モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第212話 雪嵐怒涛 嵐天より舞い降りし厄神と狩人達の邂逅

 イージス村を出発してから四日目の夜、一行はイルファ雪山の麓町であるラヴィーナ村へと到着した。だがそこは常の活気はなく、人々の往来もなければ人が生活を営んでいる証である明かりもない。まるでそれはゴーストタウンのような、無人の村となっていた。

 いつもならポポに荷車を引かせた商人や村民が往来する村のメインストリートにも、アイルー一匹すらその姿を見る事はできない。ここは全ての村民がすでに避難を終えた、無人の村と化していた。

「……人がいなくなった村って、こんなに寂しいものなんだね」

 無人の村と化した、慣れ親しんだはずのラヴィーナ村を前に、クリュウは悲しげに呟いた。その言葉の裏には、もしかしたらイージス村もこんな風になってしまうのでは。そんな不安があった。彼の不安を感じ取ったフィーリアがすかさず「大丈夫ですよ。イージス村の人達が安全に村に住める証を見つければいいんですからッ」と励ます。そんな証拠がある確証はないし、彼の不安は的中してしまうかもしれない。そんな事はこの場にいる全員がわかっていた。それでも、フィーリアは例え嘘になってしまっても、こう言うしかなかった。否、こう断言したかったのだ。

 フィーリアの言葉と想いに、クリュウは笑みを浮かべて「そうだね。その為に、僕達はこの山に来たんだから」と言って、前方に広がるイルファ山脈を見上げる。その笑顔はいつもの彼らしくない、作り笑顔だ。本当は笑えるような状況ではない。でも、仲間に不安を与えないように努めている。そんな事、この場にいる乙女三人はとっくに気づいている。とっくに気づいていて、彼のその優しさに胸を打たれた。

「……麓の天気は雪。山頂付近は、確認できない」

 ラヴィーナ村の上空には厚い雲が覆っており、星空は確認できない。チラチラと降り積もる雪は吹雪とは言えない程に穏やかだが、住民の消えた村は除雪する人もいない為、道は厚い積雪が覆い隠し、屋根の上にも雪が積もっている。そして肝心の山頂付近は暗くて確認する事ができなかった。

「しかし、妙だな……」

 そう言って辺りを見回したのはシルフィード。その目線は放棄された家屋に注がれているが、その視線は疑念に満ちていた。だがそれは彼女だけではなく、この場にいた全員共通の意見だった。

「ラヴィーナ村の避難理由って、嵐って聞いてたけど……そんな様子はないよね」

 クリュウの言う通り、ラヴィーナ村の家屋は雪で白く染まってはいるが、全く損壊している様子はなかった。それどころか天気も雪がチラチラと降っている程度で風は穏やか。とてもじゃないが嵐とは言い難い天候だった。

「……やっぱり、地域政府は何かを隠している――あの山に、何かある」

 そう言ってサクラはイルファ雪山を見上げ、それに習うように他の三人も一斉に山を見上げた。そこには曇天の空をバックに、どこか不気味なイルファの山が聳え立っていた。

「やはり、行ってみなきゃわかりませんよね」

 雲で見えぬイルファの頂きを窺いながら、フィーリアも厳かにつぶやく。そんな彼女の言葉に静かにうなずき、クリュウは雪の上に一歩を踏み出す。

「――行こう。山で何が起きているのか、調べなきゃ」

 彼の言葉にうなずき、一行は再び竜車に乗って進み出す。本来ならこの村でアニエスを預けてポポを借りて山入りをするのだが、村民の避難に使われたのかポポは残っていない。予想していた通りの状況で、クリュウ達はアニエスに特製の上着を付けて防寒対策を整えた上でイルファ雪山へと向かう。その道中も、彼らは誰ひとりとも会う事はなかった。

 

 拠点(ベースキャンプ)に到着した一行はいつもの通り竜車をそのまま天幕(テント)代わりにして設営を終えると、道具類の確認に入る。調査依頼の為に用意された支給品は最低限しかないが、それぞれが必要と思われる装備を持参し、装備は万全だ。

 ガチャリと音を立て、ハートヴァルキリー改に通常弾LV2を装填したフィーリアはガンベルトなどを確認して自らの準備を確認する。呼吸するたびに白い息が空に溶ける程の寒さでも、彼女は震える事なく毅然と振る舞う。

 サクラもまたその場で基礎的な太刀捌きで飛竜刀【紅葉】を振るう。凍てつく空気を焼き払う炎撃に一つうなずくと、静かに鞘に刀を戻す。

 シルフィードはすでに準備を整え、地図を片手に今後の行動を熟慮している。調査依頼とはいえ、前回のティガレックスのような事もないとは言い切れない。どう動くのが最善か、リーダーとして考えている。

 そしてクリュウは、一人サクラと同じように基礎的な剣捌きを練習する。踏み込みと同時に突きの一撃を入れ、すかさずバーンエッジの刃を翻して横へ薙ぎ、その動きを殺さずに大振りに剣を右から左へと振り下ろし、今度は反対に左から右へと薙ぎ、最後はその場で軸足を中心に身を翻しながら剣を薙ぎ払うようにして振るう回転斬り。ひと通りの動きを練習し、十分に体が温まった頃には全員の準備が完了していた。

「それでは、これよりイルファ雪山へと入山する。今回は四人で行動するものとする」

 シルフィードの指示に、反論する者はいなかった。前回は調査内容をより精度を高めつつ効率良く山を調査する為に複数の小人数の班に分散した。その結果、クリュウとサクラは轟竜ティガレックスと遭遇して被害を受けた。今回はそういった想定外の自体に備えて、多少効率が落ちても万全の構えが取れる四人一隊(フォーマンセル)をシルフィードは採択した。

「今回は荷車はない。その為、フィーリアを中心に先頭を私。右後方をクリュウ、左後方をサクラが進む形の陣形(フォーメーション)で進む。異論はないな?」

 反対意見はなかった。皆納得したようにうなずき、シルフィードの指示に従う。それを見てシルフィードはうなずくと「それでは、出発する」と言って先頭を歩き出す。それに続いてフィーリア、クリュウ、サクラの順で四人は拠点(ベースキャンプ)を出発した。陣形(フォーメーション)はフィーリアを中心とした三角形を描く三角陣形(デルタフォーメーション)。普段は荷車を引いているクリュウを中心とした陣形(フォーメーション)であるが、今回は接近されると弱いガンナーであるフィーリアを守る形で剣士三人が配置されている。

 片手剣使い及びランス、ガンランス使いは攻撃重視型と防御重視型で構えが変わる。攻撃重視型の場合は利き手に剣を持ち、防御重視型は逆に利き手に盾を持つ。クリュウの場合は前者であり、右手に剣を持ち左手に盾を持っている。なので通常の場合クリュウは左側に配置するのが理想だが、今回クリュウは右側に配置されている。これはサクラが隻眼である事に関係しており、彼女は左目を失っている為、彼女を右側に配置する事が優先され、結果的にクリュウが左側に配置される事となった。これがシルフィードの考えた最善の陣形(フォーメーション)だった。

 まず最初にエリア1へと入った一行の目の前には、すっかり真っ白の雪景色に染まった川辺が広がっていた。いつもならわずかに草が生えていてポポがそれを食む光景が見えるのだが、真冬ともなるとそれらの草も雪の下にその姿を消してしまい、ポポもまた食事場所を変えているのか姿は見えなかった。

「……寒い」

 ハァと白い息を吐きながら身を震わせるサクラの一言に、隣を歩くクリュウがうなずく。その彼も寒そうにディアブロシリーズの下で身を震わせていた。

「ちょっと早いけど、これはホットドリンク飲んだ方がいいよね」

「そうだな。予定外だが、この寒さは敵わん。全員ホットドリンクを飲んでおけ」

 真冬のイルファ雪山はエリア1でもすでにホットドリンクが必要な程に気温が低いらしい。シルフィードの指示に従い全員が予定よりも早くホットドリンクを飲み、寒さに備える。慣れ親しんだはずの山も、季節が違うだけで全く状況が異なるという事を早速身を持って知った四人は改めて警戒しながら山頂を目指して山を上って行く。

 だが、エリア2に入ってもそこにはガウシカの姿も見られなかった。そこで初めて先頭を歩いていたシルフィードが足を止めた。ゆっくりと振り返った彼女は「やはり妙だな」とつぶやく。

「サクラ、君はこの状況をどう思う?」

 話題を振られたサクラは憮然とした様子を崩す事なく淡々と「……轟竜の時と同じ雰囲気」と簡潔に答える。だがそれはこの場にいた全員が感じていた事で、皆の意見と共通していた。

 以前轟竜ティガレックスがこの山に居座った際、四人は勇猛果敢に挑みこれを討伐した。その際、ティガレックスを恐れてか草食モンスターはいずれも姿を消していた。草食モンスターは気配にとても敏感であり、狩場に住まう天敵の気配を感じて身を隠す習性がある。今の状況は、ティガレックスの時とあまりにも酷似していた。

 不気味な程に静かな山。それを前にしたクリュウ達はそれとは反対に胸が騒いで仕方がなかった。やはり、この山で何かの異変が起きている。それはいよいよ確信へと変貌しようとしていた。

「気を引き締めて行くぞ」

 エリア2の奥の方にある坂を登った先にある、洞窟であるエリア4へと通ずる入口の前に到達した一行に振り返ってシルフィードはそう言うと、緊張した面持ちのまま洞窟の中へと入る。クリュウ、フィーリア、サクラの三人もそれに続く。特にフィーリアはすでにハートヴァルキリー改を構え、突然の奇襲攻撃に備えている。サクラとクリュウもそれぞれの武器の柄に手を当てながら、ゆっくりとした足取りで進んでいく。

 そんな仲間達の緊張を背中に感じながら、自らも警戒を怠る事なくゆっくりとした歩みで進んでいくシルフィード。いつになく緊張の糸を引き締めながら、一行はエリア4を抜ける。途中にギアノスの奇襲を受ける事もなく一行は無事にエリア7へと至る。

 出口が見え、ゆっくりとした足取りで抜けると、そこは山の斜面にできた平地。片側を崖が、その反対を険しい山肌が聳える形のエリア7。快晴であればここから眼下にきれいな景色を見る事ができるのだが、生憎天気は荒れていた。動きを制限される程強い訳ではないが、横風が吹き荒れ、空から降る雪もその風に流されてゴォゴォと音を立てて横殴りに地面に落ちる。所謂吹雪と言うに相応しい悪天候だった。

「くそぉ……やはり山頂付近はこうだったか」

 予想していた通りの悪天候にシルフィードは顔の前に腕を構えながら舌打ちする。後続の三人も吹き荒れる風に一瞬動きを止めるが、目を凝らして辺りを調査する。風はいつにも増して冷たく、ホットドリンクを飲んでいるはずなのに体中の血が凍ってしまいそうな程に寒い。

 クリュウは盾を風上に向けながら顔を守るようにして風下を見回す。足元はいつにも増して積雪しており、正直かなり歩きづらい。それでも足場をしっかり確認しながら歩く一行は周囲を調査し続ける。

「……何もいない」

 サクラがポツリとつぶやいた言葉に、シルフィードはうなずく。

「天気は確かに悪いが、別段変わった点はないな」

「でも、麓はこんなに荒れてなかったよね。山頂付近が荒れているのは仕方ないにしても、これでラヴィーナ村はともかくイージス村が避難対象になるとは思えないんだけど」

「ただ、確かに天気が悪いにしても一匹もモンスターと遭遇しないのはやはり妙かと」

 四人は吹雪の中話し合いを続けるが、現状の情報だけでは判別できないとの結論に至る。確かに山に異変が起きている事は何となくわかるが、明確な原因は不明だった。明らかにする為には、

「……山頂を目指す他はない、か」

 山頂を見上げ、ため息を零すシルフィード。山頂手前でこれほど荒れているなら、山頂の天候は最悪だ。風や雪もさる事ながら、普段よりもグッと寒い風が体温を奪う為、気力も削がれる。ホットドリンクを飲んでこれなのだから、もしもなかったらたちまち凍え死んでしまうかもしれない。冬の山を舐めていた訳ではないが、予想以上に厳しい。

「行くぞ」

 シルフィードの掛け声と共に、一行の進撃が再開される。目的地は山頂のあるエリア8。気を引き締めて歩みを再開する一行の中、クリュウもまたゆっくりとした足取りで雪を踏み締めて歩みを続ける。その時、

「ん?」

 遠くに一瞬何かが光るのが見えた。クリュウは「ちょっと待ってて」と言い残してその光った物を目指して隊列を離れる。どうしたのかと怪訝そうな顔でこちらを見やる三人を背に、クリュウは目的の物を拾い上げた。

「……何だこれ?」

 それは、見た事もない異物だった。原型を留めない程にまでサビついた鉄片。腐食が激しく、全体がサビてしまっていて中を窺い知る事はできない。明らかにスクラップと言っていい品だった。

「これ、何だろ?」

 集まって来た三人に見せても、いずれも首を横に傾げた。どうやら三人も見覚えがないようだ。というか、ここまでサビてしまっては原型がわからないのも無理はないが。

「……ただのゴミよ」

 サクラは興味を失ってそう言い捨てるとスタスタと歩いて行ってしまう。フィーリアも「別段何か特別な意味がある品にも見受けられませんね」と言い残して勝手に歩いて行ってしまうサクラを追う。

「……うーん、ただのゴミかなぁ」

 だがクリュウはどうにもしっくり来なかった。ここは輸送ルートからも外れた山である為、普段商隊が入る事は少ない。竜車の部品の一部、商品の一部といった線は薄いだろう。そしてここは山の上だ。風で飛ばされて来たという説は成り立たない。だとすれば、これは一体どこから来たのか。全く想像がつかなかった。

 一方、彼の持つ謎の朽ちた鉄片を凝視していたシルフィードは、難しい表情を浮かべていた。それに気づいたクリュウが声を掛けると、シルフィードは険しい顔のまま「……昔、これに似たような物を見た記憶があるのだが、思い出せないんだ」とつぶやく。

「そうなの? だったら、何か思い出したら教えて。手がかりになるかもしれないから」

「善処しよう」

 いつの間にかかなり先まで行ってしまった二人を追ってクリュウとシルフィードは歩き出す。道具袋(ポーチ)の中に朽ちた鉄片を入れたクリュウは遠くで自分を呼ぶ二人の姿に苦笑しながら小走りで進む――その背後を、謎の影がゆっくりと通過した事に気づく事もなく……

 

 山頂があるエリア8はイルファ雪山が死火山であり、古の頃に大噴火を起こした事実を感じさせるカルデラ地形となっており、周りを壁に囲まれたまるで闘技場のような形状のエリアである。東側が最も高く、正確にはその上に山頂があり、専用の装備があれば登る事はできるが、クリュウ達の目的は別に山頂に登る事ではない為、いつもそこまでの装備は持たずイルファ雪山に入っている。だからこそ、今まで山頂に登った事はなかった。だが今回は調査依頼の為、それらの装備を持参して入山していた。

 吹雪の中、慎重にアイスクライミング用の装備を身につけ、クリュウが代表として山頂へと登って行く。下から不安そうにこちらを見上げている三人に時折「大丈夫」と声を掛けながら、ゆっくりゆっくり慎重に登って行った。

 そしてようやくの思いで山頂へと到達したクリュウ。そこで彼を待ち受けていたのは……

「何、これ……」

 山頂は決して広いとは言えない。部屋一つ分くらいのスペースしか無い狭い場所だ。だがそこ一杯に鎮座している異物を前に、クリュウは言葉を失っていた。

 それは巨大な鉄の塊だった。長年そこに放置されていたのだろうそれは、すっかり朽ちてサビに塗れて原型を留めていなかった。そしてそれは、

「これ、だよね……」

 彼が持っていたエリア7で手に入れた朽ちた鉄片と同じものであった。だがそこに横たわっているのは彼が手に持っている破片とは比べ物にならない程巨大。それこそ大型モンスター程の大きな鉄塊だった。

「こんなの、見た事ない……」

 周囲を歩きながら観察してみるが、特筆して妙な部分はない。こんな雪山の山頂にこれほど巨大な鉄塊がある事自体が異常なので、それ以外の些細な点など気にならないというのが本音だった。ただ今回は調査依頼なので、目視だけではなく様々な手段を用いてこの鉄塊を調査してみる。

 サビを取ってみようと磨いてみたり、火を起こして燃やしてみたり、仕舞いには持参した小タル爆弾で爆破してみたりするもビクともしない。ただ亀裂を見つけてピッケルを振るうと中からフルフルの幼体であるフルフルベビーが出て来た際には驚いたが、この鉄塊は文字通りただの鉄の塊でしかないようだ。

 これ以上持参した道具(アイテム)では調べられないと悟ったクリュウは諦めて元来た道を戻るようにして山頂を下る。ロープを慎重に下ってエリア8の地へと戻ると、自分の帰りを待っていた三人が駆け寄って来た。

「どうだった?」

 開口一番に尋ねるシルフィードの問いかけに、クリュウは道具袋(ポーチ)から例の朽ちた鉄片を取り出すと「これの巨大な塊が転がってた」と簡潔に述べる。

「……何なのこれ?」

「いや、僕にもわからないんだけど……」

 サクラの疑問にも、クリュウは答えられない。彼自身がそもそもこの鉄片の正体がわからないのだから、説明のしようがないのだ。

 クリュウから謎の鉄片を受け取ったサクラはしげしげと見詰めるが、興味を失ったのか隣から覗き込んでいたフィーリアに押しつける。慌てて受け取ったフィーリアも鉄片を慎重に見詰めていたが、最後には首を横に振ってクリュウに鉄片を返す。

「こんな物、見た事もありません……」

「だよねぇ。こんな鉄の塊が山頂に放置されてるんだよね」

「……飛行船の残骸?」

「いや、そういう風には見えなかったよ。何だろ、ハッキリした事は言えないんだけど――何だか、何か大きな生物の抜け殻みたいな印象を受けたんだ」

 ぼんやりとした事しか言えないクリュウの言葉にピクリと反応したのはシルフィード。凍える程寒い風が吹き荒れているのに、彼女の頬を大粒の汗が流れる。空気は雪が降っている事もあって湿っているはずなのに、喉が渇いて仕方がない。

「生き物の抜け殻、ですか? でもこれって鉄ですよね?」

「あ、うん。だから僕の思った印象だからさ。その、気にしないで」

 自分でもおかしな事を言っていると自覚しているからこそ、フィーリアの冷静な意見に笑って誤魔化すしかない。この話は終わりだとばかりに切り上げ、山の反対側へと調査範囲を拡大させようと言い出すクリュウの言葉にフィーリアとサクラも同意する。だがそんな三人に背を向けたまま、山頂に目を向け続け一人沈黙を貫くシルフィード。

「シルフィ、どうしたの?」

 そんな彼女の異変に気づいたクリュウが声を掛けるが、シルフィードは何も答えない。ただ無言で山頂を見詰め続けている。

「シルフィ?」

「――すぐに山を下りるぞ」

「え?」

「今すぐ下山するッ! 急げッ!」

 突然怒鳴るように下山指示を飛ばすシルフィード。その表情は切羽詰まっており、恐怖と焦燥が入り交じったような表情。いつもの冷静さを失った彼女の感情的とも言っていい悲鳴にも似た声に、状況を理解できず困惑している三人の足は動かない。

「し、シルフィード様? ど、どうなされたんですか?」

「……シルフィード、変」

 フィーリアとサクラもらしくない彼女の姿を前に困惑している。だがシルフィードはそんな二人の反応など見えていないように二人の背中を押して無理矢理にでも歩かせようとする。その間も「急げッ! とにかく洞窟内まで走れッ!」とこの場から脱せよと叫び続ける。

 完全に冷静さを失ったシルフィードを前にクリュウが慌てて彼女の肩を掴んで振り向かせる。

「ど、どうしたのさシルフィッ!? 一体どうしたって言うのッ!?」

「いいから言う事を聞けッ! 話も抗議も全て後に聞くッ! ただ今はとにかく走れッ!」

「それじゃ納得できないよッ! ちゃんと理由を言ってッ!」

「だからッ! 今この山にはクシャ――」

 それ以上の言葉は聞こえなかった――次の瞬間には、四人は空を舞っていた。

 全身をバラバラに引き千切られるような感覚。悲鳴すら上げられない激痛。まるで風の刃で全身を斬りつけられているかのような感覚。意識が一瞬で飛びそうになる程の衝撃と激痛だった。だがそれも一瞬の事で、次の瞬間には空中に身を投げ出されている浮遊感。そしてその次に襲ったのは地面に倒れる衝撃と痛みだった。

 雪の上に倒れた四人。何が起きたのか理解できず全身を襲う激痛の中で困惑する。倒れている者全ての口から苦悶の声が上がる。

 全身を襲う激痛に顔をしかめながらも、クリュウは腕をついてゆっくりと半身を起こす。次の瞬間、猛烈な吐き気に襲われ、慌ててディアブロヘルムを取って嘔吐する。咳き込みながら胃の中のものを全て吐き出し、ゆっくりと頭をもたげる。その時、彼は見てしまった。

 いつの間にか天気はさらに悪化し、視界はかなり制限される暴風雪。その中を、何かがゆっくりと降りて来た。

 それは巨大な翼を持つ赤茶色の体色をした竜だった。

 巨大な翼で荒れ狂う暴風を吹き飛ばし、ギシギシと何かが擦れる音を響かせながらゆっくりと鈍色の空から雪上へと降り立つ。地面に脚が着く寸前、脚下に積もっていた新雪がブワッと舞い上がる。

 白銀の大地へと降り立った竜は、クリュウがこれまで知っている飛竜の知識とは似ても似つかない異形のものだった。

 全身に赤茶色の鎧を纏った竜は鈍色の空いっぱい巨大な翼を広げている。尾と首は細長く、首の先には巨体には少し小さめな頭があり、空気抵抗をできるだけ減らしたかのようなその出で立ちは鋭い印象を受ける。

 スリムな体つきに巨大な翼。それは飛竜種の典型的な特徴であり、それ自体は特筆して驚くべきものではない。だが、その竜は飛竜種とは明らかに異なる特徴を持っていた。

「よ、四本脚……ッ!?」

 赤銅色の竜は翼をゆらゆらと揺らしながら、大地をしっかりと踏み締めている。だがその数は通常の飛竜種が二本の脚で大地に立つのと違い、逞しい四本の脚で地面を踏み締めていた。クリュウの知る限り、翼を持ちて四本の脚を備える飛竜は存在しない。飛竜種は前脚が翼に進化した種であり、四本の脚を備えたまま翼を持つ飛竜種など、この世には存在しない。

 だが同時に、彼は知っている。この世の中に、その例外とも言える四本の脚と翼を備える竜がいる事を。そしてそれは飛竜種とは異なる種族。

 古よりその存在は神秘と厄災の象徴とされ、人々から畏敬の対象とされてきた存在。その者が通過するだけで自然災害に匹敵する程の被害と、時には恵みを与えると言われてきた。つい先日にはその一種が城塞都市一つを一夜にして焼け野原とした事も記憶に新しい。

 最強にして最悪のモンスター。その生態のほとんどが謎に包まれ、個体数も限られ、ある種伝説の存在として語り継がれる者達。その名は――

「古龍……ッ!」

 極寒の雪風に晒されているのとは違う意味で全身の震えが止まらなくなる。歯の根が合わずガタガタと震え出す。暴風に乗って来る殺気に本能がこれまで経験した事のない危険だと警鐘をやかましいくらいに鳴らしている。

 会ってはならない相手。運命の糸が決して絡まってはいけない存在。なのに、運命のいたずらか。それともこれ自体が運命なのか。出会ってしまった……

 ゆっくりと雪上を闊歩するその姿は威風堂々としていて、恐怖を抱かずにはいられない。すでにこちらに気づいているのだろう。ブリザードと共に体に吹き付ける強烈な殺気に全身の震えが止まらない。

 左右に倒れていたフィーリアとサクラも同じように目の前の古龍を凝視したまま恐怖で身を震わせている。サクラは隻眼をこれまで見た事もない程に広げ、フィーリアに至っては恐怖のあまりそのクリッとした瞳の縁に大粒の涙を浮かべている。

 そしてシルフィードは現れた古龍を前に他の面々と同様に恐怖で身を震わせながらも、憎々しげに相手を見据える。古龍と視線が合っても決して視線を逸らす事なく、静かにその名をつぶやく。

「鋼龍――クシャルダオラ……ッ」

 威風堂々としていながらも、どこか優雅さすら感じられる進撃の歩みを赤銅の龍――鋼龍クシャルダオラが止めたのはその時だった。目の前で自らを眺めたまま呆然としているちっぽけな四つの生物を前にしばしの沈黙が舞い降りる。だがそれも、自らの縄張りを荒らす敵だと判断するまでのわずかな時でしかなかった。

 クリュウ達を敵とみなしたクシャルダオラはその身から放つ殺気をさらにより凶悪に、より濃く、より荒々しく拡大させると、屈強な四本脚のうち後ろの二本だけで立ち上がる。前脚を掲げ、翼を広げながら、伸ばした首の先にある凶悪な頭の鋭い瞳を煌めかせ、その雄叫びを己が領域全体に響かせる。

「グギャアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 轟竜ティガレックスや角竜ディアブロスの咆哮(バインドボイス)に比べればその声量は大した事はない。だが本能的に、その雄叫びはこれまで聞いたどの咆哮(バインドボイス)よりも心から恐怖を抱かずにはいられないものだった。

 寒さとは違う震えが全身を襲い、咆哮(バインドボイス)の範囲外だというのに体は指一本すらも動かす事ができない。生物としての本能が、絶対的強者を前にして全ての抵抗が無意味であると叫んでいるような絶望。それでも――

「……ッ!」

 クリュウは無理矢理立ち上がると、その場で剣を構えた。驚く他の面々の前に出て、こちらを睥睨するクシャルダオラを前に盾を前に突き出すような防御重視の構えで挑み出る。その足が震えている事など、背後の三人だってわかっているはずだ。

 本当は怖くて怖くて仕方がない。今すぐこの場から逃げ出したい。そうしなければ危険だと、本能が叫んでいる――だが、それが何だというのだ。

 ここから逃げる事は難しいができない訳ではないだろう。だがそれは単身だった場合だ。今の自分の背後には守るべき仲間がいる。大切な、決して見捨てる事などできない仲間達が、後ろにいるのだ。そんな彼女達を残してこの場から逃げ去るなど、できるものか。

 怖くても怖くても、前に出て盾を構え、剣を突き出す。男として、女の子にかっこいい姿を見せたいとかそんな気持ちではなく――男として、女の子は守らなければならない。そんな責務にも似た想い。

 ――だがそれは、決して彼だけではない。

「全員で逃げ切るには、ひとまず逃げる隙を作らなくてはな」

 そう言って震える彼の肩を叩いて横に並び立ったのはシルフィード。いつもと変わらぬ彼女の姿を見て一瞬安心したクリュウだったが、すぐにその異変に気づいた――肩に乗せられている手が、微かに震えていた。

 よく見れば顔も引きつっており、いつもの彼女の凛々しさはそこにはなかった。それでも彼女は並び立ってくれている。恐怖に震えながらも、気丈に振る舞って隣に並び立ってくれる――それだけで嬉しい。

「……古龍。相手にとって不足はないわ」

 同じく軽口を叩いてみせるが、その足は小刻みに震えているサクラ。表情も平静を装ってはいるが、その実はまだ突然のクシャルダオラの襲撃に心が追いついていない様子。それでも、愛する彼が危険をかえりみずに立ち向かう様を見て震える足を叱咤して前に進み出ている――その姿に、心救われる。

 その時、腕に誰かがしがみつくのを感じた。振り返ればそれはフィーリアだった。恐怖のあまりカタカタと全身を震わせながら、ギュッと目を閉じて抱きついて来る。怖くて怖くて仕方がない、そんな気持ちが痛いくらいに伝わる――だから、クリュウは優しく声を掛ける。

「大丈夫、可能な限り素早く撤退するから。その為には君の力が必要なんだ――がんばれる?」

「……怖くて怖くて仕方がありません――でも、がんばりますッ」

 まだ全身の震えは止まっていないし、恐怖だってもちろん消えていない。空元気だって事くらいすぐにわかる。それでも、気丈に振る舞いながら少女は銃を構えた。銃口がカタカタと震えているが、その瞳は目の前の圧倒的な存在から離さない。そんな彼女を守るように、クリュウは盾を構えながら更に一歩歩み出る。

 こちらの様子を窺いながら低く唸り声を上げるクシャルダオラを前に、四人は震える足を叱咤して果敢にも戦闘態勢を整える。そんな小さな敵達を、クシャルダオラはしばし睥睨する。そして、

「グギャアッ!」

 唸り声を上げ、その強靱な四肢で雪を蹴って突っ込んで来る。

 ――イルファ雪山において、四人の狩人達と鋼龍クシャルダオラの戦いの火蓋が切って落とされた。


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