モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第96話 夢光降り注ぐ幻月輪廻(ムーンロンド)

 翌日、一限の授業が始まる少し前に緊急集会を知らせる角笛が校内に鳴り響いた。授業を控えて準備をしていた者や二限や三限からの授業に備えて惰眠を貪っていた生徒達は慌てて準備をすると急いで昨日創立記念パーティーが開かれた生徒会館に集まった。

 クラス別に分かれて並ぶA~Gの七クラス。五〇〇人もの生徒達は突然の緊急集会に困惑している様子。

 Fクラスの列に並ぶクリュウとルフィール、シャルルもまた困惑していた。

「どうしたんだろ一体。今日は調合学が小テストがあるからって結構勉強してたのに」

「そうですね。もしかして昨日のボクの事が原因なのでしょうか?」

「うぅ、まだ眠いっすよぉ~……」

 朝に若干弱いクリュウだが、すでに起床から時間が経っているので問題ない。ルフィールは朝に強いので問題なしだが、朝にものすごく弱い上に昨日は夜更かしまでしていたシャルルは滅茶苦茶眠そうだ。

「昨日は夜更かしでもしたのか?」

「う、うっす。消灯後もずっとゲームやってたっすよ。寝たのはたぶん日付が回ったずっと後っす」

「……何でそんなに起きてるんだよ」

「……今日シャルは三限からっすから。それまで爆睡でもしてるつもりだったんすよ。それがこんな事に……ふわぁ」

 盛大なあくびをするシャルルに苦笑しつつ、よく見るとシグマも盛大なあくびをしていた。それを見てまた苦笑。

「私はしっかりと眠れましたよ。そうですよねシルト?」

「えぇ。いつも僕が受けている待遇、理解できました?」

 なぜか意気投合しているクードとシルト。何があったのかシャルルに尋ねると、どうやら危険分子扱いを受けてシグマにリビングから追い出されて廊下で寝ていたらしい。ちなみにシルトはそれが日常だそうだ。まぁ、元々お試し一ヶ月ではチームによっては余程の事がない限り男女が一緒の部屋で眠る事は当然だ。そして、クリュウ達は問題なく暮らしているが、中にはシルトのような扱いを受けている男子も少なからずいるのだ。ハンターを目指すだけあって、女子も一筋縄ではいかないたくましい子が多い。

「でもエルはちゃんとベッドで寝てたっすよ?」

「たぶん、完全に女子扱いされてるんだろうなぁ」

 というか、完全に害のない存在として扱われているのだろう。女の子の部屋に雄のペットがいても誰も気にしないというのときっと同じ理由なのだろう。

 今日もエルはシグマの横で盛んに彼女に話し掛けている。まだ半分くらい寝ぼけているのではないかと思ってしまうほど眠そうなシグマはそれらに「あぁ……」とか「おう……」とか曖昧な返事を繰り返している。それでも笑顔で話すエル。本当にいい子だ。

 そんな感じでそれぞれが次第にこの集会の理由についての雑談から本当の雑談に変わり始めた頃、生徒会館のドアが何の前触れなしに開かれた。そして真っ白な制服に身を包んだ生徒達が規則正しく道を作るように並び、ステージ横の階段までそれが続く。

 ざわざわと騒いでいた生徒達はそれを見て皆一斉に黙り、ドアの向こうから現れるであろう人物を待つ。

 沈黙が迎える中、威風堂々とした佇まいと共に現れたのは我がドンドルマハンター養成訓練学校に君臨する生徒達の長。時には教官よりも強大な権力を有する全校生徒を統括する美しき姫――クリスティナ・エセックス。またの名を氷の女神。

 クリスティナが道を通ると、彼女が通り過ぎる寸前にいる生徒会役員が見事な敬礼をしてみせる。

 さすがクリスティナ生徒会長が編成した歴代生徒会役員の中でも類を見ない忠誠心と日々の努力を忘れない最強のメンバーだ。というか、もうこれは生徒会役員というよりは一つの兵隊のようだ。

 クリスティナは生徒会と同時にAクラスも束ねているのだが、生徒会の仕事をしている時はAクラス副委員長がクラスを統括している。事実、Aクラスの一番前、本来は委員長がいるべき所には別の男子生徒が立っている。彼がAクラス副委員長なのだろう。しかしそれはあくまで彼女が生徒会の仕事をしている時の代役であり、基本的にはAクラスもまた彼女の指揮下に入っている。

 皆に見守られながらクリスティナがステージに上がると、控えていたいかにもハンターという感じの屈強そうな大柄の生徒が敬礼した。それに対し、クリスティナが初めて答礼した。確か、彼は前回の生徒会総選挙で生徒会副会長に就任した男だ。

 豪華な佇まいの教卓を挟んでもう一方にいるのはメガネにツインテールといういかにも真面目そうな少女。彼女もまたクリスティナに敬礼する。彼女も前回の生徒会総選挙で就任したもう一人生徒会副会長だ。

 男の副会長が執行部(騒乱鎮圧・治安維持を行う実力部隊)、女の副会長が総務部(主に書類仕事やイベントなどの企画を行う事務部隊)のそれぞれ部長も兼任しており、生徒会長であるクリスティナがその二つの部署を統括する組織形態をしているのが生徒会だ。役員数は約五〇人と一つのクラスほどの規模を誇る。

 生徒会とAクラス。二大組織を統括するこの学校の生徒の中で最も強大な権力を有する生徒会長、クリスティナは教卓の前に立つとしんと静まり返った生徒達を一回見回す。その美しさ、凛とした姿に多くの生徒達が心を奪われる。

「昨日は創立記念パーティーを中断してしまい、申し訳なかった」

 我らが生徒会長の第一声は謝罪の言葉から始まった。驚く生徒達の前でクリスティナは深々と頭を下げる。それに合わせて両副会長、そして道のように並んでいた生徒会役員(執行部役員)もまた一糸乱れぬ動きで頭を下げた。

「実は昨日反乱分子の鎮圧を私自ら行った為、事後処理の為に断腸の思いで宴を中断したのだ。生徒諸君には申し訳ない事をしたと思ってはいるが、これが私に任せられた役目故、どうか許してほしい」

 クリスティナの言葉に昨日の夜は突然パーティーを中断されてブーブー文句を言っていた生徒達も黙っている。元々あのパーティーを企画したのは生徒会総務部だ。その点では感謝しているし、さらに言えば治安維持も兼ねた長を彼女に任せた時点で彼女の行動を阻害するような事は皆望んでいない。満場一致で四期連続で生徒会長になった彼女に反意を抱く生徒など、この学園には存在しないのだ。

 一方、昨日のパーティー中断が自分達のせいだという事に決定印を受けたクリュウ達の顔は一様に暗い。仕方がなかったとはいえ、罪悪感を感じずにはいられない。

 ざわざわとする生徒達を静かにさせ、クリスティナは続ける。

「そこで昨日緊急に官生会議(教官・生徒会合同会議の略)を行った結果、本日を緊急の休日とし、夜は改めてパーティーを開く事にした」

 クリスティナの言った言葉の意味がわからず、生徒達は一瞬ポカンとした。しかし次第に脳がその言葉を理解し、至る所でざわざわとし始める。そんな生徒達に向かって、クリスティナは頼もしい笑みと共に最後の詰めを言い放った。

「――つまり、今日も休みだという事だ。皆の者、今日こそ大いに楽しむといい」

 刹那、爆発音のような歓声が生徒会館全体に響き渡った。

 

 その後、解散となった生徒達は思い思いの休日を楽しむ事となった。

 しかし突然の休日の為、予定のない生徒達。街に行く者は多かったが、校内に残る生徒もまた少なくない。

 クリュウ達はルフィールを気遣って街に行くという選択肢を捨てたので、必然的に校内に残る事となった。しかし昨日の今日という事もあってシグマやアリアも校内に残ってクリュウ達の部屋を訪ねて来た。

 結局、クリュウ達の部屋にシグマやアリアなどが詰め掛けて大騒ぎとなった。シグマは最初こそ他クラスのアリアにケンカを売っていたが、最終的にはみんなでわいわいと楽しむ事となった。

 シャルルは昨日の雪辱戦と言って再び大富豪を始めようと進言。クリュウ達も巻き込んでゲームに没頭した。

 仲間と一緒になって休日を楽しむ。そんな今まではできなかった事を大いに楽しむルフィールの姿を見て、一同は内心ほっと胸を撫で下ろしていた。

 楽しいひと時は、あっという間に過ぎて行った……

 

 その夜、生徒会館で改めてパーティーが開かれた。昨日と同じような間取りでテーブルが置かれており、そこには昨日と同じように豪華な食事が並んでいる。そして生徒達もまた昨日と同じように着飾っている。

 パーティーも終盤。それぞれでこのイベントを楽しむ生徒達の中、クリュウ達はいつものように隅っこの方に陣取っていた。クリュウは昨日と同じ黒いスーツ姿。隣に立つシャルルは紺色のドレスに白いカーディガンという出で立ちだ。その他にも男装のようにクリュウと同じようなスーツ姿のシグマとクリーム色のドレスを着たアリア、同じデザインの水色のドレスを着たレナとシア、スーツ姿のディアとシルト、昨日と同じ桜色のドレスのフェニスなど、今日の面子は豪華であった。

 炎の女神、水の女神、雷の女神と、三女神が集まるだけあって隅っこにいてもクリュウ達は注目の的だ。

「うぅ、動きにくい格好だから腹一杯食えなかったっすよ~」

 色気よりも食い気なシャルルはドレスが気に入らない様子。それでもしっかりと着飾っている点ではやはり彼女も乙女という事のようだ。まぁ、それでも常人の何倍も食っていた所は彼女らしい。

「それにしても、ケーニッヒの奴遅いな」

 そう言って何度も会場に設置してある時計を確認するシグマ。こういう巨大施設でないと、時計なんて高価なものは置けないのだ。ちなみに校内には中央にチャイムを備えた大時計塔とこの生徒会館の二ヶ所に時計が設置されている。

「何かあったのかしら」

 フェニスもまた先程から何度も時計を確認しては困ったようにため息する。

「遅過ぎっすよ。シャルは早くデザートが食いたいっす!」

「まあまあ、もう少し待ってあげようよ」

 短気なシャルルを押さえつつも、遅いなぁと思いながら何度も時計を確認するクリュウ。

 実は三〇分ほど前、この面子の中にはルフィールの姿もあったのだ。ただしドレスは昨日ダメになってしまったので、いつものような私服姿だったが。そこへクリスティナが現れてルフィールを連れて行ってしまったのだ。

 そして、それから三〇分ほどが経ったが、依然として二人は戻って来ていないのだ。

「それにしても、生徒会長もよく教官陣を説得できましたわね」

「そうですね。授業を潰してその上パーティーだなんて……」

「……脅迫?」

「ありえなくないですわね」

 アリア、レナ、シアが言う通り。そもそもよくこんなパーティーを開けたものだ。教官達を説得し、さらには臨時の予算まで組んで開くとは、生徒会という組織のすごさを改めて見せ付けられた気がした。

「生徒会はいつも黒字運営だそうですから。その余った予算を使ったのかもしれませんね」

 エルの発言に皆がなるほどとうなずいた。

 各地に設置されているハンター養成訓練学校には基本的に学費は存在しない。市民から徴収する税金やギルドが稼いだ資金などが予算として回されて運営している。学費という壁で優秀なハンターを育てられないなんて事がないようにする為だ。

 しかし、支給される予算はいつも最低限のもの。その為他校や以前まではこの学校もいつもギリギリ。たまに赤字運営という状態だったのだ。しかしクリスティナが生徒会長に就任してからは生徒達に市内での清掃活動を命じたり生徒だからこその低賃金での簡易依頼を行い、報酬を得ると同時に生徒達の成長も促す。その他様々な方針転換により、ドンドルマの訓練学校は彼女が生徒会長になってからの四期、年換算で二年間ずっと黒字運営状態が続いている。

「改めて思うけど、やっぱりウチの生徒会長はすごいですね」

 シルトの言葉に「そうかぁ? 俺は清掃活動とかダルいからあんまりなぁ」とシグマがめんどくさそうに答える。まぁ、彼女みたいな生徒も多いが、同時にこうした生徒自治を見事に実現させてくれているクリスティナに感謝している生徒もまた多いのだ。

 そんなみんなの頼れる生徒会長様が開いた今夜のパーティー。だが、その肝心の主催者でもあるクリスティナはルフィールと一緒にどこかへ行ったきり帰って来ていない。よく見ると、先程から警備員やウェイター、ウェイトレスに扮した生徒会役員の動きが慌しい。どうやら自分達の主であるクリスティナ生徒会長を捜しているようだ。確かこの後の予定では生徒会長であるクリスティナの宣言で今日のメインイベント、ダンスが始まる事になっている。

「僕達も捜しに行った方がいいかな?」

 クリュウの言った言葉に皆が仕方がないと言いたげにうなずく。その時、

「すまない。遅くなった」

 背後から声を掛けられ、クリュウ達は一斉に振り返った。するとそこには純白の美しき姫が二人いた。一人は生徒会役員が必死になって探していた生徒会長クリスティナ。氷の女神と称され皆にクールな印象を与え続けてきた学園の戦姫。しかし今は美しい純白のドレスに身を包み、薄っすらと化粧をしているのかいつものクールな感じとは違って美しくてかっこいい大人な女性の魅力を感じさせる。

 クリュウ、ディア、シルト、エルの男性陣四人が顔を赤らめてクリスティナの姿に見惚れるのも仕方がない事だ。ただし、シャルル、アリア、シグマ、フェニスの女性陣四人がそれぞれの男子の頭を引っ叩いたが。ちなみにクードはニコニコとしており、やはり腹の読めない奴だ。

 そして、そんなクリスティナの背後に隠れるようにしているもう一人の姫。それはルフィールであった。クリスティナと同じデザインの純白のドレス。彼女と違ってルフィールの頭には純白のカチューシャが載せられ、いつもの細メガネも今はない。その格好は偶然なのか昨日のパーティーで彼女自身が着ていたドレスによく似ていた。クリスティナと同じく薄っすらと化粧がされており、とてもかわいらしい。

 クリスティナとルフィール。同じような格好をしても一方は誰もがその魅力に心を奪われる美しき姫。一方はまだあどけなさと幼さが残るものの、未来に十分過ぎるまでの美しき片鱗の期待を感じさせるかわいらしい姫。それぞれの魅力が十分に引き立たれている、そんなドレス姿であった。

 二人の突然のドレスアップにクリュウ達は言葉を失ってただただ固まるしかできない。そんな皆の反応を見てクリスティナが頬を薄っすらと赤らめながら自らの格好を確認する。

「な、何なのだ? この格好、どこかおかしいか?」

「おかしくなんてないっすよッ! すげぇきれいですッ!」

 そう興奮しながら断言したのはディア。クリスティナの美しき姿を一秒たりとも逃さないという感じで彼女のドレス姿を目に焼き付けた後、興奮冷めやらぬ勢いのまま「どうかこの後のダンスをご一緒に――ぎゃぁッ!?」とダンスのお誘いをしようとした刹那、シアが突然ディアの膝を蹴り抜いた。あまりの激痛に悶えるディアを一瞥し、シアはアリアの方を向く。

「……害虫駆除完了です」

「よくやりましたわ」

 アリアは満足そうにうなずくとシアの頭を撫でた。するといつもは感情が顔に出ない無表情少女シアの顔に薄っすらとだが《嬉しさ》の表情が浮かんだ。

「な、何しやがるシアッ!」

「やっぱり男ってキモイよねぇ……」

 そう言ってレナはわざとらしく多きため息を吐いた。その言葉にディアは激しく落ち込んだらしく「どうせ俺なんてキモイさ……」と床に座り込んでしまう。ついでにレナの言葉にクリュウ、シルト、エルの三人がとばっちり的なダメージを受けた。

「レナ、そのような事を言ってはなりませんわ。キモイのはそこのポンコツ限定の話であって、殿方というは皆とても良い方ばかりですわ――そして、ある日突然どうしようもなく素敵に思えてしまう……」

 アリアはそう静かに言うと、じっとクリュウを見詰めた。そのどこか熱を帯びた視線に気づいたクリュウが振り向くと、アリアは顔を赤らめて慌てて視線を逸らした。顔を逸らされたクリュウは困惑したように首を傾げる――赤面するアリアを悲しげに見詰めると、レナとシアは一斉に振り返ってクリュウを睨み付けた。それこそ親の仇を見るような容赦のない怒りの眼光。その視線にクリュウは言いようのない恐怖を感じて慌てて視線を逸らした。

(……あ、あれ? 僕、二人にあんな目で睨まれるような事したっけ……?)

 困惑するクリュウだったが、ふと別の強い視線を感じて振り返った。すると、いつの間にか生徒会の男子生徒と何かの打ち合わせをしているクリスティナの背後からじっとルフィールがこちらを見詰めていた。クリュウと視線が合うとルフィールはうつむいて視線を逸らしてしまったが、すぐに戻して再び二人は見詰め合う形になる。

「あの……」

 頬を薄っすらを赤らめながら近づいてきたルフィールはそっと声を掛けてきた。クリュウが「何?」と返事をすると、ルフィールはしばしその場で胸の前で組み合わせた手をいじってうつむいていたが、意を決したように顔を勢い良くもたげると、潤んだ瞳(イビルアイ)でクリュウを見上げる。

「ボクのこの格好……どうでしょうか……?」

 まるで獲物にそっと近寄るランゴスタの羽音のように小さくてか細い声でルフィールは言った。クリュウはその言葉をしっかりと聞き取り、一度ルフィールの新しいドレス姿を確認。そして、

「うん。すごく似合ってる――かわいいよ」

「そ、そうですか……」

 クリュウの言葉に頬だけでなく顔全体を真っ赤にさせ、ルフィールは先程以上に小さな声でそう答えるとうつむいてしまった。

 ――顔を上げていると、嬉しくてどうしようもなく真っ赤になった上に制御不能なくらいにニヤケてしまう自分の顔を公共の往来で晒す事になってしまう。彼だけになら恥ずかしくはあるが構わない。だが、彼以外の人には自分のこんな顔は見てほしくなかった。見られたら、恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。

 そんな状態と必死になって一人で戦うルフィールにクリュウが声を掛けようとした刹那、

「おぉ、盛り上がっているみたいだな」

 聞き慣れた声に振り返ると、そこには我がFクラス担任であるフリードが立っていた。相変わらず防具を纏っているらしく、今日も銀色に輝くシルバーソルシリーズを頭以外に重厚に身に纏っている。その後ろには純白のワンピースの上にピンク色のカーディガンを着た丸メガネがかわいらしいシャニィ、男子生徒の基本的なオシャレ服の模範とも言うべきスーツ姿のクロードが続く。

「フリード教官、それにクロード教官にシャニィ医務官まで。お三方もパーティーに?」

「まぁな。いやはや、先程まで教官会議があってな。どこかのじゃじゃ馬生徒が教官達の面子を見事に台無しにしてこんな大層なイベントを開いてしまってからな。元教え子の事もあって、俺もひどく嫌味を言われたぞ」

 そう言ってフリードはクリスティナの方を見る。クリスティナはクールな表情で彼の視線を受けると、優雅な歩みでフリードの方に近づき、スカートの裾を持ってまるで貴族の娘のような美しい一礼をした。

「今回の私の強引なやり方を陰から根回ししてくださり、感謝します」

「なぁに。今回はクラスが違うが、お前はいつまでも俺の大切な生徒だ。遠慮せずにどんどん面倒事を押し付けてくれ」

 そう言ってフリードは盛大に笑うとその大きな手でクリスティナの頭をポンポンと優しく叩いた。比較的女子の中では長身のクリスティナでも、体格自体が普通の成人男性のそれとは逸脱しているフリードの前では普通の大きさに見えてしまうから不思議だ。

 フリードの大きな手が邪魔で彼女の表情は見えないが、クリスティナは無言で彼の柔らかいとは言いがたいがとても優しい手を受け続ける。

「うわぁ~! みんなおめかししちゃってかわいいぞッ! 男達よ、胸に大志を抱いて女子にアタックだ! 女達よ、アタックしてくる男達を完膚なきまでに叩き潰せ!」

「……ラングレイ医務官。それでは男側があまりにもかわいそうでは?」

「冗談に決まってるじゃない。本気にするなんてクロード君は真面目すぎるぞ! もっと気楽になりなさい。この私のように!」

「……いえ、医務官のようになったらそれはそれでアウトです」

 クロードの控えめなツッコミに対してシャニィは「ニャハハハハハッ!」と独特な笑い声で返す。見た目はとてもひかえめそうな女性なのに、性格は真逆のとてもハイテンションでスキンシップの激しい人。それがシャニィ・ラングレイであった。

「おほ? フリンっちは何でスーツなのよぉ。あなたもドレスを着ればいいじゃない」

「誰があんなヒラヒラとしたもん着れるか! それとその気合の抜ける呼び方はいい加減やめろッ!」

 体全体を使って激しく抱きついてくるシャニィに、罵倒とそれなりの暴力で返すシグマ。だがシャニィはさすがハンターというべきか、ただ単に常人を逸脱しているのかは不明だが、それらの攻撃を全て回避しながらシグマに絡む。この二人はいつもこんな感じなので、Fクラスの面々やアリア達は見慣れている。

 美女二人が絡むシーンに何か変な妄想スイッチが入っていたディアはシアの鉄拳が鳩尾(みぞおち)にクリーンヒットして地面に伏した。

 シルトは先程からフェニスと話し込んでいる。あの二人、よく一緒にいるしとても仲がいい。一部噂で二人は付き合っているのではないかともされているが、本当なのかもしれない。まぁ、本当の所は本人達しか知らない事だ。

 そしていつの間にかシグマから離れたシャニィは今度はシャルルに絡んでいた。だが、シグマに対してのような過剰なスキンシップはなくお互いに大きな声で話しては豪快に笑っている……あの二人、結構気が合うようだ。

「およ? そういえば今日は珍しくクリスっちがオシャレしてるわね。苗字と同じでエロかわいいぞ!」

「……ラングレイ医務官。それは明らかなセクシャルハラスメント行為に該当します。生徒会長の権限で追放しますよ?」

「もぉ、クリスっちも冗談が通じないわね。でも本当にかわいいわよ。ねぇビスマルク先生?」

 突然話を振られたフリードは「お、俺か?」と一瞬困惑したが、クリスティナの姿を見ると自信満々に大きくうなずいた。

「あぁ、いつもの凛々しいクリスティナもいいが。こういう女の子らしいクリスティナの方が俺はいいと思うぞ。やはりお前も女の子なのだからオシャレにしていた方がいい」

「そうですか」

「何だか、娘を嫁に出す父親のような気分だな!」

 ガハハハハハッと豪快に笑うフリードの言葉にクリスティナはくるりと背を向けると「私はこれで。そろそろダンスパーティーの開会宣言があるので」と言ってクリュウ達から離れた。それが合図となったかのようにフリード達も離れて行った。

 四人を見送ったクリュウはそろそろ引き上げようと考えていた。残るは今回のパーティーのメインイベントであるダンスのみだ。だがクリュウは踊るつもりなどなかった。特に踊りがうまい訳でも一緒に踊ってくれる人がいる訳でもない。別に強制参加ではないのだから、わざわざ恥ずかしい思いをして人前で踊る必要などないのだ。

 料理は食べたしみんなとも楽しく話せた。もう思い残す事はないし、さっさと立ち去ろう。そんな事を考えながら皆に帰る事を伝えようとした刹那、「あーにじゃッ!」という元気な声と共にシャルルが抱きついて来た。

「のわッ!? しゃ、シャルルッ? いきなり抱きつかないでよ」

「いいじゃないっすか別に」

「お前なぁ……」

「そんな事より兄者! シャルと一緒に踊ろうっす!」

「はいッ!?」

 今までシャルルの言動に驚かされて来た事は多々ある。だが、今回の発言はいつも以上に驚愕するものであった。あまりにも驚き過ぎて、クリュウは一瞬フリーズする。

「えっと……踊る? 僕が、シャルルと一緒に……?」

 ようやく思考が回復した所でやっとの思いで出せた言葉がそれだった。まだ若干先程の驚愕のダメージが残るクリュウに対し、シャルルはいつものように元気全開で話を進める。

「そうっす! せっかくの機会っすからね、思い出作りの為に一緒に踊るべきっす!」

「いや、別に僕は……」

「何言ってるっすか! 今の思い出は今しか作れないんすよ? 思い出の数は多ければ多いほど幸せになれるんす! さぁ、兄者もシャルと一緒に幸せになろうっすッ!」

「いや、そんな事言われても……」

 やけに今日のシャルルはしつこい。いつもはクリュウが言いよどんだ所で「ご、ごめんっす。兄者に迷惑掛けちゃダメっすよね?」と少し冷静になり、結果的に「や、やっぱりダメっすか?」と弱々しく最後の訴えをし、結局クリュウが根負けして了承するというのが常のパターンだ。しかし今回のシャルルはやけに必死に見える。どうしてそんなに自分とダンスをしたいのだろうか。世界鈍感王決定戦があったら間違いなく優勝候補となるであろうクリュウは不思議そうに首を傾げる。

「あ、あのクリュウ」

 そんな事を思っていると背後から声を掛けられた。振り返ると、そこにはどこか落ち着かない様子のアリアが目線を伏せて立っていた。よく見ると薄っすらと顔が赤く、時折目線を自分に向けては目が合うと避けるように視線を下げてしまう。

「アリア? どうしたの?」

「い、いえ。大した用事じゃないんですのよ。ただその……私踊る相手がいませんの」

「そ、そうなの?」

「……ダンスは二人セットになって行うものですわ。でも、私は踊ってくれる殿方が誰もいませんの」

 そう言って、何かを訴え掛けるような視線で見詰めて来るアリア。だが世界レベルの鈍感さを持つクリュウにはその程度の事は通用しない。

「でもさ、アリアは雷の女神って呼ばれてるくらいだからさ、一緒に踊りたいと思う人は大勢いると思うけど」

 確かに、アリアは学園四大女神に選ばれるだけあって美人だ。シグマと違って女の子らしさもちゃんとあり、フェニスのような優しさも兼ね備え、クリスティナのような近づきがたい美しさではない。それに人望も厚く、彼女を慕う生徒は四大女神の中でもトップクラスに多いだろう。そんな彼女が踊る相手がいないと言えば、我先にと男達も押し寄せるだろう。

 すると、アリアはクリュウの言葉にムッとしたような表情を浮かべる。

「だ、誰でもいいという訳ではありませんわ! 私にだって踊ってもらいたい殿方がいるんですのッ!」

 クリュウのいい加減な物言いについ熱くなってしまったアリア。そしてふぅとため息を吐いて冷静さを取り戻す――だが同時に、自分が恐ろしくとんでもないぶっちゃけ発言をしてしまったという事実に気づき、顔をこれまで以上に真っ赤に染めた。一方のクリュウはいつもは鈍感なくせにこういう面倒な時に限って勘が鋭かった。見事に彼女の言葉の最後の部分を拾い上げる。

「え? アリアって好きな男の人がいるの?」

「ふぇッ!? い、いやその……わ、私は……」

「そっかぁ……。アリアもやっぱり女の子なんだね」

 あまりのテンパり具合に彼の受け取り方によっては大変失礼な物言いにもツッコミを入れる余裕がない。真っ赤になった顔を必至に隠すようにうつむきながら、玉のような汗をダラダラと流すアリア。

 ここで一気に言うべきか。それとも、もう少し迂回してからの方がいいか。でも彼は一筋縄ではいかない鈍感男。迂回ルートでは気づかない可能性が高い。ではストレートに? そんな恥ずかしい事、絶対にできない。

 頭の中で色々な事がグチャグチャになって訳がわからなくなるアリア。

「アリアの好きな人はわからないけど、応援してるから。がんばって! アリアならきっと成功するよ!」

 ――今現在進行形で失敗の可能性が限りなく大きくなっているという事を、満面の笑みを浮かべながら言う彼は気づいていない。

 彼は全くの誤解をしている上に、自分の気持ちなど一切気づいていない――その現実に、鉄のように硬いアリアの心が無残にも折れた……

「うわあああぁぁぁんッ! クリュウなんて大バカ者ですわあああぁぁぁッ!」

「えぇッ!?」

 突然激しい勢いで泣き出したアリアはくるりとその場で驚くクリュウに背を向けると、スタミナゲージ全開の勢いでダッシュ。生徒会館から出て行ってしまった。

 突如として泣きながら出て行ってしまった雷の女神。周りにいた者達は一斉にクリュウに集中し、中には殺気の込もった視線を向ける者もいる。それらの視線から逃げるように、そしてアリアを追おうと走り出そうとしたクリュウの脛に突如として激痛が走った。悲鳴を上げる事もできずに蹲る。目に一杯の涙を溜めながら顔を上げるとそこには無表情で立つシアがいた。どうやら彼女の恐ろしい威力の蹴りが脛に炸裂したらしい。

 文句を言おうとしたクリュウだったが、彼女の氷のように冷たい眼光と背筋が凍るような殺気に口が動かなくなる。

 シアはクリュウに恐ろしい殺気を放った後、アリアの後を追って行った。その後を姉のレナが続く。だがその途中で突然くるりと振り返ると、蹲りながら彼女に視線を向けていたクリュウに向かって、レナは全く感情の込められていない笑顔のまま親指を立てた手を首の前で横に動かすというジェスチャーをした――俗に言う《首を切る》《死ね》などの意味を持つ恐ろしいジェスチャーだ。

 クリュウに見事なとどめを刺したレナはシアとアリアを追って生徒会館から出て行った。

 何とか立ち上がったものの見事に放置されたクリュウはこの状況が理解できずに困惑する。すると、そんな彼の膝に再び激痛が走った。またしても蹲って激痛に耐えるクリュウが顔を上げると、そこには仁王立ちしたシャルルが立っていた。

「しゃ、シャルル……ッ! お前まで人体の急所を見事に貫きやがって……ッ」

「兄者のバァカッ! 人でなしッ! 女たらしッ! バァカバァカッ!」

 クリュウに反撃の隙を与えずに散々に怒鳴り散らし、シャルルもまたアリア達が消えたドアに向かって走って行ってしまった。

 二度に渡る膝がダメージを回復する暇を与えない見事な波状攻撃を受け、しかも自覚がない為に理不尽に感じる精神的ダメージも加わってある意味満身創痍なクリュウ。しかし周りからの視線にさらに殺気が加わった事によって、クリュウは嫌な汗を流す。忘れがちだが、シャルルは男女問わずとても社交的に交流するタイプの為、ものすごく友達の数が多いのだ。今新たに加わった殺気は、彼女の友人勢力だろう。

 ある意味クリュウがそれらの視線に対して限界に達しようとした時、突如として会場内の照明が落ち、辺りは真っ暗な暗闇に包まれた。突然の事に生徒達がざわざわとしていると、すぐに明かりが戻る。ただし今まで会場を照らしていた各所にあった灯火ではなく、生徒会館の天井にある窓から注がれる月の光だ。今まではどうやら黒い布で覆われて隠されていたらしい。

 月の光は一直線先を神々しく照らす。そこは生徒会館のステージであり、先程まで有志や生徒会役員によって演奏が行われていた場所。そして、その月の光に神々しく、そして美しく照らされる姫がいた――生徒会長、クリスティナ・エセックスその人だ。

「――これより、本日のメインイベントであるダンスパーティーの開会をここに宣言する。皆、男女問わず友好の輪を広げ、明日の友との信頼を築けるよう祈っている。雛鳥(ひなどり)も、いずれは天空を翔ける荒鷲となる。未来という名の空を制する若き荒鷲達に栄光あれ」

 ハンター訓練生と熟練ハンターを鷲に例えるのは彼女の口癖の一つだ。そしてその口癖を見事に締めくくりの言葉とし、彼女のダンスパーティー開会宣言は終了した。

 再び一瞬の暗闇の後、各所に灯火が灯って会場内を明るく照らし上げる。その時にはすでにクリスティナの姿はステージにはなく、代わりに先程までBGMを流していた生徒会役員(総務部)による演奏隊が配置を完了していた。

 指揮者が指揮棒を振り、演奏が開始された。先程までの静かなメロディーとは違って、どこか高揚感を感じさせるテンポの高い曲。それに合わせてあちこちで生徒達によるダンスが開始された。

「それじゃ、俺達も踊って来ます」

「じゃあね」

 そう言ってシルトとフェニスは二人一緒になってクリュウ達から離れた。そしてそのままシルトが差し出した手をフェニスがそっと取り、二人は他の生徒達のようにダンスを始める。周りからは嫉妬や羨望の眼差しが集中砲火されるが、二人の息はピッタリだ。

「ケッ、見せ付けやがってあのバカップルが」

「あ、あの先輩ッ!」

 優雅に踊る二人をどこか寂しげに見詰めるシグマに、緊張した面持ちのエルが声を掛けた。シグマは「何だ?」とめんどくさそうに振り返る。彼女の視線と合うと、エルはボンッと顔を真っ赤に染める。

「お、おいおい大丈夫か? 熱でもあんじゃねぇのか?」

「だ、大丈夫ですッ! そ、それよりも先輩ッ!」

「だから何だよ」

「そ、その……」

 まるで火山の溶岩に照らされているかのように真っ赤になった顔をうつむかせて何かをゴニョゴニョとつぶやくエル。そんな彼のハッキリとしない態度にイラつくシグマは容赦なく喝を入れる。

「男なら言いたい事はハッキリと言いやがれッ!」

「は、はいッ!」

 シグマに怒鳴られてビクッを体を大きく震わせた後、エルは意を決したように相変わらず真っ赤だが真剣な表情になって顔を上げる。いつになく真剣な彼の瞳に、自然とシグマの顔も引き締まる。

「せ、先輩ッ! どうか、僕と踊ってくださいッ!」

「……はぁ?」

 彼の真剣な瞳に「せ、先輩ッ! どうか、僕と決闘してくださいッ!」という状況を想定していたシグマであったが、エルから放たれたのは彼女の予想のはるか斜め上を見事に通り過ぎるような言葉であった。

「お、踊るだと? 俺と、お前がか?」

「はいッ!」

 戸惑うシグマに対し、エルはキラキラとした瞳で彼女を見詰める。その瞳には不安の色はあれど大きな期待に満ちていた。純粋過ぎる彼のきれいな瞳に、シグマが半歩下がる。

「わ、悪い冗談は寄せ。一体何の罰ゲームだっての。この俺がダンスをする姿なんて想像するだけで吐き気がするぜ」

「そんな事ありませんッ! きっととても可憐でかわいらしいですよッ!」

「ば、バカ……ッ! 変な事言うんじゃねぇよッ!」

 こういう人格柄、シグマはどうしても女子にモテる。その女子達からは《かっこいい》とか《凛々しい》、良くても《美しい》と言われる事はあれど、《かわいい》などと言われた経験は一切ない。しかも今回は見た目が女の子であっても一応は男の子。二重の意味でいつもはこの程度の事はクールに流すシグマがうろたえる。

「だ、だいたい何で俺がお前なんかと踊らなきゃいけないんだよ」

 そのキラキラした瞳を直視できずに目を逸らすシグマの照れ隠しに放たれた言葉。だがそれは純粋な心を持つエルには言葉通りの意味となって直撃する。

「そ、そんなぁ……。やっぱり僕じゃ先輩に釣り合わないでしゅか……?」

 涙が混じって語尾がハッキリしないエルの言葉に対しても、シグマは一貫して視線を逸らし続ける。だが、エルのうるうるとした、まるで小動物のような瞳が容赦なくシグマに降り注ぎ続ける。

「……うぅ。わ、わかったよぉ。踊ればいいんだろ、踊れば……」

「ほ、本当ですかッ!?わぁいッ!」

 大喜びするエルに対し、シグマは頬を赤らめながら疲れたように大きなため息を吐く。ハンター訓練生として実技では百戦錬磨を誇るシグマであったが、こういう事においては全く免疫がないので非常に脆い。

「じゃあ行きましょう先輩ッ!」

「お、おい引っ張んじゃねぇッ! それと言っておくけど俺はダンスなんて踊れねぇぞッ!」

「大丈夫ですッ! 今回は僕がしっかりとエスコートしますから!」

 満面の笑みを浮かべながらシグマの手を取って走るエルと、そんな彼に手を引かれながら渋々といった具合に、でもどこか楽しそうな表情を浮かべるシグマ。どこからどう見ても仲のいい姉妹にしか見えない。場合によっては兄妹にも見えなくもない異色の組み合わせの二人が、ダンスをする生徒達の群れに消えて行った。

 あっという間に先程までいた多くの人物が消え、ディアもまたいつの間にか消えており、残されたのはクリュウとクード、ルフィールのみ。

「それではクリュウ。私と一曲踊りますか?」

「……あのさ、本当に今度こそ誤解じゃ済まなくなるよ」

「冗談ですよ」

「君の冗談は冗談に聞こえないんだよ……」

 クリュウが苦笑しながら言うと、クードは「そうですか?」といつものようにニコニコと笑いながらとぼける。本当に腹の底がわからない男だ。

「では、私はこれで。先約がありますので」

 そう言ってクードは歩き出す。クリュウの横を通り抜け、彼の背後にいたルフィールの横をも通り抜ける。だが、その一瞬、

「――がんばってください」

 ハッとなってルフィールが振り返ると、クードは背を向けながらヒラヒラと手を振っていた。その後姿に、初めて彼の本当の優しさを見た気がした。

 いつもは何を考えているかわからず、明らかに人をおちょくり倒しているようなイメージしかない厄介な先輩のクード。だが本当は、誰よりも自分を応援してくれていたのかもしれない。今思えば、彼は様々な部分で自分の心を見透かしたような言動や、ちょっとした配慮もしてくれていたような気がする。

 じわりと、胸に熱いものがこみ上げてきた。

「ランカスター先輩……」

「――忠告を一つさせてもらいます。色気づくのはいいですが、今更胸にパットを入れたって無駄ですよ」

 少し距離が離れているからこそのちょっと大きめな声で堂々と乙女の秘密を暴露するクード。周りの視線が一斉に自分のちょっとだけ偽装した胸に集中し、ルフィールは顔を真っ赤にして慌てて胸を両腕で隠し、それらの視線にイビルアイで睨み返す。

 キッと最後に殺気が込めた視線をクードに向けるが、彼はニコニコとこちらを見て笑っている――前言撤回。やっぱりあいつは嫌な奴だ。

 容赦なく鋭いイビルアイで睨みつけていると、クードの周りに多くの女生徒が集まってきた。距離が多少ながらある上にBGMや人々の声に掻き消されてよく聞こえないが、断片的に「踊ってください」とか聞こえるので、きっと皆クードを踊りに誘っているのだろう。ムカつく奴だが、顔だけはいいから女子には相変わらずモテる。まぁ、自分は死んでもクードになんかは靡かないが。

 クードを踊りに誘う女子達を見て、ルフィールはハッと自分の当初の目的を思い出した。慌てて振り返ると、クリュウが一人だけ。彼がいなくならなくてほっとしたと同時に、いつの間にか自分と彼の二人っきりになっている事に気づく。これはまたとないチャンスだ。

「あ、あの先輩……」

「じゃあルフィールはパーティーを楽しんでてよ。僕はそろそろ部屋に――えっと、ルフィール? なぜそんな泣きそうな目で僕のスーツの裾に必死にしがみ付いてるの?」

「バカですかッ!? あなたはバカなのですかッ!? いいえ、バカなのですねッ!? 確定事項としてバカなのですねッ!? 完全無欠にバカなのですねッ!?」

「……今までの人生で五回も連続でバカなんて言われるのは初めてだよ」

「本当ならあと七回は言いたいくらいですが」

「か、勘弁してよ……」

「そんな事より、何をさりげなく帰ろうとしているのですかあなたは」

 ルフィールはそう言って不機嫌そうにイビルアイでクリュウを見詰める。そんな彼女の視線に対し、クリュウは「いや、もうダンスしかないなら帰っても大丈夫かなと」とちょっと自信なさげに返す。すると、案の定ルフィールは怒る。

「今宵のパーティーのメインはダンスですよッ!? なのに、そのダンスをせずに帰るだなんて信じられませんッ!」

「そ、そうかな?」

「世間知らずというか、非常識です」

「……君の一切の隙を与えない波状罵倒攻撃の方がずっと非人道的だと思うけど」

 ズタボロに言われて少なからずダメージを受けているクリュウだったが、先程のシャルルと同様にやけにダンスにこだわるルフィールの態度が気になる。

「ルフィールって踊るのが好きなの?」

「人並みです。好きでも嫌いでもないというレベルです」

「じゃあまた何でそんなに張り切ってるのさ」

「そ、それは……」

 クリュウの問いに対し、ルフィールは頬を赤らめて視線を逸らした。時折クリュウの方を見ては目が合うと視線を逸らすという動作を繰り返す。そんな彼女の態度が気になりつつも、クリュウは言葉を続ける。

「僕だって好きでも嫌いでもないけどさ、恥ずかしいじゃん。それにダンス自体だって人並みにしか踊れないんだから、わざわざする事もないし」

「先輩はどうして積極的にならないんですか」

「いや、積極的になる理由がないし。それにルフィールだって踊りたいならさっさと踊ってくればいいじゃん」

「――先程のヴィクトリア先輩の言葉を借りますが、ダンスは二人セットになって行うものです。ボク一人では踊れません」

「もちろん踊る相手もいるんでしょ?」

「先輩はボクの友好範囲の狭さを見くびっていませんか?」

「……って事は、もしかして……」

「そのもしかしてです」

 だいたい予想はしていたとはいえ、こう見事に予想を断定されると苦笑が浮かんでしまう。本当は断ってもいいのだが、どうしても彼女に対しては強く言えない。いつもと変わらない無表情。だが、その瞳は間違いなく期待と嬉しさが混じっている。こんな純粋な瞳で訴えられれば、どんな無茶難題を言われてもがんばってしまう。そんな気がする。

 クリュウが諦めたと確信すると、ルフィールはそっと彼に向かって手を差し伸べ、弱ったモンスターに向かって竜撃砲を撃ち込むかのごとくとどめの一撃をぶっ放した。

 

「――先輩、ボクと一曲踊ってください」

 

 ルフィールの言葉に対し、クリュウは恭しくその場で一礼する。

 

「喜んで」

 

 ――クリュウもまたその場で一礼し、そっと彼女の手を取った。

 顔を上げたルフィールの顔にはこれまでで最高に幸せそうな笑みがあり、クリュウもまた慈愛に満ち溢れた満面の笑みを浮かべている。

 手を取り合った二人はそのまま、曲に合わせて、弾むように踊り出した……

 

 ダンスパーティーはずいぶんと盛り上がっているようだ。

 会場の隅に立って生徒達のダンスを見守るフリード。教官王と呼ばれ生徒達からは信頼と恐怖という相反する印象を持つ彼だが、今日はいつもとは違うどこか優しげな、まるで子供の成長を見守る父親のような瞳をしていた。

 見知った顔がいくつも楽しそうに踊っている姿を見ると、それだけでも楽しくなる。ふと視界にシャニィとクロードのペアが入った。明らかにシャニィが主導権を握っており、豪快でパワー溢れる彼女のダンスにすっかりクロードが振り回されている。それはダンスというのはあまりにも華麗さに欠ける踊り。だが、二人の周りでは笑いが絶えない。

「なかなかいいコンビだな」

 そう言った刹那、クロードを振り回していたシャニィの手と彼の手が離れた――一瞬で群衆の中にクロードが消えると、直後に何かが壊れる盛大な音が聞こえた。

「ハハハハハッ! まるでコントだな!」

 おかしそうにフリードは豪快に笑う――その時、背後から誰かが近寄る気配がした。振り向くと、そこにはクリスティナが立っていた。純白のドレスを身に纏う彼女の姿は、どこかのお姫様に見える。

「クリスティナか。どうした? お前は踊らないのか?」

「先生こそ、踊られないのですか?」

「ガハハハッ! 俺がダンスをするような男に見えるか?」

「見えませんね」

「お前は踊れるだろ? 誰か誘って踊って来い。お前なら誰を誘っても了承してくれるぞ」

「……そうですか。では――」

 何かを一瞬だけ逡巡した後、クリスティナはスカートの裾を摘んでその場で恭しく一礼した。その様は気品があり、華麗で上品。本当にどこかの姫と言われても納得してしまう。そんな美しさがあった。

「クリスティナ?」

 

「――フリード先生。私と一曲踊ってくださいませ」

 

「はぁ? お、俺がか?」

「えぇ」

 フリードは目を白黒させる。全く予想をしていなかった、あまりにも突然の事に驚いているのだ。そんな彼を、クリスティナはじっと見詰める。

 フリードはそんな彼女の視線に対して困ったように苦笑する。

「おいおい、俺はダンスなぞ踊れんぞ」

「構いません。私の動きに合わせていただければ、十分ダンスになります」

「そこまでして俺を選ばなくてもいいだろ。さっきも言ったが、お前なら求めればいくらでも男なんて――」

「――ダンスを申し込む相手は誰でもいいという訳ではありません。特別でないと、ならないんです」

「特別だと?」

「えぇ」

 クールな表情で返すクリスティナに対し、フリードは首を傾げた。確かに自分は彼女の担任を数度やっているし、その後も授業によっては担当教官になった事もあった。試験勉強の為に補講をしてやった事もあったが、どれも他の生徒にもやっている事で、自分が彼女に特別視される理由など思いつかなかった――だが、世の中にはそういう行為そのものが、特別になってしまう場合があるのだ。

「何で俺がお前の特別なんだ?」

 フリードの何気ない問い。しかしそれはクリスティナは十分に予想していた言葉だった。

 ずっと、一緒にいたのだから。彼の性格など手に取るようにわかる。

 

 学年首席。皆、その肩書きに自分とあまり深く接しようとはしなかった。ただでさえ自分はきれいだから目立つのに。自分で自分の事をきれいと言うのはいささか抵抗はあるが、客観的に見ても自分の容姿は美しい部類に入る。それもかなり上位の。

 その為、周りからいつも自分は孤立していた。それに、学年首席という肩書き自体もまた、自分へのどうしようもないくらいに強いプレッシャーだった。いつも1位でないといけない。皆の期待を裏切ってはいけない。そんな重圧が、まだまだ幼かった心に重くのしかかっていた。

 何もかも捨てて逃げ出したい。そんな衝動に駆られた時、声を掛けてくれたのが彼だった。

「困った事があったら俺に何でも相談しろ。俺はお前達生徒の味方だ」

 初めての二者面談。初めての担任であったフリードの言葉が、全ての救いの言葉だった。自分は言うとおり、彼に何でも相談し、自分が進むべき道を教えてもらった。友達の事、成績の事、勉強の事、私生活の事。まだまだ知らない事が多い1年生な為、担任のフリードに多くの事を相談し、多くの事を教えてもらった。

 彼に教わった通りにし、次第にクラスにも馴染めるようになった。それまで重圧でしかなかったプレッシャーも、いつの間にか自らを鍛える為の試練と変わっていた。何もかもが、一変したのだ。

 フリードには感謝してもし切れない。恩師を問われれば、彼の名前を真っ先に答えるほど、自分にとってフリードはとても大きな存在となった――やがてそれは、少女から大人の女性へと成長していく中で、別の想いへと変わっていった。

 生徒会や生徒会長に立候補したのも、少しでもフリードの役に立てればと思っての事。今までの自分は、《氷の女神》と呼ばれて来た自分の姿は、そんな彼に対する想いの表れであった。

 そして今、自分は絶好のチャンスにいる。氷の女神とも称される自分は、こんな一世一代の勝負の時だというのにも冷静でいた。かわいげがないと言われればそうかもしれないが、これが自分のチャームポイントなのだと開き直ろう。

 一度だけ大きく深呼吸し、呆然としている彼の顔を見上げる。そのちょっと間抜けな感じの顔にちょっと笑ってしまったが、それが絶妙な具合に女の子らしい笑みになる。無愛想なよりかは、こっちの方が断然いいだろう。

 全ての準備は整った。この今ままでに費やしてきた日々、そして様々な反対を押し切り、ねじ伏せて実現させたこのパーティー。その全てが、今日この瞬間の為にだけ使われて来た礎(いしずえ)だ。

 美しき碧眼に彼の姿を捉え、クリスティナは小さく息を吸って、

 

「――フリード先生……私、あなたの事が好きです」

 

 自らの想いを言った。

 

「……な、何だと?」

 突然のクリスティナの告白に、フリードは困惑していた。同時に、顔面が熱くなるのも感じる。

 教え子から告白されるという展開、よく訳のわからん恋愛小説を読むシャニィがそんな展開を言っていたような気がするが、そんな事自分には関係のない事だと思っていたし、起きる訳もないとも考えていた。だが実際は、今目の前で起きてしまっている。それも、相手はこの学園一の美少女だ。

 狩りでは百戦錬磨のフリード・ビスマルクも、こうなってしまっては形無しだ。「あ、いや……」とか「う、うむぅ……」など返事にもなっていない言葉を搾り出すだけで精一杯だ――だが、そんな彼の反応もクリスティナはもちろん予想済みだ。

「今はまだ返事は結構です。ただ、私の気持ちだけは伝えておきたかったので」

「クリスティナ……」

「クリスと呼んでくださいって、何度も言いました」

「あ、あぁ。そうだったな――クリス」

 困惑しながらも彼女の言うとおりに彼女を呼ぶと、クリスティナはこくりとうなずいた。

「――さぁ先生、夜はまだ長いですよ。一曲、私と踊ってくださいませ」

 そう言ってクリスティナは笑った。それは年相応の少女の、幸せに満ちた最高の笑顔だ。

 クリスティナはフリードの手を取ると、驚く彼の巨大な体をグイグイ引っ張って踊る者達の中心へ向かう。教官王と氷の女神という校内にいる者なら知らぬ者はいないという程の有名人二人の組み合わせに、周りの視線が集中する。

 そして、フリードが何か言い出す前に、クリスティナは曲に合わせて一歩を踏み出した。自分の何倍も大きなフリードをしっかりとリードし、クリスティナは踊り出す。

 その日、ダンスパーティーに一人の恋する美しき姫が舞い踊った。その踊る姿は、幸せに満ちた恋する乙女の姿そのものであった……


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