モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第221話 それぞれの決意を胸に懐きて 二人の激闘の果てに

「クリュウ……」

 重い足取りでの歩みを止めたのは茶髪の長い髪を纏った少女。翡翠色の瞳を不安げに揺らしながら少女――エレナ・フェルノは自らが進んで来た道を振り返る。周りを進む人々はそんな彼女の行動を不審そうに見るが、誰も声を掛けたりはしない。彼女の気持ちを知っているからこそ、誰もが彼女をそっとしておこうと胸に決めているのだ。自分達のこの歩みは敗走でしかなく、一人の少年と一人の少女の奮闘の上に成り立っていると、知っているから。

 遠くを見れば、村のある切り立った崖が見える。時折遠くから響く爆音はきっと、二人の激闘を物語る戦音なのだろう。あの切り立った崖の上、村の中でクリュウと駆けつけてくれたルーデルが戦っている。圧倒的な力を駆使して近づく者全てを薙ぎ払う、古の龍王――風翔龍クシャルダオラと。

「そんな所に突っ立ってると、みんなの迷惑っすよ」

 背後から掛けられた声に振り返ると、そこには健康的な犬歯を煌めかせながら笑う子犬が立っていた。否、まるで子犬の尻尾のように二本のツインテールを揺らす元気娘――シャルル・ルクレールだ。

「シャルル……」

「まぁ、兄者の事が気になるのはシャルも同じっす。本当は、すぐにでも駆け戻って、兄者の助けになりたいっすよねぇ――でも、今のシャルは足手纏っすから」

 ニャハハハ、と元気なくから笑いを浮かべる彼女は今は来た時と同様に全身をコンガやババコンガの素材で作られた鎧と言うには軽装だが、その分機動力に特化したコンガシリーズを纏っている。左腕はまだ治りきっていない怪我を庇うように包帯が巻かれている。

「今のシャルの役目は、ここに居る兄者の家族を無事にレヴェリって所まで送り届ける事。必死になって戦ってる兄者が安心できるように」

「……あんた、見かけに寄らず強いのね」

「見かけに寄らずってのは余計っす。シャルは最強っすよ」

 拳を握り締め、元気満々に答えるシャルルの姿にエレナも小さく笑みを浮かべる。

 そんな二人の様子を、少し離れた場所から見詰める少女がいた。二色の瞳を持った、全身をまるで物語の中の妖精のような出で立ち、パピメルシリーズを纏った弓兵――ルフィール・ケーニッヒ。

「……先輩」

 先程のエレナと同じように、もうずっと後ろに見える崖の上で奮闘しているであろう彼を想ってその崖を見詰める。シャルル同様、本当はすぐにでも駆け戻って助けになりたい。でも、今の自分の力では彼の手助けはできない。自分はまだ、風翔龍クシャルダオラを相手にできるような実力は、ないのだから。

「何辛気くさい顔してんのよ」

 そう言って彼女の頬を小突いたのは、全身を岩を削りだして作ったかのような灰色の石鎧を纏った、勝ち気な桃色の瞳と同色の髪をツインテールに纏めた少女。この第二次避難隊の護衛隊隊長――エリーゼ・フォートレス。

「別に、そのような顔はしていません」

「してたわよ。ったく、揃いも揃ってあのバカのどこがいいんだか」

 全くもって理解できないと言いたげに呆れる彼女の口ぶりにルフィールはムッとなる。自分をバカにされるのは構わないが、大好きな先輩であるクリュウをバカにされる事は絶対に許せない。反論しようと口を開いた時、そんな彼女よりも先に怒る者がいた。

「お兄さんはバカじゃありませんッ」

 拳を握り締め、必死に抗議するのは全身を世にも珍しい青色の怪鳥イャンクックの素材から剥ぎ取ったクックDシリーズを纏った小柄な少女。なぜか頭だけレザーライトヘルムを被っており、その下から見える紺色のセミロングの髪を揺らしながら、紺色の瞳に静かな怒りの炎を燃やしてエリーゼを見詰める。エリーゼにとって唯一無二の親友にして妹――レン・リフレインだ。

「な、何よ急に。何怒ってんのよ、バカレン」

 妹の突然の抵抗に多少おののいたエリーゼだったが、すぐに姉の威厳を復活。ムスッとするレンの両頬を引っ張って「私に向かって歯向かうなんて、ずいぶん生意気になったじゃない」と不敵な笑みを浮かべる。

「ひょ、ひょへんははいぃ~ッ」

 さっきまでの凛々しい瞳はどこへやら。クリッとした瞳の縁にたっぷりの涙を浮かべながら謝罪するレン。そんな二人の姉妹漫才(?)を前にルフィールは小さくため息を零した。

「――あいつさ、昔から人の為にがんばり過ぎる事があるのよね」

 遠くに見える村の姿を見詰めながら、エレナはぽつりと呟いた。その言葉に、他の四人の少女の視線が彼女に集中する。それに気づいているのか、それとも気づいていないのか。誰に語るでもなく、ただ思い出したようにエレナは言葉を紡ぐ。

「いつも誰かの為に自分を犠牲にして、自分がどんなに辛くても人の為にがんばっちゃう。お人好しなあいつらしい一面だけど、同時にそれは心配する身からすればいつもヒヤヒヤさせられてたわ」

 子供の頃から変わっていない。底抜けのお人好しの彼の行動原理。誰かの為に自分がどんなに辛い事でもがんばってしまう。自分の事が優先順位にまるで入っていない、真のお人好し。でもそれは同時に自らの事を顧みない愚か者でもある。

 少なからず彼と一緒に過ごした時を持つ他の四人も、彼のそんな一面を知っている。全くもってその通りだとばかりにうなずく四人。

「……でも、その底抜けの優しさが、ボクを救ってくれました」

 そう言って小さく微笑むのはルフィール。煌めく二色の瞳は本当にきれいな色をしている。だが人々は何の説得力もない伝説に彼女を重ね、その瞳を忌み嫌い、彼女を虐げていた。誰も信じられず、孤立無援の道を進んでいた彼女を救い出し、少なくも信頼できる仲間を作ってくれたのは、その彼だ。

「シャルだって、兄者の優しさ、大好きっすよ」

 初めて彼と出会ったのは、自分がまだ一年生の頃。同い年の女のクラスメイトをいじめられ、頭に来て上級生の男達に殴りかかった時の事だった。彼はそこに現れて自分の拳を止めると「女の子が暴力振るっちゃダメだよ」と言って男達の前に立った。かっこ良く登場したものの、まぁお世辞にもケンカが強い訳じゃないのは見た目通り。結局は教官達が駆けつけて終わり。ほぼ一方的にやられただけの彼はボロボロの顔で笑いながら自らより先に自分とそのいじめられていた女の子を気遣ってくれた。彼が三年生の時の事だった。

 その後、自分が二年生となり彼が四年生となった際に同じクラスとなり、そこから本格的に交流がスタートした。以後も、彼のお人好しをこの目で何度も見て来た。

「すごい人ですよね、お兄さんは」

 レンも以前のアルザス村でのガノトトスの戦いの中で何度もクリュウに助けられた。その中には彼自身が大怪我を負うかもしれないリスクがあるものだってあった。それでも彼は恐れる事なく自分を助けてくれた。自分だけではない。シャルルやエリーゼに対しても。彼は本当に誰かの為にがんばれる人なのだ。

「でもそれって、身を滅ぼす生き方でもあるわよね」

 エリーゼはその例を知っている。彼の卒業が掛かった卒業試験での出来事を。突如現れたドスファンゴの突進からルフィールを庇って彼は背中に大怪我を負った。幸い何とか一命は取り留めたものの、一歩間違えれば命を失っていたかもしれない行動だ。誰かの為に自分を犠牲にできる。考え方自体は素晴らしいかもしれないが、それは自らをあまりにも軽視した危険思想でもある。

「あいつはほんとバカだから、自分の事を全然考えないのよね。私も何度も指摘したし、何度も胸が潰れるかと思うくらい心配した事もあった。でも、ずっと一緒だったからわかる。あれは本当に死んでも直らないって」

 苦笑しながら言う彼女の言葉に、四人も同意見だとばかりに頷いた。

「だからね――」

 そこで言葉を切って、エレナはゆっくりと振り返る。朝日をバックに、その茶色の美しい髪を揺らせながら振り返る彼女の姿はあまりにも可憐で、美しく、女の身でありながら四人は思わず見惚れてしまう。

「もちろん今だって胸が潰れるくらいあいつの事を心配してる。あのバカ、本当に何をしでかすかわからないから。心配するなって方が無理な話。でもね――」

 淡い朝の光に照らされながら、決意を秘めた恋する乙女は静かに微笑む。

「私は決めたのよ。あいつを信じて、待つって。それが――幼なじみとしての、私の役目だから」

 

 唸り声と共に放たれた風ブレスは、地面を抉りながら大地を駆け抜ける竜巻と化してルーデルに襲い掛かる。スタミナ強化の演奏中だったルーデルは慌ててこれを避けようとするが、一瞬遅く直撃は避けるも圧倒的な質量の風の余波を受けて吹き飛ばされてしまう。着地は何とか受け身を取った為にあまりダメージはないが、立ち上がったルーデルの表情にはもはや余裕はない。

「掠ってこの威力って、無茶苦茶じゃない……ッ」

 歯軋りしながら上空に悠然と佇むクシャルダオラを睨みつけるルーデルの出で立ちは、これまでの激戦を物語るかのようにボロボロとなっていた。ハイメタ∪シリーズの至る所が変形したりヒビ割れており、耐久度の限界が近い事を表している。

 本来、彼女程の実力があればもっといい防具も用意できた。しかしこの装備にもちゃんと意味がある。装飾品を限界まで詰め込んだこの装備は精霊の加護に加え、属性攻撃強化、回避性能+1、笛吹き名人といった優れたスキルが多く発動している。特に属性攻撃強化は龍属性の威力を上げるし、笛吹き名人は演奏を強化してくれる。防御力を捨て、攻撃特化したこの防具は彼女の性格を見事に表わしていると言えよう。回避性能+1が付いているとはいえ、被弾すればクリュウのディアブロシリーズよりも脆い。だがしかし、そんな装備でここまで戦えているのもまた彼女の実力の証明だ。

「これでどうだぁッ!」

 ルーデルが体勢を立て直す隙を作ろうとクシャルダオラの背後から襲い掛かるクリュウ。手に持ったのはすでに導火線に火が付いている小タル爆弾G。それを回転斬りの時のように体全体でフルスイングして投擲する。ルーデルのおかげで風の鎧を無効化されているクシャルダオラはその直撃を受けるが、大したダメージにはならない。風に流される黒煙の中から振り返る鋼龍の鋭い顔が顕になる。鋭利な眼光で睨まれ一瞬臆するクリュウだったが、気合で恐怖を捻じ伏せ、雄叫びを上げながら突撃する。

 迎え撃つクシャルダオラは翼を大きく羽ばたかせたかと思うと一瞬で滑るように空を移動する。クリュウからすれば消えたように錯覚する程の素早さで彼の背後へと移動したクシャルダオラはそこから彼に向かってその鋭爪で襲い掛かる。

「クリュウッ!」

 ルーデルの叫び声と彼女の視線から背後の危険を悟ったクリュウは反射的に背後へと振り返ったと同時に盾を構えた。その瞬間、振り下ろされた鋭爪が直撃する。盾で防いだとはいえ、衝撃は逃せずに大きく後ろへと吹き飛ばされた。背中から倒れると、息つく暇もなく風ブレスが襲い掛かる。慌てて体を横へと投げ出してこの一撃は何とか回避したが、今度はクシャルダオラ自身が滑空で迫る。

「……ッ!」

 再び盾を構えるが、体当たりの衝撃でまたしても大きく吹き飛ばされてしまう。

 クリュウの危機に体勢を立て直したルーデルが急いで突撃するが、振り返ったクシャルダオラは彼女に向かって体当たり。鋭い爪で大地を抉る一撃に反射的に回避したルーデル。一瞬前まで自分が立っていた地面の惨状を目にして冷や汗が流れる。

 再び彼女に向かって向き直るクシャルダオラに対し、クリュウは閃光玉を投擲。昨夜調合して補充したとはいえ、数にはやはり限りはある。しかし今使わずしていつ使うのか。投擲する彼に迷いはない。

 放たれた閃光玉が炸裂し、クシャルダオラは視界を奪われてようやく地面へと崩れ落ちる。クリュウが作った隙に、ルーデルはようやく息つく暇を得る。

「大丈夫?」

「それはこっちの台詞よ。ミイラ取りがミイラになりかけてどうすんのよ」

「ご、ごめん……」

「まぁ、あんたの詰めの甘さは今に始まった訳じゃないから、別にいいけどさ――あんまり心配掛けさせないでよ、バカ」

「え? 最後何か言った?」

「何でもないわよバカ。それより、このまま戦いを続ける気? 避難隊が出立してから結構時間が経つけど――もう引き際なんじゃないの?」

 いつになく真剣な表情のまま語りかける彼女の言葉に、クリュウは無言だった。

 ――本当はもう気づいている。これが、避難隊が逃げる時間稼ぎという範疇を超えている事くらい。もちろん、その大義名分に嘘偽りはないし、本心からこの行動を取っている。だが、今鋭い剣先を美しく煌めかせているこの煌竜剣(シャイニング・ブレード)を握り締める拳を震わすものは、それ以上の想い。

 周りを見渡せば、目を背けたくなるような惨状が広がっている。倒壊した家屋の数はもはや数知れず、舗装されてはいないがしっかり道として機能していた道は風やあの鋭い爪で抉られ、もはやその機能を失っている。先程からはむしろ二人に取っては塹壕として機能している程だ。

 春の種まきを前に新しい土や肥料を加えている最中の畑の多くも、その柔らかい土が吹き飛ばされている。

 小さな村でありながら整った上水道。道の脇を流れる水路も壊れ、行き場を失った水はあらぬ方向へと流れ落ちている。

 もはや、イージス村の被害は尋常ならざるものとなっていた。誰が見ても、この村は廃村の道を免れない。それほどの荒廃っぷりだった。

 柄を握り締める拳が、小刻みに震え続ける。

 自分の愛する故郷が、無残にも壊された。その並々ならぬ憎しみと怒り、それが今の彼を突き動かしていた。

 それはきっと、自分の人生の中であまり感じた事のない黒い感情だろう。だが、今はハッキリとそれが胸の奥に渦巻いていた。

 わかっている。本当は全部わかっている。これ以上の戦闘は無意味だという事くらい。これ以上戦っても、勝ち目もなければ意味もない。ただこちらが無為に損耗するだけ。ただのジリ貧だ。

 勝てるなど思っていない。古龍というのがどれ程の強敵なのか。それは、自分が憧れた両親の末路が物語っている。

 でも、せめて――

「――倒せるなんて思ってない。でもこのまま、あいつをこの村に野放しはできないよ」

 どんなに壊れてしまっても、ここは自分が生まれ育った故郷だ。このまま鋼龍クシャルダオラをここに残してはおけない。倒せなくても、何とかしてこの村から追い払わなくては。

 古龍の中には巣とも言うべき場所を持つ者もいる。もしも奴がこの村に居座ってしまえば、村人達は本当に戻るべき故郷を失ってしまう。それだけは、何としても避けなければならない。

「だから、僕は退かない。ここで退いたら、僕は何の為にハンターになったのか。父さんと母さんが守って来たこの村を、大好きな家族が住む村を、守る為に僕はハンターになったんだ」

 わかっている。死んだ父と同じ道を進むと子供の頃に母に言った時、母はあまり良い顔をしなかった。危険な夢を、息子に抱いてほしくない。平和に、穏やかな人生を歩んでほしい。それは母として当然の想いだろう。

 でも、自分は結局両親と同じハンターの道を選んだ。全ては憧れる両親と同じ夢を追いたかったから。この村を守りたかったから。

「僕は、あいつを撃退する。死ぬ気なんてないけど――命懸けで」

 それはお人好しで、他人の為なら自らを犠牲にする事を厭わない彼らしい、それでいて壮絶な覚悟を秘めた言葉だった。だが同時にそれは、いつもの彼の発言ともまた違っている事を、少なからず付き合いのあるルーデルは見抜いていた。

 ――これは、彼の想いなのだと。

 誰の為でもない、自分の為。結局は自分の志を貫く為に過ぎない。

 村を守る為にハンターになった。それを貫く為にも、奴を撃退しなければならない。そんな使命感が、焦燥感が、責任感が、彼を突き動かしているのだと。

「これは僕のわがままだ。だから、ルーデルは逃げてよ。これ以上は本当に、命の保証なんてできない。僕のわがままに、これ以上付き合わなくていいから」

 煌めく剣先に映る彼の横顔は真剣で、そして凛々しい。だがその表情にどこか寂しさを感じるのはきっと、気のせいなんかじゃない。

 ――孤高。

 一人で修羅の道へ進む覚悟を、彼はすでに決めている。その道に、自分が付き合う必要はないのだろう。誰だって、そう言うに違いない。

「――バカ、他人がどう想おうと、私には関係ないじゃない」

 ルーデルは誰に言うでもなく小さくそう呟くと、ゆっくりと足を動かす。後ろへではない。彼の隣へと至る歩みの第一歩だ。

 撤退するでもなく、自らの隣へと歩み出たルーデルに驚くクリュウ。そんな彼に向かって、ルーデルは不敵に微笑む。

「バァカ。ここであんたを見捨てるようなカッコ悪い真似、できる訳ないじゃない。それに、ここであんたに死なれたりしたら、それこそフィーちゃんに顔向けなんかできないわよ」

「バカはどっちだよ。今はそんな事言ってる場合じゃ――」

「――好きなのよ、あんたの事さ」

 顔を向ける事なく、今まさに閃光玉の効き目が切れてゆっくりと起き上がる鋼龍を見詰めながら、ルーデルはポツリと宣言した。その言葉は風に邪魔される事なく、彼の耳にも届いた。突然の事に驚き、狼狽する彼に向かって、ルーデルはフッと口元に笑みを浮かべる。

「何であんたみたいな情けない奴を好きになっちゃったのか。自分でも不思議で仕方がないんだけど――まぁ、好きになっちゃったもんはしょうがないじゃない」

「ルーデル……」

「別にあんたに答えなんて求めてないわ。これは私の、胸の奥にある想いだから。それに、この想いはフィーちゃんを裏切る事になる。だから、これ以上は何も求めないし、言わない」

 親友の好きな人を好きになる。小説なんかによくあるパターンで、何てベタで、そして厄介な展開なのだろうと自分でも正直思っている。でも、好きになってしまったものは仕方がない。この胸の奥に渦巻く想いは嘘偽りなく、疑いようのない事実なのだから。

「だから、これは私のわがまま。あんたに付き合って、この危険な戦いに身を投じるのも。あんたと一緒に、この村で命を張るのも。全部私のわがまま――好きな男を放っておけない、バカな恋する女のわがままなのよ」

 不敵に、でもどこか健気に微笑むルーデルの笑顔。その笑顔に、絶望的な戦いに身を投じようとしていたクリュウは励まされた気がした。

 自分の事を好きと言ってくれる少女。そんな彼女に対して、自分は何と答えれば良いのか。悩み、返答ができず黙ってしまう彼を見て、ルーデルは小さく微笑んだ。

「いいのよ、別に返事は望んでない。それに今は答えがあったとしても、ゆっくり聞いてる時間はないし。ただ、あんた一人に戦いを押し付けたりはしない。私も、あんたの隣で命を張る。これだけは理解して、そして――どうか一緒に戦ってください」

 そう言って、ルーデルはそっと手を差し伸べた。驚く彼に向かって、優しく微笑むルーデル・シュトゥーカ。その意味に、クリュウもまた笑みを浮かべて手を差し出す。

「――こっちこそ、改めてよろしくね」

 彼女の想いに応える為にも、クリュウは優しく、彼女の手を握り締めた。

 刹那、クシャルダオラが怒号を上げて突っ込んで来た。軽やかな足取り且つ凄まじい勢いで迫って来るクシャルダオラに対し、二人は二手に分かれてこれを回避した。

 二人に体当たりが失敗したクシャルダオラはその場で停止するとすぐさま風を纏って空中へと浮かび上がる。空中でゆっくりと振り返ると、こちらに向かって突撃して来るクリュウと目が合う。

 クリュウはクシャルダオラに向かって突撃しながら剣を構える。だがそれを阻むようにクシャルダオラは滞空放射風ブレスで彼の針路を吹き飛ばした。荒れ狂う風に晒され動けずにいると、今度は隙を見てルーデルがクシャルダオラの側面から迫った。

「はぁッ!」

 重いサクラノリコーダー改を振り上げ、浮かぶクシャルダオラに向かって一気に叩き落とす。硬く重いサクラノリコーダー改の鐘の部分は遠心力でその破壊力を最大まで発揮し、鋼龍に炸裂する。迸る黒雷がクシャルダオラの鋼の鎧を焼くが、クシャルダオラは構わず彼女に向かって鋼爪を振るう。寸前でこの動きを察知したルーデルはバックステップでこれを回避。完全には回避できなかったが、爪の先端をサクラノリコーダー改のハンドルで受け流した。迸る火花の向こうで、ルーデルは不敵に微笑む。

「バカね、あんたの相手は私だけじゃないわよ」

 不敵に微笑む敵の姿に、自分がようやく敵の罠に掛かった事を知ったクシャルダオラ。慌てて振り返った瞬間、クリュウが放った小タル爆弾Gが二発眼前で炸裂した。爆炎と黒煙が一瞬視界を封じたが、すぐに風で吹き飛ばす。だがその一瞬で一気に接近したクリュウ。クシャルダオラからすれば一瞬で敵が迫ったような錯覚だった。驚いて怯んだ一瞬の隙を突いて、クリュウは煌竜剣(シャイニング・ブレード)を振り上げ、鋼龍の頭へと叩き落とした。

「ギャアッ!?」

 その一撃自体は大した事じゃないが、突然頭を斬りつけられた事でクシャルダオラは怯む。クリュウはその間に連続して剣を振るい、更に背後からルーデルがサクラノリコーダー改を叩きつける。

 二人の挟撃に対し、クシャルダオラは風の鎧を展開させて二人を吹き飛ばした。背後から地面に倒れたクリュウに対して、ルーデルは何とか綺麗に着地してみせた。すかさずルーデルは龍風圧を封印する音色を奏で始める。だがクシャルダオラも彼女の動きを気づいて風ブレスを撃ち放った。

 演奏中だったルーデルはこの一撃を回避できずに直撃。吹き飛ばされ、地面の上に二度三度と転がった。

「ルーデルッ!」

「私は大丈夫よッ! それより自分の心配しなさいッ!」

 起き上がると同時に叫ぶルーデル。その声にハッとなって振り返ると、いつの間にか空中を滑るようにして移動したクシャルダオラが背後に迫っていた。

「なッ!?」

 クシャルダオラは驚く彼に向かって空中から襲い掛かった。鋭い爪を振り上げ、空中から体当たりと同時に爪で襲い掛かる。寸前でこれをギリギリで回避したクリュウだったが完全には回避できず、爪の先端を盾で防いだ。盾の表面を爪が滑る際に迸る火花の向こうで衝撃に耐えるクリュウの表情が浮かぶ。だが踏ん張っていた訳ではない為に衝撃を逃し切れずに転倒する。その眼前で一瞬前まで自分が居た地面が盾の表面を傷つけた鋭い爪が地面を深く抉り飛ばした。

 背中から倒れるも急いで起き上がるクリュウ。だがそこへ風の鎧が襲い掛かって彼を吹き飛ばした。

「ルーデルッ! 風を封印できるッ!?」

「わかってるわよッ! って、鬱陶しいわねッ!」

 演奏を開始しようとすると、クシャルダオラは狙ったように風ブレスで彼女を狙う。邪魔をされる為に演奏ができず、苛立つルーデル。その間もクシャルダオラはクリュウに接近戦を挑み続ける。

 爪と風に翻弄されるクリュウは息を荒げるが、ルーデルも演奏しようと構えると風ブレスや竜巻が彼女を襲う為に演奏ができない。

 いつの間にか二人の距離は離れ、共闘できないように陥れられていた。それに気づいたクリュウがルーデルの方へと行こうと武器をしまって駆け寄ろうとするが、それを妨害するようにクシャルダオラは滞空放射風ブレスで彼の前方を薙ぎ払った。

 風ブレスで抉られた地面を見て絶句するクリュウ。そこへクシャルダオラが接近し、鋼の尻尾をムチのようにしならせて彼を吹き飛ばす。寸前で反射的に盾を構えたもの、衝撃は逃がせず吹き飛ばされた。

「クリュウッ!」

「僕は大丈夫ッ! そっちに行ったよッ!」

 クリュウを吹き飛ばしたクシャルダオラは今度はルーデルに向かって滑空突進を仕掛ける。ルーデルは舌打ちして演奏を中止して緊急回避。地面を転がるようにしてこの一撃を回避した。だが立ち上がった瞬間にクシャルダオラは風ブレスで彼女に襲い掛かる。連続して三発のブレスを撃ち放つが、ルーデルはこれを全て紙一重で回避した。

「鬱陶しいわねッ! さっさと落ちなさいッ!」

 激昂しながらルーデルは背後へ閃光玉を投擲した。こちらに向いているクシャルダオラからすれば前方で炸裂する光の爆発。目を焼かれ、クシャルダオラは悲鳴を上げて墜落した。

 横倒しになって藻掻くクシャルダオラに対し、ルーデルはすかさず龍風圧を無効化する音色を奏でる。ここでようやく鋼龍の風の鎧を再封印する事ができた。

 この間に二人は回復薬グレートをそれぞれ必要な本数飲み、クリュウは砥石を使って損耗した切れ味の回復に努めた。

 起き上がったクシャルダオラはこちらの接近を阻むようにその場で爪を振り回したりして暴れている為、剣士の二人は近づく事ができない。その間に、二人は再び近寄り、共闘できる構えを取った。

「なるべく互いの距離が離れ過ぎないよう、お互いにうまく立ち回るしかないね」

「正直そんな余裕はないけど、まぁ心得たわ」

 先程のように距離が離れ、互いのフォローができなくなる可能性を極力減らす為にも、離れ過ぎない事を再確認する二人。そこでクシャルダオラの視界が回復し、鋼龍は怒号と共に風ブレスを撃ち放つ。二人はこれを左右にそれぞれ避け、再び鋼龍に向けて突撃する。それを妨げるようにクシャルダオラは滞空放射風ブレスを横薙ぎに撃ち払い、二人の針路を妨害する。

「小細工をッ!」

 足を止めて苛立つルーデルに対し、クシャルダオラが動く。風の壁が壊れると同時にクシャルダオラは彼女に向けて四肢を駆使して突撃を仕掛けた。予備動作も見えなかったルーデルは回避が間に合わずこの直撃を受けた。

「ルーデルッ!」

 地面の上を二度三度転がって倒れたルーデル。顔を苦悶に歪めながらも、しかしゆっくりと起き上がった。相当なダメージを負ったはずだが、幸い倒れる程ではなかったらしい。

 クリュウはすぐに彼女が体勢を立て直す隙を作る為に走り出した。あえてクシャルダオラの正面から突撃を仕掛ける。この行動にクシャルダオラも気付き、大きく後ろへとジャンプして距離を置くと、そこから迎え撃つように突進を仕掛ける。クリュウはこれを横に跳んで避け、すぐに反転。止まったばかりの鋼龍の背後から斬り掛かった。

 クリュウの行動は自分が回復する時間を稼いでいる。すぐにそれに気づいたルーデルは「かっこつけんじゃないわよ……」と呟き、苦笑を浮かべながら道具袋(アイテムポーチ)の中から秘薬を取り出してそれを呑み込んだ。回復薬や回復薬グレートとは比較にならない速度で痛みが引き、体の疲労感やダメージが消えていく。強気な瞳には再び炎が宿り、闘争心が燃え上がる。不敵に口端を釣り上げ、犬歯を煌めかせ、頬は紅潮し、力が漲る。

「まだまだこれからよ、鉄クズ野郎ッ!」

 土を抉る程強く大地を蹴ってルーデルは突撃する。重い狩猟笛を構えているのを感じさせない程の豪速で距離を詰めた彼女は、クシャルダオラがこちらに向き直った事で一度距離を取って構えていたクリュウの横を通り抜ける。驚く彼を無視し、あえて正面からクシャルダオラに挑みかかった。

 迎え撃つようにクシャルダオラは風ブレスを構える。口の前の空間に風を集束させていき、景色が歪んでいく。だがそれよりも少女の突撃の方が速かった。

「遅いッ!」

 ルーデルはサクラノリコーダー改を横薙ぎに振り抜いた。体全体を使った強烈なスイングは、今まさに風ブレスを撃とうとしていた鋼龍の側頭部に炸裂。直後に風が爆発し、衝撃であらぬ方向に向いていたクシャルダオラの口の中から暴れるように風が吹き荒れた。暴れ狂う風ブレスは竜巻となり、二人と全く違う方向へと流れて行った。

 不発に終わった風ブレス。ルーデルはそのまま続けて連続してサクラノリコーダー改を振るい、頭部を叩き続ける。しかしクシャルダオラもやられているばかりではなく、反撃とばかりに爪で彼女に斬り掛かる。接近戦を挑んでいた彼女はこの攻撃を避ける事はできなかったが、寸前で爪と彼女の間にクリュウが入り込み、盾でガードした。しかし衝撃は逃せず、二人はもつれ合ったまま吹き飛ばされてしまう。体が宙に浮いている一瞬の間にルーデルは閃光玉を放り投げた。炸裂する閃光が鋼龍の目を焼き、更なる追撃の手を封じる事に成功した。それを見届けた瞬間、二人は同時に地面に倒れ込んだ。

「いったぁ……」

「あ、あんた、無茶するわねぇ……」

「君も大概だと思うよ?」

「フン、うっさいわよバァカ」

 起き上がったルーデルはどうやら大丈夫そうだ。悪態をつきながら笑う彼女を見て、クリュウは安堵の息を漏らした。先に立ち上がると彼はそっとルーデルに手を差し伸べる。彼女はそれを見て微笑みながら手を取って立ち上がった。

 少し距離の離れた場所ではクシャルダオラが暴れている。しかしそれも後数秒程だろう。その間に二人は適切な距離にまで移動し、攻守どちらにでも即座に対応できる構えを取った。その瞬間に鋼龍の視界は回復し、すぐに二人を探して動き出す。

 目が合った瞬間、クシャルダオラは唸り声と共にクリュウに向けて風ブレスを放った。クリュウはこれを横に回避したが、今度はクシャルダオラ自身が突撃して来る。これは避けられず、何とか盾で防ぎながら衝撃を逃して対処した。そこへ今度はルーデルが横から襲い掛かるが、鋼龍は大きく後ろへと飛び退いてこれを回避してしまう。

「ちょこまかとッ!」

 苛立つ彼女に向かって、クシャルダオラは空中へと浮かび上がるとそのまま滑るようにしてルーデルの背後へと回り込もうとする。しかしルーデルは即座に反応し、むしろ迎え撃つようにして構えると移動して来た鋼龍に向けてサクラノリコーダー改を振り殴る。しかしその一撃はわずかに逸れてしまい鋼の鎧を掠っただけ。舌打ちし、すぐさまルーデルはバックステップで距離を取る。追撃しようとするクシャルダオラに向かって、クリュウの放った打ち上げタル爆弾Gが飛来したのはその時だった。

 小規模な爆発が二発起き、クシャルダオラは鬱陶しげに振り返る。その視線の先でクリュウが剣を構えて突撃して来るのが見えた。

 接近を阻むようにクシャルダオラは風ブレスを撃ち放つが、クリュウはこれを回避。更に距離を詰めて来る。更なる風ブレスを呼び起こそうと構えた鋼龍だったが、接近する彼の笑みを見て自分が罠にハマった事に気がついた。だが、もう遅い。

「背後ががら空きよッ!」

 クリュウに気を取られている間にクシャルダオラの背後へと回り込んだルーデルの強烈な一撃が炸裂したのは、まさにその時だった。

 荒れ狂う黒雷がサクラノリコーダー改の鐘で眩く迸る。激しい黒い稲妻を纏わせながら、ルーデルは桜色の鐘を力の限り鋼龍に向けて叩き落とした。金属と金属がぶつかる甲高い音と同時に、火花を迸らせながら黒い電撃が鋼の鎧を焼く。衝撃と龍属性のダブル攻撃にさすがのクシャルダオラも悲鳴を上げて仰け反った。そこへ更に接近していたクリュウが煌竜剣(シャイニング・ブレード)を叩き込む。金火竜と銀火竜の素材を使って作られた剣先はアルトリア女王伝説の中では空間をも斬り裂いたと謳われる程の切れ味を持つ。さすがにそれはお伽話だとしても、その切れ味は凄まじく、鋭い一撃は鋼の鎧をも斬り裂いた。

 火花を迸らせながら、与えられた一撃は残念ながら深くはない。それでも鉄の亀裂からは血が流れ、剣先を赤く濡らした。例え一撃一撃は小さくても、少しずつでもダメージを与えている。それが証明されたようで、自然とクリュウの柄を握る手にも力がこもる。

 だが、二人の奮闘を嘲笑うかのようにクシャルダオラは空中へと脱すると、そこから連続して風ブレスを放った。こちらの攻撃が届かない遠距離からのアウトレンジ攻撃。通常の風ブレスから滞空放射型の二種類を使い分け、更に風を呼び起こしそれらは竜巻となって二人を襲う。

 こちらの攻撃範囲外からの一方的な攻撃の嵐。二人は防戦一方となった。クリュウも負けじと打ち上げタル爆弾Gを放つが、それこそ風で方向を変えられて全て不発に終わる。

 攻撃手段を失い、苛立つクリュウ。そんな彼の様子を見て、ルーデルが走り出した。

「イチかバチか……ッ!」

 サクラノリコーダー改を構えながら、怒涛の勢いで突撃するルーデル。移動速度強化をしていたとしても、その速度は並大抵のスピードではない。地面を蹴り、まるで翔んでいるかのように可憐に、力強く、そして疾く。

 クシャルダオラは彼女の接近に何か嫌なものを感じ、風ブレスで応戦するが、彼女はそれを華麗なステップで全て避け切る。そして――彼女は翔んだ。

「な……ッ!?」

 驚くクリュウの前で、ルーデルは翔び上がった。まるで、翼を得たかのように、美しく天空へと舞い踊った。

 実際は至極単純だった。構えたサクラノリコーダー改を叩き落とすように地面に炸裂させ、軸として固定すると同時にジャンプ。棒高跳びの要領で高くジャンプしたのだ。そしてそのままサクラノリコーダー改を空中で構え直すと、驚くクシャルダオラの顔面に向かって――

「でぇりゃあああああぁぁぁぁぁッ!」

 ――強烈無比の一撃を叩き込んだ。

 激しい衝撃と迸る黒雷を直接頭部に受け、クシャルダオラは悲鳴を上げてバランスを崩すと、そのまま地面へと落ちた。

 自らの一撃で見事鋼龍を撃墜してみせた悪魔のサイレン、ルーデル・シュトゥーカ。思わず空中で拳を握り締めた――直後、彼女は風で吹き飛ばされた。

 墜落寸前、クシャルダオラは怒りの反撃とばかりに風ブレスを放った。怒りを込めた強烈な風は空中であるが故に、実際には何の飛行能力も持たない為に回避行動すら取れない少女に炸裂した。

 全身を斬り刻まれるかのような風の刃の連続攻撃。そしてそのまま吹き飛ばされたルーデルは地面に倒れる。ぐったりとしたまま動かない彼女の姿に、クリュウが慌てて駆け寄る。

「ルーデルッ!」

 倒れた彼女を抱き起こすと、全身にかなりのダメージを負っている事がすぐにわかった。苦しげに顔を歪めながらも、それでも強気に笑ってみせる悪魔のサイレン。

「……あははは、ミスっちゃったなぁ」

「無茶して……ッ」

「それは、お互い様でしょ……」

 苦笑を浮かべるルーデルだったが、その表情が凍りつく。それを見て慌てて振り返った彼の視線の先で、鋼龍が再び龍の風を纏いながら天空へと浮かび上がる。黒い風と白い風、二つの風を纏いながら曇天の空へと舞い上がる鋼鉄の龍。その口元からは白い息が怨念のように漏れ出し、纏う気配は怒髪天。究極の怒りを纏いながら天空へと降臨した古の龍の姿に、クリュウは言葉を失った。

「……まだ、倒れないのか」

 悔しげにつぶやく彼の耳元で、ルーデルが小さな声でつぶやく。

「……さっさと私を置いて逃げなさい。一緒に死ぬわよ?」

「バカッ! 君を置いて逃げられる訳ないでしょッ!」

「バカはどっちよ。ここであんたが死んだら、フィーちゃんが悲しむじゃない」

「それは君も同じだよッ! お前が死んたら、それだってフィーリアは悲しむッ!」

「……二人死んだら、フィーちゃん泣いちゃうわね」

 本当は彼だけでも逃したいが、全身に負ったダメージは今すぐに体を動かす事を阻んでいた。彼を突き飛ばす事もできず、ただ彼の腕の中で無様に倒れているだけ。このままではダメだと頭ではわかっていても、どうする事もできなかった。

 そしてそれはクリュウも同じだった。今なら自分一人だけなら助かるかもしれない。だがそんな選択は彼の選択肢の中にはない。ルーデルと一緒に逃げるという選択肢しか、彼には存在しない。だがそれは実行不可能なコマンドだ。彼女を抱いて逃げたとしても、怒り状態の鋼龍の追撃を逃げる事など不可能。

 ただ、二人一緒に死の執行を待つだけ。それが、今の二人の結末だった。

 漏れる白い息が一度出た後、再び鋼龍の口の中に消えていく。更に周りの風が集まっていき、空間が歪む。強烈な風ブレスを撃ち放つ為のチャージを行っている証拠だ。

 力なく自分の腕の中で倒れる少女の温もりを感じながら、少年は必死に願った。

 神なんて信じていないし、奇跡なんてそうそう起こるものではない。むしろ今まで自分の危機にルフィールとシャルルが、そしてルーデルやエリーゼ、レンが助けに来てくれた。二度の奇跡が起きている、それだけでも異常なのだ。

 なのに、自分はバカバカしくも願っている、祈っている。

 三度目の奇跡が起こる事を。

 自分が助かりたいなんて、そんなおこがましい事は願ってはいない。

 ただ、今自分の腕の中で倒れている一人の少女の命を救うだけの、そんな大奇跡が起きてくれればいい。

 自分はどうなっても構わない。でも彼女だけは生き残って欲しい。自分のわがままに付き合ってくれた勇気ある彼女に――自分なんかを好いてくれる、可愛らしい女の子に。

「くっそおおおおおぉぉぉぉぉッ!」

 クリュウの雄叫びを合図にするかのように、鋼龍は更に高度を上げ、首をもたげる。

 もはや、数秒後には二人の命は風の絶望によって吹き飛ばされる――はずだった。

 彼は知らない、東言葉にはこんな諺がある事を。

 

 ――二度あることは三度ある、と。

 

 突如、眩い閃光と激しい爆発に二人の体は吹き飛ばされた。咄嗟にクリュウは彼女の体を抱き締めた。全身を襲う風に、一瞬は死を覚悟した。だがそれは想像していたよりもずっと弱い。というよりも、意志の感じられない風だった。まるで、何かの爆発に生じた爆風。そんな風だった。

 更に凄まじい爆音の連続が耳にけたたましい程響いた。思わず閉じていた瞳を開くと、そこには衝撃の光景が広がっていた。

 

 ――空に、無数の花が咲き誇っていた。

 

 空で突如至る所で爆発が起き、その火炎と破片がまるで花のように空に咲き誇っていた。上空で炸裂する爆発に吹き飛ばされないよう体を固定しながら、クリュウと、そしてルーデルはその不思議な光景を呆然を見上げていた。

 そして、無数の爆発の華が鋼龍の姿を消す。その瞬間、爆音は収まった。

 一瞬の沈黙。何が起きたかわからず混乱する二人は、互いの顔をゆっくりと見合った。

「一体、何がどうなって……」

「わ、私にもわかんないわよ……」

 その時、鋼龍の怒号が辺りに響き渡った。慌てて空を見上げると、煙を吹き飛ばし、鋼龍が姿を現した。全身に火薬を被ったせいか、炎を纏っている。その姿は恐ろしくもどこか美しく、二人は思わず見とれてしまった。

 だがそれも一瞬の事。すぐに風が炎を消し去った。あれだけの爆発だったというのに、クシャルダオラは無傷だったらしい。

 そう二人が判断した途端、突如遥か遠方から凄まじい砲音の連続が響いてきた。驚いてその音の元を探すと、それはイージス村の沖合の方からだった。良く見ると、水平線上に無数の船が浮かんでいるのが見えた。遠すぎてハッキリは見えないが、無数の船が次々に大砲を撃っている事がわかった。それらから撃ち出された砲弾が、今まさにクシャルダオラを襲っているのだ。

「……な、何がどうなってんのよ。あれ、どっかの国の艦隊? それが、何でクシャルダオラを撃ってんのよ」

 訳がわからないとばかりに混乱する彼女の口から漏れた言葉に、同じく困惑していたクリュウは状況を悟ると、思わず小さく笑みを浮かべた。

「そっか……、来てくれたんだ」

「はぁ? 何言ってんのよ。あんた、何か知ってるの?」

「君もたぶん、よく知っている娘だと思うよ」

 首を傾げ、訝しがる彼女の視線を受けながら、少年は嬉しさに満面の笑みを浮かべながら続ける。

「この世の中に、僕なんかの為に艦隊を率いて助けに来てくれるのは、一人しかいないよ」

 

 砲音と怒号が飛び交う甲板には、無数の兵士が今まさに激しい訓練の成果を見せるかのように一糸乱れぬ動きで戦闘を行っている。

 巨大な戦艦に乗る兵士の数は一〇〇〇人を超え、更に周りには大小様々な友軍艦が無数に展開している。この作戦に参加する将兵の数は、それこそ巨大都市の人口に匹敵する。

 それらの兵士達を束ね、今まさに最強の鋼の龍王に戦いを挑む長。

 全身を凛々しい漆黒の軍服で身に纏い、美しい黒髪を砲風に靡かせながら指示を出し続ける少女こそが、この大艦隊を率いている司令長官だ。

 全艦のマストには翻るのは横長の薄灰地に白の十字、その上から黒の十字が重ねられた、通称《鉄十字(アイアンクロス)》と呼ばれるその旗は、中央大陸の軍事大国――エルバーフェルド帝国の国旗。

 そう、彼らはエルバーフェルド海軍所属の軍人達。イージス村沖合に展開する艦隊は、エルバーフェルド帝国国防海軍の軍艦で編成された艦隊。

 エルバーフェルド国防海軍。西竜洋諸国に属し、中央大陸国家の中では最強と謳われる軍事国家エルバーフェルド帝国の海を守る軍隊。その兵器の質、兵士の練度どちらをとっても他の西竜洋諸国とは比較にならない程強力な軍隊である。

 現在この海域に展開しているエルバーフェルド国防海軍の艦隊は、その中でも主力に位置づけられる部隊で編成された精鋭部隊であった。

 それら最強の精鋭部隊をわざわざこんな片田舎まで率い、そして鋼龍クシャルダオラに戦いを挑んでいる少女。

 彼の周りに集まる恋姫達と同様、彼に心を奪われた恋する乙女。奪われたのは心だけではない、愛しの彼には自らの初めての唇も奪われた。

 守りたい、愛しい彼。

 彼の為に、彼女はやって来た。自らについて来る無数の信頼できる部下を従え、西竜洋諸国が恐れ慄く最新鋭の軍艦、兵士と共に、彼女は助けに来たのだ。

 轟く怒号と砲声の中、少女は笑みを浮かべながら叫んだ。

「絶対に守ってみせる、死なせないんだから――クリュウ・ルナリーフッ!」

 少女提督――エルバーフェルド国防海軍総司令官、カレン・デーニッツ元帥の聖戦が始まった瞬間だった。


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