モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第214話 鎧風一触 無念の敗走の末に待ち受けていた現実

 足を負傷して悶える彼を見て、三人の少女達が救出に走る。それを妨害するように立ち塞がるクシャルダオラに対し、少女達の怒りが爆発する。

「……退けえええええぇぇぇぇぇッ!」

 怒りに満ちた紅蓮の炎が荒れ狂う飛竜刀【紅葉】を槍のように構えながら突っ込むサクラ。それを援護するようにフィーリアもまた貫通弾LV2でクシャルダオラを狙い撃つ。吹雪の中を放たれた弾丸は横風に流される事なく勇ましく突き抜け、風の障壁すらも突破して鋼龍の体表に火花を迸らせる。

 唸るクシャルダオラに向かって、サクラは雄叫びを上げながら真正面から突っ込む。そして、燃え盛る炎刀を力の限り振り下ろした。鋭い刃先は一瞬何かの障壁を捉えたが、構わず火炎と共に斬り飛ばす。次に襲ったのは、まるで鉄の塊を殴ったかのような衝撃だった。思わず腕に走った痛みに顔を顰めるが、それでもサクラの表情には不敵な笑みが浮かんだ。

「……通った」

 これまで一太刀すらも入れられなかったのに、ようやく刃が鋼龍の鱗を捉えたのだ。今まで自分はこのまま一矢すら報いれないとすら思って、内心焦っていた。だが、それは違った。自分の刀は、ちゃんと通るのだ。

 わずかな希望を見出したサクラだったが、そんな彼女を力を盛り返した風が勢い良く吹き飛ばした。背後に背中から倒れたサクラだったが、すぐさま起き上がって刀を構えてクシャルダオラと対峙する。

 一方、サクラが攻撃している間に背後からクシャルダオラを狙おうとしていたシルフィードだったが、フィーリアの援護もあってうまく立ち回れているサクラを見て方針を転換。倒れているクリュウに駆け寄った。

「しっかりしろクリュウッ!」

 ディアブロヘルムを取って彼の耳元で叫ぶが、クリュウは脂汗を浮かべたまま顔を苦悶に歪めていて、痛みを堪えるように食い縛る歯の間からはくぐもった声が漏れるだけ。こちらの声も聞こえていないのだろうか。

「立てるかッ!?」

 肩を掴んで彼を立たせようとするが、足を負傷していてうまく立てない。仕方なくシルフィードは力任せに彼を立ち上がらせた。負傷した左足が地面に触れて言葉にならない悲鳴を上げるクリュウに「すまない」と謝りつつも、何とかこの場からの離脱を図る。

「フィーリアッ!」

 比較的近くにいたフィーリアを呼ぶと、彼女は銃口をクシャルダオラに向けたまま振り返った。そんな彼女に向かってシルフィードは先程クリュウの道具袋(ポーチ)から取り出した閃光玉を投げる。慌ててキャッチした彼女に向かって「それを使って撤退する隙を作ってくれッ!」と叫ぶシルフィード。彼女の意図を理解したフィーリアは大きく頷くと、閃光玉を持って前線へと躍り出る。最前線ではサクラがうまく立ち回ってクシャルダオラを引きつけている。

 背後からフィーリアが近付く気配と、先程の会話を何とか聞いていたサクラがすかさず彼女を援護するように動きをシフトする。風ブレスや振るわれる爪を器用に回避しながら、フィーリアの方へと移動する。突然方向を変えて動くサクラに対してクシャルダオラは後脚だけで器用に立ちながら素早く旋回する。一瞬にして反転したクシャルダオラだったが、その眼前にフィーリアが投擲した閃光玉が炸裂したのはその瞬間だった。

 破裂し、猛烈な光が爆発する。至近距離でその直撃を受けたクシャルダオラは目を潰され、激痛と何も見えない苛立ちから唸り声を上げ、その場で暴れ出す。

「撤退だッ!」

 クリュウを背負いながら叫ぶシルフィードはすでに撤退を開始。続いてフィーリアも走り出し、殿はサクラが自発的に刀を構えたまま務める。

 ひとまず来た道を戻る為にエリア7へと繋がる出口を目指して走る四人。その背後ではクシャルダオラが暴れており、まだ視界が回復した気配はない。そのまま三人で出口に達した頃、背後でクシャルダオラの怒号が轟いた。

「……やはり、回復が早い」

 先程の閃光玉の際に気づいた事だが、クシャルダオラは閃光玉の拘束時間が短いらしい。今度の事で疑念は確信へと変わった。背後からクシャルダオラが迫る気配がするが、三人は構わず細い道を下っていく。クシャルダオラの巨体では歩けないような崖に面した細い道を下り続ける。道自体は狭くて使えなくとも、鋼龍の優れた飛翔能力があれば上空から襲撃する事も不可能ではないだろう。だが幸いにも今のところ追って来る気配はない。上方を気にしながら、三人はエリア7を目指して下っていく。

 とにかく走り続けた三人は無事にエリア7へと達した。だが、そこへ上空から風の暴風が襲い掛かった。突然上空から放たれた風ブレスは雪を抉りながら三人を狙うが、三人はこれを回避する。

 態勢を立て直そうとする少女達を前に、クシャルダオラが舞い降りて来る。暴風を纏いながら、吹雪と共に表れる鋼龍。あと少しでエリア5へと通ずる洞窟へ入れるのにと、シルフィードは悔しげに唇を噛む。その背後では背負ったクリュウが苦しげに声を漏らしている。

 どうすれば良いか。もう閃光玉はないので、先程のように閃光玉で足止めをしている間に逃げ切る事はできない。悩むシルフィードの前に、サクラとフィーリアが立ち塞がったのはその時だった。

「お前達……」

「ここは私達に任せて、シルフィード様はクリュウ様を連れて撤退してください」

「……足止めくらいならできる」

「すまない……」

「……クリュウの事、死ぬ気で守りなさい」

「必ず、逃げ切ってください」

「わかった。君達も、無理はするなよ」

 別れの言葉も程々に、地面へと降り立ったクシャルダオラに対してサクラとフィーリアが突撃する。そしてそんな彼女達を背に、後ろ髪を引かれるような想いでシルフィードはエリア5へと通ずる洞窟を目指して走る。

 背後では銃撃と剣撃、怒号と悲鳴が入り混じった喧騒が響く。だがシルフィードは振り返る事なく、自らの情けなさを痛感しながら走り続けた。そして、二人の姿は洞窟の奥へと消えて行った……

 

 二人と離別してから、クシャルダオラの出現で小型モンスターのほとんどがその姿を消していた事から特に妨害を受ける事なく、シルフィードは下山に成功。無事に拠点(ベースキャンプ)へと帰還した。

「痛むか?」

 拠点(ベースキャンプ)へと戻ったシルフィードは早速クリュウをベッドに座らせて彼の怪我の手当てを行う。ディアブログリーブを外して彼の左足を見た所、足首が腫れ上がっていた。診た感じ、どうやら骨折している訳ではなく軽い捻挫をしているようだった。

 シルフィードは手早く磨り潰した薬草を塗った包帯でテーピングする。その間、彼は終始痛そうに顔を歪めていたが、一言もしゃべる事はなかった。

「良し、これでとりあえず大丈夫だな」

「……ごめん」

 処置が終わると、ようやく彼が初めて言葉を発した。だがそれはいつもの彼らしからぬ、暗く、小さく、力のない声だった。表情も薬草を塗った事で痛みが軽減したはずなのに、苦しそうに歪めたままシルフィードと一切視線を合わせようとしない。それが罪悪感から来るものである事は明白であった。

「謝る必要などない。今回は古龍相手に知識も装備も不十分での遭遇戦だ」

「……でも、ごめん」

 シルフィードとしては古龍相手に善戦できた方だと思う。戦いのほとんどが決定打を与えられずに翻弄されただけだったかもしれないが、何もかもが不十分な遭遇戦だと考慮すればそれも仕方がないと言える。

 だが、クリュウからすればそんな事関係ない。彼にとっての事実とは、自分が皆の足を引っ張る形となった。ただその一点に尽きる。

「それよりシルフィ、二人の援護に行って。いくら何でも、クシャルダオラ相手に二人じゃキツイよ」

「いや、あくまで二人は私達が逃げる為の時間を稼ぐ為に残った。だとすればもう撤退しているだろう。今私が向かえば入れ違いになる可能性がある。なぁに、二人共実力あるハンターだ。二人を信じて、今は待とう」

「……そうだね」

 そこで、二人の会話は止まってしまった。

 クリュウはそれから一切言葉を発さなくなり、激しく落ち込む彼の姿を前にシルフィードも掛ける言葉が見つからず黙り込み、結果的に二人共沈黙が続いた。

 そんな時間が数分と続き、耐えられなくなったシルフィードが勇気を出して声を掛けようと口を開き掛けた時、先に声を発したのはクリュウの方だった。

「何で、あんな所にクシャルダオラが……」

 愕然とした様子で呟いた彼の言葉に、シルフィードは開きかけていた口を閉じた。彼の言葉は答えを誰かに求めているようなものではない。ただ単に、この状況が理解できず、困惑しているのだ。何で、何でと繰り返す彼の言葉に、シルフィードは一度は閉じた口を開く。

「……君は、山頂で異物を見たと言ったな?」

 突然の問いかけに困惑しつつも、クリュウはゆっくりとうなずいた。その彼の首肯に対し、シルフィードは短く「そうか……」とつぶやく。

「それが、一体何だって言うのさ……」

「私が昔、一度だけクシャルダオラを戦った事がある事は知っているな?」

 クリュウは短くうなずいた。

 シルフィードが以前、クシャルダオラと戦った事がある。それはまだ彼女がソードラントに属していた頃の事。戦闘に参加していたとはいえ、主力はほとんど他の面子だった。シルフィードとしては自らの無力さを離すようであまりいい思い出ではないが、今はその時の情報が必要だった。

「その後、私はクシャルダオラの事について調べた――もちろん当時の私らしく、次は私自身の手で殺す為にな」

 自虐的に笑う彼女の表情と言葉に、クリュウは返す言葉がなかった。当時の彼女はモンスター全てを憎み、全てを殺す事を目的として行動していた。それ故に、力を求めてソードラントに属していたのだ。

「その時に知った事なのだが、クシャルダオラは約十年おき程度の頻度で、脱皮を行うそうだ」

「脱皮?」

「クシャルダオラは、自らの体を鋼で組成している。どういう理屈かはわからんが、鉄の体を持つモンスターだ。だが鉄というのは頑丈ではあるが、時が経つにつれて腐食し、劣化する。そうなれば脆いものだ。だからクシャルダオラは定期的に新しい鉄の鎧を纏う為に、古くなったサビついた鎧を脱ぎ捨てる。君が山頂で見たのは、きっと以前奴が纏っていた鎧の残骸だ」

「鎧の残骸……あれが」

 確かに、異物だった。山頂という何もない白の世界において、異色の物体であるそれはどうしてそこにあるのか、理由を見つける事はできなかった。雪山の天辺に鉄の残骸がある。それも本当に鉄の残骸であり、飛行船などの残骸とも違う。気にはなっていたが、まさかそれがクシャルダオラの脱皮した残骸だとは、知識のない状態ではいくら考えても思いつかない。だが、答えを知ればあれを見た時の自分の中にあった違和感とも合点がいった。

「奴は一度脱皮した場所で再び脱皮する習性がある。きっと、あの山の天辺は奴の脱皮場所だったんだろう」

「でも、何で今まで知られてなかったんだろ……あんな残骸があると知れば、とっくの昔に調べてるはずでしょ?」

「私達と同じだよ。誰も、あの山の天辺に登った事はなかったんだろう。専用の装備がなければ登れない、ましてや何の特徴もないただの平凡な雪山を踏破したいと思う登山家もいない。結果的に、今までその存在を知る者はいなかったのだろう」

 イルファ雪山はハンターズギルドに認められた狩場ではあるが、第一級狩場に認定されているフラヒヤ山脈と比べると、第二級狩場。重要度も異なる為、訪れるハンターの数は少ない。特筆した特徴がある山でもないので、これまでしっかりとした調査が行われる事はなかった。結果、誰も山頂にあんな物があるとは知らなかったのだ。

「もしかして、この周囲に避難命令が出されたのって……」

「――おそらく、奴が出現したからだな。クシャルダオラは風を纏う古龍で、現れると天候が大きく荒れると聞く。だが実際は奴の出現自体に避難命令が出されたのだろう。そしておそらく、無用な混乱を避ける為にあえてクシャルダオラの存在は伏せて嵐による避難という名目にしているのだろうな。だからこそ、天候による避難なのにドンドルマが動いてくれたのに違いない」

 ドンドルマにあるハンターズギルドは慈善団体ではない。自らの仕事の範囲外の事はしない。その自らの仕事こそがモンスターに関わる事だ。シルフィードは、ハンターズギルドが動いたという時点ですでに何らかのモンスターの影響があると薄っすら気づいていたのだ。

「これから、どうすればいいのかな……」

 イージス村の避難命令の理由が古龍の出現だというのなら、自分達には正直どうしようもない。古龍を迎撃するだけの力がないというのが最大の理由だが、同時にただ脱皮の為に訪れたのなら刺激を与えない方がいい。

 判断に悩むクリュウを前に、シルフィードはため息混じりに「まぁ、我々が勝手に判断する事ではない。この情報を持ち帰って、決断は村長にしてもらう事にしよう」と、自分達での決断を放棄する。これは村の存亡に関わる問題だ。自分達は判断する資格はない。

「それに、君の足の事も心配だ。これ以上無理はしたくない」

 クリュウの負傷した左足を見ながら言う彼女の言葉にクリュウはまたしても表情を暗くして「ごめん……」と謝る。シルフィードは慌てて「いや、別に君を責めた訳ではないんだが……」と、こちらも気まずそうに黙り込んだ。

 二人の間にまたしても微妙な空気が流れてしまう。互いに、何か言葉を発する事を恐れて、何も話せない。気まずくて、怖くて、居心地の悪い沈黙だ。

 そして何より、落ち込む彼を前にして掛けるべき言葉が見つからず。年長者なのに何もしてやれない自分の無力さが嫌で仕方がないシルフィード。

 そんな居心地の悪い沈黙が数分と、実際十数秒程だったのだが、それでも長く感じた。沈黙に耐えられなくて、何かしようとシルフィードは焚き火の用意を始める。手早く薪を用意し、火を起こして引火する。程なくしてパチパチと音を立てて火が燃え上がる。

 身震いする程に冷たい空気が張りつめる中、焚き火の暖かさだけが心地良かった。

 更にそこへ助け船とばかりにフィーリアとサクラが戻って来た。二人ともかなりボロボロの姿となっていて、疲労困憊という様子だったがどちらも大した怪我はしていなかった。どうやら二人が撤退した後すぐに離脱を図ろうとしたのだが、しつこいくらいクシャルダオラに追い回されていたらしい。

「そっか、二人とも無事で良かったよ。ほんと、ありがと」

 クリュウは二人を労うように微笑むと、それだけで疲れ切っていた二人の表情に明るいものが戻る。正直かなりキツイ戦いだったが、それでも大好きな彼にお礼を言ってもらえた。それだけで、二人は十分だった。

「それよりもクリュウ様、足は平気ですか?」

「うん。ちょっと挫いちゃった」

「……骨折してる訳じゃないのね。良かった」

「……でも、これじゃまともに動けないよ」

 苦笑しながらクリュウは自らの負傷した左足に触れる。それを見てさっきまでほっとしていた二人の表情が曇った。すかさずシルフィードが「まぁ、二週間くらいあれば完治するようなレベルだ。そんなに気に病む必要はないさ」とフォローに入る。

「クリュウ様、痛いですか?」

 彼の足下に屈んで心配そうに彼の怪我した足を見詰めるフィーリアにクリュウは笑みを浮かべて「ちょっと痛むけど、シルフィのおかげでだいぶ楽になったよ」とシルフィードを見ながら笑みを浮かべる。そんな彼の言葉にシルフィードは「大した事はしていないさ」と照れ笑いを浮かべた。

 ほっとするフィーリアを押しのけて、今度はサクラがクリュウの前に立つ。

「サクラ?」

「……力になれなくて、ごめんなさい」

 そう言って、サクラは深々と頭を下げた。慌てるクリュウや戸惑う二人に対して、サクラは無言で頭を下げ続けた。そんな彼女の姿勢を見て、一人クリュウは彼女の想いを悟った。

 今回の戦いで、サクラはいつもの実力を発揮する事はできなかった。風の鎧を突破する事ができず、ほとんどの攻撃を当てる事ができなかった。結果、今回の戦いで役に立てなかった。そんな想いがきっと彼女にはあるのだろうと。

 事実、サクラは頭を伏せながら悔しげに顔を歪めていた。自分が役に立てず、愛する彼が怪我をしてしまった。決して彼女のせいではないが、彼女にしてみれば彼を守れなかったというのが事実であり、彼女自身を苦しめる。

 サクラは人一倍責任感が強い子だ。だからこそ、苦しんでしまう。

 頭を伏せたままの彼女を前にシルフィードとフィーリアは互いの顔を見合わせる。だがクリュウは、

「何言ってるのさ。僕だって似たようなもので、ほとんど風の障壁のせいで剣を入れられなかった。でもさ、君の動きがクシャルダオラの意識を削いでくれたからこそ、みんなうまく立ち回れたんだよ。僕の怪我は、僕の不注意が原因だからさ、君が気にする事はないよ」

「……クリュウ、ありがと」

 顔を上げたサクラは小さく微笑みながらそう呟いた。そんな二人の姿を見てやれやれとばかりに肩を揺らしながら、でもどこか嬉しそうな笑みを浮かべるシルフィード。だがそれもそこまでだった。すぐにそんな笑みは引っ込み、現れたのは狩人の顔だ。

「ひとまず、現状を村長に報告しよう。疲れている所悪いが、ここは危険だ。早急に山を出るぞ」

 シルフィードの言葉に、反対する者はいなかった。皆、同じ結論を抱いていたのだ。

 すぐさま山を出る準備を始める三人に対し、クリュウは一人先に竜車の中にいた。怪我人という事で出発準備に加えられなかったのだ。本人としては簡単な事でも手伝おうとしたのだが、三人の反対を受けて大人しくこうしている。

 幌の隙間から見える、忙しそうに動き回る三人の姿を見て、クリュウは何もできない自分の無力さに胸が苦しくなる。目を閉じれば、思い出すのは鮮明に目に焼き付いているクシャルダオラの姿。神秘的でありながら凶悪で、これまで強敵を相手にしても何とか勝利を手にしてきた、そんな自分の自信を木っ端微塵に砕く、圧倒的な存在。本当に、一矢すらも報いれなかった、完敗だった。

「……あんなの、勝てる訳ないよ」

 顔を手のひらで押さえながら、クリュウは一人苦しげにそう呟いた。

 熟練のハンターは、古竜相手に勇猛果敢に挑み掛かる。それはもちろんクシャルダオラも例外ではない。だが、自分には無理だ。それほどまでに、奴は圧倒的な存在だった。

 確かにクリュウの怪我は大した事はなかった。村に戻ってリリアの手当てを受ければ、三日もあれば回復するであろう、そんな程度の怪我だった――でも、クシャルダオラが彼に残した心の傷は、とても大きかった。

 

 数日後、クリュウ達の姿はイージス村にあった。村に戻ったクリュウは早速村長へ報告に行こうとしたが、待ち受けていたエレナとリリアが彼の怪我を見て手当てが先だと聞かず、結局クリュウはエレナとリリアの押しに負けて手当ての為にリリアの道具屋へ行き、村長への報告は残る三人に任された。

 村長宅へと向かった三人はすぐにイルファ山脈に鋼龍クシャルダオラが出現した事を報告した。これを聞いた村長以下村の重役達の顔から血の気が引いた事は言うまでもないだろう。

「イルファに、クシャルダオラが……」

「山頂にクシャルダオラの抜け殻があった事をクリュウが確認している。恐らく、あそこは奴の脱皮場なのでしょう」

 愕然とする村長に対してシルフィードがそう続ける。更にフィーリアが「クシャルダオラは約十年周期で脱皮を行うそうなので、仮に今回何事もなく過ぎ去ったとしても、また十年後には同様の厄災が発生します」とフィーリアが補足事項を付け加える、すると、そんな彼女の発言にピクリと反応したのは漁業組合の長であるバルドだった。

「……そう言われれば、確かにこの村は約十年ごとに大嵐に襲われていたな。二〇年前には親父の船が潰れちまったし、九年前には――」

「――アメリアちゃんが、死んでる」

 村長が呟いた言葉に、その場がしんと静まり返った。その場にいた全員が目を見開いて驚き、だが誰もが納得したような表情を浮かべていた。

「……クリュウには伏せているが、私も村長と同意見だ。引退していたとはいえ、流星の姫巫女が命を落とすような相手となると、それは古龍クラス。そしてアメリア・ルナリーフが死んだのが九年前で、クシャルダオラの脱皮周期は約十年。偶然と片づけるには、あまりにも出来過ぎている」

 村長とシルフィードの意見は重なっていた。九年前、クリュウの母アメリア・ルナリーフはセレス密林で迷子になったエリエ・フォルシアを捜索する為に嵐の中村を出た。結果、エリエは助かったがアメリアは彼女を逃がす際に謎のモンスターと交戦して行方不明。後日、彼女の身につけていた血塗れの防具の一部が発見され、本人は見つからず、アメリアは死んだ事にされた――そのアメリアを亡き者にした者こそが、鋼龍クシャルダオラなのだろう。

 二人の意見に、その場にいた全員が黙り込む。村の一大事という大変な事態を前にしても、彼らの推理はそれを度外視する程に強烈で、悲壮なものだった。

「そうか、そういう事だったのか……」

 村長は全ての謎が解けたかのように言葉を漏らす。だが謎が解けたというのにその表情は暗い。謎が解けたとはいえ、それは決して喜ばしいものではなく、むしろ知りたくなかった事実だったからだ。

「かつて、アメリアちゃんが命懸けでエリエちゃんを、そしてこの村を救ってくれた。なのにクシャルダオラはまたしても現れ、そしてこの村がまたしても危機に晒されている――しかも、アメリアちゃんはもういない」

 村長の言葉を皆は黙って聞いている。彼がどのような決断を下すのか、待っているのだ。

「確かにイルファ山脈からこの村は離れている。でも、決して安全とは言えない。事実、前回奴はセレス密林に出現しているんだ」

 否、もうみんな知っているのだ。村長が、この村人の事を何よりも大事に思っている、心優しき青年村長が下す決断を――皆、知っている。

「村のみんなを守るのが、村長である僕の役目だ。断腸の思いだけど――全村民を、このイージス村から避難させよう」

 ――イージス村が始まって以来初めての全村民避難命令が発令された瞬間であった。

 

 小さな村でしかないイージス村全体に避難命令が発令された事は、一時間程で全村民が知る事となった。エレナ伝いに避難命令が出された事を知ったクリュウは一人「そっか……」と短く、力なく呟いた。

「避難先は、決まってるの?」

 牛乳を飲んでいたリリアの問いに、エレナは「えぇ」と肯定した。

「クリュウ達が村を離れている間にフィーリアのご両親から手紙が届いたの。フィーリアが頼んでいた村人の避難を受け入れてくれるってもので、向こうでも受け入れ準備を開始してるらしいわ」

 村を離れる直前、フィーリアは実家に村の危機的状況と村民が避難する場合には受け入れてほしいという旨の手紙を出していた。それに対しフィーリアの父シュバルツ・レヴェリ侯爵はこれを受諾。すぐさま領土内に避難民受け入れの準備を開始していた。

「……フィーリアのお父さんには、後でお礼を言わないとね」

 そう言ってクリュウは笑みを浮かべたが、それが空元気から来るものだという事くらい、二人はお見通しだった。腰に手を当てながら「何しけた顔してんのよ」とエレナは呆れるが、それは決して彼を責めているものではなく、むしろ彼を心配して平静を装っているに過ぎない。不器用な彼女なりの気遣いだった。

「んな事あんたは考えなくていいのよ。あんたは自分の怪我を治す事に専念しなさいよ」

「……そう、だね。僕じゃ、何にもできないもんね」

 エレナの何気ない素直じゃない発言に対し、クリュウの表情が曇る。いつもの彼なら鋭い返しがあるはずなのに、それがない。常の彼らしからぬ反応に、困惑するエレナ。

「な、何よあんた。元気ないじゃない」

「どこか痛いの?」

 怪我が痛むのだろうと心配する二人に対し、クリュウは「足は大丈夫だよ」と笑みを浮かべて答えるが、それも先程と同じでどこか虚ろに見える。困惑する二人を前に、クリュウは視線を外して窓の外を眺めた。

「避難準備、忙しくなるだろうね」

「ま、まぁそれはそうよね。私も荷物纏めないといけないし、あんただって荷物纏めるんでしょ? 何だったら、私手伝うわよ?」

「ありがと」

 目線を合わせずに礼を言う彼の様子に、いよいよ彼の様子がおかしい事を確信したエレナ。キュッと顔を引き締めると、虚ろな瞳でいる彼の前に立ち塞がった。首を傾げる彼の視線は、やはり虚ろで――その視線は、自分を見てはいない。

「あんた、どうしたのよ」

「どうしたって、何が?」

「帰って来てからずっとそう。あんたらしくないわよ」

「僕らしい……それって何だよ」

 仏頂面で言う彼の言葉に、何か言葉にできないモヤモヤが胸の中で渦巻く。それは悲しさか、怒りか、それとも両方か。どれにしても、気持ちのいいものではない。

「いつものあんたなら、こういう時は村を守る為にもう一度クシャルダオラに挑むとか、無茶言うじゃない」

「……バカじゃないの? この足で、どう立ち回れって言うのさ」

「その足だって数日もすれば元通りになるわよ。足のせいにしてんじゃないわよ」

 いつの間にか、彼の視線が自分に集中している事に気づく。それはしっかりと、自分を見てくれていた。だがそれは、決していつもの彼が自分に向けてくれる優しいものではない――嫌悪と憎悪に満ちた、彼の怒りの目だ。

「――勝てる訳ないだろ」

 吐き捨てるように彼の口から放たれたのは、信じられない言葉だった。それは驚愕するエレナだけではない、リリアも目を大きく広げて驚いている。

「あんた、何言って……」

「あんな化け物相手に、勝てる訳ないって言ってんだよ」

 次々に彼の口から飛び出すのは、彼らしくない言葉の数々だった。確かに彼はネガティブ傾向が強い。だがそれは自分に対するものの時だけであって、村の危機とか、みんなを守る為とか、そういう危機的状況ではむしろ周りが悲観的になる中で、希望を失わず光り輝いて立っている。その勇ましさと頼もしさが、数々の戦いでフィーリア、サクラ、シルフィードを救って来たかわからない――もちろん、幼なじみであるエレナもまた、その一人だ。

 そんな彼の口から、村が危機だというこの状況で出る悲観的な発言の数々。明らかに、彼らしくない――自分の好きな、幼なじみと発言ではなかった。

「……何で、そんな事言えるのよ」

 気がつくと、勝手に口からそんな言葉が溢れ落ちていた。ギュッと握りしめた拳は固く、爪が手のひらに食い込む程強く、拳は細かに震えていた。それが怒りから来るものだとわかるのに、そんなに時間はかからなかった。

「今がどういう時か、あんたわかってるでしょッ!?」

 突然激昂すると、エレナはクリュウの胸倉を掴んで無理やり彼を立たせた。それは相手が足を怪我しているという配慮など一切ない、怒りに任せた行動だった。一瞬足に走った痛みに顔を顰めたクリュウだったが、目の前で激昂する幼なじみを前にクリュウは口を固く閉じた。

「何あんた、やる気を失ってるのよッ! この非常時に、シャキッとしなさいよッ!」

「……うるさいなぁ」

「なッ……!?」

 視線を合わせる事なく、鬱陶しげに呟いた彼の言葉にエレナの怒りの炎は激しく燃え盛る。胸倉を掴んだまま、怒り狂うエレナは激しく怒鳴る。

「あんたはこの村を守るハンターでしょッ!? それが、村の一大事に何してんのよッ! 何で立ち上がらないのよッ!」

 次々に吐き出される彼を責める言葉の数々。だが、いずれの言葉にもクリュウは無反応だった。まるで聞いていないかのように、一切視線を合わせようとせず、その瞳は濁ったままだ。無気力、そんな感じが彼から滲み出ていた。

 一行にやる気を見せないクリュウの、情けない様に耐えられなくなったエレナは彼の胸倉を外すと突き飛ばし、そのまま背を向けて出て行ってしまった。尻餅をついたまま動かないクリュウを、リリアが心配そうに見詰める。

「お兄ちゃん……」

「……戦ってない奴に、わかるもんか」

 床を見詰めたまま、力なく彼は呟いた。

 

 村最大の危機を前に、本来なら一つになるはずの気持ちがバラバラになる少年達。その回復を待つ暇もなく、イージス村では急ピッチで村を脱出する為の作業が進められていた。


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