モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第224話 激闘主力部隊 恋する少女提督の決意に満ちた死闘

「命中ッ! クシャルダオラ、海へと没しましたッ!」

 見張り兵の報告、艦内が沸き立つ。それを無言で聞くのは、戦闘指揮所に立つ国防海軍総司令官、カレン・デーニッツ元帥。海風にその黒い髪を靡かせながら、水柱の下へと姿を消したクシャルダオラを睨みつける。

「さすがの古龍(アルトドラッヘ)も、戦艦の一撃は効いただろうよ」

 そう言って不敵に微笑むのはカレンの右腕、国防海軍総参謀長エーリック・レーダー大将。

 エルバーフェルド国防海軍の戦艦は現在七隻就役し、一隻が建造中である。いずれの艦に搭載されているのは、艦載砲としては最大の三〇センチ連装砲である。駆逐艦や軽巡が十センチ程度、重巡でも二〇センチ程度の口径の砲であるのに対し、戦艦は更に巨大な大砲を主砲として備えている。それこそ大地を穿つ程の威力を持った大火力の大砲だ。さすがのクシャルダオラもこれだけ巨大な砲が撃ち放たれた超重量の砲弾は防ぎ切れない。

 駆逐艦や軽巡、更には重巡までもが倒せなかったクシャルダオラを、たった一撃で沈めた。戦艦の凄まじさが表れた光景に兵士達は沸き立つ。

 大艦巨砲主義。巨大な艦に大火力の大砲を備えた戦艦こそが最強であり、海の戦いを制す。これはどの国の海軍においても常識であり、海上決戦の基本思想である。

 厄災とも称される古龍を、たった一撃で沈めた。戦艦こそ最強と信じる彼らにとって、それは狂喜乱舞する程に刺激的で、最高の光景だっただろう。

 だが、勝利を信じて疑わない兵士達に対し、カレンは冷静だった。

「2水戦と4水戦は?」

「どっちも支援隊と合流した。現在は2水戦と4水戦、それと支援隊護衛の第12駆逐隊で臨時の集成水雷戦隊を編成中。編成終了後、俺達護衛隊と合流する手はずになってる。4水戦のユーリも怪我してはいるが無事らしいぞ」

「……ツェッペリンに私達と合流するよう命令しなさい。ひとまずこの主力部隊六隻でクシャルダオラを潰すわよ」

「おいおい、まだやるってのか? 鋼龍も今の一撃で倒れたはずじゃ――」

 ――海が爆散したのは、まさにその時だった。

 勝利に沸き立つ兵士達はその爆音に慌てて振り返り、そしてその光景に驚愕――恐怖した。

 風の爆発。舞い上がった海水は雨のように海へと降り注ぐ。その中を、すさまじい風が吹き荒れていた。荒れ狂う複数の竜巻が絶えず海水を巻き上げ、辺りは塩辛い水の土砂降りとなる。主力部隊にもその雨が降り注ぎ、露天の戦闘指揮所に立つ少女提督をずぶ濡れにさせる。その中で、彼女の目は冷静に、そして冷たく、鋭く一点に注がれていた。

「お、おいおい……マジかよ……」

 声を震わせるエーリックの言葉は、まさにこの場にいた全員の想いの代表だった。

 曇天の空で狂ったように鈍色の雲が蠢き、迸る稲妻は激音と閃光を辺りに響かせる。無数の竜巻が踊り狂い、海水を巻き上げながら荒れ狂うそれは水と風の凶器と化す。そして、そんな無数の水竜巻の中央に――奴はいた。

 鋼鉄の鎧はこれまでの戦闘でひび割れ、ひしゃげ、見る無残なものに変わっていた。誇り高き鋼の龍王の姿にしては、あまりにもボロボロな姿であった。しかし、その鋭利な刃物を思わせる鋭い頭部に煌めく瞳は、むしろ激しい憤怒にギラギラと輝いていた。

 白い息を吐きながら、黒い風を纏うクシャルダオラ。無数の竜巻を従え、雷すらも己の隷下に従える姿はまさに嵐龍と言うべき姿であった。風を支配するその姿から風翔龍とも称されるクシャルダオラだが、もはやその姿は風どころか嵐すらも制する、嵐龍と呼ぶに相応しい。もしくは暴風龍、どちらにしても、常軌を逸した光景であり、もはやその威圧する姿は恐怖以外の言葉では表せなかった。

「古より、世界を揺るがし、人々から厄災とも呼ばれる古龍。その暴龍を前に、人々は為す術もなく、これを前にしては如何なる反撃もしてはならない。厄災を前に、人々ができる事は逃げる事、その厄災が過ぎ去る事をただ震えて待つだけ。決して、これに抗ってはいけない――あんな姿、逆らおうなんて思う方がおかしいわね」

 嵐を纏うクシャルダオラを前に、自虐的に微笑むカレン。その拳が微かに震えている事に、隣に立つエーリックだけが気づいていた。

 国防海軍総司令官。国防の二大軍の一翼を担う海軍の、その総大将へと担がれた少女。彼女の国を想う強い力、海軍貴族とも称されるデーニッツ家の血筋、総統となったフリードリッヒの強い後押し。全ての事柄が奇跡的に組み合わさり、彼女は海軍総司令官としてこの大洋艦隊旗艦の『フリードリッヒ・デア・グローセ』に乗艦している。

 だが、彼女は年端もいかない少女だ。若い兵士達と同じ、これまで戦闘を経験した事のない若者。本当の戦い、実戦を前に恐怖する事は仕方がない。

 恐怖に身を震わせるカレン。エーリックはそんな彼女の肩を優しく叩く。

「やはりお前には荷が重過ぎる。戦いは俺に任せて、お前は艦内に入れ」

 だが、彼の言葉に対しカレンは「問題ない」と短く答え、彼の手を払った。

「無理するな。そんなに震えてんのに」

「海水を被って、寒いだけよ」

「ふざけてる場合じゃ――」

「――あいつを助けないと」

 短くも強い決意を秘めた彼女の言葉に、エーリックは全てを悟った。

 震える拳は、やはり恐怖から来ているのだろう。本当は怖くて、逃げ出したい気持ちに蝕まれている。だがそれは誰も責める事はできない。人間として、生物として、危険を避けようとするのは本能。間違いではない。ましてや相手は十六歳の少女。海軍総司令官に担ぎ出されているが、死と隣合わせの実戦経験もない。

 そんな少女が、厄災に等しい古龍に戦いを挑もうとしている。祖国の窮地でもなければ、敬愛すべきフリードリッヒの命令でもない。彼女自身の決断で、こんな遠い辺境の海にまで来て、古龍と対峙している。それはなぜか、

「……鋼並みに堅物のお前がそこまでべた惚れるなんて、相手は一体どんな男だよ」

 恐怖を捻じ伏せ、果敢に古龍へと挑もうとする彼女の姿に、エーリックは苦笑を浮かべた。バカにした訳ではない、むしろ彼女の信念と想いに、胸を打たれたくらいだ。

 少女を戦いへと赴かせるもの、それは愛する彼への想いだった。

 エーリックにとっては娘のような年頃であり、妹のようであり、何より家族に等しい存在のカレン。親友の娘というのもあるが、エーリックにとってカレンはそんな大切な存在だった。

 冷静沈着に仕事をこなす彼女の姿に、人々は《鋼鉄乙女》や《少女提督》と彼女を呼んだ。鋼の意志を持ち、常に強く気高く行きて来たカレン。後見人として、皆に認められ慕われる彼女を誇りに思っていた。だが唯一心配だったのは、あまりに大人の世界に生きる為に年相応さを失いかけていた事だった。

 同世代の乙女達が青春に生きる中、彼女は鉄臭い軍艦や重苦しい鎮守府での生活ばかり。毎日書類仕事や会議に追われる様は、とても十代の乙女の姿ではなかった。

 そんな彼女が、たった一人の男の為に国を捨てる覚悟で直訴し、危険な古龍を相手にした戦いに身を投じている。冷静沈着な彼女にしてはあまりにも感情的で無茶苦茶な行動と言えるだろう。軍人として、組織を治める長としては間違った行動かもしれない。だが、一人の恋する乙女としてなら、この行動は納得できる――むしろ、エーリックにとってはこっちの方が安心できた。

「私は、あいつを助けたい。その為なら、どんな事だってやってみせる。相手が古龍(アルトドラッヘ)だろうが、一人でも戦ってやるわ」

 壮絶にして勇猛な覚悟を決めて戦いへと赴くカレン。そんな彼女の言葉に、エーリックはフッと口元に笑みを浮かべた。

「艦長、警笛を鳴らしてくれ」

「は? 警笛ですか? なぜそのような事を……」

「いいから、鳴らせ」

「了解(ヤヴォール)ッ!」

「エーリック?」

 エーリックの指示に不思議そうにカレンが振り返った瞬間、辺りにけたたましい汽笛の音が轟いた。戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』、全長一五〇メートルにも及ぶ巨大戦艦の汽笛は凄まじく、辺り一帯に重々しい重低音の音が鳴り響いた。

 突然汽笛を鳴らされ、反射的に耳を押さえたカレンは不機嫌そうにエーリックを睨みつける。

「突然汽笛を鳴らすなんて、どういうつもり?」

「なぁカレン。お前は一人で戦いを挑もうとしているが――お前は一人じゃねぇぞ」

「何を言って――」

 ――刹那、次々に汽笛の音が辺りに響き渡った。

 驚いて振り返ると、その汽笛の音は背後の戦艦『ビスマルク』を始めとして戦艦『シャルンホルスト』、ヴェルダント隷下の重巡洋艦『ローレライ』『メテオール』『シャルロッテ』の計五隻からのものだった。それだけではない。今現在復旧作業中の『ケーニヒスベルク』『ドレスデン』『ザイドリッツ』、同じく航行不能に陥っている数隻の駆逐艦からも遅れて汽笛が鳴り響いた。

 荒れる海に、鈍色の軍艦からの汽笛の音が響き渡る。

 呆然としているカレンに対し、エーリックは不敵に微笑んだ。

「見ろよ、お前と一緒に戦おうとしてる奴はこんなにいるんだ――お前は決して、一人じゃねぇよ」

 戦艦三隻、重巡洋艦六隻、その他数隻の駆逐艦に乗る兵士の数は五〇〇〇人にも及ぶ。それら全ての人が、カレンの命令に従い、ここまでやって来た。今も彼女の命令があればすぐに行動を起こせるよう、彼女の命令を待っていた。

 上官の命令だから、軍隊という組織だから。彼女の言動一つで全ての将兵達の運命が決まる。だが誰もそれを不快に思う者も嫌がる者も、この艦隊には存在しない。国防海軍軍人全てが彼女の事を慕い、心から忠誠を誓っているから――誰もがカレンの為に命を懸ける覚悟ができていた。

 それを示され、カレンは思わず泣きそうになった。自分は、一人でもここに来る覚悟はできていた。でもきっと、皆はついて来ただろう。だって――ここにはバカが多過ぎる。

 ――君の行動一つで内政や外交に多大な影響を与える事くらい自覚しているな?――

 ふと、フリードリッヒの言葉が蘇る。

 もしも自分が反乱を起こしたら、下手すれば海軍全体の大反乱になっていたかもしれない。エルバーフェルド史上最大の軍事クーデターとなっていただろう。

 自分のバカな行動一つで、祖国が火の海になっていたかもしれない。極例かもしれないが、冗談で済まないのが自分のバカな部下達の質の悪い所だ。

 思わず、苦笑が浮かぶ。

 ――国防海軍は、陛下のおかげで再建できました。人も兵器も戦術も、様々な面で旧海軍を凌ぐ近代海軍として蘇りました。私の責務は、すでに達成されているのです――

 何が責務が達成されている、だ。

 兵士はまだ少年兵も多く、未熟だ。他国の軍に比べれば練度は高いと言われるが、烏合の衆と比較されても嬉しくも何ともない。

 兵器や戦術もまだまだ改良の余地はあるし、何より人はバカばかりだ。

「……まったく、まだまだ私が居ないとダメね」

「おうよ。俺達は嬢ちゃんと世界の海を翔け抜けるって決めてんだ。こんな所でお前一人だけ脱落なんてさせねぇよ」

「エーリック……」

「――まぁ、寿退役するつもりなら、海軍全軍を挙げて挙式してやるぜ。全戦艦で一斉祝砲をブチかましてやらぁ」

「……バカ」

 いつの間にか、カレンの顔からは緊張が消えていた。脱力した訳ではない、今は戦闘中だ。でも、無駄に入っていた力は抜け、必要最低限な緊張だけが残された、最も力が発揮される状態だ。

 カレンは再び前へ向き直る。艦隊前方には竜巻と稲妻を纏った鋼龍が待ち構えている。本能が全力で逃げろと警鐘を鳴らす程、自分達は危険な戦いに身を投じている。

 それでも、自分はこの場から逃げるつもりはない――あいつの所へ、行く為に。

 そして、全てが終わったらきっとボロボロになっている彼を抱き締め、この胸の奥の気持ちを改めて伝える。前回はその場しのぎの彼のあまりにもバカバカしいウソに騙されてやったが――もう逃しはしない。

 顔を上げたカレンと、遠方の空に浮かぶクシャルダオラの目が合う。

「次に会うのイージス村よ。誰一人欠ける事なく、あの陸(おか)へ辿り着きなさい――目標、前方の鋼龍クシャルダオラッ! 全艦最大戦速にて突撃ッ! 全火力を以ってこれを撃破せよッ!」

 そして、少女提督は不敵な笑みを浮かべたまま全艦に壮絶な突撃命令を下した。

 

「両舷前進ぜんそぉくッ!」

 艦長の命令に従い、戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』の機関が唸りを上げる。巨大な四つのスクリューが高速回転し、白波を激しく立てながら巨艦が海を翔ける。

「艦長、砲撃用意」

 カレンの言葉に艦長は見事な敬礼で答えると、すぐさま伝声管に向かって叫ぶ。

「主砲、通常弾用意ッ! 高角砲群各砲装填! 信管自動調停装置作動用意! 副砲群も対空射撃準備!」

「艦長。副砲は仰角が最大三〇度しか取れませんが」

「構わん。奴が高度を下げた瞬間を狙って一斉に撃て」

「ハッ」

 副長とのやりとりをしている間に、次々に各砲座から準備完了の知らせが届く。精鋭が乗るこの巨艦は、艦長の命令一つで迅速に行動できる。これだけの巨艦を、これほどスピーディーに動かせるのは、日頃の訓練の賜だ。

「主砲! 全門射撃準備! 射撃は高射器距離射法にて行う!」

 艦長の命令は伝声管を伝わって次々に関係各所へと届き、兵達がすぐさま行動する。その姿を見詰め、カレンは自らの日頃の訓練が決して間違ってはいなかった事を確認し、笑みを浮かべる。

「勝てるわ、絶対に」

「目標補足! 対空射撃諸元伝達! 主砲塔旋回! 仰角上げッ!」

 鈍い音と共に前後の主砲が動き出す。ゆっくりと空を飛ぶクシャルダオラの方へと向くと、同時に砲身が上がり、仰角を取る。事前に伝達された方位、仰角へと至ると、主砲発射を知らせるブザーが辺りに鳴り響く。

 艦長はカレンと目を合わせる。そして、カレンが静かに頷くのを見て振り返ると、戦艦の艦長として最大の栄誉ある命令を下す。

「主砲、撃ち方始めぇッ!」

 戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』の主砲から、轟音と爆炎と共に巨大な砲弾が撃ち出される。これに対しクシャルダオラは身を翻してこれを回避。背後に着弾した砲弾は大爆発と共に巨大な水柱を海面に立ち上らせる。

 旗艦の砲撃を合図に後続の戦艦『ビスマルク』『シャルンホルスト』が続けて主砲で砲撃。合流したヴェルダント隷下の重巡洋艦三隻も砲撃を再開し、同時に全艦全速力にてクシャルダオラに向けて突撃する。

 主力部隊の突撃に対し、クシャルダオラもまた怒号を上げて威嚇する。翼を大きく羽ばたかせ、辺りの竜巻を次々に敵に向けて放つ。無数の竜巻が轟音と暴風と共にカレン率いる主力部隊に襲い掛かった。

 二番艦『ビスマルク』の右舷側から巨大な竜巻が襲い掛かる。激突と同時に激しい衝突音が辺りに響き、艦が大きく揺れた。だが重巡洋艦よりも更に頑丈な装甲を持つ戦艦。大した被害もなく、お返しとばかりに主砲で反撃する。

「おいおい、排水量一万トン超の戦艦でもあれだけ揺れるのか。駆逐艦程度なら一撃で真っ二つだな」

 後続の『ビスマルク』を襲った竜巻の威力を見てエーリックは冷や汗を浮かべる。カレンは一切背後に振り返る事なく「左四点逐次回頭」と次なる命令を下す。

 カレンの命令に従い、戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』は取舵四五度にて回頭。それに従い後続の戦艦『ビスマルク』『シャルンホルスト』、重巡洋艦『ローレライ』『メテオール』『シャルロッテ』と次々に同じ方向へと回頭する。先程第6戦隊が行った全艦が同時に回頭するのは一斉回頭と呼ばれるものだが、逐次回頭とは先頭艦に従って後続艦が次々に回頭するもので、上から見ると蛇のように一列の艦隊が動く艦隊運動だ。

 クシャルダオラの左を通り抜けるような針路に舵を取った主力部隊。こうする事で全艦が後部にある主砲及び右舷速射砲等小口径の副砲を使えるようにする為だ。すぐに全艦の砲兵等が右舷側に集まり、配置が完了した砲から次々に砲撃を開始する。

 六隻の戦闘艦が次々に砲撃し、クシャルダオラを追い詰める。更にカレンの指示で戦艦は徹甲弾、重巡洋艦はレーヴェンツァーンにて砲撃し、役割分担を行っている。レーヴェンツァーンは鋼龍に対してはほとんど効果がない事は先程の戦いでわかった。だが一種の威嚇になる為、クシャルダオラの動きを制限する事はできる。戦艦の砲撃はそれこそ一撃必殺の火力を誇るが、命中率の低さは否めない。その為クシャルダオラの動きを制限し、その範囲内に全火力を集中する事でこの低さを補おうと彼女は考えていたのだ。

 だがクシャルダオラも先程受けた戦艦の一撃の凄まじさを身をもって知っている。カレンの思惑には乗らず、上空へと退避してレーヴェンツァーンを回避。すぐに全砲門の仰角の限界の外へと逃げられてしまう。そのまま艦隊の上空へと至ったクシャルダオラはそこから連続して風ブレスを撃ち放つ。ここなら敵の攻撃は受けないとわかっているからこその一方的な攻撃だ。

 主力部隊は戦艦と重巡洋艦という高い防御力を誇る艦艇で編成されている為、風ブレス程度では大した損傷は受けない。だがこちらが手出しできず、一方的に攻撃される状態は兵士達の士気を著しく下げてしまう。

「くそぉ、何とか奴を引きずり降ろさねぇと……」

 苛立つエーリックを横目に、カレンは冷静に次なる命令を下した。

「艦長、ナルツィッセ攻撃用意」

「え? ナルツィッセですか? しかしあれは総統府の許可がなければ……」

「構わないわ。全責任は私が負うから」

「……了解(ヤヴォール)。ナルツィッセ攻撃用意ッ!」

 艦長は伝声管を通じてカレンの下した命令を伝達する。そんな彼らに背を向けながら、双眼鏡で上空から未だ一方的な攻撃を繰り返すクシャルダオラを見上げる。

「おいおい、総統閣下ご自慢の極秘兵器を勝手に使っちまっていいのかよ」

 そんなカレンに苦笑を浮かべながらエーリックが尋ねると、カレンは迷う事なく言い放つ。

「総統は兵器も弾薬も好きに使えと仰ったわ。ならば、使えるものは何でも使うわ」

「お前の無茶を、総統もきっと予想してたんだろうな」

「そうかもね……」

 小さく笑みを浮かべるカレン。その背後、甲板中部では彼女の命令に従いある攻撃の準備が行われていた。木製の甲板が次々に捲り上がると、その下にはひとつひとつ穴が開き、そこには無数の爆弾が設置されていた。兵士達はその周りを入念にチェックし、障害物がない事を確認するとそれを艦長へと報告。艦長はこれを聞いて、カレンに近づくと、

「ナルツィッセ、攻撃準備完了しました」

 艦長の報告に無言で頷く。それを合図に艦長は上空のクシャルダオラを見上げ、命令を下す。

「面舵二〇度、第二戦速」

 艦長の命令に従い、『フリードリッヒ・デア・グローセ』は艦隊から離れると、ゆっくりとクシャルダオラの真下へと移動する。その間、残る五隻が当たらないとわかっていても砲撃を続けてクシャルダオラを威嚇し続ける。

 友軍に援護されながら『フリードリッヒ・デア・グローセ』はクシャルダオラの真下へと配置についた。カレンは双眼鏡で真上に居るクシャルダオラを確認すると、ゆっくりと振り返った。

「ナルツィッセ、撃ち方始めなさい」

「攻撃開始ッ!」

 艦長の攻撃開始命令と同時に、艦中部の甲板に設置されていた爆弾に次々に火が点される。轟音を立てながらそれら全てが次々に上空へと撃ち出されていった。白煙の軌跡を残し、次々に爆弾が上昇していく。そしてそれらは五隻に夢中だったクシャルダオラへと真下から迫ると、次々に起爆。無数の爆発がクシャルダオラを包み込んだ。

 白い軌跡がまるで葉や茎のよう、そして爆炎は花のように見える様からエルバーフェルド語で水仙を意味する《ナルツィッセ》と名付けられたこれは、レーヴェンツァーンよりも更にアルトリアの王軍艦隊用に特化した艦対空飛翔爆弾だった。規模こそ違えど、原理はハンターが使う打ち上げタル爆弾と同じ。上昇し、上空の飛行船に命中させて破壊する事を可能とした兵器だ。

 完成して間もなく、現在試験的に『フリードリッヒ・デア・グローセ』に搭載されていた新兵器。極秘兵器の為、本来はフリードリッヒの許可がなければ使えないはずの兵器を、カレンは惜しむ事なく使ったのだ。

 次々に撃ち出される飛翔爆弾ナルツィッセ。クシャルダオラは爆炎の中で風を駆使してダメージを減らしながらも、反撃とばかりに真下にいる『フリードリッヒ・デア・グローセ』目掛けて垂直に急降下して襲い掛かる。

 迫り来るクシャルダオラに対し、露天の戦闘指揮所に居た面々に動揺が走る。だが、カレンは冷静に言い放った。

「馬鹿(ヴァーンジン)」

 ――刹那、戦艦『ビスマルク』が撃ち放った砲弾がクシャルダオラに命中。艦上空に爆炎が吹き荒れ、クシャルダオラは吹き飛ばされ、海面へと叩きつけられた。

 ナルツィッセもクシャルダオラに対しては大した火力にはならない事はカレンも重々承知していた。カレンが狙っていたのは、ナルツィッセで攻撃する事で反射的にこちらへと攻撃して来るであろうクシャルダオラが降下する事。高度さえ下がれば主力部隊の射程範囲に奴を入れる事ができる。

 発光信号でこれを第2戦隊へと伝えていたカレン。カレンの命令を理解し、遂行した第2戦隊の二隻の戦艦。この連携が、クシャルダオラに大ダメージを負わせたのだ。

 しかし海面に叩きつけられたクシャルダオラは今回の一撃はギリギリで直撃は回避した。風の鎧でわずかだが致命打を逸らし、その上風をクッションにして海面に激突するダメージも緩和。海面を滑るようにして体勢を立て直すと、背後で風を爆発させてその衝撃を利用して突撃。『フリードリッヒ・デア・グローセ』の横を通り抜け、そのまま自分を狙った戦艦『ビスマルク』へと突っ込んだ。

 鋼鉄と鋼鉄の激しい激突。辺りに凄まじい金属音が響き渡った。鋼龍の体当たりに『ビスマルク』の巨艦が震える。しかし排水量一万トンを超える巨艦はパワーも凄まじい。押し切ろうとするクシャルダオラにむしろ舵を切って押し返す。負けじとばかりに背後に風を集束、爆発を繰り返して押し返すクシャルダオラの背後から重巡洋艦『メテオール』が近づくと、拘束弾を撃ち放つ。しかしクシャルダオラはこれに気づいて急上昇して回避。目標を見失った拘束弾は誤って『ビスマルク』に命中。すぐに『メテオール』はロープを切って拘束を解除する。そこへクシャルダオラが突撃。鋼鉄の拳を握り締め、体当たりとパンチを同時に放った。鋭い爪が凄まじい勢いで炸裂。その一撃は甲板を突き破り、その下にあった機関室の一角へと至った。激しい爆発と共に機関を損傷した『メテオール』は機関が停止。急速に減速して艦隊から脱落した。

 炎上しながら落伍する『メテオール』を横目に、ヴェルダントは再び主砲に閃光弾を装填。『ローレライ』は閃光弾を発射。炸裂する眩い輝きはクシャルダオラの視界を奪い、その鋼の体は海中へと姿を消した。

 炎上する『メテオール』は戦闘不能と発光信号を送って隊列から離れた。五隻となった主力部隊はクシャルダオラが沈んた地点に向けて次々に砲弾を放つ。凄まじい爆音と共に撃ち出された砲弾はクシャルダオラが沈んだと思わしき海にて巨大な水柱を何本も立ち上らせる。更に『ローレライ』『シャルロッテ』も一斉に魚雷を放った。

 激しい砲雷撃だったが、その効果の程はわからない。命中しているのか、的外れなのか。それすらも判別できない。主力部隊の将兵全てが祈るように攻撃を続ける。だが、激しい爆発と水柱が立ち上る――集中攻撃していた場所より右にわずかに逸れた場所からだ。

 水柱の中から、再びクシャルダオラが現れる。攻撃は全て外れていたのだ。

「撃ち続けなさいッ!」

 カレンの命令に従い、全艦が再びクシャルダオラに狙いを定めて砲撃を再開する。だが再びクシャルダオラは上空へと逃げてこれを回避する。再び砲撃範囲外に逃げられてしまった。

「ナルツィッセ、まだ使えない?」

「弾薬室から次弾を装填中だ。連射性の低さがこの兵器の難点だからな。まだ使えるようになるのは先だ」

 ナルツィッセはその構造上連射ができない。一度放つと新たに使用可能になるまで時間が掛かってしまう。これは一斉発射を前提にせず、逐次発射を前提としている為だ。しかしこの時は鋼龍相手に全弾を一斉に使ってしまった為、この前提が崩れてしまっている。極秘兵器故に、肝心の兵士にまでその運用方法がしっかりと伝わっていなかったのだ。

「距離を取りましょう。そうすれば、また奴を射程範囲内に捉えられる」

 カレンは一度クシャルダオラから距離を取る事を選んだ。すぐに艦隊を転針させようと指示を出そうとした時だった。

「『ローレライ』より発光信号ッ!『我、鋼龍ヲ誘致ス。貴艦ノ《ゲイボルグ》ノ使用ヲ求ム』ッ!」

 それはヴェルダントからのものだった。この信号に、その場にいた将兵達に動揺が走った。

 ゲイボルグ、それはエルバーフェルドの戦艦全てが搭載している最終兵器の事だった。

「ツェッペリンの爺さん、無茶苦茶言うね。あれは対戦艦用の武器だぞ。それを飛んでるクシャルダオラに当てろだなんてよぉ」

 苦笑を浮かべるエーリックの言葉に、カレンもまた「そうね、ずいぶんと無茶を言ってくれるわ」と苦笑を浮かべる。だがすぐにその笑みは不敵なものに変わる。国防海軍総司令官、この場にいる数千人の将兵の命を預かる長の、決意に満ちた顔がそこにあった。

「撃艦槍(ゲイボルグ)、用意ッ!」

「おうよッ! 撃艦槍(ゲイボルグ)用意ッ!」

 艦内が再び慌ただしくなる。そんな喧騒を聞きながら、カレンは背後へと振り返る。その視線の先で、ヴェルダント隷下の重巡『ローレライ』と『シャルロッテ』が転針するのが見えた。鋼龍と距離を開き、再び射程範囲外に捉えると砲撃を再開した。クシャルダオラは更に高度を上げてこれを回避するが、重巡二隻も距離を更に開いて常にクシャルダオラを捉え続ける。

 鬱陶しくなったのか、クシャルダオラは怒号を上げながら重巡二隻に向けて突っ込む。

 迫り来るクシャルダオラに対し、ヴェルダントは冷静に「拘束弾、用意」と静かに命令を下す。

 恐ろしい速度で迫るクシャルダオラ。その距離が限界まで近づいた時、ヴェルダントは並んで走る『ローレライ』と『シャルロッテ』を左右にそれぞれ舵を切らせた。艦が大きく傾斜しながら二隻は離れていく。その間をクシャルダオラが通り抜ける瞬間、左右から両艦が拘束弾を放った。再び拘束されて暴れるクシャルダオラだが、重巡二隻がその動きを制する。

 暴れるクシャルダオラに二隻の艦長が怒号に近い声で指示を飛ばし、これを捕縛し続ける。そんな喧騒を聞きながら、ヴェルダントは静かに、そして不敵に微笑んだ。

「後は嬢ちゃん、君に任せた」

 

 一方、戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』の艦内も慌ただしかった。機関室では機関の出力を上げ、スクリューとはまた別の物に動力を接続する準備が続く。砲兵達も衝撃に備えて艦内へと退避し、先程まで怒号が飛び交っていた甲板は人気がなくなる。

 更にエルバーフェルド海軍の軍艦には艦首にチューリップを象った紋章が備えられている。その下の部分がゆっくりと開くと、中から巨大な鋼鉄の槍が出現する。光り輝くそれは、莫大な量のノヴァクリスタルを加工して作られた、最強の槍。

 様々な要塞に備えられている対大型モンスター用に使われている巨大な槍、撃龍槍。エルバーフェルド海軍の戦艦はこれを一撃で敵の戦艦を沈める為の武器として採用している。ノヴァクリスタルを使ったこの槍の硬度は世界最強と言っても過言ではない。対艦槍(ゲイボルグ)、それがエルバーフェルド戦艦の最終兵器だ。

 艦が大きく震える。どうやら槍に動力が接続されたらしい。カレンは静かに命令を下す。

「これより『フリードリッヒ・デア・グローセ』は単艦にて突撃する。覚悟はいいわね?」

 カレンの問いに対し、エーリックは不敵に微笑んだ。

「何を今更。覚悟なんてとっくにできてるぜ。なぁ?」

 エーリックが問いかけると、その場に居た全員が頷いた。それを見てカレンは小さく笑みを浮かべる。

「――ダンケ・シェーン」

「反転一八〇度ッ! 前進全速ッ!」

 艦長の命令に従い『フリードリッヒ・デア・グローセ』は大きく左へと舵を切る。更に機関出力を最大にし、けたたましいエンジン音と共に加速していく。荒れる海を、すさまじい水飛沫を上げながら突撃する戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』。その前方では、二隻の重巡洋艦がクシャルダオラの動きを封じている。

 迫り来る巨大戦艦に気づいたクシャルダオラ。拘束されていても迫り来る敵に対して激しい風ブレスで反撃する。更に海の至る所に竜巻が発生し、それらがまるで意志を持っているかのように突撃する『フリードリッヒ・デア・グローセ』を襲う。

 左右から何本もの竜巻の、前方からは風ブレスの直撃を受けて艦上構造物に被害が出る『フリードリッヒ・デア・グローセ』。しかし舵はそのままクシャルダオラに向け、機関出力も下がる事はなく全速力でクシャルダオラに向けて突撃する。

「主砲、撃って撃って撃ちまくれッ!」

 艦長の怒号と共に甲板前部にある第一主砲から三〇センチ砲弾が次々に発射される。風の鎧と巧みな浮遊(ホバリング)でこの攻撃を避けるクシャルダオラだが、動きが制限されている中ではうまくいかず、数発直撃を受ける。血と怒りの声を上げながら更に強烈な風ブレスで撃ち返す。

 鋼鉄の龍と鋼鉄の艦が互いに身を削り合いながらの激しい砲撃戦。

 竜巻の直撃を受けて艦載艇を吊るすクレーンが折れたり、ハシゴがひしゃげ、探照灯が吹き飛び、マストが折れ、速射砲群の屋根が壊れる。どれも戦闘に支障はない程度とはいえ、激しい風が新鋭艦を傷つけていく。

 戦音を聞き、荒れ狂う風の中髪を靡かせながら凛とした姿で立ち続けるカレン。前方の二隻の重巡洋艦がクシャルダオラを差し出すようにそれぞれ舵を切って離れていく。だが、そのどちらの艦でもすでに限界が近づいていた。

 激しいクシャルダオラの抵抗で何度も拘束が解けるが、その度に別の方から拘束弾を撃って拘束し直していた。しかしそれも限界で、現時点で鋼龍を縛り付けているのがどちらの艦も最後の拘束弾だった。しかもそれもすでに限界が近い。

 激しい金属音と共にロープと艦を結んでいた金具が壊れ、一本、また一本と拘束が解けていく。

 艦橋でこの光景を見詰めていたヴェルダントはどうか撃艦槍(ゲイボルグ)が決まるまで持ちこたえてくれと祈るばかり。

 だが一本、また一本と拘束が解けていくにつれて次の拘束が解けていくのが加速する。分散していた負担が、ロープが壊れる度に残るロープへ増えていた為だ。

 しかもクシャルダオラの抵抗で幾つもの風ブレスや竜巻を受けた両艦も艦上構造物がかなり壊れ、どちらもマストは折れてしまっている程だ。

 それでもあと数分もたせばいい。だが、その数分が長過ぎた。

 自分を縛る拘束が弱まっている。そう気づいたクシャルダオラは更に激しい抵抗を見せた。

 拘束が緩んでいる。それに気づいたカレンは焦る。

「もっと速力は出ないのッ!?」

「無茶言うな、これが今の最高速度だ。これでも今までの戦艦よりはずっと速いんだぞ」

 最新鋭、世界屈指の速力を持つ戦艦。それでも、今のこの状況では遅い。あと少しなのに、その少しが遠く感じられた。

 何より、この一撃を当てる為に奮闘している部下達の為にも、これを外す訳にはいかなかった。

「必ず、当ててみせる……ッ!」

 強い決意を抱きながら、カレンはもう目の前にまで迫ったクシャルダオラを見詰める。

 そして、最後の拘束具が壊れ、クシャルダオラが自由を取り戻した。迫り来る巨艦を相手に、最大級のブレスを構える。至近距離で受ければ、いくら戦艦といえども被害は甚大だ。それでも、もう前に進むしか道はない。

 そして――

「今よッ!」

「撃艦槍(ゲイボルグ)、放てぇッ!」

 鋼鉄の龍と、鋼鉄の艦が、激突した――

 

「くそぉッ! 全艦最大速力で突っ走れッ!」

 艦橋で苛立ちながら叫ぶのは第2水雷戦隊司令官、カール・ルドルファー少将。ここは第2水雷戦隊旗艦、軽巡洋艦『シュバルツァー』の艦橋。その中は激しく揺れ、立っているのも辛いような状況だった。嵐の中を最大速度で突撃している為だ。

 猛烈な速度で荒波を蹴散らしながら進む艦隊は、第2水雷戦隊と第4水雷戦隊、それに支援隊を護衛していた第12駆逐隊で臨時に編成された集成水雷戦隊。軽巡洋艦『シュバルツァー』を旗艦に第2水雷戦隊からは『Z10』『Z13』『Z14』『Z16』が。第4水雷戦隊からは『Z25』『Z26』『Z27』『Z31』。そして第12駆逐隊の『Z45』『Z46』『Z47』『Z48』。軽巡洋艦一隻、駆逐艦十二隻。総勢十三隻からなる集成水雷戦隊は荒れ狂う海の上を猛烈な速度で進んでいた。荒波を蹴散らし、艦が損傷する事を恐れる事なく驀進する十三隻は、いずれも針路を南東方向へと向けていた。

 第2及び第4水雷戦隊は一度無傷や航行は可能な艦船で戦線を離脱。損傷艦を支援隊と本隊に置いて、その護衛をしていた第12駆逐隊と残存艦艇で臨時の水雷戦隊を迅速編成。すぐさま隊列を整えて残された護衛隊救援の為に再出撃した。

 重巡や戦艦よりも軽く高速を誇る軽巡洋艦や駆逐隊で編成された水雷戦隊の速度はすさまじく、カールの指示で機関が損傷する可能性があるギリギリのレベルを維持しながら、最大速度で長時間航行を行い、あっという間に鋼龍クシャルダオラとの交戦海域にまで戻って来た。

 クシャルダオラの影響か、交戦海域に近づくにつれて嵐は激しさを増していく。雨風は強くなり、波は荒れ、艦は大きく揺れる。それが、クシャルダオラの無事を知らせているようで、カールを焦らせていた。

「前方上空にクシャルダオラッ!」

 交戦海域、先程までクシャルダオラと艦隊が戦闘を繰り広げていた海域に到達した。見張り兵の報告に、カールはすぐさま双眼鏡を手に取って前方を確認する。

 双眼鏡で覗くと、竜巻を纏いながら風翔龍クシャルダオラが上空に浮いていた。あれから主力部隊が激戦を繰り広げたせいか、自分達が撤退する時よりもボロボロに見えたが、弱っているようには見えなかった。無限の生命力を持っているかのように、クシャルダオラは力を衰えさせてはいなかった。

「くそぉッ! 主力部隊はッ!?」

 辺りを探すと、すぐにクシャルダオラの近くに大型艦の姿が確認できた。

 荒波の中、まるで力を失ったかのように漂流する一隻の大型艦。様々な艦上構造物が壊れ、艦中部からは火の手が上がっていた。その正体は――

「前方の友軍艦は旗艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』ですッ!」

 それは大洋艦隊旗艦、カレンが乗る戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』だった。

「間に合わなかったか……ッ!」

 カールは悔しげに叫びながら床を蹴った。しかし諦める訳にはいかない。この海域にはまだ損傷している味方艦が多数漂流している。それに、まだ無事の艦も居るかもしれない。何より、クシャルダオラはまだここを去っていない。

「全艦、使用可能全砲門をクシャルダオラに向けたまま突撃ッ! 射程に入り次第一斉砲火を加えるッ! 行くぞッ!」

 カールの指示に従い、全艦の主砲がクシャルダオラの方へを向けられる。

 荒波を蹴散らしながら進む水雷戦隊だが、まだ射程にクシャルダオラを収める事はできない。その時、クシャルダオラが動きを見せた。まるで『フリードリッヒ・デア・グローセ』にトドメを挿すかのように、上空で猛烈な風を纏い始めたのだ。周囲に散っていた無数の竜巻が集められ、次々に合流。それはあっという間に二つの巨大竜巻へと変わった。

「あんな物を受けたら、いくら戦艦とはいえただじゃ済まないぞ……ッ! まだ撃てないのかッ!」

 焦るカールだが、まだ射程範囲外。ここで撃った所で意味はない。その間も竜巻が轟音を立てながら勢いを増していく。

 このままでは、間に合わない。

 味方を、大洋艦隊の旗艦を、自分達海軍将兵が忠誠を誓うカレン・デーニッツ提督を、目の前で失う。

 水雷戦隊の将兵全員が焦るが、砲はまだクシャルダオラを射程に捉えられていない。

「間に合えええぇぇぇッ!」

 

「……あぁ?」

 ゆっくりと目覚めると、自分が横になっている感覚に気づいた。頭を打ったのか、少し頭痛がする。そんな頭を押さえながらエーリックは上半身を起こした。

 まだ覚醒したばかりの脳はうまく動いておらず、どうして自分が倒れていたのか思い出す事はできなかった。しかし次第に意識がハッキリしてくると、自分達がどのような状況に居たのかを思い出す。

「クシャルダオラッ!」

 その名を叫び、慌てて上空を見やると、そこには恐るべき光景が広がっていた。

 全身に無数の傷を負った鋼龍クシャルダオラ。その傷が、これまで大洋艦隊が奮闘して与えたダメージの証拠だった。その中でも特に目立つ、頭部と右翼の損傷。先程まであった角は折れ、右の鋼鉄の翼はまるで引きちぎられた布のようにボロボロとなっていた。

「撃艦槍(ゲイボルグ)……」

 それはエルバーフェルド海軍の戦艦が持つ対艦最終兵器、鋼鉄の槍による怪我だという事はすぐにわかった。そう、ゲイボルグはクシャルダオラに命中したのだ。だがわずかに逸れてしまい、胴体には当たらず角と右翼を破壊しただけだった。クシャルダオラは翼を損傷しても飛行能力を失ってはいない。他の飛竜種と違い、彼が自らが用いる風の影響で飛んでいる証拠だ。

 そしてこちらには奴の超弩級の風ブレスが直撃した。艦上構造物が壊れた上に、次弾装填中だったナルツィッセに風ブレスが命中して誤爆。それが余計に被害を拡大させ、現在艦が炎上していた。

 状況を理解すると、すぐにエーリックは彼女の姿を探した。

「カレンッ!」

 すぐに自分の傍に倒れている国防海軍総司令官、カレン・デーニッツ元帥の姿を見つけた。刺し違えた際に自分と同様に転倒した際に頭を打ったのか、血を流しながら彼女は倒れていた。意識はないが、命に別条はないように見えた。

「おい、しっかりしろッ!」

 激しく揺れ動かすと、小さな声が彼女の口から漏れた。遅れてゆっくりと目が開く。濁っていた瞳がゆっくりと澄んでいく程に、彼女の意識はハッキリしていった。

「ここは……」

「『フリードリッヒ・デア・グローセ』の艦上だ。まだ戦闘中だぞ」

「……そうだった。クシャルダオラは?」

 問いかけるが、その視界の隅で今も上空を滞空する鋼龍の姿を捉えた。それを見て全てを悟ったカレンはゆっくりと立ち上がると、辺りを見回す。

 エルバーフェルドの造船技術の粋を結集して作られた最新鋭の新造戦艦。それがこの『フリードリッヒ・デア・グローセ』だ。観艦式や演習では美しくも重々しい、そんな海の女王に相応しい風格を持った超戦艦も、今はクシャルダオラの最大級の風ブレスを受け、ナルツィッセが誘爆した影響もあって随分と損傷を負っているように見えた。ナルツィッセが爆発した影響で発生した火災は今も兵士達が必死の消火活動中だ。

 そして、ゲイボルグは命中したものの直撃はせずわずかに逸れた――失敗したのだ。

 上空に浮かぶクシャルダオラは依然として力を持ち続けており、今もすさまじい数の竜巻を操っている。そんな絶望的な光景に、思わず笑みが零れた。

「……さすがに、古龍相手じゃ分が悪いわね」

「カレン……」

「――軍艦旗を下ろしなさい。総員、最上甲板」

 総員最上甲板。それは《逃げる》という言葉のない軍隊、それも海軍における艦を放棄して脱出せよという命令だった。そして艦の命であり艦の所属を証明する軍艦旗を下ろすというのもまた戦闘行動を終了するという意味を持つ――事実上の敗北宣言であった。

 驚く艦長に、カレンは改めて同じ命令を言い放つ。

「まだ戦えますッ! 損傷は確かにひどいですが、装甲も砲もまだ生きていますッ! 友軍艦もまだ残っている状況で、なぜ負けを認めなければならないのですッ!」

「――あなたは、本気でこの状況がわからないの?」

 呆れるカレンの背後で、辺りで吹き荒れていた竜巻が次々に集まっていくのが見えた。それらは二つの巨大な竜巻へと姿を変え、更に加速し、威力を増していく。その大きさは『フリードリッヒ・デア・グローセ』を呑み込む程に巨大だった。

「あんな竜巻を受けたら、さすがの新造戦艦もただじゃ済まないわ。損傷している状況では尚更ね」

「艦に居たら確実に危険だ。海の中に飛び込んだ方が、確かに安全かもしれないな」

 エーリックもカレンと同意見だった。このままでは艦に乗る兵士全員の命が危うい。艦を捨てる事は耐え難い苦痛だが、部下を失いたくないというカレンの選択に、艦長以下将兵は従う他なかった。

「……総員最上甲板。繰り返す、総員最上甲板」

 艦長の苦しげな声での命令が、静かに伝声管を伝わって艦内に響き渡った。最初は動揺した兵士達も、すぐに命令に従い退艦を開始した。海に飛び込む者やボートを降ろして退去する者等、とにかく艦から逃げていく。

 艦長はすぐにカレン以下の国防海軍総司令部の要員に艦を降りるよう進言した。するとカレンは自分を除く面々に退艦を命じた。反発する部下に命令だと冷たく言い放ち、エーリックも「俺も残るから、お前らは先に降りろ」と言って降ろさせた。更にカレンは艦長にも降りるよう命令した。反発する彼に「乗組員の安否確認はあなたにしかできないの。やりなさい、これは命令よ」と言って有無を言わせず艦を降ろさせた。

 次々に乗組員が艦を降りていく中、戦闘指揮所にはついにエーリックとカレンの二人だけが残された。

「……あなたは、降りないの?」

「それはこっちの台詞だ。どうせお前の事だ、陛下にお預かりした新造戦艦を失う責任を取るつもりなんだろ」

「……陛下の名を冠した艦を失っては、もう祖国には戻れないわ。それに、このままじゃあいつの居る村にも辿り着けない」

「新造戦艦を失う失態は確かに大きいが、総統からすればお前を失う方がずっと大きいと思うぞ」

「……私は、そんな大それた人間じゃないわ。たった一人の、好きになった奴の為に謀反にも等しい行いをして、部下を危険に晒している愚か者よ」

「だとしても、この艦隊の将兵は皆お前に恩義がある。誰も、お前を失いたくないと思っているはずさ」

「誰かが責任を負わなければならない。それは、艦隊の長たる私が負わなければならないものよ。私一人の命で、この艦隊に属する一万人を超える部下が無用な中傷に晒されないのなら、安いものよ」

 艦隊の長として、軍のトップとして、責任を負う覚悟を決めた事を語るカレン。だがエーリックからすれば、それはまるで全てを諦め、投げやりになっているようにしか見えなかった。たった一体の古龍に自慢の艦隊がまるで歯が立たず、更に守ると決めた男の所にすら行けない。自分は何の為に、この海にやって来たのか。部下を危険に晒し、自らのワガママを貫いた末の敗北。責任感が人一倍強い彼女には、あまりにも重いモノを背負ってしまった。

 どこか濁った瞳で、空を仰ぐカレン。その視線の先では、更に竜巻の破壊力を上げようと風を呼び起こす鋼龍クシャルダオラの姿があった。

 砲の射程範囲外、ナルツィッセ使用不能、高速力を誇るも所詮は戦艦の『フリードリッヒ・デア・グローセ』の速力では今更逃げても避けられるような状況ではない。

 ゆっくりと死の執行が迫っている、そんな光景に思えた。

 ふと、遠くを見やれば廃墟と化しつつあるイージス村が見える。双眼鏡でようやく状況が見える程に遠いあの村に、今も彼は居る。

 戦いに参加する一隻の、指揮所に立つ一人の人間など、あの村からは確認する事はできない。そればかりか、世間の常識に疎い彼からすれば、この艦隊がどこの国の所属かなのかもわからないだろう。突然村の港にやって来て、バカみたいに鋼龍と戦う艦隊。彼からすれば、そんな認識なのかもしれない。

 ここに立つのが、自分なんて、きっとわからないだろう。

 それでも――

「……まぁ、それなりにクシャルダオラにはダメージを与えられた。これだけ弱らせて負けるなんて、許さないんだから――クリュウ・ルナリーフ」

 覚悟は決めた。最期の瞬間を、この目に焼き付けようと仁王立ちでクシャルダオラに対峙する少女。エルバーフェルド帝国国防海軍総司令官、カレン・デーニッツ元帥の最期の勇姿だった。

「――なぁに勝手に死のうとしてんだバカ」

 覚悟を決めてクシャルダオラに対峙するカレン。そんな彼女の頭を、エーリックが小突いた。驚く彼女の前に出たエーリックは、一枚の伝文を彼女に手渡す。

「ここに来る途中に届いた緊急伝文だ」

「緊急伝文? そんなの、聞いてないわよ」

「俺がお前への報告をさせなかったからだ。こんなの知ったら、お前張り合おうと無茶すると思ったからな」

 まるで聞き分けの悪い娘を見るような、そんなどこか暖かな視線を送りながら語るエーリックの言葉に、カレンは戸惑いながら伝文を読み始める。その顔色がみるみるうちに変わっていった。

「――お、来たようだぜ」

 エーリックが空を見上げながら呟くのが聞こえた。ゆっくりと視線を上げると、彼女にも見えた。

 たった一人の少年の為に、主力艦隊を差し向けた国があった。常識的判断をすれば、何て滑稽で愚かな行いだっただろう。後の世はそう判断するかもしれない。

「おいおい、マジで大艦隊だなありゃ」

 でも世の中には、もっとバカな国もあった訳で――

 

 鉛色の雲海の至る所で雲柱が上がった。轟音を立てながら次々に雲の中から表れたのは飛行船。その光景はまるで海の中からクジラが現れたかのようなモノ。上下が逆だが、その例えは決して間違ってはいない。

 空を飛ぶクジラが、雲の海に次々に浮上して来た。それも一隻や二隻ではない。大小様々な飛行船が十隻以上。しかもそのうち中心部を飛ぶのは、全長三〇〇メートルにも及ぶ巨大飛行戦艦だった。

 この世界において、大規模な飛行艦隊を運用し、且つあれだけの巨大な飛行船を建造できる国など、世界広しといえども一国を除いて他はない。

 その国こそ――

 

「アルトリア王政軍国空軍、その主力たる王軍艦隊。しかも旗艦に座乗しているのはアルトリアの女王様ときた――カレンよ、世の中にはお前以外にも大胆な事をする嬢ちゃんが居たみたいだな」

 

 呆然と空を見上げるカレン。そんな彼女の姿を見て、エーリックはイタズラっぽい笑みを浮かべていた。


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