モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第231話 明日への誓い 動き出すそれぞれの物語

 フィーリアと離れてしばらく行った所にある道脇の岩の上に腰掛けたルーデルは、静かにため息を零す。項垂れるように地面を見詰める事数分、ゆっくりと顔をもたげた彼女の瞳の縁には薄っすらと涙が浮かんでいた。

「そうだよね。好き、なんだよね。わかってたけど……辛いなぁ」

 そう、わかっていたのだ。最初から。

 クリュウ・ルナリーフという少年は、親友のフィーリア・レヴェリの初恋の相手である。親友が、心の底から慕い、愛している男。それが、クリュウだ。

 わかっていたはずだ。だって、好きな人ができたと嬉しそうに打ち明けられ、以後も彼の事を楽しげに話す彼女。その時の彼女は、本当に幸せそうに笑っていた。その笑顔を、親友を取られた形でちょっと嫉妬心を抱いていたが、それでも親友の嬉しそうな姿に自らも心のどこかで応援していた。

 親友の恋を応援する。親友として、当然の事のはずだ。なのに、自分はそれが心の底からできない。

 だって――自分も、クリュウ・ルナリーフという少年が好きなのだから。

 親友の好きな相手を好きになる。小説の中のようなベタベタな泥沼展開。ベタであるが故に、一番面倒極まりない関係となってしまった。

 今ならわかる。フィーリアが、どうしてあんなに幸せそうだったのか――人を好きになる事が、どれだけ幸せな事なのか。

 彼の顔を思い浮かべるとドキドキし、彼に話しかけられただけで心臓が止まりそうになる。気がつけば、視線はいつも彼を追い、頭の中ではずっと彼の事ばかり考えてしまう。

 きっとフィーリアも、自分と同じような気持ちで居るのだろう。この、くすぐったくも焦れったい。そして何とも言えない幸福感。恋、それは今まで経験した事がない感情に満ち溢れている。

 だが、自分は決してこの感情に押し流されてはならない。なぜなら、自分の恋は間違っているのだから。

 彼は自分にとって初恋の相手だが、彼は同時に親友であるフィーリアの初恋でもある。この想いは、親友を裏切る、決して許されないものなのだから。

 ――だから、ケジメをつけなければならない。つけなければ、ならないのだ。

「あぁもうッ!」

 頭の中がゴチャゴチャになり、思わず感情的に自らの両頬を左右から叩いてしまう。力加減しなかった為、予想以上の痛みに苦悶するルーデル。

 だが痛みが引くにつれて現実へと戻ると、またモヤモヤとした想いが胸の奥を渦巻いてしまう。

「ケジメ、つけなくちゃいけないのに……」

 親友の為に、ケジメをつけなくてはならない。そう決めたはずだ。なのに、自分はまだ未練がましくそれができないでいる。この想いはフィーリアを裏切る事になる。わかっているはずなのに。

 フィーリアは唯一無二の親友だ。絶望の闇のどん底で、全てを諦めていた時。彼女は突然現れ、純真無垢な笑顔で自分に光を教えてくれた。自分に、笑顔を取り戻してくれた大切な人。親友であり、恩人であり、家族でもある。

 そんな大切な存在であるフィーリアの、大切な想いを踏みにじりたくない。裏切りたくない、ずっと彼女の親友でいたい。だからこそ、ケジメをつけなくてはならないのだ――クリュウへの想いを、諦めると決めたはずだ。

 なのに、自分はまだ未練がましく、彼への想いを諦められずにいる。

「……ッ!」

 悔しげに、ルーデルは何度も拳で自らが座っている岩を叩く。拳が赤くなり、激痛が走るが、それを歯を食いしばって耐え抜く。

「間違ってる。こんな想いは間違ってる。私はあんな軟弱男の事なんか、全く何とも想っていない」

 自らに言い聞かすように何度も同じような事をつぶやく。だが、どれだけやってもその刷り込みは通用しない。依然として、自分の胸には彼に対するどうしようもない《好き》という感情が居座り続けている。

「何でよッ。何でなのよ……ッ! 私は捨てなくちゃならないのに、何で消えないのよッ。間違ってる、この想いは間違ってるのにッ!」

「――間違って、ないと思うよ?」

 突然の声にハッとなって伏せていた顔をもたげると、そこには――

「誰かを好きになるって事は、絶対間違いなんかじゃないよ」

 自分が大好きで、でも今は最も会いたくなかった相手――唯一無二の親友、フィーリアが小さな笑みを浮かべて立っていた。

「フィー……ちゃん……」

「そっか、ルーもクリュウ様の事、好きだったんだ」

 突然知ってしまった親友の本心に困惑しながらも、目の前の現実を受け入れようとするフィーリア。何度も「そっか、そっか……」とつぶやく姿は突然の事態を受け入れようと自らに言い聞かせるよう。複雑そうな笑みからは、彼女の心境が見えるようだ。

 一方のルーデルの突然フィーリアに自らの想いを知られてしまい最初は呆然としていたが、すぐに立ち上がって慌てふためきながらも否定の声を上げる。

「ち、違うッ! わ、私がクリュウの事が好き? ば、バカ言わないでよ。何で私があんな軟弱者を好きにならなきゃいけないのよッ。じょ、冗談も休み休み言ってよねッ」

 若干早口になりながら必死に否定の言葉を並べるルーデルだが、その姿はあまりにも必死過ぎて全く説得力がない。親友のそんなあからさまな姿に、フィーリアは苦笑を浮かべる。

「ルーって昔からウソが下手だよね。本心を隠そうとする時、いつも声が大きくなって。必死過ぎてまるわかりだよぉ」

 フィーリアの言葉に更なる否定の言葉を並べようとしていたルーデルは開きかけた口を閉じた。フィーリアの言葉と表情から、どんなにウソを並べても彼女には通用しない。そう、気づいてしまったから。

「……やっぱり、フィーちゃんには敵わないなぁ」

 諦めたように、ため息混じりにつぶやくルーデル。そんな彼女の姿にフィーリアも小さく笑みを浮かべる。

「何年一緒に居ると思ってるのよ」

「そうだよね、フィーちゃんにはウソは通じないもんね」

 語気を弱め、観念したように肩に入っていた力を抜くルーデル。そんな彼女に対しフィーリアは笑みを引っ込めると、改めて彼女の本心を問いかける。

「ねぇルー。ちゃんと、ルーの言葉で聞かせて。ルーは――クリュウ様の事が好き、なの?」

 いつになく真剣な表情で問いかけるフィーリアの言葉と表情に彼女の真剣さ見たルーデルは、自らも覚悟を決めたように表情を引き締めると、素直に、自らの想いを告げる。

「……うん、私もあのバカ――クリュウが好きよ」

「そっか……」

「うん……ごめんね、フィーちゃん」

「謝る必要なんてないよ。誰かを好きになるって事はとても素晴らしい事だと思う。例えその相手が、私も好きな人だとしても、それは決して謝る必要なんてない」

 静かに、でもどこか力強くひとつひとつの言葉を選びながら語るフィーリア。その強さに驚きながらも、彼女が自分を傷つけないよう言葉を選んでいる事にも気づいている。彼女の優しさは親友である自分にとっても自慢だが、今だけはその優しさが辛い。

「ほんと、ごめんね。私、フィーちゃんを裏切った。応援するって言ったのに、こんな事になっちゃって、本当にごめんなさい」

「……もう、だから謝る必要なんてないよ」

「でも、怒ってるでしょ? 私が、こんな想いを抱いた事。怒ってるでしょ?」

「――うん、怒ってる」

「……ッ!」

 恐る恐るという風に尋ねたルーデルの問いに対し、フィーリアはキッパリとそう答えた。彼女の返答に、ルーデルの表情が引きつる。だがフィーリアは怯えるルーデルに対し、静かに微笑みかけた。

「勘違いしないでね。私が怒ってるのは、ルーがクリュウ様を好きになった事じゃない――私が怒ってるのは、ルーが私の為にクリュウ様への想いを諦めようとしてる事だよ」

「え……」

 予想外の言葉に、呆然としながら伏せていた顔を上げると、そこにはいつになく真剣に怒るフィーリアが可愛らしくも、怒りに染まった表情で立ち塞がっていた。

「ルーは優しい娘だから、私を想って身を引いてくれるんだと思う。でもさ、それで本当に私が喜ぶと思う? だとしたら――私はルーを軽蔑するよ」

 いつになく強い口調でルーデルに迫るフィーリア。いつもは優しい親友の怒りを顕にした態度に、ルーデルは返す言葉もなくただ黙って彼女の言葉を聞くしかない。そんな彼女に対し、フィーリアは改めて問い質す。

「ねぇ、ルーは私の親友だよね? 私はそう思ってるけど、ルーはどう思ってるの?」

「私も、フィーちゃんの事は大切な親友だと思ってる」

「そう。ならさ、ルーが私の幸せを願ってるように、私だってルーの幸せを願ってるって事くらい、わかるよね?」

 フィーリアの問いかけに対し、ルーデルは無言でうなずいた。その瞬間、フィーリアの目つきがより厳しいものへを変わる。

「なら、わかるよね? 私が、親友を犠牲にしてまで幸せを得たいなんて、そんなバカげた事を願う訳ない。私はそんな卑怯者じゃない」

「知ってるわ。フィーちゃんは、昔から誰かを犠牲にする選択を嫌う。心優しい、私の大親友」

「だったらどうして、ルーは私の為に身を引くなんて考えたの? 私が、それで本気で喜ぶと思ってるの?」

「……わかってるわよ。そんな事で、フィーちゃんが喜ぶはずない。そんな当たり前な事、十分わかってるわよ」

「ならどうして――」

「私だって、この選択が間違ってるって事くらいわかってるわよッ! でも、仕方がないじゃないッ! 私が、親友であるフィーちゃんの恋敵になる? 私が、フィーちゃんの敵になる? そんなの嫌よッ! 私は――大好きなフィーちゃんを失いたくないのッ!」

 悲鳴のように叫ぶ彼女の言葉、それが彼女自身の本当の気持ちに他ならない。親友の好きな人を好きになる。それだけでも心優しい彼女にとっては負担なのに、もしも本気で彼を好きになってしまえば、それは同時に親友であるフィーリアとクリュウを奪う敵同士になってしまう――親友であるフィーリアを、失うかもしれない。

 奴隷商人から開放され、孤児施設に預けられてしばらくした頃に視察に訪れたレヴェリ三姉妹。その中の一人、末っ子のフィーリアと初めて出会ってから、これまでずっと親友として過ごして来た。

 ルーデルにとって、唯一無二の親友。それを失うかもしれないような選択を、彼女が取れるはずもなかった。

 そう、ルーデルが自ら身を引こうとしていたのは親友であるフィーリアの幸せを奪う選択ができないという事。そして、親友であるフィーリアを失うかもしれないという恐怖からだったのだ。

「私にとって、フィーちゃんはたった一人の親友なのッ! そのフィーちゃんと敵になって、フィーちゃんを失うかもしれない。そんな選択できるはずないじゃないッ!」

 目の縁に涙を浮かべ、泣き叫びながら自らの想いを語るルーデル。その表情は見ていられない程悲痛に歪んでいる。そんな彼女の姿を、フィーリアは静かに見詰め続ける。

「私はクリュウが好きッ! 好きなのよッ! でも、でも……ッ! それと同じくらい私はフィーちゃんが好きなのッ! 大好きなのッ! どっちも、私にとっては捨てられない想い、大切な人なのよッ!」

 悲痛な想いを泣き叫ぶルーデルは、そこで膝を折ってうずくまってしまう。伏せた顔の下の地面にはポタポタと悲しみの雫が垂れる。頬を流れる涙は止まる事なく溢れ続ける。

 頬を零れ落ちる悲しみの雫。フィーリアはゆっくりと膝を折ると、手を伸ばし、ルーデルの頬を流れる涙を指先で拭い取った。

「私だって、同じ想いだよ。私だって、ルーを失いたくない。私にとっても、ルーは親友だから」

「フィーちゃん……」

「――でも、私の親友はそんな弱気な人じゃない」

「え?」

 驚き、思わず伏せていた顔を上げると、そこには真剣な眼差しでこちらを見詰めているフィーリアの顔がそこにあった。呆然としているルーデルに対して、フィーリアは静かに語りかける。

「私と敵になるのが嫌だから、好きな人を諦める? そんなの、私の親友のルーデル・シュトゥーカじゃない。私の知っているルーは、自分の気持ちを押し殺したりなんかしない。自分の願いを諦めるような人じゃない。いつも真っ直ぐ前を見て、勇猛果敢に困難に挑んでいく、かっこ良くて、強くて、優しくて……でもちょっぴり不器用で。何より――私を失望させたりなんかしない」

 ゆっくりと、一つ一つ言葉を選びながら語るフィーリアにとってのルーデル・シュトゥーカ像。それは、幼い頃からずっと一緒にいた親友だからこそ知っている、ルーデルの本当の姿。自分以上に自分を良く知っている、そんな親友が語る自分と、今の自分とのギャップに気付かされたルーデルは返す言葉を見つける事ができなかった。

 フィーリアを見詰めたまま黙り続けるルーデル。そんな彼女に対して、フィーリアはさらに言葉を続ける。

「ねぇルー。ルーは本当にそれでいいと思ってるの? そんな中途半端な気持ちで、本当にこれからもクリュウ様と親しくできる? 私と一緒に居られる? そんな、曖昧な気持ちで、本当にこれからも私達二人とやって行けるの?」

「そ、それは……」

「できない、よね? ルーは真っ直ぐだから、そんな器用な事はできない。どっちとも気まずくなって、結局どっちともグチャグチャになっちゃう」

 返す言葉がなかった。彼女の言う通り、自分は不器用な人間だ。自分の気持ちを押し殺したまま彼と接する事などできないだろう。色々な気持ちがグチャグチャになって、彼とは会話すらままならなくなる。それはきっと、親友であるフィーリアも同じだ。結果、自分は二人のどちらとも、これまで通り接する事はできない。二人との関係を守りたいが為の行動は、結局どちらをも失ってしまう……

 愕然とするルーデルに対し、フィーリアはゆっくりと最後の説得を行う。

「ねぇルー。私はね、確かにルーがクリュウ様を好きになっちゃって正直複雑だよ? 親友の恋は応援したい。でも、その相手は私も好きな人。応援したくても、できない。こんな想いをルーはずっとしてたんだよね? だから――今まで、本当にごめんなさい」

 そう言って、フィーリアは深々と頭を下げた。今自分が胸の奥で渦巻く複雑な感情。考えれば考える程胸が締め付けられて、頭が回らなくなる。複雑すぎて自分じゃどうしようもない。こんな感情を、今までずっとルーデルは抱いていたのだ。押し付けていた、気付かなかった自分が情けない。だからこその謝罪の言葉だった。

「フィーちゃんが謝る必要なんてないッ! 謝るのはむしろ私であって――」

「――でもね、ルー。私はこうも思ってるんだ」

 謝るべきは、むしろこんな複雑な状況にしてしまった自分だと謝り返そうとするルーデル。そんな彼女の言葉を制したフィーリアはゆっくりと下げていた頭を上げる。その瞬間、ルーデルは彼女の表情を見て言葉を失った。だって、彼女は――

「私が、心の底から愛している人。その人を、私が大好きで信頼できる最高の親友であるあなたも好きになった――こんなに嬉しい事って、そうないと思うんだ」

 ――そう言って、フィーリアは笑みを浮かべた。本当に幸せそうな、見るだけで周りが優しく、温かくなるような、そんな天使の笑顔。

 彼女の笑顔に見とれながら、ルーデルもまた彼女と同じ想いだった。

 親友同士、同じ人を好きになる。それは確かに複雑だし、結局は奪い合う形になってしまう。結末はどうがんばっても、双方がハッピーエンドには決してならない。でも、考え方を変えれば自分達が好きになった人が同じというのは、互いにその相手、クリュウの素晴らしさを認めているという事。自分の好きな相手が、本当に素晴らしい人だという証拠でもある。

 自分の恋は間違っていない。形は複雑でも、親友同士互いに認め合っている。

 そう考えれば、確かに複雑な状況ではあるし、結果は決してハッピーエンドにはならない。これから先、きっと大変な道のりになる事は予想できる。でも――

「……そうね。確かにあいつは軟弱者だし優柔不断だし、良くも悪くも誰にでも優しい面倒な奴よ。でもさ――そういう所が素敵よね」

「うん。ライバルも多いし、私達の想いにも全然気づいてくれない鈍感な人。でも――やっぱり好きなんだよね」

 ――今だけは、クリュウの事を想って、笑い合える。

「好き、なんだよね。うん、私はクリュウの事が好き。やっぱり、諦め切れない。フィーちゃんの言う通り、あいつを狙う奴は多い。乳デカクール女や、常識知らずの眼帯女、暴力幼なじみ。可愛くないイビルアイに、突撃しか知らないバカツインテール。はたまたアルトリアの幼女王に世間知らずのエルバーフェルド国防海軍総司令官様。きっと、もっとたくさんあいつを好きな女は居る」

「……言葉は悪いけど、誰が誰かは良くわかるね。っていうか、本当にすごい人ばっかりで正直参っちゃうなぁ」

「何より、最強の恋敵(ライバル)であるフィーちゃんも居る。これは、ものすごく攻略難易度が高いわね。でも、私は負けないわ。絶対に全員を蹴散らして、あいつを奪い取ってみせる。悪魔のサイレン、ルーデル・シュトゥーカの恋唄は、止まらないわ――もちろん、フィーちゃんにも負けない」

 不敵に微笑んでみせるルーデルは、フィーリアが良く知っている親友の表情そのものだった。強い相手であればあるほどに燃え、勇猛果敢に挑み掛かる。常に強く、凛々しく、猛々しい。でもその不敵な笑顔の下には心優しくも素直じゃない、十七歳の少女の顔がある。恋に生きる乙女の強い決意。

 不敵に微笑む親友に対し、フィーリアもまた頼もしく笑い返す。

「私だって負けないもん。クリュウ様への想いは、誰にも負けない。もちろんルーにだって。前途多難で、きっと大変な恋だと思う。でも、私は負けない。必ず、私はクリュウ様のお嫁さんになるもんッ!」

「言うわねぇ。私だってあいつを婿にしてみせるわ。クリュウ・シュトゥーカ、なかなか痺れる名前じゃない?」

「そ、それを言うならフィーリア・ルナリーフの方が素敵だもんッ」

「ルーデル・ルナリーフ……ラ行ばっかりで舌噛みそうね」

「それを言うなら、クリュウ・レヴェリだってラ行が多いし、何より語呂が悪いよ」

 真剣にお互いの将来の名前について考え合う二人。傍から見るとあまりにもバカバカしい光景でも、恋する乙女にとっては重要な問題だ。真面目に考える二人の視線が、ふと重なる。その瞬間、どちらからとなく笑いが零れた。

 面白おかしく、声を上げて笑う二人の少女。

 親友同士、互いの好きな人が一緒。何て複雑で、神様が居るとすれば蹴手繰り倒してやりたいような無茶苦茶な運命。でも――今だけは、笑っていられる。今だけは、幸せな想いが胸の奥にある。お互いに好きな人が一緒で、同じ想いを抱く者同士。自分達は全くタイプが違うようで、やっぱりどこか似ている。

 恋する乙女、信頼し合える親友同士、フィーリア・レヴェリとルーデル・シュトゥーカ。

 二人の恋は、まだ始まったばかりだ。

 

「……ルフィールは、前にこの村に来た事があるんすよね?」

「えぇ。とても長閑で、素敵な村でした」

「……そっか。それはシャルも見たかったっす」

「本当に素敵な村でした。だからこそ――胸が痛いですね」

 瓦礫が散らばる、荒れ果てた村の有り様を見ながら悲痛そうに語るルフィールの言葉にシャルもまた辛そうに顔を顰める。

 会議終了後。クリュウとフィーリアが二人で話しているちょうどその頃。カレンの許可を得てイージス村の中へと入ったシャルルとルフィールの二人は、無残に破壊された村の現状を歩きながら視察していた。ルフィールは村の無事な姿を知っているからこそ、記憶の中の素敵な村の光景と今の無残な光景を重ね合わせ、胸を痛める。無事な姿を知らないシャルルも、自らの故郷のアルザス村と比べながら、悲惨なこの光景に胸を痛めていた。

 特にルフィールからすれば、ここの村の人達は自分の目を見ても恐れる事なく、むしろ優しく接してくれた事から一回した来た事のないイージス村に対しても好意を抱いていた。だからこそ、余計に辛い。

「この村は上水道が整っていたのですが、その見る影もないですね」

「じょうすいどうって何すか?」

「要するに水路の事です。これは、その水路の残骸ですね」

「あぁ、クシャルダオラとの戦いでお前が隠れてた場所は水路の残骸だったんすか」

「戦争などでよく使われる塹壕戦を参考にしたのですが、思いの外役に立ちました」

「……お前の言葉は時々難しくてよくわからないっすよ」

「別に構いません。シャルルさんに辞書が必要になる単語を理解できるとは微塵も思っていませんので」

「……テメェはどんだけシャルをバカにするっすか」

 睨みつけるシャルルの視線を無視し、ルフィールは瓦礫を跨いで道を進み続ける。そんなやりとりをしながら二人が目指した場所、そこは倉庫を備えた一軒の住居だった。壁や屋根の一部が壊れ、窓は全て割れている。全壊の家屋も少なくない中、半壊で済んだこの家は――

「……これが、兄者の家っすか?」

「はい。正確にはこの村に常駐するハンター全員が住んでいた、所謂駐屯所のような場所でした」

「だから、難しい言葉をわざわざ使うなっす。要するに兄者の家っすよね」

 そう、二人が訪れたのはクリュウの家だった。クリュウの家は村の中心部に位置していた。そしてそこは最も激しい戦闘が行われた場所でもあった。事実、周辺の家屋のほとんどが全壊している。その中で半壊で済んだのは、ある種の奇跡だったのかもしれない。

 破壊されたドアを開けて中へと入ると、中も家具が散乱してひどい有様となっていた。それでも、そこは確かに以前自分が過ごした愛しい彼の家だった。

「あ、これ……」

 シャルルが見つけたのは、床に落ちていた一冊の本だった。それはずいぶん使い古された本で、至る所にに付箋が貼られていたり、ページの端が折られている。中を開ければ色々な箇所に線が引かれ、後から書き加えられた彼直筆のメモ書きも据えられている。

「それ、訓練学校の頃の教科書っすよね。確かモンスター学の」

「はい。モンスターの基本的な生態や動き等が書かれている教科書ですね」

 二人してその教科書を覗き込むと、どちらからとなく苦笑が漏れた。

 ページの本文以外に、空いているスペースにビッシリと彼の文字で補足が書き加えられ、中には付箋にまで書いている場所もある。別の資料の情報や実際に経験した内容などが細かく書かれている。彼がどれだけこんも教科書を愛用していたかがわかる。

「相変わらず、兄者はクソ真面目っすねぇ」

「その真面目さが、素敵なんじゃないですか」

「まぁ、そうっすけどねぇ」

 頬を赤らめながら微笑むルフィールの言葉に、同じく頬を赤らめたシャルルが犬歯を見せながら微笑む。

 親友同士、互いに同じ人を好いているルフィールとシャルルの二人。しかしいがみ合う事なく、むしろお互いを認め合い、切磋琢磨している二人。性格もバトルスタイルも全く違う二人だが、彼を思う想いはどちらも負けてはいない。

 学生時代、初めて彼と出会い、彼の優しさに触れ、様々な苦難を乗り越えて来た二人。その彼と共に過ごした時間の中には、当然お互いの出会いがあり、ケンカし合いながらも切磋琢磨し合った日々も含まれる。

 あの頃から共に過ごし、現在は共にルーデルの働きもあってレヴェリ領を拠点にハンター活動をしている。そして彼を救う為に村へと駆けつけ、古の龍王クシャルダオラと激闘を繰り広げた。そして今、こうして二人して彼の教科書を覗き込んでいる。

 全ては、彼と出会った時から変わった。自分にとって、かけがえのない時間だ。

 だからこそ、辛い――

「……この家、もう一度兄者が笑って過ごせるようになるっすかね?」

 半壊した家は、素人目に見ても修理が並大抵な事ではない事がわかる。もちろん、家だけが戻っても仕方がない。周りの家々が戻り、村人達が戻り、村が蘇らないとならない。

 定義は様々だが、シャルルが言う事の意味は文字通りの意味だ。それに対し、ルフィールは首を横に振った。

「村の状況は、正直絶望的です。瓦礫の量が多く、まずその撤去が並大抵ではありません。それが終わったとしても道路や上水道の修復、家屋の復旧があります。更に長期的には畑や果樹園の復旧といった住民の収入源の確保も必要です。港もあの嵐の影響でかなりの被害を受けて港湾設備がダメージを負っている事に加えて、漁船もずいぶん沈没してしまっています。復興には膨大な時間と大勢の人手、莫大な復興費用が掛かるでしょう」

「……お前の話は長くて周りくどいっす。要するに、どういう事っすか?」

 普段はどんな言いづらい事でも淡々と語るルフィールだったが、この時ばかりは一瞬言葉に詰まった。しかし意を決して、臆する事なく自らの判断を下す。

「……廃村、そういう選択が濃厚かと思われます」

「――阿呆、そのような悲しい結末、妾は認めんぞ」

 突然の声に二人が驚いて振り返ると、そこには二人とはまるで縁のない身分の少女が威風堂々と立ち塞がっていた。

「あ、あなたは……」

「先程の会議の初めに名乗ったはずじゃが、まぁ良い。妾の名はイリス。イリス・アルトリア・フランチェスカ。南洋に浮かぶアルトリア王政軍国で女王を務めておる者じゃ」

 そう言って名乗ったのはアルトリア王政軍国女王のイリスだった。

 突然一国の女王が現れた事に呆然とするルフィールに対し、バカシャルルは――

「お前、確かどっかの国の女王とか言ってたっすよね」

 ――何と、一国の女王に対して恐ろしい程のフランクな態度で接するシャルル。これにはイリスの方が驚いた。大体の人々は自分の肩書を知れば萎縮するのだが、シャルルはそんなのお構いなしだ。

「申し訳ありませんッ」

 自らも常識がない方だとはある程度自覚はあるルフィールだが、さすがに一国の女王に失礼な態度はできない。すぐにバカシャルルの頭を掴んで無理やりにでも頭を下げさせる。当然シャルルは抵抗するが、そこは付き合いの長いルフィール。皆が畏怖するイビルアイで睨みつけて無理やり黙らせた。

 一国の女王に対しての無礼。何を言われるかヒヤヒヤするルフィールだったが、頭を下げていた彼女の耳に飛び込んで来たのは、高貴の欠片もない笑い声だった。

 驚いて顔を上げると、イリスが大笑いしていた。

「あ。あの……」

「あぁ、すまんのぉ。妾の身分を知ってそのような態度をする奴が珍しくてのぉ」

「す、すみません。この人ものすごくバカなので……」

「シャルはバカじゃないっすッ!」

「黙っててくださいッ!」

「良い。気に入ったのじゃ。無用な敬語はなしで、友人に接するような口調で構わんぞ」

 笑いながら無礼講で構わないと言うイリスだが、当然そんな事できないと首を横に振るルフィール。だがシャルルはと言うと、

「女王さんだか何だか知らねぇっすけど、敬語しなくていいって言うならシャルはいつも通りっすよ」

 敬語なんて全く使えないシャルルからすれば、それをしなくていいというのはとても楽だ。シャルルの楽観的な発想に思わず頭を抱えてため息を零すルフィール。そんな彼女の苦悩など知らず、シャルルは早速イリスへと近づく。

「しっかしお姫さん。お前、ずいぶんボロボロっすねぇ」

「シャルルさんッ!」

 血相を変えてシャルルへと駆け寄ったルフィールは慌てて彼女の口を塞いで再び頭を下げさせる。イリスがどういう姿をしているか、それはルフィールも最初に気づいていた。

 シャルルに指摘されたイリスは、小さく苦笑を浮かべる。

「うぬぅ、妾はドジでのぉ。こういう足元の悪い所だと転んでばかり。しかも簡易とはいえドレスはどうにも動きづらくて……」

 そう言ってその場で一周してみせたイリスは、全身ボロボロだった。ドレスは裾の部分が破れ、泥だらけ。一国の国家元首としてはあまりにも惨めな姿だった。

「後でジェイドにまた怒られてしまうのぉ……」

 苦笑を浮かべるイリスの表情を見て、ルフィールの緊張が少しだけ和らいだ。一国の国家元首という事で萎縮していたが、その表情を見る限りは年相応の少女に見える。イタズラがバレるのを恐れつつもどこか諦めている、そんな表情だ。

 一国の国家元首と言えど、年下の女の子なのだ。

「して、お主らはこんな所で何をしておるのじゃ? 確かお主らは……」

「ルフィール・ケーニッヒです。こっちの頭が残念極まりない方はシャルル・ルクレール」

「テメェ、どんな紹介をしてやがるっすかッ!」

「どちらも、クリュウ先輩の学生時代の後輩です」

「おぉ、クリュウの後輩とな。それは、妾にとっても他人とは言えぬのぉ」

 うむうむと何度も一人で頷くイリスに対し、彼女とクリュウの関係を知らないルフィールとシャルルは訝しげな表情で彼女を見詰める。

「あの、女王様」

「そのような他人行儀でなくても良い。友人関係のような振る舞いで構わんぞ」

「いえ、そういう訳には……」

「あのさ、イリスにちょっと訊きたい事があるんすけど……」

 平然と気軽にイリスに声を掛けるシャルルを慌てて止めようとするルフィールだったが、イリスが改めて「良い」とその制止を止める。そんなやりとりの後、結局いつも通りの感じでイリスに改めて話しかけるシャルル。

 一国の女王に対し気軽に話しかける事ができるシャルル・ルクレール。恐るべき大物なのか、それとも前代未聞の大馬鹿者なのか。十中八九後者の方ではあるが、シャルルの裏表のない性格は、むしろイリスに好感を与える結果となった。

「イリスと兄者の関係って、どんな関係なんすか? 兄者は国無(ノンカントリアス)の平民。あんたは大国の女王様。どう考えても接点がねぇんすけど」

 彼女の無謀さに呆れながらも、彼女の口から放たれた疑問はルフィールも抱いていたものだった。

 ルフィールの問いに対し、イリスは苦笑を浮かべる。二人の疑問は最もな事は理解しているが、何せ複雑過ぎる状況の為どう説明したものか悩む。それに加えて、彼の許可なしに彼の後輩に勝手に自分達の関係を告げるべきか悩んでもいた。

 しばしの無言の後、イリスは二人に全てを話す事を決意する。クリュウの後輩という立場もあるが、特にシャルルの歯に衣着せぬ物言いに好感を抱いたからだ。

 イリスはゆっくりと、自分とクリュウの関係を語り始めた。自分と彼が血縁関係にある事、彼女の母が王族出身であった事、彼とのアルトリアでの日々等を二人に説明する。最初はあまりにも大き過ぎる、小説の中のような展開に驚くばかりだった二人だったが、彼女がウソを言っているようには見えなかった。

 全てを聞き終えた二人はしばし呆然としていたが、内容を理解するにつれてゆっくりと口を開く。

「あの先輩が、アルトリアの王族の血筋の方だったなんて……」

「マジで本の中の話みたいな話っすね」

 驚く二人に対し、イリスは苦笑交じりに「妾も自らで体験しなければ夢物語だと笑い飛ばしておったのぉ」と二人の発言に同意する。

「それじゃ、兄者は王族って事っすか? すげぇっすッ」

「いやまぁ、彼の母上は王室的にはある種の破門となっておる。じゃから彼には王族としての権限も無ければ、男であるが故に元々王位継承権もない。我が国は女王統治国家じゃからな。今の彼はただの平民じゃよ」

「だとしてもすげぇっすッ! さすが兄者っすッ!」

「シャルルさんはすぐに流石という言葉を使いますが、意味をわかって使っていますか?」

 変に盛り上がるシャルルと窘(たしな)めるルフィール。二人のいつもの光景に、イリスは可笑しそうに小さく笑みを浮かべた。

「まぁ、そんな訳で妾とクリュウは現在では唯一無二の従兄妹同士。彼が故郷に戻ってからは手紙でのやりとりだけは続けておってのぉ。じゃが、ちょいと外交関係の都合でこちらに来る用事ができてのぉ。ついでに立ち寄った訳じゃが、まさかこのような事になっておったとはなぁ……」

 そう言ってイリスは辺りを改めて見回す。家の中はずいぶんと壊れているし、家の外はそれこそ瓦礫だらけ。これがつい数日前までは長閑な村だったとは、信じられない荒廃ぶりだ。

「して、主らはなぜこのような場所におるのじゃ?」

「ここは、先輩の家なんです」

「……そうか、ここがクリュウの生家なのじゃな」

 クリュウの家だと知らされたイリスは興味深げに辺りを見回す。ずいぶんと荒れてはいるが、良く見れば人の生活の後が見える。それが、彼が暮らしていた証拠だ。

「全壊は免れたとはいえ、それでも大規模な修繕が必要じゃな」

「そうですね。それに、例えこの家だけ直ったとしても、村が立ち直らなければ意味がありません」

 ルフィールの言葉に同意見だとばかりに頷いてみせる。彼女の言う通り、例え彼の家だけが戻っても意味はない。村が戻らなければ、それは復興とは言えない。

「想像以上の被害じゃ。これが、古の龍王の力なのか……」

 一国を預かる女王という立場。モンスターとの戦いに対してどのような対策を行うかも彼女の仕事の一つと言える。その最大の厄災、古龍との戦いが如何に激戦を極めるか。村の被害状況、そして軍事機密の為正確な情報はわからないが、それでも同盟国エルバーフェルド帝国の精鋭艦隊が大損害を受けた。古龍というものが、それだけ凶悪にして脅威な証拠だ。

「村全体が、ずいぶん被害を受けています。被害を免れたのは、西の岬の方だけだと聞いています」

「西の岬? あぁ、この村の墓地がある方向っすね」

「墓地とな? では、伯母上の墓もそこに……」

 村の共同墓地が西の岬にあると知ったイリスは少し考えると、まだ何かを話している二人に背を向けた。

「女王さん? どうしたんすか?」

「あぁ、すまんのぉ。ちょっと西の岬へ行ってくる」

「それは良いっすけど、何でまた」

「先程話した通り、クリュウの母は妾の叔母上に当たる人物じゃ。まだ墓参りをしておらん。今のうちにしておかんと、しばらくできそうにないしのぉ」

 そう言ってイリスは玄関へと向かうが、転がっていた分厚い本に足をつまずかせて転倒。ビタッと見事に床に倒れ込んでしまった。

 起き上がらず倒れたままの女王と、それをとんでもないものを見てしまったと目のやり場に困る平民二人。奇妙な沈黙が数秒続いた後、シャルルは一言。

「……女王さん、シャル達が送ってくっすよ」

「……すまぬ」

 

「悪いわね。手伝ってもらっちゃって」

 会議終了後、エレナは酒場の片付けの為に村へと入った。そんな彼女の手伝いをする為に、シルフィードも同行する事となった。ついでにいつも通り協調性のないサクラを連行して、珍しい三人での組み合わせで、今まさにエレナの酒場で片付けに勤しんでいた。

 棚から落ちて割れた食器などを片付けるエレナは、壊れたテーブルを外へと運び出しているシルフィードに申し訳なさそうに謝るが、シルフィードは小さく首を横に振る。

「気にするな。ここで君にうまい飯をたらふく振る舞ってもらった。その礼だと思え。それに、困った時はお互い様だよ」

「……ありがと。やっぱりシルフィードは違うわねぇ。それに引き換え――」

 苦笑するシルフィードから視線をズラした先には、一人無事だったテーブルに腰掛け、腕組みをしながら目を閉じて瞑想するサクラの姿があった。

 呆れるエレナは「そんな所で座ってないで、少しは手伝いなさいよ」と彼女に声を掛けるが、サクラは無言を貫いた。イライラするエレナに対し「まぁ、そう怒るなエレナ」とシルフィードが宥める。

「彼女には彼女の気持ちがある。そう無理強いはするな」

「……シルフィードは甘いのよ」

「まぁそう言うな。細かい事はできんが、力仕事なら私に任せておけ。ほら、次はこのテーブルを外に出せばいいのか?」

 率先して手伝いに勤しむシルフィードに対し、苦笑を浮かべながらエレナは「そっちのテーブルをお願い」と指示を飛ばす。同時に、皆がまだ村の破壊に現実を受け入れきれていない中、一人すでに前を向いて進んでいるシルフィード。その心の強さにエレナは感心していた。

 シルフィードからすれば、クリュウを中心とした今回村に集結しているメンバーのほとんどは自分よりも年下ばかり。だからこそ年長者である自分が一番しっかりしなければという想いが強かった。同時に、彼女は幼い頃に自身の故郷を失っている。その経験があるからこそ、人より故郷が壊れる事に耐性があった。もちろん、だからといって辛くない訳ではない。それを隠し、強く振る舞っているだけだ。

 まだ現実を受け入れられないものの、とにかく今できる事として片付けに勤しむエレナと、それを手伝うシルフィードの二人に対し、サクラはずっと無言を貫いていた。

「……」

 無言でいるサクラの心境は複雑だ。

 彼女は老山龍ラオシャンロンに襲われて廃街したカルナス決戦での生き残りだ。守るべきものが崩れ去る事を経験し、彼女は「全てを守る」という理想を掲げている。そんな彼女の理想は、守ると決めていたイージス村の破壊で揺らいでしまった。

 全てを守ると決意していたのに、守れなかった。ぶつけようのない想いと、自らの未熟さを痛感した今回の戦いで、彼女は気力を失っていたのだ。

 自分が守ると誓ったイージス村は失われた。自分はこれから、どうすればいいのか。考えても答えは見つからず、結果それは彼女を無気力にさせてしまっていた。

 三者三様の想いが渦巻く酒場。そんな酒場に一人の来訪者が現れた。

「あれ? どうしたの、みんな揃って」

 現れたのはクリュウだった。クリュウは酒場へと入ると、居るメンバーを確認する。そのうちの一人、エレナと目が合った。

「クリュウ? どうしたのよ、こんな所に」

「いや、通り掛かったら声が聞こえたから立ち寄ったんだけど」

「まぁ、見ての通り片付けの最中だ。ここはクシャルダオラとの戦いで直接の被害を受けた訳ではないが、嵐の影響でそれなりに荒れているからな。ひとまず、拠点として使えるくらいには復旧しないと」

「拠点? ここを拠点にするの?」

「まぁね。ほら、ウチって食材なんか地下の倉庫で保管してるでしょ? 幸いそっちの方は被害がなかったから、食材の備蓄は結構あるのよ。村のみんなが戻って来た時、さすがに軍隊の携帯食料ばっかりじゃ可哀想でしょ?」

 すでにカレンの計らいでイージス村の村民が戻って来た際にはエルバーフェルド海軍から食料提供を受けられるよう手配してくれている。早朝に接岸した輸送艦には陸戦隊の他にそういった食料や復興に必要な備品などが大量に用意されていた。カレンがフリードリッヒに無理を言って用意した支援物資だ。

「カレンの助けはかなり有難いが、やはり郷土料理というのは体だけではなく心も満たしてくれる。エレナは、そうした心を充実に努めるそうだ」

 皆がまだ、現実を受け入れきれず困惑している中、エレナはすでに覚悟を決めて復興へとの第一歩を踏みだそうとしているのだ。そんなエレナの想い、強さにクリュウは彼女に感心する。

「そっか。じゃあ僕も手伝うよ」

「いいわよ。もうほとんどシルフィードにやってもらったし」

「そっか……じゃあ、何かあったら言ってね。手伝うから」

「ありがと」

 笑顔を浮かべて礼を述べるエレナ。そんな彼女に笑みを返したクリュウだったが、すぐに部屋の隅でずっと無言を貫いているサクラに気づいた。彼の視線を追った二人もまた、らしくない彼女の振る舞いに戸惑いを見せる。

「いつもなら、真っ先にクリュウに飛びつくはずなのに」

「さすがに、ちょっと変だな」

「サクラ? どうしたの、具合でも悪いの?」

 心配するクリュウの問いかけに対し、サクラは無言で首を横に振った。

 無言を貫こうとするサクラだったが、心配する彼の表情を見て沈黙はできないと思ったのか。ゆっくりと小さなため息を吐き、そして静かに口を開く。

「……私はまた、守れなかった」

「サクラ……」

 その言葉の意味を、クリュウは知っている。

 護衛の女神、そう謳われる彼女は護衛任務に依頼の重点を置いている。その対象は危険地域を通り抜ける商隊の護衛などが主であるが、時にはこうした村や街の防衛も含まれる。

 護衛任務は民間人が依頼主の為に報酬金額が少なく、地味に加えてそれぞれで達成条件が細かく異なる。何より、巨大なモンスターを討伐してこそ狩人(ハンター)だと考える者が多い為、どうしても受注する絶対数が少ない。その為、毎日のようにハンターズギルドには数多くの護衛依頼が届くが、それが実際に受注されてハンターが赴くのはそのうちの半分にも満たない。

 結果、現在でもモンスターの襲撃が予期されていながら十分な迎撃準備ができず、結果として故郷を放棄する自治体は存在する。商隊に関しても同様で護衛者が居ない状態で危険なエリアを通り抜け、結果壊滅的被害を受ける商隊は後を絶たない。多くの商人が、現在でも命を落としているのだ。

 彼女は自身の過去、両親と大切な仲間を轟竜ティガレックスによって奪われた。その経験から護衛依頼を何よりも重要な最優先任務と考え、これまで多くの街や村、更には商隊を守って来た。その奮闘ぶりは凄まじく、腕が折れようが脚を負傷しようが、夜叉の如き猛烈怒涛の剣撃で数多のモンスターを撃破。血反吐を吐きながら自らの命をも顧みず護衛対象を守る様は、いつしか商人達の絶対の信頼を得るようになり、今では隻眼の人形姫というハンターの中での二つ名の他に、商人達からは護衛の女神とまで呼ばれるまでになった。

 彼女が単純な戦闘能力ならフィーリアや、更にはシルフィードをも上回るのに二人よりもランクが下なのは、任務達成で得られるポイントが討伐依頼などに比べて低い護衛依頼ばかり受けている証拠だ。大型モンスーの討伐記録も二人よりは少ないが、逆に小型モンスターの討伐記録は常軌を逸している。

 全てを守る。それは、彼女がいつも公言している彼女の理想、信念、夢、願い。

 目の前で両親や仲間を殺された。カルナス防衛戦では老山ラオシャンロンによって守るべき街を破壊された。その二つの過去から、彼女は常軌を逸した気迫で護衛依頼を完遂して来た。その気迫と実力が、いつしか彼女を女神と謳われるまで成長させたのだ。

 だが、今回のイージス村防衛戦は鋼龍クシャルダオラを撃退したとはいえ、その実は失敗だ。守るべき村は壊滅的被害を受けた。全てを守る、そんな信念を抱く彼女にとっては、心が抉られるような敗北だ。

 戦闘地点が当初のイルファ雪山ではなく、肝心のイージス村になってしまい、イルファ雪山で戦闘を繰り広げていたサクラ、フィーリア、シルフィードの三人は村の防衛戦前半には実質参加できなかった。今回は、鋼龍クシャルダオラの予想だにしない行動で、クリュウと、駆けつけた仲間達、更にはエルバーフェルド海軍とアルトリア空軍などが迎撃に参加するなど、サクラの予想を遙かに超えた戦いとなった。

 彼女が責任を感じる必要は全くない。だが、無法者に見えても人一倍責任感が強いサクラ。守ると決めたクリュウにとって、そして自分にとっても大切なイージス村を守る事ができなかった。それは事実だ。そしてその事実が、彼女を苦しめる。

 悲しげにつぶやくサクラの言葉に、エレナとシルフィードは掛けるべき言葉を失う。彼女の夢を、理想を知っているからこそ、今の発言が彼女の自責の言葉だとわかるから。荒廃した村の惨状を見詰めながら、サクラは静かに続ける。

「……私はこれまで多くの商隊を守って来た。守った人の数は、千人はくだらない。でも、この村は守れなかった。たくさんの思い出と感謝してもし切れない程の恩義のあるこの村を、守れなかった。肝心な時に、私は役立たずだ」

 サクラは、これまで多くの人々を守って来た。それこそ、千人を超えるだろう。正直、顔も覚えていない者達も多い。以前ヴィルマで会ったサラ・ブヴァルディアもその一人だった。でも、そういったたくさんの人達を守って来た事は、彼女からすれば当然の事。でもどこかでその実績は自らの自信に繋がっていた。

 今の自分なら、本当に全てを守れるかもしれない。過信とは違うが、でもどこかで自分の強さを信じていた。

 だが実際は、運命の歯車が少し噛み合わなくなっただけで、自分は無力となってしまった。結局、自分はただの小娘でしかない。子供のように、目の前の苦難にただ抗って、それで満足していたのだろうか。

 幼い頃、轟竜ティガレックスに両親を殺され、全てを守ると決意したあの時の誓い。それと今の自分の信念は、本当に同じものなのだろうか?

 自分は無力だ。肝心な時に、全く役に立たなかった。

 今回の鋼龍迎撃戦は、村の損壊だけではない。大した怪我人は居ないとはいえ、クリュウやサクラのように心に傷を負った者達は多い。

 自らの無力さを痛感し、ひどく落ち込んでいるサクラ。そんな彼女に対しエレナとシルフィードはどうする事もできない。いつも自信満々で根拠の無い自信に満ちあふれている、己の信念を貫き通して来た強い戦乙女サクラ。そのサクラが自信を失っている。らしくない彼女に対し、どう声を掛ければいいか迷ってしまう。

 わかっていたはずだ。彼女は人一倍責任感が強く、そして脆い。常の無茶苦茶な振る舞いは、そんな自らの弱さを隠しているようにも見える。だからこそ、誰かが支えてあげなければならない。わかっていたはずなのに、自分は何もできなかった。リーダーとして、仲間として失格だ。

 しかし、自分は彼女を支えきれない事もまた自覚していた。なぜなら、彼女にとっての心の支えは――

「村を守れなかったのはサクラの責任じゃない。むしろそれは、最もクシャルダオラと戦っていた僕の方に責任がある。力及ばず、奴を村の中心部で暴れさせてしまった、僕にね」

 悲しげに、しかし優しげに彼女に話しかけるクリュウ。その言葉に、サクラは小さく首を横に振って否定する。

「……クリュウは悪くない。クリュウはがんばった。クリュウに責任はない」

「だったら、サクラにだって責任はないはずだ。古龍は災害だ。嵐や竜巻で被害を受けても誰も悪くないように、今回の事も誰も責任を追う必要はないと思う。無責任かもしれないけどさ、そういうもんだと割り切るしかないと思う」

「……クリュウ」

「それに、サクラは僕の窮地に駆けつけてくれた。あと少しで死んでいたかもしれない僕を、君は助けてくれた。サクラは何も守れなかった訳じゃない、救えたものだってあったんだよ。僕がその証拠だよ。僕が、君の守れた証さ」

 自らの胸を叩いて力強く宣言するクリュウの言葉に、サクラはゆっくりと目を見張り、そして口元に笑みを浮かべる。そんな二人のやりとりを見ていたエレナとシルフィードは、どちらからとなく笑みを零した。

「全く、どうしてあんな恥ずかしいセリフを平然と言えるのかしら、あのバカは」

「まぁだが、不思議なものだな。彼らしいというか、彼が言うとあんな使い古されたセリフもかっこ良く感じてしまうな」

 サクラはしばしの無言の後、静かに「……ありがと、クリュウ」と礼を述べて小さく笑った。彼女の笑みを見たクリュウは安堵したように表情を緩める。そんな彼に対し「……私、決めたわ」とサクラは小さくつぶやく。

「決めたって、何を?」

「……私が守るべきもの」

 そう言ってサクラは外へと出る。何事かと思い追いかけて来た三人の前で振り返ると、静かに背負っていた鬼神斬破刀を引き抜いた。そして静かにそれを構えると、クリュウ達の目の前で――その長く美しい髪を切り裂いた。

「さ、サクラッ!?」

 驚く三人を前に、サクラは切った髪を天へと放り投げる。風に乗ってそれらは彼方へと消え、残されたのは、肩程までに髪が短くなったサクラだけ。

 呆然とするクリュウ達を前に、サクラは鬼神斬破刀を地面へと突き立て、その柄の先端に手を添える。短くなった髪を風に靡かせながら、サクラは静かに語る。

「……私が守るべきもの。それは、今も昔も変わらない。私の目の前に居る人、私が守りたいと願う存在。その全てを守ってみせる」

「サクラ……」

「……もう迷わない。もう負けない。もう何も失わない。私は勝利しか信じない。私は、全てを守ってみせる。カルナスで誓った理想を、改めてこの場で誓う――私は、全てを守る」

 静かに、しかし力強く己の信念を貫く事を決意するサクラ。その強さ、凛々しさに、三人は思わず見惚れてしまう。言っている事はやはり夢物語であり、全てを守るなんて事できやしない。それは彼女だってわかっている。だが、例えできなくても全力を尽くす。自分が守ると決めたものは全て守る。限定的だが積極的、相反するようで一致する。彼女の決意、信念、願い。サクラ・ハルカゼという少女を突き動かし続ける原動力、それは今も昔も変わらず、むしろ更に強く彼女を突き動かす。

 凛々しく、力強く己の決意を述べるサクラの姿に、クリュウは笑みを浮かべて「そっか……」とつぶやく。彼女の夢を、理想を、自分も認めているし応援している。彼女ならきっとできる、そう信じていた。

 すると、サクラは薄っすらを頬を赤らめ、しきりに短くなった髪の先をいじり始めた。何事かと戸惑う彼に対し、サクラは恥ずかしそうに少し上目遣いになりながら、そっと彼に問いかける。

「……変、じゃない?」

 不安げに問う彼女の問いに対し、クリュウは彼女を安心させるように笑みを浮かべ、自らの率直な想いで答える。

「変じゃないよ。髪の短いサクラも、すごく可愛いと思う」

 恥ずかしがる事もなく堂々と言い張る彼の言葉にサクラは顔を真っ赤に染めてうつむき、エレナとシルフィードは呆れ返りながらも実に彼らしいと複雑な想いを抱きながら苦笑を浮かべる。

 可愛いと言われたサクラは俯きながら彼に隠れてニヤニヤしていたが、ゆっくりと顔を上げると、今頃になって自らの発言が恥ずかしかったのか照れ笑いを浮かべる彼に対し、サクラはゆっくりと微笑み掛ける。

「……好きよ、クリュウ。世界で一番、私はあなたを――愛しているわ」

 

 鋼龍クシャルダオラを迎撃してから数日後、エルバーフェルド帝国帝都エムデンから出立したオコーネル・ゲルトハルト親衛隊長が指揮する武装親衛隊に守られたエルバーフェルド帝国総統とヨーウェン・ゲッペルス宣伝担当大臣等のエルバーフェルド帝国首脳陣がイージス村に到着した。

 フリードリッヒは到着後すぐにアルトリア王政軍国女王イリス・アルトリア・フランチェスカとの首脳会議を行った。議題は当たり前だがイージス村の事ではなく二国間の問題だ。

 その最中の事だった。村長率いるイージス村の重役達がレヴェリに村民の多くを置いて戻って来たのだ。

 村長達は村の現状を把握した後、重役会議を開いた。そして――イージス村の廃村が正式決定された。


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