人通りのない通路を無言で進む少女。クリュウは何となくそんな彼女が気になって後を追い掛けた。そして、他に人の姿が見えなくなった頃、少女は突然振り向いた。左右色の違う瞳が、しっかりとクリュウを捉える。
「助けていただいた事には感謝します。しかし、なぜボクを追い掛けて来るのですか?」
少女の問い掛けに、クリュウは「え? あ、いや別に特に理由はないんだけど……」と口ごもる。何となく気になったからついて来たなんて、理由にならない。
傍から見れば怪しい態度のクリュウを、少女は警戒心全開の鋭い眼光で睨みつける。
「あ、うん。別に何でもないんだ。じゃ、じゃあね」
「――校内順位第10位。クリュウ・ルナリーフ第6学年生」
「え?」
踵を返して去ろうとしたクリュウに向かって、少女はそう言った。振り返ると、少女はクイッとメガネのブリッジを上げ、左右色の違う瞳でクリュウを見た。
「ど、どうして僕の名前を」
「上位成績優秀者の顔と名前くらい、簡単に覚えられます」
少女はさも当然と言いたげな表情でクリュウを見る。一方のクリュウはそんな彼女の記憶力に素直に驚いていた。
「すごいね。僕はそんなの全然覚えてないよ」
「なら、ボクの事も知らないでしょうね。いいでしょう。ボクはルフィール・ケーニッヒ第4学年生。一応今期の校内順位は首席です」
少女――ルフィールは淡々と自分の名を名乗った。首席という所を自慢するでもなく、まるで名を名乗るように何らその言葉には名乗る以上の意味が感じられない。普通、校内首席を取れば自慢したくなるものなのに、彼女はそれをしなかった。
「それで、ボクに一体何の用なのですか?」
ルフィールはさっさとこの場を立ち去りたいと言いたげな顔でクリュウに問い掛けた。そんな彼女の視線に対し、クリュウは苦笑いを浮かべる。
「う、ううん。何でもないんだ。何でも。じゃ、じゃあねケーニッヒ」
クリュウは再び背を向けて歩き出した。そういえば、なぜ彼女を追い掛けてしまったのか。今思えば不思議でならないが、何となく彼女のあの瞳が、普通と違う色とかではなく、何となく昔の友人に似ていた気がしたのだ。無口で無表情の、いつも自分の背後にくっ付いていた、今はどこにいるかわからない少女の姿に。
「――結局、あなたもボクの瞳が気になっただけなのですね」
そんな事を考えていた時、突然背中に向かってそんな言葉が投げ掛けられた。振り返ると、少女はメガネのブリッジを上げながらこちらを睨みつけていた。氷のように冷たく、刃物のように鋭い眼光が、クリュウを射抜いていた。
「そんなに珍しいですか、このイビルアイが」
「いや、まぁ珍しいと言えば珍しいけど」
「災厄を招く邪眼。そりゃ珍しいでしょう。特にこの学校には各地からハンターを目指す者達が集まる。イビルアイなんて、その中では浮いて当然の存在。いえ、むしろあのように嫌われ、迫害されるものです」
少女の吐き捨てるように言うその言葉の数々に、クリュウは顔を曇らせた。彼女の言葉の端々に言いようのない悲しみを感じたからだ。何というか、その言葉の全てが、現実を持っているような気がする。
きっと、それは今まで彼女自身が周りから言われて来た事なのだろう。その珍しい上に、伝説上の悪魔と同じ目をしたイビルアイと呼ばれる左右色の違う瞳。周りからは好奇な目で見られるだけでなく、さっきのように絡まれる事もあっただろう。
なぜ彼女が男達に絡まれても無駄な抵抗をしなかったのか。それが、今何となくわかった気がした。
――諦めているのだ。どんなに抵抗しても、その人と違う瞳がある限り、これから先もずっとそんな事が続くのだと。抵抗するだけ無駄だし、抵抗すればもっとひどい目に遭う。そんな悲しい経験が、彼女にはあるのだ。
「あなたも、同じなのでしょう?」
そう言って、ルフィールはクリュウを見た。左右色の違う瞳が、どこか悲しげな色に染まってクリュウの姿を捉える。
その暗い瞳に対して、クリュウは首を横に振った。
「そんな事ないよ。僕は君がイビルアイだとしても、それを理由に嫌ったりなんかしない」
クリュウの言葉に、ルフィールは驚いたようにその色の違う両眼を大きく見開いた。メガネの奥で大きく見開かれた瞳には、自分を真っ直ぐ見詰めるクリュウの姿がしっかりと映っていた。
「何、言ってるんですか?」
「イビルアイだから何だって言うんだよ。たかが瞳の色が違うだけで差別する方がおかしいじゃないか」
「……口では何とでも言えます」
一瞬、クリュウの言葉に動揺したルフィールだったが、すぐに再び冷めたような表情に戻る。むしろ彼が適当な事を言ったと思ったのか、不機嫌そうに彼を睨みつけた。
「ウソなんかじゃないよ。僕は本気でそう思ってる」
「先程も言いました。口では何とでも言えると」
吐き捨てるようにそう言うと、ルフィールは不愉快そうにクイッとメガネのブリッジを上げ、踵を返した。
「ちょ、ちょっとッ!」
慌ててクリュウはルフィールを追い掛ける。するとルフィールは振り返ってついて来たクリュウを至近距離から睨みつけた。イビルアイの鋭い眼光が、クリュウを容赦なく射抜く。
「ついて来ないでください」
「だったら、僕の言葉を信用してよ」
「……なぜそこまでボクに構うのですか? 正直言って迷惑です」
ルフィールは警戒するような目で睨みながら、心底不思議そうに訊いて来た。彼女からすれば、迫害されるはずのイビルアイをなぜここまで構おうとするのか本当に不思議に思えるのだろう。
そんな彼女の問い掛けに対し、クリュウは小さく苦笑しながら頬を掻いた。
「いや、何となく君が僕の子供の頃の知り合いに似てたもんだからさ。気になって」
「……ボクとその方は一切無関係です。例えその方と似ているとしても、ボクはボク。イビルアイのルフィールです。そんな理屈の通らない理由でボクに構われるのは至極迷惑だとボクは思います」
「そ、そんなに迷惑かな?」
「はい。今すぐにでも排除したい衝動に駆られるほど迷惑です」
「ご、ごめん……」
クリュウが申し訳なさそうにペコリと頭を垂れて謝ると、ルフィールはその間にさっさと歩き出してしまった。またも慌ててクリュウが追い掛ける。
「だから、なぜついて来るのですかあなたは。そういうのを世間一般ではストーカーと言うのではないでしょうか? いえ、言うのでしょうね」
不機嫌そうに眉をしかめながらルフィールはクリュウに振り返る。メガネの奥の色違いの瞳は《うざい》《しつこい》《消えろ》の三拍子が揃っているかのごとく鋭い。そんな彼女の視線に対し、クリュウは苦笑いして誤魔化すしかできなかった。
「あ、あのさ。狩猟学の仲間はもう見つかったの?」
ふと話題を変えようとそう問い掛けた瞬間、ルフィールの眼光がさらに強くなった。不機嫌を通り越しての怒り。言葉で言うなら今までは《消えろ》だったのが《殺すぞ》くらいにまでアンチゲージが跳ね上がった状況だ。
「あなた、本当にデリカシーというものがないのでしょうか? いえ、全くもって微塵もないですね」
「み、微塵くらいは……」
「ありません」
キッパリと否定され、苦笑するしかないクリュウ。そんな彼を心底不機嫌そうに睨みながら、ルフィールはギュッと両拳を握り締めると、吐き捨てるように言い放った。
「イビルアイのボクを仲間にしようなどと考える変わり者が、この学校にいると思いますか? 誰もボクと組もうなどという血迷った考えなど起こしません」
「ち、血迷ったって……。そこまで言わなくても……」
苦笑するクリュウであったが、ここでようやく理解できた事が一つあった。
――彼女は、誰とも組んでいない。組んでもらえていないのだ。
イビルアイという左右色の違う特異な瞳を持つせいで、それと同じ瞳を持つ伝説の悪魔が大陸中に伝わっているせいで、彼女は周りから距離を取られ、孤独にいる。そして、今もこうして一人――いや、違う。まだ彼女の周りにいる人が少なくとも一人はいる。それは……
「じゃあさ、僕と組まない?」
「――え?」
クリュウはそう言って小さく微笑んだ。そんな彼のあまりにも突然で突拍子もないその言葉に、ルフィールは今まで以上に瞳を大きく見開いて驚いた。しかしすぐにそれは細く鋭いものに戻る。クイッとメガネのブリッジを上げ、レンズを通しての鋭い眼光でクリュウを睨む。
「血迷ったんですかあなた」
「血迷ったって、ひどい言われようだね」
「じゃあ、頭おかしいんじゃないですかあなた」
「余計ひどいよ……」
苦笑するクリュウに向かってルフィールは迫る。身長差があるので自然とルフィールはクリュウを見上げる形になった。突然近寄って来た自分に驚く彼を、ルフィールは刃物のように鋭い瞳で睨みつける。
「人間は平気でウソをつきます。それは自分に利益及び不利益が生じる場合です。ボクを傷つけるようなウソをついて、あなたにどのような利益もしくは不利益が生じるというのですか?」
「そんなつもりはないよ。傷つけるつもりも、利益とか不利益なんてものも考えていない」
「ウソですね」
「本当だ」
ルフィールはクリュウの言葉が気に入らなかった。勝手に目の前に現れ、勝手に意味もなく自分を助け、挙句の果てにイビルアイの自分に仲間になってくれと言い出す。意味がわからないし、勝手に自分の領域に踏み込んでこられるのは不愉快だった。
「ボクはイビルアイですよ? 人々からは忌み嫌われ、迫害されるべき対象。そんな私と、なぜ仲間を組むというデメリットしか生じない暴挙を考えるのですか?」
ルフィールの問いに、クリュウはしばし沈黙した。一瞬たりとも目を離さない彼女に向かって、しばし考え込んだ末に彼はそっと口を開いた。
「まず、君は校内首席だ。それだけで君が優秀なハンターだって事はわかる。チームに実力のあるハンターを入れるのは当然の事でしょ?」
「確かに、限られた定数の中でチーム全体の能力を上げるには優秀なハンターを入れるというのが一番シンプルで確実な方法と言えましょう。しかし、ここで問題が生じます」
「問題?」
「チームというのは一つの組織、生き物のようなものです。生き物は各器官が正常に働いていないと体調を崩し、病気などになります。それと同じで、チームというものも各員が正常に機能しないと本来の力を発揮しません。チームが正常に発揮するもの、それは信頼だとボクは考えます。多少能力の低いメンバーがいても、その人物に対して他のチームメイトが絶大な信頼を持っているとすれば、チーム全体の士気は向上し、チーム全体の能力は上昇するでしょう。チームや組織というものは決して1+1が2となる訳ではありません。そこには無限の可能性が存在し、答えは3にも5にも。もしくは100というものにもなるでしょう――しかし」
ルフィールは《しかし》で一旦話を区切ると、自虐的な表情を浮かべた。クリュウを見詰めるイビルアイが、悲しみに染まった光を微弱に放った。
「ボクはイビルアイです。この時点でチームという組織において必要な信頼というものは確実に消滅します。なぜか? それはイビルアイが人々から忌み嫌われ、蔑まれ、迫害されるべき対象だからです。例えその理由が非科学的な事であっても、世の中は原因ではなく結果を求めます。なぜイビルアイが忌み嫌われるのかが問題ではなく、イビルアイだから忌み嫌われるというのが当然。つまり、イビルアイのボクがいると、それだけでチーム全体の士気は地に落ちます。いくらボクが優秀なハンターと評価されていても、それはあくまで個人での場合。チームになれば、ボクのイビルアイはデメリットにしかならないでしょう?」
自虐的な笑みを浮かべて、イビルアイを――自分自身の存在意義を否定するルフィール。そんな彼女の姿に、クリュウは胸が苦しむような感覚がした。彼女はずっとこうして周りから蔑まれて来た。そしてそれが当然だと、思い込んでしまっている。それが当然であって、逆らうだけ無駄と。だから、彼女はそれらを受け入れ、自分の存在を否定している。
――自分なんて、生まれて来なければ良かったのに。そんな言葉が、今にも彼女の口から漏れ出しそうで、クリュウは胸が苦しかった。
「あなたが一体何を考えているのか、ボクには全く理解できません。ボクは自分という存在がおかしなものだと思っていますが、あなたはそれ以上におかしい。イビルアイを、なぜ嫌わないのですか?」
心底不思議そうに、本当に真剣に訊いてくるからこそクリュウの心は凍りついた。彼女は、本当に自分を嫌わない存在がこの世にはおらず、むしろ嫌わない方がおかしいと思い込んでいる。
……一体、どれだけの辛い思いをすれば、こんなにも悲しい事を当然と思い込めるのか。
この、どこか冷めたような瞳。やっぱり似ていた。昔、よく村に来ていた商隊の娘で、いつもつまらなそうに人形を抱きかかえていた少女に。
今、彼女がどこで何をしているかはわからない。でも、彼女と最後に別れた時、彼女は笑ってくれた。冷めたような瞳には暖かそうな光が宿っていた。
自分やエレナという友達のおかげで、彼女は変わった。
だったら、きっと今目の前にいる彼女だって、変われるはず。
「――僕は瞳の色が他と違うからって、その人をそんなくだらない理由で差別なんかしない」
ルフィールの瞳は、再び大きく見開かれた。
「くだ、らない……?」
「そう、くだらない事だよ。人を評価するのは外見じゃなくて中身だって、僕は父さんに教わった。君は見た目は他の人と少し違うけど、本当に少しさ。それ以上に、君は校内首席という実力者。中身で判断するなら、君はとても優秀なハンターだ。僕は、そんな君が必要だと思っている」
「ボクが、必要……?」
「ハンターの世界なんて、結局実力社会さ。そこではイビルアイなんて関係ない。実力さえあれば、みんな認めてくれる。そして、君はそれだけの力を持っている」
「……確かに、ハンターという世界をボクが目指したのはイビルアイとは関係なく、実力さえあれば周りに認めてもらえると思ったからです。その為に誰よりも努力し、今までずっと勉強に勉強を重ねて上位をキープし、今回ついに悲願だった校内首席にまで上り詰めました」
――なぜ、自分はこんな事を言っているのか。
これは、今まで誰にも話した事のない自分の夢。実力さえあれば、きっとみんな認めてくれる。そんな淡い期待を抱きながら、ハンターを目指した、誰にも明かした事のない自分だけの秘密。
どうして、こんな大事な事を初対面の彼に話しているのか。不思議で仕方なかったが、なぜか言いたかった。彼は、きっと自分の話をちゃんと聞いてくれる。そんな淡い、本当に淡い期待を抱いている自分がいた。
そして、もしかしたら――
「……でも、現実は違いました」
――きっと、自分は慰めてほしかったのかもしれない。
「実力社会であっても、結局は変わりませんでした。いくら優秀な成績を取っても、周りからは好奇な目で見られ、差別されました。結局、どこにいてもイビルアイのボクには居場所なんてないんです……」
そう、自分には居場所はないのだ。
何でそんな事にも気づかなかったのか。
自分という存在は、誰にも見られる事なく森の中にでも隠れてひっそりと暮らしていれば良かったのだ。
誰でもいい。自分を認めてもらいたい。そんな無駄な期待を抱いてしまったせいで、結局自分は茨(いばら)の道を進んでしまった。そして、その道の先には、結局何もなかったのだ。
誰も自分を認めてくれない。
自分の居場所なんて、もうどこにも……
「――じゃあ、僕が君の居場所になってあげるよ」
それは、自分がずっと追い求めていた言葉だった。
驚いたように彼にを見詰めると、彼は真っ直ぐと自分を見詰めていた。その自分とは違った両方同じ翡翠色の瞳には、本気の光が宿っているように見えた。
「何を、バカな事を……」
「バカじゃない。僕は本気だよ」
真剣にそう言うクリュウ。そんな彼が、ルフィールにとっては不愉快でしかなかった。そして、一瞬でも期待してしまった自分が許せなかった。今まで何度も騙(だま)されて来たのに、何を今さら期待なんて抱くのか。理解できなかったし、そんな甘い考えをする自分が、本当に許せなかった。
今まで、そんな期待のせいで自分は苦しんで来た。あれだけ苦しい思いをしても、まだ自分は根っこの部分ではわかっていないのか。
何より、平然とそんな大ウソを言える彼が本気で憎かった。許せなかった。もうこれ以上、裏切られ、傷つけられるのは絶対に嫌だった。そう思うと、目の前の彼が今まで自分を騙し陥れて来た全てと重なる。抑えていた感情が、爆発しそうになった。
ルフィールは刃物のように鋭い眼光でクリュウを睨みつけると、彼の胸倉を掴んだ。クリュウは一切抵抗はせず、彼女にされるがまま。しかし、ルフィールの方が小柄な体格をしているので、胸倉を掴んだとしてもそのまま掴み上げるなどはできない。
ただ、周りが恐れて忌み嫌うこのイビルアイで、睨みつけてやる事しかできなかった。
「それ以上いい加減な事を言うと、本気で怒りますよ……」
「いい加減な事じゃない。僕は本気だよ」
いつになく真剣な顔でそう言ったクリュウはルフィールの邪眼(イビルアイ)を恐れずに見詰め返す。自分の瞳を見ても何ら恐れも不快感や警戒心も、不愉快さも感じていないように見えるクリュウに、ルフィールはバツの悪そうな表情を浮かべると、胸倉を離した。
「もう、放っといてください……」
「放っとけないんだよ」
「これ以上ボクに踏み込まないでくださいッ!」
悲鳴のように叫ぶルフィールと、クリュウは逃げも隠れもせずに対峙した。そんなクリュウの態度にルフィールは完全に困惑していた。今まで、彼のように自分の瞳に対して好奇な感情を持たず、しつこくお節介をするような人には会った事がなかった。
蔑(さげす)まれ、疎まれ、忌避される事は慣れていた。それが当然の周りの反応だと思っていた――だけど、目の前の彼は違った。
――まるで、自分を一人の人間として扱っているような、そんな不思議な感覚。
「何なんですかあなたは……何でボクの領域に無断で踏み込んで来るんですか? ボクは、これ以上は誰にも近づいてほしくないんです……ッ!」
「どうして?」
「――だって、信じてしまいそうだから……ッ!」
ルフィールは左右色の違う瞳のどちらからも、ボロボロと涙を流していた。
今までずっと抑えてきた感情が爆発し、もう自分では制御できなかった。溢れ出す感情はまるで滝のように勢い良く流れ出し、この初対面でしかないのに自分の中に勝手にズカズカと入って来て、自分に淡い期待を抱かせてしまう少年に向かって容赦なく降り掛かる。
「信じちゃいけないのに……ッ! 信じたら、裏切られた時にすごく辛いってわかってるのに、ボクはまた信じようとしてる……ッ! もうこれ以上傷つきたくないのに……ッ!」
涙と一緒に、自分の本音まで勢い良く噴き出す。こんな事、誰にも言った事はなかった。味方がいないなら、自分が強くなるしかないと、弱い自分をずっと押さえつけてきたはずなのに。なのに、こんな簡単に、弱い部分というのは露呈してしまう。
ただ、もう今はそんな事関係なかった。
――今は、例えひと時でもいいから、彼に甘えたかった。
「ボクは、もう誰も信じないって決めたのに……ッ! あなたのせいで、あなたが優しくするからッ! 信じてしまいそうになる……ッ! 信じちゃダメなのに……信じてしまいそうになる……ッ!」
もはや立っている力もなく、泣き崩れて叫ぶルフィール。クリュウはそんな彼女の横にしゃがみ込むと、わんわんと子供のように泣く彼女の頭をそっと撫でた。手の平をくすぐるように流れる彼女の髪は、何ら他の女の子と変わらなかった。
ルフィールはそんな彼の胸に手を置いて、弱々しくも彼から離れようとした。
「……やめてください……。もう、優しくしないで……ボクの中に入って来ないで……。お願いだから、もうボクに信じさせないで……ッ」
そう言って必死に平静を取り戻そうとするルフィールを、クリュウはそっと抱き締めた。腕の中で、彼女がビクッと震えるのを感じ、そっとその背中を撫でる。
ルフィールは残る力を振り絞って、力の入らない体に無理やり力を送って彼の腕の中から離れようとする。だが、クリュウは決して彼女を離そうとはしなかった。
「……お願い、放してください……ッ。 これ以上されたら、ボクはもう……戻れなくなってしまいます……。あなたの事を、どうしようもなく信じてしまいます……だから、もう……お願い……ッ」
「構わないよ。僕で良ければ力になるからさ。だから――僕を信じて」
――その瞬間、ルフィールの中で何かが小さな音と共に砕け散った。
ルフィールはそっとクリュウに手を伸ばすと、彼にしがみついた。クリュウもまたそんな彼女をそっと抱きとめる。そんな彼の腕の中で、ルフィールは泣き崩れた。
ボロボロと涙を流しながら泣き崩れるルフィールを見て、クリュウはちょっとだけほっとしていた。あんなに冷たい瞳をしていた彼女にも、こんな弱くて崩れやすい一面があったのだ。いや、たぶんこっちが本当の彼女なのだろう。
今まで必死に自分の弱い部分を隠していたのであろうルフィール。しかし今はそんな弱い部分を隠す事なくさらけ出している。それも、初対面同然の自分に対してだ。
こんな自分でも彼女の力になる事ができる。その事実に、クリュウは不謹慎だとは思いながらもちょっと嬉しかった。
しばらくして、ルフィールはようやく泣き止んだ。クリュウから借りたハンカチで涙を拭うルフィールは、不覚にも泣いてしまった事が恥ずかしいのか頬を赤らめてムスッとしたような表情を浮かべている。
「だ、大丈夫?」
「……えぇ。問題ありません」
まだ頬は赤いが、すでに先程までのクールな表情に戻っている。メガネのブリッジをクイッと上げ、メガネの奥のイビルアイでクリュウを見詰める。その瞳は何となく、先程までの冷たさが消えて温かみを持った気がした。
「ボクとしても、狩猟学においてチームを組むのはメリットがあります。しかし、すでにあなたはチームを組んでいるのでしょう? 他の方々はボクを快く迎え入れてくれるでしょうか?」
「それは大丈夫だよ。二人ともいい奴だし、僕は二人を心底信頼してる。きっと、君の事も快く迎え入れてくれるさ」
「あなたが信頼されている方々なら、きっと大丈夫ですね――わかりました。あなたの申し出、快く引き受けさせてもらいます」
そう言って、ルフィールは嬉しそうに無邪気に微笑むと、クリュウの手をギュッと握りしめた。クリュウもそっと握り返し、彼女に向かって嬉しそうに微笑む。
「じゃあ、これからよろしくねケーニッヒ」
「ルフィールと呼んでください。その代わり、ボクもあなたの事はクリュウ先輩と呼ばせてもらいます」
「もちろんいいよ」
「では、こちらこそよろしくお願いします。クリュウ先輩」
そう言って、ルフィールは年相応の少女のように嬉しそうに微笑んだ。
ハンカチを返してもらい、立ち上がろうとするクリュウ。すると、そんな彼の服の裾をルフィールはその細く白い手でギュッと摘まんだ。振り返ると、ルフィールが頬を赤らめながら上目遣いで自分を見詰めていた。
「……もう、離しませんからね」
「う、うん」
「……後悔しても、もう遅いんですからね」
「後悔なんてしてないよ」
「……ずっと、ずっと一緒ですからね」
「うん。ずっと一緒だよ」
クリュウの返答に満足したのか、ルフィールは嬉しそうに微笑みながら立ち上がった。クリュウも続けて立ち上がると、彼女と並ぶ。ルフィールは立ち上がったクリュウの手を握り締めると、彼を見詰める。
「……ボク、意外と執着心強いですからね。覚悟しててくださいよ」
そう言ってルフィールは頬を赤らめながらイタズラっぽく微笑むと、彼の手を引いて歩き出した。クリュウはそんな彼女の笑顔を見て小さく笑みを浮かべると、彼女に引っ張られるままに歩き出した。
クリュウは早速クードとシャルルを呼び寄せ、新しく仲間に加わったルフィールを紹介した。
「この子が新しく仲間になってくれたルフィール・ケーニッヒ第4学年生だよ。彼女は校内首席だからね、チームメイトとしてこれだけ頼りになる子はなかなかいないよ」
クリュウの横で紹介されて恭しく頭を垂れたルフィール。上げられた顔には先程までの少女らしい表情は消え、初めて会った時のように感情の込もっていないような無表情と冷めたイビルアイで二人を見詰める。
一方、新しい仲間ができた事は嬉しいのだが、その相手が噂のイビルアイの首席の子という事に心底驚いている二人。そんな二人の反応に、ルフィールの瞳に陰りが生まれる。
「え? あ、ダメ?」
二人の予想外の反応に戸惑うクリュウ。まさか、ここまで来て振り出しに戻るなんてオチはないとは思いつつも、二人の反応を見る限りそれも視野に入れないといけないかもしれない。
そんな事を考えながら困惑するクリュウの服の裾を、ルフィールがそっと引っ張った。振り向くと、ルフィールはこちらを鋭い眼光で睨んでいた。きっと「話が違うじゃないですか」と言いたいのだろう。
「あ、いや、その……」
色々な意味でクリュウが板ばさみ状態でいると、突然クードが笑い出した。驚く三人の視線に「あぁ、すみません」と謝りながら、クードはくすくすと口に手を当てておかしそうに笑う。
「ど、どうしたのさクード」
「いえ、クリュウはおもしろい人だとは思っていましたが、やはりというか期待を裏切らない方ですね。これはおもしろくなってきました」
「お、おもしろくって……」
「私としては何の問題もありません。むしろおもしろくていいじゃないですか」
「だから、そのおもしろくって何さ」
クリュウはため息しながらも内心ほっとしていた。クードはいい奴なのだが、おもしろい事に目がない。普段はとても頼りになるが、おもしろい事があるとそっちに傾いてしまう傾向があるので、その場合は必ずしも味方とは限らないのだが、今回はどうやら味方してくれたらしい。
クードは了承してくれたので、残るはルフィールの一つ上級生であるシャルルのみだ。そう思って彼女の方を見ると、そこに彼女の姿はなかった。
「あ、あれ?」
すると、背後で何か言い合う声が聞こえた。振り返ると、そこにはルフィールとシャルルがお互いに鋭い眼光で睨み合っていた。
その光景にクリュウは驚いた。ルフィールの事はまだまだ知らない事は多いが、シャルルに関しては彼女がどんな子くらいは知っている。人を外見で判断するような子じゃないと思っていたが、やっぱりイビルアイとなると話が変わるのだろうか。
このままだとケンカに発展しかねないと思い、クリュウは慌てて仲裁に入る。
「ちょ、ちょっと二人とも何して――」
「お前、兄者とどういう関係っすかッ!」
「そうですね。相棒といった所でしょうか?」
「兄者の相棒はシャルっすよッ!」
「シャルル・ルクレール第5学年生。ハンマー使いのハンターですよね?」
「そ、それがどうしたっすか」
「力任せで繊細さに欠けた攻撃。確かに攻撃こそは大雑把ですが意外と動きはいいようですね。しかしお頭(つむ)の方は少し残念な方と聞いていますが?」
「な、何をぉッ! それだったらお前なんて勉強ばっかりで実技の方じゃ凡な奴じゃないっすかッ!」
「その分知識はあります。ボクは弓使いです。状況を的確に判断して、先輩を援護する事ができます。あなたのようにただハンマーを振り回すだけの方が先輩の仲間というだけで驚きです」
「ウニャアアアァァァッ!」
怒りの唸り声を上げてルフィールを睨むシャルルと、自信満々なクールな笑みを浮かべて対峙するルフィール。どうやらイビルアイとかそういう問題ではなく、対極に位置する二人は根本的に馬が合わないらしい。
「こ、これは予想外だったな……」
「いえいえ。おもしろくなって来たじゃありませんか」
「そういう問題じゃないよッ!」
どうやら今回は味方になってくれそうもないクードに頭を抱えながら、クリュウは仕方なく単独で二人の仲裁に入った。
「ほら、これからはチームメイト同士なんだから。仲良くしてよ」
「兄者ッ! よりにもよって何でこいつなんすかッ!」
「先輩。あなたの人事能力はこの程度なんですか?」
「いや、そんな事言われても……」
「兄者の悪口を言うなッ!」
「今のはあなたに対して言ったのですよ。間接的にですけど」
再び睨み合う両者に、クリュウは疲れたようにため息した。早くも前途多難な気がしてきた。
そんな彼の背後で、クードは楽しそうに笑みを浮かべていた。
その日、教官室に一枚のチーム申請書が提出された。
教官から許可の印とチーム番号が割り当てられ、その申請書は正式に受理された。
第77小隊
隊長(リーダー):クリュウ・ルナリーフ第6学年生(15)《片手剣》
隊員(メンバー)
1:クード・ランカスター第6学年生(17)《ヘビィボウガン》
2:シャルル・ルクレール第5学年生(14)《ハンマー》
3:ルフィール・ケーニッヒ第4学年生(13)《弓》