モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第220話 少年の決意と少女達の想い 別れの朝に交わす約束

 クリュウの案内を受けながらうまく鋼龍クシャルダオラから逃げ延びた四人はそのまま避難壕へと撤退した。避難壕への入口は数ヶ所あるが、この村で生まれ育ったクリュウはその全ての位置を熟知しており、その中で最も近い入口から入った。

 洞窟の中を進んでいくと、全ての入口は同じ地下にある少し広めな空間へと繋がっている。そこが村民が避難している場所だ。この空間には村人全員が収容できるだけの広さがあり、すでに第二次避難隊で脱出するはずだった村民が大勢ここに集まっていた。

 ランプの明かりが無数に照らす薄暗いこの空間では、人々が不安と恐怖に耐えながら厄災が過ぎ去る事を待っていた。そんな中、怖くて震える子供達を励まし続ける少女がいた。

「大丈夫よ。きっとクリュウがあんな奴追っ払ってくれるから」

 そう言って努めて笑顔を振りまくのは村唯一の酒場の看板娘エレナだ。怖がる子供達に洞窟の中の調理設備で作った簡単なお菓子を振るまいながら励ます彼女の活躍もあって、子供達の不安は少しずつ解けていた。

 ここにいるのは外部から逃げて来た人も大勢いるが、それでも大多数はこの村で生まれ育った者達ばかり。そしてその人達は皆クリュウの事を子供の頃から良く知っている者達ばかりだ。彼がこれまで積み重ねて来た功績もあって、皆心から彼がこの窮地を救ってくれると信じていた。

 子供達が笑顔を取り戻したのを見て、エレナはその場を離れる。次に向かったのは、意外な者達の場所だった。

「調子はどう?」

 エレナが声を掛けたのは、左腕にギプスをつけて安静にしている少女。オレンジ色の可愛らしいツインテールに同色の可愛らしい瞳が特徴の少女は全身を大猪の皮とコンガの毛や桃毛獣の毛で縫われた機能性と耐久性に優れた桃色の防具、コンガシリーズを纏った彼女の名はシャルル・ルクレール。

「問題ありません。この人のモンスター並みの回復力の高さなら明日にはピンピンしてるでしょう」

 そんな彼女に寄り添いながらエレナの問いに答えるのは全身をオオツノアゲハとドスヘラクレスの素材を使い、蝶をモチーフにして作られた黄金色を主体に赤や青など鮮やかな色合いで彩られた軽量ながらの機能性に特化したパピメルシリーズを纏った少女。二色の瞳を持つ彼女の名はルフィール・ケーニッヒ。

 二人共クリュウがかつてドンドルマのハンター養成訓練学校に在籍していた際の後輩であり、今回村の窮地を知って駆けつけてくれた者達だ。先程までクリュウと共にクシャルダオラと戦ってくれていたのだが、シャルルが負傷した為にこの避難壕に避難して来ていた。

 以前クリュウが学生時代の話をしてくれた際に彼女達の事を話してくれていた為、エレナは警戒する事なく二人を迎え入れ、リリアと共にシャルルの手当てを行った。ルフィールの言う通り、シャルルの体はモンスター並みに頑丈且つ回復力に優れており、リリアの特効薬の効果もあって見る見るうちに回復していた。

「そう、良かった」

 シャルルが元気そうなのを見て安堵するエレナ。そんな彼女を見て、ルフィールが「ところで」と口火を開く。

「あなたの名前はエレナ・フェルノさんでしたよね?」

「えぇ、そうよ」

「……先輩の幼なじみの、ですか?」

「幼なじみっていうか、まぁ腐れ縁みたいなもんよ。子供の頃からずっと一緒に育って来た、姉弟みたいなもんよ」

 照れながら答えるエレナの返答に、ルフィールは表情を消しながら「そうですか」と事務的に答える。一方のシャルルは「へぇ、あんたが兄者がよく言ってた幼なじみっすかぁ」と相手が年上だというのに全く敬う様子もない。

「へ、へぇ。あいつ、私の事どういう風に説明してたのかしら?」

 興味ない風に装ってはいるが、その実は興味津々というのが滲み出ているかのようなエレナの反応に、ルフィールの表情が険しいものに変わる。乙女の感でわかる――彼女も自分と同じ想いをクリュウに抱いているのだと。

 一方のシャルルは全く彼女のそんな反応に気づいている様子はない。純粋に「うーん」と記憶の中の彼の話の中での彼女の印象を思い出す。

「……ものすごく粗暴で気が短い」

「――バカクリュウ、戻って来たらぶん殴ってやるわ」

 猛烈な怒気を噴出しながら拳を震わせるエレナ。その修羅の如き迫力にはさすがのルフィールも息を呑んだ。これがクリュウが語っていた狂幼馴染(バーサーカー)の真の姿だというのか。

 これまた彼女の怒気にも気づいていないシャルル。クリュウをどう八つ裂きにしてやろうか考えるエレナに向かって「でも――」と言葉を続ける。

「――本当はすごく優しくて、料理がうまくて気遣いができる、自慢の幼なじみって言ってたっすよ」

 にこやかに言う彼女の台詞に、エレナから噴出していた怒気が霧散する。途端に顔を真っ赤に染めて「な、何よそれ。バッカじゃないのッ?」と怒りながら二人に背を向ける。その際の彼女の表情は先程までの修羅の形相から一転して幸せに満ちた嬉しくて堪らないといった満面の笑みだった。

 そんな彼女の嬉々とする背中を、不機嫌そうにルフィールは見詰める。

 ――先輩と十年以上一緒にいる人。

 自分と彼との思い出は学生時代の半年程と、つい先日村に訪れた際の狩りの時間も含めてのわずか数日程度。その日々は決して長いとは言えない。自分にとって彼は大切な存在だが、一緒に過ごしていた時間は多くはない。だが目の前のこの人は彼の幼なじみで、子供の頃からずっと彼と一緒にいる。共に過ごした日々で言えば到底敵うような相手ではない。何より、十年以上も彼と一緒にいる――こんな羨ましい事はない。

 彼にとって、このエレナ・フェルノという人はかけがえの無い唯一無二の幼なじみだ。じゃあ、自分は彼にとっては、一体どんな存在なのだろうか……

「あ、お兄ちゃんだぁッ!」

 そんなに広い空間ではない洞窟内に嬉々として響いたのはリリアの声。その声にこの場にいた全員が入口の方を見ると――

「良かった、みんな無事だね……」

 疲れ切った様子ながらも、皆の無事な姿を見て心から安堵した表情を浮かべたクリュウの姿があった。その背後には同じく疲労が蓄積した様子のルーデル、エリーゼ、レンの姿もある。

「ちょッ!? あ、あんた怪我してんじゃないッ!」

 頭を軽く切った為に血を流しているクリュウを見てエレナが悲鳴にも似た驚きの声を上げる。ルフィールとシャルルもそれを見て三人は慌てて彼に駆け寄った。

「だ、大丈夫なんすか?」

「は、早く手当てをしないと……ッ」

 慌てふためく後輩二人に「大丈夫だよ」と心配を掛けないように笑顔を振る舞うクリュウだったが「かっこつけてんじゃないわよッ。さっさとこっち来なさいッ」と有無を言わせずエレナが強引に連行する。ルーデルも付き添った為、残されたのはルフィール、シャルル、エリーゼ、レンの四人。

「……同窓会でも催しましょうか?」

「あんたの冗談は笑えないのよ」

「でもまぁ、懐かしい面子っすねぇ」

 ルフィール、シャルル、エリーゼは言わずと知れたクリュウの後輩であり、ドンドルマハンター養成訓練学校の学友同士。同じキャンパスで同じ時を過ごした者同士だ。特にルフィールとシャルルは同期であり、シャルルとエリーゼは同じチームを組んでいた事もある。それ以前に一方は様々な問題を起こす側、もう一方はそれを解決する側だった為、ある種の因縁じみたものがある者同士でもある。

 同じ時を過ごした者同士、何だかんだで別段互いを嫌い合っている訳ではない為、昔の話や現状の話で盛り上がる。一人部外者となってしまうレンも、すでに知り合いのシャルルがルフィールに紹介してしっかり輪の中に入れてあげている。

 そんな後輩達の姿を、エレナとリリアに手当てを受けながらクリュウは微笑ましげに見詰めていた。

「なぁに悟りを開いたくたばり損ないのジジィみたいな顔してんのよ」

 呆れるルーデルの言葉に「相変わらず口が悪いね、ルーデルは」苦笑を浮かべるクリュウ。そんな彼に「ほら動かないで」と叱りながら頭に包帯を巻いていくエレナ。

「はい、お兄ちゃん」

 笑みを浮かべながらリリアが彼に手渡したのは元気ドリンコ。即効性の高い栄養剤であり、クリュウは礼を言ってそれを一気に飲み干した。

「んなもんだけだと体壊すわよ。何か食べるでしょ? すぐ適当なの作って来てあげるから」

 そう言って彼の手当てを終えたエレナは一人調理場へと姿を消した。リリアもエリエに呼ばれて子供達の輪の中へと入っていく。すると、その場に残されたのはクリュウとルーデルの二人。ルーデルは無言で彼の隣の席に腰掛けた。

「はぁ、疲れたわぁ」

「お疲れ様」

「ほんとよぉ、私のウェイト高過ぎじゃない?」

「ご、ごめんね。頼りっきりになっちゃって……」

「……まぁ、私が役立てるよう色々と用意した結果だけどねぇ」

「ほんと、ルーデルのおかげで助かったよ。やっぱりルーデルは頼りになるね」

「‥…ふ、ふん。何当たり前の事言ってんのよ」

 鼻を鳴らしながらそっぽを向くルーデルの横顔を見てクリュウは苦笑を浮かべた。そのままそっと彼女の手の甲に自らの手を重ねる。驚いて振り返る彼女に向かって、クリュウは改めて「本当にありがとう」と礼を述べた。

「な、何よ改まって……」

「いや、本当にルーデルが来てくれて嬉しいよ。やっぱり君は頼りになる」

「……な、何よそれ。それって、つまり……私だから?」

 見る見るうちに顔を真っ赤に染めていくルーデル。それを隠す為に手で両頬を押さえながら目を泳がせる。小声で「だ、ダメよ。フィーちゃんに何て言えばいいの……?」とつぶやく彼女に向かってクリュウは笑みを浮かべたまま頷く。

「ルーデルの狩猟笛、サクラノリコーダー改だっけ? これのおかげで戦況はずいぶん好転した。風の鎧が無効化できたおかげでこっちも攻めやすくなった。他にもスタミナとか気絶無効とか、何より武器自体の龍属性も大きい。武器の選択としてはこれ以上打ってつけの武器はないよ」

 そう言って彼が褒め称えたのは彼女の武器の選択及び、サクラノリコーダー改というまさに対鋼龍戦用とも言うべき最良の武器。ルーデルがこの武器を持って戦線に加わってくれたおかげで、後半はかなり善戦できたと思う。

 彼女の横に置かれたサクラノリコーダー改を撫でながら嬉々とする彼を見て、自分がとんだ勘違いをしていた事に気づいたルーデル。先程とは違った意味で顔を真っ赤に染めると、キッと彼を睨みつけながらサクラノリコーダー改を奪い取る。

「る、ルーデル?」

「馬鹿(ヴァーンジン)ッ!」

 驚くクリュウを突き飛ばし、ルーデルは怒りながら立ち去ってしまう。そんな彼女と入れ替わりでやって来たのはルフィールだ。

「……何をしでかしたんですか、先輩?」

 ジト目でこちらを見ながら呆れ返る後輩の問いにクリュウは「いや、僕は別に何もしてないと思うけど……」と困惑している様子。そんな先輩の無自覚さは嫌という程痛感しているルフィールは深いため息を零しながら彼の隣に腰掛けた。

「まぁ、先輩らしいですよね……」

「どういう意味?」

「……別に、深い意味はありません」

 改めて、なぜ自分はこんな最高クラスに厄介な相手を好きになってしまったのか。鈍感道を極めし乙女心がまるでわからない最強の鈍感にして、尚且つ無自覚な優しさから彼を好く女子は数多い。どう考えても面倒極まりない相手だ。

「……でも、好きになっちゃったんだもん」

 ぷくぅと頬を膨らませるルフィールの横顔をクリュウは首を傾げながら見詰める。それからエリーゼやレンと楽しげに話しているシャルルの方を見やる。

「シャルル、どうやら大丈夫っぽいみたいだね」

「大した怪我ではありません。あの人の常軌を逸した治癒力があれば明日にはまたハンマーをぶん回せるようになりますよ」

「ルフィールも、怪我は大丈夫?」

「ボクは問題ありません。それよりも先輩の方こそ平気なのですか?」

「僕も平気だよ。自分でも大した怪我じゃなくてビックリだよ」

「古龍相手に一日中戦ってその程度の怪我で済むなど、奇跡としか言えませんね」

「まったくだよ」

 優しげに微笑む彼の姿を見てルフィールは頬を赤らめながら彼から視線を外す。そこへ今度はシャルルがやって来た。元気な右手を振り上げて「オっす、兄者ッ」と元気良く挨拶するシャルルに対しクリュウも「元気そうだな」と笑顔で出迎える。

「道具屋の娘っ子の薬のおかげで痛みもほとんど消えたっす」

「リリアの調合する薬は本当にすごいもんね」

 そう言いながらクリュウはエリエや他の子供達と一緒にいるリリアの方を見やる。彼の視線に気づいたリリアが元気に手を振ると、クリュウも小さく手を振って返す。そんな彼の姿を見てシャルルは一言。

「兄者って、やっぱりロリコンなんすか?」

「どうしてそうなるッ!?」

 クリュウのツッコミの声は、狭い洞窟の中に良く響いた……

 

 エレナがサンドイッチを作って戻って来たのはそれからしばらくして。彼の分だけではなくそれ以外の者達の分もしっかり用意する所はさすがと言える。頭を冷やしたルーデルも戻って来て、エレナと六人のハンターが一同に集う。

「それで、これからどうする訳?」

 レンに砂糖をたっぷり入れた紅茶を手渡したエレナの問いは、この場にいる者達全員の問いを代弁するものだった。こればっかりは外部の人間であるルフィールやエリーゼ達は何も言えない。この場には第二次避難隊の隊長、漁業組合組合長バルドの妻がいるが、実質この避難隊を守るハンター達が方針を決定する。そして、この場にいるハンター達にとって自然とその総大将となるのはクリュウだ。だから自然と、その場にいた全員の視線が彼へと集中する。

 エレナの問いに対し、クリュウは紅茶を一口飲んで喉を潤わせてから自らがずっと考えていた方針を発する。

「――明日、夜明け前に第二次避難隊は村を脱出する」

 それは、ある意味全員が予想していた事だった。このまま立ち去るかどうかわからないクシャルダオラを待っていては状況は悪化するばかりだ。まず備蓄の食糧にも限界があるし、人々の精神的負担も大きい。それにこちらに向かっているレヴェリの救助隊にも危険が伴ってしまう。これらを解決する為には、早々に村を放棄して脱出するのが最善の策であった。

 予想済みのクリュウの判断に、誰も反対する者はいなかった。だが、次に彼が発した言葉は納得しようとしていた皆の心を大きく揺るがす事となった。

「避難隊の護衛隊長はルーデルに任せる。ルフィール、シャルル、エリーゼ、レンと共に避難隊を率いて村を脱出して――僕は村に留まって、クシャルダオラに最後まで徹底抗戦する」

 クリュウの言葉に、その場にいた全員が驚愕した。誰もが避難隊を率いるのはクリュウであり、彼も含めての全員脱出を考えていたからだ。だが彼から発せられたのは自らは単独で村に残ってクシャルダオラとの戦いを継続するという、信じられないものだった。

「自殺行為ですッ!」

 悲鳴にも似た声で叫んだはのはルフィールだ。クリュウ単独でクシャルダオラと戦うなど、勝ち目など全くない事を彼女は知っている。彼女だけではない、ここにいる面々は皆彼が単独で戦っている最中の窮地に駆けつけた者ばかりだ。

「何考えてるっすかッ!? バカっすか兄者はッ!?」

「……シャルルにバカって言われちゃ、おしまいだね」

 笑って誤魔化すクリュウに対し「笑い事じゃないっすッ!」と怒鳴るシャルル。彼女の怒号に対してクリュウは表情を引き締める。

「冗談とかで言ってる訳じゃないよ。僕は本気だ」

「本気だからたちが悪いのよッ! 何でそんなバカな事考えてる訳ッ!?」

 幼なじみの狂気すら感じられるような決断に半狂乱になりながらエレナが問いただす。そんな彼女に対し、クリュウは落ち着きを払った声で理由を述べた。

「避難隊を無事に村から離すには、どうしてもクシャルダオラをこの村に留めておく必要がある。その為には、誰かが残って奴を挑発し続けなくちゃいけない」

「確かに、私もその考えには賛成よ。最も効率良く、且つ安全に避難を行える方法ね」

「エリーゼさんッ!?」

「――でも、それがイコールあんたが負わないといけない責務って訳じゃないでしょ?」

 エリーゼの問いかけに対し「僕はこの村に生まれ育った人間だ。君達は違うでしょ?」と答える。だがそれは決して答えとして相応しいものではない。

「別に、君達が外部の人間だからって差別してる訳じゃないよ」

 クリュウの説明に明らかに不満そうな表情を見せる五人。クリュウは苦笑を浮かべながら「これじゃ、ダメかな?」と問いかける。

「兄者が残るならシャルも残るっすッ!」

「そうです。先輩一人村に残して撤退するなど、看過できません」

 予想通りと言うべきか、シャルルとルフィールが自らも残ると言い出す。するとレンも「私も残りますッ」と意気込み、そんな彼女の頭を小突きながら「あんたが残るんじゃ、私も残らないといけなくなるじゃない」と叱責しながらも、自らもさりげなく残ると意思表示するエリーゼ。

 皆の優しさにクリュウは思わず泣きそうになったが、ここは心を鬼にして彼女達の助けを断らなければならない。そう決意した時だった。

「――それじゃ、誰も避難隊の護衛に付かないじゃない」

 そう言って血気盛んになる皆を制したのはルーデルだった。皆の視線が自らの集中するのを見て、腕を組みながら言葉を続ける。

「今の私達の最大目標は、このイージス村に残っている村人を全員無事にレヴェリまで送り届ける事よ。鋼龍クシャルダオラを倒す事じゃない。だとすれば、何を最優先にすべきかは、決まっているでしょ?」

 ルーデルの言う通りだ。これはクシャルダオラを討伐する為の戦いではない。村人を安全にレヴェリの地へと逃がす為の戦いだ。相手を倒すのではなく、相手を引き付ける戦い。なのに、その戦いに避難隊の護衛要員全てを投入するのでは本末転倒だ。道中はランポスなどの小型モンスターに襲われる事も想定される。非戦闘員である村人からすれば、ランポスもまた恐ろしいモンスターなのだ。

「クリュウは、村人を逃がす為に自ら囮になる道を選んだ。そして、最重要任務である避難隊の護衛をあんた達に任せるって言ってるの。この意味、こいつの事を良く知っているあんた達ならわかるわよね?」

 ルーデルの問いに、誰も言葉を発する事はなかった。

 だって、みんな知っているから――彼が、自分達を信頼しているからこそ村人の護衛を任せているという事くらい。

「……わかってます。今のボクではクシャルダオラとの戦いでは足手纏いにしかならない事くらい」

 悔しげに、小さな声でつぶやくのはルフィール。拳を硬く握り締め、震わせながら語る彼女の姿は見ている身としては実に痛々しい。それでも、彼女はメガネの奥の二色の瞳を震わせながら、自らの想いを吐露する。

「だとしても、先輩一人を残す事はやっぱりできません……ッ」

 危険な戦いになる。それは誰もが知っている。その戦いに、彼をたった一人残す事は、やはりどうしても納得ができなかった。それは彼女だけではなく、シャルルやレン、エリーゼだって同じ事。

 心配する皆の想いを見て、クリュウは改めて「大丈夫」と言わなければと腰を浮かせた。だがそれを制して先にこう宣言する者がいた。

「安心しなさい。こいつ一人じゃないわ――私も残る」

 衝撃の爆弾発言をしたのは、ルーデルだった。任せなさいとばかりに自信満々に宣言してみせる彼女の言葉に、ルフィールは「あなた、先程自分が言っていた事と今の言動、矛盾している事に気づきませんか?」と牽制する。涙を拭い、幾分か鋭くなった瞳で非難する彼女の問いに、ルーデルは首を横に振った。

「別に矛盾はしてないわ。避難隊の護衛はあなた達四人に任せる。そして私とクリュウでクシャルダオラを引き付ける。これで問題ないわよね?」

「自分勝手っすッ! お前が残るならシャルだって残るっすッ!」

 やっと護衛役を引き受ける事に納得しかかっていたシャルルが腰を浮かせて猛抗議するのも仕方がない。ルーデルが言っている事は確かに無茶苦茶だ。自分達を差し置いて、なぜ彼女がクリュウと組むのか。納得ができなかった。

 だが、そんな中一人だけ冷静な者がいた。

「相変わらずあんたはバカね」

 エリーゼの言葉に、シャルルがいつになく瞳を鋭くさせて振り返った。

「テメェ、何が言いたいっすか……?」

 低い声で問いかけるシャルルに対し、エリーゼは閉じていた瞳をゆっくりと開く。その視線が捉えたのは、ルーデルの背負う武器。

「この撤退作戦を確実に成功させる為には、この編成がベストだって事よ」

「ベスト? それってどういう意味よ?」

 エレナの問いにルーデルは自らの武器、サクラノリコーダー改を叩く。

「これは奴の龍風圧を無効化できる音色を備えた、しかも奴が苦手とする龍属性の武器。私が居る限り、奴に龍風圧は纏わせない。龍風圧さえなければ、状況はかなり楽になるんじゃない?」

 そう、ルーデルの装備は対鋼龍撃滅装備。クシャルダオラに挑む事を前提とした装備だ。彼女の吹く音色はクシャルダオラの風の鎧を無効化できる。風の鎧はクリュウ達が最も苦戦していた奴の鎧。それがあるのとないのでは戦闘の難易度は大きく変化する。

「つまり、人数が必要な護衛任務には私達が。市街戦において最も重要な地の利を活かせるクリュウと、クシャルダオラに対して最良の武具を持つこの女がクシャルダオラと戦う。これが最も効率的で、ベストな編成だって言ってるのよ」

 エリーゼの言葉にルーデルはその通りと言いたげに首を縦に振った。

「この撤退作戦には、村人の命が懸かっている。失敗は許されない。だとすれば、最善の方法で挑むべき。私は、これが最善だと考えてる」

 ルーデルの言葉に、腰を浮かせて抗議していたルフィールとシャルルは静かに腰を落とした。二人共ルーデルの実力はレヴェリに居た頃に見ている。それに加えて武具の選択がクシャルダオラに対して特化しているのだとすれば、彼女が残るのは当然と言えるだろう。風の鎧に苦戦を強いられた二人だからこそ、あれの有無がどれだけ戦況を左右するかを痛感している。それを無力化できる力を彼女が持っているなら、クリュウを任せられるのは彼女しかいない。

「わかりました。先輩の事は、あなたにお任せします」

「納得はしてねぇっすけど、わかったっす」

 二人は渋々といった様子でルーデルの申し出を受諾した。それを見て満足気にルーデルは頷くと、呆然と事の成り行きを見守っていたクリュウに振り返る。

「という訳で、あんたと私の二人でクシャルダオラに殴り込みよ。いいわね?」

「……いいの?」

 彼女に決意を知って、クリュウとしては断れなかった。むしろ彼女が居てくれる方がクシャルダオラとの戦いは確実に好転する。だとしても、危険な戦いに彼女を巻き込む事になる。その決意があるか、クリュウはそう尋ねていた。だがそれに対するルーデルの答えは、もう決まっていた。

「あんたはこれまでずっと、私の唯一無二の親友を守ってくれてきた――今度は私があんたを守ってやるわよ」

 そう言ってルーデルはニッコリと頼もしい笑みを浮かべた。その言葉と笑みだけで彼女の強い決意を悟ったクリュウはそれ以上何も言う事はなかった。

「じゃあ、避難隊の護衛は私達でやるわよ。人数は揃ってるけど、いずれも護衛任務には適さない武器だから、陣形(フォーメーション)を考えないと……」

 早速エリーゼがルフィール達と共に作戦会議を始める。彼女の言う通り、彼女達は決して護衛任務に適した編成ではない。エリーゼのガンランスは機動力に欠け、シャルルのハンマーは一撃必殺系の武器の為に対多戦闘には適さず、残る二人は接近戦を不得手とするガンナー。だからこそ陣形(フォーメーション)が、ひいては事前の打ち合わせが重要となる。

 まだ言いたい事はあるようだったが、ルフィールとシャルルも事の重要性は重々承知しているようで、渋々といった具合でエリーゼやレンと共に作戦会議に参加する。残されたのはクリュウ、ルーデル、そしてエレナの三人だ。

「ったく、あんたは本当に無茶ばっかりするわね……」

 そう言いながらため息を零すエレナに、クリュウは苦笑を浮かべながら「呆れてる?」と尋ねる。

「今更呆れないわよ。そんなの、とっくの昔に通り過ぎてる。私はもう、何も言わないわ。どうせ幼なじみの私が何を言ったって、決意は変わんないんでしょ?」

「……さすがエレナ、何でもお見通しだね」

「何年の付き合いだと思ってんのよ。だから、私はあんたを止めたりしない。あんたがいつも、誰かの為に一生懸命だって事知ってるから。止めたりなんかしないわ――ただ」

 そこで一度言葉を切ると、エレナは顔を伏せた。そして改めてその顔を上げた時、その表情は真剣なものに変わっていた。心の底から切に願う、そんなどこか必死にも見える、そんな表情。

「――絶対、死ぬんじゃないわよ」

 エレナのいつになく真剣な言葉に対し、クリュウは優しく微笑みながら「心配してくれてありがと。でも大丈夫、僕は死なないよ」と答えた。それを聞いてエレナは安堵のため息を零した。

「大丈夫? 今のやりとり、何だか死亡フラグっぽいけど?」

 そんな二人のやりとりを見ていたルーデルはからかうような言い方で二人の間に入って来た。ニヤニヤと笑いながら迫るルーデルに対し「縁起でもない事言わないでよ」とクリュウは苦笑を浮かべる。

「まぁ、私が居る限りあんたは死なせないわよ。悪魔のサイレンの二つ名をナメてもらっちゃ困るわ」

「その二つ名だと、頼りになるんだかならないんだかわかんないね」

「誰が付けたか知らないけど、失礼しちゃうわ」

「的確な二つ名だと思うけど……」

「女の子につけるもんじゃないでしょ?」

 先程まで命懸けの死闘を繰り広げていたとは思えない程、今この瞬間だけはゆったりとした時間が流れている。先程から外が騒がしい気配もないところを見ると、どうやら最後の爆破はどうやらうまくいったようだ。

 最後の作戦が成功した事でようやく本格的に気が緩んだクリュウ。ため息と共に全身に張り詰めていた力を抜くと、その場でぐったりとなってしまう。

「つ、疲れたぁ……」

 短くも、その言葉に彼の奮闘の全てが込められているかのような言葉。そんな彼の姿を見てエレナは小さく笑みを浮かべながら「お疲れ様」と優しく労いの言葉を掛ける。

「まだ勝った訳じゃないけどね。明日も戦いは続くんだから」

「それでも、あんたは今日一日、この村の為に戦った。だから、お疲れ様」

「……失ったものも多いけどね」

 そう言って苦笑を浮かべる彼の瞳は疲労とはまた違うもので濁っていた。それが何であるかなど、戦いを見ていなくてもエレナにだってわかる。あれだけ戦音が激しい戦闘だ。村が完全に無事という事はないだろう。肉体的にも、精神的にも今回の戦いは彼の負担は大きい。

「そういえば、あの三人は今頃どうしてるのかしら」

 傷つく彼の姿を見ていられなくて、反射的に話題を変えるエレナ。話題はイルファ山脈でクシャルダオラに振り切られてしまい、現状行方不明となっているフィーリア、サクラ、シルフィードの安否に関するものだった。

「たぶん、大急ぎで村に大返ししてる所だと思うよ。みんな、無事ならいいんだけど」

「あの三人なら大丈夫よ。あの三人はあれでもこの村が誇る屈指の猛者達なんだから。古龍相手でも遅れを取るような連中じゃないわ」

「そうだよね。みんな、強いから」

 まるで自分の事のように嬉しそうに語る彼を見て、本当に人の為に笑える屈指のお人好しなのだとエレナは改めて彼の優しさに胸が熱くなった。自分の身を顧みない所は問題だが、誰かの為に自分の事のように一生懸命になれる所は、彼の何にも勝る良い所だ。

「まぁ、フィーちゃんやあの二人が居れば私なんて駆けつける必要もなかったでしょうけど」

 自分以外の女の子の話を楽しそうにするクリュウを見て思わず不貞腐れるルーデル。そんな彼女の言葉にクリュウは「そんな事ないよ。ルーデルが来てくれなかったら、未だに風の鎧を突破できず、一方的にこっちが負けてたよ。ほんと、君が来てくれて感謝してる」と彼女を気遣う。

「な、何よ。小っ恥ずかしい事、面と向かって言わないでよね」

 鼻を鳴らしてそっぽを向くルーデルだが、その頬は赤く紅潮し、その口元は嬉しさに柔らかな笑みを浮かべている事を彼は知らない。

「聞き捨てなりませんね」

 背後からの声に驚いて振り返ると、そこにはジト目で仁王立ちするルフィールの姿があった。その隣では「シャルだってがんばったっすよッ!」とシャルルも抗議の声を上げる。

「二人共、護衛の作戦会議は?」

「作戦なんて小難しい事は頭でっかちなエリーゼ担当っすよ。シャルは言われた通りに動くだけなんで関係ないっす」

「……とまぁ、シャルルさんがこんな具合なのでボクもこの人に合わせて動けば問題ありません」

 どうやら作戦会議は早々に切り上げてこちらに来てしまったらしい。二人の背後ではレンと二人で真剣に護衛に関する作戦を練っているエリーゼの姿が。何だか気の毒だが、この二人は良くも悪くも型にはまらないタイプなので、結局は自由に動いてしまうだろう。

「そんな事より、兄者がやけにこの笛女の肩を持つっすねぇ」

 嫌味っぽく言うシャルルの言葉に「別にそんなつもりはないよ」とクリュウは戸惑いながら返す。なぜシャルルが不機嫌なのか疑問に思っている様子。そんな彼に追い打ちを掛けるように今度はルフィールが不満な声を漏らす。

「確かに装備及び実力ではボク達はあの方には大きく劣るでしょう。ですが、学生時代を共に過ごしたボク達を差し置いて、ぽっと出の新参者ばかり贔屓するのは納得いきません」

 相変わらずルフィールの言葉は容赦がなく、そしてトゲがある。だがこんな言い方をすれば彼女に負けず劣らず気が強い彼女は当然反応する訳で……

「新参者とは、ずいぶんな言われようね。学生時代の後輩だかなんだか知らないけど、ケンカを売りたいってなら喜んで買うわよ?」

 結果、ルーデル対ルフィール・シャルルで激しく睨み合う事になってしまう。そんな両陣営の間で慌てるクリュウに対し、今度はエレナがそんな彼を小突く。

「な、何だよエレナ」

「知らない」

 フン、とそっぽを向くエレナ。何を言っても振り返る様子はなく、クリュウの混乱は増すばかりだ。

 そうこうしているうちに、ルーデルとルフィール・シャルルの言い争いは激化。元々直情的なルーデルとシャルルが掴み合いのケンカにまで発展し、さすがのエレナも慌てて止めに入る。クリュウも二人のケンカを止めようと下ろしていた腰を浮かせた時だった。

「ほぉら、あんたらその辺にしときぃな。疲れてる怪我人のクリュウ君にあんまり無理させんの」

 そう言って二人の間に入ったのはアシュアだった。二人からすれば接点のないほとんど他人のような人物の仲裁など耳を貸す事はなかったが、クリュウに負担を強いる事になると気づくとすごすごと争いをやめてしまった。

 気まずそうに違いに背を向けて無言を貫く二人を見てルフィールとエレナがため息を零す。そんな少女達を見て「青春やなぁ」とアシュアも苦笑を浮かべた。

「あの、何かすみません」

「ええって。まぁあんた達が賑やかやと、みんなも暗くならんで済むけど、あんまり騒がれるとなぁ。寝てる小ちゃい子もおすし、程々になぁ」

 時刻は決して遅い訳ではないが、田舎にある村の寝静まりは早い。更にそこに済む子供になるとその就寝時間は更に早くなる。村が窮地だとしても、子供は迫る睡魔に抗う必要はないのだ。

「それとあんたら、後で一人ひとりウチの所においでぇな。道具は少ないけど、バッチシ整備くらいはしたる。どっちの役目も、万全の準備で挑まんとなぁ」

 そう言ってアシュアはにっこりと微笑んだ。彼女が鍛冶師だという事は皆知っている為、それぞれが礼を言って彼女の提案を快く受け入れた。

 アシュアが入った事で皆冷静さを取り戻し、以後は楽しげな雑談に変わる。特にこの場にいる者達は元々は別の場所から集まった者同士。違いの近況を話すだけでも、あっという間の時間が流れていった。そして、

「……先輩?」

 いつの間にか、クリュウが岩壁に腰掛けた状態で眠ってしまっていた。一日中、ずっと鋼龍クシャルダオラと激戦を繰り広げた彼の疲労は表にこそ出さなかったものの相当溜まっていたようだ。皆を心配させまいと無理をしていた彼の優しさを見て、改めて恋姫達は彼の優しさに惚れなおすのであった。

 クリュウを横にすると、それぞれも眠りに入っていく。皆、この異常事態に疲れ果てていたのだ。

 一人、またひとりと寝静まる中、最後まで残っていたのはエレナだった。

 皆ぐっすりと眠っている寝顔を見て、エレナは小さな笑みを浮かべていた。そして、隣ですやすやと眠るクリュウへと視線を送る。

「……ほんと、昔からあんたは無理ばっかりして」

 子供の頃は自分の方が身長だって高かったし、女だてらに山の中を走り回っていた。周りの同世代の子達からは『山猿』『オトコ女』などと揶揄された事もあった。別に嫌われていた訳ではないし、悪口のつもりで言っていた訳ではない。その証拠に今ではそういった事を言っていた者達とは仲良くやってるし、現に女友達の数名も今この中にいる。

 そんな子供時代、弱虫で泣き虫で、ドジだった幼なじみのクリュウを引っ張りまわしていた自分。自分の方がお姉さんだと思い込み、情けない弟を守っている気になっていた。

 でもいつだったか、山の中で迷子になった挙句に自分が足を挫いて動けなくなってしまった時。クリュウは自分の事を背負って、疲労困憊になりながらも何とか村へと連れ帰ってくれた。以後、自分が窮地に陥った時はいつも彼が自分を助けてくれた。

 いつもは弱々しいクセに、いざとなったらかっこいい彼の姿に、いつからドキドキするようになったのか。いつから、自分は彼の言動や行動一つで感情の振り幅が大きく揺れ動くようになったのか。

 詳しい事は、もう覚えていない。でも――気づいたら、好きになっていたのだ。

 あれから十年。彼はまたしても自分達の為に、身を削りながら必死にこの場にいる全員のおそらく人生最大の窮地に挑もうとしている。ハンターではない自分は彼と一緒に戦う事などできず、ただただ彼に守られるだけ。いつの間にか、身長も立場もすっかり逆転してしまっていた。

 いつも無理して、自分がボロボロになりながらも笑って奮闘する彼。こっちはいつもいつも心配させられたし、何度胸の痛みに耐えた事か。それでも、自分のこの痛み以上の辛さを耐えている彼の姿を見ていたから、自分はただただ彼を信じて、彼の帰りを待ち続けた。

 疲れて帰って来る彼に食べてもらおうと、彼から料理を学んだ。今では教えを請うた彼よりも自分の方が料理の腕が上がり、今では酒場を経営できるまでになった。でも根本は変わっていない。おいしい料理を作るのは、いつも彼の為だった。

 本当は彼の傍にいたいし、彼の隣にずっと居たい。でも彼と自分では目指す道が違っている為に、この場にいる他の娘達のように、彼と一緒に戦う事はできない。明日、自分はこの村を脱出する。命懸けの戦いに挑もうとする、彼を置いて。

 こういう時、何もできない自分が嫌で仕方がなかった。幼なじみとして、好きな男の子に対して、自分ができる事が何もない。これほど辛い事は、きっとないだろう。

「クリュウ……」

 眠る彼へとそっと近づく。

 自分にできる事は、確かに実質何もないに等しい。でもだからこそ、これまでと同じように自分には自分にしかできない役目を果たすのだ。

 彼の無事を信じて、ひたすらに祈り続ける。そして、ボロボロになって帰って来る彼の事を抱き締め、腕をふるった最高の料理で彼を出迎える。それが、自分のできる事。幼なじみとして、好きな男の子に対して、自分がこれまでして来た事。そしてこれからもし続ける事。

 だから、私は祈り続ける……

 そっと、彼の擦り傷だらけの頬に、自らの唇を当てる。初めて触れた彼の頬の柔らかさと熱に自らの体が火照るのを感じる。きっと今の自分は、シモフリトマトのように真っ赤になっているだろう。

 名残惜しいが、ゆっくりと唇を離す。

 まだ熱を持つ唇を押さえながら、今の感触、熱をしっかりと胸に刻み込む。そして、明日決戦に挑もうとする彼に向かって、そっとつぶやくのだ。

「――死ぬんじゃないわよ、バカクリュウ」

 

 翌朝、まだ夜も明け切らぬ早朝。第二次避難隊の総勢一〇〇名が動き出した。皆、恐れながら避難壕から次々と姿を現す。誰もがクシャルダオラの奇襲を恐れていたが、そのような兆しはなかった。だがいつまでも安全とは言えない。人々は息を殺しながら崖の下へと集結する。

 バルドの妻が率いて、第二次避難隊はゆっくりとした足取りで村を離れていく。そんな彼らを、クリュウとルーデルは笑顔で見送った。皆、二人の安全を心から願いながら、後ろ髪を引かれる想いで村を離れていく。

 そして、そんな彼らを護衛する四人の狩人もまた、村に残って最後の奮戦を遂げようとする二人との別れの挨拶に集まった。

「それじゃ、みんなの事を頼んだよ」

 そう言って、愛する家族の安全を託すクリュウの言葉に、シャルルは大きく頷いた。

「任せるっす。誰一人、傷つける事なく、必ずレヴェリに連れて行くっすよ」

 自信満々に言い放つシャルルは、元気いっぱいだ。まだ本調子とは言えないものの、彼女なりに彼の期待に応えようと必死なのだろう。無理をする親友の笑顔を横目に、ルフィールも続く。

「安全なルートを選定し、可能な限りモンスターとの交戦は控えるつもりです。それでももし戦となったとしても、必ずや人々を守り抜くと誓います。ボクの文武全てを駆使して、必ずやお守りいたします」

「期待、してるよ」

 クリュウの言葉に、二人はゆっくりと頷いた。そしてクリュウは次にそんな二人の姿を微笑ましげに見詰めていたレンとエリーゼに視線を向ける。

「二人もどうかお願いね」

「任せてくださいッ。私、がんばっちゃいますッ」

 両拳を握り締めて、決意に満ちた表情で言うレン。そんな彼女の頭、レザーライトヘルムをエリーゼは小突く。

「声が大きいわよバカ」

「す、すみませぇん……」

 しょんぼりと落ち込むレンを横目にエリーゼは一歩前に出た。ルフィールやシャルル、自分やレンと同様にアシュアに整備された万全の武具を纏ったクリュウとルーデルに対し、エリーゼはゆっくりと口を開く。

「こっちは安心しなさい。一癖も二癖もある連中だけど、実力は確か。それはあんたが一番良く知ってるでしょ? 絶対、レヴェリに無事に送り届けてみせる」

「ごめんね、部外者の君達にこんな大変な役目を任せちゃって」

「部外者なんて……ッ!」

 心外だとばかりに声を上げるレンを制止し、エリーゼは表情を崩す事なく真剣な眼差しで彼を見詰めながら「次そんな事言ったら、こいつらに代わって私があんらを蹴手繰り倒すわよ」と怒気を秘めた声で言い放つ。

「……みんな危険を承知でこの村に集まって来た。それは誰の為だと思ってんのよ。そんな連中を、二度と部外者なんて呼ぶんじゃないわよ」

「ご、ごめん……」

 自分が言葉を誤った事に気づいたクリュウが慌てて謝ると、エリーゼは苦笑を浮かべる。

「まぁ、こっちは任せておきなさい。それよりもあんた達の方こそ、無理すんじゃないわよ。殿を任せた奴らに死なれたら、こっちも目覚めが悪いからね」

「大丈夫。こっちだって死ぬつもりはないよ。ね? ルーデル」

「当たり前でしょ。私はフィーちゃんの腕の中で死ぬって決めてんのよ。こんなクソ田舎で野垂れ死ぬつもりはさらさらないわ」

 何を当然の事をと言いたげに言い張るルーデルの言葉にエリーゼとクリュウは同時に苦笑を浮かべた。そんな彼にルフィールが近づく。

「先輩。これをどうか」

 そう言って彼女が手渡したのは何かのお守りのようなものだった。クリュウは「これは?」と尋ねると、ルフィールは淡々と答える。

「これは守りの護符です。持っているだけで如何なる厄災をも打ち払うと言われている護符です」

「ちょっとそれ、死の淵から奇跡的に戻って来たと言われてるハンター達皆が持っていたって言われてる伝説の護符じゃないッ!」

 驚くルーデルの言葉に、クリュウがこの護符がとてつもないご利益がある事を悟った。

「これってそんなにすごい物なの?」

「別名【死亡旗粉砕(フラグクラッシャー)】なんて呼ばれてる由緒正しきご利益のある伝説の神社でしか得られない護符ね。「俺、このクエストが終わったら、結婚するんだ」とか言って古龍に挑んだハンターが見事討伐して帰って来た際に持っていた、なんて言われてるわね。たまに行商人とかギルドストアなんかで売られてる事もあるけど、その場合は中間マージンなんかがすごいから、とんでもない高額な品物になってるわ」

 ルーデル同様にたまげたとばかりに驚きながら守りの護符を見詰めるエリーゼ。そんな彼女の言葉に「大した事ありません。たかだか2万4000z程です」

「にま……ッ!」

 それがすさまじい金額だという事は、この場にいる全員がよく知っている。それこそ古龍級のモンスターを数頭討伐してやっと手に入るような金額だ。一介の下位ハンターが早々集められるような金額ではない。

「そんな高額な物、受け取れないよ」

「これは先輩にプレゼントする為に、節約に節約を重ねてようやく手に入った代物です。受け取っていただかねば困ります」

「いや、でも……」

「兄者、どうか受け取ってほしいっす」

 そう言ってルフィールの手から守りの護符を取ったシャルルは、それをクリュウに押し付けた。反射的に受け取ってしまうクリュウに対し、シャルルはニコリと微笑む。

「こいつ、本当にそれを買う為にがんばったっす。食事も切り詰めて、回復薬やビン、閃光玉なんかも全部狩場で採取した素材を調合して極力道具屋から物を買わずに、何ヶ月も掛けて溜めたお金でようやく買った代物っす。ただひたすらに、兄者にプレゼントする為に」

 シャルルの言葉に、クリュウは守りの護符を持ちながら胸の奥が熱くなるのを感じた。このお守りのご利益で体の底から力が沸き上がっているのか――そうかもしれないが、きっとこれは可愛い後輩の想いが嬉しくて仕方がないのだろう。

「シャルルさん。なぜあなたがおいしい所を持って行くのですか」

「ニャハハハ、めんごめんごっす」

 一番の見せ場を取られた事に憤慨するルフィールの怒りに引きつった笑みを浮かべながらシャルルは引いていく。口調こそ平静を装っているが、こちらからは見えぬ彼女の表情は相当ご立腹なのだろう。

「ありがと、ルフィール。これ、大切にするよ」

 クリュウは笑顔でお礼を言って、後輩から貰った守りの護符を防具の中にしまい込む。クリュウにお礼を言われたルフィールは頬を赤らめながら「是非、大切にしてください」と言って微笑んだ。

「さぁて、そろそろ行くわよ。夜明け前に村から離れないと」

 エリーゼの言葉に、別れの時が来た事を皆が感じ取った。クリュフはルフィール、シャルル、レン、エリーゼの順に握手をすると「気をつけて」と言葉を掛ける。

「あんたもね。ほらバカ共、さっさと行くわよ」

「ば、バカって、ひどいですぅッ」

「心外ですね。ボクとリフレインは決してバカではありません」

「ちょっと待てっすッ。それじゃシャルだけバカみたいじゃないっすかッ!」

「……え?」

「なぁに《違うのですか?》みたいな顔してるっすかテメェッ!」

 別れ際だというのに、相変わらずな後輩達の姿に思わず笑みが零れるクリュウ。その時、そんな彼の前に立ち塞がる者がいた。皆が驚く中、その者は閉じていた瞳をゆっくりと開く。

「必ず、私の所に戻って来なさい。そしたら――最高の手料理であんたを迎えてあげるわ。ありがたく思いなさいよね」

 目の縁に薄っすらを涙を浮かべながらも笑顔で言う彼女の姿にクリュウは胸の底が熱くなるのを感じた。だからこそ、彼もまた笑顔で応えた。

「それは楽しみだね――絶対、帰るから」

「約束よ」

「約束だ」

 必ず再会する。そんな誓いを結ぶ幼なじみ二人。今までも、そしてこれからも変わらない、絶対の約束。

 例えこの戦いがこれまでとは比べ物にならない程に危険なものだとしても、決して変わる事はない。

 ――生きて帰る。それは、どんな達成目標よりも優先すべき事柄だから。

 これまでもずっと、こうして来た二人の絆。それを見守っていたルフィール達は微笑ましくも、何だかちょっぴり羨ましい。共に戦うのも愛の形だとすれば、彼を信じて待ち続ける事もまた愛の形なのだろう。

「それでは先輩。どうかご無事で」

「レヴェリでまた会うっすッ! 絶対っすよッ!」

「お兄さん、がんばってくださいッ」

「じゃあね。ほら、みんな待ってるからさっさと行くわよ」

「行ってらっしゃい、バカクリュウ」

「うん。また、後でね」

 別れを惜しみながらも、五人は手を振りながら歩いて行く。その先には自分達を待っている大勢の人達が。ルフィール、シャルル、レン、エリーゼにとっては絶対に守り抜くと決めた者達。エレナにとっても絶対に失いたくない家族達だ。

 五人と合流を果たした第二次避難隊は、クリュウとルーデルに別れの言葉を告げながら村を後にした。その姿が森の向こうに消えるまで、互いに手を振り続ける。

 そして、その姿が見えなくなると、クリュウはそっと手を下ろした。そんな彼の背中に、ルーデルは優しく声を掛ける。

「それじゃ、私達も行きましょうか――鋼の王の下へ」

「……そうだね。ルーデル、僕の命、君に預けたよ」

 クリュウの言葉にルーデルは一瞬驚いたが、すぐにいつもの不敵ながらも頼もしい笑みを浮かべる。

「それじゃ、私の命はあんたに託したわ。これで、お互い勝手に死ねなくなったわね」

「そうだね……まぁ、死ぬつもりなんて毛頭ないけどね」

「当たり前でしょ。なぁに当然の事言ってんのよ」

 笑い飛ばすルーデルだったが、すぐにその表情は真剣なものに変わる。そんな彼女の横顔を、薄っすらと明るくなり始めた空の明かりが優しく照らし上げる。

「この戦いに勝利なんてないわ。私達の役目は、あの人達が避難を終える為の時間稼ぎ。明確な勝利条件なんて、そもそも存在しない」

「それで十分だよ。別に僕達は奴に勝とうなんて思ってないし、そんな事無理なのは重々承知してる。認めざるをえないってのは、情けないけどね」

「……そうね。でも、それが古龍って存在なのよ。今の私達にできる最善、それを尽くす他ないわ」

「ルーデル。厳しい戦いになると思う。でも改めて言わしてほしい――よろしく頼むよ」

 そう言ってクリュウはそっと手を差し伸べた。差し出された彼の腕に対するルーデルの対応、返答はとっくに決まっていた。

「不束者だけど、まぁよろしく頼むわ。二人の初めての共同作業――パァッと一発派手にいきましょう」

 握り締めた彼の手は、優しく、そして温かかった……

 

 夜が明ける。陽が海の向こうから姿を現し、温かな日差しが大地に降り注ぐ。その光は氷点下まで下がっていた為に空気中の水分が地面や物に付いた後に凍りついてできた霜をゆっくりと溶かしていく。

 折りたたんだ自らの鋼の翼にも、薄っすらと霜が降りている。陽の光でそれらが溶けていくのと同時に、その熱が鋼の体を少しずつ温めていく。

 ――だがどうやら、ゆっくりと日に当たっている暇はないらしい。

 気配でとっくに気づいている。視線を向ければ、昨日自分と激闘を繰り広げた者達がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。数は少なくなったたった二人だが、見間違う事はない。昨日と同じ敵だ。

 体の疲れや傷は少しは癒えたが、それでも一晩では全快とは言い難い。それでも、戦うだけの力は回復している。だとすれば、いつまでも座っているのは小賢しい敵に対して失礼極まりない。

 ゆっくりと身を震わせながら、四本の脚で体を起こす。体表にこびりついていた霜がパリパリという音を立てて剥がれ落ちていく。翼を勢い良く広げると、それらは空気中へと浮かび上がり、ゆっくりと降りてくる。朝日を浴びて煌めくそれは、何とも幻想的な光景だ。

 敵もすでに準備は完了しているのだろう。二人共武器を手に、こちらに近づいて来る。自らも武器を、そして防具を用意する。風を呼び起こし、全身に纏う。荒れ狂う風は昨日と同じく勢い良く、これからの戦いを喜んでいるかのようだ。

 昔戦った相手とは違うが、それでも面白い敵だ。どうやら自分は、まだまだこの者達との――この少年との戦いを楽しみたいらしい。我ながら、面白い感情を抱いたものだ。だが、悪い気はしない。

「おはようクシャルダオラ。悪いけど、今日こそこの村から出て行ってもらうよ」

 何を言っているかはわからないが、戦いの前の挨拶のつもりなのだろう。ならばこちらも礼儀で返すのみ。

「グオオオオオォォォォォッ!」

 天高く咆えて返す。空気が震え、辺りの木々が微かに揺れる。これは今日こそ貴様らに勝つという、我ながらの勝利宣言だ。

「朝っぱらからうっさいわねぇ。やる気満々だって言うなら、さっさと掛かって来なさいよ」

 女の方が何かを言っているが、下等な敵の言葉など理解はできない。それでも、それが挑発だという事くらいはわかった。

 ならば、その挑発に乗ってやろう。これもまた一興、面白い。

「グオオオオオォォォォォッ!」

 雄叫びを上げ、敵に向かって突撃する。敵もまた勇ましい声を上げながら突っ込んで来る。

 そして、剣と笛と爪がぶつかる――戦いの火蓋が、再び切って落とされた……


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