モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第205話 氷雪の山に轟きし咆哮 凶暴竜に翻弄される狩人達

 イルファ雪山に四人が入ったのは村を出発して二日後の夜明け前であった。闇に紛れて麓の拠点(ベースキャンプ)へと入った一行は竜車を停めて降車。続けて積載していた荷物の積み下ろし作業も開始した。今回は何があるかわからない為、とにかく大量の荷物を積載しているので、その積み下ろし作業だけでも普段の倍近く掛かってしまった。同時並行で野営地の設営作業も行った為、全てが終わる頃には東の空が薄っすらの明るくなり始めていた。

 さらにこれからの戦いに備えて英気を養う為にもとフィーリアが朝食を作り、それを食べ終える頃にはすっかり夜も明けて朝日が大地を優しく包み込んでいた。

 食事も済ませた四人は焚き火を囲むようにして最後の作戦会議を始める。

「知っての通り、ティガレックスは現時点ではギルドも正式発表していない未知のモンスターだ。当然、事前情報はほとんどない為に対策の取りようがないのが現状だ。キティ殿から幾分か情報を得ているとはいえ、それでも十分と言えるには程遠い。なのでまず最初は攻撃よりも奴の行動パターンの分析を優先する。ある程度分析が終わり次第、いよいよ総攻撃に入る。ひとまずの手順はこれでいいな?」

 シルフィードの立てた作戦は最初は相手の観察を主体として、ある程度分析が終了次第攻勢に出るというもの。この作戦方針自体はこれまで幾多のモンスターを相手にした時と変わっていないが、今回は様子見の部分をより慎重にする。相手はこれまでのモンスターと違って事前情報が全くないのだ。この部分を怠っては話にならない。

 シルフィードの立案した作戦は現状では最も現実的なものであり、当然反対意見は出ない。皆もまずは様子見をして奴の動きを観察したいのだ。クリュウとサクラはもちろんだが、まだ遭遇していないフィーリアとその目で見たとはいえまだほとんどその動きを見れていないシルフィードは特にその必要がある。

「戦闘陣形(アタックフォーメーション)は従来通り私が最前衛を担う。クリュウとサクラは機動遊撃、そしてフィーリアは後方から支援砲火を頼む」

 それがクリュウ達のチームの最も安定していて、最もチームの力が発揮できる陣形(フォーメーション)だ。最大の攻撃力と最高の連携力を発揮できる、クリュウ達の十八番とも言える陣形(フォーメーション)。これでこれまで幾多のモンスターを撃退して来た。

「しかし、相手はディアブロス並みの突進力とリオレイア並みの機動力を兼ね備えていると聞く。そうなれば機動力で劣る私が必ずしも前衛を務め切れるとは限らない。その場合は臨機応援に、遊撃役二人のどちらかが私が陣地転換が完了するまでの時間稼ぎを頼みたい。ただし、サクラは機動力には特化しているがガードができないし、クリュウも片手剣の小さな縦では相手の大技は防ぎ切れないだろう。なので無理はしないでくれ」

 シルフィードの指示に、二人は真剣な面もちでうなずく。二人とも、実際に奴の機動力を経験しているだけあって、その危険性は重々承知していた。だからこそ、慎重に立ち回るつもりでいた。

「フィーリアも火力支援をしつつも、状況に合わせて回復弾をうまく使ってくれ。相手が機動力に特化している以上、どうしても接近している私達は回復の隙が減ってしまう。それを補えるのは君だけだからな」

「任せてください。桜花姫の名に掛けてその任務完遂してみせますッ」

「……そういえば、あんたってそんな二つ名があったわね。私やシルフィードと違って出て来る機会が少ないから忘れてたわ」

「ひ、ひどいですサクラ様ッ! 人が気にしている事に容赦なさ過ぎですッ!」

「……あるだけいいじゃん」

 サクラの容赦のない発言に怒るフィーリアだったが、そんな彼女の台詞に今度はクリュウが遠い目をしてしまう。自らが踏んではならない地雷を見事に踏み抜いてしまったと彼女が気づいた時点ではすでに遅し。首を傾けながら虚ろな目で乾いた笑いを浮かべる彼を前にフィーリアは必死に謝り倒す。

「す、すみませんクリュウ様ッ! で、でも私は決してそのようなつもりで言った訳では……ッ!」

「……安心してクリュウ。二つ名持ちが必ずしも実力を伴うとは限らないわ。どこかの誰かのように装備の見た目だけで選ばれた二つ名もあるのよ」

「そ、そうですよッ! 私を見てくださいッ! 桜リオレイア様の素材を駆使しての装備からレイア様の別名桜花と姫を掛け合わせただけのなんて単純な――って、さりげなく私をバカにしましたねサクラ様ッ!?」

「おぉ、フィーリアのノリツッコミとは珍しいものを見たな」

「……あのさ、もういいから話進めようよ」

 村の危機、未知のモンスターを相手にしようとしているというのにいつもと変わらぬ相変わらずな感じのクリュウ達。一見すると緊張感がないようにも見えるが、この普段通りの態度こそが彼らの真骨頂と言えるだろう。どんな強敵を前にしてもいつものペースを崩さない。それこそが、彼ら最大の強みでもあるのだ。

「すまんな。話が逸れたが、とにかくいつもよりも慎重に事を進めようと思う。相手はこれまでと違って事前情報もなければ、ただの飛竜種とも違う相手だ。用心に越した事はない――だがまぁ、あまり力み過ぎては逆に普段通りの力も出せまい。いつもの通り、互いを信じて戦おう」

 そう言ってシルフィードはスッと腕を伸ばす。それが意味するものを、彼らは知っている。一人、また一人と同じ様に腕を伸ばし、四方から伸びた四つの腕はそっと手を中央で重ね合う。手の甲に落としていた視線を上げれば、心の底から信頼し合える最高の仲間の笑顔がある。

「必ず勝つぞッ!」

『おぉッ!』

 少年少女の勇ましい声が、冬の雪山に心地良く轟いた。

 

 拠点(ベースキャンプ)を出撃した一行は狩場の入口となるエリア1へと入った。気合いも十分にこれからの山登りに備えていた一行は朝露が朝日を浴びてキラキラと輝く雑草を見詰めながらエリアの中央へと進む途中、それは突然現れた。

 突如空から咆哮を轟かせながらティガレックスが降って来たのだ。山頂付近での遭遇を想定したシルフィードの考えは拠点(ベースキャンプ)を出発してわずか十分程度で覆ってしまった。

「総員展開ッ! 急げぇッ!」

 全くの想定外での遭遇戦。指示を飛ばすシルフィードの声にも焦りの色が見える。

 シルフィードとサクラは前面に出て、フィーリアはそんな二人の少し後ろからそれぞれすぐさま攻撃できる構えをとる。荷車を引いていたクリュウは慌てて反転すると、比較的安全そうな場所に荷車を隠す。荷車には大タル爆弾Gなどの危険物から今回の狩猟で使う装備が満載されており、戦闘で破損する訳にはいかないのだ。彼が隠し場所に到達する間に、戦いの火蓋は切って落とされた。

「ゴアアアァァァオオオオオォォォォォッ!」

 轟竜の名に相応しき雪山全体に轟くような咆哮(バインドボイス)を放つ。その膨大な怒号を真正面から受け止める三人のうち、耳栓スキルを備えていないサクラとフィーリアはそれぞれ耳を塞ぐ。だがシルフィードだけは相変わらず咆哮(バインドボイス)は通じない。

 真っ先に斬り掛かろうと前へ出るシルフィードはその口元に不敵な笑みを浮かべていた。

 実はシルフィード、キティの説明を受けていた際にティガレックスの咆哮(バインドボイス)が通常のそれではないのではと疑問を抱いた。その為出発前にアシュアに無理を言って以前のディアブロス戦の時同様に見切りスキルを犠牲にして急遽耳栓スキルを一段上の高級耳栓スキルに変更しておいたのだ。今近距離で奴の咆哮(バインドボイス)を聞いてみて、やはり奴のそれはディアブロスにも匹敵するようなレベルだとわかった。事前にスキルを切り替えておいて正解だったのだ。

 咆哮(バインドボイス)を終えてゆっくりと上げていた顔を下ろすと同時に、シルフィードの抜刀したキリサキがティガレックスの顔面を叩き斬る。鎌蟹の鋏を基礎に作られたこの剣は普通の大剣とは比べ物にならない程の切れ味を誇る。その一撃を初撃を顔面に受けたティガレックスだったが、低く唸りながら顔を振り上げてキリサキを跳ね飛ばす。

「このぉ……ッ!」

 シルフィードを跳ね飛ばしたティガレックスはその場で前脚を半歩引く動きを見せる。それを見たサクラはすぐさま「……シルフィードッ!」と声を掛ける。具体的な事はわからなくても、何か動きがある。そう感じ取ったシルフィードはすぐさまキリサキを前に構えてガードの姿勢を取った。

 直後、ティガレックスは身を捩るようにしてその場で一気に回転した。これまでの飛竜とは根本から異なる全体攻撃。勢いよく回るティガレックスの腕がキリサキの腹に当たってシルフィードは弾き飛ばされた。

 雪上で足を踏ん張ってを轍を残しながら止まったシルフィードの口元に不敵な笑みが浮かぶ。

「なるほど、回転攻撃の間に隙はないって訳か」

 通常の飛竜は全体に対する回転攻撃の際は一八〇度回転を二回繰り返す事で行う。その為、半回転が終わった後に反対側から迫れば剣を一撃か二撃入れる隙があった。しかしティガレックスの場合は一瞬で全方位回転してしまう。これでは、近づく隙もない。これが、四本脚がなせる動きなのだ。

 咆哮(バインドボイス)から解けたサクラがシルフィードの代わりに前進して回転を終えたばかりのティガレックスに攻め込む。稲妻を纏いし鬼神斬破刀を下段に構えながら突貫。一気に距離を縮めてティガレックスのこめかみ目掛けて刀を叩き込む。迸る雷撃が剣の刃先と一体化してティガレックスのこめかみを襲う。だがティガレックスがわずかに動いてしまった為に、威力が削がれしまい、刃先は轟竜の鱗をわずかに削る程度しかダメージを与えられなかった。

「……チッ」

 舌打ちするサクラだったが、そんな彼女を再び回転したティガレックスの腕が殴りつけた。とっさに受け身を取ったとはいえ、雪上に倒れるサクラ。頭から雪を被った彼女はゆっくりと起き上がると悔しげにティガレックスを睨みつける。

 そこへクリュウが合流を果たし、距離を取ったフィーリアもまた支援射撃を開始してようやくチームの連携の準備が整った。背中にキリサキを戻したシルフィードが「行くぞッ」という掛け声と共にティガレックスに突撃し、チームとしての攻撃が開始された。

 頭上をフィーリアの撃つ通常弾LV2が甲高い飛翔音と共に駆け抜け、ティガレックスの右腕に命中する。それに対しティガレックスは低く唸りながら攻撃して来た彼女に狙いを定めると、怒号を放ちながら這うような体勢のまま突撃を仕掛ける。通常の飛竜種とは異なる、雪上でも揺るぎのない恐怖の走りだ。

 正面から迫っていた剣士三人はそれぞれ横へと跳んでこれを回避。フィーリアも武器を背負って全力で横へと走って何とか回避した。だが振り向きざまに再び銃を構えたフィーリアの顔には若干の焦りがあった。

「思った以上に、動きが早い……ッ」

 確かに事前情報通り、相手はディアブロスに匹敵する程の速度で迫って来る。しかもディアブロスは突進の後倒れる事はしないがその自慢の脚力を駆使しても巨体を完全に止めるまで幾分か滑走していた。だがティガレックスはまるでそんな動きを見せず、すぐに停止すると一切の隙もなくすぐさま反転。これでは剣士はもちろんだがガンナーである自分も狙いをつける暇が削られる。

 照準を合わせようと足を止めた途端、ティガレックスが飛びかかって来た。その巨体を四本の脚全てを柄っての跳躍は一気にフィーリアとの距離を縮める。慌ててフィーリアは後ろに向かって跳ぶ。雪の上に頭から突っ込む事になったが、そのすぐ背後にティガレックスは着地。間一髪攻撃を避けた。

 雪まみれの顔を上げて振り返ると、すぐ傍にティガレックスの顔があった。それこそ、息づかいすらも聞こえる程だ。その着地地点は自分が一瞬前までいた場所。もしも反応が少しでも遅かったらと思うとゾッとする。

「このぉッ!」

 フィーリアを襲うティガレックスに対しクリュウは道具袋(ポーチ)から音爆弾を取り出すと、ティガレックスに向かって投擲した。放物線を描きながら音爆弾は振り返るティガレックスに炸裂。甲高い音がエリア全体に響き渡るが、ティガレックスに対しては全く効果がなかった。

「音爆弾はダメか……」

 相手が未知のモンスターである以上、色々な道具(アイテム)を試す必要がある。音爆弾が効果がないという事もまた重要な情報と言えるだろう。

 だが音爆弾は効果がなかったとはいえ、ティガレックスの新たな照準はクリュウに向けられる。怒号を放ちながら突進して来るティガレックス相手にクリュウは横へ走ってこれを回避する。だが通り抜けたティガレックスは急停止すると、クリュウの体勢が整うのを待たずして反転してしまう。そこへティガレックスは巨大な雪の塊を突き飛ばして来た。盾を構えてガードするが、その質量の前では彼の体は簡単に吹き飛ばされてしまう。

 倒れたクリュウを援護するようにフィーリアの速射が再開され、同時にサクラが雪上を翔ける。稲妻を纏いながら突貫するサクラは速射を受けて再びフィーリアに狙いを定めようとするティガレックスの側頭部に向けて鬼神斬破刀を叩きつける。だがティガレックスはそんな攻撃にはビクともせず、攻撃の甲斐なくティガレックスは再びフィーリアに向かって突進を仕掛けてしまう。

 迫り来るティガレックスに対してフィーリアは再び武器を背負い直して逃げる。雪の上にまたしても倒れ込む彼女の背後を、轟音と共にティガレックスの巨体が通り抜けた。

 しつこくフィーリアを狙うように振り返るティガレックス相手に、それを妨害するように先回りしていたシルフィードが接近。ティガレックスの左腕目掛けてキリサキを叩き込む。重い剣の一撃と腕力を駆使した一撃だったが、ティガレックスは怯む事はなかった。幸い、フィーリアに向けていた殺気は今度はシルフィードに変わった為にフィーリアは体勢を立て直す時間を得た。だが反面、今度はシルフィードが狙われる事となる。

「ガアアアァァァッ!」

 怒鳴り声を上げながらティガレックスはシルフィードに向かって飛び掛かる。さすがにこの一撃は耐え切れないと判断したのか、シルフィードは剣を持ったまま横へ跳んで回避した。すぐ横に飛び降りて来る巨体の迫力と圧迫にゾッとするが、構わず振り向きざまに回転斬りを叩き込む。その一撃はわずかだがティガレックスの腕の鱗を弾き飛ばす。だがその程度の攻撃で怯むような相手ではない。再び四肢を使って素早く振り返ったティガレックスは今度はシルフィードに向かって噛みつくように前へと踏み込む。

「うおおおぉぉぉッ!」

 勇ましい咆哮と共にシルフィードは剣をガードの構えを取ってこの一撃を防ぐ。だが押し切ろうとするティガレックスと、それを防ごうとするシルフィード。双方の力が拮抗してしまい、力比べのような様相を呈してしまう。

 剣越しにすぐ近くに見えるティガレックスの凶悪な顔。鋭過ぎる牙を何とか防いでいるキリサキは不気味なくらいギシギシと軋む音を響かせる。血のように真っ赤な口の中からは肉の腐った臭いが白い息と共に吐き出される。あの臭いの一部になるなんて、なにが何でも嫌だ。

「このぉ……ッ!」

 脂汗を浮かべながら耐えるシルフィードだったが、相手は巨大なモンスターだ。スタミナ切れを起こすのは明らかに自分の方。このままでは押し切られる。そう思い始めた時、彼女を援護するように仲間が動く。

 中距離に陣取っているフィーリアは必殺の電撃弾を装填。ティガレックス目掛けて集中砲火を開始。それに合わせてクリュウとサクラもティガレックスに殺到。サクラの鬼神斬破刀が雷撃を迸らせ、クリュウのデスパライズも麻痺毒を迸らせる。

 三人の一斉攻撃にさすがのティガレックスも悲鳴を上げてわずかに怯んだ。その隙をついてシルフィードは一気に押し切ると、剣を振り抜く。その剣先はティガレックスの額をわずけに削る程度。だが同時にシルフィード自身がティガレックスの眼前から撤退するだけの時間は稼げた。

 鬼神斬破刀を縦横無尽に振り回すサクラ。その刃先は雷撃を纏い、斬りつけるたびに血と共に電撃を迸らせる。本当に雷属性が効くのかは、キティの言葉を信じる他はない。今はただ、刀を振り続けるのみだ。

 自らの中で力が湧き起こるのを感じる。練気が溜まっているのがわかる。でもまだだ。まだ足りない。もっと疾く、もっと鋭く、もっと峻烈に。剣撃の嵐は止まらない。バチバチと迸る雷撃はまるで小さな竜のように怒り狂い、彼女を包み込む。その様はまるで電撃を纏っているかのようだ。

 だがティガレックスもやられてばかりではない。殺到する相手を排除するようにその場で回転。寸前で回転攻撃前のわずかな後退を見逃さなかったサクラとシルフィードはその範囲外に脱し、わずかに遅れたクリュウもガードしてこの一撃をやり過ごした。

 剣士組の攻撃が止んだのを見て、動いたのはフィーリア。腰の道具袋(ポーチ)から閃光玉を取り出すと、それを回り終えたティガレックスの眼前に向けて投擲した。放物線を描きながら閃光玉は飛翔し、次の獲物を定めようとするティガレックスの眼前で炸裂。膨大な光の奔流が轟竜の目を焼き、その視界を奪う。

 フィーリアの投げた閃光玉でティガレックスの動きが封じられる。

「みんな、集まってくれッ!」

 攻め込むべきか否か考えていたクリュウはその声に振り返ると、シルフィードが皆を集めていた。何事かと思いつつもクリュウもフィーリアとサクラと同様に彼女の下へ駆け寄る。

「どうしたの?」

「いや、閃光玉を受けた際の奴の動きを観察しておきたいと思ってな」

 そう言いながらシルフィードはティガレックスを見詰めている。他の二人も同様に轟竜の方へ視線を向けており、クリュウも同じようにティガレックスに視線を向ける。

 視界を奪われたティガレックスはその場で噛みついたり、見当違いな方向に雪玉を飛ばしたり、その場で回転攻撃をしたりと暴れている。だが一向にその場所から移動する気配はなく、その場で止まって暴れているという感じだ。

「……どうやらティガレックスは、閃光玉を受けている最中は動き回る事はないらしいな」

 ティガレックスは常に動き回るモンスターだ。その脚をどれだけ止められるかが勝敗を決めると言っても過言ではない。この場合、持ち込める数と利便性という点で最も優れるのが閃光玉だ。しかし閃光玉を受けた場合、モンスターは大人しくなるタイプもいれば無茶苦茶に動き回るタイプもある。リオレウスなどは前者であり、ドドブランゴなどは後者である。そしてティガレックスはその場で暴れ回るものの、基本的にはほぼ動かない後者だ。この見極めは、これからの戦況を左右する重要な情報だ。

「だとすれば、閃光玉を受けている最中は私とクリュウが前進する。私達はガードができるからな。サクラはあまり無理はせずに攻撃しつつ、状況に応じて罠の設置などを頼む。とりあえず、次の閃光玉では落とし穴を設置してくれ」

 シルフィードの指示にサクラは無言でうなずいた。彼女の隣に立つフィーリアは「相手が動けないのであれば、速射で一気にダメージを与えられます」と息巻く。

 ひとまずの作戦方針が決まったと同時に、ティガレックスの視界が回復する。敵が一カ所に集まっていると気づくと、そこ目掛けて雪玉を突き飛ばす。飛来する巨大な雪玉に対しクリュウとフィーリアは右に、サクラとシルフィードは左に回避する。

 雪玉で分断されたクリュウ達に対し、ティガレックスはサクラとシルフィードの方に向き直ると突進を仕掛ける。迫り来る巨竜を相手にサクラは横へ走って回避した。どうやら狙いはサクラだったらしく、それを回避されるとその場で脚を止める。だがそんな彼の前にはその動きを見切って陣取っていたシルフィードの姿があった。

 ダンッと足を地面を力強く突き立てて踏ん張りながら、足を土台として腰を回転させる。腰の回転から始まって、体全部の筋肉を次々に連動させて動かし、全身をしならせながら回転する。最も遠心力が注がれるキリサキに全力を込めて、一気に叩きつける。

 大剣の重量を加えられない回転斬りは筋力だけでの攻撃になりがちだ。だがうまく体を滑らせる事で重力の代わりに遠心力を得た一撃は斬り落としにも負けない一撃となる。

 轟音を立てながら振るわれる横切りは容赦なくティガレックスの顔面を打ち抜く。これにはさすがのティガレックスも悲鳴を上げて仰け反った。そこへ背後からサクラが強襲。フィーリアも電撃弾で攻撃を加える。クリュウは攻撃には加わらなかったが、とりあえずペイントボールを当てる。これで突然ティガレックスがエリア移動をしても見失わずに済む。

 一撃を入れたものの、それ以上の攻撃は危険と判断したシルフィードはすぐにその場を脱しようとする。だがティガレックスは諦めが悪く、彼女を追ってグッと前に踏み込みながら彼女に向かって噛みつく。幸いその一撃はガードでやり過ごした。

 三メートル程距離を開けたシルフィードに対し、ティガレックスは今度は後ろから剣撃を浴びせるサクラの方へ振り返ると、バックステップで距離を開く彼女に向かって雪玉を飛ばす。だがその一撃は間に割り込んだクリュウが盾で弾いた。弾いたと言っても巨大な雪玉相手に彼ができる事は軌道をそらす事が手一杯。だがおかげで雪玉はサクラよりもずっと横の方に着弾した。

 サクラは視線だけで彼に礼を送ると、ティガレックスの正面を避けるように右から大回りしながら接近する。

 ティガレックスは一瞬目で彼女の方を追ったが、この間もずっと電撃弾を撃って来るフィーリアの方が鬱陶しくなったのだろう。今度は彼女の方へ向き直ると、彼女目掛けて突進する。だがこの動きはフィーリアの想定内。彼女は落ち着きながら閃光玉を取り出すと後方へ投擲。自身は横へと跳んでティガレックスの突進を回避した。直後、突進中のティガレックスの眼前で炸裂した閃光玉が再び彼の視界を封じた。

「今だクリュウッ! 突っ込むぞッ!」

 事前の手はず通り、シルフィードの指示でクリュウとシルフィードが暴れるティガレックスに接近する。サクラは刀を背負うと反転し、クリュウが隠した荷車へと向かう。サクラはシルフィードの指示に従って荷車から落とし穴を取り出した。山頂付近は地面の岩が硬くて落とし穴が使えない。だがここなら、使う事ができる。いきなり遭遇するとはさすがに思っていなかったが、奴が麓にも現れる事を想定しておいたおかげで、使う事ができる。念には念を入れた結果が、今発揮される。

 一方、相手が動けない為に安心して使える通常弾LV2の速射に切り替えたフィーリアの攻撃を援護に受けながら、クリュウとシルフィードは動かないでいるティガレックスに向かって剣を振るう。

 ティガレックスの右側の腕にクリュウはデスパライズで斬り掛かる。縦斬りから横斬りへと繋げ、その勢いを殺さずに続けざまに次なる攻撃に繋げる。そして最後は体全体を使っての回転斬り。片手剣の攻撃は基本的にこの単調な動きが続く。だが全武器の中でも特に軽いので手数という点ではどの武器よりも優れる。結果、こうした毒や麻痺などの状態異常属性や、通常の属性攻撃と相性がいい。片手剣は単純火力は低くとも、この手数の多さで状態異常などを起こしやすい。

 迸る麻痺毒を見ながら、このまま押し切れると踏んだクリュウ。しかしティガレックスは目の見えない状況でも抵抗を見せる。その場で再び群がる敵を一掃するように回転。ガードのできる二人はこれをガードでやり過ごす。また攻め入ろうと前に出るクリュウだったが、

「……クリュウッ!」

 背後からのサクラの声に振り返れば、そこにはこちらに向かってビシッと親指を立てるサクラの姿が。その足下には落とし穴がしっかりと設置されていた。

 シルフィードも気づいているようで、二人は一斉にティガレックスから離れると一気に落とし穴まで撤退する。ちょうど湖を背にするようにして四人が集結した。

「爆弾は使う?」

「いや、ここはひとまず動けない奴に一斉に攻撃を集中させる。爆弾は次の機会に取っておこう」

 シルフィードの言葉にうなずき、クリュウは落とし穴の後ろでデスパライズを構える。他の三人も同様に武器を構え、フィーリアだけはそのまま通常弾LV2の速射でティガレックスを狙い撃つ。

 そのうち、ティガレックスの視界が回復する。辺りを見回し近くに敵がいない事を確認すると、ゆっくりと視線を上げる。するとその先にはまたしても一カ所に集まる敵の姿が。

「ゴアアアァァァッ!」

 怒りの声を上げながら、ティガレックスは敵目掛けて雪玉を投げた。すぐさま全員が横へ回避しようとしたが、速射の反動でフィーリアだけがすぐには動けなかった。それに気づいたクリュウは回避をやめて前に出ると再び雪玉をガードした。しかしうまく勢いを流せず、クリュウの体は弾き飛ばされた。軌道を逸らされた雪玉は湖へと着水するが、クリュウの体も湖の浅瀬に落っこちてしまう。

「クリュウ様ッ!?」

 湖に落ちた彼を見て動揺するフィーリアにシルフィードが「来るぞッ!」と叫ぶ。ハッとなって前を向けば、ティガレックスがこちらに向かって突進して来ていた。一瞬ヒヤッとしたが、自分達の前には落とし穴がある。結果、ティガレックスは落とし穴を踏み抜いて下半身から地面に埋まって動けなくなる。

「今だッ!」

 シルフィードは叫びながら動けずに暴れるティガレックスの眼前に立つと、再び足に力を込めるようにして踏ん張りながら剣を背負うようにして構える。

 サクラもまたティガレックスの脇腹に入り込むと、これまで溜めてきた練気を一気に解放。全身に力を漲らせ、一気に攻め込む。右上から左下に向けての袈裟斬りから、続けて逆に左上から右下へと斬り落とし、その勢いを殺さずに今度はダンッと地面を蹴って鋭い突きの一撃を斜め上に入れ、最後に左右から斜めに斬り落とした後、一気に上段からこれまでの刀の勢い全てを込めて一気に振り落とした。

 見事な気刃斬りの後、今度は鬼神斬破刀を横へ振り抜きながら後退すると、すぐさま通常斬りで斬りかかる。

 サクラの猛攻の間もシルフィードは静かに力を溜めて行き、限界まで溜まった所で一気に解放する。腰を回しながら全身をムチのようにしならせ、大剣の重量と腕力を一気に振るい落とす溜め斬りの一撃が炸裂する。

 強力な一撃が決まった後も、絶えず横斬りと振り上げなどを加えながら連続して攻撃を与えていく。

 二人の猛攻の間もフィーリアの通常弾LV2での攻撃は続く。目視をメインにしつつも時々スコープを覗いて狙いを確認しながら、フィーリアはティガレックスの脚を狙って射撃を続ける。大型モンスターは脚に攻撃を受け続けると転倒するのは常識だ。常に動き回る相手ならば、倒れさせるのも動きを止める手の一つ。ガンナーの役目は弱点を正確に狙う以外にもこうして状況に合わせての狙いの変更で味方を援護する事も役目なのだ。

 そして湖から出て来たクリュウもシルフィードの溜め斬りが炸裂する辺りでティガレックスに接近し、デスパライズを脇腹目掛けて振り下ろした。炸裂する一撃はわずかな血と麻痺毒を迸らせる。続けて横斬りから縦斬り、そして回転斬りと次々に攻撃を積み重ねていく。

 だがティガレックスを落とし穴が拘束していられる時間はわずかだ。落とし穴が瓦解し始めるとティガレックスは勢いよくそこから脱出する。それどころかそのまま素早く飛び上がった。

「なッ!?」

 この予想外の動きに全員が天を見上げると、ティガレックスの巨体が落ちて来た。慌てて後退する四人に対し、ティガレックスはその場で前脚を踏ん張るようにして上半身を起こすと、天高く咆哮(バインドボイス)を轟かせた。

 至近距離でこれを受けた四人はすさまじい声量から発せられる咆哮(バインドボイス)の衝撃波で吹き飛ばされた。女子三人は地面に倒れ、クリュウはまたしても湖に倒れる。

 倒れた時に頭を打ったシルフィードは後頭部に手を当てて痛みに顔をしかめながら起き上がる。

「咆哮(バインドボイス)に衝撃波があるのか……ッ!」

 彼女は高級耳栓を備えている為、どんな咆哮(バインドボイス)も意味を成さない。だがティガレックスの咆哮(バインドボイス)は音は防げてもその天まで轟くような声が放つ衝撃波がすさまじく、そればかりは高級耳栓を備えていても効果がないらしい。

「高級耳栓でも安心して戦えない訳か……ッ!」

 自分のスキルの効力が事実上半減した事に、さすがのシルフィードもショックを隠せない。これでは他の三人のフォローに走れない。

 とにかく、今は態勢を立て直す方が先決だ。シルフィードはすぐさま起き上がると、他の三人もちょうど起き上がった所だった。皆思わぬ攻撃に困惑しているようだ。だが、考えさせる暇を与えないようにティガレックスはクリュウ目掛けて飛びかかる。

「ちょ……ッ!?」

 慌ててガードするクリュウだったが、そのままティガレックスに押し倒されてしまう。しかもそこは腰程にまで水が浸かっている場所。当然押し倒された彼の体は水中に没する。慌てて起き上がろうにも、ティガレックスの爪がガッチリと胴を押さえつけていて起き上がれない。

 息が出来なくて苦しさでもがくクリュウだが、一向に起き上がれなかった。

 クリュウが溺れている事に気づいたサクラがすぐさまティガレックスの背後から鬼神斬破刀で襲い掛かる。だがティガレックスは前に噛みつくような動きをしながら尻尾を動かした。運悪く背後から迫っていたサクラはその振られた尻尾に跳ね飛ばされてしまう。

 サクラの突貫が失敗したと見るや、今度はフィーリアが速射でティガレックスを狙い撃つ。結果、ティガレックスは彼女の方へ向き直りクリュウは解放される。急いで水面に顔を出したクリュウは激しく咳き込んだ。

 クリュウが無事なのを見て安心したフィーリアだったが、今度は彼女に向かってティガレックスは飛びかかる。十分に距離を取り切れていなかったフィーリアは慌てて回避するが、ティガレックスの爪が背中に引っかかり、そのまま弾き飛ばされてしまう。

 地面に強かに打ち付けられたフィーリアは痛さのあまりすぐには起き上がれなかった。今度は彼女を援護するようにシルフィードが動く。ティガレックスへと接近すると背後からキリサキに斬り掛かった。その間にフィーリアはゆっくりと起き上がると、回復薬グレートを飲んで体力を回復させる。ひとまず痛みはこれでかなり軽減できる。

 ゆっくりと起き上がると、同じように回復薬グレートを飲み終えたサクラと目が合う。その隻眼は自分を気遣っているように感じた。大丈夫だとばかりにうなずくと、彼女も小さくうなずいて再びティガレックスに向けて突貫する。負けじとフィーリアも再びハートヴァルキリー改を構えて射撃を再開する。

 湖からずぶ濡れの状態で上がって来たクリュウ。暴れるティガレックスを何とか押さえ込んでいる三人を見てすぐに応援に駆けつける。

 恋姫三人の攻撃でティガレックスは押さえつけていたが、そんなの数秒と持たない。すぐにティガレックスは回転攻撃で剣士二人を弾き飛ばすと、速射で足や顔などを狙う鬱陶しい敵、フィーリアを狙う。自分が狙われた事に気づいたフィーリアはすぐに武器を背負って横へと走るが、それを妨害するようにティガレックスは雪玉を飛ばす。だがその攻撃は再びクリュウが盾で弾いた為に不発に終わる。

「ありがとうございますッ!」

 颯爽と現れて自分の窮地を救ってくれた彼の姿に思わず胸キュンしてしまう。さらにお礼を言う自分の言葉に対し彼は何も言わずこちらに背を向けたまま親指を立てる。そのかっこいい仕草にもまた胸がドキドキしてしまう。思わず今は狩猟中だという事も忘れて幸せで胸がいっぱいになってしまった。

 何度も自分の攻撃を妨害するクリュウが鬱陶しくなったのか、ティガレックスは彼に向かって跳躍して跳びかかった。だがクリュウはこれを横へ跳んで回避すると、着地のわずかな隙を突いて攻め込む。

 一撃、二撃、三撃と攻撃を積み重ねているうちに、次第に麻痺毒が回り始めたのだろう。全身をフル回転させての回転斬りを炸裂させるとその一撃がとどめとなったらしく、ティガレックスは短く悲鳴を上げるとその場で痙攣し始めた。

「今だッ! 畳み掛けるぞッ!」

 クリュウが作った麻痺状態という貴重なチャンスを無駄にする訳にはいかない。恋姫達は一斉にティガレックスに殺到すると猛攻を仕掛ける。

 サクラは残っている練気を全て使っての気刃斬りの嵐。フィーリアは通常弾LV2の速射で集中砲火。シルフィードも頭を狙えないとわかると尻尾に向かって溜め斬りを放つ。そしてクリュウは次の麻痺状態を狙ってひたすらに剣を振るい続けた。

 時間にすればわずか十秒程だ。それでも、四人はその十秒に全力を注いだ。その総攻撃力は相当なものだったはず。

 麻痺状態から脱して短く唸り声を上げながらティガレックスは頭を数回横へ振るう。するとそのまま後ろへと大きく跳躍して四人の包囲網を脱してしまう。慌てて追いかける四人だったが、先頭を走るサクラが異変に気づいた。

 ゆっくりと両の前脚を地面に突き立てて踏ん張るティガレックス。よく見ればその両方の前脚と頭に鮮やかな赤い筋が浮かび上がっていた。血流が増え、比較的皮膚の方を通っている血管が薄い皮膚越しに見えているのだろう。そして血流が突然膨大に増える理由は、

「……止まってッ!」

 サクラの声に慌てて三人は足を止めた。直後、ティガレックスは胸を張りながらスゥと辺りの冷気を一気に吸い込み、

「ガァアアアアアァァァァァッ!」

 すさまじい咆哮(バインドボイス)を辺りに轟かせた。幾分か距離を取っていても響く声に思わずクリュウとフィーリア、サクラの三人は耳を塞ぐ。距離がある為衝撃波が届かなかった為唯一身動きできるシルフィードは三人の前に出る。

「怒り状態か。どう動く……」

 怒り状態となったティガレックス。一体その動きは如何ようなものなのか。見極める為にも、その動きをわずかにも見逃さない。頬を、嫌な汗が静かに流れた。

 頬を伝い、顎まで流れた汗は雫となって地面に落ちると、そこにあった雪に音もなく溶けた。

 まるでそれを合図にするかのように、ティガレックスは四肢を使って走り出した。だがそれはこれまでの突進とは訳が違う。まるでこれまでのがお遊びだったかのように錯覚するような、常軌を逸した速度でティガレックスは雪上を疾駆する。これにはさすがのシルフィードも恐怖を覚えた。

「逃げろッ!」

 他の仲間にそう声を飛ばし、自らはキリサキでガードの構えを取る。また先程のようにわずかでも押さえられるか。そんなわずかな期待を抱いていた彼女の目論見は見事に打ち砕かれた。

 慌てて左右へと散った三人に対し、正面から受け止めようとしたシルフィードはティガレックスの突進を受ける。押さえ込もう足に力を入れて踏ん張ろうとするが、そんな足場は一瞬で崩れる。圧倒的な力の前に、彼女の力など意味をなさなかった。呆気無く弾き飛ばされたシルフィードは湖に沈んだ。

「シルフィッ!」

 慌てて駆け寄ろうとしたクリュウだったが、まるでそれを阻むように疾駆していたティガレックスは突如その場で四肢を使って器用にドリフト。信地旋回であっという間に方向転換すると、走っていたクリュウに向かって突撃して来た。

 慌てて横へ身を投げ出すようにして緊急回避して何とかこれをかわす。だがティガレックスはここから驚きの行動を見せた。何と再びクリュウの背後で信地旋回して今度は停止位置を予測して接近していたサクラを狙って突撃したのだ。

 さすがのサクラもまさかこのタイミングで自分が狙われるとは思っていなかった。慌てて横へと飛ぶが間に合わず、身を投げ出すように跳んだ彼女の脚がティガレックスの右腕にさらわれ弾き飛ばされた。そのまま彼女の体は雪の上に倒れる。

 湖からシルフィードが顔を出したのはまさにその瞬間だった。

「無事かッ!?」

 少し離れた場所で止まって短く吠えるティガレックスを横目に仲間の様子を確認すると、幸い全員大した怪我はしていなかった。皆ゆっくりと起き上がり、無事を伝える。

 通常時よりもずっと早い速度で振り返るティガレックスを見ながら、クリュウの顔には焦りの色があった。

 怒り状態になるとモンスターの行動は素早くなる事は珍しくない。ディアブロスだって怒り状態での突進は無茶苦茶なくらい速かった。だがティガレックスのそれはその比ではない。単純な早さもさる事ながら、一つ一つの動作の切り替えモーションの短縮、反転速度の加速、リオレイアに匹敵するかそれ以上の反転追撃能力。全てが怒り状態で強化されているらしい。これはもう無茶苦茶を通り抜けて破茶目茶だ。

 こちらに向き直ると同時に、怒号を放ちながらティガレックスが滑走しながら迫り来る。横へ走ってこれを回避しようとした途端、迫るティガレックスの眼前に閃光玉が放たれその動きを制止した。

「今のうちに一度態勢を立て直すッ! 撤退するぞッ!」

 どうやら閃光玉を投げたのはシルフィードだったらしく、全員に聞こえるように大声で指示する。他の面々も同感だったらしく、全員武器をしまって撤退を始める。クリュウもデスパライズを腰に下げ、荷車を回収して撤退する。ひとまず拠点(ベースキャンプ)まで後退するらしい。

 閃光玉の影響で暴れ回るティガレックスを尻目に、四人は迅速に撤退する。そして閃光玉が解けた頃には、彼らの姿はどこにもなかった。

 自分を散々痛めつけるだけ痛めつけた末消えた敵。この怒りをどこにぶつけていいかわからないティガレックスは激昂しながら天高く怒号を放つ。その怒号は雪山全体に響き渡った……


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