モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第86話 クリュウの傷跡 彼の過去の物語

 テティル沼地は今日も厚い雲が垂れ込めていて太陽の光が届かず薄暗い。湿気を含んだ微風が岩壁や山に沿って流れ、無風地帯では霧が立ち込めている。

 そんなテティル沼地にやって来たのはクリュウ、フィーリア、サクラ、シルフィードの四人。最近はソロもしくはコンビで依頼を受けていたクリュウ達にしては珍しく四人編成だった。

 と言っても、別に飛竜退治に来た訳ではない。四人はこのテティル沼地の洞窟で採れる白水晶の原石の採取依頼でやって来たのだ。白水晶の原石は貴重な素材で高値で取引されるも、特定の条件が揃った場所でしか採取できない。その特定の条件が、この狩場の洞窟に揃っているのだ。

 白水晶の原石はある程度の大きさがないと価値を失ってしまう。大きさとしては両腕に抱きかかえる程度の大きさがないとならない為、採取すると戦闘が不可能となってしまう。さらに白水晶の原石はとても壊れやすいので、地面に置くだけでも砕けてしまう可能性があるので置いて戦闘する事もできない。

 故に、こういうような運搬依頼の際はチームで動くのが最も良い。今回の依頼での目標数は二個だったので、運搬は男であるクリュウと力のあるシルフィード、護衛には索敵能力に優れている上に遠距離攻撃が可能なフィーリアと機動力に優れたサクラが担当する事になった。

 そして現在一行は白水晶の原石の採取を終えて、今まさに白水晶の原石の運搬及び護衛中であった。

 ちょっとした衝撃でも壊れてしまうので、慎重に歩くクリュウとシルフィード。その二人を前後で護衛するフィーリアとサクラ。護衛の二人もまた慎重に辺りを索敵して敵襲に備えているが、一行が抜けているのは霧の中。これではフィーリア自慢の視力も使えないので、二人は気配を重要視して索敵している。だが、万全ではない。これまでにもゲネポスに突然襲われて原石を落としそうになった事もある。慎重に慎重を重ねた索敵が要求されるのだ。

「うぅ、ちょっと辛いなこれ」

 そう言ってクリュウは顔をしかめた。抱きかかえた原石を落とさないようにする為に腰を少し落として歩いているので、腰への負担が大きいのだ。

「大丈夫ですかクリュウ様?」

 辺りを慎重に見回しながら二人を護衛しているフィーリアが心配そうに疲れ気味なクリュウ尋ねた。そんな彼女にクリュウはちょっと無理して小さく微笑を浮かべる。

「だ、大丈夫だよ」

 そんな苦し紛れの笑みに騙されるほど、彼を取り巻く姫達は鈍くはない。すぐに三人は顔を見合わせると、クリュウを気遣うように声を掻けて来る。

「……クリュウ、がんばって」

「拠点(ベースキャンプ)までもう少しだ」

「クリュウ様、がんばってください」

「いや、だから大丈夫だってば……」

 苦笑しつつも、そんなみんなの笑顔と気遣いに内心ちょっと喜ぶクリュウ。だが、隣を歩くシルフィードを見て小さくため息した。

 シルフィードは自分のよりも大きな原石を抱きかかえているのに涼しい表情を浮かべている。基礎体力に違いがあるので仕方ないといえば仕方ないのだが、女の子に体力で負けるというのは男としては情けない。

「ほんと、情けないなぁ……」

「え? 何か言いましたか?」

「いや、何でもないよ」

 苦笑して誤魔化すクリュウをフィーリアは不思議そうに見詰めていたが、すぐに周囲の警戒に戻る。サクラは一度だけクリュウに振り向いたが、またすぐに辺りの警戒を再開する。

 そんな感じで四人は一路|拠点(ベースキャンプ)を目指して歩みを進めていた。それは何の変哲もないいつもと変わらない行動。誰もが警戒の中にももうすぐ帰れるという安堵感が隠れていた。

 ――その時、場の空気が変わった。

「散開ッ!」

 その流れを逸早く感じ取ったシルフィードはそう怒号を上げるとすばやく横へ飛んだ。サクラとフィーリアもすぐさま回避行動に入ったが、クリュウだけが一瞬対応に遅れた。

 振り返った瞬間、霧の向こうから巨大な陰が自分に向かって突撃して来た。とっさに横へ体を投げ出すが、完全に回避はできずにその陰に背中が激突。クリュウは悲鳴も上げられずに軽がると吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされたクリュウは地面に強く叩き付けられてその場に転がった。直後、彼が持っていた白水晶の原石が地面に激しく打ち付けられて粉々に砕けてしまった。

「クリュウ様ッ!」

 倒れたクリュウに駆け寄るフィーリアを一瞥し、サクラは隻眼を窄(すぼ)めると背中の鞘から鬼神斬破刀を引き抜いた。その鋭い視線の先にいるクリュウを轢(ひ)いた巨影はゆっくりと振り返った。

 巨大な鋭い二本の牙、茶色の分厚い毛皮に覆われた巨体、純白のたてがみ。鋭い眼光は自分のテリトリーを侵した不埒(ふらち)な目の前の敵を吹っ飛ばす事だけに光る。それは巨大なイノシシ。ブルファンゴの親玉――ドスファンゴであった。

「ドスファンゴだッ!」

 シルフィードは剣を抜こうとしたが、両腕は白水晶の原石を抱えているので動かない。

「くぅ……ッ」

「シルフィード様は逃げてくださいッ! サクラ様はクリュウ様をお願いしますッ!」

 そう言ってフィーリアは通常弾LV2の速射をドスファンゴに撃ちまくりながら三人とは反対方向に走り出す。すさまじい猛攻撃にドスファンゴはすぐさま彼女を追って突進を開始する。しかしフィーリアはそんな直線的な攻撃を避ける事などお手の物。ヒラリヒラリとその攻撃から身をかわして速射を続け、三人からドスファンゴを引き剥がす。

 自ら囮になって自分達を守ってくれるフィーリアに向かってシルフィードは「すまないッ!」と叫びエリア外に脱出する。サクラは鬼神斬破刀を背中の鞘に納めると、倒れているクリュウに駆け寄った。

「……クリュウッ!」

「うぅ……」

 背中を押さえながら何とか起き上がったクリュウ。ダメージはあまり大きくはないが、打ち所が悪かったらしく背中が痛くて立てない。そんなクリュウを見てサクラはすぐに彼の肩を支えながら立ち上がらせると、彼を支えたまま走り出す。

 背中の痛みに苦しそうな声で呻(うめ)くクリュウに、サクラは「……我慢して」としか言えなかった。

 一方、サクラがクリュウを支えながら脱出を図ろうとしているのを一瞥し、フィーリアはさらに銃弾をばら撒く。突進しようとするドスファンゴの足元に速射を撃ち込んで牽制し、一瞬でも突進を遅らせて紙一重で回避する。巨大な牙が頬を掠めるように通過するたびにゾッとするが、体はまだ全然余裕だ。

 ドスファンゴには閃光玉は効かない。ブルファンゴには効くのになぜドスファンゴには効かないのかはわからない。もしかしたら目に遮光板のようなものが付いているのかもしれないが、今はそんな事関係ない。今必要なのはドスファンゴには閃光玉が効かないという事実だけだ。

 そして、二人が脱出に成功したとわかると、フィーリアはハートヴァルキリー改を背中に戻して一気に走り出した。突進しようとするドスファンゴの横を通り抜け、三人が逃げた方向に向かう。

 反対方向に走り出してしまったドスファンゴは慌てて振り返ると、「ブモォッ!」と怒りの声を上げて前足で地面を何度も擦る。そして、逃げるフィーリアを追いかけるようにして一気に突進を開始した。

 背後から迫り来るドスファンゴの速さは人間のそれとは比べ物にならない程に速い。一気に距離が縮まり、フィーリアは背後に迫る巨大な気配に恐怖する。

 あの巨大な牙に串刺しにされたら、大怪我は免れない。下手すれば死ぬかもしれない。そんな現実が思い浮かび、嫌な汗が噴き出る。その間にもドスファンゴは迫り来る。

「ひゃあああぁぁぁッ!」

 フィーリアは最後の力を振り絞って隣のエリアへと抜ける小型モンスターや人しか行き来できないような狭い洞窟に飛び込んだ。直後、ドンッという音と共にドスファンゴが洞窟に突っ込んできた。だがその巨体が仇となってあと少しという所で牙はフィーリアに届かない。

 フィーリアは慌てて洞窟を駆け抜ける。背後からドスファンゴの悔しそうな声を聞いて、ようやく自分が助かったのだと実感すると、どっと疲れが押し寄せて来た。

 だが、すぐに先程倒れたクリュウの事を思い出し、フィーリアは慌てて駆け出した。洞窟というよりトンネルと言った方が良い道を駆け抜ける。湿った風を頬に受けながら走り抜くと、洞窟は終わり外に出た。そこはまた新たな平地。拠点(ベースキャンプ)からは少し離れてしまったが、大型モンスターでは満足に動き回れなさそうな小さな広場であった。岩壁からは湧き水が染み出し、その下には小さな泉が出来ている。そしてそこに先程先行していた三人はいた。

「皆さんッ! お怪我はございませんかッ!?」

 フィーリアが駆け寄ると、そこではサクラがクリュウに心配そうに声を掛けていた。その横では駆け寄る自分に小さく苦笑しているシルフィードの姿もあった。しかし、その手には先程まで彼女が抱えていた白水晶の原石はなかった。

「シルフィード様? 原石はどうされたのですか?」

 フィーリアが不思議そうに問うと、シルフィードはバツの悪そうな顔で頬を掻くと、すまなそうに頭を下げた。

「すまない。慌てて狭い洞窟を走ってしまったせいで転んでしまってな。割ってしまったんだよ」

「そうだったんですか」

「本当にすまない。せっかく君が自らを囮にして私達を逃がしてくれたというのに」

「構いませんよ。それよりクリュウ様の容態は?」

「大丈夫。ちょっと背中にドスファンゴの直撃を受けたけど、レウスシリーズのおかげで助かったよ」

 そう言って心配するフィーリアの視線に対しクリュウは安心させようと笑みを浮かべた。それを見てフィーリアとシルフィードはほっとしたように大きさは違えどそれぞれの胸を撫で下ろしたが、一人サクラだけは無言でそんなクリュウを見詰めていた。

「……怪我がないか確認する。防具を脱いで」

「へ?」

 サクラに渡された湧き水で冷たく濡らしたタオルで汗を拭っていたクリュウはそんなサクラの言葉にポカンとする。すると、サクラは突然クリュウの着ている防具を引っ掴むと、グイグイと脱がし始めた。

「ちょ、ちょっとサクラッ!? な、何するんだよ突然ッ!」

「……脱いで」

「だ、大丈夫だってッ! 怪我なんかしてないからッ!」

「……確認をして損はない。だから、脱いで」

「僕が色々な意味で損をするから嫌だぁッ!」

 激しく抵抗するも、女の子相手に本気になれないという性格が骨身に染みているクリュウに対し、一度やると決めたらクリュウ相手でも容赦ないサクラ。どちらが優勢かなどやる前から決まっている。

「ちょ、ちょっと二人ともッ! 突っ立ってないで助けてよぉッ!」

 クリュウは涙目になりながら必死に防具を両手で防ぎつつ、フィーリアとシルフィードに助けを求める。だが、二人は頬を赤らめながら何度も互いを見合って動かない。

「いや、助けてやってもいいのだが……怪我がないかを確認するのも必要かと思ってな」

「く、クリュウ様は遠慮される傾向があるので、ね、念の為にですね」

「本当に怪我なんかしてないからッ! 本当にお願いだから助けてッ!」

 クリュウが色々な意味で窮地に立たされつつも、二人はなかなか決断せずにいた。理性では助けるべきだとわかっていても、好きな男の人の肌に興味がない訳がないという乙女心が邪魔をし、二人はその間でさまよい続ける。その間にもサクラは冷静に――

「……クリュウの肌、スベスベな肌、ポカポカな肌」

「絶対目的が変わってるよねッ!?」

 若干危険な領域に達しつつあるサクラにそろそろ本気で抵抗しようとするクリュウ。その時、クリュウを押し倒して背中に馬乗りしていたサクラの手が止まった。何事かと思って振り返ると、サクラがレウスメイルの下のインナーと地肌の間に手を突っ込んで固まっていた。

「さ、サクラ……?」

 突然動きを止めた彼女を不審に思って声を掛けると、彼女は視線をこちらに向けてきた。その隻眼には――なぜか涙が溜まっていた。

「さ、サクラッ!? ど、どうしたのさ一体ッ!?」

「……クリュウ、背中に怪我してる」

「いや、だから怪我はしてないって――」

「……違う。大きな、古傷が」

 その瞬間、クリュウは大きく目を見開いた。そしてすぐに背中を隠しながら彼女から離れた。ショックだったせいか、サクラは一切抵抗してこなかった。

「クリュウ様、昔に大きなお怪我をされた事があるんですか?」

 実際に傷跡は見ていないが、サクラの反応を見てかなり大きなものだろうと判断したフィーリアは心配そうに彼に尋ねた。彼女の隣に立つシルフィードは無言だが、その瞳はじっとクリュウを見詰めたままだ。

「……クリュウ、子供の頃にそんな傷はなかった」

 サクラは相当ショックだったのだろう。がっくりとうな垂れ、立ち上がる力も残されていないようだ。

 そんな三人に、クリュウは気まずそうに口を横に結んでいた。彼としては、昔の傷跡なんか他人には見せたくはなかった。ただ単に、彼女達に無駄な心配を掛けさせたくなかったのだ。だから今まで一貫してこの傷については彼女達には何も話していないし、エレナだってこの傷の事は知らない。

 だが、ついにバレてしまったのだ。

 知られてしまえば、仕方がない。ヘタに隠せば余計心配掛けさせるだけだし、そもそも隠す必要もない。これは自分の過去の失態であり、仲間を助けたという証でもあるのだから。

「――昔、ハンター養成学校の期末テストでドスランポスの討伐訓練をやった時に、突然ドスファンゴが現れて僕達を襲って来たんだ。その時、仲間をかばった際に僕はドスファンゴの突進の直撃を受けて大怪我。これはその時の傷さ」

 そう言ってクリュウは振り返ると、レウスメイルとインナーの下に隠れていた背中を三人に見せた。その瞬間、傷跡を初めて見たフィーリアとシルフィードは絶句した。

 彼の背中には、右肩の下辺りから左腰部分にまで伸びた巨大な傷跡が残されていた。彼の白い肌には合わないくらい、それは残酷な程に巨大な傷跡であった。

「救護アイルーのおかげで何とか助かったけど、傷跡は消えなかった。まぁ、別に傷跡くらいどうでもいいんだけどね。おかげで仲間は助かった訳だし。でもドスランポスは取り逃がして依頼は失敗。後日、ドスランポスもドスファンゴも正式なハンターに討伐されたよ。本来なら依頼失敗じゃ卒業は出来ないけど、突発的なアクシデントだったし一応ドスランポスを追い詰めていた事は事実だったから何とか僕は無事に卒業できたんだ。そして、今こうして君達と一緒に狩りをしてる訳さ。ちなみにこの傷はもう完治してずいぶんが経つから痛みはないよ」

 そう言ってクリュウは小さく笑みを浮かべた。その笑顔と彼の言葉に、フィーリア達は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。

 傷跡から見てもかなりの大怪我とわかるが、もうその傷は痛みを感じないらしい。それだけで彼女達の心にはかなりの安堵が溢れた。

「……でも、クリュウの珠のような肌が」

「別に僕は男だから傷跡なんて気にしないし――っていうか、君は僕の何を心配してるの?」

 サクラの相変わらずのズレた発言に苦笑しながら、クリュウはふと思い出したように突然ため息を吐いた。

「クリュウ様? どうされたんですか? まさか、やはりどこか怪我をされたのでは」

「いや、そうじゃなくて――白水晶の原石って、確かもうなかったよね?」

 クリュウの問いに、三人はハッとしたような顔になるとがくりとうな垂れた。実は白水晶の原石は先程二人が持っていた分しかなかったのだ。いくらピッケルを振り回しても、それ以外は出て来なかった。つまりこれは……

「依頼(クエスト)失敗ですね……」

 苦笑しながらそう言ったフィーリアの言葉に、三人はうなずくしかなかった。

 その時、曇天の空からポツポツと雨が降って来た。それはすぐに雨足を早め、数分後には地面を叩きつけるかのような豪雨に変わった。四人はとにかく拠点(ベースキャンプ)を目指して依頼失敗という肩の荷が重い現実を背負いながら走った。

 

 結局、依頼は失敗に終わった。もちろん契約金は保険としてギルドに徴収され、返って来ない。ドンドルマに戻ってライザに励まされながら依頼失敗の手続きを終えた一行はそのまま港へ向かい、イージス村に帰る船に乗り込んだ。

 穏やかな波に揺られる船の中、クリュウは小さくため息を漏らした。

「久しぶりに依頼失敗しちゃった」

 苦笑しながら言うクリュウの言葉に、フィーリアも「そうですねぇ。今後の受注に影響しないといいんですが」と苦笑しながら返す。他の二人は幌の隅で無言を貫いている。基本的にこの二人は無口なので、クリュウはフィーリアと話す事が元々多い。だが、こうして二人で楽しげに話していると、

「……クリュウ、抱っこ」

「ちょ、ちょっとサクラぁッ! くっ付かないでよッ!」

「さ、サクラ様ッ! クリュウ様から離れてくださいッ!」

 すぐにサクラがクリュウに絡んで来るのでフィーリアが怒り出し、クリュウを中心にフィーリアとサクラのクリュウ争奪戦が繰り広げられる。両腕をそれぞれ二人の美少女の掴まれて動けないクリュウは苦笑するしかない。

「二人ともケンカしないでよ。仲良くしようよ」

 ――もちろん、例にもよって二人の対立原因が自分であるとは毛筋ほども彼は感じていない。

 そんなクリュウの態度に不満がないかと問われれば大有りなのだが、今は目の前の恋敵(ライバル)を排除する事が最優先事項。二人の言い合いやクリュウの抱き合いはより過激なものになっていく。

 激化する二人の対立にさすがのクリュウも危険を感じ始め、慌てて先程から幌の隅で瞳を閉じて無言を貫いているシルフィードに助けを求めた。

「し、シルフィッ! た、助け――」

「――クリュウ。少し君に問いたい事があるのだが、良いか?」

 突然瞳を開いてクリュウの目を見ながらそう言って来たシルフィードの言葉に、クリュウはポカンとした。しかしすぐに彼女の真剣な眼差しに気づいて自らも気を引き締める。彼を取り合っていた二人も空気をすぐに察して姿勢を正した。

「それで、一体何?」

「うむ。何、少し気になった事があってな。そこまで気を引き締めるような事ではないさ」

 そう言ってシルフィードはふぅと小さく息を吐いて準備を整えると、彼の目を見ながら竜車に揺られる間ずっと気になっていた事を彼に訊いてみた。

 

「――君の過去を、教えてはくれないか?」

 

「え?」

 一体何を訊かれるのかと身構えていたクリュウは、予想外のシルフィードの言葉に困惑した。彼の両側にいる二人もお互いに顔を見合わせて首を傾げた。そんな三人の反応も予想していたのか、シルフィードは落ち着きながら言葉を続ける。

「いや、お互い同性という事もあってフィーリアとサクラとは過去を語り合った事は何度も合った。お互いが世間に名が通ったハンターだけに、お互いの過去の狩りや生活、出来事などは実に有意義なものだった」

 シルフィードの言葉にクリュウは「そうなの?」と二人に問いかけてみた。二人ともうなずいたので、どうやら本当らしい――ちょっぴり疎外感を感じて、少しだけ落ち込んだ。

「しかし、君の過去というのは訊いた事がない。サクラから訊いた事もあるのだが、どれもあまり役に立ちそうもない――あ、いや、子供の頃の話なのでな」

 鋭い隻眼で睨みつけてきたサクラの殺意に込もった視線に、シルフィードは慌てて言い直した。しかし、本音はもちろん前者の方だ。何せ彼女が話すクリュウの過去とは彼のかわいさ、かっこ良さ、他には自分との思い出話ばかり。いつもは無口な彼女がその時だけは熱く語っていた事は今でも忘れられない。特にその話の後の二人の修羅場は忘れたくても忘れられない。酔った勢いも加わって互いに椅子やワインのビンを武器に激しい大ゲンカを繰り広げてしまったのだ。

 ――まぁ、原因はサクラの思い出の自慢話なのだが。恋敵(ライバル)に向かって自分と彼との思い出列伝(一緒に遊んだなど当たり前。中には一緒に寝たりお風呂に入った実例もあり)をぶっ放せば、そりゃケンカに発展するのは当然だろう。

 ともかく、そんな事もあって二人の過去についてはかなり知っているし、二人も自分の過去についてはよく知っているだろう。しかし、クリュウとはそういう話はした事がないので、彼の過去は自分にとっては謎のままだ。

「だから、君の過去に興味があるのだ――君の事を、もっと知る為にも」

 ――基本的に天然であるシルフィードは、自分がかなり恥ずかしい事を言っているという事に気づいていない。ただ、なぜか頬を赤らめて照れ笑いするクリュウとムッとしたような表情で自分を睨んで来る二人に困惑するばかり。

「しかし、確かにクリュウ様の過去は私も少しばかり興味があります」

「……子供の頃から今までの空白の時間。その頃のクリュウに、私も興味がある」

 だが、もちろん大好きな彼の過去を知りたいという乙女心全開な二人もシルフィードの加勢に加わった。一瞬驚きつつも、シルフィードは再び彼を見て問うた。

「どうだろうか。この際だからぜひ聞いてみたいのだが。もちろん君が嫌だというのであれば無理強いはしない。これは私の――私達の単純な好奇心だ」

 そんなシルフィードの言葉に、クリュウはうーんと少しだけ悩むと、小さく笑みを浮かべてうなずいた。

「別にいいよ。隠すような事は何もないし。でも僕なんかの昔話なんて全然つまらないよ? 三人みたいに武勇伝なんてないし」

「構わない。それに、私だって凡人だ。伝記に残せるほどの大した話はない。それは皆同じ事さ」

「そんなものなのかな。それで? 僕のどんな昔話を聞きたいの?」

「そうだな。サクラやエレナも知らない――君の訓練学校時代の話なんかどうだろう? 先程の君の傷跡にも繋がる事だしな。それに、君が当時組んでいたチームメイトというのも気になる」

 シルフィードは二人に視線で問うてみた。もちろん二人の返答は首肯。シルフィードもうなずき返し、再び彼を見た。

「訓練学校の話か。学校自体は四年通ってたけど、チームメイトができたのは最終学年の事だしな。じゃあ最終学年の頃でいい? ちょうど上位成績優秀者に入ったのもその頃だし、それ以前はそれこそ普通な毎日だったからさ」

「構わない。ぜひ話してくれ」

「ぜひお願いしますッ」

「……ぜひ」

「ぜひって言われるほどの話じゃないけど……。わかった。じゃあ話すよ。まぁ、大した話じゃないけどね」

 そう言って彼はどの辺りから話すべきかを考え始めた。そもそも自分の過去を自分で言うというのはかなり恥ずかしい。しかし三人の期待するような視線を見ると今更逃れられないと実感し、恥ずかしさを堪えながら一年ほど前の出来事を思い出した。

「そう、あれは……」

 クリュウの昔話――クリュウ・ルナリーフの訓練学校時代の物語が、始まった……


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