巨大な壁で周りを包囲されたドンドルマは、何度見てもその規模の大きさには度肝を抜かれる。辺境の小さな村出身のクリュウにとっては、その大きさは桁違いだ。クリュウ自身ドンドルマで暮らしていた時期があっても、こうして故郷に戻ってから再び戻って来るとその差は改めてすごい。
クリュウは早速師匠に会いに行ったのだが、残念ながら彼は留守であった。どうやら自分の後輩達、つまりは訓練生と一緒に訓練の為の狩りに向かったらしい。相変わらず、自分の技術を若いハンター達に伝授する事をがんばっているらしい。
その後、クリュウはサクラと共に実に一ヵ月半ぶりにドンドルマの酒場に向かった。すでに日は暮れていて、酒場はまた違った風景に見えた。
少し緊張しながら扉を上げると、あのムッとする匂いが漂ってきた。相変わらず酒場の中には多くのハンターが飲んで食って騒いでの大騒ぎをしていた。時刻も時刻なだけあって、人の数も多い。そこかしこで飲んで食べて騒いで暴れたりしている。そんな彼らを見て少しばかり怯えるクリュウに、サクラはその手をそっと握って彼を先導するように歩いた。すると、彼女の凛シリーズに周りの喧騒が止んだ。やっぱりすごい。
二人はそのまま酒場の奥の受付へ向かう。すると、そこにはこの場にはあまりにも不似合いな長い茶髪の美女が制服を着てニコニコと笑っていた。それはクリュウも以前お世話になったライザ・フリーシアであった。
「あらぁ? サクラの行方がわからないと思ってたら、なぁに? クリュウくんとずっと一緒だったのぉ?」
ムフフと意味ありげな笑みを浮かべるライザはクリュウの手を掴むサクラの手を見た。その視線にサクラはほんのりを顔を赤らめてスッと手を離す。が、そんな彼女の行為にライザはさらに意味ありげな笑みを浮かべた。
「あらぁ? ちょっと頬が赤いわよぉ? どうしたのかしらぁ?」
「……」
「うふふ、お姉さんに全て言っちゃいなさい。クリュウくんと付き合ってるの?」
「……そんなんじゃない。クリュウは大切な仲間」
「あらぁ? サクラが反撃してくるなんて珍しいわねぇ」
「……ッ!」
頬を赤らめながら視線を泳がせるサクラに、ライザはニヤニヤと笑みを浮かべる。そんな仲のいい(?)二人を見詰め、クリュウも自然と笑みが浮かぶ。
「二人は仲がいいんですね」
「あら? やきもち?」
「そんなんじゃありませんよ」
苦笑いするクリュウに、ライザはくすくすと笑う。そんな笑みもまたきれいだなぁと思いつつ、依然どこか視線の泳いでいるサクラの肩を叩く。
「どうしたの?」
「……別に」
「そ、そう? 気分悪いなら休んだ方がいいよ? 村からドンドルマに来るのは結構長旅だからね。疲れてるんだよ」
「あらぁ? そうかしらぁ? 恋の病って奴なんじゃないのぉ?」
ニヤニヤと笑うライザ。本当に楽しそうだ。そんな彼女にクリュウは道具袋(ポーチ)の中からギルドカードを取り出すとライザに提示した。目の前に差し出されたカードにライザはきょとんとするが、すぐにその意味を察して小さく笑みを浮かべる。
「ギルドカード? もしかしてハンター登録かしら?」
「はい」
「へぇ、ついにクリュウくんもドンドルマデビューかぁ。何かわからない事があったら言ってね。クリュウくんはかわいいから特別に色々教えちゃうからね♪」
そう笑顔で言ってライザはパチッとウインクした。そんなかわいらしい彼女の仕草に、クリュウは照れたような笑みを浮かべる。
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、まずはこの書類の必要事項を書いてねぇ」
そう言ってライザは机の下から一枚のギルド登録用紙とペンを取り出した。手馴れた手つきだ。
「は、はい」
クリュウはそれらを受け取ると、ペンを持って項目を埋め始める。
名前、得意な武器、モンスターの討伐記録、今までの履歴などなど、結構書く事があったが、なんとか書き終えた。
「はい。お願いします」
「承りました、ってね。はい登録終了。お疲れ様ぁ。もし何だったら何か食べてったら? サービスしてあげるから」
「そ、そうですか? じゃあ何か食べる?」
「……えぇ」
「じゃあクリュウくんはこっちのメニュー。サクラはこっちね」
そう言ってライザは二つのメニューを二人それぞれに渡した。クリュウの紙でできた簡素なものに対し、サクラのは何かの毛皮で装飾された豪華なものだった。
「えっと、この差は一体?」
「悪いけど、前回みたいに一般人じゃなくて正式にここのハンターになったからには、ここのルールに従ってもらうわよ。ここではハンターのレベルによって食べられるメニューが違うの。だから、まだまだかけだしのクリュウくんは下位クラスのを。上位クラスのサクラにはそれに見合ったメニューを上げるの。もちろん金額も上位と下位じゃ雲泥の差よ?」
確かに。サクラのメニューを覗くと、どれも値段がかなり高いものばかり。一番下のでもクリュウのメニューの最高値の三倍はある。
「クリュウくんもこういうのを食べたかったら強くなる事ね。もっとも、サクラが注文したのを分けてもらうのはオッケーよ?」
「……クリュウも好きに食べていい」
「と、とにかくメニューを決めないと。えっと僕はこれ」
「……じゃあ、私はこれ」
「オッケー。どっかのテーブルに座って待っててね」
そう笑顔で言うと、ライザは奥へ消えてしまった。すると代行の受付嬢が出てきて次の客の対応を始める。見事な連係プレーだ。
クリュウとサクラは適当なテーブルに腰掛けた。すると制服を着た女性が水をくれた。給仕担当のギルド嬢なのだろう。
「いやしかし、本当に何から何まで規模が大きいね」
クリュウは改めて村の酒場と比べてこの大きさには驚く。一〇〇人くらい軽く入りそうなほど広い。そんな広い空間に多くのハンターが騒いでいた。中には大人しくしている者もいるが、ほとんどの者がお酒が回って羽目が外れている。
「……ドンドルマは、大陸最大のハンターの都だから、規模が大きいのは当然」
「へぇ」
クリュウは再びハンター達を見詰める。サクラのように女のハンターも何人かいたが、やはりほとんどが男だ。そして装備も色々だ。大剣、太刀、片手剣、双剣、ハンマー、狩猟笛、ランス、ガンランス、ライトボウガン、ヘビィボウガン、弓など様々だ。
防具も多種多様なものばかり。上級飛竜の素材を使った防具を身に纏ったハンターも複数いた。さすがドンドルマである。
クリュウが感心しながら氷水をクイッと飲んだ時、突如後ろから誰かに突き飛ばされた。
「あぐぅッ!」
「……クリュウ!」
押し倒れたクリュウが起き上がると、そこには明らかに正しい道から外れたとしか見えない男が三人いた。武器はそれぞれバスターブレイド(大剣)、ジェイルハンマー(ハンマー)、スティールガンランス(ガンランス)など近接武器ばかりだ。そして防具はガレオスシリーズ、ゲネポスシリーズ、ハイメタシリーズ。どれも下位クラスの防具というところを見ると、実力は凶悪な顔に対してはそれほどでもないらしい。それでもクリュウよりは強いだろうが。
「なぁお嬢ちゃん。こんな青臭いガキなんかより俺達と一緒に楽しい事しねぇか?」
「そうそう。かわいがってやるからよぉ。まぁ、断ってもかわいがってやるけどな」
「女がハンターなんてなめられたもんだな。俺達男がいないと何にもできないくせによ。せいぜい使い道なんて娼婦(しょうふ)ぐらいだろ? ヒヒヒヒヒ」
あまりにもありがちな絡み方だ。きっと彼らの脳は頭を振ればカラカラと音を立てるほどしかないのだろう。
「ちょっといきなり何するんですか!」
クリュウはサクラを守るように彼女の前に立った。もちろんサクラの方が強い。でも、女の子を見捨てるなんて、クリュウにはできなかった。
「あん? ガキは黙ってろ!」
「あがぁッ!」
かっこ良く決めても、瞬殺だった。ハンターとしてはともかく、クリュウぐらいの少年が筋肉ムキムキの男三人に勝てるはずがない。一般常識だろう。
倒れて起き上がろうとしたクリュウの背中を、男が踏みつける。
「は、放せッ! あがぁッ!」
「威勢のいいガキだな。ちょっとお仕置きが必要か?」
大の大人三人が倒れて身動きの取れない一人の少年を包囲する。誰が見てもどっちが悪か丸わかりな構図だ。
ハンマーの男がその腰に下げた獲物を抜き放った。ハンターは人に武器を向けてはならないという鉄則があるのだが、この男簡単に無視した。
「へへへ、俺一度でいいからこいつで人を殴ってみたかったんだぜ。ちょうどいい機会だ」
振り上げられたハンマーに、クリュウの顔が恐怖に染まる。その時、
「……離れろ下郎」
その凛とした声に振り返ると、そこには飛竜刀【紅葉】を構えたサクラが立っていた。その隻眼にはすさまじい怒りの炎が燃え上がり、その体からはすさまじい殺気の嵐が吹き荒れる――正直、こっちの方がめちゃくちゃ怖い。
「あん? んだ嬢ちゃん。やるってのか?」
無知とは恐ろしいものだ。何も知らずに威勢のいい大剣使いがニヤニヤと笑う。が、その余裕も、一瞬で消えた。
「……殺す」
その小さくも凛とした声が引き金となり、彼女を包み込む殺気が拡散しすさまじい殺気が酒場を支配した。その殺気に、三人は恐怖する。ついでにクリュウも。
まるで火竜の逆鱗に触れて血走った目で睨まれたかのようなすさまじい殺気。新米ハンターが泣きながら酒場を出て行っても仕方がない。
男三人は今さらながら彼女の装備を見て絶句した。そこには自分達の装備なんて足元にも及ばない天の領域の装備があった。
「す、すまなかった……ッ!」
男三人が慌てて頭を下げるが、サクラの隻眼は血走ったままだ。
「……許さない。クリュウを傷つける者は、誰であろうと――殺すッ!」
『ひいいいいいぃぃぃぃぃッ!』
大の男三人の悲鳴が上がった瞬間、サクラは炎を吹き荒らす飛竜刀【紅葉】を思いっ切り振り上げ――
「はいそこまで」
突如そんな声と共に現れてサクラの手を握ったのはライザ。空いているもう一方の手には二人が頼んだ料理が絶妙なバランスで重ねられていた。クリュウは安堵するが、サクラはキッとライザを睨む。
「……放して」
「そうはいかないの。ハンターは武器を人に向けちゃダメ。これは数少ないハンターの掟でしょ? やるなら拳でしなさい。それなら許すから」
「……わかった」
そう言ってサクラは剣を鞘に納めると、拳を構える。武器がない分威力は大幅に落ちるだろうが、むしろライザという後ろ盾を得た分、殺気の勢いはさらに増す。そして、
「……撲殺開始」
『ひいいいいいぃぃぃぃぃッ!』
「も、もういいからッ! やめてよぉッ!」
クリュウが慌てて止めると、サクラは渋々といった感じで手を下げた。それを見て、男達は逃げるように酒場を出て行った。
静かになっていた酒場は事態の収拾から再びうるさくなった。何て気が変わるのが早いのだろうか。
「まったく、あなたらしくないじゃないサクラ」
「……ごめん」
ライザはサクラを説教しながらテキパキと片手だけで支えていた料理をテーブルに並べる。その動きはまさにプロである。あっという間にテーブルの上にはおいしそうな料理が並んだ。
「じゃあ、ごゆっくり〜ぃ♪」
ライザはそう言い残すと再び受付に戻った。
クリュウは目の前の自分の料理――あぶりスネークサーモンの特産キノコと熟成チーズがけを見詰める。もちろんとてもおいしそうだが、サクラの料理を見るとちょっと落ちる。
サクラが注文したのはリュウノテールとキングトリュフのグリル、ロイヤルチーズとシモフリトマトのソースがけだ。もう名前からしても格が違う。もちろん使っている素材も桁違いだ。値段もだが。
「す、すごいねぇそれ」
「……クリュウも食べるでしょ?」
「え? あ、いや僕はいいよ」
「……これ、クリュウと食べたいから注文した」
なぜかしゅんとするサクラに、クリュウは慌てて笑みを浮かべる。
「だ、だったらもらおうかな!」
「……うん」
するとサクラはいつもの彼女に戻り、手際良く切り分けて取り皿に盛ってくれた。まるで最初からこの状態で来たと思わせるような見事なよそい方だ。自分がやったらきっと肉汁やらソースやらが飛び散って見るも無残なものになっていただろう。
「……はい」
「あ、ありがとう」
クリュウはそれを受け取ると、まずは自分が注文した料理を食べる。あぶられたスネークサーモンがとろりと溶けた熟成チーズと交わり、特産キノコがその味をさらに引き立たせる。かなりの美味だ。これで下位なんて信じられない。
「おいしいなこれ」
「うふふ、気に入ってくれた? それ、特別に私の手作りなのよ」
そう言って現れたライザは二人のコップに水を足す。クリュウのは先程の騒ぎで空っぽになってしまっていたので満タンまで注いでくれた。
「そ、そうなんですか。なんだかお手をわずらわせたみたいですみません」
「いいのいいの。私の大の仲良しのサクラちゃんの大切な人だもん。これくらい当然よ」
「……」
「あははは、なんかサクラの目が怖いから行くね」
そう言って逃げるようにして去るライザ。ふとサクラを見るが、いつもと何ら変わらない姿をしている。一体今振り返るまでの間に何があったのだろうか。
「あ、ちなみに、サクラが頼んだのはウチでもトップクラスの値段の料理ね。中級依頼の報酬が一発で吹っ飛ぶ値段の。あなたの為に注文したのよ」
「……」
「ご、ごめんね〜ッ!」
ライザは再び逃げて行った。
サクラに向き直ったクリュウは目の前の料理を見詰めてため息する。
「ご、ごめんね。何かまた迷惑掛けちゃったみたいで」
「……そんな事ない。これはクリュウと食べたかったから。ただそれだけ」
「で、でも高いんでしょ?」
「……大丈夫。貯金はあるから。それより早く食べないと冷めてしまうわ」
「え? あ、うん」
クリュウは再びスネークサーモンを食べる。そして今度こそサクラに分けてもらった料理を食べる。と、それは食の常識を覆すほどのうまさであった。
「おいしいッ! これすごくおいしい!」
「……喜んでくれて良かった」
すると、実はまだ口にしていなかった自分の料理をサクラもクリュウに続いて食べる。お味はもちろん、
「……おいしい」
「でしょッ!? これすごくおいしいね!」
「……クリュウが食べたいだけ食べていいから」
「え? いいよいいよ! それより二人で仲良く食べた方がいいって!」
「……そうね」
なんとも幸せなムード漂うテーブルであった。周りのハンター達もそのあまりの幸せさに微笑んだり、うらやましがったり、怒りを覚えていたり、調子の乗って女ハンターやギルド嬢を口説こうとして断られたり逆襲に遭ったりして失敗に終わっていた。
ライザもそんな二人を幸せそうに見詰めていた。と、そこへ誰かが受付にやって来た。視線をそちらに向けた瞬間、ライザの顔がぱあっと輝いた。
「久しぶりじゃない。今までどこに行ってたのよ」
「色々な村や街を回ってました。心配掛けましたか?」
「もちろんよ。まったくもう」
「すみません」
「いいのよ」
「あ、これギルドカードです。更新しておいてください」
「えっと……あら、またリオレイアの討伐数が二頭増えてる。さすがね」
「いえ、これは協力してくださったハンターさんのおかげですから」
「またまた謙遜しちゃって」
ライザは目の前に立つ輝く金髪にレイアシリーズを身に纏った少女ハンターと楽しげに会話していた。少女も久しぶりにライザに会えてとても嬉しそうだ。
「聞いてよ。さっきまた暴動があってさ」
「そうなんですか?」
「えぇ、それもまた実力なんて全然下のかけだしに近いハンターよ」
「最近はハンターのモラルの低下が深刻化してますからね」
「そうなのよ。特に新米やかけだしに多くてね。自分の実力を甘く見てるのよ」
「でも新米さんもそういう方々ばかりじゃありませんよ。私の知っている人はとてもまじめて優しい人でしたから」
「あら? それってあなたが好きだって言ってた新米ハンターの男の子の話かしら?」
「えぇッ!? そ、そんなんじゃありませんよぉッ!」
「照れちゃってかわいい。一度どんな子か見てみたいわね」
「ダメですよ。その人は自分の村を守ってる村ハンターですし……ケンカして別れちゃいましたから」
「……そうだったわね。ごめんなさい」
「いえ、ライザ様が謝られる事はないですよ」
「そうかしら? あ、でも私もいい子見つけちゃったわよ? すんごくまじめで優しくて、そしてかわいい子」
「え? そうなんですか?」
「ほら、今あそこで楽しげに女の子とディナーを食べてる子よ」
ライザが笑顔で指差した方向に振り返った少女は、笑顔から一転、驚愕に変わった。エメラルドのような緑色の瞳がこれでもかと大きく見開かれる。
「どうしたの?」
ライザの声も聞こえず、少女は楽しげに会話をしているクックシリーズの少年を見詰める。そして、気がついた時には走り出していた。
「ちょ、ちょっと!」
ライザの声が聞こえた気がしたが、それどころではなかった。
まさか、こんな所で再会できるなんて思っていなかった。
もう会う事はないとまで覚悟していたのに、こんな所で、こんな形で。
高鳴る鼓動を抑えながら、少女は必死に少年に向かって走った。
少女は少年のテーブルに駆けながら、懐かしきその少年の名を叫んだ。
「クリュウ様ッ!」
「え?」
その声にクリュウが驚いて振り向くと、そこには美しく長い金髪にレイアシリーズを身に纏った少女が立っていた。その姿にクリュウは驚愕する。
それはサクラと再会するずっと以前、自分にハンターとしての能力を色々と教えてくれ、心の底から信頼していたのに、自分から離れて行ってしまったハンターの女の子――フィーリアであった。
「ふぃ、フィーリアッ!?」
驚くクリュウは思わず立ち上がった。
目の前にいるのは紛れもなくフィーリア・レヴェリであった。
あれから結構な時が流れている。だが彼女はその頃とほとんど変わっていない。それはフィーリアから見たクリュウも同じ事であった――いや、違う。もっと強くなっていた。
サクラは突然現れた見知らぬ少女をじっと見詰める。クリュウが言った《フィーリア》という名前、それは彼を見捨てて村を出て行った彼のハンターとしての師匠のような女の子と聞いていたが、まさかこの人が? というような目線を向けている。
クリュウとフィーリアは互いに突然の再会に驚きのあまりしばし何も言葉を発せなかったが、やっとの思いでクリュウが口を開いた。
「ひ、久しぶり」
「は、はい。お久しぶりです」
二人はどこか気まずそうな雰囲気にそれ以降言葉が繋がらなかった。
フィーリアは不安そうにクリュウの瞳を見詰めた。そんな彼女の胸の中では彼と別れ際のケンカを思い出していた。
自分達は、ケンカしたまま別れたのだ。
こんな状態で何を言えばいいのかわからなかった。
気まずい時間だけが流れていく。
フィーリアは次第にしゅんとなっていく。
きっと自分は彼に嫌われている。そう思っていた。
顔を伏せてしまったフィーリアの背中を、ライザが不安そう見詰めている。と、誰もが二人の間の気まずい雰囲気に言葉を失った時だった。
「元気にしてた?」
その優しげな声に顔を上げると、そこには笑みを浮かべたクリュウの姿があった。あの頃と変わらない、優しげな笑みがそこに。
「怪我とかしてない? ちゃんとごはん食べてる?」
「え? あ、はい。平気です」
「そっか。良かった良かった」
クリュウは本当に嬉しそうに微笑んだ。その笑みに、フィーリアは懐かしさ、そして嬉しさから瞳から涙が流れ出した。
「ふぃ、フィーリア?」
いきなり泣き出したフィーリアにクリュウは慌てる。
「ど、どうしたの!? 何か僕変な事言ったッ!?」
「い、いえ、その……なんか、すごく嬉しくて……」
「え?」
「だ、だって、私もうクリュウ様に嫌われて、もう二度と会えないって思ってたから、こうしてまた会えて、笑ってくれるなんて思ってなくて……嬉しくて……ッ!」
流れ落ちる涙を必死に拭き取るフィーリアに、クリュウは小さく微笑む。だが、しばらくしてそれは悲しそうな表情に変わり、彼は頭を下げた。
「ごめん」
「え? く、クリュウ様!?」
突如頭を下げたクリュウにフィーリアは驚いたように目を見開く。
クリュウはおろおろとするフィーリアに今までずっと言いたかった言葉を繋げた。
「あの時、僕気が動転してて、君にひどい事を言って本当にごめん! 本当は、ちゃんと見送りたかったけど、でも、フィーリアがいなくなるのが嫌で、あんな事を……ッ! 本当にごめんなさい!」
必死に頭を下げて謝るクリュウに、フィーリアはあわあわと慌てる。
「そ、そんな! クリュウ様頭を上げてください! わ、悪いのは私なんですから!」
フィーリアは大慌てでクリュウの頭を上げると今度自分が頭を下げる。
「わ、私の勝手でクリュウ様に辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳ありません!」
「そ、そんなフィーリアが謝る事ないよ! 悪いのは僕なんだから!」
「そんな事ありませんよッ! 悪いのは私です!」
いつの間にか二人で謝り合戦が開始されていた。その奇妙な光景に周りの皆はおかしそうに笑った。その笑い声に二人は今の自分達の状況に顔を真っ赤にして離れる。
クリュウは照れたように頬を掻く。そんな彼の仕草もまた懐かしい。
「まぁ、また会えて良かったよ」
「そうですね。本当に嬉しいです」
そう言ってフィーリアは満面の笑みを浮かべた。その笑顔にクリュウも嬉しそうに笑みを浮かべる。そんな二人を見詰め、ライザは嬉しそうに微笑む。一方のサクラは無言で二人を見詰めていた。
「クリュウ様はどうしてまたドンドルマに?」
「村の周りの狩場が平和になっちゃって。仕事がなくなっちゃったから一時しのぎで来たんだ」
「そうなんですか。じゃあこちらには何日かいるのですね?」
「うん。二、三日くらいは」
「じゃあ! その間はもう一度私と組みませんか!?」
これはチャンスであった。
クリュウと組むなんて久しぶりである。二人の絆を結び直すいい機会だ。フィーリアは嬉しそうに微笑む。が、
「……ダメ。クリュウは私と組んでるから」
その声に初めてフィーリアは彼と同じテーブルに座る少女に気がついた。
じっと自分を見詰める左目に眼帯をした少女はラオシャンロンの素材を使った凛シリーズというレアな防具に火竜の素材を使った飛竜刀【紅葉】を装備している。それだけでかなりの実力者である事がわかった。
「どなたですか?」
「あ、紹介するね。今僕と一緒に組んでるハンターのサクラ・ハルカゼ。すんごく強くて知識もあって頼りにしてるんだ!」
まるで自分の事のように嬉しそうに説明するクリュウを見て、フィーリアはムッとする。
目の前の少女はかなりかわいい。そんな子がクリュウと組んでいるというだけでも嫌なのに、クリュウの笑顔を見ると本当に心の底から信頼しているらしい。
自分がいない間に、クリュウは新たな仲間を得た。それが彼女なのだ。
じっと自分を見詰めるサクラという名のハンターの片方の瞳には、敵意のような光があった。その視線に、フィーリアの顔からも笑顔が消える。
「初めまして。クリュウ様と《以前》組んでいたライトボウガン使いのフィーリア・レヴェリです」
「……クリュウと《現在》組んでいるサクラ・ハルカゼ」
二人の間で、一瞬バチバチと火花が迸った気がしたのはクリュウの気のせいではないだろう。
不安げに見詰めるクリュウの前で、睨み合う二人の少女はさらに対立していく。
「……クリュウは私と組んでる。あなたが出る幕はない」
「それはクリュウ様が決める事です。あなたに決定権はありません」
「……クリュウは私とずっと一緒」
「わ、私だってクリュウ様と組んでいた時期もあります!」
「……あなたは過去の女」
「な、何ですってッ!」
睨み合う二人の女ハンター。どちらもすさまじい実力者なので、二人の敵意むき出しの瞳に皆が恐怖する。二人の間に火花が散っているように見えたのはきっと気のせいではない。
「ちょ、ちょっと二人とも!」
クリュウが慌てて止めに入るが、二人は睨み合ったまま。その勢いは今にも互いの武器を抜き放ちそうだ。クリュウがおろおろとしていると、そこへ「はいはい、そこまでね」と言ってライザが仲裁に入って来た。
「まったく、私と特に仲のいい子同士がケンカするなんて」
ライザは困ったような笑みを浮かべる。その後ろではクリュウがまだおろおろとしている。そしてフィーリアとサクラはライザに止められて睨み合う事はなくなったが、双方共に背を向けたままだ。依然その背中から放たれる敵意は衰えてはいない。
「とにかく、ケンカはダメよ。私は二人の味方なんだから」
ライザはそう言うと二人を説得する。クリュウは板挟みの彼女を手伝ってあげたかったが、する事もなく仕方なく席に戻った。
しばしの会話の後、ライザは仕事の為受付に戻って行った。だが、フィーリアとサクラの間には依然溝が空いたままだった。サクラはそんなフィーリアを無視し、席に戻る。
「……料理が冷めてしまう」
「そ、そうだね」
少し怒ったような彼女の口調に、クリュウは慌てて料理を頬張る。もちろんおいしいが、先程までの感動は一切なかった。それは吹き荒れる冷たい空気のせいだろう。
クリュウとサクラは食事を再開した。が、
「あ、あのクリュウ様。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
フィーリアが笑顔でそう訊いてきた。その言葉にサクラの眉がピクリと動く。
「え? あ、もちろん! あ、サクラもいいでしょ?」
「……別に」
慌ててサクラに了解を得ようとしたが、返って来たのは素っ気ないものだった。だが、その言葉の奥には何か怒ったような雰囲気があるように感じたのは気のせいではない。
フィーリアは「ありがとうございます」と礼を言うとクリュウの隣に腰を下ろした。その瞬間、サクラの眉がピクリと動く。
こうしてクリュウの横にフィーリア、前にサクラが座る事になった。
フィーリアは自らも料理を注文すると久しぶりのクリュウとの再会に嬉しそうに彼に話し掛ける。
「クリュウ様もずいぶん強くなられましたね」
「そ、そっかな?」
「そうですよ。さすがクリュウ様です」
「あはは、そう言ってもらえるとすごく嬉しいよ」
照れたような笑みを浮かべるクリュウに嬉しそうに微笑むフィーリア。そんな二人をサクラはじっと無言で見詰めている。
クリュウはふとフィーリアの背中の武器に気づいた。その背中には相変わらずヴァルキリーファイアが背負われている。そんな彼の視線に気づいたフィーリアは小さく笑みを浮かべる。
「これはヴァルキリーブレイズです。以前使っていたヴァルキリーファイアの強化型ですよ」
そう言ってはにかむフィーリア。きっと彼女はあれからもずっと強敵リオレイアと戦い続けていたのだろう。自分がサクラと一緒に死に物狂いでフルフルと戦っていた頃も、きっと。
「あ、あのさフィーリア? 僕と別れてから、どれくらいのリオレイアを狩ったの?」
クリュウの問いに、フィーリアは「えっとですね……」と指を折って数え始める。その数はあっという間に片手の指を超えてしまう。
「……単独二頭の合同五頭、合計七頭ですね」
「そ、そんなにッ!?」
リオレイアをこの短期間で七頭も討伐するだなんて。クリュウは改めて彼女と自分の間にあるすさまじい実力差に愕然とする。
「今年はリオレイアの数が例年より多くて……って、クリュウ様ッ!?」
「……僕なんてがんばってもそんなのは無理だよぉ」
激しく落ち込むクリュウに、フィーリアはようやく自分が地雷を踏んでしまったと気づき、慌てて笑みを浮かべる。
「く、クリュウ様だってすごいですよ! この歳でもうイャンクックを倒されてるんですから!」
「フィーリアはもっと早いでしょ? 年下でリオレイア倒してるじゃん」
「はうぅ……」
さらなる地雷を踏んでしまい、フィーリアの笑顔が凍りつく。
どうしたらいいかおろおろするフィーリアに対し、激しく落ち込んだままのクリュウ。そんな不気味な沈黙が二人の間を支配した時だった。
スッとクリュウの手をサクラが両手で包み込んだ。顔を上げると、そこには隻眼を自分に向けるサクラがいた。その瞳はとても優しい。
「……クリュウはすごい。私が一番知ってるから」
「サクラ……」
クリュウの顔に再び笑みが灯った。それを見て、サクラも小さく微笑む。なんとも仲のいい二人だ。そんな二人を見詰めるフィーリアは、その仲の良さと微笑ましい雰囲気に、自分一人だけ取り残されているような気がした。
自分がいない間に、二人は心から結ばれた関係になっていたのだ。
「こ、こんなはずじゃ……ッ!」
激しく敗北感を味わうフィーリア。
やはり空いた時間の差は大き過ぎる。
この差を埋めるには、どうすればいいかッ!?
フィーリアは必死に考えた。そして、一つの打開策を思いついた。
「く、クリュウ様!」
焦りのあまりフィーリアの声は上ずってしまった。
「な、何?」
クリュウはフィーリアの鬼気迫る迫力に少々怖がりながら返事する。
「あ、明日! 一緒に狩りに出ませんか!?」
フィーリアが思いついたのはこれだった。
命を懸けた危険な狩場に出れば、自分の実力を思う存分発揮できる。そこで二人の絆を結び直せば、まだチャンスはある!
「え? あ、別にいいけど」
「ほ、本当ですかッ!?」
フィーリアは飛ぶように歓喜した。
これで、クリュウとの絆もまた深く刻まれるはず! だが、
「……ダメ。クリュウは、私と一緒に狩りに行く」
そう言ってクリュウの手を掴んだのはサクラ。片方しかない瞳はしっかりとした意思を持って、クリュウを見詰める。
「え? あ、で、でも……」
クリュウは困ったようにフィーリアを見る。だが、クイッとクックアームを引っ張られて振り返ると、そこにはうるうるとしたサクラの瞳があった。
「……クリュウは、私が嫌い?」
「そ、そんな事ないよ!」
「……だったら、一緒に」
「え? あ、その、フィーリア、ごめん、あの……」
「そ、そんなぁッ! クリュウ様は私の事がお嫌いなんですか!?」
「ち、違うよッ!」
「クリュウ様!」
「……クリュウ!」
「んがあああぁぁぁッ!」
二人の少女の間で悶絶するクリュウ。そんなクリュウを二人の少女が必死な表情で見詰めているというある意味修羅場的な雰囲気に包まれるテーブルに、ライザが苦笑いしながら現れた。
「だったら三人で行けばいいじゃない」
「あ、それだ!」
「嫌です!」
「……(フルフル)」
クリュウは妙案を得たようであったが、二人はそんな妥協策を真っ向から拒否した。そんな二人にライザが苦笑いする。
「二人とも、あんまりクリュウくんを困らせないでよ。かわいそうでしょ?」
「うっ……」
「……」
ライザの言葉にすっかり熱くなっていたものが消えた二人はそっと浮いていた腰を落とした。そんな二人に安堵するクリュウ。
すると、そんな三人のテーブルにライザはある一枚の依頼書を提示した。
「隻眼の人形姫と呼ばれるサクラと、新緑の閃光と呼ばれるフィーリアなら、クリュウくんの分を差し引いてもこれくらいの依頼は大丈夫よね」
「今、さりげなく僕をお荷物扱いしましたよね?」
「どう? やってくれるかしら?」
笑みを浮かべるライザの提示した依頼書を三人は覗き込んだ。
依頼書には火山の鉱脈を調査に行った調査団がバサルモスに襲われたので、そのバサルモスを排除してほしいというものだった。
バサルモスとは火山などに生息する《岩竜》という別名を持つ飛竜の事だ。飛竜と言っても飛ぶ事はあまりなく、移動は主に地中が多い。グラビモスという《鎧竜》と呼ばれる強力な飛竜の幼竜でもある。岩に擬態するのが得意でその擬態を見破るのは困難に近い。その体は岩のように硬く、刃が通りづらく弾き返されてしまう事さえある。フルフルなどとはまた別の意味で厄介な相手だ。
しかも火山。クリュウはまだ未経験な狩場である。
ドンドルマに来ていきなりこんな無茶な依頼なんて、正直かなり辛いし遠慮したい。ここは断るのがいいだろう。
「わ、悪いですけどこの依頼はちょっと――」
「わかりました! お受けしましょう!」
「……望むところ」
「おいぃッ! 僕の意見は完全無視なのぉッ!?」
「あら嬉しいわぁ。やってくれるのね」
「勝手に進行しないでよぉッ!」
クリュウは必死になって抵抗するが、女三人はすさまじい勢いで勝手に話を進行していく。残念ながらこの空間だけは女性優位の世界になっている。
「私とクリュウ様のコンビならこの程度の相手など負けません!」
「……クリュウと私の連携の前では、バサルモス程度恐れるべき相手ではない」
「あなたには絶対負けない!」
「……私だって」
「あのぉ、二人とも忘れないでね。一応二人は仲間なんだからね」
苦笑いするライザの横では、クリュウが頭を抱えてテーブルに伏せている。もう諦めるしかなかった。
依頼書の参加者名にフィーリアとサクラ、そしてクリュウの名前が書かれ、ライザは嬉しそうに微笑む。
依然火花を散らし合う二人の横で、クリュウはもうほとんど泣きながら料理を食べていた。だが、その味はもう何がなんだかわからなくなっていた。
フィーリアとの再会という嬉しいはずの出来事が、また新たな戦いの引き金となってしまい、クリュウの苦難は続くのであった。