簡単。秘密を知っとる可能性のあるクロムウェルを、こっそり暗殺する」

 ぴくり、ぴくり、と、イザベラとシャルロットの眉尻が上がる。こいつらホント仲ええな。

「ああ、あんたもその結論か……うん、あたしもそれは考えたよ。クロムウェルがどこまで知っているにせよ、死んじまえば文字通り、死人に口なしだからね。あたしたちは安全になれる。

 でも、実行はちと厳しいよ。何しろ相手はアルビオンのトップ、共和議会議長サマだからね。相当厳重な警備がついているはずだ」

「単純に考えて、クロムウェルが拠点にしているハヴィラント宮殿には、よく訓練された兵隊が何百人といるはず。あとこれは未確認だけど、『白炎』のメンヌヴィルという腕利きの傭兵も雇っているらしい。この防御を破って、本丸のクロムウェルを暗殺することは、おそらく元素の兄弟でも困難」

 ふたりの指摘に、我はさも当然とばかりに頷いてみせる。

「うむ、その通りじゃ。しかも、ガリアがこの暗殺事件に関わったことを知られちゃいかんわけじゃから、難易度はさらに跳ね上がる。つーか、まず不可能じゃね。

 じゃから、クロムウェル暗殺は現実的でない。こんな企画はゴミ箱にぽーいじゃ。残るもうひとつの案こそを、我は本命として提案したい。

 即ち、これまた簡単……ガリアからクロムウェルへ、降伏勧告を行うのじゃ」

「降伏……?」

「……勧告」

 ふたりは目を見合わせて、微妙に納得のいかないような顔をしおった。

「賛成しかねるかや、イザベラ? シャルロット?」

「いや、ヴァイオラ。言ってる意味はわかるよ。あっちがこっちに変な気を起こす前に、上下関係をはっきり教え込んでやろう、って話だろ?」

「こちらは、アンドバリの指輪を持っている。言わばクロムウェルの玉座の上に、馬の毛一本で鋭い剣をぶら下げているようなもの。

 その事実を言い含めれば、確かに、彼は我々に逆らうわけにはいかなくなる。しかしそれは、けっして裏切りが起きない、というわけではない」

 その通り。まったくもってその通り。

 今回の事案では、基本的にはクロムウェルに対して、我々の方が圧倒的に有利な立場におる。アンドバリの指輪はイザベラの手にあるし、経済的にも武力的にも、ガリアはアルビオンよりだいぶ上じゃ。

 しかし奴が、真相の暴露という、こちらを一撃必殺できる鬼札を持っとるがゆえに、我々はあのお空の傀儡野郎ごときに、頭を悩ませねばならん。

 ジョゼフに代わって、我々がクロムウェルを操る黒幕の座におさまって、奴を屈服させ、永遠の忠誠を誓わせることができれば、話は早いんじゃが――クロムウェルとて人間じゃもの、いつ裏切りたい気分になるかわかりゃせん。我々は、いつ爆発するか知れん爆弾を部下として持つつもりはないのじゃよ。

「じゃからこそ、な。我はクロムウェルを、降伏させようと思うんじゃよ。脅して、我々に逆らうなと釘を刺すのではない。神聖アルビオン共和国を治めるオリヴァー・クロムウェルには、敗北宣言をして頂き、お役御免になってもらう……というのが、いっちゃん安全で、憂いを残さないやり方じゃ、と思うのじゃ」

「あん? つまり、屈服させて口を開かせないようにするのと、どう違うんだい?」

「今の話からすると……ヴァイオラは、クロムウェルを失脚させようと考えているように聞こえた。それって……ああ、そういうこと……」

 ふむ、シャルロットの方が先に、我の言いたいことを察してくれたようじゃな。

 じゃが一応、まだわかっておらんらしいイザベラ陛下のために、詳しい説明をさせて頂こう。

「まー要するに、じゃ。クロムウェルが政治の表舞台から退いてくれれば、奴の口をそんな気にする必要もなくなるじゃろ、って話じゃよ。

 ええか、今んところ、クロムウェルは我々を脅そうという考えは起こしておらぬ。奴からの連絡がないわけじゃから、これは確定よの。

 奴が自分を操る黒幕に翻意を起こす前に、こっちから接触して、アンドバリの指輪を見せつければ……奴は我々を上位者と認め、素直に言うことを聞いてくれるであろう。奴は奴でじわじわ追い詰められておるし、何とか助けてやるって言ってやれば、喜んで飛びついてくるはずじゃ。

 で、その時にこちらが出す指示というのが、じゃ。自分が操られていたことを人に話すなー、っつう秘密の厳守ではなく……今の地位から降りて、トリステインとゲルマニアに降伏すること。つまり、引退せいと言ってやるわけじゃ……」

「はあ!? ちょ、ちょっと待ちなよ! いくらこっちがアンドバリの指輪を握ってるからって、そんな命令ひとつで、クロムウェルがせっかくの王座を降りるわけがないだろうに!」

「果たしてそうじゃろうか? なあイザベラよ、お前が王になってから、今日に至るまでのことを思い返してみい。ここ数日のお仕事はキツかったな? 仕事量や内容はもちろん、精神的な重みがヤバかった。位置としてはお前の臣下である我ですら、何度潰れそうになったかわからん。一番上の女王サマであるお前は、それよりもさらにキッツい心労を味わっていたじゃろう。

 王になるというのは、とにかく気苦労を背負い込むことじゃわな。無責任で自分勝手な輩には、とても勤まらんものよ。平民がよくする夢物語で、王様になって周りの人に命令をして、自分は遊んで暮らしたいというのがあるが……実際、それが実現したら……たぶん、ほとんどの人間は、二日か三日でギブして、元通りの自分の世話だけしとけばいい暮らしに、戻りたがるんじゃなかろうか……」

「……………………」

「イザベラ。お前は始祖の代から、ずーっと続いてきた高貴な血の継承者じゃ。生まれた時から、人の上に立つことを義務づけられとる。だからわりと早いうちに、覚悟はできとったはずじゃ。今の女王としての仕事も、心折れることなく、きっと続けていけるじゃろう。

 じゃが、クロムウェルは違う。あいつはもともと僧侶だという。本当なら王様になる可能性なんか、まったくなかったんじゃ。せいぜいが、酒を飲んだ時なんかに、王様になってみたいと笑い話に語る程度じゃったろう。

 それがどういう因果か、ジョゼフの企みで、マジもんの王様になってしもた。最初はその権力に、大勢を従えられる快感に、有頂天になっておったじゃろうが……さすがにもうな、嫌になっておらんとおかしいと思うぞ。

 奴は我々みたく、国の仕事をバリバリやっとるってわけじゃなかろう。そんな勉強をした経験があるはずはないし、きっと優秀な部下に、ありとあらゆる判断を丸投げして、自分はあくまで旗印として、アルビオンに君臨しとるだけのはずじゃ。

 ただ、君臨しとるっちゅうことは、それだけで責任の重さだけは、肩にずっしりかかってくる。トリステインとゲルマニアが、打倒すべしと叫んでおるのは、『アルビオン』と同じくらいの重さで『オリヴァー・クロムウェル』なんじゃ。我のおったロマリアにとっても、歴史あるアルビオン王家を抹殺した罰当たりは、実際に動いた何万人もの兵士ではなく、『オリヴァー・クロムウェル』じゃ。ハルケギニア中に注目され、ハルケギニア中に憎悪され、ハルケギニア中に恐れられる。こりゃよっぽどの胆力がないと耐えられん。それでもまだお空の国を治めておるのは、アンドバリの指輪の力と、自分に指示を与えてくれる誰かなことを頼りにしておるからじゃよ。

 断言する。クロムウェルは、アンドバリの指輪を持った誰かに――それが我々でなく、他の誰かだとしても――引退しろ、と命じられたら、むしろ大喜びで引退するわい」

「ヴァイオラの予想は、的を射ていると、私も思う」

 シャルロットが、横から我の話に頷いてくれた。

「覚えている、イザベラ? 私は前に、あなたの影武者として振る舞い、『地下水』という暗殺者の襲撃を受けたことがあった」

「え……あ、あの話? た、確かにあったけど、あれがどうしたのさ」

 急に目が泳ぎ始めるイザベラ。様子がおかしい。その『地下水』襲撃事件とやらに関して、何か思い出したくない記憶でもあるんじゃろか。

「あの時私は、人の上に立つことの危険さ――その一部を味わった。身分が高いというのは、それだけで多くの人の利害に関わることになる。いつ、何者が、どういう動機で命を狙ってくるかわからない。そんな生活を続けることは、よほどの覚悟がなければ、できないこと」

「……まあ、そりゃそうさ。あたしの場合は、ヴァイオラが言った通り、生まれてからずっとだから、諦めもついてるよ」

「クロムウェルは……できると思う? 諦めをつけることが?」

「……………………」

 シャルロットの澄んだ目で見つめられ、イザベラはしばらく考え込んでおった。

 じゃが、この質問は酷じゃ。イザベラは生まれつきの高貴な人間。王でなかった人間が、王になった時のことを、それほどはっきり想像できるとは思えん。

 ゆえに我は、さりげなく助け船を出してやることにする。

「国のトップ、という立場の重さに加えてな、今、アルビオン自体が、かなり苦しかろう?

 タルブ上空戦に負けて、空軍戦力をごっそり欠いたし、その報復でトリステイン=ゲルマニア連合に包囲戦術仕掛けられとる。もともと食糧自給率の低い国じゃ、それが外国からの輸入を差し止められて、ひどく飢えておるに違いない。

 今はまだ、備蓄でなんとかなっとるじゃろうが、いずれ必ず、貯蓄と生産が、消費に追いつかなくなる日が来よう。

 もうすでに、国民どもの、共和議会への――クロムウェルへの不満は、ぶちぶちと垂れ流されとるじゃろう……外は敵に囲まれ、養うべき国民は文句ばっかり言う。しかも自分の手に、お役立ちのアンドバリの指輪はないし、遠い国の支援者は長いことだんまりしておる……そこに我々が、お前の肩から重石を取り除いてやる、もう自由に暮らしてもいい……と言ってやったなら……?」

「……確かに。うん、心情的には、かなりやれそうな気がしてきたよ。

 しかし、そういう言い方で説得するってんなら、引退したあとのクロムウェルの面倒は、あたしたちが見てやるってことになるのかい?」

「まあ、そうなるわな。じゃが、そのくらいのことはしてやってもバチは当たるまい。クロムウェルもある意味、ジョゼフの悪巧みに踊らされた被害者じゃからの。奴ひとりを生かす程度の年金ぐらい、どっかから搾り出せるじゃろ。

 それに、じゃ。クロムウェルには引退後も、下手な暴露行為をせんよう、監視をつけておく必要があるから、目の届くガリアのどっかに住まわせる処置が必要不可欠なんよな。個人的には、どっか山に囲まれた僻村か、ジョゼフみたいに孤島で暮らしてもらえればいいと思っとるんじゃが……」

「それは大丈夫。ガリアは広い。山奥の村も、孤島もいくらでもある。手が空いたら、適当な場所をリストアップしておく」

 おっと、さすがシャルロット。なんとも頼りになるお言葉じゃ。

「ふむ、それならずっと、クロムウェルの口を封じておけそうだね。悪くないよ。

 でも、どういう名目で、奴を引退させる? 裏での取り引きを、表沙汰にするわけにはいかないからね。やめたくなったからやめます、なんてのじゃあ、アルビオン国民はもちろん、トリステインやゲルマニアも納得しないよ?」

 ぬふふ、そこも当然考えておるわ。ステキ頭脳の持ち主である、このヴァイオラ様をなめるなよ。

「我が直接、クロムウェルと交渉することができれば、奴の引退する理由は作れるぞ。

 まず考慮すべきは、今の神聖アルビオン共和国の基盤じゃよ。あの共和主義国家の前身……レコン・キスタとか言うたかな。あれの掲げたスローガンっちゅうのが、腐敗した王家に代わり、ハルケギニアを統一し、聖地にはびこるエルフどもと戦うのだー、的な感じだったと思うんじゃが、間違っとるか?」

「いや、合ってるね。ずいぶんな大口を叩くもんだって、半分感心しながら聞いた覚えがあるよ」

「よしよし。つまり、クロムウェルの主義主張、大義名分は、ブリミル教の教義にのっとったものじゃということがわかるであろう?

 アンドバリの指輪の力だけじゃない、宗教の力も使うて、自分の立場に正当性を持たせようとしておる。もちろんあまりに無謀過ぎるから、ロマリア宗教庁としては認められんがの。

 しかし、クロムウェルの表の動機が宗教であるなら、同じ宗教家としての立場から、説得を試みる余地がある」

「……つまり?」

「具体的な流れとしては、こんな感じにしたい。

 我は遠からず、アルビオンに渡る。名目は、戦争で疲労しておる民衆たちに、いち僧侶として励ましの言葉をかけに来た、とかでええじゃろ。その際、ハヴィラント宮殿も訪ね、クロムウェルにも会談を申し込む。

 これはアポを取る時、指輪のことをさりげなく匂わせさえすれば、確実に実現するじゃろう。奴と会った我は、アルビオン国民の不安と窮状を奴に訴える……もちろんこれはポーズで、ふたりきりになれたところを見計らって、我がアンドバリの指輪を持っとるということと、クロムウェルにとっての黒幕は、今や我じゃということを突きつけてやる。

 奴の引退、トリステイン=ゲルマニアとの戦争の終結も、そこで無理矢理にでも承服させる。奴に自分の身分への未練があったとしても、我に逆らうだけの力はない。それにたぶん、さっきも言った通り、クロムウェルはいい加減職務上の重圧にうんざりしとるじゃろうから、十中八九は素直に従ってくれるはずじゃ。

 で、えーと、クロムウェルが引退するための名目じゃったな。基本的にあれよ、我々としては、アルビオンが聖地回復を目指そうと、それはどうでもいいわけで、むしろ放っとけんのは、それを動機に周りの国にちょっかいをかけておることじゃ。その点を、ブリミル僧として、ガリア外務担当相として、こんこんと意見してやる……というか、してやった、ということにするんじゃ。

 始祖ブリミルへの深き信仰ゆえに、苛烈な方法で聖地をがむしゃらに目指していた聖戦士クロムウェルは、より立場が上の聖職者である我からの、誠意に満ちた説得を受け、己を省みる! 自分は急ぎ過ぎていたのではないか。武力を振りかざし、ハルケギニアに住まう人々の血を搾りながら聖地を目指しても、それは近道に見えて、むしろ反感という向かい風を受け続ける遠道なのではないか。和平によって、友好的に人類の意思統一をはかり、長期的に聖地を目指す土壌を作り上げた方が、より強い結束を生み出せるし、始祖の御心にもかなうのではないか……そんな風に、『改心』して頂くのじゃよ。

 会談のあとで、そういう経緯で国策を転換することを、議会でクロムウェルに宣言させる。議員の大半は、クロムウェルの操り人形にされとるのじゃろうし、正気の議員がおったとしても、包囲戦術でじり貧のアルビオンにおいて、なおも徹底抗戦を主張する好戦派もおるまい。飢えた状態でモチベーションを維持することは、誰にもできん。

 この宣言が採択されれば、クロムウェルはトリステイン=ゲルマニア連合に降伏を申し入れる運びになるじゃろう。そして、それが済めば、戦争の責任を取るという言い分で、晴れて辞職できるっちゅーわけ。

 無論、奴が自主的に辞職する程度では、戦争で迷惑をこうむったトリステインもゲルマニアも納得はすまい。奴の首を求める声が、いろんなところから出てくると思われる。

 じゃが、それは我が……ブリミル教会が押さえつける。我の説得でせっかく改心した人間を処刑したのでは、罪の償いにはならぬと主張する。トリステインもゲルマニアも、ロマリア人であり、ガリアに仕える我に対しては、強いことは言えんはずじゃ。戦争の終結に、我が関わっておるとなれば、なおさらの。

 奴らには、クロムウェルを始めとしたアルビオン貴族の財産没収とか、アルビオンの領有権とかを与えておけば、まあ手を引いてくれるじゃろ。

 そして、王様でも何でもなくなったクロムウェルは、このガリアに招かれて、田舎で慎ましい暮らしを始め……トリステインとゲルマニアは、戦争を終わらせ、新しい領地とカネを手に入れ……我々は、秘密の暴露を恐れる必要がなくなる。全方位すべからくハッピーエンドじゃ。どないじゃ、悪いシナリオじゃなかろう?」

 我がイザベラとシャルロットに問うと、ふたりはしばらく考え込んでおったが、やがて同時に頷いた。

「うん……確かに悪くない。どうやらいけそうだ。

 というか、四方を丸くおさめるには、それしかないような気がするよ。ヴァイオラ、あんたがブリミル僧だったことを、始祖に感謝すべきかね」

「全部が丸くおさまるだけじゃない。この計画が成功すれば、ガリアはアルビオンにも、トリステインにも、ゲルマニアにも恩を売れる。国際的な地盤が今まで以上に固められるし、我々の王室も、評判を高められる。

 メリットは非常に大きい。それでいて、デメリットはほとんど見当たらない。ヴァイオラ、ぜひ実行に移して」

「よしよしよしよし、任された。この任務、必ず果たしてくれようぞ」

 ふたりの承認を得て、我はグラスの影で、にんまりと笑みを浮かべた。

 ふたりは気付いとるかどうか知らんが、この作戦が成功したあかつきには、ガリアの評判ももちろん高まるじゃろうが、それ以上に我の、このヴァイオラ・マリア・コンキリエの名が、世界に轟くことになるのは間違いない。

 ガリアの政治家としての地位は、我にとってはあくまで、教皇の座に昇るための踏み台に過ぎぬ。その踏み台の一段目におるうちに、ひとつどでかい名声を得ておけば、将来の教皇選定会議の際に大きなアドバンテージになる。

 アルビオン・トリステイン・ゲルマニアの三国戦争を和平に導いた聖女! こんな強力な肩書きは滅多に手に入らぬし、これに勝てる名誉というのも、なかなかないはず!

 ガリアの危機を解決し、自分の未来の成功につなげる。一石二鳥とはまさにこのこと。我の頭のよさに、今さらながら感心するわい、うへへへへへ!

「んじゃ、そういうわけじゃから、今度アルビオンに行くために、我が一番最初に長期休みを取るぞ。

 わりと急ぎの仕事じゃからな、できれば今週中か、遅くとも月が変わる前がいい。他の、国内関連の仕事……我の分の書類は、お前たちふたりに分担してやってもらうことになるが、明日からはだいぶ量が減るらしいし、平気じゃろな?」

 ――我が深く考えず口にしてしもうたその言葉が、さっきまで安心してほころんでおったイザベラとシャルロットの表情を、再び固く緊張させた。

「……な、なあヴァイオラ。ちょっと提案があるんだけど。

 あんただけでなく、女王のあたしもついて行った方が、ガリアが戦争問題に深い関心を示している、って知らしめる効果が得られて、いい感じなんじゃないかい?」

「私もアルビオンに行く。今のガリアは三頭政治と言われている……ヴァイオラとイザベラが行くなら、私も同行して、ガリア王室の結束の強さを、内外に見せつける必要がある」

 冷静を装った、ガリア女王と副王の必死アピール!

 ああ、こいつらふたりとも気付いておるのじゃ! 明日からの仕事は量が減ると言っても、あくまでそれは今日までと比較してのことであり、やっぱり多いことに変わりはないということに!

 三人でやればだいぶ楽じゃけど、誰かひとりいなくなって、そいつの分が自分に降りかかってくれば、また書類の中であっぷあっぷ溺れなくてはならなくなる、ということを!

「え、えーと、お前らにひとつ尋ねたいんじゃけど。

 我ら三人がガリアからいなくなったとして……その間、内政のお仕事は、誰が……?」

「……………………」

「……………………」

 我ら三人、同時に沈黙。

 たっぷり三分ほど、静かな睨み合いを続け――最終的には、イザベラが結論を出した。

「……モリエール夫人に丸投げしよう」

「そうするかのぅ」

「おそらく、ベストな選択」

 我もシャルロットも頷き、生け贄羊は決定した。

 かつて、ジョゼフの愛人であったモリエール夫人。恋人が失脚し、遠い遠い場所に追放されてしまい、ひとり残された可哀想な夫人。

 愛する人と離ればなれになってしまった悲しみを、彼女は仕事への熱情に昇華させた。我々に回される仕事の選択だとか、大臣たちとの打ち合わせだとか、その他細かい問題の処理だとか、とにかくいっぱいいっぱい働いて、今のガリア王室を陰日向に支えてくれておる。

 この人がおらなければ、ガリアは王が変わったことによる混乱に揺らぎ続け、とても今ほどの安定を見せておらなんだじゃろう。

「たぶんモリエール夫人も、現状の四倍くらい忙しくなれば、失恋の傷も気にならなくなるはずさ。うん、あの人に仕事を任せるのは、あたしらにとって都合のいい押しつけじゃなくて、あくまで善意からのことだから、きっと文句は出ないよね」

「そ、そうじゃよそうじゃよ。あの人もそろそろジョゼフのことに見切りをつけるべき時じゃ。大量の仕事をこなして、そりゃもう数えきれないほどの人たちと話し合いをする機会を持てば、もしかしたらその中から、新しい恋のお相手も見つけられるかも知れんし!」

「モリエール夫人なら、信頼できる。私たちがルーならば、あの人はイーヴァルディの勇者のような、そんな感じ。悪竜退治並みのツラい仕事だって、きっとちょちょいのちょい」

 夫人に苦行を課す後ろめたさを、それぞれ、いっしょーけんめい正当化してみる。我々がアルビオンに行っとる間、あの人に寝る時間があるかどうかわからんが――モリエール夫人なら、モリエール夫人ならきっと、何とかしてくれる――!

 とりあえず、あとで夫人宛てに疲れと眠気を取る水の秘薬(飲み過ぎると中毒になるので注意が必要)を、山ほど差し入れることで意見を一致させた我々は、確かな信頼感と、なぜ存在するのかわからぬわずかな罪悪感を抱いて、それぞれ寝室へと引き取った。

 そして、この秘密会談の五日後。偉大なる犠牲と引き換えに、我とイザベラとシャルロットは、アルビオンに発つことになったのじゃ。

 

 

「……んで、ヴァイオラ。シザーリアが運んでる、あの荷物はいったい何だい」

「何って、我の着替えとか着替えとか枕とか、その他いろいろじゃよ。我とて女じゃもん、旅行するならこれくらいの荷物は必要じゃわい」

 シャルロットなら楽々入ることのできる大きさのトランクケースを、さしあたり二十七個。シザーリアが何往復もしながら船に運び込んでいるさまを見ながら、我はイザベラの問いに答えた。

 場所は軍港サン・マロンの、海に向かって突き出した桟橋の上。天気は、透き通る青に吸い込まれそうな快晴。我々をアルビオンまで運んでくれる、長距離用大型両用高級旅客船『スルスク』も、陽光を浴びて光り輝いておる。

 きっといい船旅になる、という予感が、我の心に満ち満ちておった。そして、旅を満足なものにするためには、何かに不足することがけっしてあってはならない――ということじゃ。

 どれだけ船のデッキから臨む風景が美しくても、着ているのが前日と同じドレスでは、爽やかさが六十分の一以下になろう。船室のベッドがいかに柔らかかろうと、枕が頭に合わなければよい眠りは期待できぬ。旅先の環境に自分を合わせるのではない、旅先の環境に自分の居場所を作るべし。我のような繊細で、感受性豊かで、か弱いお嬢様タイプの人間は、長距離を移動する際にはそれくらいの準備をしておかねば、すぐに疲れが来てしまう。今回は物見遊山を楽しむだけではなく、ひとつの戦争を終わらせるという大きな仕事をこなさねばならんのじゃから、己の満足のためにしっかり念を入れておくのが、きっと正解なんじゃよ?

「んー、まあ、確かにそうかもね。あたしもそれなりに荷物は多いから、あんまりあんたを変な目では見れないか」

「そうじゃそうじゃ。貴族の娘じゃもの、荷物が多いんは当たり前じゃ。しかもお前は王族じゃもの、我より多いぐらいでもよかったんじゃよ?

 ……っていうか、イザベラや。我やお前よりも、むしろシャルロットの方が、奇異な目で見られるべきじゃと思うんじゃけど。あの年頃の女で、何日もかかる旅行で、荷物が背中に負えるナップザックひとつにまとまるってどうなんよ?」

 ひそひそ話をする我とイザベラの目の前を、普段通りのごつい木の杖と、トリステイン魔法学院の制服と、大きめのネコぐらいのサイズのナップザックだけを身につけたシャルロットが、てくてくと歩いてくる。

「……言ってやるなよ、ヴァイオラ……あの子はまだ、北花壇騎士時代の感覚が抜けきらないんだ……。

 ああ、もう、あの無駄な合理性、早く何とかしてやりたい……コキ使ってた頃に、もうちょっと甘やかしておけばよかった」

 声を潜めて嘆くイザベラ。

 確かに、死と隣り合わせじゃった過酷な生活においては、動きやすく目立ちにくい服装と、最低限の物資だけでことにのぞんだ方が、生き残りやすかったかも知れん。

 でも今は、もう立派に一国のお姫様なんじゃぞ。むしろ華美な装飾をこそ誇った方がええじゃろに。そのカッコでは、まるっきり遠足に行く学生ではないか。

 聞いたところによると、留学しておったトリステイン魔法学院の籍も、まだ残したままらしい(だから、着ておる制服もそのまんま)。あんにゃろ、ちびっこくて身のこなしが軽やかなふりして、意外と環境の変化についていけんタイプか。バシッと切り替えろバシッと。

 まあ、その点はこれからゆっくり教育してやればええわな。どーせ奴は、今回は勝手についてくるだけのオマケでしかない。それはイザベラも同様――あくまで今回の主役はこの我。我さえしっかり、豪華絢爛にしておけば、少なくともガリアは恥をかかんで済む。

「おお、そうじゃ、イザベラよ。船に乗り込む前に、例のものを受け取っておきたい。あれを必要とするのは、交渉役の我じゃからな」

「わかってる。それじゃ、確かに渡したよ……ガリアの運命を左右するお宝なんだから、無くしたりするんじゃないよ?」

 そう注意して、イザベラは自分の指にはめていた古ぼけた指輪を、我にそっと渡してよこした。

 この美術的センスゼロの腐れかけたアクセサリーこそ、アルビオンを革命の嵐に巻き込み、今またガリアをも暗雲で包もうとしている諸悪の根元。水の精霊の秘宝、アンドバリの指輪なのじゃ。

 我々にとってはとんだ疫病神ではあるが、同時にクロムウェルに対する唯一の鬼札でもある。扱いは何より慎重に、かつ厳重にしなければならん。

「よしよし、確かに受け取ったぞ。もちろん我も、これを粗末に扱う度胸はないわい。じゃから、さしあたり一番安全そうな場所に保管しておくことにする。……おーい、シザーリア! お前、例の黒いトランクはもう積み込んだか? まだ? よろしい、ならばちょいとこちらへ持ってこい!」

 せっせと船へ荷物を運び込んでおるシザーリアを、目当てのトランクと一緒に呼び寄せる。

 我が注文したそれは、衣服などを詰めた、軽くてオシャレな革のトランクとは違い、金属的に黒く輝く、ごっつい箱であった。実際それは金属で――それも鋼鉄でできており、旅行鞄というよりは、金庫といった雰囲気を漂わせるものであった。

 重さもかなりあり、シザーリアはレビテーションでそれを運んできたが、それでも空中でちょっとフラフラしておった。おそらく魔法なしであれば、屈強な男数人がかりで、やっと持ち上がるという代物じゃろう。正直、持ち運びには不便極まるが――それを補って余りある頑丈さと機密性を期待できるからこそ、我は今回の旅路に、この金属トランクを携行することにしたのじゃ。

「お待たせしました。お求めはこちらのトランクでございますね?

 そこに置きますので、一歩お下がり頂けると助かります」

「うむ、慎重に下ろすのじゃぞ、シザーリア。箱は頑丈でも、中身はそうとは限らんゆえにな」

 板敷きの桟橋をみしりと軋ませて、トランクは横たえられた。我はその留め金をはずし、扉のようにでかいフタをばくんと開ける。

 その中には、いろいろな得体の知れない道具がごちゃごちゃと詰め込まれておった。――うーむ、我自ら詰めたとはいえ、この乱雑ぶりはちと目を覆いたくなるのう。

「その箱は何だい? いやにグッチャグチャじゃないか」

 我の肩越しに、イザベラが興味深そうにのぞき込んでくる。

「これかや? まあひと言で言うと、アンドバリの指輪のお仲間どもじゃよ。

 ほれ、ジョゼフと一緒に島流しになった、ミス・シェフィールドっつう女がいたじゃろ。あいつ、ずいぶん熱心なマジック・アイテムのコレクターじゃったみたいでの、私室にたんまり面白げなもんを並べておったんで、ちょいといくつかパクってきたんじゃ」

 転地療養という名目のもと、裁判もなしにあっという間に追放された先王ジョゼフ。その奇特な忠臣、ミス・シェフィールドも、自分の部屋を整理する暇もなく、身ひとつで離島にポイスされた。

 今もグラン・トロワには、シェフィールドの部屋がそのままの状態で残されておるのじゃが、先日我は、あるジョゼフ政権時代の資料を求めて、彼女の部屋にお邪魔する機会があった。

 いやー面白かった。ちょいと指でいじるだけで歌い踊る人形だとか、絵が動く絵本だとか、破れてもすぐにもと通りに戻るストッキング(!?)だとか、見たことも聞いたこともないマジック・アイテムが、棚や引き出しに盛りだくさんになっておったのじゃから。

 どーせシェフィールドが帰ってくる可能性はないし、こんな愉快かつ価値のありそうな物品を延々と死蔵しとくのももったいない。そう思った我は、これぞ一種の所有権フリー物件と判断し、特に興味を覚えたものを片っ端から我の部屋に持ち帰っていった。これは正当な接収であって、横領などではないので、勘違いしてはいけないのじゃよ?

「で、今回のアルビオン旅行じゃけど。和平目的とはいえ、やっぱそれなりに危険もあろう? じゃから一応、身を守れそうなマジック・アイテムを、いくつかこうして見つくろってきたんよ」

 もちろん、シザーリアとか、頼りになる護衛はおるけれど、ここしばらく、なぜか自分の力で何とかせにゃならん危機にばっか直面しておるからのう。我個人の自衛能力を、マジック・アイテムで底上げしておいて、きっと損にはなるまい。

「へえ、そりゃ頼もしいじゃないか。

 あたしも、自分自身の力にはあんまり自信がない方だからねぇ……ねえ、もしよかったら、あたしにも使えそうなアイテムをひとつかふたつ、貸しておくれよ。そんな大きな箱に山ほど詰め込んでるんだ、数は余ってるんだろ?」

「もちろんかまわんよ、イザベラ。えーと、お前にも使えそうで、なおかつ携帯に便利なのは……このあたりかのう。『ジャンボ・ガン』と『熱線銃』」

 箱の奥から掘り出した、小さなL字型の鉄塊ふたつを、我はイザベラの手にズシンと乗せた。

「どっちも銃? 銃って、平民の武器だよね。確かに手のひらサイズで、扱いやすそうだけど……マジック・アイテムというからには、ただ火薬で弾を飛ばすだけじゃないんだろ。いったいどういう機能があるんだい?」

「ちょいと待てよ、ここに説明書がある。えーと……『ジャンボ・ガンは、一発で三十メイル級の岩ゴーレムを吹っ飛ばす!』、『熱線銃は、ロイヤル・ソヴリン級の戦艦を一瞬で煙にしてしまう!』……だそうじゃ」

「使えるかぁッ!」

 声をひっくり返らせて、二丁のただならぬ破壊兵器を放り出すイザベラ。

 うん、これは我も悪かった。よく説明書も見ずに、武器っぽいものを適当に詰め込んでみたら、まさかこんな恐ろしいもんが混じっておったとは。

 もしこの武器をアルビオンで使ったら、それがたとえ自衛のためだったとしても、フツーに宣戦布告に匹敵する被害を周りに及ぼすじゃろう。こんな銃は箱の一番底にしまっとこう――いや、アルビオンに行く途中の海に投げ捨てた方がええかもな。できれば我の周囲一リーグには存在していてほしくない。

「まったく、ミス・シェフィールド……なんつーもんをコレクションしてんだい。ヴァイオラもひどいじゃないか、背筋がぞぞっとしたよ」

「いやはや、すまんすまん。でもたぶん、今の以上に危険なアイテムはもうないと思うから安心せい。

 あ、こっちなら持っていても害はあるまい。かぶると姿が見えなくなるマントだそうじゃよ。誰かに襲われても、これをかぶれば安全に逃げおおせることができよう」

「おお、いいじゃないか。こういうのだよこういうの。

 どっかの貴族が、同じようなアイテムを持ってるって話を昔、聞いたことがあってね。ずっと欲しいなって思ってたんだ」

 たためばメモ帳サイズにおさまる、非常に薄いマントをイザベラは受け取り、ケープのように肩にまとった。すると、まるで空気に溶けたかのように、一瞬で彼女の姿が目の前から消え去った。

「おお、これは面白い。イザベラ、我にはお前がどこにいるのか、まったくわからんようになったぞ」

「へへえ、そうかいそうかい! こりゃ自衛以外にも、面白く使えそうだね。ねえヴァイオラ、今の状態で、あそこにいるシャルロットのスカートめくったら、あいつどんな顔するかな?」

「うむ、気配だけでお前の存在を察知して、杖でぶん殴ってくると思う。やめといた方がええじゃろな」

 果たして、とことことこと我々の目の前までやって来たシャルロット(大地がもっと輝けと囁く遠足スタイル)は、まず我を見て、それから何もない空間に――たぶん、イザベラのいる位置に――ちら、と視線を走らせ、こう言った。

「私はそろそろ船に乗る。ふたりも、そろそろ乗船した方がいい。出航予定時刻まで、あと十五分ほど」

「おう、了解じゃ。我々も一緒に行くことにしよう。ええな、イザベラ?」

「……ああ」

 ちょっとがっかりしたような声が、まさにシャルロットの見た方向から聞こえた。

「……なあヴァイオラ……こんなあっさり見抜かれるなんて、もしかしてこのマント、一流どころの傭兵とか暗殺者には全然通用しないんじゃ……?」

「だ、大丈夫じゃよ。息とかしっかり止めて、身動き全然せずに、気配を完璧に絶てば、誰も気付かんに違いないと、説明書にも書いておる」

「けっこうハードル高いよね!? あたしに今から、職業レベルの間諜になれってのかい!?」

「……イザベラ。あなたの姿は見えないから、今の状態だと、ヴァイオラがひとりで会話しているように見える。少し自重すべき」

 涼しい顔で、我と同じように中空に話しかけるシャルロット。うん、確かにこりゃ異様じゃ。

 しかし、こいつがこういう奴じゃというのはわかっておったが、こうも全然驚いてくれんと、我としてもあんま面白くないのう。さっきのジャンボ・ガンと熱線銃、何の説明もなしにこいつに装備させちゃろうか? 杖をなくした時の隠し武器とか言うて。

 と、そんなことを思うておると、出航準備完了を知らせる旗が、マストに高々とあげられるのが見えた。いい加減船に乗らねば、予定が狂ってしまう。

「よし、イザベラ、とりあえず話の続きは、船のラウンジででもするとしよう。なぁに、このトランクには他にもお役立ちの品が盛りだくさんじゃ。一緒に気に入るもんを選ぶのも楽しかろうて。

 シャルロットも見るか? そのごつい杖以外にも、身を守るアイテムはあって損にはならんぞ」

 トランクのフタをぱたんこと閉じて、我は再びシザーリアに命じ、重い重いそれを船内に運ばせる。

 我の提案に、シャルロットは無表情ながらもこくりと頷いた。イザベラもブツブツ文句こそ言っていたが、「次はちゃんと役に立つもんをもらうよ」何て言っておるのを見る限り、マジック・アイテムへの興味をなくしたわけではなさそうじゃ。

 安心せい安心せい、ちゃんと役に立つもんをくれてやるでな――もちろん、我が優先的に使えるもんを独り占めした上での、残りのおもちゃみたいなアイテムの中から、っちゅー意味じゃが!

 我々は三人並んで『スルスク』に乗船し、それを最後として、桟橋からタラップがはずされた。

 もやい綱が解かれ、錨が上げられる。どこかで船長が、出発の合図を大声で叫んでおる。我はデッキの上で海面を見下ろしながら、それを聞いていた。

 やがて、あのふわりとくる感覚とともに、『スルスク』はその巨体を、海から空へと持ち上げていった――。

 

 

『スルスク』の乗客用ラウンジには、ずらりと並んだ豪華なライカ檜のテーブル・セットとともに、何十種類もの酒瓶を揃えたバーカウンターがあり、二十四時間好きな時に美味い酒を楽しめる。

 我々はさっそく、バーテンに好みの酒を注文し、旅の時間を陽気なものにしようとたくらんだ。

「我は、ピニャ・コラーダを頂こう。イザベラ、シャルロットはどうする?」

「あたしはジン・トニックにしておこうかね。船旅にゃ、さっぱりしたもんがいい」

「私は、ギムレットがいい。少しシロップを多めで」

 できあがったグラスをそれぞれ受け取り、窓際の明るいテーブルへ移動する。デッキに向かって解放された広く大きな窓は、青空が天頂まで見渡せそうなほどの開放感じゃ。軽く潮気を含んだそよ風も心地よく、我はゆったりとした気分で、フレッシュ・フルーツの搾り込まれたカクテルを傾けた。

「ふー、快適、快適。あとはこうしてのんびりウトウトしておれば、アルビオンまで一直線というわけじゃ。船というのは楽でええわい」

「まあ、あたしたちは特にすることはないけど、一直線ってのは間違ってるよ。途中、トリステインのラ・ロシェール港に降りて、風石の補給をしないといけないって、フライト・プランには書いてあったから」

「それに、アルビオンは今、トリステインとゲルマニアによって完全封鎖中。風石補給作業が行われている間に、トリステイン王室から発行される特別航行許可証を受け取らなければならない。これは、外務担当であるヴァイオラの仕事になる」

「うええ〜? 我だけ仕事あるん? 面倒じゃなぁ……シャルロット、暇ならば代わらんか?」

「嫌。それに、出発前にトリステインに向けて、許可証の発行申請は手紙で送ってある。ヴァイオラはそれを受けとるだけだから、面倒でもないはず」

 いや、ぶっちゃけ、我だけが仕事をして、他の奴らが遊んどるっつー状態が気に入らんだけなんじゃけどね。

「まあどっちにしろ、ヴァイオラはアルビオンに着いたら、ちゃんとした外交的な仕事をしなくちゃいけないんだしさ。その程度のみみっちい仕事でダレてちゃダメだよ。

 かの国での交渉は、失敗が許されない難しいものなんだからね。今のうちから、しっかり気合い入れててもらわないと!」

「あー……まあ、そうじゃわなぁ。うむ、そん時になったらシャキッとするとも。我にどーんと任せておくがいい」

 イザベラの激励に、しかし我は言葉では頷きつつも、頭ン中はだらだらーんと、真夏の屋外に放置した聖水盤のごとき心境であった。

 それというのも、我はそっちの仕事にも、別に気合いを入れて取り組む気などないからじゃ。

 オリヴァー・クロムウェルの説得を諦めたとか、そういうのではない。単に、気合いなんぞ入れんでも、奴を取り込むぐらい簡単にできると知っておるから、やる気を出す必要を認めんというだけのことじゃ。

 いや、我も最初は、この任務に命がけで挑んでやろうと思っておったよ? アメとムチを織り混ぜた、完璧な説得のセリフを考えて、クロムウェルの心を技術的にぐわしっと掴んでやろうと思っておったよ?

 でもな、イザベラから、アンドバリの指輪を受け取った瞬間、ふと気付いてしもたんじゃよ。

(……あれ? もしかして、我がこの指輪を使って、クロムウェルを操り人形にしてやれば、わざわざ説得とかする必要ないのでは?)

 ――と。

 そう、その方が圧倒的に楽で、確実で安心なんよ。応じてもらえるかわからん説得の言葉を重ねるのは面倒じゃし、うまいこと説得できても、そのあとでクロムウェルが裏切ったら、もとも子もない。

 その点、洗脳という手段が使えれば! 説得するまでもなく、奴は我の言うことを何でも聞いてくれるし、裏切りの心配もせんで済むというわけじゃ!

 ゆえに我は、今回の仕事についてものっすごい気楽に構えていられる。たぶん、アルビオンで使う労力は、トリステイン王室から航行許可証を受け取る仕事とどっこいどっこいじゃろう。こうしてピニャ・コラーダを飲みながらでも、余裕のよっちゃんで完遂できる。

 もちろんそんなことを、イザベラたちに言うつもりはない。ガリアの運命が今回の旅行で左右される、と思い込んで、きっと今も深刻な気分でおるじゃろうこいつらには悪いがな。

 簡単な仕事をさっさと済ませた、と思われるよりは、ギリギリの難しい仕事を必死に成功させた、と思われる方が、我の評価も上がるしの。

 引き続き、我に頼りまくりのベッタリな政治体制を貫いてもらうためにも、こやつらにはまだしばらく緊張感を維持してもらおう。酒と美しい空の景色があるのじゃ、まあストレスで潰れてしまうということはあるまいて。

「と、そういえばさ、ヴァイオラ。さっき桟橋で見せてくれた、マジック・アイテム。今はちょうど時間あるし、じっくり見せてくれないかい?」

「私も気になる。さっきは、イザベラが透明になっていたようだけれど、他にはどんなものがあるの」

「おうおう、いいともいいとも。あのステキコレクションを、お姫様たちにご覧に入れよう。

 といっても、あのトランクは我の船室に運ばせたから、じっくり見てもらうにはあとで我の部屋に来てもらわねばならぬが……ああ、でも、いくつか我自身が身に付けておる奴があるんで、それを見てもらおうか。これとこれとこれとこれ……」

 ふわふわ柔らかな僧衣のポケットをまさぐり、中に放り込んであった携帯サイズのマジック・アイテムを、次々とテーブルの上に出してみせる。

「さあさ、こいつらは持ち運ぶのに手軽な大きさだったゆえ、身に付けてみたそれなりの品々じゃ。説明書を見ながらひとつひとつ説明してやるから、お気に召したもんがあったらどうぞお持ちになるがいい。

 えーと、このちっこい人形は……木のスキルニル? 血を一滴垂らせば、血の持ち主そっくりに姿を変える、携帯型ゴーレムだそうじゃ。知性も能力も、本人そっくりになるらしい……影武者が必要なお前らの立場なら、重宝しそうじゃね。

 こっちの鈴みたいなんは……眠りのベル、じゃと。寝る前にこれの音を聴いたら、ぐっすり安眠できるらしい。眠りの鐘とか、スリープ・クラウドみたいに、人を強制的に眠らせるとかではないらしいのう。

 その革ベルトは……魔法の拘束具? 合言葉を唱えると、装着した人間の体に微弱な雷が流れる……痛いだけで怪我はしないので、言うことを聞かない彼氏をしつけるのに最適……って、何じゃこれ。

 あ、シャルロット、そのうずらの卵みたいな、小さな桃色の水晶球が気になったかや? それはえーと、魔法のピンクたまご……そのまんまじゃな……説明によると、合言葉を唱えるとブルブル振動するので、肩の凝ってるところとかに押し当てると気持ちいい……」

「身を守るのに使えそうなの、スキルニルくらいしかないねぇ」

 ぐっ。イザベラに呆れ顔で、バッサリ切って捨てられてしもうた。

 確かに我も、説明書を読みながら、ろくなもんないなーとは思うたけど。さてはシェフィールドのアホめ、マジック・アイテムでさえあれば、特にこだわりもなく無差別に集めまくっておったな。

「も、もちろんこれだけではないぞ? ちゃんと役立つもんだって、もっといろいろあるんじゃよ。えーとえーと、他には……」

 シェフィールドのせいで、我の株まで落ちかねないので、さらにアイテムを放出して、名誉挽回をはかることにした。

 しかし、ポケットの中はすでに空っぽ。この青髪のガキどもに「わーすごーいこんなものがあるんだー」と尊敬の目で見られるには、一旦部屋に帰って、あのごつい黒トランクを引っ掻き回さねばならん。

 うわーめんどい、もう素直に、これで品切れじゃから、アイテムに頼らず自分の身は自分で守れこんちくしょー、と逆ギレしてやろうかな――などと考え始めた時、ポケットに突っ込んだ手に、何かが触れた。

「あ、こんなもんあった。……けど、何じゃこれ」

 引っ張り出してみると、それは小さな護符(タリズマン)じゃった。始祖の像と教典の文句が刺繍された、コットン生地の巾着袋で、中には何か、硬くて四角い、平べったいものが入っているようじゃ。

「どういうマジック・アイテムかのぅ? 説明は……あれ、これには説明書がついとらんな。中身を開いて確かめてみるべきか?」

「ちょっと、やめなよヴァイオラ。そういう護符って、開けて中身見ちゃったらご利益がなくなるんだよ。

 説明書がないってことは、マジック・アイテムじゃないんじゃないかい? ミス・シェフィールドだって、マジック・アイテム以外の私物を持ってなかったってわけじゃないだろうし、たまたま紛れ込んだ、ただの護符なんじゃないか?」

 イザベラの指摘に、我もうーんと考え込んだ。確かにそういうこともあり得るか。

 しかしじゃとしたら、我としたことが、余計な荷物を持ってきてしもうたわい。我は聖職者じゃが、別に本気でブリミルのことなんぞ信仰してはおらん。世の中カネと権力なので、護符のみみっちい加護なぞどうでもいいのじゃ。

 それに――紛れ込んだイレギュラーが、このちっこい護符ひとつならまだショックも小さいが、あの大きなトランクの中身を、我はまだ詳しく確認しておらぬ。もし同じような、ろくでもないがらくたが数多く混ざっているとしたら、すごい無駄をした気分になる。

「……イザベラ、シャルロット、お前ら、どっちか、この護符欲しいか?」

「うーん、あたしは要らないな。もともと他人のだった護符を身に付けるってのも、変な気分だし」

「私は、このピンクたまごの方がいい」

 要らんゴミを厄介払いしようとする我の企みは、両者に断られたことであえなく潰え去った。あ、シャルロットさんはどうぞ、そのごくつまらん振動水晶球をお持ち帰り下さい。何がこいつの琴線に触れたのかはわからんが、そんなに目をキラキラさせて見られたなら、ピンクたまごも本望であろう。

 それでも、役立たずが結構手もとに残るのう。やっぱり、ゴミなんじゃし捨てるしかないな。船に乗っとる間に、よく調べて分別して、要らんもんはトリステイン沖の海に投下しよう。ジャンボ・ガンとかに対して考えていた処分方法が、ここにきてにわかに現実味を帯びてきた。魚のエサにして、何もかもなかったことにしてしまおう。

「まあ、やっぱりあれさ。自分の身を守るなら、アイテムより信用できる部下を見つける方が確実ってことだろうね。

 あんたのメイドのシザーリアだって、そこそこの腕なんだろ。忠誠心もなかなかありそうだったし、ああいう奴にもっと目をかけてやんな。部下ってのは、雇い主に気にかけてもらえるほど、いい仕事をするもんだよ」

 北花壇騎士団長として、強者どもを統率しておったイザベラが、なかなか含蓄のあることを言いおった。

 なるほど、確かにそれは道理じゃろう。アイテムは自分で使わにゃならんけど、ヒトならば勝手に自己判断で我を守ってくれるものな。

「まあ、シザーリアがおる限りは、我の身は安全じゃろうな。しかし、お前らはどうじゃ? シャルロットはこいつ自身強いから、あまり心配しとらんが、イザベラはどうする。さすがのシザーリアも、ふたり、三人もは同時に守りきれんぞ」

「イザベラのことは私が守る。安心していい」

 フンスと気合いも充分に、シャルロットが杖を掲げてみせる。こいつらはいつも一緒におるから、実際にイザベラの護衛としても機能するじゃろうけど、ええんかそれで。

「馬鹿、それでいいわけないだろシャルロット。今はあんたも、ガリアの重要人物なんだからね。自分で杖を取って、戦いにのぞむなんてしちゃいけないよ。

 当たり前のことだけど、今回の旅行には、ちゃんとボディーガードを連れてきてるんだ。腕利き揃いの、東薔薇花壇騎士団から、特に信用できるのを……ああ、噂をすれば影だ。ほら、こっちにおいでカステルモール!」

 ちょうどラウンジに入ってきた青年騎士に、イザベラは手を振って合図をした。

 呼ばれた方は、軍人らしいきびきびとした歩調で我々の前までやってくると、片膝をついて我々に敬意を示した。うむ、己をわきまえた、礼儀正しい奴のようじゃ。

「お呼びでございますか、イザベラ陛下」

「ああ。カステルモール、あんた、ヴァイオラとはまだ面識がないだろ。今ちょうど話題に出たから、紹介しておいてやろうと思ってさ。

 ヴァイオラ。こいつは東薔薇花壇騎士団の団長をしている、バッソ・カステルモールだ。今回の旅行には、あたしたち三人のボディーガードとしてついてきてもらった。

 風のスクウェアで、戦い慣れもしてるし、正規の軍人だから、貴族としての作法も身につけてる。アルビオンで行動する時、エスコートを任せても、まあ恥をかくことはないだろうよ」

 ほう、こいつがあの名高い、ガリアの東薔薇花壇騎士団の団長か。

 我は、イザベラに紹介されてこちらを向いた、カステルモールとやらの顔をじっと観察した。口ひげなんぞ生やしておるが、思った以上に若いようじゃ――年齢は、二十代の半ばを越えまい。がっちりした体格と、きりりと引き締まった表情を持つ、隙のない感じの男じゃ。

 顔立ちはまあ、美青年といって差し支えはあるまい。まだまだ青臭い感じは抜けきらんが、あと十年もすれば、シブいダンディさんになれるんじゃなかろうか。

 しかし、この若さで東薔薇花壇騎士団団長ということは、相当に将来性のある若造じゃな。何年かのちには、ガリアの軍部の中心人物となっておる可能性が高い。そういう奴には、いい顔を見せておくべきじゃろう。我は外交用の特製スマイルを浮かべ、若き騎士団長に言葉をかけた。

「ふむ、ミスタ・カステルモールかや。お初にお目にかかる。ご存知じゃろうが、ロマリアから来たヴァイオラ・マリアという、始祖のしもべじゃ。

 今回の旅路では、大いに頼らせて頂きますゆえ、よろしくお願いしますぞ。このイザベラ陛下とシャルロット殿下の安全を、よく気を付けてあげて下されや」

「はっ、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません、マザー・コンキリエ。東薔薇花壇騎士団団長、バッソ・カステルモールでございます。

 あなた様方の旅の安全は、私が責任を持って守ります。どうぞ、大船に乗った気持ちでいて下さい」

 我の言葉を受けて、さらに頭を深く下げるカステルモール。うむうむ、ちと堅いが、悪くない印象じゃ。こういう若い真面目くんは、裏表のない奴ばっかりじゃから、安心してコキ使えるな!

「こいつは、あたしが北花壇騎士団の団長をしてた頃にも、何度か使ったことがあってね。

 今回のアルビオン旅行は、別に軍事行動ってわけじゃないから、大袈裟な部隊を連れて来るわけにはいかないだろ? だから、ある程度人柄がわかってるこいつを、護衛兼便利屋要員として連れてきたんだ。ヴァイオラ、何か力仕事とか必要になったら、遠慮なく命令してやんな。

 ……で、カステルモール。あんた、今入ってきた時、あたしたちを探してるようだったけど、何か用があったのかい?」

 イザベラの問いかけに、カステルモールは頷き、懐から取り出した一通の書簡を、恭しく差し出した。

「先ほど、フクロウ便でこれが届きました。差出人はモリエール夫人ですが、トリステイン王室からの書簡を転送したものであると但し書きがしてあります」

「トリステイン王室から……? 何だろう? まさか今さら、航行許可が出せないとか言うんじゃないだろうね……」

 イザベラはいぶかしげに眉根を寄せて、受け取った書簡を開いた。そして、しばし中の文章に目を走らせて――。

「……ふん、なるほどね。向こうさんもこの機会を、うまく利用しようってつもりらしい。

 ヴァイオラ、シャルロット。あんたたちの意見を聞かせてほしい……この手紙でトリステインは、我々の船に、アルビオン議会への交渉(ネゴシエイト)を目的とした外交団を同乗させてくれ、と要請してきている。

 争いに無関係なガリアの船を使って、交渉人を送り込むことで、平和的な話し合いを望んでいることを相手にアピールしたいんだろう……どうやら、この冷戦を早めに終わらせたいと思っているのは、トリステインも同じらしい」

「トリステインの外交団、じゃと?」

 我は少し思案する。我々の存在を利用しようという魂胆については、まあ大目に見てやらんでもないが、トリステイン側でアルビオンに交渉を仕掛けよう、というのは、ちと歓迎しかねる。

 オリヴァー・クロムウェルを降伏させるのは、この我でなくてはならんのじゃ。でなければ、戦争を終わらせた聖女という肩書きが手に入らない。

 それだけではない、ジョゼフのやらかした陰謀について、クロムウェルの口を封じることもせにゃならんから、トリステインの人間がチョロチョロされては、スッゴいやりづらくなってしまう。もちろん、事情を知らぬカステルモールの前で、そんなことは言えぬので、もうちょいマイルドな理由を考えて反対を表明せねばならんが――。

「我は、できるなら反対したいのう。アルビオンと敵対しておるトリステインの外交団を乗せてしまっては、我々の中立性が崩れる。ガリアはトリステイン側についた、と言われても、仕方のないことになってしまうわい」

「私は、それだけの条件ではまだ、どちらがいいか決められない。イザベラ……その手紙には、他にどんなことが書いてあるの? 断った場合の、こちらのデメリットだとか……外交団のメンバー構成だとかは……?」

 ふん、優柔不断なシャルロットが、何か言うておるわ。

 どーせトリステインごときが、我々大ガリアにデメリットなりペナルティなり食らわせられるとは思えんし、外交団のメンバーが誰であれ、我の精密かつ論理的かつ常識的な判断を覆すことなどあり得んじゃろーに。

「ああ、ちょっと待ちな……デメリットは、特にないみたいだね。この手紙には、はっきりと『この要請が断られても、我々はあなた方に一切の遺恨を持つことをしないと約束する』と書かれてるし。

 で、外交団のメンバーだったね。これもちゃんと書いてあるよ……ええと、ヴァリエール家の三女、ルイズ・フランソワーズ……驚いたね、シャルロット、これってあんたのお友達じゃないかい? それと、護衛の平民、ヒリガル・サイトーン……」

 ぴく、と、シャルロットの肩が揺れた。

 アーハンブラ城に来とった、あのピンク髪のおともだちが大使か。ははぁん、さてはそれで、判断が許可の方向に揺れたな?

 やはり情に流されやすい子供よな。じゃが、我はそんなことはないぞ。感情より利益を追求してこそ、政治を動かす資格のある大人なんじゃからな。

「それと、もうひとり……おっと、ずいぶんな大物を敵地に送り込むもんだね。ヴァイオラ、三人目の大使は、あんたの同僚だよ。マザリーニ枢機卿が外交団のリーダーとして、自ら交渉のテーブルに着く気らしい……」

「さっきの発言を取り消そう。我はトリステインの方々を全力で歓迎するぞ」

 我は力強くそう宣言した。

 やはり政治家には、意見を変える柔軟性も必要よな、うん。




というわけで、アルビオンへお空の旅編スタートじゃー。
次はもうちょい書き溜めてから投稿したいところ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。