モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第241話 クリュウの意志を継ぎし者

「あ、サチだ」

 雷狼竜ジンオウガの対策会議も一段落し、エレナと別れて湯雲荘から出た四人。その先頭を歩いていたクリュウが湯雲荘へと続く階段の遙か下に居る人物に気づいた。

 ちょうど村長と会話をしていたのだろう。村長がこちらを指差し、それを追って視線を上げた少女と、クリュウの目が合う。少女はクリュウに向かって一礼すると、小走りでこちらに駆け上がって来る。

 全身を包むのは、この地域のハンターが一番最初に装備する、クリュウ達もかつて着ていたこの地域の旅人の出で立ちをモデルにしたユクモ装備。ユクモの木やケルビの皮、ガーグァの羽などで作られたこの装備は鎧と言うには耐久性が低く、あくまでも序盤のハンターが使う初期装備だ。

 三度笠と呼ばれる形のユクモノカサの下から覗くのは、綺麗な漆黒色の髪と同色のクリッとした瞳が可愛らしい少女。小さなポニーテールをやんちゃに揺らしながら、まるで子犬のように駆け足で階段を上って来る。

 身に付ける武器もユクモの木で原型を作り、そこにケルビの皮やこの地域に伝わる頑丈な布で固定した鉄鉱石の大きな刃を備えた小剣と、同じく鉄鉱石とユクモノ木等で作られた小さな盾。この二つで一対の武器となった、ユクモノ鉈改という片手剣。こちらもまた初心者用の武器として知られている。

 これらの出で立ちから、彼女がまだ経験の浅い初心者ハンターだという事がわかる。

 少女は駆け足で階段を駆け上がって来るが、あと三段という所だった。

「あ……」

「危ないッ!」

 少女はクリュウの前で、階段に躓いたのかその場ですっ転んだ。しかし倒れる寸前でクリュウが反応して駆け寄って支えた為、少女は転ぶ事を免れた。

「ふぅ、大丈夫?」

 クリュウの腕の中で、少女はコクリと頷いた。

「ごめんなさい、もう、大丈夫」

 少女はゆっくりとクリュウから離れると、仕切り直すように軽くその場で埃を払う動作をした後、待っていた彼に向かって右手を額に当てて敬礼する仕草は、彼女の癖だ。

「お帰りなさいお師匠様。遠征、お疲れ様です」

「うん、ただいまサチ。ごめんね、留守番任せちゃって」

 謝るクリュウの言葉に、少女は小さく首を横に振ると、胸の前に片手の拳を当てる。

「問題ない。師匠の不在を代行するのも、弟子の役目ですので」

「でも、ありがと」

 そう言ってクリュウが笑みを浮かべると、少女は無言のままその場でうつむいてしまう。クリュウからは見えないが、フィーリア達は気づいていた――その頬が、ほんのりと赤く染まっている事を。

 三度笠の下で小さなポニーテールを子犬の尻尾のように揺らす少女は、再び顔をもたげると先程までの表情を隠し、平静を装う。

「村長から聞いた。雷狼竜ジンオウガを撃退したとの事」

「うん、何とか森の奥に追い返す事はできた。しばらくは、森も静かになると思うよ」

「無双の狩人と称される、雷狼竜を撃退するなんて、さすがお師匠様。その武勇、弟子であるサチも誇らしいわ」

「ちょっとやめてよ。勝てたのは俺だけの力じゃない。みんなのおかげだよ」

 そう言って振り返ると、背後に並んでいたフィーリア達と目が合う。フィーリアは小さく拳を握り締め笑顔で頷き、サクラは何故か親指を立てる。そしてシルフィードは苦笑を浮かべて肩を竦ませた。

 謙遜なんかではない。この四人だったからこそ、あの強敵ジンオウガを打ち負かす事ができたのだ。決して、自分一人だけの力ではない。

 そんな師匠の言葉に、サチと呼ばれた少女は小さく笑みを浮かべた。

「例えそうだとしても、お師匠様の活躍は並々ならぬものだったはず。弟子として、お師匠様の武勇を褒め称えるのは当然。だから、言わせて――さすがです、お師匠様」

「……うん、ありがと」

 少女の言葉に、クリュウは嬉しくも気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。

 クリュウに対し、絶大な信頼と親愛を隠す事なく向けるこの少女こそ、クリュウがこの村を離れない理由の一つでもある。

 彼女の名はサチ・サナダ。こちらの大陸風に言えば《真田 幸》。この湯雲村出身の見習いハンターだ。クリュウがこの村で助けたのが彼女であり、そしてこの村に居たとされるアメリアに修行してもらった娘でもある。つまり、今の自分と母を結ぶたった一つの手がかりだ。

「でも、本当にギリギリだったんだよ。今回は、正直運が良かったって感じだし」

「運も実力の内。お師匠様は、サチのお師匠様です。強くて、優しくて、かっこ良い。サチが憧れる、サチの大切な師匠。お師匠様の力が本物なのは、弟子であるサチが良く知ってる。だから、この勝利はお師匠様の実力だと、サチは思う」

 一歩も退く事なく、自らの師の勝利を信じて疑わない愛弟子サチ。

 笠の下で、純真無垢な漆黒の瞳がキラキラと輝く。その自分を全く疑う事のない瞳を前に、クリュウは小さく苦笑いを浮かべた。

 真面目で、日々の鍛錬を決して怠らず、勉学に勤しみ、着実に成長を続ける愛弟子。少しドジな所はあるが、子供の頃に読んだ冒険書の英雄に憧れ、それを目指してがんばっている頑張り屋。何より、師匠である自分の事を決して疑わず、心の底から信じている。その期待と信頼を裏切らない為にも、彼女の師匠を引き受けたあの日から、自分はずっと、彼女の理想の師匠でなければならない。

「まぁ、あくまで今回は撃退しただけだから安心はできないよ。ジンオウガは追い返したのに過ぎないから、また戻って来るかもしれない」

 クリュウの慎重な言葉に対し、サチは小さく首を横に振ると、クリュウの事をジッと見詰めた後、小さく微笑んだ。

「問題ない。その時は、今度こそお師匠様が倒すとサチは信じてる。もしもの時は、サチがお師匠様の背中をお守りする」

 そう言って、サチは腰に下げたユクモノ鉈改の柄を握り締める。師匠想いのそんな愛弟子の姿に、クリュウは思わず笑みを浮かべてしまう。だがその内心はそんな事にならない事を祈っていた。

 まだまだ修行が必要だが、その剣捌きはかなりの実力を秘めている。修行を積み、実戦を繰り返せば、彼女はきっと無双の侍となるだろう。しかし、今はまだまだドスジャギィくらいなら何とか勝てるくらいの実力しかない。そんな彼女に、ジンオウガと戦わせる事などあってはならないのだ。

 クリュウはそっとサチの笠の上に手を置くと、戸惑うサチに向かってそっと笑いかける。

「俺はお前の師匠だ。師匠として、弟子に無茶はさせられない。大丈夫だ、今度またジンオウガが現れたら、その時は今度こそ必ず倒すよ。任せておけ」

 精一杯のハッタリだ。戦いにおいて、必ずという言葉は存在しない。常に予想外の事態が起き、余裕の勝利も惜敗へと変貌してしまう事もあるだろう。クリュウはそういった事案を、数多く経験してきたからこそ《必ず》という言葉の重さを知っている。

 でも、今はこの可愛い愛弟子を安心させる為にも、ちょっとくらい格好をつけても、許されるだろう。そんな気がした。

 クリュウの言葉にサチは少しばかり戸惑っていたが、敬愛する師の頼れる言葉に、サチは笑みを浮かべ、嬉しそうに尻尾のようなポニーテールを揺らす。口元だけの小さな小さな笑顔だが、それは彼女の精一杯の笑顔だった。

「はい、お師匠様」

 やはり、自分の師匠はすごい人だ。サチは心の底からそう思った。

 半年程前、湯雲ノ杜にて熱を出した近所に住む子供の為、薬草を取りに行った時。いつもよりジャギィやジャギィノスの数が多い中、彼女は奥深くまで進み、目的の品を手に入れる寸前でドスジャギィの襲撃を受けて負傷してしまう。

 絶体絶命の中、突如現れてドスジャギィを撃破し、救ってくれた者が居た――それがクリュウであった。

 クリュウは傷の手当をしてくれたばかりか、事情を知ると手負いの自分と共に薬草の入手に協力。再度現れたドスジャギィを今度こそ討伐し、無事に薬草を入手する事に成功した。しかも村まで無事に送り届けてくれた。

 見知らぬ地、見知らぬ相手に対して、普通なら考えられない程の協力を、彼は惜しみなくしてくれた。

 誰かの為に、自分の事のように一生懸命になってくれる。それは子供の頃に絵本で憧れた英雄のよう。

 だからあの日、自分は改めて彼に弟子入りを願った。この人のように、目の前の困った人の為に自分の力を使いたい。その為にも、もっと強くなる必要があった。

 あれから約半年、自分は以前よりもずっと強くなった。それもこれも、全ては尊敬するクリュウ・ルナリーフ師匠のおかげだ。

 これまで幾多の厄災から村を守り、そして今回も雷狼竜の脅威から村を救ってくれた、心より尊敬し、崇拝する我が師。

 サチにとって、クリュウは誇りでもあった。

 そんな愛弟子の熱い視線など気づかず、クリュウはフィーリアと今後の事について話し合う。雷狼竜を撃退したとはいえ、他にも彼らが抱えている問題はある。それらについての話し合いだ。そんな彼の背後に、そっと忍び寄る影をサチは見逃さなかった。

「何をするおつもりですか? サクラ殿」

「……むぅ」

 クリュウの背後を襲おうとしたサクラ。しかしその画策は立ち塞がるサチの手によって阻まれた。

 一方のサクラはクリュウへのスキンシップを妨害されてひどく不機嫌だ。隻眼を鋭く光らせ、サチを威嚇する。しかしサチは一歩も退く事なく、まるでクリュウを守るように立ち塞がり続ける。

「……退きなさい、サチ公」

「それはできません。サクラ殿のお師匠様に対する行動は、目に余る」

 サクラとサチの争いにようやくクリュウが気づいて振り返ると同時に、サクラは実力行使に出た。これまで幾多のモンスターを撃破して来たその自慢の脚力で跳躍。一気にサチを畳み掛けようとした――だが、それは呆気無く失敗に終わった。

「ハッ!」

 迫るサクラの手を取り、サチはその勢いを利用して彼女の体を背負い上げると、そのまま投げ飛ばしてしまった。

 吹き飛ばされたサクラだが、そこは歴戦の狩人。綺麗に着地してダメージはない。だが再び襲い掛かるも、今度もまた腕を取られてしまい、そのまま逆に押し倒されてしまった。

 地面に押し付けられたサクラに対し、サチはまるで刃物のように手を首元に当てる。完全なるチェックメイトだ。

「まだ、やりますか?」

「……うぐ」

 戦いは決したとばかりに、周りから拍手が上がる。当然、それはフィーリアとシルフィードのものだ。二人はサチに駆け寄ると、口々にその腕前を褒め称える。フィーリアに至ってはまだサチに決められているサクラの頬を指先で突いてはくすくすと笑う始末。サクラは顔を真っ赤にしながら低く唸るしかできない。

 そんな四人の姿を見て、クリュウは苦笑を浮かべた。

 サチの実力を評価する理由の一つが、彼女が子供の頃から習っている格闘技もその一つだ。詳しくは知らないが、これを習得しているサチはサクラに負けず劣らずの身体能力を発揮する。戦闘時もサクラ並みの機動力を発揮し、驚かされたものだ。しかし最も驚いたのが技の本来の使い道である対人戦。あの愛の狂戦士サクラでさえ勝つ事ができないのだから、凄まじい実力者だ。

 その為、サチが居る時はサクラはあまりクリュウに近づけない。何せ中央大陸ですらサクラの愛は行き過ぎだったが、こちらの東方大陸では更に恋愛に関しては厳格な風習がある為か、彼女の行動は不謹慎極まりないとサチに判断され、強制的に排除されてしまう。結果、このようなやり取りがしょっちゅうある訳だ。

 見事自らの師を守ったサチはサクラを解放すると、クリュウに対して自慢気に「お師匠様は、私が守る」と断言する。それに対しクリュウは苦笑しながらそんな彼女の頭を小突いた。

「気持ちはありがたいが、あまり乱暴な事をするな」

「サクラ殿はお師匠様に対して危険。だから守っているのに」

「……あれでも数年来の仲間なんだ。そうあまり毛嫌いにするな」

 そう言ってクリュウはサチの横を通り抜け、解放されたサクラに手を伸ばす。

「大丈夫? ほら、手貸すよ」

「……クリュウ」

 サクラはクリュウの優しさに感激した様子で、目をキラキラと輝かせた後ゆっくりと彼の手を取り――そのまま抱きついた。

 当然クリュウは慌てるし、フィーリアは怒り出し、シルフィードが苦笑を浮かべるという結局いつも通りの展開に。一方のサチはせっかく危機を未然に防いだのに、自ら自爆した自らの師匠の姿に、思わずため息を零していた。

「ったく、宿の前で何バカ騒ぎしてるのよ」

 呆れ声にシルフィードが振り返ると、そこには騒ぎを聞きつけたエレナが声と同じように呆れたような表情を浮かべながら立っていた。

「エレナか。宿はいいのか?」

「今は客なんていやしないわ。夕食時の下準備も済ませてるしね」

「そうか。だがまぁ、暇とはいえ騒ぎが過ぎる。すまんな」

「あんたが謝る事ないわよ。このバカ達のバカ騒ぎは今に始まった事じゃないわ」

 呆れるエレナの言葉にシルフィードも「それもそうだな」とおかしそうに笑う。そんな二人の視線の先で、ずっと事の成り行きを見ていたサチが我慢ならなくなったのだろう。ムッとしや様子でフィーリアとサクラの間に挟まれるクリュウへと近づくと、無言で二人からクリュウを奪い取ってしまった。

「さ、サチちゃんッ!?」

「……貴様、何のつもり?」

 二人とクリュウの間に割り込んだサチは、再び手刀を構える。サクラに負けず劣らずの鋭い眼光で睨み返すサチは、静かに二人に向かって警告する。

「お師匠様に不埒を働く者は、誰であろうとサチが許さない」

 敬愛する師匠が不埒な輩に振り回される事が堪えられなかったのだろう。まるでお姫様を守る騎士のように、性別も立場も逆ではあるがクリュウを守るように立ち塞がるサチ。だが、その行動に対して当然二人は反発する。

「……サチ。クリュウの弟子とはいえ、妻である私とクリュウの愛を邪魔する事は許されない。控えなさい、子犬」

 隻眼を鋭く煌めかせ、主に近づく全てに挑みかかるまさに忠犬。クリュウを愛し、常にクリュウの側で彼を守り続ける侍姫。彼女の愛は、今日もまた絶好調だ。

「サクラ様の妻発言は妄言ですが、サチちゃんはクリュウ様に対して厳し過ぎます!」

 フィーリアとしてはサクラの暴走を止められる数少ない存在のサチは正直ありがたい訳だが、その守備範囲が自らにも適応されている為、結果としてクリュウにあまり甘えられない事は不満だ。

 唸るサクラ、頬を膨らませるフィーリア。二人の反論に対しサチはまるで聞く耳を持たない。クリュウのチームメイトである二人に対し、自らはそのクリュウの弟子。年も実力も下ではあるが、そんなのお構いなしだ。

 チームメイト二人と弟子が睨み合う光景に、当のクリュウは苦笑いを浮かべている。そんなクリュウに対し、背後から近づいたエレナが蹴りを加えた。

 転んだクリュウを呆れた様子で見下ろすエレナ。一方前方に意識を集中し過ぎていた為、背後からの襲撃を感知できなかったサチは大慌て。倒れたクリュウの隣に寄り添い「だ、大丈夫お師匠様!?」と珍しく狼狽している。

「エレナ殿! お師匠様に何という無礼を!」

「いいのよ。人がケンカしてる姿を半笑いで見てるようなアホにはこれくらいしないと」

「そんな笑い方してないだろ!?」

 起き上がったクリュウはエレナに抗議するが、当然エレナは聞く耳を持たない。すると師匠の代わりとばかりにサチが抗議の声を上げるが、エレナは有無を言わせずサチの両頬を引っ張って黙らせてしまう。

 殴りかかって来る相手なら容赦なく反撃するサチだが、こういった変則的な攻撃に対してはどのような反撃をすれば良いかわからず、結果的に防戦となってしまう。ある意味、サチが最も不得手な相手と言えるだろう。

「あんたも少しは自重しなさい。さすがに鬱陶しいわよ」

 エレナの忠告に対し、サチはその手を振り払って離れると、引っ張られて少し赤らんだ頬を押さえながら尚も抗議する。

「鬱陶しいとは何事か。サチはお師匠様に仇なす外敵を排除しようと――」

「敵じゃないでしょ。私達、同じ村の家族みたいなもんでしょうが」

 何を当たり前な事をと言いたげなエレナの態度に、サチはぽかーんとしてしまう。その反応を見たエレナは自らの発言がとても恥ずかしいものだと気付き、顔を赤らめる。そして視線を彼女の背後、フィーリア達に向けると――案の定、何か言いたそうな含みのある笑いで出迎えてくれた。

「な、何よ」

「い、いいえ何でもありません! ねぇサクラ様ぁ?」

「……エレナ、間違ってる。私とクリュウは夫婦、あなた達は使用人――ハッ、広い定義では家族と言えなくもない?」

「君の妄想力の底知れ無さには、呆れを通り越して感心すら覚える」

「……エレナは調理担当、シルフィードは門番ね。フィーリアは……雑用?」

「私だけ扱いがひどくないですかッ!?」

「騙されるなフィーリア。前提条件がおかしいんだぞ」

 エレナの発言を見事に取り込んである意味盛り上がる三人に対し、エレナは自らの発言の無意味さ、杞憂のようなものに脱力し、ため息を零す。その時、ふと自分を見詰めるサチと目が合った。その瞬間、サチは事の成り行きを苦笑いで見守っていたクリュウの背後に隠れる。そして、

「サチの家族は、父様と母様、そしてお師匠様だけです。あなたは、違う」

 ……地味に、傷ついた。

 木の幹に手を添えて、明らかにショックを受けた様子のエレナを見て、さすがのクリュウもそんな彼女を訝しげに見詰めるサチの頭を小突いた。小突かれたサチは驚きこちらを見やる。

「何をするのです、お師匠様?」

「今のはお前が悪いぞサチ」

「なぜ? サチは、事実を言っているだけ。何も間違ってない」

 サチは本人の発言通り、まるで悪びれた様子がない。間違った事は何も言っていないと、心の底から思い込んでいるのだろう。クリュウはそんな弟子の姿を見てため息を零すと、エレナを励ますフィーリアを見る。続けてエレナ、サクラ、シルフィードの順で見回した後、最後にサチを見やる。

「俺にとってはみんな家族だ。なら、お前にとっての家族は俺だけじゃないはずだ」

「……お師匠様の言いたい事はわかる。でも、サチが家族と呼べるのは、この中ではお師匠様だけ」

 少し頬を膨らませて抗議するその姿は、歳相応の少女らしい。

 サチの両親は共に林業を営む山師だ。この湯雲村は温泉街として賑わうと共に、湯雲ノ杜の良質な材木を周辺に輸出する事で生計が保たれている。村の最大の財源であり、常に様々な危険と隣り合わせの山師は皆から尊敬の眼差しを向けられる立派な職業だ。しかも彼女の両親は共に一級山師。山師には等級制があり、一番下の三級は比較的村の近く。二級が杜の奥地、そして一級となれば神龍山脈に程近い場所で伐採が可能となる。杜の過剰な伐採にブレーキを掛ける為に山師が認可制の仕事である事に加え、より危険な杜の奥地へ経験の浅い山師が仕事を行えないようにする為の制度だ。一般的に霊峰へ近づけば近づく程人の手が引き届いていない為に樹齢が長く、良質で立派な木が多い為だ。当然そういった木の方が材木としての価値は高いが、モンスターが跋扈する杜の奥地へと進む為に危険度も高い。

 その為、サチの両親は村を離れている事が多く、禁伐期以外では一年を通して杜の中に居る事が多いのだ。現在も二人は杜の奥地で仕事をしている。最初にジンオウガの来襲を知ったのも二人で、村に逸早くそれを知らせる為にお付きのアイルーを伝令に寄越してくれた為、今回の撃退を達成できた。

 いつも家に居ない親の代わりに家を守っているのがサチだ。幼い頃からこうした生活をしている為か、一人で過ごす事に何の躊躇いもない彼女。しかしこの半年程はクリュウ達が家を間借りする事となり、今は一緒に暮らしている。

 同じ屋根の下に居て、同じ釜の飯を食べる。だからこそクリュウは自分達を家族と言っているのだが、サチからすれば敬愛するクリュウ以外は眼中にない為、家族とは言えないというのが本音なのだ。

 家族の定義が根本から異なる為、二人の溝は埋まる事はなかった。

「まぁ、それはさておき。サチはどこかへ行ってたの?」

 クリュウは話題を変えようと、サチに問い掛けてみる。村に戻って来た時、サチの姿は村になく、どうやら先頃戻って来たようだったが。

「えぇ。ちょっと農場の方で作物の手入れを。あ、今日はシモフリトマトが少し採れたので、後で塩で食べる?」

 湯雲村から少し下った場所の川沿いの平地に、サチの農場がある。サチが毎日のように手入れをして、様々な野菜を育てている農場だ。野菜以外にも狩りに使う様々な葉や実、更にはキノコや鉱石も採取できる場所であり、サチだけではなくクリュウ達の狩人生活にも欠かせない存在だ。

「へぇ、この前まで緑色だったのに。もう赤くなったんだ」

「はい。魚も少し採れたので、今日は食料がいっぱい」

「じゃあ、今日は豪華なお夕食が作れますね!」

 サチの言葉に大喜びするのは、今日の食事当番のフィーリアだ。「腕によりをかけますよぉ!」と意気込む彼女を見て、クリュウが「期待してるよ」と声を掛けると、更に嬉しそうに喜ぶ。

「ふむ、久しぶりに豊富な食材を使った君の料理が食べられるとは。これは酒がうまくなりそうだ」

 シルフィードもまた嬉しそうに語る。一方のサクラは興味が無いのか、ぼーっと空を見上げている。本当に自分に興味のない事には無関心らしい。

「じゃあ、早く戻って支度しないと。サチちゃん、手伝ってくれる?」

「まぁ、仕方ありませんね」

「私ももう少ししたら上がりだから、その後合流するわね」

 そう言って、サチはフィーリアとエレナ合流すると早速今晩の夕食の献立の相談を始める。そんな三人の様子を見て、クリュウは安堵したように微笑む。

 口ではああ言ってても、すっかりこのメンバーの一員なのだ。

 先行して歩き出す二人を追い掛け、クリュウ達もその後を追って歩き出す。エレナと別れ歩き出す五人の様子を、村人達が優しく見守る。時折掛けられる声に、応えながら、クリュウは村を見回す。

 この、イージス村よりも少し大きな、でも辺境の小さな村。湯雲村は、すっかり自分達の第二の故郷となっていた。すれ違う人達も皆知っている人達ばかりだし、皆が自分達を優しく出迎えてくれる。ここは、優しくて温かな、そんな村だ。

 こうしていると、時々本当の故郷であるイージス村の事を思い出す。

 残してきた皆の顔が、思い浮かぶ。村長やバルド、アシュアやリリア等の村人達。更に今は自分達の代わりに村を守ってくれているルフィールやシャルル、ルーデルやツバメ等の顔もまた、目を閉じれば思い出せる。

 ドンドルマには、ライザが居て、きっとエリーゼとレンもがんばっている事だろう。

 エルバーフェルドではカレンが今日も海軍の為にがんばっていて、そんな彼女をエルディンがからかい、フリードリッヒが嫉妬し、ヨーウェンが笑っている事だろう。

 アルトリアではイリスが国の為、国民の為にその小さな体でがんばって政を行い、そんな彼女をアリアやシグマ、フェニス等が支えている事だろう。

 中央大陸に残して来た仲間達は、今日もきっと努力を惜しむ事なくがんばっている事だろう。だからこそ、負けてはいられないと思ってしまう。

 この大陸に来て、自分は少しは成長できただろうか。向こうでは知らないモンスター達と幾多の戦いを繰り広げ、ついに難敵である無双の狩人、雷狼竜ジンオウガを撃退に追い込んだ。

 皆が前に進み続けているように、自分もまた、常に進み続けている。

 場所は違えど、皆も自分も、常に前に進み続けている。いつか、また出会えた時にお互いがお互いを確認し、そして認め合う。そんな日を夢見て。

「お師匠様?」

 その声に振り返ると、サチがこちらを訝しげに見上げていた。どうやらずっと黙っていた自分を心配してくれているらしい。何て心優しい愛弟子だろうか。

「ちょっと考え事してただけだよ、大丈夫」

 母の手が掛かりを見つける旅は終わった訳ではない。まだまだ、この旅の終わりは見えない。

 もちろん、それだって重要な事だ。でも今は、それと同じくらいこの村の為にがんばりたいと思う自分が居るし――何より、この愛弟子をしっかりと立派なハンターにするという夢がある。だから、止まる事はできない。

「クリュウ様? どうされましたか?」

「何だ、もう腹でも減ったか?」

「……クリュウ?」

 サチに続いて、フィーリア、シルフィード、サクラの三人も自分の方へと振り返った。どうやら黙っていた為に皆にいらぬ心配を掛けさせてしまったらしい。クリュウは笑顔を浮かべて「何でもないよ」と答えた。

 こんな遠くの地まで、自分の為について来てくれた三人。あともう一人、エレナもまた自分の無茶に付き合ってここまで来てくれた。

 皆には感謝してるし、いつまでもこうして一緒に居たいと願ってしまう。

 その願いは、いずれ歯車が絶対に合わなくなり、軋み、壊れる儚い願いだとは知っている。でも、今はまだその時じゃない――でも、その時が来たら、ちゃんと答えを示さなければならない。その覚悟は、できているつもりだ。

 こちらを向いている、自分が心から信頼できる仲間達であり、家族のような存在。そんな彼女達に向かってクリュウは心からの感謝を込めて笑みを浮かべる。その笑顔は優しく、温かく、邪念の一切ない無垢な笑顔。可愛くもあり凛々しくもあるその優しげな笑みに、その場に居た乙女達が頬を赤らめた。

 そんな彼女達の一人ひとりと目を合わせた後、その背後を見やる。その視線の先には湯雲荘のすぐ下にある一軒の家が見える。それこそがサチの家であり、今自分達が暮らしている家だ。

 クリュウは静かに微笑みながら、フィーリア達に優しく声を掛ける。

「それじゃ、帰ろうか――俺達の家に」

 クリュウの言葉に、フィーリア達はお互いに顔を見合わせた後、それぞれが温かな笑みを浮かべ、一斉に頷いた。

 ゆっくりとした足取りで雑談を交わしながら進む五人は家の前に辿り着くと、最初にサチが扉を開いてフィーリアを招き入れる。その後をサクラ、シルフィードの順で入っていく。そして最後にクリュウが足を踏み入れる。その直前、ふと風が頬をくすぐった。

 頬を触れたのは何でもないただの風。だがしかし、その風にわずかに母の温もりが感じられたような気がした。風の来た先を探すと、遥か遠くに神龍山脈が見えた。雷狼竜ジンオウガが本来住まう、湯雲ノ民が霊山として信仰する山、《霊峰》が存在する所だ。

 ぼーっと神龍山脈を見詰めるクリュウ。そんな彼の様子に気づいた恋姫達が、それぞれ声を掛ける。

「クリュウ様」

「……クリュウ」

「クリュウ」

「お師匠様」

 恋姫達に呼ばれたクリュウは「ごめんごめん」と謝りながら振り返り、扉を引く。ゆっくりと扉は静かに閉まっていき、そして――ガチャリと閉じられた。

 程なくして、家の中で賑わいが起こる。楽しげな笑い声が、彼らが今幸せと感じている証拠だ。

 東方大陸の辺境の森の中にある小さな村の一軒家、今日もまた楽しげな時間が過ぎていく。


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