モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第215話 恋姫達の決死の出撃 イージス村に迫る空前の厄災

 全村民の避難命令が発令された翌日の昼過ぎ、村民の避難スケジュールを話し合う村長宅に突如シルフィード、フィーリア、サクラの三人が現れた。驚く一同を前に、シルフィードは決意に満ちた表情で口火を開いた。

「――村人の全避難が完了するまで、私達三人が鋼龍クシャルダオラを引き付ける」

 それは三人が話し合い、そして決意した行動だった。

 集まった村の代表者達は彼女達の言葉にざわめく。その中でただ一人、村長だけは冷静に彼女達を見詰めていた。若く見える青年村長も、村で一番長生きの者に匹敵する程の年を重ねた年長者だ。他の者達とは踏んで来た場数が違う。

 いつもの穏やかな瞳を隠し、いつになく鋭い瞳で三人を見詰める村長は、決意に満ちた表情で対する彼女達に向かって、重い口を開いた。

「……確かに、前回奴は突然村の近くにまでやって来た。何の防衛対策もない状態で避難する村民を確実に逃がす為には、奴をイルファの地に引き留めておく必用があるのは事実だよ。でも、君達にそんな危険な役目は任せられない――君達も、僕の村民(かぞく)だ。危険に晒す訳にはいかないよ」

 真剣な眼差しを向けたまま語る彼の言葉に、シルフィードはフッと口元に笑みを浮かべた。

「村長の気遣い、心から感謝する。だが、我々は貴殿にこの村の防衛を任されている身だ。今こそがその本懐を遂げる時だろうと我々は考える。我々も村民(かぞく)を守る為に、この力を遺憾なく発揮したい。例えそれが厳しい戦いになるとしても、だ」

「シルフィード様の仰る通りです。前回は予期しない遭遇戦でしたが、今回は万全の準備を整えての戦いです。皆様が安全に脱するだけの時間を、私達が必ず稼いでみせますッ」

「……攻撃は最大の防御。今度は負けないわ」

 三人の言葉に、村民達の表情が柔らかいものに変わる。彼女達は自分達と違って、この村に生まれ育った者ではない。それでも、この村を故郷を考え、村人を家族として慈しみ、今村の危機に自らの危険を冒してでも戦いを挑もうとする三人を、彼は心から誇りに想っていた。

 彼らの想いを無駄にしたくはない。でも同時に、そんな可愛い自分達の子供と変わらないくらいの年齢の彼らに危険な戦いを押し付けたくない。そんな相反する想いに苦しむ彼らを前に、村長はゆっくりと立ち上がった。

 その場にいた全員の視線が、一斉に彼に注がれる。村民達の視線を一身に受けながら、彼は決断をせねばならない。何事においても、誰かの上に立つ者の役目は決断する事だ。それが例え非情な決断だとしても、大義の為にしなくてはならない。

 今の自分の大義は、村人を安全にエルバーフェルド帝国レヴェリ領に送り届ける事。その為には、最大の脅威であるクシャルダオラを何としても近づけてはならない。そして、今目の前にいる彼女達は、その役目を自ら進んで行おうとしている。彼女達の想いを無駄にせず、そして村人の安全を守る為――決断は、もう決まっていた。

「……すまない。頼めるかい?」

 申し訳なさそうに言う彼の言葉を、誰も責めようとはしない。むしろ三人は自分達のある種のわがままを聞いてくれた村長に対して感謝の念すら抱いていた。

「あぁ、任せてくれ」

 仲間を鼓舞する時に浮かべる頼もしい笑みを浮かべながら言う彼女の言葉に、村長の顔にも笑みが浮かんだ。村民達も、心配はしつつも彼女達の出撃を心から感謝していた。そして村の為に役立てる事に、三人もまた歓喜していた。

「面子は君達三人だけかい?」

「えぇ。ツバメとオリガミには避難民の護衛を任せたい。足を負傷しているクリュウは完治次第第二陣の護衛を行なってもらう」

 この時、イージス村の村民の数は三〇〇人近くにまで増えていた。避難命令が下された他の村や街の住人が避難して来ており、村民の数に加えてこうした難民も抱えていた為だ。その為、村長が立てた避難スケジュールでは、まず第一陣として若い男集、約二〇〇人が徒歩にてレヴェリを目指す事になっていた。そして残る女性や子供、高齢者など約一〇〇人はレヴェリ家が用意して送り込んでくれる竜車隊に乗車して村を離れる。大きく分けてこの二段構えの避難方法を考えていた。その為、ツバメとオリガミは第一陣の、そしてクリュウには第二陣の護衛が任される事になった。

「第一陣は体力のある者達ばかりだから、護衛はツバメ君とオリガミ君だけで何とかなると思う。第二陣にはレヴェリの兵士も来てくれるみたいだから、最悪クリュウ君の足が治り切ってなくても何とかなると思う。問題は君達だよ」

 そう言って村長は三人を見詰める。彼女達の役目は全ての中で最も危険度が高いのだから、心配するのは当然だ。だが彼が本当の意味で心配しているのは、実はそこではない。そんな彼の不安を感じ取ったのか、シルフィードは肩を竦ませる。

「言わんとしている事はわかる。チームの要であるクリュウを欠いた状態で、我々が連携できるのかを心配しているのだろう?」

「まぁ、そうだね」

 これは何を意味しているのか。それは、彼ら四人のチームの根幹に関わる事であった。

 クリュウ、フィーリア、サクラ、シルフィード。この四人で無敵のチームなのだ。更に言えば、チームリーダーは確かにシルフィードではあるが、実際はクリュウを中心としたチームである。彼の人柄に惚れ、集まった乙女達。そしてそんな彼女達の信頼を得てチームの中心人物として君臨するクリュウ。この四人の連携が、このチーム最大の強さの秘訣であった。

 だが今回、おそらくこのチームにとって最大最強の敵になるであろう鋼龍クシャルダオラを相手にする戦いだと言うのに、肝心のチームの中心人物であるクリュウは負傷して参加できない。彼を中心に編成されたチームで、彼を欠いた状態でこの戦いに挑もうというのだから、村長が心配するのは当然と言えるだろう。

 だが、彼の心配は杞憂であった。

 村長の言葉に対し、三人はフッと口元で笑ってみせた。驚く彼を前に、三人は凛々しい表情を浮かべながら君臨する。

「確かに我々は、彼を好いた者達の集いだ。彼を守りたい、彼の為にがんばりたいという娘の集いで、その力が結集したチームだ。だが、同時に今では我々だって友だ。例え彼を奪い合う恋敵(ライバル)だとしても、我々はこれまで互いに背中を預け合って来た戦友だ。その集いが、故郷を守る為、家族を救う為の戦いとあれば、協力しない理由はない――戦友同士のチームの実力、舐めてもらっては困るぞ」

 そう言って不敵に笑ってみせるシルフィード。その隣では自分達も同じ想いだと言わんばかりに同じような笑みを浮かべながら二人が頷いている。

 三人の表情を見て自らの心配は杞憂であった事を悟ると、村長もまたフッと口元に笑みを浮かべながら「そうだね。もう、昔の君達じゃないんだ」と、どこか安堵したような笑みを浮かべた。

「正直、これだけの人を一斉に動かすんだから準備にも時間が掛かる。その間にクシャルダオラに動かれたら避難の意味がなくなる。君達がその足止めをしてくれる事は、こちらとしても助かる」

「そうか……」

「だが、これだけは約束してほしい――必ず生きて帰って来い。僕達が助かっても、君達がいなくちゃ意味がない。アメリアちゃんの時みたいな事は、もうごめんだ」

 それはその場にいた村人の総意であった。皆、村長と同じく強い瞳でこちらを見詰めている。そのいずれもが、彼と同じ想いを抱いているのだ。そんな彼らに対し、三人は凛とした表情を崩さず答える。

「もちろんだ。家族を守る為の戦いで、家族を悲しませるような事はしないさ」

「決死の覚悟で挑みますが、必死ではありません。生き残る事は、大前提ですからね」

「……私が死ぬのは、クリュウの腕の中と決まっている。寒空の下で野垂れ死ぬつもりはないわ」

 三人の言葉に村の代表者達は安堵の表情を浮かべる。村長も同様で、彼女達の言葉と表情を見て短く「わかった」と答えると、腰に手を当てる。そしていつもと変わらぬ柔和な笑みを浮かべ、

「行って来い」

 ――いつものように、元気良く見送ってくれた。

 

 その夜、クリュウ宅に集合した三人はエレナとクリュウに対し明日の早朝にイルファ山脈へ向かう事を話した。目的はもちろん村民の避難が完了するまでの間、鋼龍クシャルダオラを食い止める事だ。

「君に相談なしで勝手に決めた事は詫びる。だが、これも村の為なんだ。わかってくれ」

 頭を下げるシルフィードの言葉に対し、クリュウは何も答えなかった。フィーリアとサクラも同じように頭を下げていて、エレナはそんな双方を見比べているばかり。いつもは騒々しいリビングに、不穏な沈黙が舞い降りる。

「……僕は、足手纏いって事?」

 ようやく口を開いたクリュウだったが、吐き出された言葉はあまりにも弱々しく、だがどこか刺々しいような印象を受けるものだった。

「そういう意味ではない。村人を護衛するのも立派な役目であり、君の足の事を考えて最良の選択だと私が独断した。不快な思いをさせてしまったのなら、それも詫びよう。だが、今はどうかわかってほしい」

 頭を上げる事なく言う彼女の言葉に対しても、クリュウは再び沈黙してしまった。頭を下げながら、フィーリアは正直頭を上げる事が怖くて仕方がなかった。それほど、今の沈黙は怖かったのだ。

「……クリュウ、怒ってる?」

 逸早く頭を上げたサクラが不安そうに尋ねると、クリュウはフゥとゆっくりとため息を零した。その音が静かな空間に妙に良く響き、頭を下げたままのフィーリアの肩がビクリと震える。

「――別に怒ってなんかいないよ」

 続けて放たれた彼の言葉は、誰もが予想していたものとは違うものだった。声色もどこか優しげで、驚いて顔を上げると、そこには苦笑を浮かべた彼の姿があった。

「……クリュウ」

「むしろ、ごめんね? 僕がこんな怪我じゃなきゃ、みんなに迷惑掛けないのに……」

 悲しげにつぶやきながら、クリュウは自らの負傷した足を見詰める。その視線を追った四人の表情もまた暗いものに変わる。

「仕方がない。怪我してしまった事は、決して君の責任ではない。古龍相手にむしろその程度の怪我で済んで良かったくらいだ」

「だとしてもさ、結果的にみんなと一緒にクシャルダオラの足止めに参加できない。肝心な時に役立たずだよ」

 どこか投げやり気味に言う彼の言葉に、シルフィードはどう返せばいいかわからず黙ってしまう。そんな彼女の代わりにクリュウに近づき、彼の手をそっと握り締めたのはサクラ。ジッと真剣な瞳で彼を見詰める。

「……クリュウ、忘れてはダメ。村民の避難護衛の方がずっと大事。私達はあくまで鋼龍の足止めをするに過ぎない。村民の命に直結するのは、クリュウの方。護衛は地味だけど、大事」

 それは護衛依頼を大事に考える、彼女の信念だった。護衛依頼は討伐依頼などに比べて報酬も少なければ派手さもない地味なものだ。だが討伐依頼なんかよりもずっと人の命に直結するし、戦闘時に考える事もずっと多い。面倒だからと敬遠するハンターも多い。だが彼女は過去の悪夢からその誰もが受けたがらない護衛依頼を重点的に遂行してきた。だからこそ護衛依頼の大事さを誰よりも痛感している。

 そんな彼女の真剣な眼差しと言葉に、クリュウは目を背けた――今の自分には、彼女の真っ直ぐ過ぎる瞳を直視する事ができない。

「……クリュウ」

「……わかってるよ、ごめん」

 視線を合わす事なく謝る彼の姿に若干の違和感を感じつつも、サクラはそっと彼の傍を離れた。この時、彼女が抱いた違和感は、他の面々も薄々感じていた。

「クリュウ様、もしかしてご気分が優れないのですか?」

「そんな事ないよ。体調は、悪くない」

「そう、ですか……」

 彼の言葉を疑う訳ではないが、やっぱり何かがおかしい。

 そんな中、シルフィードの短い咳払いが辺りに響いた。自然と皆の視線は彼女に集中し、彼女の次の言葉を皆が待つ形になる。そんな彼らを見渡しながら、シルフィードはゆっくりと口を開いた。

「とにかく、今は非常時だ。フィーリアとサクラ、そして私はクシャルダオラとの戦いに備えての準備を行う。クリュウとツバメは村長の所へ行って避難スケジュールの調整をしてくれ。ここからは別行動だ」

 その言葉を最後に、フィーリア達は倉庫の方へと向かい、明日の出撃に備え始める。クリュウとツバメはシルフィードに言われた通り村長宅で避難時の護衛について話し合う事となった。ツバメの肩を借りて歩いて行くクリュウの背中を、倉庫の前に集った三人が不安げに見詰めていた。

「……クリュウ、変だった」

「です、よね……」

 小さくなっていく彼の背中を不安げに見詰める二人の後ろで、シルフィードは深いため息を零した。そのため息に振り返った二人に、シルフィードは肩を竦める。

「……完全に戦意を失ってしまっているな」

「戦意、ですか?」

「初めて古龍を相手にして、その圧倒的な力を前にして、戦う気力を失ってしまっている」

 シルフィードの言葉に改めて振り返るフィーリアとサクラだったが、その視線の先にはもう彼の背中はなかった。不安げに彼の消えた道を見詰める二人の肩を、シルフィードが優しく叩く。

「私達も一度は通った道だ。これを乗り越えてこそ、彼は一人前のハンターになれる。タイミングと相手が悪い事は否めないが、これも運命という奴だ。どう乗り越えるかは、本人次第。私達にできる事は、今はない」

「そうですね……」

「……私達が今成すべき事、それは」

 一度伏せた視線を上げ、サクラは振り返る。そんな彼女の視線を追うと、三人の目は自然とイルファ山脈の姿を捉えていた。鉛色の空をバックに、不気味に聳え立つ山々。見知った、でも見知らぬ山となった場所。そしてあそこにいる彼の者こそ、この平穏な村に厄災を呼び起こす者。その彼の者を憎々しげに睨みつけるように、サクラは鋭い視線を向けたままつぶやく。

「――あの鋼野郎を、一歩たりともあの山から出さない事よ」

 彼女の言葉に対して、二人の少女は厳かにうなずいた。

 

 その夜、クリュウは一人家を抜け出した。家々の外には用意した避難の際に持っていくであろう荷物が置かれており、いつもなら寝静まっているはずの時間帯でも道を歩く人の姿が多い。だがそのいずれもが不安や焦りに表情を翳らせながら、慌ただしく道を行き交っている。クリュウはそんな住民達の姿を一瞥した後、目を合わせないようにしながら歩き進める。

 しばらくそうして歩いていると、村の中心部から外れる。木々を抜けた先、そこは村外れにある市営墓地。村で亡くなった人が埋葬される場所であり、その中にはクリュウの両親である父エッジ・ルナリーフと、母アメリア・ルナリーフの墓がある。並んで建てられた墓の前に到達すると、彼はゆっくりとその前に座り込んだ。

「……父さん、母さん」

 呼んでも、返事がない事くらいわかっている。それでも、そうつぶやいてしまう。

 父は幼い頃にギルドの依頼を受けて、古龍との戦いで命を落とした。そして母もそれから数年後に、エリエを捜しに行った先でモンスターと交戦し、命を落とした。

 そして今、二人が守り抜いて来たイージス村が、かつてない危機に襲われようとしていた。不安に怯える住人達の顔が、目に焼き付いて離れない。守らなければならない人達を前にしても、何も出来ない自分。足を負傷しているというのももちろんあるが、それ以上に――

「……くそ」

 微かに震える手を握り締め、地面を殴りつける。

 戦おうと考えると、手が震えて止まらなくなってしまう。自分でもわかっている、鋼龍クシャルダオラの圧倒的なまでの力を見て、自分がビビっている事くらい。今がどんな状況で、そんな暇がない事も重々承知している――でも、戦えないのだ。

 戦いたくても、戦えない。どうせ自分では、奴に太刀打ちできない。むざむざ殺されに行くようなものだ。それこそ、両親の二の舞だ。

「……最低だな」

 項垂れていた頭をゆっくりと上げると、自虐的な笑みを浮かべた彼の顔が顕になる。

 正直、三人がクシャルダオラの足止めに行くと行った時――心の何処かで安心した自分がいた。これで、あいつと戦わなくて済む。

「くそ……ッ」

 自分が情けなくて、何度も何度も拳を地面に叩きつける。皮膚が擦り切れて血が滲んでも、痛みすらも感じない。何も出来ないという情けなさももちろんだが、今の彼を最も苦しめるのは戦わなく済む事に、戦いを彼女達に押し付けてしまった事に、どこかで安心してしまった自分だった。

「……ごめん父さん、母さん。僕、二人みたいな立派なハンターには、なれそうもないや」

 彗星の剣狼エッジ・ルナリーフと流星の姫巫女アメリア・ルナリーフ。歴史上唯一夫婦でエンペラークラスになった、今でも伝説のハンターとして語り継がれる英雄。それが彼の両親だ。

 子供の頃、二人に憧れてハンターを志し。二人のようなハンターになる事を夢見てがんばって来た。だが成長するにつれて、二人がどれだけ遠くを歩んでいたかがわかった。自分の歩みでは、どうがんばっても届かないような、そんなずっと先を、二人は歩み続けていた。

 皮肉な事に、力をつければつけていく程に、二人の凄さを痛感してしまう。いつしか、自分は二人のようなすごいハンターにはなれない。そう思うようになっていた。それでも、その現実に目を背けて前に進み続けてきた。それも、どこかで限界に達しつつあったのだ。

 キティは言っていた。自分は、両親と同じ道をしっかりと歩んでいると。でもそれはきっと、ハンターという同じ道を歩んでいるに過ぎない。二人のような強さも、二人のような覚悟も、自分は持っていない。

 英雄と呼ばれた二人の息子なのに、情けなさ過ぎて笑えてくる。

「……僕、どうすればいいんだろ?」

「――あぁもう、何グチグチと面倒くさい事考えてんのよ」

 誰もいるはずもない墓場に突如響いた声。驚いて振り返ると、そこには腰に手を当てながら呆れ返った表情を浮かべたエレナが立っていた。驚きのあまり言葉が出ないクリュウを前に、彼女はわざとらしく大きなため息を零す。

「ど、どうしてここに……」

「あんたが家を出る所を偶然見たのよ。それで追っかけて来たって訳。っていうか、ハンターなのに私の気配もわからないとか、あんた弛んでるんじゃないの?」

 呆れるエレナの言葉にようやく状況を理解したクリュウだったが、そんな彼女の台詞に「……そう、かもしれないね」と小声で肯定する。すると、てっきり何かしらの反応があると思っていたエレナは拍子抜けしたようにぽかんとする。

「あんた、ホントどうしちゃった訳?」

「……ホント、どうしちゃったんだろうね?」

 空笑いを浮かべる彼の言葉に、エレナは何も答えなかった。ただ黙って、彼の隣に座ると無言でジッとエッジとアメリアの墓を見詰める。

「エレナ?」

「――古龍、実際に戦ってみてどうだった?」

 唐突な質問だったが、クリュウは少し考えて、

「……全く、歯が立たなかったよ」

 ウソ偽りなく、正直に答えた。圧倒的な存在を前に、自分の無力さを痛感したあの戦い。一方的に弄ばれ、こちらの必死など届かないような戦いとも言えぬ戦いだった。自分がこれまで幾多の戦いで築きあげて来たスキルが、まるで役に立たなかった。今までの自分の努力など無駄だった、まるでそう言われているかのような無惨な戦いだった。

 暗い声で答える彼の言葉に対し、エレナは短く「そっか……」とだけつぶやいた。非難するでも、気遣うでもない。ただただ彼の口から発せられた事実に対して、至極簡潔に相槌を打っただけ。

「まぁ、古龍なんて人間が勝てるような相手じゃないのかもね」

「……身も蓋もない事言ってくれるな」

 あっけらかんと言う彼女の言葉に、クリュウは思わず苦笑を浮かべる。確かにそうかもしれないが、それを言われてしまうとハンターという生業が成り立たなくなってしまう。だがエレナはまるで事実だと言いたげに続ける。

「古龍って天災に匹敵する存在なんでしょ? 天災に対して、人間ができる事なんで身を守る事しかできない。そうでしょ?」

「そうかもしれないけどさ……」

「今だって、一頭の古龍が出現しただけで近隣の村や街の大勢の人達が避難している。大の大人達がそんな状況になる相手に、あんた達は四人で戦いを挑んだ。それで負けたからって、誰が文句を言う訳? もしもんな事言う奴がいたら、私がボコってやるわよ」

「エレナ……」

「言い方は悪いかもだけどさ、英雄だって言われたエッジさんも古龍相手に亡くなった。そういう相手なんだよ、古龍ってのは。だから、怖がるのも当然だし、何もできなくたって誰も文句は言わない。勝てないとわかっているなら、逃げる事に全力を注ぐのは決して悪い事じゃないと思う」

 エレナが言っている事は正しい。何も間違ってはいない。ハンターは決して命を懸けてはならない。なぜなら、ハンターの最大の役目は《生きて狩り続ける》事だから。逃げる事だって、戦いたくなくたって、何も悪い事ではない。一般論では確かにそうだ――でもそれはあくまで一般論の話。感情という面では、決して納得できるようなものではない。

「あんたは、何でもかんでも自分のせいだって抱え込み過ぎなのよ」

「そう、かな?」

「幼なじみが言ってるんだから、そうなのよ。ついでに幼なじみから忠告よ」

 ピッと人差し指を立てて偉ぶってみせる彼女の視線を向けると、エレナはフッと口元に浮かべる。驚く彼を前に「あのさ……」と口を開く。

「エッジさんとアメリアさんがすごかったからって、別に誰もあんたに過度な期待はしてないわよ。あんたはあんたなりにがんばってる。それはみんな、私もわかってる。むしろ二人の列伝のせいで、あんたが無理して、怪我しないか、それが心配――あんた、昔から無茶しちゃうからさ。待っている人を、あんまり不安にさせないでよ」

 頬を赤らめ、優しげな笑みを浮かべながら語る彼女の言葉に、クリュウは何も答えない。そればかりか、顔を伏せたままで、その表情すらも窺い知る事はできない。そんな彼の反応を見て、不満気にエレナは唇を尖らせる。

「何よ、何かいいなさいよ」

「――それって、僕が父さんと母さんの面汚しって言いたい訳?」

「え?」

「どうせ僕は父さんや母さんのようにはなれないッ! そんな事、言われなくたってわかってるよッ!」

「ち、違うッ! 私は別にそんなつもりで言った訳じゃ……ッ!」

 勘違いしているクリュウを止めようとするエレナだったが、伸ばした手を振り切るようにクリュウは立ち上がって歩き出す。だが足を負傷している彼の歩く速度などたかが知れている。すぐに追いついたエレナは彼の肩を掴んで振り返らせるが、それを拒むように彼は正面へと向き直る。

「放してよ……」

「人の話は最後まで聞きなさいよッ! 私は――」

「――幼なじみだからって、馴れ馴れしいんだよッ! 他人の事に口を出すなよッ!」

 クリュウの怒鳴り声に、エレナは思わず手を放してしまう。その隙に彼は歩き出し、彼女との距離を離す。その歩みは遅く、普通に歩いてもすぐに追いついてしまうような速度だ。でも、エレナは彼を追う事はできなかった――ただ、呆然と立ち尽くしながら、彼の背中を見送る事しかできなかった。

 小さくなっていく彼の背中を見詰めながら、エレナはぺたんとその場に座り込んでしまう。足は震え、力が入らず立つ事ができない。

 呆然と彼の背中を見詰める彼女の瞳から、一筋の涙が流れたのはその時だった。

「……他人」

 エレナにとって、その言葉はどんな鋭利な刃物よりも、彼女の胸の奥の引き裂いた。力なく項垂れる彼女を照らす月は、今夜は出ていない……

 

 翌朝、シルフィード、フィーリア、サクラの三人は鋼龍クシャルダオラを足止めする為にイルファ山脈へと出発した。村人総出での見送りのはずなのに、集まった群衆の中にクリュウとエレナの姿はなかった。

「あの、クリュウ様は……?」

 群衆の中にクリュウの姿が見えず不安になるフィーリアの問いに対し、その理由を明確に答えられる者はいなかった。

「朝、声は掛けたんだがな。返事はなかったな」

 シルフィードの言葉に、フィーリアは「そう、ですか……」としょんぼりと落ち込む。そんな彼女の隣ではサクラが目を伏せている。いつもはなかなか他人には感情の機微がわかりづらい彼女だが、今は誰が見てもクリュウがいなくて落ち込んでいる事がわかる。

「クリュウ君もやけど、エレナちゃんも居らんってのはどういうこっちゃ?」

 クリュウと同じく姿が見えないエレナを探すアシュアだが、やはり彼女の姿も群集の中に見つける事はできない。異変に気づいた村人達もざわつき始め、フィーリア達は出発前に出鼻を挫かれる形となってしまった。そんな空気を見て村長がわざとらしく咳払いをして皆の視線を集める。

「まぁ、別に見送りは強制じゃないからね。今は非常時だから、二人も何か別用があっても不思議じゃない」

 確かに村長の言う通りではあるが、如何せん相手はあの二人だ。どんなに自分が忙しくても、こういう時には真っ先に駆けつけるであろう二人なので、彼の仮定は通用しない。だがそれをここで言っても仕方がないのも事実。皆、疑問は感じていてもあえてそれを伏せていた。今は、そうしなければいけない時なのだから。

「それじゃ、頼んだよ」

「あぁ、任せておけ」

 村長の言葉に、シルフィードは頼もしく頷いて見せた。その言葉と姿に村人達の間に浸透していた不安が少し和らぎ、一時的とはいえ笑顔が戻る。それを見てシルフィードは満足気に微笑むと、背後にいるフィーリアとサクラに向き直る。二人共クリュウが見送りに来なくて落胆してはいるが、それはそれ。シルフィードの準備はいいか、という視線に対してはしっかりと頷いてみせた。

「良し、出発するぞ」

 それを合図にして三人は用意していた竜車に乗り込むと、村人達の見送りの言葉を背に受けながら出発した。まるで未練を断ち切るかのような、どこか慌ただしい出発。それでも竜車の中には万全の装備が満載されており、三人の気合いも十分だ。ただ、やはりいずれの顔にもどこか不安げなものが残る。

 なぜクリュウは見送りに来てくれないのか。その疑問に答えてくれる者は、ここにはいない。

 道中、三人は対鋼龍戦の作戦内容の確認については綿密に話し合ったが、雑談やそれに準じたものをする者は誰もいなかった。そんなメンバーを前にして三人の誰もが、気づいていた――村の存亡をかけての戦いに赴くというのに、士気は決して高くはなかった。

 

「よぉ、ようやく出て来おったか」

 その日の正午、リビングへと顔を出した彼を迎えたのはツバメであった。ソファに腰掛け、本を読む彼の膝の上にはすやすやとオリガミが眠っている。その為クリュウの姿を見つけても立つ事なく座ったままの応対だ。

「お主が見送りに来なくて、連中目に見えて落ち込んでおったぞ」

 彼が言うのはもちろん今朝出発したフィーリア達の事だ。そんな彼の言葉にもクリュウ「あぁ、ごめん」と心ここにあらずのような返しをする。ツバメの姿を一度も正面に捉える事なくクリュウは台所へと消えると、水を一杯飲む。コップをそのまま流しに置いたまま戻ると、先程と全く変わらぬ体勢でツバメが待っている。それすらも無視して彼の横を通り抜けると、

「エレナも来なかった。さっき様子を見に行ったが、尋常ではない様子だった」

 エレナの話題が出た途端、ゆっくりとした足取りで前に進んでいた彼の歩みが止まった。

「エレナが?」

「うぬ。ずっと泣いておったのかのぉ、目は充血して髪はボサボサ。いつもの元気など欠片も見受けられない程、憔悴しておった」

「そう……」

「別にお主達の間の事じゃ。ワシは詮索するつもりはないがのぉ――女の子を泣かせるなど、お主らしくないのぉ」

 どこか皮肉も入ったようなツバメの言葉にも、クリュウは何も返さなかった。ただ無言で、ツバメの前の席に腰掛けると、深いため息を零す。そんな彼の姿を見てツバメは苦笑しながら「お主も、尋常では無さそうじゃの」とつぶやく。

「……ちょっと、昨日エレナとケンカしちゃってさ」

「そんな事、誰もが気づいておるぞ」

「そう、なの?」

「お主達はわかりや過ぎるのじゃよ」

 小さく笑う彼の言葉に、クリュウもようやく小さいながらも笑みを浮かべて「そっか……」とつぶやく。

「でもまぁ、ケンカというよりは、僕が一方的にエレナを遠ざけたってのが適切かな」

 だがすぐにそんな小さな笑顔も引っ込めると、クリュウは表情を翳らせる。それを見て「まぁ、先程も言った通りワシはお主達の事を詮索するつもりはないのじゃが――」とツバメは続けると、腰に手を当てて胸を張ってみせる。

「――まぁ、一人の友人として相談には応じるつもりじゃ」

 温かく、そして優しく言うツバメ。そんな彼の言葉にクリュウは小さな笑みを浮かべて「ありがと」と短く礼を言うと、彼の対面の席にゆっくりと腰掛けた。

 短い沈黙の後、クリュウはツバメの目を見ながら「あのさ……」と口を開く。

「――全く、敵わなかったんだ」

 小さな声で吐露されたクリュウの言葉は、実に脈絡がなかった。だがその対象が鋼龍クシャルダオラだという事は現状を鑑みるに想像をするのは難しくはない。ツバメもすぐに気づき、優しくオリガミの頭を撫でていた手を止めた。

「ワシは現場にいた訳ではないし、書物でしかわからぬが……鋼龍クシャルダオラは風を纏い、近付く者全てを吹き飛ばすと聞く。風の鎧を見極めなければ、剣先は鋼の体に掠りもしないそうじゃな」

「うん、見えない風に阻まれて全く攻撃を当てられなかった」

 吹雪の中の激戦。だが激戦と言いながらその実は一方的に攻撃を受け続け、振り回されたに過ぎない。その中で、クリュウが攻撃を当てられたのはわずかな数しかなかった。圧倒的な力の前に、自らの無力さを痛感した戦いだった――そして初めて古龍と戦い、初めて絶望した戦いだ。

「あんなの、勝てる訳ないって、本気で思った」

「……お主らしくない言葉じゃな」

「クシャルダオラだけに、臆病風に吹かれたのかな」

「冗談を言う気力はあるみたいで安心したぞ。じゃが、少し寒いな」

 おかしそうに笑うツバメの言葉に、クリュウは苦笑を浮かべた。こんな軽口、全くもって自分らしくない事はわかっているが、今はそんな事でも言っていないと自分が保てないのだ。

「だからさ、正直フィーリア達が三人でクシャルダオラと戦いに行くって言った時、どっかで安心したんだ」

「クリュウ……」

「そんな事を考える自分が、許せないんだ」

 震える拳を握り締め、ソファを叩く。それは自分の情けなさに対するもの、何も出来ない自分の無力さなどに対する彼の怒りの表れ。強く握り締められた拳は細かく震え、爪が手の平に痛い程突き刺さる。だがその痛みすらも感じない程、彼の頭の中は憤怒に染まっていた。

「村を守りたい、村の為に戦いたい。この気持ちにウソ偽りはないんだ――でも、戦えないんだ。あれ以来、どうしても剣を持つと手が震えて、まともに振るえない。足が治っても、これじゃ……」

 戦意を喪失しているとシルフィードが言っていたが、事はそれよりも更に深刻だった。戦意を取り戻したとしても、彼の心に深い傷となったクシャルダオラに対する恐れが、彼のハンターとしての根幹をも揺るがしていた。剣を握れない、戦えない。それが余計に彼を追い詰めていたのだ。

「……そんな状態で、もういっぱいいっぱいで。だから、エレナに強く当たっちゃって」

「成程のぉ……」

「――最低でしょ? 僕は最低だ」

 自虐的に笑いながら、クリュウは泣きそうになった。子供の頃からずっと自分と一緒にいて、どんな時も励ましてくれた幼なじみのエレナに八つ当たって、仲間が決死の想いでクシャルダオラとの戦いに出陣したというのに自分はこんな所で言い訳を並べて戦おうとしない。最低以外の言葉では言い表せなかった。

 こんな話を聞いて、ツバメが自分をどう思うかなど手に取るようにわかる。

「……うぬぅ、まぁ最低じゃな」

「だよね……」

 わかっていたとはいえ、改めて人に言われるとショックを受けるものだ。そんな彼を、ツバメはジッと見詰め続ける。そして、小さくため息を零した。

「じゃが、理解できぬ訳ではない」

 ツバメの言葉に、クリュウは伏せていた顔をゆっくりと上げる。視線を向けると、ソファに腰掛けたままツバメは苦笑を浮かべていた。その苦笑を見てきょとんとするクリュウに対し、ツバメはゆっくりと口を開く。

「ワシは古龍と戦った事はないが、まぁ自分の力が全く及ばないような相手である事は想像には難くないじゃろ。そんな奴と戦って、恐怖を覚える事は珍しい事ではない。事実、火竜リオレウスと戦ったかけだしのハンターがトラウマに陥る事は少なくはないと聞く。お主の場合は、それが古龍じゃったというだけの事じゃ」

「そうかもしれないけど、でも……」

「ワシは経験はないが、それはハンターとして成長する上でぶつかる壁のようなものじゃ。それをどう乗り越えるかは、お主次第としか言えん。まぁ、状況が悪い事は否めないが、それもまた運命というものじゃな」

 優しく膝の上で眠るオリガミの頭を撫でながら語る彼の言葉に、納得はできなくてもその意味は理解した。何事においても一度は通る挫折という道。それが自分には今起きて、そしてその相手が鋼龍クシャルダオラだった。ある種それは運命とも言い、そしてタイミングが悪いとも言う。だが、起きてしまった事を今更変える事はできない。彼の言う通り、今の自分にできる事はこの壁をどう乗り越えるかを考え、そして実行に移す事。ただ、それだけだ。

「……ありがと、ちょっと自分でも考えてみるよ」

「あまり力になれなくてすまんのぉ」

「ううん。一人で考えるよりも、ずっといい答えが見つかった気がするよ」

「それは重畳じゃ。まぁ今は村の一大事じゃからな、お主には早く立ち直ってもらわんとのぉ」

「善処するよ」

「うむ」

 クリュウの答えに安心したように笑みを浮かべるツバメ。そんな彼の笑顔を見ながら、クリュウは自分の中に渦巻いていた想いが少し軽くなった事を実感する。まだ答えが見つかった訳ではない。それでも、方向性は見つかった。どうすべきかは、まだわからないけど、進むべき方向だけは見つかった。今は、それで十分だ。

「明日は、第一次避難隊が出発するんだよね」

「うむ。ワシとオリガミがその護衛を務める事になっておる。まぁ、途中でレヴェリからの竜車隊と一度合流して護衛役を何人かつけてもらる予定になっておるから、それまでの護衛役じゃがな」

「僕は引き続き村に残って、竜車隊が到着次第第二次避難隊と一緒に護衛役として村を出る」

「しばしの別れになるのぉ」

「そうだね。次に会うのはレヴェリだね」

 どこか淋しげに笑うクリュウの笑顔を見て、ツバメは「なぁに、事が過ぎ去ればまたここで楽しく暮らせる。それまでの辛抱じゃよ」と彼を励ますように言う。そんな彼の言葉に「うん、そうだね」と返しつつもその瞳はどこか遠くを見ているかのよう。

「誰も傷つく事なく、この状況を乗り越えられれば良いのじゃがな……」

 ツバメのどこか祈りにも似た言葉に、クリュウは何も答えなかった。

 

 翌朝、村の入口になる崖下には大勢の人々が集まっていた。村にいるアプトノスを総動員して大量の荷物を積載した竜車隊の周りには二〇〇人にも及ぶ男達がそれぞれ少なくはない荷物を更に持って集まっている。その中心に立つ村長は、無言で崖の上にある自らの村を眺め続ける。だが出立の時間になると、ゆっくりと視線を外して、見送りに来た面々を見据える。

 第一次避難隊は、体力のある男達を中心に約二〇〇人にも及ぶ大部隊だ。その指揮を行うのはもちろん村長であり、一足先に避難地であるレヴェリを目指す。それを見送るのは救援に来るレヴェリからの竜車隊に乗って脱出する第二次避難隊の面々、約一〇〇名。そのほとんどが女性や子供、高齢者など体力が少ない者達だ。

「クリュウ君、足は大丈夫かい?」

「リリアの薬のおかげで、普通に歩くくらいなら何とか……」

 村長の問い掛けに、苦笑しながら答えるクリュウ。彼はこの第一次避難隊には加わらず、第二次避難隊と共に村を出る。もちろん、道中の護衛役だ。だが護衛役と言いつつも、足はまだ完全には治りきっていない。口には誰も出さないが、第二次避難隊の面々には若干の不安がある。それでも、彼を信じているからこそ誰も文句を言わないのだ。

「まぁ、無理はするでない。護衛役はレヴェリの兵士が中心じゃ。彼らが来るまで村の中にいる限りは安全じゃよ」

「護衛役なのに、情けないよね」

「怪我人に無理は強いられんよ。それに、何事も起きない事が最善なのじゃ」

「そうだね」

 そうじゃよ、と笑うツバメはすでに全身をフルフルシリーズを纏っている。腰に下げたギルドナイトセーバーも勇ましげに輝いており、準備は万端だ。その隣では彼のオトモアイルーであるオリガミがドングリヘルムを深く被っている。

「僕達は徒歩にてレヴェリを目指す。君達はすでに存じていると思うけど、レヴェリから救援が来る。その竜車隊に乗って村を脱出してほしい。レヴェリの竜車隊が来るのはあと数日。それまでは決して村から出ないでくれ。もしもの際は洞窟の中の避難壕に逃げて見の安全を守ってほしい。レヴェリで無事な姿を見られる事を、祈っているよ」

 村長の言葉に、第二次避難隊の面々は厳かにうなずいた。一応第二次避難隊には頼りになる男達が十名程残されているが、それでもやはり多くの男達が別離してしまう事に不安は残る。だが同時に危険な状況で先発して避難する第一次避難隊の方が危険なのも、彼女達は十分理解している。村長が自分達の安全に為に採択した方法だ。誰も文句など言うはずはない。

「ただ、もしもの際はクリュウ君。怪我している所悪いけど、君にがんばってもらうしかない――ごめんね、君にこんな重荷を背負わせたくはなかったんだけど……」

 申し訳なさそうに言う村長の言葉に、クリュウはゆっくりと首を横に振った。

「重荷なんて、思ってませんよ。これもハンターの役目ですから。自分の力が必要とされているなら、全力でがんばるだけですよ」

「頼もしいよ。くれぐれも、よろしく頼むよ」

「はい」

 クリュウの返事に満足したのか、村長は安心したように微笑む。だがその笑顔も次の瞬間には消え、再び顔が上げられた時にはその表情は改めて真剣なものに変わっていた。

「それでは、出発するよ」

 その言葉を合図に、男達は家族や知り合いとの別れを済ませ、次々に歩き出す。荷物を満載した竜車もアプトノスに引かれゆっくりと進み出す。村長は皆の先頭に立って真っ先に森の奥に姿を消した。そして、

「……みんなを、任せたよ」

「任されたぞ。お主もしっかりのぉ」

「向こうでまた会おうニャッ」

 ツバメとオリガミも出発する。そんな一人と一匹の姿を、クリュウは静かに見送る。

 残された面々の別れの言葉を背に受けながら、第一次避難隊の約二〇〇名の男達は一路避難先のレヴェリ領を目指して愛する故郷と家族を残して、厳かに出撃した。

 

「……くそぉ」

 猛烈に吹雪くイルファ雪山の山頂。一時間程前からここは三人の少女と鋼龍による死闘が繰り広げられる闘技場と化していた。だが死闘とは言いつつも、その実は鋼龍クシャルダオラの一方的な蹂躙だった。近付く事を許さぬ風の鎧は少女達の猛攻をことごとく跳ね返し、荒れ狂う風のブレスは少女達を次々に吹き飛ばした。

 雪上に倒れるシルフィードも、もう何発の風ブレスを受けたかわからない。全身に走る激痛に顔は歪み、立とうと必死になって腕や足に力を入れるが、もはや立つ事すらもできない。

「きゃあああぁぁぁッ!?」

 その時、またしても仲間の悲鳴が轟いた。顔だけを何とか上げて彼女の姿を探すと、突如自分から数メートル離れた所に空から何かが落ちて来た。ぐったりと倒れているそれは、見知った仲間の無惨な姿だった。

「ふぃ、フィーリア……ッ」

 返事はなかった。ぐったりと雪の上に倒れているフィーリアはすでに気を失っていた。全身を纏うリオハートシリーズは所々ヒビが入ったり変形したりしており、これまでの激戦で幾度となく鋼龍の攻撃を受け続けた跡が刻まれていた。倒れた時に頭を打ったのか、彼女の真っ白な肌には不釣合な程に真っ赤な血が頭から頬にかけて流れている。

「くそぉ……ッ」

 仲間の無惨な姿を目にして、シルフィードは怒りに任せて無理やり体を動かす。震える膝を殴りながら、フラフラと立ち上がる。だが立っているだけでも限界な彼女だったが、それでも倒れそうになる体にムチを打って無理やり歩き出す。

「サクラぁッ!」

 それでも、残る一人の仲間の名前を叫ぶ。この吹雪の中では視界も悪く、クシャルダオラはおろかサクラの姿も見えはしない。全力で叫んだ声も、きっと彼女には届いていないだろう。それでも、叫ばずにはいられなかった。

「サクラぁッ! 無事かぁッ!?」

「……があああああぁぁぁぁぁッ!」

 突如吹雪の音を掻き消すかのような少女の勇ましい雄叫びが轟いた。目をこらすと、吹雪の向こうで火花が迸るのが見えた。それがサクラの攻撃だとはすぐにわかった。慌てて駆け寄ると、今まさにサクラとクシャルダオラの壮絶な死闘が繰り広げられていた。

「……あああああぁぁぁぁぁッ!」

 雄叫びを上げながらクシャルダオラに突っ込むサクラ。疲労が蓄積し、全身にダメージを負っている彼女の突貫はいつものそれと比べると明らかに鈍い。それでも近付くのを躊躇う程の怒気を纏いながら、サクラは我武者羅に突っ込んで行く。

 一方のクシャルダオラはほぼ無傷に等しい状態だ。何せ風の鎧のせいでこちらの攻撃はほとんど当てられていないのだから。

 迫り来るサクラに対し、クシャルダオラは翼を羽ばたかせて空中へと飛び立つと、大きく後退して彼我の距離を離す。そしてそこから無様な足取りで迫る彼女に対し、容赦なく必殺の風ブレスを放った。

「危ないサクラッ!」

 シルフィードの声など聞かずとも、体が先に反応する。迫り来る風ブレスをわずかなステップでギリギリで回避すると、構わず進み続ける。続けてクシャルダオラは二発風ブレスを放ったが、いずれもサクラは紙一重で回避した。どんなに疲れていても、どんなにダメージを負っていても、サクラ・ハルカゼという少女の常軌を逸した戦闘能力は逆境の中で輝き続ける。

 サクラは連続して三発の風ブレスを回避してクシャルダオラへと迫ると、正面から構えた鬼神斬破刀を振り上げる。刀身に纏わりつく電撃が光り煌めきながら、刃先と同時に風の障壁のわずかな隙間に捻り込まれると、クシャルダオラの頭に直撃した。

「ガァアッ!?」

 この激しい戦闘の中で、ようやくクシャルダオラの驚いた声が轟いた。だがそれも一瞬の事。すぐにクシャルダオラは前脚で彼女の体を弾き飛ばす。無防備な状態だったサクラはそれを回避する事もガードする事もできずに跳ね飛ばされ、雪上に倒れた。

「サクラッ!」

 慌ててシルフィードが駆け寄り、彼女の体を起こす。頭を打ったのかフィーリア同様に頭から血を流し、右目は不気味なくらいに濁っていた。どうやら気力だけで戦っていたらしい。その実は、もう限界だったのだ。

「君は休んでいろ。後は私に任せておけ」

 聞こえているのかわからないが、それでもそう言葉を掛けてシルフィードはサクラをゆっくりと雪の上に寝かせると、彼女の前に立ってクシャルダオラに向き直る。背負ったキリサキを構えて鋼龍と対峙する。皮肉な事に攻撃のほとんどを当てられていない為にキリサキの切れ味は健在だ。煌めく刃先に自らの自虐的な笑みが浮かぶのを一瞥し、クシャルダオラの方へ一歩足を進める。

「よくも仲間を弄んでくれたな。覚悟しておけ、スクラップ野郎」

 口角が釣り上がり、犬歯が不気味に煌めく。その煌めきに、彼女を睨みつけるクシャルダオラの瞳が煌めく。

 いつの間にか吹雪は収まり、厚く垂れ込めていた雲が所々薄くなり、空から陽の光がわずかに木漏れて世界を明るく照らしていた。

 勝てるなど、そんな恐れ多い事は考えてはいない。それでも、今ここで自分が粘らないと、自分の背には満身創痍の仲間達がいる。意地でも、ここから逃げる訳にはいかない。

 体力はもうほとんどなく、全身が痛い。そして逃げる事ができない状況。まさに絵に描いたような絶体絶命という奴だ。あまりにも無理過ぎて笑いがこみ上げて来てしまう。足の震えを武者震いだと信じ込みながら、シルフィードは一歩前に足を踏み出す――だが、この絶体絶命のピンチは思わぬ形で終わる事となった。

「グオオオォォォッ!」

 突如クシャルダオラは雄叫びを上げると、巨大な翼を羽ばたかせて天空へと舞い上がった。全く攻撃の素振りも見せる事なく、ただ上昇していくクシャルダオラをシルフィードは呆然と見上げる事しかできない。そしてそのままクシャルダオラは山の頂へと向かい、そこでゆっくりと着地した。

 何をするつもりか、警戒するシルフィードは見てしまった――神秘の光景を。

 山の頂に舞い降りた鋼龍クシャルダオラは首を下げて低い唸り声を上げる。その体がギシギシと金属が擦れる音を一際大きく辺りに響かせながら、茶褐色の鎧が小刻みに震え出す。すると突然、金属板が千切れるような甲高い音と共にクシャルダオラの背中に大きな亀裂が入った。亀裂はさらに大きく広がり、やがて首元から尾の付け根辺りにまで一直線に大断裂が生じる。背中が背骨にそって膨れ上がり、そして――

「……何だ、これは」

 驚くシルフィードの目の前で、クシャルダオラの背中の亀裂からゆっくりと何かが現れた。銀色のそれは、真新しい鉄の鎧を纏ったクシャルダオラだった。

 それが、クシャルダオラの脱皮だと頭で理解したのはそれから少し後の事だった。今の彼女は、その美しくも荘厳で、神秘的な光景を前にただ見上げる事しかできなかった。いつの間にかサクラの肩を借りて意識を取り戻したフィーリアの二人もその光景を呆然と見上げている。

 吹雪は止み、天から注がれる陽の光を受けて銀色の真新しい鋼の鎧はキラキラと煌めく。だがそれはまさに一瞬の出来事であった。クシャルダオラの体表はゆっくりと鈍い鋼色へと変色していく。空気に触れ、急速に酸化しているのだろう。だとすれば、あの輝くような銀色の姿は脱皮後のわずかな時にしか見せない一瞬の姿なのだろう。

「グオオオォォォッ!」

 雄叫びを上げながら、クシャルダオラは完全に硬化した鋼の翼を羽ばたかせてゆっくりと舞い上がった。激しい風に雪が舞い上がり、雪の粒を周りに纏いながら飛翔するクシャルダオラ。呆然とその光景を見上げていた三人だったが、クシャルダオラが水平飛行に移って飛び去るのを見て、その方角を知って正気を取り戻す。

「お、おい、あの方角は……」

「い、イージス村のある方向です……ッ!」

「……クリュウ」

 曇天の空の下、鋼龍クシャルダオラはイルファ山脈から南の空へと飛び去った。奇しくもその方角は、彼女達が必死に守ろうとしていたイージス村がある方向だった。

 クシャルダオラが去ったせいか、イルファ山脈の空はゆっくりと厚い雲が解けていき、陽の光が降り注ぐ。だがそれは決して彼女達の勝利を天が祝ったのではない。

 血相を変え、慌てて村へと引き返す三人。だが山を降りるだけでも時間は掛かるし、麓から全速力で竜車を飛ばしてもクシャルダオラの飛翔速度に敵うはずもない。気持ちだけが焦るばかり。疲れている体にムチを打って全速力で山を降りる三人。その誰もが、心の中で彼の名を呼び続ける。

 鋼龍クシャルダオラは、真っ直ぐイルファ山脈から南下を続ける。風を切る鋭い頭部。その頬に、わずかな傷跡が浮かんでいた。サビついていた時にはサビが纏わりついていて見えなかった、本当に僅かな傷だ。だがそれはむしろ深く抉られた傷。だからこそ、脱皮をしてもその内側にある新たな鎧にもわずかながらも浮かんでいる。それは九年前、彼がその龍生の中で最も手強く、そして激しい死闘の末に引き分けた難敵に与えられた傷。

 彼は望む。九年前に自らと激戦を繰り広げた敵との再戦を。そして、今度こそ勝つという強い決意を抱いて。

 彼は進む。九年前と同じ空を飛び続ける。彼女との再戦をする為に。

 彼は向う。九年前と同じ場所に。彼女との決着をつける為に。

 鋼龍クシャルダオラは、迷う事なく南下し続ける。全モンスターの中でも最速の飛行速度は、人間の使えるどんな移動手段よりもずっと早い。竜車なら五日、馬車でも三日程掛かる道のりを、彼はわずか一日で移動してしまった。アルフレアの上空を抜け、そのまま海へと出る。海を越えると、やがて陸地が見えて来た。遠くに切り立った崖が見える。その少し北側にある密林地帯。そこが、九年前に彼が敵と戦った場所だ。

 纏う風で千切れ飛ぶ草の葉など気にせず、低空飛行しながら彼は目的の者を探す。だが、いくら探しても彼女の姿はない。逃げるケルビやアプトノスの姿など無視し、血走った瞳で彼女を探す。それでも、いない。

「グウゥゥッ」

 恨めしげに低く唸りながら少し高度を上げ、辺りを見回す。その時見えた。少し離れた場所にある切り立った崖に周りを囲まれたその上に、村がある事を。

 確証はない。それでも、きっと彼女はあそこにいる。そんな気がしてならなかった。

「グオオオオオォォォォォッ!」

 勇ましい雄叫びを上げ、鋼龍クシャルダオラはその村へと向かう。

 切り立った崖の上にあるその村を、人々はこう呼ぶ――イージス村と。


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