モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第211話 村に迫る空前の災厄 狩人達に託された村民の想い

 轟竜ティガレックスとの死闘から三ヶ月、中央大陸全体が新年を迎えてしばらく経った頃。真冬の装いに相応しく純白の雪景色へとその姿を変えた大陸北部の辺境にあるイージス村。イルファ山脈にもポポが戻り、モンスターの多くが冬眠した事で目立った事件も起きる事なく、まさに平和という言葉に相応しい長閑な日々を村人達は送っていた。

 そんな平和な村において、奇妙な噂が囁かれるようになったのはここ最近の事だった。

 

「ラヴィーナ村に避難命令?」

 ルナリーフ家に併設されるように建てられた倉庫の中で、武器の手入れをしていたクリュウ。そんな彼に訪れたツバメからもたらされたのは、思いがけない情報だった。

「うぬぅ、詳しい事はわからぬが、どうやら地域政府からの命令のようじゃ」

 イージス村が属する北方地域は、西竜洋諸国のように厳格な定義によって国家が形成されてはいない。この地域一帯に存在する自治組織、つまり村や街は独自で行動している。だがそれではあまりにも不便だという事で、北方地域の村や街は共同で地域自治組織を運営し、それぞれがその組織に属する形となっている。それがアルフレアに置かれている地域政府である。定義上、アルフレア自治区と呼ばれている。国のように細かい縛りはないが、郵便や通行、流通や医療など様々な部分で結びつく事で互いの自治を維持しつつ、孤立せず、発展できる仕組み。国家に属さない村や街の大半が、こうした周辺の村や街と合同で地域政府を自治制を取っている。と言っても、利権や事情で常にこの地域という括りは変化しているので、自治区がどれほどあるのかは、未だ正確な数はわかってはいないが。

 本当に小さな自治区もあれば、アルフレア自治区のように自治面積が西竜洋諸国の国家に引けを取らない巨大な自治区も存在する。自治区が巨大であれば、それだけ何事においても便利である。そういう意味ではイージス村は恵まれていると言えるだろう。

 そんな自治組織には様々な役目があるが、その中の一つに危険な状態の村や街の住民を避難させる義務がある。その際に発せられるのが避難命令である。

「どうして?」

「どうやらイルファ雪山の天候が不安定らしい。ラヴィーナ村だけではなく、その周辺の村にも同様に避難命令が出されているようじゃ」

 ラヴィーナ村とはイルファ雪山の麓に位置する小さな村である。規模で言えばイージス村と同じくらい。イルファ雪山に入る者が身支度を整える際に訪れる村であり、クリュウ達も何度も世話になっている。

「天候が? この時期ってそんなに不安定になるような要因はないんだけどなぁ……」

 首を傾げながら振り返るクリュウの手には今まさに油を塗って磨きを掛けている剣、煌竜剣(シャイニングブレード)が握られている。遠い異国に住む従兄妹から授けられた、大切な剣だ。

「ワシは外部から来たから詳しい事はわからぬが、イルファは今の時期は安定期なのか?」

「安定期というか、大陸風が弱いから常に雪が降るような状態ではあっても、荒れる事はほとんどないんだよ」

 大陸の上空を吹く大陸風。中央大陸に様々な恩恵や厄災をもたらす風だ。季節や天候はもちろん、未だに動力を持たない帆船などはこの大陸風を利用して海を進む。経済用語で大陸風の事を貿易風と言うのは、その名残だ。

 大陸風は季節によって強さが異なる。今の時期だと風はそれほど強くはなく、中央大陸全体がこの時期は穏やかな天候となる場合が多い。だからこそ、この時期に局地的に天気が荒れる事など、普通はありえないのだ。

「荒れる事があっても、避難命令が出るようなレベルなんて異常だよね」

「うぬぅ、この村は平気かのぉ?」

 不安そうに尋ねるツバメの問いに、クリュウは笑顔で答えた。

「大丈夫だよ。この村はアルフレア自治区の中でも最東端に位置する村なんだよ? この村に避難命令が出るような事になったら、アルフレアはもちろん自治区のほぼ全てに避難命令が出るのと同義。そんな大嵐なんて十年に一度起きるかどうかだもん。安心してていいよ」

 この村に生まれ育った経験から、そんな事は起きないと笑い飛ばすクリュウ。そんな彼の言葉に安心したのか「そうか。いや、どうやら杞憂だったようじゃな。すまんすまん」と謝りつつ倉庫を後にしたツバメ。だが彼の言葉に一度は安心したツバメだったが、倉庫から離れるに連れてその顔に難色が浮かぶ。ふと振り返って視線を向けたのは、遠くに聳え立つイルファ山脈。確かに、いつもは山頂付近は晴れているのだが、今は鈍色の雲に覆われてその姿は見えない。

「……何か、嫌な予感がするのじゃが」

 再び胸の中に渦巻く不安から表情が冴えないツバメ。気のせいだと言うのは簡単だが、どうにもそう言い切れない。嫌な予感がする、そんな気がしてならないのだ。

 ツバメの不安を他所に、イージス村は平和な時が流れていた。このままずっと穏やかなまま春を迎える。誰もがそう思っていた――だが、ツバメの不安は最悪の形で現実のものになろうとしていた。

 

 ラヴィーナ村に避難命令が出た後も、地域政府はさらにその避難範囲が拡大を続けた。ついには自治区区都である大陸北部最大の貿易都市であるアルフレアにも避難命令が発令。その後も避難範囲は拡大を続け、最初の避難命令発令からおそよ半月後――自治区最東端に位置するイージス村にも避難命令が発令された。

 

「避難命令ってどういう事ですかッ!?」

 突如ドンドルマのハンターズギルド及びドンドルマに避難して事の対処に当たっている地域政府から伝書鳩を通じて伝わった避難命令に、すぐさま村長の家には村の重役が集まって対策会議が開かれた。その中には村の村防力となるクリュウ達ハンターの姿もあった。

 会議が始まった開口一番、エレナが叫んだ疑問はここにいる皆の想いそのものであった。

「我々も詳しい事は聞かされていない。ラヴィーナならともかく、アルフレアやこの村に避難命令が出るのだからもはや天候という理由では説明がつかないぞ」

 胡座を組んで座るシルフィードの言葉に、バルドやアシュアなども厳かにうなずく。彼女の言う通り、天候でこれだけの範囲に避難命令が出る事はない。事実、現在イージス村は曇天の空からチラチラと雪が降っているが、荒れているとは言えない。

「村長、どういう事なんですか?」

 皆を代表するように尋ねるクリュウの問い掛け。だがそんな彼の声もまた言い知れぬ不安から震えていた。

「ごめんね、僕にも詳しい事はわからないんだ。ただ、地域政府から早急に住民を避難させろって命令書が伝書鳩で一方的に送りつけられてきただけ。理由はイルファ山脈周辺の悪天候って事だけど、おかしいよね。この村はイルファ雪山からはそれなりに離れているから、それが理由とはとても考えづらいんだけど……」

 村長自身、事態が呑み込めずに困惑している様子だった。その表情には焦りや疲れの色が見える。村民の安全を守るのは村長の役目だが、突然の避難命令にどうすればいいか悩んでいるのだろう。確実な理由があれば話は別だが、今回の避難命令はあまりにも雑過ぎるのだ。

「あのさ、ウチには難しい事はわからんけど……避難先とかの指示はあるん?」

 全員が突然の避難指示自体に困惑する中、アシュアはその先の事について尋ねる。村長の言葉の中には避難という単語はあっても、具体的な避難先について提示がなかったからだ。

 だが、アシュアの問いかけに対して村長は首を横に振った。

「……地域政府の方からは、具体的な避難先について言及はなかった。避難先については、各自治体の判断に任せるみたいだね」

 村長の言葉に、いよいよ居並ぶ面々の顔に動揺が走る。避難命令にも驚きと戸惑いがあったが、肝心の避難先の指定がないとなれば状況はさらに劣悪だ。何せ、最終的には避難を強いられるとしても、行き先未定ではどうしようもないからだ。

「付近の村に、避難民を受け入れられるような所はあるか?」

 漁業組合組合長、漁師の長たるバルドの問いかけにも、村長は首を横に振った。何せ、イージス村と親交のある自治体の多くは同じ地域政府に属している。そして、それらにも避難命令が出されているのだ。近くへ逃げる事はできそうもなかった。

「じゃあ、我々はどうすれば……」

 民宿を営む男の動揺に満ちた言葉に、その場にいる他の面々のざわめきも増していく。動揺が広がる村民を前に村長は慌てた様子で「で、でもこの事態にはドンドルマの方も動いてくれるらしいんだ。避難民キャンプの設営なんかも手助けしてくれるみたい」と皆をひとまず安心させられるような情報を言う。

 アルフレアの地域政府はすでにドンドルマにその政府機能を暫定的に移し、そこで避難の指揮を執っている。ドンドルマ側も北部物流の拠点であるアルフレアの窮地を救うべく動いてくれているのだ。

 だが、問題が改善したとは言い難い。アルフレア自治区の中には幾つもの村や街がある。それらの住民全てが避難するとなれば、その難民数は数万人にもなる。それだけの規模の避難民を、ドンドルマだけでカバーできるとは思えない。さらに言えば、避難先で村民がバラバラになってしまう可能性もある。とてもじゃないが、不安は消え去ったとは言えない状況だ。

 未だ動揺が消えない村民を前に、村長は決断に渋っている様子だった。地域政府の命令に背くのはしづらい。だが、不確定情報だけで避難命令を受諾もできない。ほとほと困り果てているという様子だった。

 そんな大人達を前に、クリュウ達は沈黙を続けていた。村全体の事に関わる大規模問題が前では、クリュウ達は何も言う事はできない。これまで幾多のモンスターを撃退してきたとはいえ、今のこの状況では彼らも村長の指示に従う村民でしかないのだ。

 様々な場所で村民同士が話し合う。だがそのほとんどは今後についての不安の吐露でしかない。結論など出るはずもなかった。

 混乱する村民を前に、村長はしばし静観を決め込んでいた。だが突如同じくフィーリア達と話し合っていたクリュウに視線を向けた。その視線に気づいてクリュウが村長の方に振り返ると、村長はその重い口をゆっくりと開いた。

「クリュウ君に頼みがある」

「な、何でしょうか?」

「――イルファ雪山の調査をしてくれないか?」

 それは、三ヶ月前にクリュウ達が引き受けた際と同じ、イルファ山脈の調査依頼であった。

 村人達は何事かと皆が沈黙して村長の言葉に耳を傾ける。フィーリア、サクラ、シルフィードも村長の方に向き直り、姿勢を正す。その間も、クリュウと村長の会話は続く。

「調査……ですか?」

「避難命令があったって事は、少なくとも山に何かの異変が起きているんだ。でもそれが明確に村に悪影響を及ぼすと判断できないと、僕としては避難命令には従えない。避難中の村民の生活を守るのも村長の役目。どちらのリスクの方が大きいか、明確に判断しないといけない」

 村長として、避難命令に従って避難する事は簡単だ。だが、同じく村長として村民の生命と財産、そして生活を守る義務もある。避難する事、日常とは違う生活を行う事もリスクなのだ。村民に高過ぎるリスクを与える訳にはいかない。村にはお年寄りや子供も多く、特にリスクを考えなければいけない。

「だからこそ、今山で何が起きているのか知る必要があるんだ。避難するに値する異変があれば当然避難するさ。でも、村に影響がないレベルであれば警戒はしても避難準備に留めておこうと思う。その判断材料を、君達に集めて来てほしいんだ」

 それが、村長の依頼だった。

 本当にイージス村の村民が避難するような危険が、今イルファ雪山で起きているのか。それを調査して来て欲しいと言うのだ。

 そんな村長の頼みに対し、フィーリア達の表情は冴えなかった。なぜなら、三ヶ月前の調査と現在は状況がまるで違う。内容や緊急度の違いもあるが、最も大きな違いは季節にある。

 前回のイルファ雪山の調査の時期は秋だった。だが今は真冬である。冬の雪山はその山に慣れた人でも命を落とす危険性だってある。事実、イルファ雪山は一ヶ月以上もの間冬恒例の閉山を行っている。特別な許可がなければ入山すらできないような状況だ。

 フィーリア達はもちろん、地元に住んで長いクリュウでさえ冬のイルファ雪山には入った事はない。しかも麓の村などに避難命令が出ている程の悪天候だ。その中に突撃して調査を行うのは、あまりにも危険過ぎた。

 フィーリア達の考えもわかっているのだろう。村長は無理強いはしなかった。

「冬の雪山が危険な事は、僕も重々承知している。だからこそ、無理強いはしないよ。だから頼んでいるんだ。無理だと判断するなら、僕は避難命令に従って村民全員を――このイージス村から避難させる」

 村長の強い決意を前にしても、フィーリア、サクラ、シルフィードの三人の表情は曇ったままだ。ハンターは別に命を懸ける事が仕事ではない。危険な仕事だと思えばいくら金を積まれても動かない。そういうものだ。しかも今回はほぼ無償での依頼となるだろう。もしもの場合には、いくら資金があっても足りないのだから。

 だからこそ、三人はクリュウの答えを待っていた。最終的に、自分達の行動を左右するのは彼の決断だ。

 皆の視線が集中する中、クリュウは一人しばしの間考え込んでいたが、ゆっくりと伏せていた顔をゆっくりと上げる。

「……わかりました。その調査依頼、引き受けます」

 その返答は、ある種この場にいた全員が予想した通りのものであった。彼の性格を考えれば、村が困っているのだから立ち上がる。心優しい彼らしい選択だ。だからこそ、フィーリア達も彼の返答はわかっていた。誰も驚きはしない。むしろ、そんな彼の優しさに笑みすら浮かべている。

 すると、ゆっくりとクリュウは振り返ると、背後に座っていたフィーリア達を見回す。

「って、勝手に決めちゃったけど……あの、冬の山は本当に危険だからさ、みんなは無理してついて来なくてもいいんだよ?」

 申し訳なさそうに言う彼の言葉もまた、三人は予想していた。だからこそ誰も驚きはしない――誰も、首を横には振らなかった。

「何を言っているんですか。私達はクリュウ様と一蓮托生ですよ。ついて行くに決まっているじゃないですか」

 心外だとばかりに頬を膨らませて怒るフィーリアを皮切りに、サクラも「……私はクリュウにどこまでもついて行く」と短く言葉を続け、シルフィードも「君だけ行かせる訳にはいかないよ」と苦笑を浮かべながらついて行くと言う。

 三人の優しい言葉に、クリュウは照れながら「あ、ありがと」と礼を述べる。

「……では、ワシはまた待機じゃな」

 そう言って自ら身を引いたのはツバメ。その隣に座るオリガミも「仕方ないニャ」と慣れた様子。クリュウが申し訳なさそうに謝ると、二人とも気にするなとばかりに笑みを浮かべる。

「なぁに、村に残って村を守る役目も必要じゃろうて。そう気にするでない」

「ごめんね」

「気にするニャよ」

 ツバメとオリガミの笑顔に励まされ、クリュウは改めて村長に向き直ると、改めて調査依頼を引き受ける事を宣言する。そんな彼の言葉に村長は笑みを浮かべながら礼を述べた。

「それじゃ、早速で悪いんだけど明日にでも出発してもらえるかな」

「わかりました」

 かくして、クリュウ達は三ヶ月ぶりにイルファ雪山の調査へと出撃する事が決定したのだった。

 

 その夜、事前準備を終えた四人はエレナの酒場に集まって早めの夕食を取っていた。

 それぞれが注文した料理を食べながら会話を弾ませる。と言っても、話題は自然とイルファ雪山の異変に流れていく。

「イルファ雪山の異変ねぇ……」

 頬杖をしながらどうにも現実味のない展開に困惑するエレナ。イージス村は嵐に備えて様々な工夫が施されている。水路は生活用水を供給する以外にも雨を流す為の雨水路になるし、積雪に備えた家は頑丈で、嵐程度の風でどうにかなるようなものではない。もしもの場合は、村自体が切り立った崖の上にあるので村の下にある崖下から村へと上る道などに利用されている洞窟の中に防災豪が設営されているのでそこに逃げればいい。

 イージス村の防災対策は村の規模に比べて非常に高い水準だ。村長が村の資金を多額に投入しているからだ。おかげで未だに道路を舗装できないと村長は笑いながら言っているのだが、おかげで村民は今日まで安心して村に住む事ができた。

 イージス村の防災対策レベルの高さは地域政府も理解しているはず。なのに、その地域政府が避難命令を出した。いったいどれほどの大嵐か想像できない。しかも村の上空は曇っていても嵐を感じさせないので尚更だ。エレナのように、現実味を感じない村民も少なくはない。

「単なる嵐とは、違う気がするな」

 そう言うのはシルフィード。夕食と言いつつも、その前に置かれた食器の上には茹でた七味ソーセージ、西国セロリのレモン漬けといったいわゆるツマミが盛りつけられ、彼女の手にはキンキンに冷えたフラヒヤビールの入ったジョッキが握られている。その中身はすでに半分程なくなり、頬はほんのりと赤らんでいる。判断力を失う程ではない、いわゆるほろ酔いという状態だ。

「確かにイルファ山脈の方角には鈍色の雲が特に濃く居座っている感じがある。だが、どうにも嵐と言うには穏やか過ぎる雲な気がする。私は気象の専門家ではないが、あの雲でそれほど強い嵐ができるとは思えない」

「僕も同感だよ」

 そう言って彼女の意見に同意するのはクリュウ。サイコロミートのステーキに砲丸レタス、レアオニオン、シモフリトマトに少しだけワイルドベーコンとクルトンが加えられ、特性のシーザードレッシングをかけたサラダ、ココット米の並盛りというサイコロステーキセットを食べ終えた彼もまた氷樹リンゴジュースを飲みながら難しい顔で考える。

「この時期の風向きは確かに東向きだけどさ、アクラ地方から来る寒波はそれこそイルファ山脈が壁になってくれてるから、山を越えた空気は雪は降らせても荒れる事はほとんどない。冬のイージス村は雪は多くても穏やかなんだ。それが、今年に限って大嵐になるなんて事、あるのかな?」

 クリュウ自身も気象に詳しい方ではないが、それでも地元に住む者として今回の避難が必要な程の嵐には疑問を抱かずにはいられない。そんな彼の言葉にエレナも「確かに、この時期は雪はすごくても風は穏やかなのよねぇ。正直、嵐って言われてもピンと来ないわ」と頬杖を解いて腕組みしながら考え込む。

「……考えても仕方がない。行けばわかる」

 一方、たてがみマグロ丼を平らげたばかりのサクラは特に考え込む事もなく、淡々と引き受けた任務を完遂すべきだと主張する。ここで考えていても仕方がない、百聞は一見にしかず。行って見ればわかる、というのが彼女の考えだ。考えるよりも先に行動する。実に彼女らしい。

「まぁ、それはそうだけどさ。っていうかフィーリア、あんたさっきから何してる訳?」

 サクラの意見に一部納得したエレナ。話が一区切り終わった所で、話題を変えるようにして彼女は先程から黙って何かを書いているフィーリアに声を掛ける。食事も北風みかんジュースとワイルドベーコンと砲丸レタスのサンドイッチを二つ食べだだけで、ずっと黙々と筆を走らせている。

「あ、はい。ちょっと実家の方に手紙を書いていまして……」

 フィーリアの実家は大陸最強の陸軍を有する軍事大国、エルバーフェルド帝国の一等貴族、レヴェリ公爵家である。王家に近しい家系で、王国時代から政府に対して物言いができる数少ない貴族の一角を担う貴族家。彼女はそんな大貴族の娘、いわゆるお嬢様なのである。

「レヴェリに? 何かあった訳?」

「いえ、ちょっとお父様にお願いをしようと思って」

「お願い?」

「――村の人達の避難先に、レヴェリの領地を提供してもらうようにと」

 筆を置いて答えたフィーリアの言葉に、誰もが驚きを隠せなかった。シルフィードに至っては食べようとしていた食べようとしていたソーセージを落としてしまう程だ。

「村民を、レヴェリに?」

「はい。避難先の選定に苦慮されているようなら、レヴェリの領地に避難していただこうかと。もちろん、避難中に不自由なく暮らせるよう支援についてもお父様にお願いするつもりです」

「いや、気持ちは嬉しいけどさ……いくら何でもそこまでは……」

 フィーリアの気持ちと申し出は、クリュウにとって言葉にできないくらい嬉しかった。だがいくら何でも今回のその提案はあまりにも大き過ぎる。イージス村の人口は百数十人。それだけの人数を避難させ、且つ生活の支援までもらうとなれば、莫大な金額が必要となる。相手はフィーリアの父親とはいえ、クリュウ達からみればほとんど他人のような人だ。そんな人に、そんなお願いは正直できない。だが、

「今は非常事態です。可能な手段があるなら、惜しみなく使うべきです。それに、私にとってこの村は第二の故郷みたいなもの。そこに住んでいる方々も家族のような存在です――私としても、皆様の事を守りたいんです」

 真剣な眼差しで語る彼女の言葉に、誰も返す言葉がなかった。その必死の視線から、彼女の本気を感じ取ったからだ。村の為に全力を尽くしている。彼女の言う通り、今は使える手段があるなら惜しみなく使うべき状況なのだ。

「あの、ありがと。僕が言うのもおかしな話だけどさ」

 別に自分は村の代表ではない。でも、村民の一人として彼女にお礼を言いたかったクリュウ。頭を下げて礼を述べる彼に対し、フィーリアは笑顔で返す。

「お礼なんて言われるような事はしていません。私は、自らの家族を守りたいだけなんですから」

 そう言って微笑む彼女の姿に、その場にいた者全てが救われた事を、彼女は知らないだろう。皆、先の見えない状況に多かれ少なかれ不安を抱いていた。その不安を少しでも拭う事のできる提案をフィーリアが行ったというのももちろんある。だが、こんな状況においても笑顔を忘れず明るく振る舞う彼女の姿に、皆心が救われたような気がしていた。

「お父様から正式な返答がない段階では村長様に報告するのはやめておきましょう。おそらく大丈夫でしょうが、仮に無理だとなった際に期待を裏切る事になりますから」

「そうだな。今村長はかなりいっぱいいっぱいの様子。これ以上負担を掛けるような事は避けるべきだろう」

 ひとまず村長にはフィーリアがレヴェリに避難要請を出した事は伏せるとして、ひとまず大きな問題は一つ片づいたと言えるだろう。村から避難するというのは最後の手段にしておきたいが、それも今度の調査で決定する。そう考えると、自然とクリュウの表情も険しいものになる。自分の判断が、村民全ての避難という大きな決断の判断材料になるのだ。

 責任重大。自然と険しい表情になる四人を前に、エレナはわざとらしくうため息を零す。

「ったく、せっかくお父さんとお母さんが久しぶりに帰って来るってのに……」

「え? おじさんとおばさん、帰って来るの? っていうか、おばさんの具合は良くなったの?」

 驚くクリュウの問いかけに、エレナは嬉しそうに微笑みながら「ガリアでたっぷり療養したから、お母さんの体調がすごく良くなったのよ。それで、また村に戻って来る事になったのよ」と嬉しそうに語る。エレナは両親とここ二年程会っていない。手紙のやりとりは続いていたが、会うのは久しぶりだ。それもまたこの村で暮らすというのだから、嬉しさも相当なものだろう。だが――

「――その矢先に今回の騒動が起きちゃったのよね。せっかくまた二人と一緒に暮らせると思ったのに……」

 残念そうに、ひどく落ち込むエレナを前にクリュウは掛ける言葉を見つけられないでいた。すると、落ち込む彼女の肩をシルフィードがそっと叩く。振り返るエレナのどこか哀しげな瞳を前に、シルフィードは頼もしく微笑んだ。

「まぁそう気を落とすな。まだ避難が確定した訳じゃない。私達の調査での報告を考慮して最終判断が出されるのだからな。君の期待に応えられるよう、私達もがんばるさ」

 そう言ってシルフィードはエレナの頭をグシグシと少々乱暴に撫でる。髪を乱されたエレナは「わ、わかったから手を放しなさいよッ」と怒る。シルフィードが腕を引っ込めると、エレナは抗議するような眼差しで彼女を見詰めながら髪を正す。そんなエレナの姿を見てシルフィードは口元に笑みを浮かべる。

「っていうか、本当に大丈夫な訳? 冬のイルファは危険なのよ」

 乱れた髪を整えながら尋ねるエレナの声には心配の色が込められていた。冬のイルファ雪山が危険な事はエレナだって知っている。そこへ調査依頼とはいえ入山するクリュウ達の事を、心配しているのだ。

 エレナの問いに対し、クリュウは「まぁ、無理はしないつもりだよ。心配してくれてありがと」とエレナを心配させまいと笑みを浮かべる。

「ば、バカッ。別にあんたの事なんか心配してないわよッ」

 頬を赤らめながら怒るエレナの反応にシルフィードの口元に笑みが浮かぶ。だがそれも一瞬の事で、すぐに表情を引き締めるとクリュウ達を見詰める。

「エレナの言う通り、冬のイルファ雪山は危険だ。いつも以上に準備を万端として挑むぞ」

 シルフィードの言葉に、三人は厳かにうなずいた。話題は自然と調査依頼のものへと変わって行く四人を前に、エレナは無言で台所へと入ると、そこの裏口から外に出る。裏口には様々な食材が入った木箱が置かれていた。この時期のイージス村は寒いので、冷蔵庫を使わなくてもこうして冷蔵ができるのだ。その中からとっておきのジュースを手に取ると、再びホールへと戻る。話し合いをする四人のテーブルに、途中の台所で手に入れた四つのコップと一緒にジュースの入ったビンを置く。

「これ、私のおごりよ。これでも飲んで気合い入れなさい」

 そう言って彼女が差し出したジュースを見て、クリュウは笑みを浮かべた。

 それはクリュウが好きで、エレナが無理して仕入れてくれているジュース。可愛い後輩の故郷、アルザス村の名産品のグレープジュースだ。

 フィーリアが注いだグレープジュースを飲み干したクリュウは気合いが入った様子で、そんな彼のやる気に触発された三人と共にその後も会議が続き、夜は更けていった……

 

 翌朝、クリュウ達は村のターミナルにいた。必要な荷物を竜車に積載し終えたクリュウ達を見送る為に、村へと続く崖下の入口には多くの村人達が集まっていた。その表情は皆期待と不安に満ちており、それだけクリュウ達の調査内容が重要なのかが見てとれる。

「心配しないで。お姉ちゃん達がんばるから」

 集まる子供達を前に彼らの不安を拭い取るフィーリア。村でクリュウに次いで人気のあるフィーリアお姉ちゃんの言葉に子供達にも少しずつ笑顔が戻っていく。詳しい事はわからなくても、村に何かが起きている事くらいは彼らもわかっているのだ。それでも、フィーリアの言葉を信じて笑顔を取り戻す子供達を見て、クリュウの口元にも自然と笑みが浮かぶ。

「アシュアさん、いつもいつも急ですみません」

「気にせんでええよ。あんたらはウチにとってお得意さんやからねぇ。それに、村の為だと聞いちゃウチにもできる事がんばらんとねぇ」

 そう言いながら笑みを浮かべるアシュアは、髪はボサボサで目の下には隈が浮かんでいる。明らかに寝不足の証だ。

 昨日の対策会議に出席していたアシュアは、クリュウ達が雪山に調査依頼へ行くと知ると彼らに武具の調整を申し出た。万全の状態で挑んで欲しいという彼女なりの気遣いだったのだろう。それに甘え、クリュウ達は武具を彼女に預けた。そして先程、調整が終わった武具を預かって装備した所だ。徹夜して間に合わせてくれた彼女には感謝の限りだ。

「お兄ちゃん……」

 アシュアの傍にはリリアが不安そうな目でこちらを見詰めていた。クリュウは彼女を安心させるように笑みを浮かべると、彼女の頭を優しく撫でる。

「リリアもありがとうね。ホットドリンク融通してくれて、助かっちゃった」

「私も、村の為に何かしたくて……」

「うん、わかってるよ。ありがと」

 それはクリュウの心からの言葉だった。リリアもまた、無理をして色々と道具(アイテム)を融通してくれた。特にホットドリンクの無償提供はありがたく、クリュウ達の装備が万全なものになったのは彼女のおかげと言っても過言ではなかった。

 クリュウに頭を撫でられ、不安に満ちていたリリアの顔にも笑みが浮かぶ。無邪気に微笑む彼女を見て、クリュウもまた、改めてこの村を守りたいという気持ちが強くなる。この笑顔を守る為にも、自分にできる事に全力を注ごう。心からそう思った。

「まぁ、留守は任せておくのじゃ。何があっても、ワシとオリガミで対処してみせるのじゃ」

「大船に乗った気でいるニャ」

 留守中村を守るツバメとオリガミの言葉にクリュウはうなずき、手を伸ばす。その意味を悟ったツバメもまたうなずくと、そっと手を差し出す。二人は無言のまま、ガッチリと握手した――お互いを信じ合いながら。

 オリガミとも握手を済ませたクリュウは最後にこれまでずっと黙っていたエレナに視線を向ける。視線を向けられたエレナは無言のまま群衆の中から前に出て来る。

「行って来るね、エレナ」

「うん……。あの、これ」

 言いづらそうに小さめな声で彼女が差し出したのは、小綺麗な布に包まれた物。何だろうと受け取ると、中からはいい匂いが漂って来た。その匂いで、その正体に気づく。

「これって……」

「お、お弁当よ。あんた達朝早くに出て行くって言うから、どうせ朝ご飯食べないと思って作っといたのよ。道中、お腹でも空いたら食べなさい」

「あ、ありがと……」

「アシュアやリリアと違って、私にできる事はこれくらいしかないけど――私も、村の為に少しでも力になりたい。これは、その一環よ」

「そっか……」

 エレナの言葉に、クリュウは改めて気づかされる。

 村最大の危機に今、村人達の心は一つになろうとしている。自分達のできる事を、全力でやろうという想いに満ち溢れていた。皆、村の為にがんばっている。そんな皆の期待を受けている自分達もまた、全力でがんばらないといけない。そんな想いが、胸の中いっぱいに広がっていく。それはきっとフィーリアとサクラ、シルフィードも同じだろう。

「では村長、行ってくる」

「うん、任せたよ」

 シルフィードが村長に挨拶を済ませると、三人も村人に別れを伝えて竜車に乗り込む。それを確認すると、シルフィードはアニエスの手綱を引っ張った。短い鳴き声を上げて、アニエスがゆっくりとした足取りで動き出す。連結されている竜車の車輪も、ガタゴトとゆったりとした速度で回り始め、進み出す。

 幌の後ろ側の開かれた部分から顔を出したクリュウとフィーリアは、手を振って見送ってくれる村民達に応えるように大きく手を振る。幌の中ではすでにサクラが隅に陣取って目を閉じ、静かに鎮座している。彼女鳴りの精神集中だ。

 運転席では後ろから聞こえて来る村人達の激励と期待の声に背中を押されるような感覚を抱きながら、シルフィードが手綱を握っている。これからイルファ山脈までは片道で五日程の道のりだ。一日の調査を入れ、多めに見積もって次に村に帰るのは約二週間後と言った所だろう。その間、村民達が不安を抱き続けるのだと想うと、できるだけ早く戻りたいとも思う。だがアニエスに負担を掛けない為にも、何より逸る気持ちを抑えなければ常の力は発揮できない。気持ちの空回り程、本調子を狂わす要因はない。

「イルファ山脈か……」

 遠くに見えるイルファの山脈には相変わらず重苦しく厚い鈍色の雲が居座っている。あの雲の下で一体何が起きているのか。それは誰にもわからない。自分達の役目は、そんな山に足を踏み入れてその実状を調査する事にある。

 手綱を握りながら雲で見えぬイルファの頂を見詰めていたシルフィード。村の運命を背負っているという事もあるが、いつになく胸騒ぎがしてならなかった。

「……嫌な感じがする。何も起きなければいいんだがな」

 不安が胸の奥に渦巻くのを感じながら、シルフィードは手綱を握り続ける。

 先日のティガレックス襲撃の際のような、予想外の事態が起きない事を祈り続ける。

 だが言葉にできない不安を抱いているのは、彼女だけではなかった。幌の中にいる三人も、村人達の姿が見えなくなると、自然と話題はこれから向かうイルファ雪山の現状についてのものに変わっていく。

「地域政府が避難命令を出す程深刻だとすれば、天候は最悪だよね」

「そうですね。吹雪は体感温度を著しく下げますから、かなり厳しいかと思います」

「……視界も著しく制限される」

 イルファに限らず、冬の雪山は危険な場所である。年で最も気温が低いという事もあるが、天候も荒れる事が多く、吹雪で視界も封じられ、積雪で道を塞がれたりなど、地元の住民ですら入山を控えるような場所もある。イルファ山脈はそういった山々に比べれば温厚な山ではあるが、それでも地域政府が避難命令を発する程の嵐だとすれば、天候は最悪と言えるだろう。そんな中で山へと突入するのだから、万全の準備を整えて挑まなければならない。

「それでも、村の運命が懸かってるんだ。行かなきゃいけないんだ」

 まるで自分に言い聞かせるように呟きながら、クリュウはギュッと拳を握り締める。その表情はいつになく厳しく、村の運命を背負っているという強い想いと責任感が表れている。そんな彼の真剣な表情を前に、二人も厳かな表情のままうなずく。

 これは彼の問題だけではない。イージス村は自分達にとっても第二の故郷のような場所だ。守りたい場所だし、守りたい人達がいる。これまでのように、あの村で幸せな日々を送りたい。それはこの場にいる四人、そして村にいる村人の総意だ。

 なぜ地域政府は避難命令という異例の命令を下したのか。そしてそれはイージス村に悪影響――村民の全避難という事態に直結するようなものなのか。全ては、あの氷と雪に支配された山にある。

 四人の少年少女達は言い知れぬ不安を抱きながら、慣れ親しんだはずなのに不気味に見えるイルファ山脈を目指して出発した。


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