モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第237話 可憐に咲き 可憐に散る 儚い恋唄の調

「第1水雷戦隊抜錨、出航します!」

「第5戦隊出航しまーす!」

「第8戦隊出航しまーす!」

「第8駆逐隊出航しまーす!」

「第2戦隊出航! 戦艦『ビスマルク』前進微速!」

 見張り兵から次々に入る、各隊の出航の知らせ。それを聞いているだけで、この艦隊がどれだけ大規模な艦隊かがわかる。

 艦橋へと案内されたクリュウ達だったが、ここはまるで別世界だ。軍人達が、厳しい訓練で鍛え上げた見事な連携で、巨大な艦隊という組織が動いている。素人には理解できず、そしてそのスケールの大きさに驚くばかりだ。

「艦長、錨収容完了。いつでも出航できます」

 年若い少女兵の言葉に、艦長と呼ばれた男が厳かにうなずく。軍人は男の世界だと思っていたが、どうやらカレンの指揮の下では女性軍人も活躍しているらしい。

 艦長は居並ぶ部下達を見回した後、最後にカレンの方を見やる。そして、カレンが静かに頷いた事を確認すると、機関室へと繋がる伝声管に向かって小さく息を吸い込み、そして命令を下す。

「出航するッ! 両舷前進微速ッ!」

『両舷前進びそぉくッ!』

 伝声管から勇ましい返答が返って来ると、ゆっくりと艦が動き出した。周りを囲む艦艇は、事前の訓練通り艦隊旗艦である戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』を守る為、囲むように隊列を組んでいく。それも航行中でだ。如何に彼らの練度が高いかを物語っている。

 集結した艦艇の規模は前回のアルフレア沖海戦の時を遥かに上回る。一〇〇隻以上の艦艇が大艦隊を形成している。本土に最低限の部隊だけ残してのほぼ全戦力を投入して行われる海軍の大軍事演習。エルバーフェルド国防海軍がどれだけこの演習に意気込んでいるかがわかる。

「予定通り、第8駆逐隊及び第15駆逐隊を哨戒部隊として先行。殿は第10駆逐隊が担当する。偵察母艦は偵察艇を上げて上空から周囲の異変を探りなさい」

 カレンの指示が次々に飛び、それらはすぐに様々な連絡手段を用いて艦内、そして各艦へと伝えられていく。ちなみに偵察母艦とは偵察艇と呼ばれる小型の飛行船を積載した艦隊の目となる偵察艦である。飛ばすと言っても風の強い海上でまともに飛ばしても回収不能になってしまう為、必ず艦とロープで繋いで上げられる。連絡用のライトを積載しており、発光信号を使ってより素早く、そして的確に大艦隊全艦に連絡を行う連絡艦として。更には艦隊の遙か上空から周囲を偵察し、敵よりも早く敵艦を発見する為の偵察艦として、二つの重要な情報統制を行っている。軽巡洋艦にも満たない小型艇ながら、大艦隊には必ず必要となる重要な艦艇だ。

 艦橋の窓から、偵察母艦『プフィール』の甲板に飛行艇が準備されるのが見える。すぐに離艦し、あっという間に艦隊の遙か上空へと至る。しばらくすると飛行艇から発光信号が放たれた。どうやら周辺に脅威となるモンスターや所属不明艦などはいないらしい。

「引き続き警戒を続けなさい。特に、海洋モンスターの警戒を厳としなさい」

 カレンが警戒を強めるのには訳がある。この先、蒼海は西竜洋よりも生息する海洋モンスターの数が多く、危険な海域なのだ。エルバーフェルド海軍の輸送艦や民間船が、蒼海にて海洋モンスターの攻撃を受けて撃沈された事がある。それも何隻もだ。

 主に危険なのは、中央大陸でも水辺で猛威を振るう水竜ガノトトス。そして蒼海にしか生息していないと言われている海竜ラギアクルス等だ。

 古龍クシャルダオラとの戦いで、艦隊は実質敗北した。モンスターに対して、古龍ではないとはいえこれまで以上に警戒するのは当たり前だ。

「私達海軍の当面の敵は、モンスターよ」

 静かに呟くカレンが後に艦隊による対モンスター戦の第一人者となるのはこの数年後の事である。

 一方のクリュウ達は、遠くなっていく故郷イージス村を目に焼き付けるように見詰めていた。カレンの提案で艦橋の更に上にある戦闘指揮所へと案内され、露天のそこで海風に当たりながら故郷と最後の別れを告げる。

 イージス村の姿が見えなくなる頃には、艦隊は完全に隊列を組み終えていた。中心を旗艦である戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』と妹艦『アドミラーリン・デーニッツ』以下の戦艦部隊が航行し、その周りを重巡洋艦部隊が。更にその外周を各駆逐隊が護衛している。更に両側にはそれぞれ右を第1水雷戦隊が、左側を第3水雷戦隊が護衛している。更に艦隊中心部から離れた両側にそれぞれ第2水雷戦隊と第4水雷戦隊が控えている。

 参加艦艇一〇〇隻以上。まさにエルバーフェルド艦隊の総力を挙げての演習艦隊だ。

「エルバーフェルドって、すごい国なんだね」

「まぁ、ちょっと物々しいですけど。全ては民の為に総統陛下が尽力なさっている結果です」

 祖国を褒められ、ちょっぴり鼻が高いフィーリア。そんな何気ない雑談を交わしていると、艦橋からカレンがやって来た。風に軍帽が飛ばぬよう押さえながら「賓客室へ案内するわ」と言って中へと案内してくれた。

 艦隊旗艦となれば、それこそカレンのような海軍の幹部。更には外国の国賓等を通す事もある。もちろん軍事機密に触れるような場所には近づけさせないが、その為にこうした艦隊旗艦となる艦船には賓客室が設けられているのだ。

 賓客室はやはり豪華な彫刻品や絵画などが置かれた、豪華絢爛な部屋であった。クリュウはあまりにも柔らかすぎるソファに落ち着かない様子。そんな彼を見て「貧乏人丸出しで恥ずかしいったらありゃしない」と苦言を呈するエレナも、誰が見ても落ち着いていない様子だ。

 というか、この面子の中でこの柔らかなソファに慣れているのはやはりと言おうか、フィーリアだけだ。

 カレンも上座へと座ると、従兵と呼ばれる専属の雑用係の少女兵に各人に紅茶を振る舞う。カレンにも負けない美少女が淹れてくれる紅茶に、クリュウが思わず照れるのも無理はないが、当然カレンとしては面白く無い。

「下がりなさい、ユリアーネ」

 何も悪い事をしていないのに怒られたユリアーネという少女兵は完全なとばっちりだ。茶髪が美しい可愛らしい少女兵は信愛するカレンに怒られたのが余程ショックだったのだろう。明らかに肩を落として部屋を出て行った。そんな彼女の後ろ姿を見て、カレンは実に気まずそうだ。

「あ、後で謝っておかないと」

 少し慌てるカレンの姿を見て、クリュウは本当に不器用な子だなぁと思わず笑ってしまうが、カレンに睨まれて慌てて視線を逸らした。その視線の先にはフィーリアがジト目でこちらを見ていて、気がつけばみんな同じような目線。クリュウは、苦笑いを浮かべる他なかった。

「二日後には演習海域に到達するわ。あなた達はその前日、同行している遣東艦隊に移って私達と離別。ヨコスカを目指しなさい。ヨコスカに到着するまでの間、私の厳命であなた達には快適に過ごせるよう可能な限り手配するから、安心しなさい」

 紅茶を飲みながら、改めて今後の日程を簡単に説明するカレン。そんな彼女の言葉にクリュウは「何から何まで色々と迷惑世話になって、ありがとう」と礼を言う。それに対しカレンは「気にしないで。別に元々この時期に遣東艦隊を派遣する事は決定事項だった。それに多少手を加える程度、大した事じゃないもの」と涼やかに答える。

「それでも、僕らがこうして確実な旅ができるのは、カレンのおかげだ。感謝してる」

「ふーん、じゃあ感謝の証として私と結婚でもしてくれる訳?」

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら言う彼女の言葉にクリュウは苦笑いを浮かべる。そんな二人のやりとりを、他の面々が苛立ちながら見ている為だ。そしてカレンもクリュウの予想通りのつまらない反応に「ったく、何でノッて来ないかなぁ。こんな美少女が誘ってるってのに」と不満気だ。

「まぁ、それとあんた達にこれを渡しておくわね」

 そう言って彼女が取り出したのは一通の封筒だった。素人目に見ても高そうな紙を使ったその封筒を手に取ったクリュウが尋ねると、カレンは「大したものじゃないわ」と答えた。

「それは私直筆の紹介状よ。これがあればツシマ国内ならある程度自由に行動できるはずよ。ちゃんと末尾には『この者達に不誠実な処置を断行した場合は、帝国国防海軍全軍に対する宣戦布告と見なし、貴国に対して相応の行動を講ずる』って脅し付きだから効果てきめんね」

「……あ、ありがたいような、物騒なような」

「準備に越した事はないわ。同盟国とはいえ、相手は全く違う土地と思想の人間。保険は必要でしょ?」

「君の意見も一理ある。これはありがたく受け取っておこう。できれば、使いたくはないがな」

 クリュウの手から封筒を預かったシルフィードの言葉に、クリュウは小さく頷く。シルフィードが封筒をしまうのを確認してから、カレンは仕切り直すように咳払いする。

「夕食の時間までは、ひとまずこの部屋で過ごしてなさい。悪いけど、本艦は国家機密の塊みたいなものだから出歩く事はある程度制限させてもらうけど、制限内では可能な限り自由に過ごしてもらって結構よ」

 カレンの言葉の通り、軍艦というのはその国の技術力の象徴。不用意に外部の人間に見せるようなものではない。特に彼らが乗るのはエルバーフェルド国防海軍の最新鋭戦艦であり、且つ国防海軍旗艦である。文字通り機密の塊のようなものだ。例え相手が軍事どころか兵器や船に疎い人間であっても。例え総司令官であるカレンの客人であっても、だ。

「それだけでも十分好待遇だよ。ありがと、カレン」

「どういたしまして。私は今後のスケジュールについて関係各員との会議があるから、これで失礼するわ。夕食は国防海軍一のシェフがフルコースを用意するから、期待してなさい」

 そう言い残して、カレンは部屋を去った。何から何まで、クリュウはカレンにもはや全く頭が上がらない。あの鋼龍迎撃戦の救援から、村の復興、そして今回は東方大陸への遠征など、彼女には助けてもらってばっかりだ。

「カレンって、ほんと頼りになるよね」

「……確かに、今回総司令官殿には何かと助けてもらってばかり。感謝してもし切れない事は事実だろう。だがなクリュウ、君は少し周りを見た方がいい」

 なぜか腕を組みながらどこか不貞腐れた感じで言うシルフィードの指差す先では、彼女以上に不貞腐れてしまっている少女が二名。どうやら、ここまでの間ずっとカレンにべったりだったクリュウに対し、相当思う所があるようだ。

「あ、あははは……」

 ひとまず充てがわれた部屋は一室。これから夕食まではかなりの時間がある。それまでの間、まずはどうこの拗ねてしまった乙女三人のご機嫌をたて直すか。クリュウのG級クエストが始まった瞬間だ。

 

 その夜、クリュウ達はカレンの宣言通りエルバーフェルド国防海軍が誇る一流シェフのフルコースを堪能する事になった。クリュウからすればこれまで食べた事のないような料理の数々が並んだ豪華絢爛な晩餐となった。しかし後に彼は「あまり覚えていない」と語る事になる。その理由は宴の席で彼の隣に陣取ったカレンが終始彼に甘え続けた結果、他の女子陣が怒り狂い、常に殺伐とした空気が流れ続けていたからに他ならない。

 そんなクリュウからすればある意味生き地獄的な晩餐会が終わると、クリュウ達は再び用意されていた部屋へと戻る事になった。その後フィーリア達は揃って風呂に入る事になり、カレンの従兵であるユリーシアに案内されて風呂場へと向かった。

 カレンが国防海軍総司令官を務めているだけあって、エルバーフェルド国防海軍は他国の軍と比較して圧倒的に女性の徴用が進んでいる事から、艦内にも少なからず女性兵士が活躍している。その為、他国の軍艦にはない女風呂もしっかり用意されていた。

 脱衣所へと入る際、風呂場の入口に武装をした女性兵士が十数名警邏に当たっていた。物々しいその装いは、決して番頭には見えない。彼女達の正体を尋ねたフィーリアの問いかけに対し、ユリーシア曰く「女風呂を覗かれない為の、女性兵士で組織された自警団みたいなものです」との事。

 エルバーフェルド国防海軍の兵士は練度は高くとも再建されてからまだ日が浅い。その為若い兵士が大勢活躍しているのだが、当然そういった問題行動を起こす者も多い訳であって、女性兵士達は自らの貞操と誇りを守る為にヴァルキリーズと名づけたこういう自警組織を艦それぞれで組織しているそうだ。その厳重警備対象は、風呂場や更衣室、またはトイレなどに集中しているとの事。

「本日は客人を招いている為、通常よりも兵士の数を増強して警備しておりますのでご安心を」

 ユリーシアの言葉に少し不安を抱きつつも、フィーリア達は脱衣所へと入る。そこで服を脱ぎ、そして浴室へと消えて行った。

 後日談だが、美人揃いと評判なエルバーフェルド国防海軍においてもフィーリア達は美少女という事もあって通常の数倍の不埒者が現れた訳だが、当然事前準備で警備を強化していただけあってこれら全員を拘束。独房へと打ち込まれたのであった。

 

 フィーリア達が風呂場にて体を休めている頃、クリュウはフィーリア達の案内を終えたユリーシアに案内されて艦橋の上、戦闘指揮所へと来ていた。彼をここまで案内したユリーシアはその場で一礼して去ってしまう。一人残されたクリュウは辺りを見回すが、周辺に人の姿は見えなかった。

 この戦闘指揮所には常に十数名の兵士が常駐し、双眼鏡で周囲を警戒している、言わば見張り場でもある。しかしなぜか、今はその姿を一人も確認する事ができない。

 不気味な静けさが辺りを支配する。不安になったクリュウが少し奥へと進むと、今まで陰になって見えなかった羅針盤台の陰に自分をこの場に呼んだ人物を発見した。

「そんな所で何してるの?」

 クリュウが声を掛けると、海を見詰めていた人物がゆっくりと振り返る。

「あら、来たわねクリュウ・ルナリーフ」

 振り返った人物は夜の闇に吸い込まれそうな漆黒の黒髪を優雅に流し、美しい碧色の瞳を美しく煌めかせる。身に纏うは漆黒の軍服で、それが彼女の可愛らしい顔立ちに反して物々しく、しかし同時に複雑なかっこ良さを兼ね備えさせる。不敵に微笑み、彼を出迎えた者こそ、この艦隊を指揮する長――カレン・デーニッツ国防海軍総司令官だ。

「わざわざ悪かったわね。部屋で休んでいた所、急に呼び出したりしちゃって」

「いや、大丈夫だよ。別に何してたって訳じゃないし」

「そう、なら良かったわ。ちょっとこっちに来て」

 そう言って彼女に言われるがままついて行くと、カレンは海の方を指差す。視線を追ってその先を見ると、そこには幻想的な光景が広がっていた。

「……すごいなぁ」

「でしょ? 私のお気に入りの景色なんだ」

 カレンが彼に見せた景色。それはまるで、海の上に星空が生まれたかのような神秘的な煌きに満ち溢れた世界だった。

 艦隊を組む各艦がそれぞれ敵味方、及び方向を示す為に用いる識別灯と呼ばれる明かり艦の至る所で灯している。そんな艦がこれだけの規模になると、それらの明かりがまるで夜空に輝く星々の煌きのように、美しい夜景を演出していた。上空の星空と合わさり、まるで自分達が星の海に居るかのような幻想的な光景だ。

 こういう事に疎いクリュウでも、さすがにこの光景には目を輝かせる。そんな彼を見て、呼んで良かったとカレンは嬉しそうに微笑んだ。

「綺麗でしょ? これ、私のお気に入りの景色なんだ。ここ、艦の中でも一番高い所だから良く見えるのよ」

「これを見せる為に、僕を呼んでくれたの?」

「そうよ。ちゃぁんと人払いまで済ませて、準備万端よ」

「へぇ、軍隊って闇に隠れて移動するものだと思ってたから、こんな景色があるなんて知らなかったよ」

「作戦行動中、それも有事の際なら灯火管制で艦内の明かりは一切漏らさないってのが鉄則だけど。今は平時だしここは敵対勢力が居ない外洋。むしろこうして大っぴらに明かりをつけてた方がモンスターにも襲われなくていいでしょ?」

「なるほどねぇ」

 クリュウはそのあまりにも美しい光景に、しばしそうして見惚れてしまった。しかししばらくすると、クリュウは彼女の隣に立つ自分という存在に罪悪感を感じ始めていた。

 今自分の隣に立つ彼女は、自分に対して好意を抱いてくれている娘だ。しかし自分は、自分でもまだよくわからないが、たぶん別の娘の事が好きでいる。そんな自分でもわからない感情を抱いたまま、彼女の隣に立つ自分が間違っているような気がしてならない。

 隣で瞳を星空と同じように輝かせる彼女の姿を見ていると、そんな想いが胸にいっぱい広がってしまう。

 このままではいけない。そんな想いが、彼を突き動かす。

「あのさ、カレン。話が――」

「そういえばあんた、私にウソついてたわよね?」

「――あるんだけ、えぇ?」

 勇気を振り絞って口火を開いたクリュウの言葉を遮ったのは、カレンの突拍子もない問いかけだった。思わず開いていた口を閉じ、クリュウは首を傾げる。

「ウソって、何の事?」

「とぼけても無駄よ。あんた、私に自分が女なんだって無茶苦茶なウソを信じ込ませようとしてたでしょ?」

 呆れたように言う彼女の言葉に、彼女の言わんとしている事を理解する。視線を向けるべき方角を見失い、泳ぐ様は明らかに挙動不審だ。

「あぁ、あれかぁ。あれねぇ……」

「まったく、あんた見た目通りウソが下手よねぇ。騙されたフリする方が大変だったんだから」

 カレンの言葉に、クリュウは恥ずかしさのあまり真っ赤になった顔を両手で隠す。彼からすれば、あれはかなりの勇気を振り絞った渾身の演技だったのだが、結果は見るも無残な大惨敗。恥ずかしさのあまり、彼女の顔を直視できない。

 一方のカレンはそんな彼の姿を見てニヤニヤが止まらないでいる。

「あんなバレバレなウソで、本気で人を騙せると思ってたなんて。あんたって本当に間抜けよねぇ」

「見破ってたなら最初から言ってよッ。あぁもう恥ずかしいなぁッ!」

 顔を真赤にして怒るクリュウに対し、カレンは楽しげに笑いながら「ごめんごめん」と軽い口調で謝るが、クリュウは納得しない。そんな彼に対し、目の縁に浮かんだ涙を指先で拭ったカレンは、静かに口を開く。

「――だってさ、言える訳ないじゃん。私の為にできもしないウソを必死になってつこうとしているあんたに対して、そんな無粋な事言えないもの」

 そう言って、カレンは頬を赤らめながら優しく微笑む。自分の為を思って、できもしないウソを無理についてしまう。そんな彼の優しさが嬉しくて、焦れったくて、胸の奥が熱くなる。

 騙された訳ではないが、彼は自分を騙そうとした。でもそれは決して自分を不幸にするものではなく、むしろ自分の為を想っての事。だからこそ、こんなにも嬉しい――だからこそ、自分は彼の事が大好きなのだ。

 カレンが屈託なく微笑んだ瞬間、クリュウは顔を真っ赤に染めて慌てて顔を逸らす。背後で「どうしたの?」とカレンが首を傾げるのを無視し、クリュウは口を押さえながら動揺してしまう。

 だって、あんな笑顔は卑怯だ。騙そうとした相手に、何でそんな笑顔ができるのか。そんなの、卑怯ではないか。だって――あんな笑顔を見せられたら思わずドキッとしてしまうではないか。

 突然顔を逸らせたクリュウに対し、最初は困惑していたカレンだったが、一瞬だけ見えた彼の横顔が赤く染まっていたのを見て、彼が何故そのような反応をしたのか理解し、頬を赤らめる――そして、決意する。

「ねぇ、クリュウ・ルナリーフ」

 カレンは彼の名を呼ぶと、彼の肩を掴んで振り返らせる。驚くクリュウが次の瞬間に見たのは、振り返ったと同時に一歩前へと踏み込んだカレンの顔のアップだった。呼吸すら届きそうな程の距離に詰め寄られたクリュウは驚き、視線を逸そうとするが、そんな彼の行動を阻害するかのようにカレンは彼の両肩を掴んで自らの前から逃さない。

「ちょ、ちょっとカレン……」

「ねぇ、クリュウ。私を見て頂戴。この私、カレン・デーニッツを。国防海軍総司令官として祭り上げられる少女提督としてではなく。ただ一人の、女の子としての私を見て頂戴」

 いつになく真剣な表情で語り掛ける彼女の言葉に、クリュウは視線を逸らせない。否、逸らすなんて卑怯な真似、できるはずもなかった。

 ちゃんと、彼が自分の事を見てくれている。誰でもない、今ここに居る自分を。嬉しさのあまり、思わず顔がニヤけてしまいそうになる。だが、決してそれを面に出してはならない。

 たぶん、きっとこの想いは……

「あの時は、結局答えを貰えなかったし。急だったから、あなたを困惑させてしまったわ。だから、今改めてもう一度言う」

 きっと……

「クリュウ・ルナリーフ、私はあなたの事が好きです――どうか、結婚を前提にお付き合いしてください」

 

 二日後、エルバーフェルド大洋艦隊の姿は蒼海海上にあった。空前絶後の大艦隊は見事な隊列を組みながら蒼海を航行している。そんな大艦隊から、わずか七隻の艦隊が別離していく。それはこのエルバーフェルド蒼海海上演習艦隊に同行していたエルバーフェルド帝国の特使艦隊。東方大陸にある同国の同盟国である津洲帝国へ技術供与の為に派遣される遣東艦隊であった。

 遣東艦隊は見事な単縦陣を形成して艦隊から離れていく。先頭を行くのは艦隊旗艦のシュヴァルツァー級軽巡洋艦3番艦、軽巡洋艦『シュメルツェン』。その後ろを二隻の駆逐艦、二隻の輸送船、そして二隻の駆逐艦が続く。

 白波を立てながら進む遣東艦隊に対し、蒼海海上演習艦隊の各艦の甲板には手空き総員が集まって友軍の旅立ちを見送る。皆、持っていた帽子を勢い良く振って七隻の艦隊との別れを惜しむ。人々の声、見送りの汽笛、旅立ちを宿す空砲の音が、静かな蒼海を賑わせる。

 大洋艦隊旗艦であり、この演習艦隊を率いる戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』の甲板にも大勢の兵士達が集まり、別れを賑わせている。そんな彼らを見詰めるのは艦で最も高い艦橋の更に上、戦闘指揮所に立つ国防海軍総参謀長のエーリック・レーダー大将。視線を甲板から離し、本隊から別離していく遣東艦隊を静かに見送る。

 遣東艦隊を一瞥し、エーリックは隣に立つ少女を見やる。自分よりもずっと若く、華奢な体つきをしている少女。厳かな漆黒の軍服を纏っていても、軍帽の下から覗くまだ幼さの残る顔立ちは隠せない。自らの今は亡き親友の娘であり、今は国防海軍のトップとして君臨。自らの上官であり、家族にも等しい少女。国民から愛される少女提督、カレン・デーニッツ元帥。それが彼女の名だ。

 これから演習艦隊は更に北上し、そこで同盟国津洲帝国の水上艦隊と合流の後、国防海軍の悲願であった大艦隊演習作戦を行う。カレン自身もこの演習作戦を心待ちにしていたはずだが、見る限りその顔に喜びや興奮といった感情は感じられなかった。

 この大演習作戦の為に、国防海軍の投入できる全戦力を率いて来たと言っても過言ではない。もちろん本土防衛の為の戦力は残している。

 本土防衛艦隊は第4戦隊所属のロートリンゲン級戦艦の戦艦『ロートリンゲン』と同型艦『ラインラント』、第6戦隊所属のローレライ級重巡洋艦の重巡洋艦『ローレライ』『メテオール』『シャルロッテ』と駆逐艦十数隻を中核に、航続距離が短い本土近海を活動拠点とする海防艦や水雷艇で編成された臨時艦隊。艦隊司令官にはカレンが信頼している第6戦隊司令官のヴェルダント・ツェッペリン大将に任せている。

 祖国から遠い海まで来て、これから悲願の大演習作戦に向かおうとしているのに、カレンの表情は冴えないままだ。否、二日程前からずっとこんな調子だ。

 心配するエーリックの事など気づかず、カレンは一人双眼鏡で遣東艦隊旗艦の『シュメルツェン』の甲板でこちらを見詰める彼の姿を追っていた。まるで、その姿を目に焼き付けるかのように、無言でずっとそうしている。だが、それももう終わり。

 ゆっくりと双眼鏡を下ろすと、小さくため息を零す。そして勢い良く振り返り、背後にある伝声管のフタを開けて全艦に命令を下した。

『これより、艦隊は演習海域へと向かうッ! 全艦針路を北北東へ転進せよッ!』

 カレンの命令はすぐに実行に移される。彼女が乗る『フリードリッヒ・デア・グローセ』だけではなく、発光信号や旗信号等様々な手段を用いて各艦へと伝えられていく。この伝達速度の早さも、エルバーフェルド艦隊の練度の高さが成せる技だ。

 カレンの指示通り、艦隊は次々に隊列を組みながら北北東へと転舵。艦首を北へと向けて次々に転進していく。これだけの大艦隊が針路を大変更するのだから、それなりの時間を要する。その間、カレンは無言で艦隊の動きを見詰め続けていた。

「なぁカレン。いつものお前らしくないぞ。体調でも悪いなら、俺が艦隊指揮を代行するが」

「……ありがと、エーリック。でも、大丈夫。別に気分が悪いとかじゃないから」

「なら良いが、やっぱりおかしいぞ」

 カレンを気遣うエーリックの言葉に、周りの兵士達の視線も集まる。不安が広がってはならないと、エーリックは彼らに席を外すように命じる。見張り兵が居なくてもこれだけの大艦隊だ。問題はない。

 兵士達は言われた通り艦橋へと下っていく。そして、戦闘指揮所にはエーリックとカレンだけが残された。人払いが済むと、エーリックは静かにため息を零す。

「あの少年と、何かあったのか?」

 カレンの様子がおかしくなったのは、たぶんそれだろうとエーリックも感づいていた。

 エーリックの問いかけに、首を横に振るのは簡単だ。だがカレンはあえて小さく首を、縦に振った。そんな彼女の返答に、やはりかとエーリックは再びため息を零す。

「まぁ、気持ちはわからなくもない。奴らは東方大陸に旅立つ、これからは今まで以上に会う事が難しくなるからな」

「違う。そうじゃないのよ……」

 エーリックの言葉にカレンは小さく首を横に振り、そっと隣に立つエーリックの服の裾を握り締める。エーリックがそれに視線を向けると、その手が細かく震えている事に気づいた。

 常に気丈に振る舞う、弱さを見せない鋼鉄の少女提督。あの鋼龍クシャルダオラと相対しても決して背を向ける事の無かった冷静沈着勇猛果敢な彼女が、震えている。

 だがエーリックは知っている。海軍の長として、海軍の象徴として祭り上げられた彼女は、まだ十七歳の少女だ。どんなに大人の世界に生きていても、その本質は決して変わらない。だとすればこの震えは、国防海軍総司令官カレン・デーニッツ元帥としてではなく、一人の十七歳のカレン・デーニッツという女の子の震えだ。

 エーリックは静かに彼女の頭の上に手を載せる。ポンと置くと、改めて彼女の小ささを感じてしまう。この小さな体に、一国の海軍の希望と重責が詰まっているのだと思うと、大人として、男として、彼女にそれら全てを押し付けてしまっている事の恥ずかしさや責任を感じてしまう。

「エーリック」

「話せよ、何か話があるんだろ?」

 エーリックの問いかけに、カレンはコクンとうなずく。

「あのね、私――フられちゃった」

「そうか……」

 何となく、予想はしていた。あのカレンが、あの少年の事でこんなにも落ち込む理由などむしろそれくらいしか浮かばない。

 国防海軍総司令官として、どんな苦難や困難をも乗り越えてきた最強の提督。だが、どうやら一人の少女として恋という戦いには、敗れ去ってしまったらしい。

「……情けないなぁ。国防海軍総司令官様が、聞いて呆れるわよ」

 小さく、つぶやくように言う彼女の言葉にエーリックは無言だ。こういう時、慰めの言葉はきっと禁句だろう。勝手に共感して、勝手に慰める。それは一見すると優しさなのかもしれないが、冷静に考えれば何の公算もないデタラメだ。そんな身勝手な事、言うべきではないし、言える訳もない。

 エーリックが何も答えてはくれない。でもカレンはむしろそれが彼らしいとすら思っていた。幼い頃から、ずっと年の離れた兄のように慕って来たエーリック。反抗期の時だって、彼は笑って会いに来てくれた。

 海軍再建を胸に、フリードリッヒの力を借りて国防海軍総司令官になった際、相棒となる総参謀長には彼を指名した。信頼でき、良く知っていて、何より頼りになる。ちょっと皮肉を言って意地悪したりするが、いざという時には彼ほど頼りになる人は居ないだろう。

 軽いように見えて、でも芯は真っ直ぐで。だからこそ、不用意な事は決して言わない。だからこそ、自分の弱さを露わにできる数少ない相手、それがエーリック・レーダーだ。

「あぁ、国防費を散々使ってこのザマかぁ。ほんと、情けないわね」

 彼の手を離れ、縁に寄り掛かるカレンは軍帽を深く被って顔を隠す。口では軽口を叩いていても、その肩が震えている事に、気づかないエーリックではない。

「全くだ。鋼龍迎撃戦で一体どれだけの予算を注ぎ込んだ事か。ただでさえ俺達は財政省に金食い虫だなんて言われてるんだからな」

 やれやれとばかりに軽口を叩くエーリック。国防海軍は見ての通り、大規模艦隊を有しているに加え、現在も次々に新鋭艦を建造中だ。建艦費に維持費等、国費にかなりの負担を強いている。その為、財務省や一部の人間からは無用の金食い共と言われる始末だ。

 エーリックの発言に、カレンは口元にわずかな笑みを浮かべて「そうね」と短く答えると、ため息を零しながら天を仰ぐ。空はムカつくくらいの快晴で、雲ひとつない晴天だ。

「はぁ、何だかもう演習とかどうでも良くなってきちゃったなぁ。エーリック、やっぱりあんたに艦隊の指揮権を貸してあげるわ」

「おいおい、そんな理由でこんな大艦隊を預けられても手に余るぜ」

「ふふふ、冗談よ。私の部下達は、決して誰にも渡さないわ。彼らの命を預かる責任があるんだから」

 そう言って、カレンは両手を広げる。その背後には、今まさに彼女の部下。大艦隊の姿が見える。これだけの艦隊だ、参加兵員数は二万人近いだろう。その全てが彼女の部下であり、命を預かっている者達だ。この年で、これだけの兵員を統率するなんて、彼女くらいにしかできない芸当だろう。そんな彼女に、自分達は付き従っているのだ。

「私は一度決めた事は決して曲げない。曲げないのよ」

 まるで、自らに言い聞かせるようにそう繰り返すカレン。心配になったエーリックが彼女に近づき、そっと肩を叩こうとすると、彼女はするりとその手を避けて彼の背後に回り込む。驚いて振り返ると同時に「良し、私決めたわ!」と彼女の声が響く。

「決めたって、何をだ?」

「ふふん、やっぱり私は諦めないわよ。クリュウ・ルナリーフを、必ず手に入れてみせるわ!」

 そう宣言し、カレンは振り返る。そんな彼女の姿を、エーリックは無言で見詰める。何も答えてくれない彼に対し、カレンは更に言葉を続ける。

「だって、そうでしょ? 私は一度決めた事は決して曲げないのよ。あの人を手に入れるって決めたんだから、何としてでも手に入れてみせる」

 腰に手を当て、胸を逸らしてふふんと自慢気に語る彼女の口調はいつもと変わらない、自分と二人きりの時にしか見せない素の彼女。何も変わらない、冷静に見えて負けず嫌いな、女の子の姿。

「国防海軍総司令官様が、好きになった男も自分のものにできないなんて、情けないったらありゃしないわ!」

 軍帽を取ると、彼女の黒く美しい髪が海風でそよそよと揺れ動く。手に持った軍帽をくるくると指先で器用に回すのが、彼女が強気な時のクセだ。

「だって、私はこんなにも可愛い美少女なのよ? 総統陛下には負けるけど、でも彼の周りに居るような女達に負けてるとは思わない。この私が本気を出せば、こんな恋なんて簡単に攻略出来ちゃうんだから! 待ってなさいよ、クリュウ・ルナリーフ!」

 軍帽を再び被り直し、空いた手の先でビシッと海を指差す。その先には今まさに艦隊から離れていく遣東艦隊の姿が。あの中に、彼女の想い人が居る。逃しはしないとばかりに断言する彼女は、決していつもと変わらない強気なお嬢様だ。

 エーリックは終始無言で彼女の宣言を聴き続けていた。そして、ゆっくりとポケットに手を入れて、中から何かを取り出すと、そっと彼女に差し向けた。

「何よ、これ」

 差し出された物を見て、カレンは首を傾げる。あまりにも今の自分には不要な物を差し出されて、呆れて視界が歪んでしまう程だ。

「もういい、無理するなよ」

「はぁ? この私のどこが無理してるってのよ? 失礼な事言わないでよね」

「うるせぇ。今は黙ってそれでその顔を何とかしやがれ――そんな辛そうな泣き顔見せられるこっちの身にもなれってんだ」

 エーリックの言葉にカレンは差し出されたハンカチを手に取る。まだ触れたばかりのそれは、まるで雨でも振ったかのように表面にシミが幾つも浮かんでいる。しかもそれは次々に生まれては、ハンカチを湿らせていく。おかしいなぁ、雨なんて振ってないのに。

「あ……、あれ?」

 ゆっくりと手を頬に当てると、そこはびっしょりと濡れていた。雨のような冷たい雫ではなく、温かな雫が頬を濡らしていたのだ。それをゆっくりと指先で辿っていくと、歪む視界を映す瞳に辿り着く。

 困惑する彼女、カレン・デーニッツは泣いていた。自覚もなく泣く彼女の顔は、見ていられない程に悲痛に歪んだ、悲愴に満ちたものだった。

「な、何で私が泣いてるのよ? あ、ありえないわ。な、何で、何で……ッ!」

 気づいてしまったら、まるでそれが合図だったかのように悲しみがせり上がってくる。目から零れ落ちる涙は止まる事なく、むしろどんどんと溢れていく。言葉は次第に込み上げて来た嗚咽で聞こえなくなり、肩は震え、足腰が立たなくなる。震えは全身へと波及していき、止まらない。

 悲しみが止まらない。泣き叫びたい気持ちでいっぱいになる。自らの意思と関係なく、溢れかえりそうになる感情。必死に堪えるカレンを、エーリックが静かに抱きしめる。今にも倒れそうだった彼女に、その力を抗うだけの力は残っていなかった。

「もういい。艦隊指揮はやはり俺が預かる」

「な、何よ勝手な事言ってッ! 私は、私は国防海軍総司令官……ッ!」

「いいから黙って指揮権を俺に寄越せ。そして今だけは、国防海軍総司令官なんて物騒な肩書は忘れて、一人の女の子として――十七歳の、カレン・デーニッツという普通の女の子になってろ」

 抱き締めるエーリックの腕の中、彼の言葉でカレンの中にあった最後の抵抗が粉々に崩れ去った。もう、感情を止める手段はない。嗚咽はより大きく、涙はボロボロと溢れ続ける。言葉にならない声が、今にも溢れそうになる。そして、

「――泣きたい時は泣け、バカ妹が」

 その言葉をきっかけに、彼女は絶叫した。

 同時に、辺りに巨艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』の汽笛が鳴り響いた。艦隊出航を知らせる為の何の変哲もない合図だったが、まるでそれは自らが敬愛する国防海軍総司令官であるカレンの絶叫を掻き消すかのように、静かな海にいつまでも鳴り響いた……


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