数日後、キャラバン隊は無事にドンドルマに到着。クリュウ達は感謝していつまでも手を振ってくれたキャラバン隊と別れると早速酒場へ向かった……のだが、
「クリュウ様、一つ質問してよろしいでしょうか?」
「いいけど、何?」
フィーリアは足を止めるとフゥと一回深呼吸する。そして勢い良く振り返って彼の背後を指差した。
「なぜリリアちゃんがついて来ているんですかッ!?」
彼女が指差す先にはクリュウと手を繋いで、先程彼が買ってくれたキャンディをおいしそうに舐めるリリアの姿があった。
サクラもシルフィードも気になっていたらしく、無言でクリュウの回答を待っている。そんな三人の視線にクリュウは困ったような笑みを浮かべた。
「し、仕方ないでしょ。リリアがお姉さんの家がイージス村にあるって言うから、護衛の為にも一緒に行った方がいいと思っただけだよ。キャラバン隊が村に寄らなくなっちゃったんだから」
クリュウの至極まともな正論に、フィーリアは反撃の糸口を失った。サクラとシルフィードも同時にため息する。
実はリリア、あのキャラバン隊と一緒にお姉さんの住むイージス村に行く為に自分の村を一人で出てきたらしい。しかしキャラバン隊はイーオス軍団の襲来で予定より大幅な遅れが生じてしまった為にイージス村へ行く迂回路を中止し、真っ直ぐ目的地に向かうと決めてしまったのだ。
おかげでクリュウ達はキャラバン隊と一緒に村に帰る予定が崩れ、自力で帰る事となった。その為同時に一緒の村へ行くリリアをクリュウが一人旅を不安に思って誘ったのだ。優しい彼らしい判断だが、フィーリア達の気持ちは複雑だ。
「ま、まぁそのお気持ちはわかりますけど……」
フィーリアは葛藤していた。小さな女の子に危険な一人旅にさせておけないという彼の判断は正論だし、彼らしい判断だ。そんな優しい彼を自分は大好きなのだ。
しかし同時に、あのわずか数日で本当の兄妹のように仲良くなった二人が不安で仕方がない。クリュウも満更でもないような感じなのが余計に不安だ――彼が犯罪的な特殊な性癖を持っていない事が唯一の救いだが、不安は消えない。
「……クリュウのバカ」
「サクラ。気持ちはわからなくもないが、子供相手に本気になるのはどうかと思うぞ」
それから酒場までの間、クリュウとリリアは楽しそうに会話を続けた。そんな二人をフィーリアはチラチラと世話しなく見詰め、サクラはすっかりふて腐れてしまい、そしてチーム一の苦労人のシルフィードは疲れたようにため息するのであった。
「ほんと〜にごめんッ! このとぉ〜りッ!」
酒場で早速ライザに今回の事を報告すると、彼女は何度も何度も頭を下げてきた。そりゃあもう周りの視線を一気に引きつけ、なぜか自分達が悪者に思えてくるくらいの勢いだ。
「あ、いや。そこまで謝る必要はないんですが。とりあえず報告をと思って、その……」
「依頼ランクと本来のランクとの差額、及び今回の失態に関しての賠償金は全部ギルドの方から支給できるように手配しておくから、ほんとごめんなさいッ!」
いつもは笑顔全開なライザも、こと仕事に関しては結構まじめなのでこういうミスなどに激しく責任を感じてしまう性格らしい。
「も、もういいですからッ。お願いですから頭を上げてくださいッ。周りの男の人達の視線が滅茶苦茶怖いですッ!」
周りの猛者達の殺気に溢れた血走った瞳を一手に引き受ける形になっているクリュウは今にも泣き出しそうな勢いだ。そのあまりにもかわいそう過ぎるクリュウの姿に、シルフィードが苦笑しながら入って来る。
「まぁ、何はともあれ皆無事だったのだから良いではないか。ライザもそんなに頭を下げる事もない。差額の分はきっちり報酬に上乗せしてもらえればそれで結構。あと、そうだな。一食くらいおごってもらう事で妥協しようではないか。どうだ?」
シルフィードの提案に、フィーリアとサクラはすぐに即決了承した。きっとこれ以上クリュウの泣き顔を見ていられなかったのだろう。
ライザもそれで納得してくれたらしく、ようやくいつもの笑顔を取り戻してくれた。クリュウ達は一斉にほっと胸を撫で下ろした。
「ところで、さっきから気になってたんだけどクリュウ君の背中に隠れてる女の子は誰?」
ここに来てライザはようやくクリュウの背後に隠れるリリアの存在に気づいたらしい。しかしリリアは自分に話題が移ったと気づくとさらにクリュウに強くしがみ付いて隠れようとする。無言で怒りに体を小刻みに震わせるサクラに常に気を配らなければならないシルフィードは疲れたようにため息した。
「あ、この子はリリア・プリンストン。イージス村に向かう途中だっていうから一緒に行こうかと思って」
クリュウが説明すると、ライザは納得したように小さくうなずきにっこりと伝統の邪念ゼロ営業スマイルを放つ。
「私はライザ・フリーシア。よろしくねリリアちゃん」
さすがライザ。警戒心バリバリだったリリアを安心させて見事にその警戒心を拭い取った。ギルド嬢の営業スマイルの破壊力は相変わらず桁違いだ。副作用として周囲の男達数人が倒れた事は無視しておこう。
「よろしくねッ」
すっかり警戒心がなくなったリリアはライザにその小さな手を差し出す。ライザもにっこりと笑みを浮かべてその手を取って握手する。その時の彼女の笑顔は、素の彼女のものだ。
「でもねぇ……」
リリアと握手を終えたライザはどこか複雑そうな顔でクリュウを見る。その視線にクリュウは「何ですか?」と首を傾げるが、ライザは次にフィーリアを見て苦笑した。
「クリュウ君って、自然とかわいい女の子を集める力でもあるのかしら? 年齢を問わず」
「そ、そうかもしれませんね……」
ライザの言葉にフィーリアは疲れたようにため息した。あながち冗談では済まない状態なだけに彼女の心労も絶えそうにない。見ると、サクラはサクラで楽しげに会話するクリュウとリリアを文字通り指をくわえて悲しげな瞳で見詰めていた。不憫だ……
「ま、まぁとにかく適当なテーブルに座ってて。すぐに料理を作って持って行くから」
ライザはそう言って厨房へ消え、クリュウ達はとりあえず空いているテーブルに座った。のだが……
「お兄ちゃんの横は私だもんッ!」
「リリアはもうたくさんクリュウ様に抱きついたでしょうッ!? 今度は私の番ですッ!」
「……クリュウの横は、私だから」
予想通りクリュウの隣を巡ってすさまじい言い合いが始まってしまった。しかも今回は新たにリリアが参加しているだけあってその勢いは苛烈を極めている。注目度はマックスだ。
「あ、あのさ。とりあえずジャンケンで決めない?」
「奇跡は信じるものではなく、自分で起こすものですッ! 運命などに身を任せるほど、私は愚かではありませんッ!」
「すごくかっこいい事言ってるけど、その奇跡があまりにも小さ過ぎるっていう自覚はないの?」
結局ジャンケンは却下。皆、運命に見放された上にクリュウからも離れるのが相当嫌なようだ。
しかし、このままでは泥沼化するだけ。クリュウは無言で対面に座ったシルフィードに助けを求めるが、彼女も苦笑して「私の手には負えん」と協力を拒否した。
クリュウが無駄とはわかっていながらももう一度三人の説得をしようとした時、
「もう仕方ないな。お兄ちゃんの横はお姉ちゃん達に譲ってあげるよ」
リリアはそう言うとクリュウの隣を巡る争いからあっさりと抜けた。その見た目や年齢に合わない妙な大人な態度にポカンとする二人にクリュウは呆れたように一言。
「大人げなさ過ぎだよ二人とも」
クリュウの本心からの真っ直ぐな言葉に二人はかなりのショックを受けたらしく、顔色を真っ青にさせるとうな垂れ、そのまま素直に座った。その時ちゃっかりそれぞれクリュウの両隣に腰掛けたのはさすがと言おうか何と言おうか。
しかし一応ようやく座れたという事でクリュウは安堵の息を漏らした。だが、
「じゃあ私はここに座るぅッ!」
そう言ってリリアはテーブルの下に潜り込みクリュウの足元から現れるとちゃっかりと彼の膝の上にちょこんと腰掛けた。このリリアの予想を遥かに上回る大暴挙にクリュウとシルフィードは驚き、フィーリアとサクラは殺気を身に纏う。
「り、リリアッ!? 何もこんな狭い所に座らなくても……ッ」
「だって私お兄ちゃんの傍にいたいんだもん。えへへ、お兄ちゃんポカポカだぁ」
すりすりすり……
「すり寄って来ないでよぉ」
そうは言うが、やっぱりどこか満更でもないクリュウ。一人っ子の彼にとってこういう妹タイプは案外弱点なのかもしれない。
一方、リリアに見事にクリュウの膝という未知の聖地を奪われた二人は愕然としている。しかしそれはすぐに怒りへと変わり、顔を真っ赤にさせてプルプルと小刻みに体を震わせる。
「離れなさいリリアッ! そんな暴挙が許されると思ってるのッ!?」
「……クリュウの膝を返せッ」
子供相手に本気(マジ)で激昂する二人に半ば呆れるクリュウ。そんな彼の膝の上でリリアはまるで二人を挑発するようにさらに強くクリュウに抱きつく。
「お兄ちゃん怖いよぉ〜ッ」
誰が見ても明らかに怖がっておらず、むしろこの状況を楽しんでいる感じのリリア。しかし天然というかバカ正直なクリュウは……
「ちょっと二人とも。リリアを怖がらせないでよ」
「く、クリュウ様……ッ」
「……クリュウは、そんな小娘の味方なの?」
「小娘とか言うなよ。ったく、子供相手に何ムキになってるのさ」
大人げない二人に呆れるクリュウ。そんな彼の膝の上に座って抱きつくリリアはクリュウの言葉にムッとする。
「子供扱いしないでよぉッ。私はもう大人だもんッ!」
「ごめんごめん。今度から気をつけるよ」
子供扱いされた事に怒るリリアに小さく笑みを浮かべながら謝るクリュウだったが、彼女の頭を優しく撫でている所を見ると全然わかっていないようだ。そして子供扱いを嫌がったリリアもその手を払いのけるなどせず、むしろ喜んで受け入れていた。
一方、クリュウに見放された形となったフィーリアとサクラはそんな仲の良い二人を見て激しいショックを受けていた。フィーリアに至っては薄っすらと涙まで浮かべて今にも泣き出しそうだ。サクラは無言でリリアを恨めしげに睨みつけている。
そんなクリュウ達を見詰め、対面にポツンと一人で座るシルフィードは周りの好奇な視線を感じて頬を赤らめながらため息した。
「頼むから、少し静かにしてくれないか? 恥ずかしいだろうが」
シルフィードの忠告すらも聞こえずにフィーリアとサクラは悔しそうにリリアを睨み、リリアはクリュウにべったり抱きついて甘え、クリュウはそんなリリアの頭を撫で撫でしている。
シルフィードの何度目かわからないため息が漏れたその時、
「お待たせぇッ。ライザちゃんの特製料理フルコースよッ――って、どうしたの?」
両手においしそうな料理が並んだトレーを持ったライザが笑顔で登場――したのだが、クリュウ達の異様な雰囲気に困惑したようにシルフィードを見る。
「説明するまでもなく、見たままの状況なのだが」
「……なるほどねぇ」
ライザはすぐに状況を理解したらしく、小さくため息するとシルフィードを見て苦笑した。
「あなたも大変ね」
「まぁ、こういう点以外では頼れる仲間なのだが」
シルフィードもそう言って苦笑した。ライザは「そっか……」と小さくつぶやくと、いつもの笑顔を浮かべてパンパンと手を叩きながらクリュウ達の間に入る。
「はいはい。料理持って来たからケンカしないの」
ライザはそう言って四人の視線を一身に集めると次々に料理をテーブルの上に並べていく。おいしそうな料理や匂いに刺激されたのか、フィーリアとサクラの表情が幾分か和らぐ。それを見てライザは小さくうなずく。
「さぁ、ライザちゃんの特製料理フルコースよ。今回は私のおごりなんだからたくさん食べてよね」
「ありがとうございます」
クリュウが笑顔でお礼を言うと、ライザは「気にしないで。これはお詫びなんだからさ。ささ食べて食べて」と促す。
クリュウとサクラは小声で、フィーリアは手を合わせて、リリアは元気良く《いただきます》を済ませて料理を食べ始める。
「これおいしいですッ!」
「そう、良かったわ」
笑顔で料理を食べるクリュウ達を一瞥し、ライザは振り返ると苦笑しているシルフィードに小さくVサイン。
「万事解決よ」
「さすがと言おうか何と言おうか。君には勝てないな」
「フフフ、ライザお姉さんは何でもできるんです。さぁ、シルフィードも早くしないと料理がなくなっちゃうわよ?」
「そうだな。では私も遠慮なくいただく事にするよ」
そう言ってシルフィードも料理を食べ始める。そんな彼らを見詰めるライザは小さく笑みを浮かべると仕事に戻った。カウンターに戻って料理を受け取り、他の客に配り始める。
天使の営業スマイルを浮かべながら時折クリュウ達の方を見てみると、先程までの険悪な雰囲気はどこへやら。今では笑いながら料理を食べている。リリアとフィーリアも楽しそうに話しているのを見ると、どうやら意気投合したらしい。
ふと、振り返ったシルフィードと目が合った。ライザが微笑むと、彼女も小さく口元に笑みを浮かべた。それはきっと彼女なりのお礼だったのだろう。すぐにクリュウ達に向き直ったシルフィードを一瞥し、ライザは再び酒場の中を華麗に駆け回った。
ドンドルマを出発して数日後、クリュウ達は竜車や船などを乗り継いで無事にイージス村に帰って来た。
荷物を持って船から下りたクリュウは揺れないしっかりとした地面を足を着くと、うーんと背を伸ばして久しぶりの故郷の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
「やっと着いたよぉ」
クリュウが振り返ると、フィーリア、リリア、サクラの順番に三人も船を下りて来た。船の中から「忘れ物はないかぁ?」とシルフィードが確認の声を上げた。フィーリアは「たぶん大丈夫だと思います」と答える。
「うわぁ、高いねぇッ」
リリアは初めて見るイージス村こと彼女の姉が住む村を見上げた。相変わらず鉄壁の断崖絶壁に建っているイージス村は初めて見る人にとっては珍しく見えるらしい。
「ここから結構階段を上るけど、リリア大丈夫?」
「うーん、でもこれからはこの階段に慣れないと村の外と中を行き来できないでしょ?」
「そうだね」
「だから私がんばるッ。早くこの階段に慣れなくちゃいけないもんッ」
「リリアはいい子だね。でも本当に大丈夫?」
「大丈夫だよぉ……あ、でもどうしても無理だったら、お兄ちゃんおんぶしてくれる?」
うるうるとした瞳でクリュウを見詰めて訴えるリリア。クリュウはそんな彼女の頭を優しく撫でると小さく微笑んだ。
「もちろんいいよ。だから無理しないで、辛くなったらすぐに言うんだよ」
「うんッ」
仲のいい兄妹のように笑い合う二人を見て、やっぱり納得できないフィーリアとサクラ。道中は基本的に仲良くしていたが、クリュウを巡ってケンカになった事は幾度もある。そんな二人を止めて毎回仲裁に入るシルフィードは大変だ。
「うぅ、クリュウ様のおんぶ……」
「……うらやましい」
文字通り指をくわえる事しかできないフィーリアとサクラ。そんな二人の内心など知らぬクリュウはリリアと楽しげに会話を続けている。と、
「おいリリア。これは君の物ではないか?」
最終確認を終えて船から出て来たシルフィードはそう言ってリリアに手渡したのはマフラーだ。
「あ、ありがとうお姉ちゃん」
「母君の手編みなのだろう? 大切にしなくてはダメだぞ」
「うんッ」
道中にイージス村の地域は寒いからと彼女の母親が編んでくれたマフラーだと嬉しそうにみんなに見せていたリリア。どうやらそのまますっかり忘れていたらしい。危ない危ない。
「では行くぞ。さっさと家に戻ってゆっくりしたいからな」
「そうだね。じゃあ行こうリリア」
「うんッ」
歩き出すクリュウの手を、リリアはギュッと握った。クリュウも振り返って小さく笑みを浮かべるとその小さな細い手を握り返す。
二人並んで階段のある洞窟の中に入って行く。それを見てフィーリアとサクラが慌てて追い駆け、シルフィードは船主に礼を言ってから苦笑しながらゆっくりと四人の後を追って歩き出した。
「着いたよリリア」
「うわぁッ」
クリュウの背中にしがみ付きながらリリアは目の前に広がるイージス村を見て瞳をキラキラと輝かせる。
そんな二人の後ろではクリュウにおんぶされているリリアをうらやましそうに見詰めるフィーリアとサクラ、そんな二人に苦笑しながらもチラチラとリリアを見るシルフィードがいる。
目の前に広がるイージス村はクリュウがハンターとして初めて帰って来た時に比べて少し大きくなり、家や設備も増えていた。
地面をしっかりと固めてできた道に木造の家々が立ち並ぶ。洗濯物を干す女性や木を切り出す青年、鬼ごっこをして遊ぶ子供達。住人も確実に増えている。
村で一番高い建造物は一ヶ月前に起きたリオレウスのリフェル森丘襲来の後に建てられた矢倉。当番制で村の周りを監視して有事の際は鐘を鳴らして住民達を避難させるものだ。
村の中数ヶ所には地面を掘って作られた簡易防竜壕が備えられている。これによって子供や女性を優先的に避難させる事ができるようになった。村長は住民全員が避難できるまで防竜壕を作ると豪語していたが、一ヶ月でこれだけできれば大したものだ。
他にも村長の意向で月に一回避難訓練や消火訓練などが行われる事になった。これも村を守る為の措置の一つだ。
辺境の村としては有事に対しての備えが充実している。住民の安全安心が第一という村長の気持ちが表れているかのようだ。
本当はドンドルマなどの大都市に備え付けられているバリスタという火薬を使って鋼鉄の矢を発射する固定巨大弩を配備したかったが、予算が足りなくて残念と彼は苦笑していた。もちろんそんな物は破格の値段なので当然こんな小さな村には配備できないが、彼は真剣だ。
村長の村を想う気持ちは住民皆がわかっている事。あのリオレウス襲来以降、村の住人達は今まで以上に団結していた。
クリュウ達もその団結の輪に加わり、このすばらしい故郷を守る為に日々努力を重ねている。
クリュウ達が戻ると、村人達は口々に「お帰り」とか「お疲れ様」と労いの言葉を送ってくれる。その一つ一つが彼らの疲れを癒してくれている。
「あら、クリュウ君。そのかわいい子は誰なの?」
クリュウの家の裏に住むふっくらとした体格に優しげな笑顔が似合う女性がリリアを見て尋ねて来た。
「あ、この子はリリア・プリンストン。この村にいるお姉さんを訪ねて来たんですよ」
「あらまぁ、それは大変だったでしょ?」
「ううん。全然大丈夫だよぉ。途中からはお兄ちゃんがずっと一緒にいてくれたし」
「あらあら、クリュウ君お兄ちゃんだって。仲がいいのねぇ」
「まぁ、僕も妹ができたみたいでちょっと嬉しいです」
「そっか、クリュウ君は一人っ子だもんねぇ」
クリュウの腰にしがみ付いて微笑むリリアの頭を撫でながら、クリュウは村人達との会話を楽しむ。一方、フィーリアとサクラに声を掛けようとした村人達は二人の不機嫌そうな雰囲気に気圧されて近づけずにいた。
「ところでリリア。訊き忘れていたが君の姉は何という名前なのだ?」
一人冷静なシルフィードの問いにリリアは振り返るとニパァと屈託のない笑みを浮かべる。
「アシュアお姉ちゃんだよ」
「――おぉ、何や盛り上がっとるなぁ」
その声に振り返ると、こちらもまたニパァと屈託のない笑みを浮かべたアシュアが立っていた。腰に下げた小さなハンマーは彼女曰く鍛冶師の魂なので風呂に入る以外は手放さないそうだ。
クリュウが驚きと共に彼女に問おうとした刹那、
「アシュアお姉ちゃんッ!」
今までずっとクリュウにしがみ付いていたリリアがピョンと離れると一目散にアシュアに駆け寄り勢い良く抱き付いた。抱き付かれたアシュアは目を丸くする。
「な、何やッ!? って、あんたリリアやないかッ! 何でまたクリュウ君達とおるねん」
「えへへ、お兄ちゃん達に送ってもらったんだ」
「お兄ちゃん?」
アシュアが怪訝そうにクリュウ達を見ると、クリュウが小さく苦笑いしていた。それを見てアシュアは納得したようにうなずく。
「なるほどなぁ。《お兄ちゃん》ってのはクリュウ君の事か。リリアが世話になったみたいやなぁ。感謝するで」
「お礼なんていりませんよ――それより、リリアのお姉さんってアシュアさんの事なんですか?」
見た限りでは髪の色も瞳の色も二人は違う。血の繋がった姉妹には見えない。するとそんなクリュウの疑問に気づいたアシュアは小さく苦笑した。
「リリアはうちの本当の妹やのうて妹みたいな従姉妹や。似てへんのはそういう理由や」
「あ、従姉妹なんですか」
アシュアの説明にクリュウは納得した。しかしそう言われると確かに二人の屈託のない笑顔はどこか似ている気がした。
「という事は、リリアはアシュアを訪ねて来たのか」
「せや。ちょいと事情があって一緒に住む事になったんや」
「って事は、リリアはこれからこの村に住むって事ですか?」
「そうやで。仲良くしてあげてぇな」
「それはもう喜んで」
クリュウが笑顔で答えるとアシュアに抱きつきながらリリアが満面の笑みを浮かべて「よろしくねお兄ちゃんッ!」と言った。
リリアにクリュウが笑みを向けた時、ふとアシュアは何かを思い出したように自分に抱き付くリリアを見る。
「せやけど、あんたが来るのは一週間後やなかったか? 何でこないに早く、それもキャラバン隊やのうてクリュウ君達と来たんや?」
アシュアの疑問にはシルフィードが答えた。彼女がいたキャラバン隊を自分達が護衛していた事、イーオスの大群に襲われて予定が狂った為にイージス村経由を中止にした事、そして村へ帰るついでに村へ向かっていた彼女を一緒に連れて来た事などを説明した。全ての説明が終わると、アシュアは納得したようにうなずいた。
「なるほどなぁ。そらえらい大変やったなぁ。ご苦労さんや」
「いえ、いつもの事ですから」
クリュウは小さく笑みを浮かべて答えると、アシュアの腰に抱きついてこちらをじっと見詰めるリリアを一瞥し、再びアシュアを見る。
「じゃあ僕らは一度家に戻ります」
「そっか。ゆっくり休みぃや」
「はい。じゃあリリアもまた後でね」
「うんッ。お兄ちゃんありがとうッ」
リリアと笑顔で別れた一行はクリュウの家ことみんなの自宅を目指して歩き出す。すると、しばらくしてからギュッと両腕を引かれる感触がしてクリュウは振り返った。
「って、フィーリアにサクラ。二人ともどうしたの?」
「むぅ……」
「……むぅ」
二人はなぜかしっかりとクリュウの腕にしがみ付いて離れようとはしなかった。じっとクリュウを見詰める瞳はどちらもどこかふて腐れたような感じだ。
「えっと……」
「クリュウ様のバカ……」
「……クリュウのバカ」
二人は一斉にプイッとそっぽを向いてしまう。それぞれに両腕を封じられているのに肝心の二人にそっぽを向かれたクリュウは困ったようにすぐ後ろに立つシルフィードを見る。
「あ、あのシルフィ……」
「まぁ、今くらいは我慢してやったらどうだ?」
「べ、別に構わないけどさ。その、シルフィ」
「うん? 何だ?」
「――何で君も僕の手を握ってるの?」
見ると、フィーリアが抱きついている右手をシルフィードがちょこんと握っていた。シルフィードはボンッと顔を真っ赤にすると慌てて手を引っ込めた。
「あ、いや、そのぉ……ッ! こ、これはだな……ッ!」
顔を真っ赤にしながら手をブンブンと激しく振って常の冷静さを失うシルフィード。クリュウはそんな彼女を不思議そうに見詰める。
「と、とりあえず早く家に戻ろうッ! 風呂にも入りたいしなッ!」
「そ、そうだね。そうしよっか」
無理やり話題を変えたシルフィードを訝しがりながらも、クリュウは納得して二人を両腕にしがみ付かせたまま歩き出す。
「あ、あのさ。歩きづらいからちょっと離れてくれるかな?」
「嫌です……」
「……嫌」
「だから、何でそういう変な部分だけは意見が合うのさ」
クリュウは小さく苦笑いした。しがみ付く二人に頬を赤らめて照れながらも振り払う事はなくゆっくりと歩くクリュウ。その両腕にそれぞれしがみ付くフィーリアとサクラはクリュウに久しぶりに甘えられてご機嫌そう。一方、そんな二人を見てシルフィードがどこか悲しげな表情を浮かべていた事は誰も知らない。
家に着いた一行はそれぞれ順番に風呂に入って汗を流した。家主であるのにクリュウは自主的に一番最後に入る事になった。女の子の前に入るのは何かと抵抗があるのだ。
体を洗ってからゆっくりと疲労回復の効果がある薬草を溶かした白い湯船に浸かるクリュウはその場でうーんと背を伸ばしてみる。そうすると体中の疲れが一気に抜けていくような気がした。
「生き返るぅ〜」
定番のセリフを言って肩まで湯につかる。そのまま口を湯船に入れて息を吐くとブクブクと泡が沸き立った。自分でも子供っぽいなぁとは思いながらもこれが彼の癖であった。
「やっぱりお風呂はいいなぁ」
最後に風呂に入ったのはドンドルマでの宿。それから一週間近く入っていないのだ。一日一回水に濡らした手ぬぐいで体を拭く事はあっても、やっぱりしっかりと風呂に入るのは格別だ。
パシャパシャとお湯を顔に浴びせて顔を拭く。じーんと温まる心地良い熱さがたまらない。
気持ち良くてそのままぼーっと湯に浸かっていると、扉の向こうで何か変な音がした。
「え? 誰かいるの?」
クリュウが声を掛けた刹那、扉がゆっくりと開いた。
「……く、クリュウ?」
「さ、サクラぁッ!? な、何で何でどうしたのッ!?」
突然風呂場に入って来たサクラ。それも、バスタオル一枚という無防備過ぎるまでの格好――風呂に入る時も眼帯は外さないらしい――でのご登場だ。クリュウは慌てて湯船に深く浸かって背を向ける。
「な、何でッ!? サクラは一番に風呂に入ったじゃないかッ!」
いきなりの事に完全に混乱状態に陥っているクリュウ。そんな彼に背を向けられているサクラは頬をほんのりと赤らめながらクリュウに近づく。
「……クリュウ、こっち向いて」
「向ける訳ないでしょッ!?」
必死に目を閉じて何も見ていませんとアピールするクリュウ。そんな彼にサクラは少々照れながら口を開く。
「……背中、流してあげる」
「い、いいってッ! もう体は洗ったしッ! と、とにかく出てってよッ!」
「……そんな、クリュウは私の事嫌い?」
「そ、そういう事じゃなくてぇッ!」
背後で明らかにサクラが落ち込んでいる雰囲気を感じ取ってはいても決して振り返らないクリュウ。それは彼なりの配慮のつもりであったが、サクラにとってはさらにショックだったらしい。
「……クリュウ、何でこっちを見てくれないの?」
「恥ずかしいからだよッ!」
「……構わない。私はクリュウにだったら見られても大丈夫」
「僕が構うのッ! 僕が大丈夫じゃないのッ!」
そんな感じでクリュウがある意味限界に達しようとした時、バァンッと扉が勢い良く開いた――その時、クリュウは嫌な予感しかしなかった。
「クリュウ様ッ! どうされましたか――って、なッ、ななななな何やってるんですかぁッ!?」
風呂場に入って来たフィーリアは目の前の光景にこれ以上ないってくらいに顔を真っ赤にして絶句する。そんな彼女の声を背中越しに聴いたクリュウはがっくりとうな垂れ、サクラは不機嫌そうに振り返って彼女を睨む。
「……邪魔。早く出てって」
「サクラ様ぁッ! あなたは一体何をしているんですかぁッ!」
「……クリュウの背中を流そうとしているだけ」
「な、何を考えているんですかあなたはあああぁぁぁッ!」
顔を真っ赤にさせて怒鳴るフィーリアはズカズカと風呂場に乗り込んで来る。クリュウは内心彼女にも出て行ってくれと叫びたかったが、今叫ぶと明らかに自分にまで飛び火して来そうだと思って無言を貫いている。
「あ、あなたには恥じらいというものはないんですかッ!?」
熟れたリンゴよりもさらに真っ赤な顔で怒鳴るフィーリアだったが、ツンドラ気候如く広陵で凍てついた心を持つサクラは冷たくそれを睨み返す。
「……クリュウに対してなら、そんな小さなプライド捨てても構わない」
「だから僕が構うんだってばッ! そんな大事なものを簡単に捨てないでよッ!」
「クリュウ様の仰るとおりですッ! 殿方の前で肌を晒すなんて正気の沙汰じゃありませんよッ! と、とにかく早く服を着てくださいッ!」
フィーリアは慌てて脱衣所にサクラを引っ張り出そうとするが、サクラは足を踏ん張っててこでも動こうとしない。
完全に拮抗していてその場から動かない二人に背を向けたまま長時間湯に浸かっているせいで軽くのぼせてきたクリュウが疲れたようにため息した。なぜ疲れを取る為に入った風呂で疲れなければならないのか。
「一体風呂場で何を騒いで――って、な、何をやっているんだッ!?」
するとそこへ騒ぐ三人を心配してシルフィードがやって来た。しかし目の前の光景に顔を真っ赤にして固まってしまう。
「シルフィード様ッ! サクラ様を風呂場から引き剥がすのを手伝ってくださいッ!」
「……シルフィード、この女を引き離して」
二人それぞれに助けを求められるシルフィードは困ったように赤くなった頬を指で掻くと、ふと背を向けたまま背を丸めているクリュウを見る。その後姿を見て小さく苦笑すると脱衣所のカゴからタオルを一掴み風呂場に入る。そして――
「――大丈夫か? ほら、早くこれを巻いて風呂を出ろ」
そう言ってシルフィードはクリュウにタオルを差し出した。振り返ったクリュウの顔はお湯とは別の液体でびっしょりと濡れ、恥ずかしさとはまた違った意味で真っ赤に染まっていた。
「あ、ありがとう……」
シルフィードからタオルを受け取り小さくつぶやくように礼を言ってクリュウはそれを湯船の中で腰に巻く。そんな彼を一瞥しシルフィードは未だ膠着状態の二人に呆れたように声を掛ける。
「二人ともその辺にしておけ。クリュウがのぼせてしまうぞ」
クリュウがいくら言っても聞かなかった二人だったが、その言葉には鋭く反応した。
「ほ、本当ですかッ!? ど、どうしましょうッ!?」
「……じ、人工呼吸か?」
「いや、普通にもう風呂から解放してやるだけで十分だ」
慌てまくる二人を見て小さく苦笑しながらシルフィードはクリュウに手を差し伸べた。それを見たクリュウはすぐにその意図を察したが、小さく首を横に振った。
「大丈夫だよ。一人で上がれるからさ。とりあえず出て行ってくれる?」
クリュウの言葉に「それもそうだな」とシルフィードは納得すると風呂場から去った。遅れてフィーリアとサクラもこれ以上クリュウの体調を悪化させない為にも急いで出て行った。
騒がしかった風呂場に改めて静けさが戻る。クリュウは一度小さくため息するとゆっくりと湯船から上がる。その時、ふと鏡で自分の背中を見た。
「……これの事をあまり追求されたくないしね」
そう言って苦笑する彼の背中、女性でも憧れてしまうようなきめ細やかな白い肌に走った一筋の古い傷跡。彼はこの傷を、見せたら絶対心配するあの三人にはずっと隠している。もう治ったものなので問題はないが、あの三人の事だ。いらぬ心配は与えたくない。この傷を知っている者は、この村には一人もいない。
脱衣所に出たクリュウはそのままバスタオルで体を拭うと用意してあった私服に着替えて、のぼせてしまったかもしれない自分を心配しているであろう三人の下へ向かった。
その夜、久しぶりに家でくつろぐクリュウ達。夕方には夕食を作りにエレナが来たのだが、早速リリアの事が伝わっておりかなり深くまで追求された。幸い暴行はされなかったが、冷たい瞳でしばらく睨まれたのはかなり効いた。
夕食も食べ終えてクリュウとフィーリア、エレナの三人で会話を楽しむ。こういう時無口なサクラとクールなシルフィードはなかなか入りづらいもので、自然とこういう組み合わせになってしまうのだ。
そこへ、イージス村では珍しくこんな時間に来客者が現れた。一応家主であるクリュウが立ち上がってドアを開ける。
「はい。誰ですか――」
「お兄ちゃぁんッ!」
開けた瞬間に何かに強烈なタックルを炸裂させられた。よろけるクリュウの腰ですりすりと彼に頬をすり付ける少女を見てクリュウは小さく苦笑した。
「リリア。ドアを開けた途端にタックルする奴があるか」
「えへへ〜、ごめんなさ〜い」
クリュウに抱きついて嬉しそうに頬ずりするリリア。頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めて甘えてくる。さながら子猫のような感じだ。
「すっかり仲良しなんやなぁ。ちょっとうち焼いてまうで?」
その声に視線を上げると、ドアの陰からニッコリと笑みを浮かべたアシュアが現れた。いつものような煤(すす)や鉄粉などで汚れた作業着ではなく動きやすい私服姿だ。
「どうしたんですかアシュアさん。こんな時間に」
ドンドルマなら問題ないが、イージス村のような小さな村ではもう真夜中のような扱いの時間帯。こんな時間にわざわざやって来る理由は――
「リリアがどうしてもあんたと一緒にいたい言うて聞かんのや。せやからこうしてお邪魔しに来たっちゅー訳や」
「そうだったんですか。リリア、あまりアシュアさんを困らせちゃダメだよ」
「は〜い」
わかっているのかわかっていないのか。リリアはクリュウに甘え続けたままだ。そんな彼女を一瞥し、クリュウとアシュアは顔を見合わせて苦笑した。
「クリュウ様ぁ? どちら様でしたか――って、リリアちゃんッ!? な、何でクリュウ様に抱きついているんですかッ!?」
そこへクリュウが戻って来ない事を心配してフィーリアがやって来た。しかしすぐに彼に抱き付くリリアを見て表情が険しくなる。
「そないに怖い顔しなさんな。女の子は笑顔が一番やで?」
「あ、アシュアさん? こ、こんばんわです。え? い、一体どうしたんですか?」
「なぁに。ちょっと遊びに来ただけや。クリュウ君。そろそろ上がらせてもらってもええやろか?」
「あ、はい。どうぞどうぞ」
二人は互いに「お邪魔しま〜す」「お邪魔するで〜」とあいさつをして家に入った。クリュウに案内されて通されたのはリビング。そこにはエレナ、サクラ、シルフィードが待っていた。
「アシュア? 一体何の用だ?」
「……さっきから思っとったけど、うちは何か用がないと来ちゃあかんのか?」
少し寂しそうに言うアシュアに慌ててクリュウが「そんな事ないですよッ! いつでも大歓迎ですってッ!」とフォローを入れる。そんな彼の腰に抱きついて甘えるリリアをフィーリアとサクラが、抱きつかれているのに何の抵抗もしないクリュウをエレナが不機嫌そうに睨んでいる。
そんなこんなで男一人に対して女七人という恐ろしくバランスの悪い総勢八人が村でも比較的大きなクリュウ家に集まった。
エレナ特製の焼きたてクッキーを囲んでの談笑。なかなか楽しいひと時だ。
「はい、お兄ちゃんあ〜ん」
「い、いいって。自分で食べられるから」
「リリアちゃん。お行儀が悪いです。もっとクリュウ様から離れてください」
「……離れろ小娘」
「子供相手に何をムキになっているのだ君達は」
「あんた、今クリュウ君に向けているクッキーは何の意味があるんや?」
「バカクリュウ。あんたはそういう趣味の持ち主だったの?」
「な、何で人を道端に落ちているゴミを見るような目で見るのッ!?」
「そ、そんな……ッ!」
「……クリュウ、かわいそう」
「何か過去に、辛い失恋でもした事があるのか? 私でよければ相談に乗るぞ」
「そっちの三人はなぜそんな哀れむような目で僕を見るのッ!?」
「うーん、クリュウ君やったらリリアを任せてもええかもしれへんな」
「えへへ、応援してねお姉ちゃんッ!」
「そっちはそっちで何勝手に僕を無視した未来予想図を立ててるんですかッ!」
すっかり女子陣営に振り回されてツッコミを連発させるクリュウは疲れたようにため息を吐くと浮いていた腰を落とす。するとそんな彼に紅茶が差し出された。カップを握る白くて細い手を追うと、その先にはニッコリと笑みを浮かべたフィーリア。
「お茶淹れたんですけど、クリュウ様もいかがですか?」
「ありがとう、もらうよ」
フィーリアの手からティーカップを受け取ると、それを口に含む。ちょっと熱いが、その熱さが紅茶の味を挽きたてている。
「どうですか? 熱くないですか?」
「うん。ちょうどいいくらい」
「そうですかぁ」
フィーリアは安心したように笑みを浮かべると、そっと彼の隣に腰掛けた。運良くサクラは用があると言ってなぜかエレナを連れて部屋に戻っているし、リリアは久しぶりに会う従姉妹のアシュアにベッタリ。シルフィードは一人フィーリアが淹れてくれた紅茶を片手に読書をしている。
そんな絶好の機会にクリュウの隣に座って彼の横顔を嬉しそうに見詰めるフィーリア。その視線に気づいたクリュウは小さく苦笑いする。
「ど、どうしたの? 僕の顔に何か付いてるの?」
「ふぇッ!? い、いえ何でもありませんよッ!」
突然話し掛けられたフィーリアは顔を真っ赤にさせるとあわあわと両手を激しく横に振る。そんな彼女に不思議そうに首を傾げると、クリュウは再び紅茶を飲む。
「あ、あのクリュウ様。肩はもう大丈夫なんですか?」
「え? あ、うん。だいぶ良くなったよ。リリアの薬ってすごく効くね」
「リリアちゃんの実家は診療所だそうで、その娘であるリリアちゃんはまだ子供なのに大変優秀な調薬師だそうですよ」
調薬師とはその名の通り薬を調合する職人の事を言う。まぁ、簡単に言うと薬の調合に長けた医者である。様々な種類の薬草や素材を使って薬を作って治療を行う彼らは多くの人々からハンターと並ぶくらいに尊敬されている。
ハンターがモンスターから守ってくれる存在なら、調薬師は怪我や病気から救い出してくれる存在だ。
ただし、ギルドでは専門の調薬師が素材の調合などを仕切っているので、それ以外で調合された物はご法度。簡単に言うと、リリアが作る薬は狩場では使えない。まぁ、大人の事情ってやつだ。
「へぇ、リリアってすごいんだね」
「大怪我などは無理ですけど、日頃の簡単な病気なら医者のいないこのイージス村ではきっと皆さんから必要とされるでしょうね」
「だね。風邪を引いた時なんか隣町まで行かないと薬とか手に入らなかったしね」
「それがリリアちゃんがいる事でかなり改善されるでしょうね」
二人は振り返ってアシュアと楽しげに会話をするリリアを見る。まだ子供なのに、彼女はすごい子だ。
「私達も、負けてはいられませんね」
「……そうだね。僕達はハンターとして、この村を守らないと」
「はい」
横で嬉しそうに微笑むフィーリアを見て、クリュウは彼女達と一緒なら絶対に守り抜ける、そう感じた。何たって、頼りになる心強い仲間達だから。
紅茶を飲み干し一息つくクリュウ。すると、そんな彼にフィーリアがおずおずと声を掛けてきた。
「あ、あのクリュウ様。散歩にでも行きませんか?」
「散歩かぁ。いいね、行こう行こう」
フィーリアの提案に喜んでうなずくクリュウ。しかし言い出しっぺのフィーリアの喜びように比べたらかなり小さい。それほど、フィーリアは嬉しいのだろう。
「じゃ、じゃあ一緒に行きましょう!」
「うん、行こうか」
そう言ってクリュウは無意識でフィーリアの手を握った。その瞬間、ボンッとフィーリアの顔が真っ赤に染まる。表情はもう今にもとろけてしまいそうなくらい幸せな笑み。嬉しくて嬉しくて仕方がないのだ。
「あ、あのクリュウ様――」
「……抜け駆け禁止」
その冷静すぎる声にフィーリアの顔から笑みが消えた。振り返ると、そこにはムスッとしたような表情を浮かべるサクラ。その後ろには同じような表情をしたリリアと仁王立ちしたエレナが立っている。
クリュウの顔からも、笑顔が消えた。
「お兄ちゃん、どこへ行くのッ!?」
「え、えっとちょっと散歩にと思って、フィーリアと」
「ねぇクリュウ。何でフィーリアと手を繋いでるのか、詳しい説明をしてもらえないかしら?」
「そ、それは構わないけど……何で準備体操してるの?」
「――クリュウ、覚悟しておきなさいよ」
「あ、あははは……僕、死ぬのかな?」
直後、美しい月明かりに照らされる静かなイージス村に少年の悲鳴が響き渡ったのは言うまでもない。