モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第202話 一日千秋の果てに 絶望の雪山に現れし最強の戦姫

「クー君は、私の可愛い弟なのです。困った時は、いつでも駆けつけるのです――だって、私はクー君のお姉さんなのです」

 

 遠い昔の記憶。

 大好きだった姉が、突然世界を周る旅に出ると言い出して一ヶ月後の別れの朝。泣きたいのを我慢して笑顔で姉を送り出していた彼に、そっと彼女が言った言葉。

 そんな言葉を言い残して、彼女は去った。隣でエレナが泣きながら見送っているのを見て、自分は涙を必死に堪えながら彼女の姿を見送った。そして、彼女の姿は消えた。その後ろ姿はずっと、彼の記憶の片隅に残された。何の前触れもなく時々思い出しては、今頃姉は何をしているのだろう。そんな事を考える日々が七年程続いた。

 夏の空の下で、白いワンピースと麦わら帽子という姿が最も印象に残る姉の姿。岩の上に立って見上げる自分の方に振り返ると、優しく微笑んでくれた、大好きだった姉。

 今貴女は、どこで何をしているのだろう。夢の中の僕は、そんな事を考えていた。

 

 ゆっくりと目を覚ますと、しばらく視界がハッキリしなかった。徐々にボヤけていた輪郭が元に戻り始めると、視界いっぱいに雪の天井が広がっている事に気づく。自分が横になっている感覚や、毛布を掛けていても感じる寒さ。そして全身を襲う鈍痛。意識がハッキリとし始めると、混乱していた記憶もゆっくりと確かなものに変わっていく。

 そして思い出す。自分はサクラと共に突然現れた褐色の竜と戦っていたはず。だが彼女が褐色の竜に轢かれる寸前で助けた結果、自分が轢かれてしまい、そのまま崖下へと落ちた事――瞳に焼き付いて離れない、必死にこちらに向かって手を伸ばすサクラの顔を。

「そうだサクラッ」

 慌てて飛び起きるクリュウだったが、体中を襲う鈍痛に思わず顔を顰めた。そこで改めて自分の置かれた状況を見る。どうやらここは洞窟の中らしい。崖から落ちたはずなのに、なぜこんな所にいるのか。わからず困惑していると横に何かの気配を感じた。振り返ると、そこには見知らぬ女性がこちらに背を向けて座っていた。

「……気がついて、良かったのです」

 女性はこちらに背を向けたまま静かにつぶやいた。カーキ色のマントを羽織っていて服装はわからないが、髪の色は青みがかった白色で、それをショートヘアに纏めている。短い割には髪の密度が高いのかボリュームがあり、全体的に膨らんでいる感じの、どこか奇妙な髪型だ。

「あ、あの、あなたは……」

「ビックリしたのです。いきなり空から降って来たのです」

「あ……」

 どうやら崖の下を通行していた彼女の目の前に、崖から転落した自分が落ちて来たらしい。おそらくそこは新雪が重なっていた場所だったのだろう。ディアブロシリーズの堅牢な防御力と重なって、それらの雪がクッションとなってかなり高い場所から落ちたのに、まぁ全身痛いけど無事だったのだ。

「何度頬を突いても起きないのです。仕方なく、ここまで運んで看護してたのです」

「それは、どうもすみませんでした」

 助けてもらっただけでも感謝すべき事なのに、看護までしてくれて。見知らぬ相手だが、申し訳ない気持ちと感謝の想いで胸がいっぱいになった。

 ひとまず助かった事に安堵すると、辺りにいい香りが漂っている事に気づく。匂いを追うと、女性はこちらに背を向けたまま焚き火の近くで何かを焼いていた。

「あの、それは……」

「麓で釣ったサシミウオを焼いたものなのです」

 よく見れば、火に掛けられているのは串が刺さったサシミウオ。ちょうどいい感じに焼けていて、香ばしい匂いを辺りに漂わせている。その香りには、思わず喉が鳴る。麓でこんがり肉を食べたばかりだと思っていたが、この空腹の具合を見れば、どうやらそれなりの時間気を失っていたらしい。

「そうだ、みんな」

 自分が一体どれだけ気を失っていたかはわからない。それでも、かなりの時間が経っているだろう。すぐにみんなの所に行かないと。そう思い立とうとしたが、

「……ッ!?」

 全身を走る痛みのせいで動けなかった。一応リオレウス戦の時程の重傷ではないが、それでもあの時と同様に崖から落ちているのだ。今すぐに動く事はどうやら無理そうだ。

「全身怪我だらけなのです。今動いてはダメなのです。手当てが無駄になるのです」

 女性の言葉にそこで初めて自分が手当てされている事に気づく。それどころかディアブロシリーズは全て外され、インナー姿となっていた。腕や胸、足には包帯が巻かれ、適切な手当てがされている事がわかる。隣を見れば脱がされたディアブロシリーズとバーンエッジが置かれていた。

「あの、これもあなたが?」

「そうなのです。自分用に用意した救急キッドがまさかこのような形で役立つとは、まさに青天の霹靂なのです」

 何やら感慨深そうにうむうむとうなずく女性の言葉にクリュウは改めて「す、すみません。何から何までしてもらっちゃって」と謝る。そんな彼の言葉に女性がピクリと反応した。

「……君は、私の事を覚えていないのです?」

 女性の言葉にクリュウは「え? どこかでお会いしましたっけ?」と困惑する。というかまずずっと背を向けられていて顔がわからないのだから、もしも知っていてもわからないではないか。

 すると女性は「……薄情なのです。でもこれも時代の流れというもの。寂しいものです」とまた感慨深そうにうむうむとうなずく。そんな彼女の反応に困惑するクリュウに対して、女性はゆっくりと立ち上がった。

「あ、あの……」

「しかし、久しぶりに思わぬ形とはいえの再会。もう少しクー君は男らしくなっていると思ってたけど、思いの外昔通りで安心したような、残念なような。複雑な心境なのです」

「クー、君……?」

 クリュウはその部分に引っかかりを感じた。なぜ自分の名前を知っているのか、という問題よりもその呼び方に彼は反応した。なぜなら、自分の事を《クー君》と呼ぶ人は、これまでたった二人しかいなかったからだ。

 一人は今は亡きアルトリア王政軍国先王の第一王女。そして元エンペラークラスのハンターだったアメリア・ルナリーフ。クリュウの母親だ。

 そしてもう一人は――

「……でも、相変わらずクー君は可愛いのです。眠っているクー君の寝顔に、思わずキスをしてしまいたくなったのですが、何とか踏みとどまったのです。えっへんなのです」

 この妙なしゃべり方と、若干人の話を聞かずに自分勝手に話し始める感じ。お姉さんぶりたいのに、全くもって頼りない――でも、自分にとっては唯一無二の存在だった。

「両親がハンターだったから、もしかしてハンターになっているのでは? そんな私の推理は見事に命中。クー君もハンターになっていたとは、これも運命というものなのです」

 うむうむと無駄にうなずくあの癖も、昔と何ら変わっていない。

 突然嵐のように現れ、自分とエレナの姉として君臨。そしてまた嵐のように村を去った。クリュウにとってはたった一人の姉にして、クリュウにとって特別な存在だった、その人は――

「……もしかして、キー姉ぇ?」

 懐かしい名前で呼ばれた女性は口元に嬉しそうな、そして満足気な笑みを浮かべるとゆっくりと振り返った。同時にバッとマントを翻す。

 振り返った女性が身に纏うのはこれまでの激戦を共に戦い抜いて来た防具。防具というにはかなり露出が多く、肩口、上腕、腰、大腿などを露出し、それ以外の場所は幻想的な輝く青白い毛や皮で作った布で守った特殊防具。クリュウは知らないが、それは幻獣との別名を持つキリンと呼ばれる伝説の古龍の素材、それも長寿の古龍の中でも古参に入る歴戦のキリンの素材を選出して作られた、まさに英雄的活躍をした勇者のみが着る事を許される伝説級の防具――キリンXシリーズだ。

 女性は驚くクリュウの顔を見て楽しそうに、そして嬉しそうに笑った。そのどこかまだ笑顔が苦手なぎこちなさの残る笑顔は、昔から変わっていない。

 記憶の中にあったあの美しい純白の髪はどうやらキリンXヘルムで隠しているが、それでも顔には昔の面影がしっかりと残っていた。記憶の中の彼女の顔よりもずっと大人びているが、昔自分が大好きだったあの姉の顔が、そこにあった。

「久しぶりなのですクー君。お姉さん、ここに見参なのです」

 クリュウにとって姉代わりにして、かつて母を失った悲しみに溺れていた自分を救い上げてくれた存在――キティ・ホークラントは七年ぶりに彼の前に現れた。

 

「今すぐにクリュウ様を捜索すべきですッ!」

 声を荒げながら力強く進言したのは、今にも泣き出してしまいそうな程に顔を悲痛と不安と焦りに染めたフィーリア。皆が座っている中一人立ち上がり、胸の前に両腕をグッと構える。まるでそれを今にも倒れてしまいそうになる自分を自分自身で何とか支えているかのような、そんな健気な姿に見えた。

 ここはエリア4の洞窟の中。細い洞窟の中では大型モンスターは入る事はできず、先程のモンスターに襲われる心配もない。ギアノスなどの小型モンスターはすでに掃討を終えているので、今はオリガミに辺りを警戒させながら四人は状況報告と今後の行動を決定する作戦会議を開いていた。その会議の開口一番に叫んだのがフィーリアだった。

「山頂から落ちたとなれば、少なくともクリュウ様は大変な怪我をされているはずですッ! 今すぐにでも急行して手当しなければならないんですッ!」

 悲鳴にも似た彼女の言葉にツバメは苦しげに唸る。彼も当然クリュウを捜しに行く事は最優先事項だとは思っている。だが、感情的になるフィーリアよりはずっと冷静な彼からすれば、それはそう簡単にできる事ではない事は容易に想像できた。

「少し落ち着けフィーリア。事はそう単純ではないんだ」

 そう言って彼女を落ち着かせるのはリーダーのシルフィード。その表情もフィーリアと同様に焦りや不安に歪めているが、それ以外にも彼女には様々な苦悩の中にあった。

「彼が落ちた箇所を確認する為には、山頂付近に戻る必要がある。しかし、そこには先程の謎のモンスターが陣取っていて、近付く事ができないんだ」

「クリュウ様の弔い合戦ですッ! そんなモンスター、私達で総攻撃して叩き潰すだけですッ!」

「落ち着くのじゃフィーリア。それではクリュウが死んでしまっておる。縁起でもない事を言うでない」

「気持ちはわかるが、我々はあくまで調査依頼でここに来ている。装備はとてもじゃないが万全とは言えないし、捜索できるだけのホットドリンクの備蓄もない。長期に渡ってこの山を動き回る事はできない」

 シルフィードは冷静に現状の厳しさを提示する。今回は調査依頼、それもポポの調査依頼だった為、ホットドリンクはそんなに多くは持って来てはいなかった。元々山登りをあまりしないポポ相手の調査は麓近辺に限定され、山登りはそれほど重視されていなかったからだ。さらに言えば大型モンスターと戦う為の装備もない。砥石や回復薬の量に関して言えばホットドリンク以上に余裕はないのだ。

「君だって、そんなに多くの弾丸を持って来た訳ではないだろう?」

「そ、それはそうですが……ッ!」

「それに相手は、あのサクラが打ち負かされたような強敵だ。今の貧弱な装備のままで、感情的になっている君は、本当に五分な戦いができるか?」

 シルフィードの問いに、フィーリアは悔しげに黙り込む。本当はわかっているのだ。自分がどんなに無茶を言っているかは。でも、クリュウを助けたい。クリュウを襲ったモンスターに仕返しがしたい。その想いが先行してしまい、彼女の冷静な判断を邪魔していた。

 だがシルフィードの諭すような言葉は、フィーリアの中で後回しにしていた感情を爆発させるきっかけになってしまった。一瞬前までの不安や悲しみに満ちた表情を一変させると、彼女は激しく激昂すると隣でずっとうつむいたまま黙っているサクラの胸倉を掴んだ。

「元はといえば、サクラ様が無茶な戦闘を開始した事が原因じゃないですかッ!」

 激しい口調でサクラの失態を叱咤するフィーリア。その常の彼女らしくない激しい口調と怒りには、ツバメもシルフィードも口を挟めなかった。二人共、フィーリアの本気の怒りを前にその激しい感情に呑まれてしまっていた。

「見境もなしに戦闘をおっ始めて、挙げ句の果てにクリュウ様を遭難させるッ! 自分がしでかした事態を、わかっているんですかッ!?」

 胸倉を掴んで持ち上げ、膝立ちになるサクラを前に激しい口調で責め立てるフィーリア。しかしサクラは項垂れたままずっと沈黙している。何を言っても答えないサクラを前にカッとなったフィーリアは手を上げる。

「フィーリア。さすがにそれはやめてくれ」

 そう言って彼女の振り上げた手を止めたのはツバメだった。申し訳なさそうに謝る彼を前に、フィーリアはどこにぶつけていいかわからない想いを無理やり胸の奥に押し込み、取られた手を乱暴に取り戻すと太腿の横で拳が真っ白になるくたいに固く握り締める。

 必死に自分の中の怒りを押し込めるフィーリアを前に、これまでずっと黙っていたサクラはゆっくりとその場で正座すると、その腰を折った。

「さ、サクラッ?」

 驚くツバメを見てフィーリアが彼の視線を追ってサクラの方を見ると、言葉を失った。

 氷上に正座したサクラはそのままの姿勢で深々と頭を下げていた。手をハの時に頭の前に置いたその姿勢は、東方人最大の謝罪の示し方――土下座。

 全てのプライドを捨てて、相手への誠意を示す最上級の姿勢。サクラはそれをフィーリアに、そして皆にしていた。彼女の土下座姿は、エルバーフェルドでシュヴァルツにアルトリア行きを政府に掛けあって欲しいという願いの時以来。だがそれは、かつての土下座とは全く異なるもの。前回のは愛するクリュウの為に頭を下げたが――今は自らの失態を認め、心からの謝罪を込めての土下座であった。

「サクラ、様……」

「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

 顔を伏しているので表情はわからない。でもその声は微かに震えていた。皆には見えない角度で、彼女は氷の上に温かな雫を垂らしていた。自分の暴走と、自分がいながら彼を救えなかった罪悪感。今回の一件全てに対する謝罪を、彼女は泣きながら土下座という形で示した。逆に言えば、彼女にはそれしかできなかったのだ。

 何を言っても言い訳になってしまう。言い訳を言いたくはないし、親友相手に言い訳なんかしたくなかった。だからこそ、彼女にできる事は――土下座しかなかったのだ。

「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいッ」

「……もういいサクラ。もうやめてくれ」

 あまりにも痛々しい程に謝り続ける彼女の肩に手を置いたシルフィード。自分を責め、猛省し、恥を捨てて謝り倒す彼女の姿を、もう見ていられなかったのだ。いつも全く謝らない、自分の行動を絶対だと信じて突き進むのがサクラ・ハルカゼという仲間だ。その彼女の、謝り倒す姿など、見たくなかった。

「……ごめんなさい、ごめんなさいッ」

 それでもサクラはやめなかった。必死になって謝り続ける彼女の姿にフィーリアは何も言えなくなってしまう。でも彼女に対して抱いている怒りは消える事なく、でも必死に謝る彼女に向かって怒鳴る事もできず、フクザツな心境を抱く彼女は、サクラを無視する事しかできなかった。

 ツバメも加わり、ようやく頭を上げたサクラ。辺りには凍てつく風よりもずっと冷たい空気が張り詰めていた。混沌とした極寒の空気の中、シルフィードは話題を変えるように話を戻す。

「とにかく、一旦拠点に戻ろう。必要な装備を掻き集めてクリュウの捜索隊を編成する。同時にこの状況を知らせ、応援を呼ぶ為に一度村へ戻る帰路隊も編成。二正面作戦にて事に当たるぞ」

 反対する声はなかった――もはや、誰も感情的な意見を言う者はいなかったのだ。

 

「食べるのです」

 そう言ってキティは焼いたばかりのサシミウオをクリュウに手渡す。断る理由もなかったクリュウはそれを受け取ると一口食べる。元々生でも食べられるサシミウオだが、焼いてもうまい。やっぱり素焼きに塩をまぶしただけのシンプルな焼き方が一番うまい。

「うん、おいしい」

「どうだ。恐れいったかなのです。えっへんなのです」

「……魚を焼いただけでなぜそんなに威張れるさ?」

 苦笑しながらも、クリュウは七年経っても相変わらずな姉の姿を見て懐かしい想いで胸がいっぱいになった。

 キティ・ホークラントが初めて村にやって来たのは今から九年程前、アメリアが死んですぐの事だった。その時の彼は最愛の母親を失った悲しみからすっかり塞ぎ込んでしまい、周りを拒絶するようになっていた。エレナが必死に励ましたり、時には無理に遊びに連れて行こうなどしたが、結果的にそれが逆効果。彼はエレナさえも拒絶するようになり、二人の関係は修復不可能なまでに瓦解する寸前だった。

 村の中で一人孤立していくクリュウ。そんな彼の前に突如現れたのが、村に引っ越して来たキティだった。クリュウよりも七歳年上な彼女は、一人寂しく泣いていた彼にそっと手を差し伸べた。

 今思えば、エレナでさえ拒絶したはずの他人を、なぜ彼女だけは受け入れたのか。今でもよくわからない。でも、自分を励まそうと慣れない笑顔をがんばって浮かべる彼女の姿に、悲しみの中に一筋の嬉しさを感じたのは、今でもよく覚えている。

 

 ――では、君の事は今日からクー君と呼ばせていただきます。クー君は私の友達第一号なのです――

 

 妙な口調での、彼女の第一声もまた、今でもしっかりと覚えている。

 それから常に彼に連れ添って、独り身になった彼の世話を親身になってしてくれたキティ。お世辞にも家事能力は高くはなく、結局いつもクリュウが後始末をする。いつの間にかキティとクリュウは姉と弟のような関係になっていた。

 彼女と接するうちに次第に明るさを取り戻し始め、エレナとも和解。一年が経つ頃には元の彼に戻っていた。

 それからはキティとクリュウ、そしてエレナの三人はまるで家族のように接し、楽しい日々を送っていた。一緒に遊んだり、一緒に寝たり。さすがにお風呂は入らなかったが。というかクリュウと一緒にお風呂に入ろうとするキティに対してクリュウが拒否し、エレナもまた却下した為に実現しなかった。キティが十七歳、クリュウとエレナが十歳の時の事である。

 しかしそんな楽しい日々が終わりを告げたのは、彼が十一歳になったばかりの頃。元々病弱な彼女の母親の静養の為に村に来ていたホークラント一家。その母親が元気になった事で故郷に帰る事になったのだ。

 そしてあの日、再会を誓ってキティは村を去ったのだ。

 あれからもう七年。二人は思わぬ形での再会を果たしたのだ。

 サシミウオを食べながら昔の思い出に浸るクリュウに対し、同じくサシミウオを食べながらそんな彼の姿を微笑ましく見詰めるキティ。昔のような二人の姿が、そこにあった。

「それにしても、まさかキー姉ぇもハンターになってたなんて驚きだよ」

 クリュウは率直な思いを口にした。色々な道がある中で、クリュウは親の影響があったからハンターになったと言える。しかしキティの両親は普通の人だ。サクラのようなきっかけもなければ、普通は目指すような道ではない。

 クリュウの疑問に対し、キティはサシミウオを食べながら語る。

「ふぇふぁいふゅうをほうへんふすはへはほへふ」

「……食べながらしゃべるのはやめようね、キー姉ぇ」

 どうやら、物を食べながらも勝手に話始める癖は直っていないらしい。

 クリュウに注意されたキティは素直に最後までサシミウオを食べ終えると、水を一口飲んでから改めて語り始めた。

「世界中を冒険する為なのです」

「世界を、冒険?」

「そうなのです。世界はとてもとても広いのです。色々な景色や文化を見る旅に出る。こんなに楽しい事はないのです。その旅を安全に成功させる為にも、自分の身は自分で守る。だからこそ、私はハンターという道を選んでみたのです」

 えっへんとなぜか偉そうに言う彼女の言葉に、クリュウは思わず笑ってしまった。

 世界中を旅してみたい。それは昔彼女が口癖のように言っていた彼女自身の夢だった。どうやらあれからずいぶん経っていても、その夢を諦めてはいなかったらしく、そして今はその夢を実現させているのだ。有言実行。それが彼女の行動指針だ。

「しかし、世の中わからないものなのです」

 うむうむとうなずきながら感慨深そうに語る彼女の言葉に「何が?」と尋ねると、キティは困ったような表情を浮かべてしまう。

「護身術としてハンターになったものの、どういう訳かそこで才能が開花してしまったのです。迫り来るモンスターを片っ端から返り討ちにしている間に、いつの間にかエンペラークラスにまで上り詰めてしまったのです。おかげでギルドには常に居場所を報告しなければならず、肩身の狭い想いなのです」

 むむむと困り果てた感じで考える彼女の言葉にクリュウは思わず苦笑を浮かべる。何というか、昔から無茶苦茶な人だと思っていたが、相変わらずの無茶苦茶っぷりらしい。

 エンペラークラスは、細かく分けられている区分けの中では最上位の位である。類まれなる実力と実績が評価された事で送られる最高位。現在中央大陸全体で数千人と言われている全ハンターの中で、エンペラークラスのハンターは五〇人に満たないと言われている。そんな実力を持ちながら、肩身の狭い想いを抱く彼女は相当な大物と言えるだろう。

「というか、キー姉ぇってエンペラークラスなんだね」

「えっへんなのです」

 こればっかりは威張っていいのだが、相変わらずの威厳のなさ全開なキティ。そんな彼女の姿に苦笑を浮かべていると、ふと浮かんだ疑問を口にする。

「そんなエンペラークラスのキー姉ぇが、なんでイルファ山なんかにいるのさ。というか、こっちに来てるなら村に寄ってくれてもいいのに」

 水臭いキティの行動にちょっと不満そうなクリュウ。若干拗ねたように言う彼の言い方は実に愛らしく、キティは思わず彼を抱き締めてしまった。

「ちょッ!? キー姉ぇッ!?」

「クー君は可愛い可愛いなのです。いい子いい子なのです」

「こ、子供扱いしないでよッ」

 抱きついて来る彼女を振り払い、顔を真っ赤にさせたまま怒るクリュウ。キリンXケープに包まれた彼女の美しく整った胸は昔よりもずっと膨らんでいて、彼を慌てさせるには十分過ぎる程の威力だった。

 恥ずかしがるクリュウの姿を見てキュンとなるキティだったが、彼の疑問に答えるべくうむと一つうなずいて語り始める。

「ギルドからの特命なのです。このイルファに現れた正体不明のモンスターの偵察任務の為、ここに来ていたのです」

「正体不明のモンスターって、あの褐色の飛竜?」

「うむ。どうやらクー君はもうすでに知っているようなのです」

「知ってるも何も、そいつに突き飛ばされて崖から落ちた訳だし」

 やはりギルドも確認が取れていない正体不明のモンスターだったらしい。道理でクリュウも見た事がないはずだ。そもそもあんな姿勢の飛竜種がいる事自体、正直今でも信じられないくらいだ。

 キティは氷の壁に掛けてあったライトボウガンを手に取る。それはフィーリアが使うハートヴァルキリー改に良く似ているが、彼女の武器は桜リオレイアの素材を基軸に作られているのに対し、キティの持つ武器はそれを伝説の銀レウスと金レイアの素材を使って作られている。銘を金華朧銀の対弩と言う、これも最上位のライトボウガンだ。

「ギルドからの任務を遂行する為に、私はこの武器の様々な弾丸を駆使して奴を偵察していたのです。相当なデータを取り終え、報告の為に山を離れようとしていた時の事。突然山頂からペイントの香りが漂って来たので、何事かと戻っていたら突然空から君が落ちて来たのです。ビックリなのです。仰天なのです」

 どうやら彼女はギルドからの特命であの正体不明のモンスターの生態調査の為にこの山に来ていたらしい。そこへ偶然ポポの生態調査に来ていたクリュウ達がその件のモンスターと鉢合わせしてしまい、結果は惨敗。崖から落ちたクリュウをキティが見つけ、看護するというような状況に至ったらしい。

「それで、あのモンスターは一体何なのさ?」

「正体不明と言っても、ギルドの方でもある程度のデータは持っているのです。まもなくギルドの方から正式にモンスターの正体が明かされる予定になっているのです」

「そ、そうなんだ」

 ギルドは次々に新モンスターを公開している。昔はギアノスもランポスの突然変異種とされていたが、現在では亜種認定されて別のモンスターとされているし、常に情報は書き換わっている。それらの正しい情報を得る為にハンターズギルドはこうしてキティのような実力者を派遣して調査をしているのだ。

「それで、あいつの事は何かわかったの?」

「まぁ、クー君は私の弟なのです。ちゃんと説明してあげるのです。でも――」

 突然キティは再び彼の体を抱き締めた。優しく、そっと抱き留め、彼の温もりをしっかりと心に焼き付ける。ずっとずっとしてあげたくても、ずっとずっとできなかった、姉として弟にできるたったこれだけの事。七年の歳月を経て、やっとする事ができた。

 先程までとは違う抱かれ方に困惑するクリュウに対し、キティは優しく彼を抱き留め続ける。

「クー君。ずっとずっと、逢いたかったのです」

 そう言って、彼女は彼を抱き締める力を少し強める。ギュッと抱き締められ、クリュウは「だ、だったらいつでも会いに来れば良かったのに……」と少し照れながら言う。そんな彼の言葉に対し、キティはゆっくりと首を横に振った。

「どうして……」

「――怖かったのです」

 そう言った瞬間、背中に回された彼女の手が微かに震えていた。手だけではない。彼女の体全体が、何かに怯えるように微かに震えていたのだ。

「クー君が、私の事を忘れてしまったのじゃないか。そんな恐怖が、ずっとあったのです。一ヶ月、半年、一年、二年と逢いたくても逢いに行く勇気が出ずに先延ばしにし続けた結果、七年も経ってしまったのです。もう、半ば諦めていた――私の事を、クー君が忘れているとしても、それも覚悟していた」

 そう声を震わせながら言う彼女の言葉に、クリュウは心底呆れ返った。無駄に強気だったり、妙な自信家だったり、そして時にはこんな感じに妙に不安症だったり。キティ・ホークラントという人間は実に感情の上下運動が激しい。昔はよくこれに振り回されたが、一緒に過ごしているうちに次第に慣れた。そしてそれは、七年という歳月を経た今でも、変わる事はない。

「だからギルドの特命でこの地に来た時、覚悟していた。一目、君の姿を見たらもう未練を断ち切って、前に進み続けると。そう決めていたのです。なのに――」

 ゆっくりと顔を上げたキティの目には薄っすらと涙が浮かんでいた。顔には嬉しそうな微笑を浮かべているが、笑顔が苦手な彼女にとってそれは最高の笑顔だ。すごく幸せそうな、昔エレナとこっそりと準備したドッキリ誕生パーティーにて出迎えられた際も、彼女は同じようにすごく幸せそうな笑みを浮かべていた。あの時と同じ、幸せに満ちた笑顔だ。

「――クー君は、私の事を覚えてくれていた。それが、今はすごく嬉しいのです」

 そう言ってボロボロと涙を零す彼女を前にクリュウはわざとらしく大きなため息を零すと、ボロボロと零れる彼女の涙を指先で丁寧に拭い取り、そっと彼女の頭を優しく撫でる。

「……忘れる訳ないでしょ。キー姉ぇは、今までもこれからも――僕のたった一人のお姉ちゃんなんだから」

 彼の言葉にキティは一つ大きくうなずくと、再び彼を強く抱き締めた。まるでここに彼がいる事を体全体で確かめるかのように、強く、優しく、温かく、彼を抱きしめ続けた。クリュウも抵抗する事なく、自らもそっと彼女の体を抱き返す。

 そんな時間がどれほど続いただろうか。ゆっくりと、キティの方から体を引く。そうして、優しく微笑む彼に向かって、自身もまた優しく自らの想いを伝える。

「クー君はこれまでもこれからも、ずっと私の可愛い弟なのです――大好きなのです、クー君」

 そう言って、キティは彼の頭を抱き寄せると、その唇に自らの唇を押し当てた。

 

 日没間近。拠点(ベースキャンプ)にてシルフィードの指揮の下、クリュウの捜索隊と救援を呼びに行く帰路隊の二隊が編成された。捜索隊はシルフィード、フィーリア、サクラという実力者を配置。帰路隊にはツバメとオリガミが選出され、二隊の準備は全て整った。特に捜索隊はありったけのホットドリンクを持ち、長期戦を覚悟で食糧も可能な限り持っての山登りとなる。

「ではシルフィード。どうかクリュウの事を頼むのじゃ」

「あぁ、君の方こそ可能な限り救援を早く頼む」

「任せておけなのニャッ」

 すでに必要な装備の積載を終えた竜車の前に立つツバメはシルフィードとの別れの挨拶を済ませると竜車に乗り込む。それを見たシルフィードはゆっくりと振り返り、未だに互いに気まずい雰囲気を漂わせている二人の方に振り返る。どちらもどう互いに声を掛ければいいかわからないといった感じ。それでもそのどちらもが、今はクリュウを捜す事だけに全力を尽くす。そんな覚悟でいた。

 シルフィードはそんな二人の肩を優しく叩いた。そして不安な顔を上げる二人に対して「大丈夫さ。クリュウはそう簡単に倒れるような男じゃない。きっと無事でいるさ」と二人を励ますように言う。そんな彼女の言葉にいくらか元気をもらった二人は小さくうなずいた。

 だが実際は、彼女の言葉は自分自身へ向けているも同じだった。胸の奥である最悪を予想して不安になる気持ちを、自らの言葉で鼓舞する。そうでもしないと、不安で押しつぶされそうだったのだ。

 夜間での捜索を覚悟の上での山登り。冬間近のイルファ、それも夜となれば気温はマイナスの方向へとどんどん加速するだろう。だがそれは同時にクリュウの体力を奪う脅威でもある。可能な限り彼を早急に発見しなくては。そんな想いが、彼女を突き動かす。

「では行くぞ二人共」

「はいッ」

「……えぇ」

 竜車を出発させようとしているツバメに別れを告げ、三人は拠点(ベースキャンプ)を出発する。目指すは彼が落下したと思われる山頂より少し下付近。広大な雪原において彼を見つけ出す事はかなりの難易度だ。しかし諦めず、彼の姿を捜し続ける。そんな強い覚悟を抱いて、三人は覚悟の一歩を踏み出した――が、

「あ……」

 そんな彼女達を出迎えたのは、ちょうど拠点(ベースキャンプ)から下る道の曲がり角から顔を出したクリュウだった。まだ動けぬ体をキティに背負われての何とも情けない姿ながらも、彼はその無事な姿を彼女達の前に現したのだ。

 驚きのあまり呆然としている彼女達に対し、同じく出会い頭で困惑するクリュウは少し考えてから、恥ずかしそうに口を開く。

「あ、あの――ただいま」

 照れ笑いを浮かべながら言う彼の言葉に三人は涙を浮かべながら、満面の笑顔で「おかえりなさい」と答え、彼を優しく出迎えたのだった。


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