モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第225話 天と海の艦隊 己の無力さに流れる二人の少女の涙

 自由貿易都市アルフレアより北へ数十キロ進んだ先にある海域。現在ここにはカレンが率いて来た大洋艦隊のうち、支援物資や海軍が誇る陸上部隊である海軍陸戦隊の兵員が乗艦した輸送艦六隻と戦いで傷ついた駆逐艦が数隻、その修理を行う工作艦が艦隊を組んで待機していた。本来の護衛役である第12駆逐隊は先程カールが再編成した水雷戦隊に組み込まれて主力部隊支援の為に離脱してしまった為、現在こちらの本隊及び支援隊は実質護衛のない状態となっていた。本来こうした支援部隊に護衛をつけない事は作戦上問題だが、現時点でエルバーフェルドはどの国とも戦争状態にある訳ではない上、この付近に危険なモンスターがいない事が確認済みの為、異例の判断でこのように展開しているのだ。

 とはいえ、護衛のない状態では兵士達も安心はできない。全将兵が警戒を厳にしている中、それは突然現れた。

「お、おい、空を見ろッ!」

 誰かが放った言葉に、その場にいた全員が上を見上げ――絶句した。

 艦隊のはるか上空に、無数の飛行船が見えた。それらは見事な輪形陣を形成しながら一糸乱れぬ動きで天空を進む。その練度は、自分達エルバーフェルド国防海軍に引けをとらない。

「王軍、艦隊だ……」

 誰かが呟いたその単語を、否定する者はいなかった。

 この世界において、あれだけの巨大飛行船を有し、且つ大規模運用できる技術力と経済力を持つ国等、一国しか存在しない。その国が誇る飛行船を兵器として運用する空軍、その大規模艦隊こそが――王軍艦隊。

 遥か上空を悠々と飛行する飛行船の大艦隊を、エルバーフェルド国防海軍の軍人達はただただ呆然と見上げるしかなかった。

 エルバーフェルド国防海軍の支援艦隊上空を悠々と通り過ぎたのは、この世界において最高の科学力と経済力、そして軍事力を兼ね備えた世界最強の大国――アルトリア王政軍国の誇る王軍艦隊であった。

 

 上空一〇〇〇メートルにも及ぶ高度を、無数の飛行船が見事な輪形陣を形成しながら航行していた。それらの旗にはアルトリアの国旗である初代女王アルトリアの勇姿を模した旗が掲げられている。

 飛行船は全長一〇〇メートル弱のものから、最大は三〇〇メートルクラスのものまで大小様々。それらの艦船は、中央を航行する巨大な飛行船一隻を守る為の艦隊であった。

 この艦隊の旗艦であり、彼らが崇拝し、敬愛する者が乗るこの戦艦こそ、王軍艦隊旗艦である戦艦『プリンセス・オブ・アルトリア』であった。

 全長三〇〇メートルの巨艦に、無数の速射砲を備え、大量の砲弾と爆撃用の爆弾を搭載したこの戦艦は、たった一隻で一国を滅ぼす事ができると言われている。その最強艦の妹艦でありプリンセス・オブ・アルトリア級戦艦2番艦『ドレッドノート』も後続で続いており、更に防御装甲を削った分だけ重量を減らし、高速力を得た巡航戦艦と呼ばれる高速戦艦、レナウン級巡航戦艦1番艦『レナウン』、2番艦『レパルス』も艦隊に参加している。

 アルトリア王政軍国が誇る飛行戦艦が四隻も配備された艦隊。それはまさに最強の精鋭部隊。一国どころか西竜洋諸国全てを制圧できるだけの大規模艦隊だった。

 通常、アルトリア王政軍国空軍は四つの機動艦隊と呼ばれる艦隊に分けられている。戦艦を主力とした本土防衛を担う精鋭艦隊たる第1機動艦隊、巡航戦艦及び重巡航艦を主力とした高速力と火力を重視した第2機動艦隊、軽巡航艦を旗艦として駆逐艦数隻で編成された機動戦隊と呼ばれる高速部隊が主力となる第3及び第4機動艦隊。

 これら四つの機動艦隊を統率し、作戦に合わせて艦隊の垣根を越えて艦隊を編成する場合がある。厳密に言えばこうした複数の艦隊が空軍の長たる王軍艦隊司令長官の指揮の下で行動する場合のみ王軍艦隊と呼ばれる。しかしアルトリア国民からは羨望の、大陸の民からは畏怖の対象として王軍艦隊という呼称がされる場合がある。

 そして、更にこれらの艦隊の名前が変わる時がある。それは、アルトリア王政軍国三軍の最高司令官であり、国のトップたる女王が乗艦し、自ら指揮を執っている場合。この時は形式上は王軍艦隊司令長官ではなく女王が直々に指揮を行っている為、この場合の艦隊は王軍艦隊ではなく女王艦隊と呼ばれる。

 そして、今この空を航行する大規模艦隊は、この女王艦隊と呼ばれる艦隊だった。旗艦である『プリンセス・オブ・アルトリア』のマストには国旗の他に現女王の紋章たる銀火竜の旗が掲げられている。これこそがこの艦に今まさにアルトリア王政軍国女王が乗艦している証だ。

 なぜアルトリア王政軍国が誇る飛行艦隊がこのような辺境の海上を翔んでいるのか。それは、アルトリア王政軍国女王たる彼女の決断に他ならない。

 

 旗艦『プリンセス・オブ・アルトリア』の全長三〇〇メートルに及ぶ巨艦下部にある艦橋には、大勢の軍人達が厳かに構えていた。見張り兵達は艦隊が安全に航行できるよう常に双眼鏡で辺りを警戒しており、将校達は今後の事について話し合っている。それらの兵士達をどこか冷徹な眼差しで見詰めている青年こそ、この王軍艦隊本来の長たる王軍艦隊司令長官にしてアルトリア王政軍国を支える宰相、ジェイド・クルセイダー勲功爵であった。モノクルの奥の瞳は、誰が見ても今の状況に納得がいっていない。どこか不貞腐れているように見えた。

「……陛下、改めてお尋ねします。本当に、鋼龍に戦いを挑むおつもりですか?」

「無論じゃ」

 厳かな軍服を纏った軍人ばかりの艦橋の中、少女の出で立ちは良く目立っていた。彼女の正装には三つの段階があり、式典などに使われる第一種正装から通常時用の第二種正装、そして今彼女が纏っている最も軽装な第三種正装がある。第三種とはいえ、スカートはロングスカートでフリルや宝石などふんだんに使われた豪華なドレスだ。女王としての威厳に満ちた服装ながら、その頭に被るアルトリア王家に代々伝わる女王の証たる王冠は未だにサイズが合わずブカブカ。何より歳相応の小柄な体格や顔立ちは隠しきれず、一国の長なのにどこか華奢な印象を抱かずにはいられない。

 しかしその胸の奥に抱く国を、そして民を愛する想いは歴代の女王にも負けない程強い。顔立ちこそは幼いが、その強い意志を感じられる銀色の瞳と同色の美しい銀髪は母親譲り。勇気と希望に満ち溢れたこの少女こそ国民からは親しみを込めて少女王とも呼ばれる、アルトリア王政軍国現女王――イリス・アルトリア・フランチェスカである。

 艦橋の中央にある椅子に腰掛ける事もなく、どこか苛立っている様子のイリス。いつもは余裕に満ちた表情が多い彼女だが、今回はそんな余裕など一切なかった。そしてそんな焦る彼女の姿を見て、ジェイドは改めてため息を零す。

 

 そもそもなぜ南洋に浮かぶ島国のアルトリア王政軍国の女王が遠く離れた北部海域の空の上に居るのか。

 元々、今回イリスは同盟国であるエルバーフェルド帝国に条約の調印の為に遠くエルバーフェルドを目指しやって来た。この艦隊は女王である彼女を守る為であり、同時に他国に同国の軍事力の高さを見せつける、いわば砲艦外交とも言うべきものだった。

 エルバーフェルド・アルトリア防国協定。

 西竜洋諸国から孤立し、アクラとも関係が悪化しているエルバーフェルド帝国のフリードリッヒ政権と大陸国家との結びつきを強化しようとするアルトリア王政軍国のイリス政権。両国の長が姉妹の契を結んでいる事もあり、二国は急速に接近。数年前にこの同盟協定が結ばれた。しかしエウバーフェルド側はアルトリアを警戒、アルトリア側も大陸人を毛嫌いにしている互いの保守派の激しい反対もあり、実態はこの協定は骨抜きとも言うべき、形だけのものだった。しかし両国は互いの同盟国とし、民間レベルの交流も少しずつだが増やしていった。

 時が経ち、フリードリッヒもイリスも互いに政権が安定した事もあり、エルバーフェルド側は今後更なる西竜洋諸国に対する牽制の為、アルトリア側も悪化の一途を辿っているテティル共和国連邦を威嚇する為にもより強固な同盟関係を望んでいた。

 これら二つの国の利害が一致し、より強力に互いの国の同盟関係を明記した上、有事の際には互いが互いの国を守り、敵国を攻撃できるよう決めた協定――エルバーフェルド・アルトリア軍事同盟を締結する事となった。

 本来は宰相であるジェイドだけで条約の調印は可能であったが、イリスが同盟国に対して君主自ら赴かなければ信頼関係は築けないとしてこの調印団に同行する事なった。

 もちろん、この理由にウソはない。だが実はイリスとしては調印を終えた後にクリュウに会いに行こうと考えていたのだ。

 クリュウとイリスは従姉妹関係であり、何よりイリスからすればクリュウは大好きな初恋の相手。本当はずっと一緒に居たいのを祖国の為、女王としての責務の為に我慢していた。手紙でのやりとりは続いていたとはいえ、やはり顔を見たい。その想いからの行動だった。もちろん、お目付け役のジェイドにはお見通しであり、彼の悩みの種の一つとなった。

 そんな想いを抱きながら意気揚々とエルバーフェルド帝国帝都エムデンに入ったイリスだったが、そこで驚愕の事実を知る事となった――それが、イージス村に鋼龍クシャルダオラが現れたという情報だった。

 イリスはすぐに全艦隊を率いてイージス村に行く事を決意した。ジェイドや王軍艦隊司令部の面々はこのイリスの命令に彼女を危険に晒す訳にはいかないと異を唱えたが、イリスはこれを拒否。女王権限で反対する者は国家反逆罪の重罪に処すとまで断言した。

 いつもは温厚で優しいイリスが厳罰を断言した上で女王権限まで発動して命令を下した。彼女の本気と決意を知った将兵達は覚悟を決め、彼女の命令に従う事となった。

 一方条約調印の準備を進めていたフリードリッヒ率いるエルバーフェルド側は調印式を放棄して出撃しようとするアルトリア側を強く非難した。しかし頭に血が上ったイリスは全艦の砲門をエムデン宮殿に向け、改めて調印式の延期をエルバーフェルド側に求めた。実質上の脅迫外交だ。

 エルバーフェルドの近衛部隊及び列車砲部隊、アルトリア側の女王艦隊と空軍陸戦隊が睨み合う事一日、フリードリッヒの方が根負けして調印式の延期を受諾。イリスはすぐさま全艦隊に出撃命令を下し、エムデンを立った。

 全艦艦隊最高速度を維持しながら一路イージス村のある東を目指して飛び立った。奇しくもその方向は一週間程前にカレンがフリードリッヒに反旗を翻してまで向かった方向であった。

 一人の男の為に自らが信頼する海軍の長の少女と、自らが信頼する妹のように親しい同盟国の少女が、自らを裏切るような形で飛び出して行った。

 エムデン宮殿の総統室に残されたフリードリッヒは大きなため息を零した。

「わからないな。あんな軟弱な男に、なぜ二人があそこまで……」

 信頼する二人に裏切られた。顔では平静を装っていても、その実彼女はかなり参っていた。たった一人の男の為に一人は祖国と恩人たる自分を捨てる覚悟を抱いて、一人は自分との姉妹の絆と唯一の同盟関係を捨てる覚悟を抱いて。

 たった一人の男の為に全てを捨ててでも助けに行った二人。フリードリッヒにはその行動も、何より二人が惚れた男の魅力もまるでわからなかった。

 一人悩む彼女の隣に立つ、宣伝担当大臣のヨーウェンはそんな彼女に向かって静かに囁いた。

「……誰かを好きになる事に理由なんてない。好きになっちゃったんだから、仕方ないじゃない」

 笑顔で言う彼女の言葉に、やはり理解できないとばかりにため息を零すフリードリッヒ。どこか不貞腐れているような印象を受ける彼女の後ろ姿を見ながら、ヨーウェンは静かに、そして妖艶に微笑む。

「――あなたは、もうわかってるんじゃないかしら? 好きになった人の為なら、何でもする覚悟を」

 フリードリッヒは何も答えなかった。ただ、わずかに見える頬を微かに赤らめて……

 

 女王艦隊旗艦:戦艦『プリンセス・オブ・アルトリア』

 第1戦隊:戦艦『プリンセス・オブ・アルトリア』『ドレッドノート』

 第3戦隊:巡航戦艦『レナウン』『レパルス』

 第5戦隊:重巡航艦『ドーセットシャー』『ランカスター』『アドヴェンチャー』

 第1機動戦隊:軽巡航艦『イラストリアス』

  第1駆逐隊:駆逐艦『アーデント』『フェニックス』『パラディン』『エセックス』

  第2駆逐隊:駆逐艦『エクセター』『ブラッドフォード』『グリフィン』『フォックスハウンド』

 第2機動戦隊:軽巡航艦『アトランティア』

  第3駆逐隊:駆逐艦『エンデバー』『エンカウンター』『エクスプレス』『ヴァレンタイン』

  第4駆逐隊:駆逐艦『ライトニング』『イカロス』『ラファール』『チャレンジャー』

 第1給炭隊:給炭艦『フォーチュン』『フェアリー』『ハピネシア』

 ―全28隻―

 

 第1機動艦隊の部隊を主軸に、一部他の艦隊から抽出した部隊で編成された女王艦隊。その総数は二八隻にも及び、アルトリア空軍史上最大規模の遠征部隊となった。しかもこれらの艦艇は今まさに、歴史上初めてとなる飛行船による古龍迎撃戦に向かおうとしていた。

 しかし、戦いに赴こうとする兵士達の士気は、正直カレンが率いていたエルバーフェルド艦隊の将兵よりも低かった。なぜならエルバーフェルド艦隊は一応祖国防衛の大義名分があったが、アルトリア艦隊にはそれがない。更に頑丈な鋼の装甲に覆われた水上艦に対し、飛行船の装甲は重さの関係で限界がある。元々の設計思想が兵器である上に対空兵装の概念がない為、被弾する事が前提として装甲を施された水上艦よりも防御性能は著しく劣る。そんな状況で厄災とも称される古龍に挑むというのだから、自分達の行動は自殺行為なのではという疑心が兵士達の心にはあった。

 敬愛する女王陛下の命令とはいえ、大義がない上に劣勢な戦に赴く事になる。兵士達の士気はどうしても今ひとつ上がらなかった。

 そんな兵士達の様子に気づかないイリスではない。だが怒鳴り散らしても、戦いを強制させても、士気など上がるはずはない。むしろ自分はそういった事は苦手だ。何より、この戦いが自分のエゴだとわかっているからこそ、彼らを巻き込んでしまったという想いが、どうしても彼女の胸に残った。

 彼の危機に思わず飛び出してしまったが、具体的な作戦などもない。このまま、無策に突っ込んでもこちがの一方的な蹂躙で終わるのでは? そんな想いが、どうしても拭い去れない。

 拳を握り締め、葛藤するイリス。そんな彼女の肩をそっと叩く者がいた。振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。真っ赤な服のような鎧、イーオスの素材と鉄鉱石などを使って作られたイーオスシリーズと呼ばれる防具を纏った少女。背には鉄鉱石やマカライト鉱石を素材にして鍛え上げられた鉄刀【神楽】と呼ばれる刀を背負っている。

 自慢のクリーム色の美しく艶やかな髪を流し、どこか神秘的な顔立ちをした少女。勝ち気な瞳を輝かせ、不安に怯える少女王の背中をそっと支え、そっと囁く。

「確かに、飛行船は古龍相手では正直一方的にやられるだけですわ」

 少女の言葉に、イリスはやはりかとばかりに悔しげに唇を噛む。拳を強く握り締め、自らの無力さに無様に震わせる。そんな彼女の拳をそっと包み込む別の者がいた。全身をまるで刃物のような鋭い印象を受ける、鋭利的なデザインの青い鎧、鎌蟹ショウグンギザミの素材を使って作られたギザミシリーズ。背にはカブレライト鉱石と呼ばれる希少鉱石を心臓に大量の鉄鉱石やマカライト鉱石を素材に鍛冶職人がその腕をふるって鍛え上げた大剣、カブレライトソードが携えられている。

 鮮やかな紫色の髪を凛々しくポニーテールに結い、イーオスの少女以上に勝ち気で、自信に満ち溢れた表情を浮かべた少女。口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべ、いつの間にか滲み出していたイリスの涙を、そっと指先で拭い取る。

「だがな女王様、俺があなたの代わりにあのバカを助けに行くんだ。元クラスメイトとして、何よりあいつは俺の元舎弟だ。助けない理由はねぇ」

「あら、元クラスメイトという事なら、私も当てはまるわよね」

 そう言って優雅な足取りで現れたのは全身を先程の娘と同じくイーオスシリーズで纏めた少女。背には初心者が使うハンターボウシリーズ、その第4版であるハンターボウ4と呼ばれる弓。

 三人の少女の言葉に、一周呆けていたイリスだったがすぐに瞳を鋭いものに変える。真剣に、何一つ冗談を言うでもなく、イリスはこの無謀者達に叫ぶ。

「バカを言うでないッ! お主達が行って何ができるのじゃッ!」

「――何か、できる事がある。私はそう信じてますわ」

「まぁ、確かに私達じゃ実力不足は否定しません。でも、きっと何かできるはず」

「俺達三人が集まれば、不可能なんてねぇんだよ。女王様」

 そう言って少女達――アリア・ヴィクトリア、フェニス・レキシントン、シグマ・デアフリンガーは自信満々に微笑んだ。その笑顔に、どこかほっとした自分がいた。でもそれが、イリスは許せなかった。

「阿呆ッ! シグマですら古龍に挑むのは無茶だというのに、お主達二人はここ最近はずっと戦いから身を引いていた身分ではないかッ!」

 そう、聖騎士団に入ったシグマはモンスター討伐なども引き受けていた為、ハンターのような道を歩んで来た。ハンターとしての実力も、確実につけてきたのだ。

 しかしアリアとフェニスはそれぞれヴィクトリア家を引き継ぐ道と、父と同じ政治家を目指す道へと旅立っていった。当然、ハンターとしての活動はしなくなった。ハンターとしての道は遊びだった訳ではないが、一種のステップアップとして彼女達はドンドルマのハンター養成訓練学校に入った。本来の道へと戻った二人は、それぞれ太刀と弓は置き、重い鎧は華麗なドレスへと変えた。

 だが今、そんな二人は再び太刀と弓を持ち、優雅なドレスを脱ぎ捨て重い鎧を身に纏った。

「確かに、シグマの武闘バカでも太刀打ちできない相手に、ずっとハンターを離れていた私達二人は全く役立たないかもしれない」

「勝てないとわかっていて挑むなど、愚かな行為じゃッ! 妾は、そんな無謀を許さぬぞッ!」

 イリスの言う事は正しい。決して間違ってはいない。負けるとわかっている戦に、なぜ身を投じるのか。生き残るこそが、何よりも優先すべき事。命こそが、最も大事なのだ。なのに、なぜ彼も彼女達もその最前提を無視して、無茶な戦いに挑むのか。理解できないし、何より彼女達もまた愛する国民だ。国民を、家族を犬死にさせる気など毛頭ない。

「――よう我らが女王様。あんた、何か勘違いしてねぇか?」

「何じゃと?」

 振り返ると、そこには呆れた表情を浮かべたシグマが立っていた。その隣に立つフェニスも、どこか困ったような表情を浮かべている。シグマの言葉の意味がわからず、困惑するイリスに向かってシグマは苦笑を浮かべながら答えた。

「何も俺達は鋼龍にケンカを挑もうって訳じゃねぇ。俺は昔の舎弟の一人のように突撃するしか能が無いバカじゃねぇ。勝てない戦に命なんざ張らねぇよ」

「私達の目的はあくまで、無茶をしているであろうクリュウ君の救出。抵抗するなら気絶させてでも彼を救い出し、すぐに離脱する。無理をして、鋼龍クシャルダオラとは戦わないわ」

「陛下が命を何よりも大切にしろと日々仰っているのです。我々も、命を最優先に行動しますわ」

 三人だってバカじゃない。今の自分達の実力では、それこそ現役のハンターとして活躍しているクリュウよりも鋼龍とはまともに太刀打ちできないだろう。むしろその戦いに加われば自分達は完全に彼の足手纏になってしまう。ミイラ取りがミイラになっては元も子もない。

 三人の目的はあくまでクリュウの救出だ。それが最優先目標となる。

 もちろん、彼が鋼龍と戦っているというのは予想に過ぎない。もしかしたら村人と共に脱出しているかもしれない。だとすれば尚更その村人を安全に避難させる事も重要だ。自分達の目的はクリュウとそれに関係する人々の救出。決して、鋼龍クシャルダオラとの戦いではない。

「そうか……」

 三人の言葉に自分が誤解していた事に気づいたイリスは肩に入っていた力を抜いた。どうやら自分はクリュウの危機に頭がうまく回っていないようだった。だとすれば尚更、今自分が艦隊を率いて突撃するのは無謀なのだろう。

 三人のおかげで少し冷静さを取り戻したイリスはすぐに三人の為に艦隊の針路を変針した。彼女達を安全に、且つなるべく村に近い平野で彼女達を下ろす。その為に艦隊は一路現在は避難命令が出て無人都市となった自由貿易都市アルフレアの南にある平野に着陸するのが一番だ。そこからなら艦に積載している馬車隊との馬車を用いれば一日足らずでイージス村に到着する。何より、これより先は天候が荒れている事が予想され、飛行船が安全に着陸できないのだ。

 イリスの命令を受け、艦隊は一路海から陸へと移動し、アルフレア上空を通過。そのまま南下を続け、いよいよアルフレアの南方に広がる平野へと至った。

 安全に着陸できるよう、辺りを警戒していた見張り兵が眼下の異変に気づいたのはその時だった。

「直下にモンスターの群れを確認ッ!」

 その声に様々な箇所を見ていた別の見張り兵達も次々に眼下を確認する。それは艦橋にいた四人の乙女も同じだった。

 見ると、眼下にはイーオスの群れとガブラスの群れが共に行動して展開していた。その数は双方合わせると一〇〇……もしかしたらそれ以上かもしれない途方も無い数だ。

「な、何だよあれ……あんな大群、見た事ねぇ」

 驚くシグマの言葉にアリアとフェニスも頷いた。元々イーオスもガブラスも群れを組むモンスターだが、これほどの規模など見た事も聞いた事もない。だが博識のイリスはその光景に以前書物で読んだある文面を思い出す。

「……古龍が出現すると周辺のモンスターが異様に凶暴化したりする場合があると聞く。それに、古龍が街などで暴れ回った後にああした小型のモンスターが大挙して襲撃し、残っていた人々を皆殺しにしたという記録もある。奴らはもしや、それではないか?」

 イリスの予想は的中していた。見ると眼下のモンスターの群れは迷う事なくイージス村の方向を目指していた。恐らく彼らは、イージス村へと向かっている最中なのだろう。

 現在イージス村は鋼龍クシャルダオラの攻撃を受けている最中だ。それが終わったとしても、今度はこのモンスターの群れに襲われる。イージス村は崖の上にある為こうした小型モンスターの攻撃には強い。だがそれは村の防衛設備が機能している状態である事が前提だ。

 村が危険な状態となれば、外界からの侵入口は全て塞がれて村は籠城戦を取る。だがクシャルダオラの攻撃を受けた村は、そうした防衛設備もシステムも失っている可能性が高い。そうなれば、いくら崖の上にあるとはいえ村は丸裸も同然。それにこの群れにはガブラスという空を飛ぶモンスターも含まれている。

 もしも村に残っている者がいれば、これらの群れの攻撃を回避する術はないだろう。

 連中の目的がわかった瞬間、イリスの目が鋭いものに変わった。

「全艦戦闘態勢ッ! 空対地攻撃用意ッ!」

 イリスの命令が艦内全体へと伝わり、更に発光信号や汽笛信号を介して全艦へと通達された。二五隻もの飛行艦の中が慌ただしくなる。

「これより、艦隊は眼下のモンスター群へ総攻撃を仕掛ける。砲撃、爆撃など全てを駆使して奴らを殲滅。一匹たりともイージス村へ向かわせるでないぞッ!」

 イリスの命令に従い、艦隊は高度を下げ、更に密集隊形を取る。これで攻撃範囲を縮め、濃密な絨毯爆撃が可能となる。

 兵士達は次々に砲の周りに集まり、砲を眼下へと向ける。弾倉にも人が集まり、ハッチを開いて爆撃の準備を整えた。弾倉にはタル状の爆弾が無数に積載されており、それこそ街一つを滅ぼせるだけの爆弾が搭載されている。それら全てが、眼下に展開するモンスターの群れへと向けられた。

 全艦に乗る将兵達が、イリスの攻撃命令を待つ。

 眼下を走るイーオスの群れが異変に気づいて天を仰いだまさにその瞬間――

 

「全艦攻撃を始めるのじゃッ!」

 

 イリスの号令一下、女王艦隊の戦闘艦二五隻が一斉に眼下のイーオス・ガブラスの連合群に総攻撃を開始した。全砲門が真下へと向いて砲弾を撒き散らし、弾倉からは次々に爆弾が投下されていく。凄まじい砲撃の爆撃の嵐にイーオス達は為す術もなく次々に蹴散らされていった。

 まさに地形が変わる程の猛攻撃は実に二〇分間も続き、イリスの攻撃中止命令が出る頃には眼下にいたモンスターの群れはその数を激減させていた。更に生き残った連中は逃げるようにイージス村とは反対の方向を目指して行った。それらを見送りながら、戦艦『プリンセス・オブ・アルトリア』の艦橋ではイリスとアリア達の最後の打ち合わせが行われていた。

「今のように、イージス村を襲おうと考えるモンスターの群れはまだ居るかもしれない。だからこそ、俺達は行かなくちゃいけないんだ」

「……お主達の言う事はわかる。じゃが、本来ならばそういった役目は陸戦隊じゃ。しかし」

 実はこの時、空軍陸戦隊はエルバーフェルド帝国帝都エムデンに置いて来てしまった。本来今回の遠征において陸戦隊の役目は大臣や次官、その他大勢の文官の護衛だった。艦隊での戦となれば文官の彼らを巻き込む訳にはいかない為にエムデンへ置いて来たのだが、その際彼らの護衛の陸戦隊も置いて来てしまったのだ。

 一応他の空軍兵も陸戦はできる。しかし専用武器もなければ訓練も未熟。とてもじゃないが陸戦に特化した訓練を負っている陸戦隊の面々に比べれば陸戦能力は劣る。何より兵を下ろせばその分だけ艦に残る兵が減り、艦の維持が難しくなる。軍艦に乗る兵士の数は決して余裕がある訳ではないのだ。

「だから、俺達が行くんだよ。それに少人数の方が何かと動きやすい。特に今回は機動力と高速力が必要な任務だ。俺達三人の方が都合がいい」

 そう言って任せておけとばかりに犬歯を煌めかせるシグマの言葉は何よりも心強かった。彼女の実力は折り紙つきなので、下手な軍人を送るよりは対モンスター戦では彼女の方が適任だろう。

「それに、これは私達のわがまま。ここまで付き合っていただけでも感謝ですわ」

 そう言って優雅に微笑むアリアも学生時代はかなり優秀な成績を収めた元ハンターだ。いきなり大型モンスターの相手は厳しいだろうが、小型モンスター程度なら何とかなるだろう。

「陛下達はエムデンへ引き返してください。これ以上は、本当に危険です」

 フェニスもまた優秀な元ハンター。この三人でなら、それこそ鋼龍クシャルダオラに挑むような無茶さえしなければきっと大丈夫だろう。彼女達に任せておけば、きっと大丈夫。

 だから、自分はフェニスの言う通りエムデンへと引き返すべきだ――そう簡単に納得できる程、イリスは大人ではなかった。

「いや、妾はお主達を下ろした後も予定通りイージス村を目指す」

「陛下ッ!」

「勘違いするでない。クリュウの事はお主達に任せた。妾はエルバーフェルド艦隊の救援に向かう。古龍との戦いじゃ、おそらく向こうも相当な被害を受けておるじゃろう。それを助ける」

「お言葉ですが陛下、わざわざ大陸の国の艦隊の為に我々が危険を晒す必要はありません。ここは素直に引き返すべきです」

 これまで話を無言で聞いていたジェイドが引き返すべきだと進言する。彼女の身を案じている事もあるし、言葉通りエルバーフェルドの為に自分達が危険を冒す必要はないと思っている為だ。だが彼のそんな言い方に対し、イリスは激しく激怒した。

「このたわけ者がッ! 同盟国の者達を見捨てるなど恥ずべき行為を、妾自ら行えとお主は申すかッ!」

「いや、しかし陛下……ッ!」

「――それに、助けを求めている者を見捨てるなど、そんな道徳に反する行為は妾は承服しかねる。助けられるはずの命を見捨てるなど、妾にはできぬ」

 真剣な眼差しで語る彼女の言葉に、三人の娘達は頼もしげに微笑む。これが自分達が忠誠を誓う、祖国を統治する幼くも気高き、そして慈愛に満ちた少女王なのだ。

 一方のジェイドもようやく諦めたように深いため息を零して黙る。彼女が一度こうと言い出すと聞かない事は、もう長い付き合いでよく知っていた。それに、今の彼女の言葉でこの場に居た兵士達はこれからの戦いに士気を取り戻しつつあった。

 助けられる命を助ける為に戦いに赴く。戦う理由として、これほど立派で正義感に満ちたものもないだろう。ここで無理にでも反対すれば、それこそ自分が兵士達からの信頼を失いかねない。これ以上の抵抗は無意味だと判断したのだ。

 諦めたジェイドを見て、イリスは表情を崩さないまま気高く、そして声高らかに宣言した。

「これより艦隊は三獣士の愛娘達を分派次第、同盟国エルバーフェルド帝国の水上艦隊の救援に向かうッ! 全艦、妾に続くのじゃッ!」

 

 数十分後、女王艦隊は理想的な着陸場所を見つけて着陸。その場でアリア、シグマ、フェニスの三人と別れた後再び抜錨。空中で陣形を再編成し、そのまま最大戦速にしてイージス村を目指して出撃した。

 離艦した三人もイリスから借りた騎兵隊から借りた馬に乗って遅れて艦隊と同じくイージス村を目指して突撃。

 その数時間後――

 

「艦隊下方の海にエルバーフェルド帝国の艦隊を発見。その上空に鋼龍クシャルダオラを確認しました」

 嵐を避ける為、雲の上を航行していた女王艦隊。イージス村の沖合と思わしき場所に到達した後、全艦第一種戦闘態勢に移行後に雲の下へと降下。雲の海を突き抜けて雲下へと至ると、その下の光景は想像を絶するものだった。

 周囲には損傷したエルバーフェルド海軍所属と思われる軍艦が力なく浮いている。その中で異彩を放つ巨大な戦艦、あれが恐らくこの艦隊の旗艦だろう。その旗艦の前に鋼龍クシャルダオラはおり、今まさに力尽きた旗艦に向かって巨大な竜巻をぶつけようと構えている所だった。

「あの程度の戦艦なら、クシャルダオラの竜巻の直撃を受ければ致命傷でしょうな」

 アルトリア王立海軍の戦艦はエルバーフェルドの戦艦など比ではない程に巨大で高性能だ。元々の造船技術と経済力が違う為、互いの国の最新鋭の戦艦でも大きな開きがある。エルバーフェルドからすれば眼下にある『フリードリッヒ・デア・グローセ』など旧式戦艦と言っても過言ではない。そんな戦艦、しかもあれだけ損傷していればクシャルダオラの巨大竜巻を受ければひとたまりもないだろう。

 だが、例え自国に劣る他国の戦艦だとしても、あそこに乗る兵士達はこれまでクシャルダオラと勇猛果敢に戦い続けて来た海の猛者達。同盟国の、友とも言うべき者達だ。それを見捨てるなどという愚行にも等しい選択肢など、彼女は持ちあわせてなどいない。

 更に遠くを見れば、荒廃したイージス村の全貌が良く見えた。きっと美しい村だったと思われるその村は、もはや瓦礫だらけの廃村と化していた。それが愛する彼の故郷だと思うと――彼女の胸の奥で黒く、そして激しい憤怒の炎が燃え上がった。

 竜巻を操りながら突如現れた自分達を警戒するように見上げる鋼龍の冷徹な眼光と、そんな彼を怒りに満ちた鋭い眼光で見下す少女の目が交わる。そして――

「全艦総力を以って鋼龍クシャルダオラを攻撃ッ! 全艦突撃じゃぁッ!」

 イリスの怒声と共に、女王艦隊の攻撃が始まった。

 旗艦である戦艦『プリンセス・オブ・アルトリア』を中心に輪形陣を形成した艦隊はすっぽりとエルバーフェルド帝国国防海軍旗艦、戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』の上空を取り囲む。

 二五隻の飛行艦から一斉に放たれる砲弾の数々は次々にクシャルダオラに襲い掛かる。その猛烈な砲弾の雨にクシャルダオラはたまらず『フリードリッヒ・デア・グローセ』に向けようとしていた竜巻を盾のようにしてこれを防いだ。反撃に出たいが、凄まじい砲撃の嵐に防戦の一方となった。

 しかしクシャルダオラも負けてはいない。竜巻を盾にしながら風ブレスのチャージを行う。顎を開き、前方の空間に風を圧縮していく。すさまじい空気の圧縮に辺りの温度が急上昇し、水蒸気は風と合わさって辺りを白く染めていく。そして、限界まで溜めた風を敵の最前方の艦に向けて放つ――寸前、背中が爆発した。

 悲鳴を上げ、せっかく溜めた風ブレスはあらぬ方向へと飛ぶ。それは眼下の『フリードリッヒ・デア・グローセ』よりも百メートル程右に逸れた場所に着弾。轟音と共に海が割れる光景を見て、誰もがその威力に度肝を抜かれた。

 だがクシャルダオラ突然背後から攻撃された事に焦っていた。何事かと思い振り返ると、続けて次々に砲弾が飛んで来た。風の鎧でこれらを弾きながら確認すると、水平線の向こうから白波を立てながら複数の艦船がこちらに向かって凄まじい速度で突っ走って来るのが見えた――カール少将率いる集成水雷戦隊だった。

 

 戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』の艦上で歓声が上がる。同盟国に加えて先程離脱していた友軍艦隊が救援に来てくれた。絶望の淵にあった兵士達に、再び希望の光が満ち溢れた。まるで小説の中のような奇跡とも言うべき展開だ。

 目の前の信じられない光景に呆然としていたカレンだったが、すぐに正気を取り戻すと隣でイタズラっぽい笑みを浮かべるエーリックを睨みつける。その表情は提督と言うよりも、恥ずかしいものを見られて怒る歳相応の少女らしい羞恥の顔だった。

「何をヘラヘラしてんのよ」

「いや、この光景にお前さんは何て言うかなぁと思ってさ」

「……決まってるじゃない」

 振り返ったカレンの目には再び闘志が燃え上がっていた。戦意を取り戻し凛々しい表情で振り返ったカレンは美しくも力強く、勇猛果敢な命令を声高らかに下した。

「カール少将率いる臨時水雷戦隊に発光信号ッ!『我竜巻攻撃ヲ受ク、各艦ハ我ヲ顧ミズ前進シ、敵ヲ攻撃スベシ』ッ!」

 アルトリア沖海戦においてカレン・デーニッツ元帥が最後に放った攻撃命令。それは歴史上最も勇敢で勇ましい攻撃命令として、後に後世まで伝えられる命令となった。

 

 アルトリア・エルバーフェルド海空連合艦隊による攻撃は苛烈を極めた。猛烈な弾幕はクシャルダオラの侵攻はもちろん攻撃も阻み、クシャルダオラは完全に防戦一方となった。

 だがこれまでにない程クシャルダオラを追い詰めているはずの二国艦隊だったが、実はこちらも致命打に欠けていた。

 アルトリアの飛行船は重量制限がある上に対艦戦を想定していない為、小口径の大砲を無数に備えているのが特徴だ。つまり、大砲の威力は実はエルバーフェルドの重巡洋艦や戦艦に劣る。その為クシャルダオラの風の鎧を突破できない上、嵐の影響でこれ以上近づく事ができずにいた。

 更にエルバーフェルド艦隊も高火力の重巡洋艦や戦艦といった艦船は先程の戦いで大きな損害を受けた艦ばかりで砲撃戦に参加していないものが多く、現時点での砲撃戦の主力はカール率いる集成水雷戦隊の駆逐艦だった。これもまた威力が低く、風の鎧を突破できない。

 互いに相手に致命打を与えられない戦いは十分程続いた。しびれを切らしたイリスが戦艦での突撃するよう命令しようとしたその時――突如クシャルダオラが反転し、艦隊から離れて行った。

 一瞬、追い払ったのではと期待したが、その向かった先はイージス村の方角だった。慌ててイリスは追撃命令を下す。だが、

「これ以上進むのは無理ですッ! 気流の乱れが激しく、このまま前進すれば墜落してしまいますッ!」

 艦長の悲鳴にも似た進言に、喉まで出かかっていた『突撃』の二文字が引っ込んだ。この激しい嵐の中では、繊細な飛行技術を要する飛行船は艦体を維持するだけで一苦労なのだ。それをこのままより激しく気流が乱れている所に突撃させるなど、自殺行為だ。

「じゃがこのままでは奴が再びイージス村に行ってしまうではないかッ!」

「このまま進めば、我々が犬死にするだけですッ! これ以上進む事は、艦をお預かりする身として承服しかねますッ! 何より、陛下をこれ以上危険な地には向かわせられませんッ!」

 艦長は処罰される覚悟でイリスを説得する。これ以上進めば、本当に墜落しかねない。この艦だけではない、艦隊には大勢の軍人が乗っている。それらが乗る艦をこんな所で墜落させる訳にはいかないのだ。

「じゃが、しかし……ッ!」

 頭ではわかっていても納得できない。悔しげに地団駄を踏むイリスに対し、隣に立っていたジェイドが肩を掴んだ。動きを止める為のそれはいつもと違って痛いくらいに力強く、がっちりと肩を押さえていた。呆然と頭をもたげると、いつもと変わらない無表情の彼の顔がそこにあった。だがモノクルの向こうにある冷たい瞳は、いつもよりもどこか温かく感じた。

「陛下。我々はあくまでエルバーフェルド艦隊の救援にここに来たのです。今のうちに、海に投げ出された者達を収容しましょう」

 そう、自分達の目的はあくまでエルバーフェルド艦隊の救援。鋼龍クシャルダオラの迎撃ではない。そう、自分で言ったのではないか。

「そうじゃったな……」

 ジェイドの言葉を理解し、ようやく肩の力を抜いたイリス。ゆっくりとジェイドの手が離れると、力なく振り返る。心配する周りの兵士達に向かって、イリスは精一杯の笑顔を浮かべた。

「妾のわがままによぉ付きおうてくれた。礼を言うぞお主達。疲れている所悪いが、もう一つ命令を聞いてくれ。眼下の海に投げ出されている同盟国エルバーフェルドの兵士達を救助せよ。救出が終了次第――艦隊は当海域を離脱するのじゃ」

 可憐な笑顔を浮かべる少女の頬を、一筋の涙が流れた事を指摘する者は誰もいなかった。皆無言で敬礼で応え、すぐさま救出準備を開始する。

 泣きながら、涙で歪む視界で必死に遠くに見えるイージス村を見詰めるイリス。あと少し、あと少しなのに、これ以上彼に近づく事ができない。結局、自分は何もできなかった。

 悔しげに、声を殺して泣き崩れる幼き少女王。誰も、その震える小さな背中を抱き締められる者はここにはいなかった。それができる彼は――あの近くても遠い村に居るのだから。

 

「鋼龍、村の方角へと移動して行きます」

 見張り兵の報告を受けるまでもなく、鋼龍クシャルダオラは追いつけない速度でイージス村の方へと去って行く。その姿を、カレンはただ見詰める事しかできなかった。

 大破した大洋艦隊旗艦、戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』の周りには、カール率いる集成水雷戦隊が輪形陣を形成するように展開している。そのいずれの砲も、現在は沈黙している。

 クシャルダオラが去った事でカールはすぐに水雷戦隊の各駆逐艦に当海域にて漂流している損傷艦の救援を命じた。火災が発生している艦の鎮火や海に投げ出された兵士の救出など、これからやる事は数多い。

 更に上空に展開しているアルトリア王政軍国の空中艦隊も高度を下げ、救命用のボートを投下して救助に助力してくれている。小回りの効く飛行駆逐艦等は限界まで高度を下げて実際にロープなどを使って救助作業を開始した。

 カレンは全ての指揮をエーリックに任せ、一人長官室へと入った。激しい戦闘で艦が揺れた事を物語るように、きれいに整理整頓されていたはずの部屋の中はずいぶんと荒れていた。だが、そんな事を気にする余力は、すでに彼女にはなかった。

「結局、私は奴を倒し切れなかった……あいつを、守れなかった」

 ベッドに腰掛け、顔を手で押さえながら、少女提督はさめざめと泣く。濡れる頬を拭い取る事も、震える肩に手を乗せて励ましてくれる人も、ここにはいない。

 あの優しかった笑顔を守りたかった。なのに、自分は結局その笑顔を壊す厄災を倒し切れなかった。奴はすでにイージス村の方へと移動した。本来なら追撃命令を下す所だが、すでに大洋艦隊の艦艇はいずれの艦も大なり小なり損傷している。戦闘不能に陥っている艦も多く、中には航行不能にまで陥っている艦もある。大陸最強と謳われるエルバーフェルド国防海軍が誇る精鋭艦隊、大洋艦隊。その威厳も誇りも、たった一体の古龍相手に粉々に壊されてしまった。

 しばらくは主力艦抜きで国防を担わなければならない。祖国に戻っても、気が休まる暇はないだろう。だが、今はそんな事どうでも良かった。泣き崩れる少女の頭には、彼の事しかなかった。

「ごめんなさいクリュウ。ごめんなさい……ッ」

 誰も彼女を責めたりしない。責める者が居るとすれば、自分自身。

 もっと自分に力があれば、あんな蛮龍に遅れを取る事はなかった。あの時ああ指示すれば、あの時もっと早く動ければ、そんな後知恵での後悔ばかりが、少女を苦しめる。

 激しく後悔しながら泣き崩れるカレン。そんな彼女の部屋の外で様子を見に来たエーリックが無言のまま立ち去った事を、彼女は知らない。

 

 アルトリア王立空軍の女王艦隊及びエルバーフェルド帝国国防海軍の大洋艦隊の戦闘は終了した。二国艦隊の全艦が一斉に海に投げ出されたエルバーフェルド兵の救出を開始する。海に投げ出された兵士達一人ひとりを、見逃す事なく救助していく作業は、それから数時間続く事となる。

 こうして歴史上初、艦隊による古龍迎撃戦となったアルフレア沖海戦は幕を閉じたのである。二人の少女の涙だけを残して……


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