フィーリアがイージス村を出てから二週間が過ぎた。
彼女が消えた悲しみはもうほとんど表には出なくなり、皆いつもと変わらない日々を暮らしていた。
今日もまた平和な一日が流れる。
風に揺れる木々の詩が、イージス村を包む。
いつもと変わらない日々。
――だがたった一人、フィーリアがいなくなった事で変わってしまった者がいた……
「ただいま……」
「クリュウ!?」
酒場で新しく入ったワインなどを棚に並べていたエレナは酒場に入って来たクリュウの姿を見て驚いた。
クリュウは桃色のクック装備を泥だらけにし、無数のかすり傷や打撲などをしていた。幸い大怪我ではないが、怪我をしていたのだ。
「だ、大丈夫!?」
エレナはカウンターの下に常備してある救急箱を取り出して彼に駆け寄る。クリュウはその間に空いている椅子に座った。
「見せて」
エレナはクリュウの防具を脱がすと、体中に残る傷に薬を塗り、絆創膏(ばんそうこう)や包帯、湿布などを貼る。終わった時には包帯などが巻かれ、クリュウは明らかに怪我人という格好になっていた。
「ごめん……」
クリュウは申し訳なさそうに頭を下げた。だがそれは単に怪我を看てもらった事だけに対するものではなかった。
落ち込むクリュウを見てエレナはカウンターから依頼書などの束を取り出すと、ため息混じりにここ最近口にする言葉を言った。
「また、失敗したのね?」
「うん……」
クリュウは力なく答えた。
エレナはため息すると彼が受けた依頼書にバツ印を入れる。最近はこの作業ばっかりだ。
「でもあんたこの二週間ずっと依頼を失敗してるじゃない」
彼女が開いた本には彼の依頼記録が載っている。ここ最近、二週間の間に彼が受けた依頼は十件。だがどれもが失敗に終わっていた。しかもそのどれもがランポスの狩猟やランゴスタの掃討など簡単なものばかり。一件だけ入っていたドスランポスの討伐も失敗に終わっている。今の彼の実力なら決して失敗するようなレベルではないのに、クリュウは立て続けで失敗していた。
エレナは落ち込む彼にそれ以上の追求はしなかった。
彼だって失敗したくて失敗しているのではないとわかっているからだ。
エレナは無言で彼の好きなハチミツ入りミルクを彼の前に置く。
「ありがとう……」
クリュウは小さく礼を言うと、ミルクを飲む。
「それは私のおごりだから、気にしないでね」
エレナはそれ以上何も言わず、再びカウンターに戻ってワインを整える。
酒場にはクリュウとエレナの二人だけしかいない。不気味な静けさが酒場を包んだ。
「ダメなんだ……」
長い沈黙を破って声を出したクリュウの言葉がそれだった。
「ダメって、何が?」
エレナは手を止めてクリュウの話に耳を傾ける。見ると、いつも明るいクリュウの表情が暗く、落ち込んでいた。そんな彼を、ここ二週間ずっと見ている。
「誰かが一緒じゃないと、僕は何もできない」
「またぁ、いつまでも甘えてるんじゃないよ。あんたはやればできる奴なんだから、もっとがんばりなさいよ」
エレナはそんな彼の言葉を否定し、彼を励まそうとするが、クリュウは小さく首を横に振る。
「そうじゃないんだ。ただ――背中が怖いんだ……」
「背中が、怖い?」
どういう意味かわからずエレナが首を傾げると、クリュウはミルクを一口飲む。
「僕は今まで、背中をフィーリアに任せて安心して前を見て戦って来た。でも、フィーリアがいなくなって、僕の背中はがら空きになった。今日も、その前も、その前もその前も、いつも後ろからの攻撃が避けられずにボコボコにされて失敗してきたんだ」
背中を任せて戦って来た彼にとって、それを任せるべき相手のいない戦いは過酷以外何ものでもないのだろう。ハンターじゃないエレナにも、そんな彼の気持ちはわからなくもない。
確かに彼は一人でも戦えるだけの実力はある。でも、それは技術であって本当ではない。いくら優秀な技術を持っていても、今までと全く違うやり方になれば、そしてそれが自分の苦手な分野だったら、実力なんて出せる訳がない。
「僕は、個人ハンターには向いてなかったんだ……」
クリュウは力なくうな垂れる。
そんな彼にどう声を掛けたらいいか、エレナにはわからない。
クリュウはそんな彼女の前で残りを飲み干すと、「ありがとう」と小さく礼を言って酒場を出て行ってしまった。そんな彼を止める事はできず、エレナはギュッとカウンターの下で拳を握った。
数日後、クリュウはリフェル森丘に来ていた。
今日の依頼は交通路を含んだ狩場に現れたランポスの狩猟だ。ドスランポスの目撃情報はないので気楽にできる依頼だ。
だが、今のクリュウにはこれでも十分難しい狩りだった。
岩陰に隠れて前方を窺うと、ランポスが五匹動き回っていた。これくらいなら問題ないだろうと、クリュウは岩陰から出るとランポス達に向かって走り出す。敵襲にランポス達が鳴くが、遅い。
「うりゃあッ!」
クリュウは一番手前にいたランポスを横なぎに一閃する。その一撃でランポスは吹き飛ばされて動かなくなった。ハンターナイフの頃と違い、ドスバイトダガー改はランポス程度ならうまく入れば一撃だ。
「ギャアッ!」
横から突っ込んで来るランポスは盾を使ってガードし、横へ薙ぎ払うように一閃してのどを斬り裂いて一撃で飛ばす。
一度後方へ下がると、追撃して来たもう一匹に下から上に斬り上げる。ランポスは悲鳴を上げて仰け反る。すぐさまそこへもう一撃を加えると、ランポスは地面に倒れた。
「あと二匹!」
クリュウは前方にいるランポスに突っ込む。
「これで――ぐわぁッ!」
ランポスに飛び掛ろうとした刹那、後ろからすさまじい一撃を受けてクリュウは地面に倒れた。後ろから聞こえる歓喜の声。もう一匹のランポスだ。
「くぅ……ッ! また後ろから……ッ!」
クリュウは急いで立ち上がると自分に一撃を入れたランポスを斬り飛ばす。とにかく倒したいという思いが先行してしまったその行動は、隙も多かった。
「ギャアァッ!」
「あぐぅッ!」
隙だらけの背後にランポスが飛び掛って来た。そのすさまじい威力にクリュウは押し倒された。もしこれがクックシリーズでなかったら、きっと奴の爪が肉に食い込んでいただろう。さらに間が悪い事に、転倒した際に剣を落としてしまった。痛む体を起こして見ると、自分より二メートルほど離れた剣は場所に落ちていた。慌てて拾うおうと立ち上がった途端、ランポスの飛び掛りを受けて再び転倒する。だが、運が良かった。前に倒れたおかげで剣を取れる位置に来た。すぐに剣を取って立ち上がり、襲い掛かるランポスを下から上に斬り上げる。ランポスの赤い血がクックシリーズをさらに赤く染め、そのまま倒れた。
クリュウはランポス全てを狩った事を確認すると、ぐったりとその場に倒れた。
息が荒い。体中が痛い。思ったよりもダメージを受けたらしい。
ポーチの中から支給品の応急薬を取り出そうとして気づく。さっき転倒したせいか、ポーチの中で応急薬は三つ全て割れていた。
クリュウは落胆する。
今回は回復薬を持って来ていない。最近依頼を失敗し続けているので契約金は返って来ないで赤字続き。さらにクックシリーズを新調したばかりで、貯めていたお金ももうない。金銭的な問題から、装備は最低限のものしか持って来ていなかった。
「一度、拠点(ベースキャンプ)に戻るか」
クリュウは立ち上がると背の低い草が生える広場を出る。
とにかく早く戻りたい。クリュウは最も短距離である森を抜けるコースを選んだ。
鬱蒼と茂る森の中、クリュウは辺りをしきりに警戒しながら残り少ない体力を極力抑えて歩みを進める。ここはランポスが出現する場所。油断は禁物だ。
だが、どれだけ歩いてもランポスは出てこない。きっとここにはいないのだろう。そう思って森の出口を見て安堵した。が、その油断が悲劇を生んだ。
「あぐわぁッ!」
突如背後からすさまじい突撃を受けてクリュウは地面に倒れた。
背骨が折れたのではないかというくらいの痛みに耐えながら目を向けると、そこには脚を地面に擦らせて今にも突撃して来そうなブルファンゴがいた。
「しまった!」
クリュウは慌てて起き上がろうとするが、背中に激痛が走って起き上がれない。
そして、クリュウが最後に見た光景は――自分に向かって突撃して来るブルファンゴの姿だった。
結局、依頼は失敗に終わった。
クリュウはイージス村に戻るとエレナに頭を下げた。これで十一回連続で依頼を失敗している。エレナももう何も言わなかった。
クリュウはトボトボと家に戻る。
その道中、クリュウは今回の狩りを思い出す。
ランポスもブルファンゴの攻撃も全て後ろから受けた。
やっぱり、後ろが怖い。
今まで、ずっとフィーリアの後方支援があった。だからこそ自分は前だけに向かって走る事ができた。だが、フィーリアがいない今ではそれは大きな背後の隙を作るだけでしかない。
根本的に、戦い方を変えるしかない。
もう一度ドンドルマの養成所へ行って、教官から単独の狩りを叩き直してもらうかとクリュウは自分にできる最善の策を考えていた。
その時、村の入り口の方で何事か騒がしかった。
「何だろ?」
「クリュウ!」
振り返ると、酒場からエレナが走って来た。パタパタと風に揺れる給仕服は最近はもう見慣れてしまったが、やっぱりかわいいと改めて思った――まぁ、中身は乱暴極まりない男女なのだが。
「あれ、どうしたの?」
エレナが不思議そうに指を挿して訊いたのは村の入り口の人だかりだった。
「いや、僕もわかんない」
「行ってみよっか」
「え? でも酒場は?」
「どうせこの時間なら誰も来ないわよ。ほら、行きましょ」
エレナはクリュウの手を取って走り出す。そんな彼女に手を引かれ、クリュウは少し照れながらも彼女に続いた。
人だかりの中に入ると、村人達は皆同じ方向を見詰めていた。不思議そうにその視線を追うと、そこには、
「おい誰か! クリュウくんを呼んで――って、クリュウくん! 君にお客さんだって」
彼に気づいた村長の言葉は、クリュウの耳を通り抜けた。そんな彼が驚きのあまり言葉もなく見詰める先には、二人の少女が立っていた。
「やっとクックシリーズ? 相変わらずとろいわねぇ」
「お姉ちゃん! もうッ! ごめんなさいクリュウさん!」
そこには礼儀もクソもないという感じのポニーテールをした少女と、ぺこぺこと頭を下げるちょっとかわいそうに見えてしまう少女。双子の姉妹がいた。
以前ドスゲネポス戦で共に戦った――ラミィとレミィだった。
前はラミィがクックシリーズでレミィがクックDシリーズだったが、今のラミィはギザミシリーズ、ショウグンギザミという大型の甲殻種モンスターの素材を使った防具にブルーピアスを着けている。そしてレミィは同じく大型甲殻種のダイミョウザザミというモンスターの素材を使ったザザミシリーズを着けている。
どちらも中級飛竜に匹敵する強さを持つモンスターだ。そして二人の背中にはそれぞれガトリングランス、討伐隊正式銃槍と呼ばれるランスとガンランスが備えられている。どちら前よりはぐっとパワーアップしている武器だ。
「な、何で二人がここにいるの?」
驚くクリュウに、ラミィはため息する。その横からダイミョウザザミの甲殻で作られたザザミヘルムを被ったレミィが小さく笑みを浮かべる。
「私達、フィーリアさんに頼まれて来たんです」
「フィーリアに?」
驚くクリュウに、レミィは「はい」と笑顔で答える。すると、隣にいたラミィが不機嫌そうに説明する。
「私達はアルフレアを拠点に色々な依頼を受けてたんだけど、一週間くらい前にフィーリアがいきなり訪ねて来て自分がいなくなった後のあんたを押し付けてきたんだよ」
「フィーリアさん言ってましたよ。「クリュウ様はまだ一人では無理です。ですから、あなた達にクリュウ様の後押しをしていただきたいんです」って」
二人の言葉に、クリュウは言葉を失う。
彼女は自分が去った後の事までちゃんと考えてくれていたのだ。
いつも自分の事を心配して、自分を助けてくれた彼女は、いなくなった後もこうして自分を心配してくれている――なのに、自分がそんな彼女を突き放してしまった。
今になって、どっと罪悪感が圧し掛かった。
落ち込むクリュウの手を、レミィが優しく包んだ。顔を上げると、そこにはレミィが優しげな満面の笑みを浮かべていた。
「クリュウさん。これから私達がアルフレアに戻るまでの二週間という短い間だけですけど、一緒に狩りをしましょうね」
満面の笑みで言うレミィに、クリュウは小さく笑みを浮かべてうなずいた。ゴツンという音と共に痛みが走ったのはその瞬間だった。
「何するの!?」
「うるさいなッ! 私の妹に触れないでよ! っていうか見ないで!」
「無茶言うなぁッ!」
「ふ、二人とも落ち着いてよぉッ!」
わいわいと騒ぐクリュウ達に、村人達は二人がクリュウの知り合いだとやっとわかったのか、微笑ましく見詰めている。が、その中でたった一人、不機嫌そうに睨む者がいた。
「何でまた女の子なのよ……」
不機嫌そうに言った彼女の言葉はあまりにも小さく、三人の喧騒の中に消えていった……
こうして、クリュウは新たにラミィとレミィという二人の少女ハンターと組む事になった。
そして、エレナの苦悩が再び始まるのだった。