やはり『過負荷』は青春ラブコメなんて出来ない。   作:くさいやつ

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遅れてすみません|д・) ソォーッ…
作者はテニスの知識が全くないので多々おかしいところがあると思いますが、みなさん見逃してください!お願いします!なんでもしま(ry


戸塚彩加の練習

比企谷家長男の自室

 

明日がいくら嫌でも朝は来る。太陽は昇ってしまう。カーテンの隙間から漏れる光が朝になったことを知らせている。というのに、この部屋の住人である比企谷八幡は起きない。

スズメといった小鳥達がチュンチュンと窓のすぐ外を飛び回っている。その音は最早、煩く鬱陶しいレベルになっているが、ベットの中で安らかにねむっている比企谷は一向に起きる気配がない。

「お兄ちゃ〜ん!」と下の階から実の妹であり、最愛の妹である比企谷小町の呼び声が響く。それなのに、「『す〜………す〜………』」と比企谷八幡は小さな寝息を立てており身じろぎ一つしない。

 

「起きろって言ってるでしょ!お兄ちゃん!!」

 

何度か呼びかけた後、いい加減動く気配のない八幡に怒った小町はバン!と大きな音を出して扉を開く。既に時間はギリギリ。小町も中学の制服を着て、学校に行く準備は完了している。

まだ布団の中で寝ている兄を発見した小町はキラーンと目を光らせながら「おっにぃちゃ〜〜ん」と叫んで飛びかかるようにベットに向かってジャンプした。所謂、ルパンダイブと言われるものだ。

 

小柄で体重の軽い小町ではあるが、1人の人間がベットに飛び込んだ影響でスプリングがギシギシと音を立てる。と同時に掛け布団が小町に沿って大きく沈む。

中で寝ている八幡にも多少の衝撃があったはずだが、まだまだ起きない。

 

「あれ?起きてない?……んも〜〜!このまま、お兄ちゃんが遅刻して先生に怒られるというのは小町的にポイント高いけど、小町の一生懸命作った朝食を暖かい内に食べないというのはポイント低いなぁ〜」

 

八幡の上に跨った状態で頬をぷくーっと膨らませるあざとい可愛さを眠っている八幡にアピールする。

そうしていると、部屋に置いてあるゲームの存在に気づく。

 

「なにこれ?レトロゲー?」

 

片付けをしないまま寝たのか部屋中に様々なハードが乱雑に置かれていた。

 

「どうせ夜遅くまでゲームしてたんでしょ!!起きてぇーー!お兄ちゃーん!」

「『う、うん?』『小町ちゃん』」

 

すると、小町の大声で八幡の目が薄く開く。この期を逃すものかと小町はお兄ちゃん!と何回も叫びながら激しく揺さぶる。そのまままぶたはゆっくりと開いていき、小町を網膜に映すと驚いたのか一気に見開く。

 

「あ!起きた!?お兄ちゃん!!」

「『……』『惰眠を貪っていた実兄を無理矢理起こすだなんて』『酷い妹だぜ』『肉親をなんだと思っているんだ』」

 

ゆっくりと身体を起こしながら、上に乗っている小町を横に退かす。

 

「うーん?なんなんだろぉ?とりあえずお兄ちゃんの事はゴミぃちゃんだと思ってるよぉ〜。でも、そんなゴミなところが好き!愛してる!あは!これは小町的にポイント高い(マイナス)!」

「『ゴミかぁ』『意外と扱いとしては高いなぁ』『もっと酷いと思ってたよ』『で、小町ちゃんはなんで僕の部屋にいるんだい?』」

「起こしに来たに決まってるじゃん!今何時だと思ってるの?遅刻しても良いけど、むしろ歓迎だけど。小町の愛情とか心とかその他諸々を込めた朝食と愛妹弁当はちゃんと食べてね!」

 

小町は立ち上がり、部屋にあるタンスの中から八幡の制服やら下着やら靴下やらを取り出してベットの上に放り投げる。

 

「『その他諸々って何かなぁ……』『毒物とかじゃないよね?』」

「あはは!心外だなぁ。私がお兄ちゃんにそんなことをすると思う?」

 

この妹ならしてしまいそうである。

 

「『あはは』『そんなのするに決まってるじゃないか』」

「いやいやいや、お兄ちゃんには確かに不幸になってもらいたいけど。その不幸を与えるのは小町以外の人間じゃないといけないんだよ?小町がお兄ちゃんを幸せにして、その他が不幸にする。それが1番の理想形なんだから!」

 

そう言って、タンスを閉じるとドアの方までタタタッと軽く走る。

 

「『こんなに僕の事を思ってくれる妹がいて全く僕って奴は不幸(しあわせ) だぜ』」

「じゃ!お兄ちゃん!小町はもう家を出ないと学校に遅刻してしまうのであります!というわけでお先に失礼!お兄ちゃんも学校行くんだよ!」

 

そのまま小町は部屋の外へと消えていく。ドタドタと廊下を走る音が聞こえる。

 

小町は学校では優等生として扱われているため遅刻など言語道断なのだ。八幡を幸せにするために必死に勉強をした結果だ。小町の将来設定では、どうせ就職できないであろう八幡をヒモにして飼ってやろうという算段だ。だから小町はなるべく良い企業に就職し、八幡を養えることが出来るほど良い給料を貰う為にも学業を大切にしている。

 

「『じゃ〜ね〜』『小町ちゃん!』」

 

いそいそと小町が出した衣類を着ながら準備する。

 

その後、小町が作った朝食やら歯磨きやらをのんびりとして登校した比企谷は当然のごとく遅刻して生活指導の教師である平塚から怒られることとなった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

昼休み。それは学生達のくつろぎの時間。朝から続いた退屈な授業に一区切りをつけ、同時にホッと息をつく。

 

それは比企谷八幡も例外ではない。

比企谷は小町特製の愛妹弁当を誰も居ない、この時間滅多に人が通りかからない自転車置き場横の校舎の影になっている場所で食べていた。

 

サーと潮風が吹く。臨海部に位置するこの校舎は丁度お昼頃に風向きが変わり、爽やかで涼しい風が吹くのだ。

 

静かだった。誰にも邪魔されずにジャンプを読む。もしかしたら、僕は今幸せの中にいるんじゃないかと過負荷(マイナス)らしくないことを考え始めた時、邪魔は入る。やはり、比企谷(マイナス)過負荷(マイナス)なのだ。

 

「うわっ!ヒッキー!?なんでこんな影にいるの!?気づかなかったし!ビックリした〜」

 

オーバーリアクションで近づいてくるのは由比ヶ浜結衣。両手にはジュースを抱えており、近くにある自動販売機にでも行った帰りなのだろう。

 

「『なんだよ』『由比ヶ浜ちゃんかよ』」

「なんでちょっと残念そうなんだし!失礼でしょ!てか、なんでこんなとこいんの?」

 

ため息を混じりで残念そうに言う比企谷にツッコミを入れる由比ヶ浜。着々とキャラが定着して行っている。

 

「『今日は良い天気だから』『絶好の日陰ぼっこ日和だと思ってね』」

「それを言うなら日向ぼっこなんじゃないの?」

「『いやいや』『僕みたいな日陰者が日向に出たら蒸発しちゃうよ』」

「蒸発!?すご!吸血鬼みたい!」

 

天然なのか、わざとなのか、微妙なリアクションをする由比ヶ浜。

 

「『由比ヶ浜ちゃんはなんでこんなとこにいるの?』『由比ヶ浜ちゃんみたいな明るい娘には似合ってないよ』」

「別にここに来るつもりで来たわけじゃないよ?いやさー!実はゆきのんとのゲームでジャン負けして!罰ゲームってやつ?」

 

自然に比企谷の隣に座る由比ヶ浜。

 

「『ふーん』『由比ヶ浜ちゃんは勇敢だね』『由比ヶ浜ちゃんみたいな普通の人間が』『雪ノ下ちゃんみたいな強者に勝てるわけ無いのに』」

「うわー……。ネガティブー!ダメだよ!そんなんじゃ!私は別に勝ち負けとか関係なくてそういう遊びじゃんかー!私は別に負けたことは悔しくないもん!」

「『……………』『そういうところが』『過負荷(ぼく)と由比ヶ浜ちゃんの違いなんだろうね……』『羨ましくて悔しいよ』」

 

呟くように言った言葉は由比ヶ浜には聞き取れなかった。頭に疑問符を浮かべて、首を傾げている。

 

「??………なんか言った?」

「『いやいや!』『なんにも言ってないよ』『もしかして由比ヶ浜ちゃん難聴か何か?』『良いヤブ医者教えてあげようか?』」

「ヤブ医者!?ヤブ医者に良し悪しがあるの!?………てか、そういやヒッキー。前に入学式の当日に交通事故にあったって言ってたじゃん?」

 

由比ヶ浜の目が探るように視線に変わる。

 

「『ああ』『入院したってやつ?』『そんな僕の不幸が気になるかい?』『由比ヶ浜ちゃんって奴は最低な奴だぜ』」

 

由比ヶ浜は全然意図していなかった事を言われたせいで、えぇ!?と慌てて両手を左右に振る。

 

「いや!そんなことないよ!?たださ!あれって……」

「あれ?由比ヶ浜さん?」

 

弁解しようとしていたところに割り込んできたのはソプラノの声。声が聞こえてきた方にはテニスラケットを抱えて頬を伝う汗をタオルで拭っている一人の生徒が立っていた。足が細く、腕も細く、というか身体全体的に細い華奢な身体をしていた。そのうえ肌は透き通るように白く、立ち振る舞いからして女生徒のように見える。

 

「あ!彩ちゃん!よっすー」

 

由比ヶ浜は知り合いのようで遠慮せずにバカっぽい挨拶をする。彩ちゃんと呼ばれた生徒は少し顔を赤らめて「……よっす」と控えめに返事をする。可愛い。

 

「由比ヶ浜さんと……比企谷くんは何してるの?」

 

「べ、べつにー何もー?」

「『逢引だよ』『逢引』」

 

予想していなかった組み合わせで居る2人に不思議そうに聞くが、由比ヶ浜は露骨に誤魔化し、比企谷は意地悪そうに笑いながら平然と嘘をついた。

 

「えっ……?そうだったんだ………邪魔しちゃったかな……」

 

彩ちゃんと呼ばれた生徒は比企谷の嘘に気づかずに騙されてしまい、気まずそうに顔を暗くしながら申し訳なさそうにしている。

 

「あいびき?なにそれ?ひき肉?ソーセージ?」

 

バカな回答をする由比ヶ浜に少し引いてしまう比企谷。彩ちゃんと呼ばれたその女子生徒?も苦笑している。

 

「『由比ヶ浜ちゃん』『それは流石に引いちゃうぜ』『簡単に言うと』『デート』『ランデブー』『密会』『そんな感じに言われてるやつのことだぜ?』『ほら』『あってるだろ?』」

「そうだね!…………って!全然違うし!彩ちゃん!?違うからね!?ヒッキーの嘘だからね!?ヒッキーキモ過ぎるし!!」

 

顔を真っ赤にして強く否定する由比ヶ浜に女子生徒?は怪しそうな目をする。が、それ以上掘り下げることは無かった。

 

「『で?』『君は誰なのかな?』『僕の名前を知っているみたいだけど』『もしかして僕のファン?』『君みたいな誰にでも好かれそうな人が僕のファンだなんて』『いやー』『照れるなぁ』」

「えー!?ヒッキーありえない!!同じクラスでしょ!?」

「『そうなの?』」

「あはは……戸塚彩加です。よろしくね」

 

比企谷は戸塚の顔を間近でジロジロと見てから首を傾げる。

 

「『うーん?』『やっぱり』『戸塚ちゃんみたいな可愛い子しらないなぁ?』」

 

比企谷がそう言うと戸塚は気まずそうに頬を掻きながら呟く。

 

「男なんだけどなぁ……」

 

何度も間違えられた事があるのかその顔は少し暗かった。

 

「『ん?』『そんなの分かってるよ?』『まさか』『僕がいくらモテないからって男の子と女の子の違いが分からないとでも思ってるの?』『そりゃひでぇぜ』」

 

「ほ、ホントに!?僕のこと一目で男って分かったの!?」

 

目を見開いて驚くが、次の瞬間には嬉しそうに確認をとる。いままで初対面では女の子に間違えられたことばかりの戸塚は、長年男らしくなりたいと思っていた。そんな中初見から自分が男であることを気づいてくれる人がいたのだ。その相手が過負荷(ひきがや)であろうと純粋に喜んでしまう。

 

「『ホントホント』『そんな男っぽいトランクスを履いてるんだから』『そんなの分かるにきまってるじゃないか』『いやぁ』『流石に女性用下着……つまりパンティーを履いてたら気づかなかったかも知れないけど』」

「……ヒッキー、きもすぎ」

 

ドン引きする由比ヶ浜。一方戸塚はそうでもなく、寧ろそんな理由とはいえ気づいてくれた比企谷には嬉しそうだ。

 

「えへへ……。そうかなぁ。僕そんな男っぽいかなぁ……。えへへ」

 

始終口をにやけさせている。そんな戸塚も可愛い。……可愛い。

 

「って、あれ?なんでヒッキー彩ちゃんがトランクス履いてるの分かったの!?」

「『さぁて』『教室に戻るとするかな』」

 

由比ヶ浜はそそくさと何処かに行こうとする比企谷の制服を掴み、引き止める。

 

「ちょっと待ってヒッキー!!詳しく教えてー!」

「『いやいやいや』『僕にはやらないといけないことがあるんだ』」

 

それでも逃げようとする比企谷を必死にしがみつく由比ヶ浜。戸塚はそんな2人を楽しそうに笑って見ていた。

 

☆ ☆ ☆

 

体育とは体を育てると書く。教育機関に存在する教科の一つで、運動を通じて心も体も成長させ豊かにする大切な授業なのだが、過負荷であり弱者であり敗者である比企谷八幡にとっては成長なんてするわけなく、豊かになる心もないから無駄とも言える授業だった。

 

そんな授業をまともに受ける筈もなく、体育教師にバレないように気配を殺して比企谷はベンチに座り、テニスをしている生徒たちを無感情に見ていた。意味があるわけでもなく、意志があるわけでもなく、意気があるわけでもなく、正真正銘なんの理由もなく見ていた。だが、普通の生徒にとってはそれだけで不気味だった。気配を消していた比企谷の存在は気づいていない。だが、背中に走る薄ら寒いものを確かに他の生徒たちは感じていた。

 

「ねぇ!八幡!」

 

だが、そこで比企谷は声をかけられる。戸塚である。

目を少しだけ見開き、驚く。唐突に目の前に現れ話しかけられたことに驚いたのもあったが、長年鍛えられてきたもはやアサシンとして某聖杯戦争に呼ばれそうなほどに極められている気配を消すという特技が破られたからだ。

 

「『!』『びっくりするじゃないか』『戸塚ちゃん』『もし僕の心臓が止まっても責任は取れないだろ?』」

「ご、ごめんね?」

 

目を潤ませて上目遣いで謝る戸塚。

 

「『いやいや』『怒ってるわけじゃないよ?』『ただ僕を殺したら大変だよ?』『そりゃもう』『英雄扱いさ』」

「え……えぇ……?そ、そうなの?そんなことないと思うけどな……」

 

自分が思っていたこととは違うことを言う比企谷に戸惑う戸塚。

 

「『そんなことある』『まぁ』『今はそんなことどうでもいいや』『で』『どしたの?』『何か用でもあるの?』」

「あ、あのね……その……」

「『勿体ぶらずに言えよ』『僕はそういうのが嫌いなんだ』」

「いや!そんなつもりは無いんだけど……。今日、いつもペア組んでる人が休みで、良かったら組んでくれないかな……」

 

おずおずと言いにくそうに言う戸塚。不安そうだった。

 

「『良くない』『全然良くないけど』『組んであげるよ』『僕は可愛い子の味方だからね』」

「ありがとう。でも比企谷くん、僕は男だよ?」

「『あはは』『「可愛い」に性別なんて関係ないさ!』」

 

ベンチから立ち上がり、横に置いていたラケットを握る。

 

「じゃあ、よろしくね!八幡!」

 

比企谷は戸塚が自分を呼ぶ時に比企谷から八幡に変わっていることにそこで気づく。

 

「『………….』『うん!』『お手柔らかに』」

 

一瞬だけ思案顏になるが、それを誤魔化すように明るく返す。戸塚はそれにホッと安心したように息を吐いて、ニコリと笑う。

 

 

数分後

 

「『ぜひぃ』『ぜひぃ』」

 

たった1ゲーム終わった時点で大して動いてないにも関わらず、比企谷の肺は既に限界を迎えていた。顔を真っ青にさせ、必死に酸素を取り込んでいる。ベンチに座り汗でビショビショになったジャージの胸の部分をパタパタと持ち上げて、空気を入れて体温を下げる。

その横では戸塚は心配そうに見ていた。時折、背中をさすってあげては頬を伝う汗をタオルで拭く。

 

「大丈夫?ごめんね、身体弱かったんだね……」

 

ピクリと反応する比企谷。

 

「『人のことを弱いだなんて』『まさに強いからそこ言える言葉だよね』『なんて君は上から目線なんだ』『でも良いんだよ』『君は普通(ノーマル)だからね』『普通に幸せで』『普通に見下して』『普通に普通だ』『それが君らしさってやつだよ』『大切にしなよ?』『その普通をさ』」

 

スゥと全身から吹き出ていた汗が引いていく。先ほどまで荒かった呼吸も今は整っている。代わりに吹き出てくるのは気持ち悪さ。

戸塚の顔色が一瞬で悪くなる。血の気が引き、真っ青だ。

 

「『過負荷(ぼく)と一緒にいたらダメだよ』『君は普通だからね』『同じ普通の人間と仲良くするんだ』『あと』『僕の事は比企谷でいいよ』『八幡だなんて』『まるで仲が良いみたいじゃないか』」

 

そう言って比企谷が立ち上がる。

きーんこーんかーんこーんとまるで見計らったようなタイミングで授業が終わることを知らせるチャイムが鳴る。

 

「『じゃね』『戸塚ちゃん』」

「………ーーッ」

 

手をフリフリと振りながら、去っていく比企谷。その背中を見ながら、戸塚は意を決したように息を吸い込む。

 

「八幡!!」

 

ピタッと比企谷の足が止まる。

 

「相談があるんだ!聞いてもらえないかな?」

 

比企谷はわざとらしく『はぁ……』と疲れたようにため息を吐くが、ニヤッと口角が上がっている。

 

「『聞くだけだよ』『聞くだけで終わりさ』」

 

パァ、華が咲くような美しい笑顔になる戸塚。可愛い。

 

☆ ☆ ☆

 

「ダメよ」

 

雪ノ下は無慈悲にも比企谷の頼みを断る。

 

「テニス部と奉仕部の兼任は認めないわ」

 

きっぱりと妥協は許さないという意思を強く感じさせる物言いだった。

 

「『それはまた』『なんでかな?』」

「貴方の事は平塚先生に依頼されているわ。それが完遂されないことには貴方に自由は無いわ。それに貴方が入部したらテニス部が無事ではすまないでしょう」

「『無事?』『まるで僕が害悪の様にいうなぁ』『そんなことないよ!』『最悪でも最低でも』『雪ノ下ちゃんが想像してる斜め下くらいの事しかやらないしならないから』」

 

ヘラヘラと何か面白いのか不気味に笑う。

 

「たとえ百万歩譲ったとしても貴方をテニス部に行かせるつもりはないわ」

 

比企谷の不気味さを気持ち悪さを真正面から受け止めてなお、雪ノ下は一歩も引かない。

 

「『えぇ〜』『困るなぁ』『戸塚ちゃんと約束したのになぁ』」

「貴方がそんな物を気にするとは思えないのだけど」

「『僕は気にしなくても』『君は気にするんじゃない?』『テニス部の力になってくれと頼まれたのにさぁ』『えっと……』『この部って何部だったっけ?』」

「貴方まだそんな事も覚えてなかったの?次に忘れたらノート一冊分「奉仕部」と書かせるわよ。それにそれは貴方個人に頼まれた事であって正式に依頼されたものではないわ」

「『おいおい』『困ってる人を助けるのがこの部活だろうに』『例え依頼されていなくても助けて欲しいと困ってる人がいたら助けるのが当たり前だぜ?』」

「本心で言ってるとは思えないけれど。それに貴方がテニス部に行ったとしても余計に困らせるだけだとおもうのだけど?貴方は決して受け入れられる事は無いわ」

 

2人の言い合いは白熱する。

 

「『テニス部を助けるのに受け入れてもらう必要なんて一ミリどころか一ナノも無いぜ』『少しだけ刺激を与えればいいだけさ』『カンフル剤って奴だよ』」

「貴方の様な劇薬を処方しても悪化するだけよ。貴方を排除しようと躍起になるだけで自身が高められる事は無いわ」

 

比企谷を鋭い目つきで睨みつける雪ノ下。比企谷はそれを悠々と受け流す。

 

「『わかってないなぁ』『じゃあ聞くけど』『雪ノ下ちゃんはどうするのさ?』」

「そうねーーー」

 

雪ノ下は顎に手を当てて数秒考える顔をした後、ニッコリと笑って言った。

 

「全員死ぬまで走らせてから

死ぬまで素振り

死ぬまで練習ーーーって言うのはどうかしら?」

「『……昭和の根性で練習させるスポーツ漫画の鬼コーチみたいな事を言うんだね』」

 

比企谷は雪ノ下の鬼畜ぶりに苦笑いする。

そこで教室のドアが開く。

 

「やっはろー!!依頼人連れてきた……ってあれ?なんか微妙な空気?なんかあったん?」

 

微妙な空気になった教室内に割り込んできたのは、バカっぽい挨拶をする由比ヶ浜。すぐに空気を感じ取り雪ノ下と比企谷の顔を伺う。

 

「なんでもないわ。それで依頼人って言ってたけれど?誰かしら?」

「あっ!そうそう!連れてきたんだよ!入って入って〜」

 

扉の影に隠れているその依頼人の手を掴み、2人に見えるところまで引っ張る。

 

「あ!……八幡!」

 

入ってきたのはさっきまで話していた戸塚彩加であった。戸塚は比企谷がいることに驚きながらも嬉しそうに名前を呼ぶ。

 

「八幡はなんでここに?」

「『そりゃ』『僕が奉仕部の一員だからに決まってるじゃないか』『戸塚ちゃんは?』」

 

その質問に答えるのは戸塚の隣にいた由比ヶ浜。

 

「いやーほら!私も奉仕部の一員じゃん?だからさ私も仕事したいなーって!彩ちゃんなんだか困ってるぽかったし」

 

少し照れながらも、誇らしげに言っている由比ヶ浜に比企谷はキョトンとした顔で見る。

 

「『え?』『由比ヶ浜ちゃんって奉仕部の部員だったの?』」

 

その言葉にえぇ!?と驚く由比ヶ浜。

 

「違うの!?ゆ、ゆきのん!!私って部員だよね!?」

「違うわよ?顧問の承認も無いし、入部届けも貰って無いもの」

「違うんだ!?書くよ!入部届け書くよ!」

 

由比ヶ浜はバックの中から筆記用具とルーズリーフを出しながら叫ぶ。比企谷は由比ヶ浜のそんな様子を見ながら疑問を抱く。

 

「『あれ?』『僕入部届け書いて無いんだけど?』『もしかして僕って部員じゃない?』」

「ええ!?ヒッキーも部員じゃなかったの!?」

「比企谷くんは平塚先生の強制入部だから構わないのよ」

「『平塚先生ってとことん横暴だよね』『まったく』『教師の風上にも置けない』」

「貴方は人間として風上に置けないけれど」

 

依頼人である戸塚はそっちのけに騒ぎ出す3人。だが、そんな3人を見ながら戸塚は小さく笑う。

 

「『どうしたの?』『戸塚ちゃん?』」

「ううん、なんでもない。ただ、3人とも仲がいいなぁって」

「『僕たちはマブダチだからね』」

「比企谷くんそれ以上嘘をつくようなら舌ちょん切るわよ」

「ゆ、ゆきのん……。私とゆきのんは友達だよね?」

「……………………そうね」

「何その間!?」

「『雪ノ下ちゃ〜ん』『由比ヶ浜ちゃんと遊ぶのは全然構わないんだけど』『依頼人がここにいるの忘れてない?』」

「………。貴方に言われるのはすごく腹が立つけれど。確かに依頼を聞かなきゃいけないわね」

 

戸塚の方に向き直す雪ノ下。

 

「依頼内容、教えてくれないかしら?」

 

戸塚は雪ノ下の凛とした顔に少し緊張した面持ちでゆっくりと喋り出した。

 

 

「いいでしょう。貴方の技術向上を助ければいいのよね?」

 

内容は予想通りのものだった。やる気の無いテニス部員の為に時期部長である僕が頑張ればみんなも頑張ってくれる、というものだ。先に比企谷から話しを聞いていた雪ノ下はすぐに納得したように頷く。

 

「は、はい!僕が頑張れば皆一緒に頑張ってくれる……と思う」

 

比企谷はそれを聞いてピクリと反応する。

 

「『皆一緒に頑張ってくれる……ねぇ』」

「?どしたの?ヒッキー?」

「『なんでもないさ』」

 

ボソリと呟かれた言葉を聞いた由比ヶ浜が質問するがすぐに誤魔化す比企谷。それを少し引っかかりを覚えたような顔で雪ノ下が比企谷を見るが、比企谷はそれにニッコリと気持ちの悪い笑みで返す。

 

「では、テニスコートに行きましょう。戸塚さんは運動着に着替えてきて」

「『まさか』『本当にさっき言った事をさせるつもり?』」

「当たり前でしょう?私は嘘が大嫌いなの」

 

戸塚はそんな2人の会話を不安そうに聞いていた。

 

 

テニスコートに集まってから雪ノ下が戸塚に出した指示はランニングや腕立て伏せや素振りなどの基礎トレーニングだった。戸塚1人でやるのを気にしたのか由比ヶ浜も一緒に付き合ってトレーニングしている。やはり男女差や毎日部活で由比ヶ浜よりも戸塚の方がランニングにしても腕立て伏せにしても上だった。だが、いくら鍛えていてもきついものはきつい。由比ヶ浜も戸塚も限界が見え始めた時に

 

「今日はおしまいね」

 

昼休みが終わる5分程度前に雪ノ下がいう。その声に安堵から力が抜けたのか戸塚と由比ヶ浜はその場でドサリと倒れる。

 

「明日も昼食が終わったら集まりましょう」

 

そう言うと雪ノ下は1人でテニスコートから出て行く。

 

「『大丈夫かい?』『いやはや』『雪ノ下ちゃんってば容赦ないねー』」

 

2人が頑張っている間、日陰で1人流れる雲を見ていた比企谷は終わったと見るやニコニコと笑みを浮かべながら倒れている2人に近づいて行く。

 

「ははは、凄いや」

 

グググーーとプルプルと震える腕に力を込めて立ち上がろうとする戸塚。

 

「『やめても良いんだよ?』『逃げても良いんだよ?』『雪ノ下ちゃんには僕から言っておくからさぁ』『君が頑張ったからってテニス部員達がやる気を出してくれるなんて』『本当に思ってるの?』」

「そうだね、わからない」

「『うんうん』『やめておこうよ』『努力とか』『尽力とか』『そんなものに腐心してると心が腐っちゃうぜ』」

 

そう言って必死に立とうとしている戸塚に手を差し出す。隣で見ていた由比ヶ浜にはその手を取ってはいけないと何と無くわかった。

戸塚はその手を取る事は無く、1人でフラフラとしながらも、立ち上がった。そして、ニッコリと笑って言った。

 

「でももう少し頑張ってみるよ」

「『…………そっか』『戸塚君の事なんて何も知らないけど君らしいと思ったよ』『………じゃ!』『僕は行くよ!』『戸塚ちゃんも由比ヶ浜ちゃんも授業に遅れないようにするんだよ〜』」

 

ブンブンと手を一生懸命振りながらテニスコートから去って行く比企谷。

 

☆ ★ ☆ ★

 

それから数日後ようやく基礎のトレーニングからラケットを持って由比ヶ浜から打たれたボールを拾う練習へとなった。

 

「きゃっ!」

 

素人である由比ヶ浜のボールは完全にアウトゾーンに入るようなボールを打つ。それを無理に拾おうとした戸塚が女の子のような悲鳴を上げて勢い良く転けてしまう。

 

「………ッ!」

 

戸塚の顔が歪む。見ると両膝とも擦傷ができており血が滲んでいる。

 

「彩ちゃん大丈夫ッ!?」

 

戸塚の反対側のコートに居た由比ヶ浜は心配そうに声をかけながらネットまで走っていく。

 

「だ、大丈夫……痛ッ!」

「まだ………続けるつもり?」

 

コート外から様子を見ていた雪ノ下が戸塚の傷の具合を遠目で見ながら、問いかける。

 

「うん。皆付き合ってくれてるから……。もう少し頑張りたい」

「そう。由比ヶ浜さん後はお願いできるかしら?」

「う、うん」

 

雪ノ下は由比ヶ浜の返事を聞くと、テニスコートを囲っているフェンスの向こうへ歩いていく。

 

「失望させちゃったかな………」

 

戸塚が不安そうに言う。そんな戸塚を由比ヶ浜励ますように笑顔を浮かべる。

 

「そんな事ないと思うよ?ゆきのん自分に頼ってくる人を突き放したりしないから!」

「そうかな……」

「大丈夫だって!」

 

戸塚と由比ヶ浜の会話を聞きながら、比企谷がぶち壊したい雰囲気だなぁ。と考えている時

 

「あー、テニスじゃん!」

 

テニスコートの入り口から声が響く。三人ともそちらを向くと、比企谷や由比ヶ浜、戸塚と同じクラスにいる三浦優美子だった。その後ろには5〜6人の男女。葉山隼人も混ざっている。

 

「あーしらもここで遊んでいい?」

「あ、あの!僕たちは別に遊んでるわけじゃ……」

「はぁ?何?聞こえないだけど」

 

威圧感を与えるような三浦の話し方に黙ってしまう戸塚。由比ヶ浜も本来三浦達と同じグループの為か、何も言えないでいるようだった。

この事態に口元をにやけさせる比企谷。

 

「『えー?』『僕たち先生に許可取っちゃってるんだよねー?』」

「べっつにあーしらが混ざっても何も問題なくない?」

「『問題ありありだよ』『さっさと消えてくれるかな?』」

「は?何?喧嘩売ってんの?マジムカつくんだけど……」

「まぁまぁ優美子も落ち着けって、な?」

 

イラつきが表面化してきた三浦を葉山が嗜める。そして、人の良さそうな笑顔を貼り付けて比企谷に近づいて行く。

 

「ヒキタニ君もさ、そんな事言わずにさ?戸塚くんの練習僕たちも手伝うからさ」

「『う〜ん』『葉山くん』『君って根っからの強者《プラス》だよね』」

「?……どういう意味かな?」

「『周囲の人を気遣ってさ』『何か起こりそうなら先にその笑顔で割り込んでいくんだろ?』『そして皆から人気者さ』」

「…………」

「『そんな強者(プラス)が僕みたいな弱者(マイナス)からテニスコートを奪うなんて』『厚かましいとか思わない?』」

 

その言葉を受け止めて、葉山は比企谷の顔を穴が空くくらいに睨み付ける。がすぐに柔らかい笑顔に変わる。

 

「…………じゃあこうしよう。君と僕でテニスをして、勝った方がこれからもテニスコートを使えるってことで」

 

「えっと……」と動揺する戸塚にすかさず、言葉を続ける。

 

「勿論、戸塚くんの練習も手伝う。どうかな?」

「『いいよ』『君のその薄っぺらい笑顔を剥いであげるよ』」

「何それ面白そう!じゃさ、どうせならダブルスにしたらいいじゃん!あーし頭いいっしょ!」

 

葉山の言葉を聞いた三浦がダブルスにしようと提案する。由比ヶ浜と戸塚が不安そうに比企谷を見るが、比企谷は余裕そうに笑っている。

 

「ねぇ、ヒッキー……。私もやるよ…」

「『う〜ん』『向こうがダブルスってなってるからしょうがないね』『悪いけど付き合ってもらうよ?』」

「うん」

 

三浦を相手にするのが心苦しいのか顔色は暗い。

 

「は?ゆい、やるとか聞こえたんだけど。意味わかってんの?」

「『ゲーム前から相手選手を威圧するなんて』『やってくれるぜ』」

「そんなんじゃねぇし!ゆい!」

「ごめんね、優美子。私部活も大切だからさ!」

 

そのまま話しは進んで行き、結局は比企谷&由比ヶ浜ペアVS葉山&三浦ペアとなった。物珍しさに葉山達が連れていた人以外にも何人かがフェンスの外から見ている。

 

「じゃあ、始めます!」

 

審判をしている戸塚の声がテニスコートに響く。サーブ権は葉山&優美子ペアにあり、後衛にいる三浦がサーブの為にボール投げる。

 

「シッ!!」

 

気合いの入ったサーブは女子が打ったとは思えない程の鋭さがあり、比企谷は取れない。

 

15-Love(フィフティーンラブ)

 

先制点を取ったのは葉山ペアだった。サービスエースを取った三浦はフンッと比企谷を笑う。

 

「『強いね』『いや』『僕が弱すぎるのかな?』」

「そんな事無いと思う。優美子中学の時、県選抜選ばれてるし。隼人も運動神経いいし」

「『そりゃまた』『なんて強い(プラス)なんだ』『勝てる気がしないや』」

「諦めるの?」

 

三浦はもう一度サーブを打とうとボールを真上に投げる。だが、由比ヶ浜はサーブが打たれようとしているのに比企谷の顔をジッと見ていた。そんな由比ヶ浜を見つめ返して、比企谷は笑う。

 

「『まさか』『(マイナス)はどんな勝負も諦めないし逃げない』『逃げるが勝ちって言うように』『逃げるなんて行為は勝者(プラス)だけに許された特権さ』『だから僕はどんなに卑怯だろうが惨めだろうが立派じゃなかろうが戦ってーー』」

「シッ!!」

 

パァン!といい音を鳴らして三浦がサーブを放つ。それは最初のサーブよりもずっと鋭くて重い。だが比企谷はそれに素早く反応し、

 

「『ーー胸を張って負けてやる!』」

 

パァン!と同じくいい音を立てて打ち返した。それは油断していた葉山と三浦の間を綺麗に抜けてラインギリギリのところでバウンドしフェンスに挟まった。

 

「「ッ!!?」」

 

まさか打ち返されると思ってもいなかった2人は驚愕に目を見開く。

 

「15-15」

 

戸塚は戸惑いつつも、審判としての役割をする。

 

「まぐれっしょ?」

「……そうだね」

 

2人はそう会話しながらも、気を引き締め直す。

 

「シッ!」

 

再度三浦のサーブ。今日一番の渾身のサーブだった。さっきより強烈だ。

 

「『ッ!!』」

 

だが、比企谷はそれを打ち返す。

先程のように油断していなかった葉山はそれを冷静に打ち返す。がコースをついたそのボールも比企谷が拾う。

 

「30-15」

 

戸塚の声が響く。まさか、比企谷がここまで出来ると思ってもいなかったフェンスの向こうのギャラリー達も「おお!」と歓声を上げる。そのまま調子付いた比企谷ペアはその勢いで1ゲームとってしまう。

 

「すごいね!ヒッキー!」

 

嬉しそうに駆け寄ってくる由比ヶ浜。

 

「『………そうだね』」

 

だが、比企谷の顔は由比ヶ浜の顔とは対照的に暗かった。そろそろ相手も本格的に攻め始めると分かっていたからだ。

 

「……………ごめんね、ゆい」

 

三浦はそう誰にも聞こえないように呟くと由比ヶ浜を集中的に狙い出した。葉山も三浦の作戦に気づいたのか由比ヶ浜を狙う。

 

「『………ッ』」

 

最初は上手く由比ヶ浜をフォローしていた比企谷もすぐに回らなくなり、点を取られる。

 

「ごめんね、ヒッキー」

「『僕が女の子を責めると思う?』『僕はどんな状況にあろうと女の子と可愛い子の味方なんだ』」

「ヒッキー………」

 

だが、そんな事を言っても勝てるわけではない。そのままやすやすと1ゲーム、2ゲームと取られてしまう。

そしてーーー

 

「きゃあ!!」

 

自分が狙われた事で負けそうな事が悔しい由比ヶ浜が無理してボールも拾おうとしたせいでドシャリと転けてしまう。

 

「痛つつ……」

 

由比ヶ浜はすぐに立ち上がるが、立ち上がる瞬間に顔が痛みで歪む。

 

「『大丈夫?』」

「ごめん………ちょっと捻ったみたい……」

「そっか……」

 

どうしようか、と思案顔になる比企谷。その顔を見て既に暗かった由比ヶ浜の顔が更に暗くなる。

そして、何か思い出したかのように顔をハッとさせた後

 

「ちょっと……行ってくるね」

 

由比ヶ浜が足を引きずりながら、コートの外へ出ていった。歩く度に痛むのかずりずりと軽く引きずっている。

 

「『………』」

 

その後ろ姿をジーッと考え込むように眺める比企谷。

 

「ちょっとなに?仲間割れ?」

 

笑い混じりに比企谷に聞く三浦。

 

「『いや』『元より仲間なんかじゃないよ』『それより』『一対二でいいから勝負続けようよ』」

「はぁー?あんた何言ってんの?結衣もいないのにあんたに勝てるわけ無いじゃん。いても勝てないけど」

 

ダブルスのコートはシングルスの場合とは違い一回り広くなる。その広さを1人で守り切るのには流石に無理がある。三浦は蔑むようにこちらを見ながら言う。

 

「『もしかして』『びびってる?』『大丈夫だよ』『僕は弱いから』」

「……。超ムカついたんですけど。隼人。本人が言ってるんだから良いよね?」

「いや、やめと「『まさか』」…」

 

葉山は三浦を止めようとするが、それに待ったをかけるのは比企谷。

 

「『これだけギャラリーがいるのに』『人気者の葉山くんが逃げるわけ無いよね』『てか』『逃げられないよね』」

 

フェンスの外で成り行きを見ているいつの間にかかなりの人数に増えているギャラリーに視線を向けて比企谷は楽しそうに言う。

 

「…………わかった」

 

渋々だが葉山は認めるしかなかった。

 

「『そういうことだから』『戸塚ちゃんよろしくね』」

 

審判台に座っている戸塚に、笑顔で手を振る比企谷。

 

「う、うん」

 

予想外の展開に戸惑いながらも、お人好しな戸塚は頷いてしまう。

 

「『はは』『決まりだ』『確かサーブ権は僕の方にあったよね』」

 

比企谷はボールを地面にバウンドさせながら、ラケットを構える。

 

「『じゃあいくよー』『って』『その前に言いたい事があるんだった』『僕ってさ』『レトロゲーが好きなんだ』」

 

急な比企谷の話しの転換に三浦は不思議そうな顔をする。

 

「はぁ?それがどうしたわけ?てか早くしてくれない?あんたと話してたら吐き気がするんだけど…」

「まぁまぁ、優美子。落ち着けって」

 

冷たい視線で比企谷を睨みつける三浦を葉山がなだめる。

 

「『これから始まるのはテニスゲームじゃあない』『インベーダーゲームだよ』『哀れで不幸な被害者(ぼく)が強くて幸せな侵略者(君たち)と侵略戦争をするんだ』

「はぁ?何言ってるし?」

「『僕って奴はルールがあるゲームじゃ価値無しだけど』『ルール無用の戦争でも勝ち無しだぜ』『そんな僕が君たちと戦うって言うんだ』『多少』『卑怯なことをしても仕方ないよね』」

 

ゾワリと葉山は全身に鳥肌が立つのを感じた。悪寒がする。まるで底なしの穴を覗いているかのような謎の不安感。何をされたわけでも無いのに心が折れてしまいそうになる。

 

「何をするつもりなのかわからないけど。その反則をした時点で君の負けだよ」

 

葉山はなるべく弱みを見せないように、声色を強くする。

 

「『そうだね』『反則をすれば、ね』『言ったでしょ?』『反則じゃあないただの卑怯さ』『僕は確かに弱いけど』『弱すぎて誰にも勝てないけど』『それどころか』『引き分けに持ち込むことすら出来ないけど』『勝負を台無しにして』『有耶無耶にしてーー』」

 

比企谷は口はしっかりと動かしながら、ボールを空中に放り投げた。

放物線を描くボールに比企谷は今までに見せていなかったほど綺麗なフォームで打つ。スパーンといい音をたてて放たれたボールは弱々しい比企谷の腕から打たれたとは思えないほどのスピードで

 

「『ーー無かった事にする事は出来るんだ』」

 

 

ガツッと生々しい音を出して後衛で守っていた三浦の右頬に鋭くぶち当たった。

 

「ッ!!」

 

ドサリとそのまま仰向けに倒れる三浦。地面に後頭部を思い切りぶつけ、ゴッと嫌な音が響き渡る。

 

「だ、大丈夫か!?」

 

葉山はすぐにかけよって、上半身を起こす。本来、頭をぶつけてしまった場合は下手に触らない方が良いのだが、それに気が回らないほど葉山は動転していたようだ。

 

「だ、大丈夫だし」

 

幸い三浦は気絶まではしていないようだが、ボールが当たった右頬は早くも赤く腫れあがり血が滲んでいて痛々しい。

 

「『あーれー?』『大丈夫ー?』『三浦さーん?』『でも』『僕ってテニス初心者なんだから』『サーブが後衛選手の右頬に当たったとしても』『仕方ないよね』『わざとじゃないんだ』『だから』『僕は悪くない』」

 

「ふざけんなー!」「謝れ!」「最低!」「死ねー!」などフェンスの外からギャラリー達が叫ぶ。

 

「『おいおい』『まるで僕が悪者みたいに言うなよ』『さっき』『由比ヶ浜ちゃんが』『ボールに振り回されて』『怪我をした時は何も言わなかったのに』『こんな時には言うのかい?』」

 

叫んでくるギャラリーに向かって、比企谷は笑いながら言う。その雰囲気に、気持ち悪さに、不気味さに、不快さに、黙ってしまうギャラリー達。比企谷が言っていることがとても横柄で暴論だと分かっているが、雰囲気に呑まれてしまって誰も二の次を踏み出せないでいた。

 

「それとこれとは事情が違うだろう。優美子が由比ヶ浜を責めたのは、立派な戦略だ。だが、君のは「隼人良いし!」……だが優美子!」

 

葉山は悪びれもしない比企谷に食ってかかろうとするが、三浦に止められる。そのまま三浦は立ち上がろうとするが、フラフラと身体が揺れていて足もおぼつかない。葉山はそれを見兼ねて、肩を貸す。

 

「『あっれー?』『まだやる気ー?』『保健室行った方がいいんじゃーい?』」

 

闘志を漲らせて、眼に焔を灯している三浦。

 

「このままあんたに舐められたまま、辞めるなんて出来る訳ないし!」

 

葉山からの支えを解きながら、比企谷に向けて叫ぶ三浦。敵意がほとばしっている。それは、直接向けられていない葉山やギャラリー達をも数本後ずさりさせるほどの迫力があった。

 

「『ふぅん』『まぁ』『いいけど』『さいちゃーん!』『この場合どーなるの?』」

 

だが、比企谷にはそんなもの通用しない。ケロリと何時もの調子でブンブンと戸塚に手を振る比企谷。

 

「え、えーと。ひ、比企谷くんのポイントになります。15-love」

 

少し顔を俯かせながら、小さく応える戸塚。

 

「『じゃあ』『あと』『最低』『3回は当てられるんだ』」

 

ポツリと呟く比企谷。比企谷にサーブ権があるこのゲーム中で全てレシーバーに当たったとしても、あと3回当てられる。

 

「比企谷!やっぱりお前!狙って……!」

 

比企谷の聞こえるか聞こえないか分からないほど小さな呟きを捉えたのか。顔色を変えて叫ぶ葉山。

 

「『そんな怖い顔するなよ』『聖人君子のイメージが壊れるぜ?』」

 

普段見れない葉山の怒鳴るシーンに驚き戸惑う三浦とギャラリー達。そんなギャラリー達をチラリと見て、ギリッと歯を噛み締め悔しそうな顔をする葉山。

 

「『さて』『続きをしようか』『安心して』『どうせ』『勝つのは君達だよ』」

 

ラケットを構える比企谷。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

雪ノ下は自身にとって比企谷は、気持ち悪い人間で嫌悪すべき存在だが、同時に脅威にはならない。と思っていた。だが、それだけでは雪ノ下雪乃は過負荷(比企谷八幡)という人間を理解できていない。比企谷の過負荷《マイナス》性を殆ど見たことが無かったのが原因である。

だからーー

 

 

「ひ、比企谷くん……。貴方何しているの……?」

 

 

三浦がコート上で全身青あざだらけで蹲っている場面を見て、その原因であろう血が染み込んでいる真っ赤なテニスボールを握りしめている比企谷を見て、呆然と呟いてしまうのは仕方のない事だった。

 

「優美子!!大丈夫!?」

 

雪ノ下の後ろで隠れるように身を縮みていた由比ヶ浜は三浦の状態に気づくとすぐに駆け寄る。

 

「『あれ?』『雪ノ下さんじゃないか?』『こんにちは』『元気してる?』」

 

比企谷は雪ノ下がコートの入り口に立っている事に気がつき、陽気な声で声をかける。

 

「そんな事はいいから。私の質問に答えなさい、比企谷くん。貴方何をしているの!?」

「『そんな大声出さないでよ』『雪ノ下さん』『僕はコートを奪われないように必死に戦っていたんだよ?』『僕は悪くないんだ』『雪ノ下さんなら信じてくれるよね!』『まぁ』『あと』『1失点で奪われるんだけど』」

 

サッと視線を動かして、得点板を見るとデュースになっておりアドバンテージは葉山ペアがとっていた。

 

「…………。私が居なくなってから何があったか言いなさい。いえ、由比ヶ浜さんが居なくなってからでいいわ。教えなさい」

 

すでに由比ヶ浜からある程度の話しの経緯を聞いていた雪ノ下は、その後何があったのかを聞くために比企谷に迫る。

 

「『うん』『いいよ!』『でも少し待って!』『僕は説明下手だから』『雪ノ下さんが許してくれるように』『脚色して』『詐称して』『偽装して』『まるで喜劇のように』『嘘八百を並べたてるからさ』」

 

雪ノ下はあははと無邪気に笑う目の前の男を強く睨みつけてから、由比ヶ浜と一緒に倒れている三浦に介抱している葉山に声をかける。

 

「悪いんだけれど。あの男が仕出かした事を教えてくれないかしら?」

「あ、ああ。構わないよ。えっと、ーーー」

 

葉山は話し始める。

 

 

雪ノ下がくる10分程度前

 

比企谷は最初のサーブと同じように三浦にボールをぶつけていた。それでも、三浦は顔面に当たろうが鳩尾に当たろうが戦う姿勢を辞めなかった。だが、このままでは比企谷に負けてしまう。葉山は必死に対策を考えるが有効案が無かった。せめて、葉山本人が狙われるのなら避ける事が出来るが、既に顔面に当たってしまった三浦はボール当たったのが原因か、それとも倒れた時に頭をぶつけた事が原因かは分からないが脳が揺れたせいでフラフラと足がもつれて、迫ってくるボールを避ける事など出来る状態では無かった。

 

ついに40-love。あと、一発当てられたら1ゲーム比企谷に取られてしまう。というところで、比企谷が行動を変えた。

 

ノーバウンドで三浦にぶつけていたサーブを、ワンバウンドしてからぶつけるようにしたのだ。だが、この過負荷(マイナス) がただバウンドさせるようにしたわけじゃない。わざわざバックコートにバウンドさせて、当てるのだ。バックコートにバウンドーーつまり、フォルトを2回するとレシーバー側の得点となる。

 

比企谷はそれを繰り返しデュースになるまで持って行った。後は簡単だ。ダブルフォルトで三浦側にアドバンテージを取らせる。その後、ノーバウンドで三浦にボールを当ててデュースに戻す。

 

それを永延と雪ノ下が来るまで繰り返していた。

 

 

 

「貴方、性根が腐ってるわね。女性の顔にボールを当てるなんて」

 

雪ノ下は葉山の話しが終わった途端に、ツカツカと比企谷の方へ歩み寄り怒気を滲ませて言う。

 

「『おいおいおい』『僕が悪いみたいに言うなよ』『僕はテニス初心者なんだ』『ボールを当ててしまう事もあるさ』」

 

悪びれもせず、肩を竦ませて言う比企谷。

 

「一度なら、分からない事も無いわ。でも、何度も当てる必要も無いでしょう。それに、態とでは無くとも、当ててしまったのなら謝るのがマナーよ」

「『へぇ』『じゃあ』『まずコートを無理矢理奪おうとした』『向こう側に謝って欲しいな』『全くマナーがなってない』『それに』『ほら』『得点板を見て』『僕が負けてるだろ?』『今まさにコートを取られようとしてる』『それなりの成績を残してるテニス経験者が』『1人の僕に寄ってたかって』『搾取しようとしたんだ!』『よく考えてみてよ』『僕は被害者だ』」

 

アドバンテージをとっているのは葉山側だ。だが、血が染み付いてるボールを握っているこの男を見て被害者だなんて思えるわけがない。それをこの過負荷(おとこ)は堂々と被害者と言える。

 

「ッ!あなた……」

 

普段の冷静さはどこに行ったか、雪ノ下は昂ぶる激情が漏れ出てきそうになるが、比企谷の気持ちの悪い笑みでそれも詰まってしまう。

 

「『ま』『雪ノ下さんが来るまで持ち堪えたんだ』『僕としては十分だよね』『そろそろ終わらせようか』」

 

ラケットを構え、ボールを浮かせる比企谷。

まだ三浦が倒れているというのに、サーブを打とうとする比企谷を見て戸塚が叫ぶ。

 

「八幡!いい加減にして!!」

 

普段の戸塚からは考えられないほど激情を表している。その様子に騒いでいた周囲のギャラリー達も驚き静まり返った。

 

「『おいおい』『今頃騒ぎ出してどうしたんだい?』『さっきまでキチンと審判の仕事が出来ていたじゃないか』『雪ノ下ちゃんが来た瞬間に強気になってさ』」

「やめてよ……八幡。もう………いいから……」

 

涙を滲ませ、過負荷(ひきがや)という圧倒的な恐怖に肩を震わせながらも、戸塚は勇敢にも三浦を庇うように立ち塞がる。その姿はいつもの女の子のような弱々しい顔ではなく、雄々しく勇ましい男の子の顔だった。

 

「『…………』『あーあ』『全く』『か弱い僕がそんな目つきで見られたら』『怖くて』『怖くて』『震えてボールが打てないじゃないか』」

 

比企谷は空中に放り投げたボールを打つことはなくキャッチして、ラケットを下ろす。

 

その姿にほっ……と見ていた皆が胸を撫で下ろす。もしかしたら、戸塚に当ててでも打つ可能性があったのだ。それに、比企谷から溢れ出ていた吐き気のする雰囲気も今は息を潜めていた。

 

「『隼人ちゃん』『優美子ちゃんを連れて5秒以内にコートから消えてよ』『僕は気まぐれだから』『いつボールをまた当ててしまうかわからないんだ』『だから』『僕の気が変わる前に早く連れて行ってよ』」

 

足元に転がっているボールを拾い、手のひらで転がしながら言う。

 

「…分かった。今日の事はすまなかった。僕達にも悪いところがあった。だけど………ッ!」

 

それを聞いて葉山はぐったりと倒れている三浦をおんぶするように担いでから、比企谷を睨みつけて静かな怒りを感じさせる声で言う。だが、比企谷は葉山が言い切る前に手のひらで転がしていたボールを葉山に打つ。まさかこの状況でそんな行動を取るとは予想にもしていなく、葉山は避けることが出来ない。

 

「『おいおい』『5秒以内に消えろって言ったじゃないか』『君は記憶障害か何かかい?』」

 

比企谷はニヤニヤと笑っている。

葉山は迫ってくるボールを見て、これは避けられないと目をつぶり、覚悟を決める。

 

「…………?」

 

だが、いつまでたっても何の衝撃も襲ってこない。おかしいと思い、ゆっくりとまぶたを開いていく。

 

「!?」

 

そして、驚愕する。

何故なら、目の前で戸塚が葉山達を庇うように華奢な身体を精一杯大きく広げていたから。

 

戸塚の足元には、比企谷が放った血が滲んだボールが転がっていた。

 

「比企谷……くん。今すぐ、ここからいなくなって!」

 

戸塚からその見た目からは信じられないほど低い怒声が響く。

信じられない。とそれを聞いていた皆が目を見開く。今まで戸塚が怒っている所を誰も見た事が無かったからだ。というより、この瞬間まで戸塚が怒るという姿を誰も想像だに出来ないでいたのだ。

だが、比企谷だけが嬉しそうに笑っていた。

 

「『そう』『それで良いんだよ』『戸塚ちゃん』『誰からも好かれて嫌われない』『君みたいな存在が』『僕に「八幡」だなんて親しげ呼んじゃあいけないよ』『降参だ』『降参する』『僕の負けだよ』」

 

ヘラヘラと笑いながらラケットを地面に置き、ズボンのポケットに手を突っ込んでコートの出口へと歩いていく。

 

「『ほら』『戸塚ちゃん』『君はまだ審判だろ?』『「ゲームウォンバイ葉山・三浦ペア」それが今君が最も言わなくちゃいけない言葉だよ』」

 

出口に差し掛かった所で足を止め、首だけ後ろに受けて戸塚に向けて言う。それに戸塚は歯を食いしばり、苦虫を噛み潰すような顔をしながら声を震わせて唇を開く。

 

「………ゲーム……ウォンバイ…葉山・三浦ペア」

 

小さく、蚊の鳴くような声だったが確かに戸塚はそう言った。

それに比企谷は満足そうに笑い、出口から出て行く。コートの外に集まっていたギャラリー達はまるでモーゼのように左右に割れてしまう。

 

「『あーあ』『また勝てなかった』」

 

比企谷はそこを悠々といつもの足取りで歩きながら、大きくはないが確かにこの場にいる全員に聞こえるような声量でそう言い残していった。

比企谷がいなくなるまで、見えなくなるまで、足音が聞こえなくなるまで黙っていたギャラリーたち。だが、やっと比企谷が見えなくなったその直後ーーー

 

ワァァァアアーッ、と雄叫びのように起こる歓声。今まで見学していた人間全てが一斉に喋り出し、まるで地鳴りのような音になる。

その中でも特に盛り上がっている数名がコート内に入ってきた。そして戸塚のところまで走っていく。

 

「戸塚さん!すごかった!俺!惚れそうになりましたよ!」

「まさか戸塚先輩があんなこと出来るなんて!今まですいませんでした!」

「聞いたぜ!テニス部の為なんだよな!俺もこれから頑張るからな!」

「俺も俺も!今までサボってて悪かったよ!」

「好きです!戸塚さん!付き合ってください!」

「お前男だろうが!」

「「「「あはははは!」」」」

 

ワイワイと戸塚の周りに集まっているのはどうやらテニス部員のようだ。いつも引っ込み思案で目立つタイプではない戸塚は、急に大勢に話しかけられてあわあわと慌てている。

 

「なんとも言えないわね………」

 

それを見ながら暗い顔をするのは雪ノ下雪乃。苦虫を噛み潰すような顔だ。もしかして、比企谷はーー

 

「ゆきのん!その救急箱貸してくれない!?優美子に少しでも手当しときたいから!」

 

思考の海へとダイブしようとしていたところで、由比ヶ浜にサルベージされる。

 

「え?ええ、いいわ。それに由比ヶ浜さん、貴方も足を捻ったのでしょう?貴女も三浦さんも一緒にやってあげるから」

「ほんと!?ありがとう!大好き!」

 

ガバッと雪ノ下に抱きつき、熱烈な感謝のアピールをする由比ヶ浜。

 

「あ、あまりくっつかないでくれるかしら?暑いわ」

 

なんの打算や悪意もない純粋な好意をぶつけられて頬を赤く染めてしまう雪ノ下。長年、同年代の女子には悪意ばかりぶつけられてきたので免疫が無いのだ。

 

「えへへへへ……。ごめんね!でも、本当にありがと!」

 

謝りながらも離れようとしない由比ヶ浜に呆れたのか諦めたのか、雪ノ下は三浦のところに歩いていく。三浦に近くなると、流石に遠慮したのか由比ヶ浜は離れる。

 

「大丈夫かしら?三浦さん。」

「大丈夫だし!ほっといてくれる?」

 

三浦は少しは回復したようで、雪ノ下に噛み付くように強気に言う。

だがそれとは裏腹に声に力は無いし、顔に出来た青痣は今も痛々しくそこにある。

 

「いいえ、大丈夫じゃないわね。いいから見せなさい。貴女が良くても私が良くないのよ。部員がやったことを部長が責任をとるのは当たり前のことなの」

「……………フン!」

 

イラついたように舌打ちをしてから、そっぽを向く。三浦の不躾な態度を雪ノ下は気にした様子はなく、手早く終わらせていく。

 

「雪ノ下さん……すまない」

 

隣で立っていた葉山が申し訳なさそうな顔で謝る。が、雪ノ下はそれに見向きもしない。

 

「別に貴方の為じゃないわ。だから、その発泡スチロールより軽い頭を下げないでくれるかしら?目障りよ」

「ちょっと……ゆきのん!ダメだよ……そんな言い方……」

「…………」

 

雪ノ下はそのまま手当てを終わらせると無言で出て行ってしまう。

様子がおかしい雪ノ下を心配して追いかけようとするが、三浦のことも考えて立ち止まる。キョロキョロと雪ノ下と三浦を交互に見て、どうしようか考えていると

 

「ゆい!」

 

三浦が顎をクイクイと動かし、雪ノ下を追いかけるように促した。

それに由比ヶ浜は小さくお礼を言うともう遠くに行っている雪ノ下に走ってついていく。

 

「ちょっと待ってよ!ゆきのん!」

「……由比ヶ浜さん。三浦さんはいいの?」

「うん!優美子も心配だけど、ゆきのんも心配だもん!」

「……」

「優美子もゆきのんも大切な友達だもん!比べられないよ!」

 

目を見開き、驚いた顔をする雪ノ下。訝しげに由比ヶ浜の顔をジロジロと見た後、クスリと笑う。なんとなく嬉しそうに見える。

 

「ふふ……。ありがとう」

 

雪ノ下に聞こえないような小さな小さな、本人にすら言ったのか分からないほどのお礼を言った。

 

☆ ☆ ☆

 

後日

あの事件が終わった後比企谷がやったことが急速に全校生徒に噂され、今までより増して周りの生徒達から警戒されるようになったが、それだけだった。確かに平塚静先生からは怒られたが、何故か三浦本人が大きな問題にすることが無かった為に反省文を数枚書かされる程度で終わってしまった。他にも変化はあったが、些細なことだった。

 

よって、比企谷は今も我が物顔で学校に来ている。

 

「結局、全部貴方の掌の上だったのかしら?」

 

小説片手に邪魔な横髪を耳にかけてから、比企谷の方を向く。

 

「『うん?』『何のことだい?』」

 

それに応えるのは、ジャンプ片手に比企谷だ。

 

「先の戸塚さんの依頼の件についてよ」

「『僕がボロ負けしたあのテニスゲームの事を蒸し返すつもりかい?』『全く』『ネチネチと小姑のようだぜ』『僕が負けてそれで終わり』『それ以上の何物もないよ』」

 

神妙な面持ちで言う雪ノ下に気持ち悪い笑みを貼り付けてからかうように言う比企谷。雪ノ下はいつもなら反応するところだが、それがない。

 

「それでも、戸塚さんの依頼は完遂できたでしょう」

「『そんな事ないでしょ?』『どこらへんがそう見えたっていうんだー』『雪ノ下ちゃんの眼が節穴だったなんて残念だなー』」

 

戸塚が奉仕部に依頼したのは自身の技術向上。全くなっていない。ただ、その場を引っ掻き回して周りに悪印象を抱かせただけだ。

 

「戸塚くんの依頼は技術の向上だったわ。だけど、その本質は少し違う。それは過程であって目的では無いわ。戸塚くんの願いは部員にやる気を出してもらうこと。貴方は自身に悪印象をもたらす事でそれを成し遂げた」

「『えー!?』『雪ノ下ちゃん言ってたじゃないか!』『個人に敵意や悪意を持つことで結束してもそれは向上出来ないからダメだってー』」

 

間延びした人をバカにしたような声で言う比企谷に雪ノ下はひどく冷静だった。

 

「ええ、言ったわ。だけど、貴方に対する敵意や悪意で無く、戸塚くんに対する善意や好意で結束しているのよ」

「『どういうことかなー?』」

「わかってる癖にあくまでそういうのね。私もわかったわ。全部説明してあげる。貴方と三浦さん達の闘いの時にテニス部の部員がほぼ全員居たわ。それはそうよね。部活で使う場所に人が群がってるんですもの」

 

小説をカバンにしまい、椅子ごと比企谷の方に向き直る。

 

「『へー』『まぁ』『テニス部員があの場に居てもおかしくは無いね』『けど』『それがどうかした?』」

「戸塚さんが貴方に立ち向かった。というのを目の当たりにして残念なことに好意あるいは敬意を持ってしまったのよ。私を含めて誰も何も出来なかったあの場で唯一立ち向かったのが、あの戸塚くんだったから……。確かに貴方に対する悪意では成長できないけど、戸塚くんに対する善意では成長できるのよ。例えるなら、世界を征服しようとする魔王《あなた》に立ち向かった勇者が戸塚くんだったの」

「『そりゃまた』『なんて頭ん中がお花畑なんだその部員たちは』『その程度で努力し始めるなら』『またすぐにその程度の事があれば辞めるんだろうねぇ』」

 

比企谷ははぁ、とため息をつきながら両手を肩辺りに持ち上げて左右に広げ、首を呆れたように振る。

 

「あら?貴方の頭の中はお通夜かしら?戸塚さんと由比ヶ浜さんの事それなりに気に入ってたんでしょう?無くしてからその大切さを知るというけど。貴方にはわかったかしら?」

 

あの騒動の後、由比ヶ浜と戸塚は一度も比企谷に話しかけることは無くあからさまに無視していた。部活でも教室でも変わらない。

 

「『それは違うよ』『雪ノ下ちゃん』『無くなった物の価値なんて無くなった後にはもうわからないんだ』」

 

そして、週刊少年ジャンプに視線を落とす。教室が静寂に包まれる。

 

だが、それは長続きはしなかった。

 

「ヒッキー!」

「八幡!」

 

バーンッ、と勢いよく開いた扉から顔を出したのは由比ヶ浜と戸塚。2人とも額に汗を滲ませて、走ってきたことが伺えた。2人の切迫した表情を見て、比企谷は珍しくもポカーンとした驚いた顔をしている。雪ノ下はというと、そんな比企谷を見てクスクスと楽しそうに笑っていた。

 

「ねぇ!ヒッキー!優美子と仲直りしに行こうよ!優美子は頑張って説得したからね!それに優美子もアレを見てた他のみんなに言ってくれるって言ってたし!このままずっとギスギスしてるのは嫌でしょ!?」

「ねぇ!八幡!僕と仲直りしてよ!テニス部の皆は説得したからさ!このまま八幡と喧嘩したままは嫌だよ!」

 

二人揃って比企谷に鼻と鼻がぶつかってしまいそうになるほど近づいて、マシンガントークをする。

 

「『……』『あっはは』『仲直りかぁ』『それは無理かなぁ』『だって』『僕は何一つ悪くないからね』『謝ることなんて出来ないよ?』」

 

「「じゃあ!仲直りしたいとは思ってるんだ!それだけわかれば大丈夫!また説得してくるから!明日ね!」」

 

比企谷の返事を何も聞かずに教室から出て行ってしまう戸塚と由比ヶ浜。まるで嵐のように忙しい2人だった。雪ノ下の小さな笑い声だけが静かな教室に響く。

 

「さて。捨てたものが手のひらに戻って来たけれど。価値はわかったかしら?」

 

雪ノ下がニヤニヤと意地悪に笑いながら、楽しさが見え隠れしている声で言う。

 

「『………はぁ』『そうだね』『僕は鑑定や品定なんかできないけど』『間近で見た2人の顔は』『100万ドルの夜景よりは綺麗な顔だったよ』」

 

100万ドルの夜景。本当に100万ドルの価値があるのか、夜景だからプライスレスなのか。判断に困る言い方をする。

 

「それは、よかったわ」

 

それでも、雪ノ下は楽しそうに笑っていた。

 

「『あーあ』『全く』『不幸だぜ』」

 

某ウニ頭のそげぶ少年のようにポツリと呟かれた比企谷の言葉は空中に吸い込まれていき、やがて静かに消えた。

 




あーしちゃんのファンのみなさんすみません!手が勝手に書いてたんです!作者は悪くありません!
次回………無いかも |)彡サッ

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