モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第201話 山頂に轟きし凶竜の雄叫び 絶望との再会の果てに

 エリア2から洞窟の中に入ったクリュウとサクラはそのままエリア4、5を抜けて山頂付近のエリア6へと到達した。外に出ると、麓は晴れていたはずだが、そこは曇天の空が広がっていた。チラチラと雪が振っていて、ホットドリンクを飲んでいても寒さで思わず身を震わせてしまう。口から吐き出される息は純白で、ゆらゆらと空へと昇っていく。

 広場は山頂付近では最も広く、背後は崖となっており、前方には断崖絶壁が広がっている。いつもならここにはギアノスやブランゴといったモンスターがいる事が多いが、今日はなぜか普段は麓の方にいるはずのポポが三匹程ゆっくりとした足取りで闊歩していた。

「こんな所にポポがいるなんて珍しいよね」

 普段は見られない光景にクリュウが思った事を素直に言うと、隣に立つサクラも同意する。

「……ポポは余程の事がない限り山登りはしないわ。何かに追われてここまで来たのか、何にしても異常事態よ」

「何かに追われて来たって……一体何に?」

「……それはわからない。けど、用心したほうがいいのは事実」

「そうだね」

 サクラの言う通り、雪国育ちのクリュウでさえこういう光景は見た事がない異常事態だ。彼女に言われなくても自然と気は引き締まる。原因を探るように辺りを見回しながら歩く彼の後ろから、サクラもゆっくりとした足取りでついて行く。しかし彼女の視線はある一転に注がれている。その方向には山頂がある。イルファ雪山にはそもそも大型モンスターの出現率が低い為、滅多な事では山頂まで登る事はない。だが今回は調査依頼なので全てのエリアを回る事が前提条件となっている。

 二人はこのまま山頂を目指し、そこで他の面々と合流する手筈になっている。そろそろ他のチームは着いているのだろうか、そんな事を考えるクリュウとは違って、サクラは山頂に何かある気がしていた。確証はないが、これまで多くの死線をくぐり抜けて来た勘が、確かにそう告げていた。

 一体この先に何があるのか。この胸の奥に渦巻く不安の正体は何なのか。全ては、行ってみないとわからない。

「ねぇサクラ。何か感じる?」

 考え込んでいた時、突然話しかけられたサクラは一瞬呆けてしまうが、すぐに小さくうなずいて答える。するとクリュウは「そっか……」とつぶやき、山頂を見上げる。

「……クリュウも、何か感じる?」

「うぅん、言葉ではうまく説明できないけど……何となく、空気が緊張している気がするんだ」

 クリュウもいつもの雪山と何かが違う事を感じ取っていた。言葉にはできなくても、きっと自分と同じものを感じている。サクラにはそう思えた。

「……山頂は合流地点。どちらにしても、行かなくちゃいけない」

「そうだね。とりあえず、何が起きても即時対応できるよう備えながら行こう」

 お互いにそれぞれバーンエッジ、飛竜刀【紅葉】の柄に手を掛けながらゆっくりとした足取りで山頂を目指して歩き進む。雪を踏み締める音も最低限なものにしながらのゆっくりの行軍。視線は常に様々な範囲に向けられ、わずかな動きも見逃さない。雪山特有の寒さも感じなくなるほど、感覚が索敵に特化される。目と耳を総動員しながら、足の裏から伝わるわずかな振動も見逃さない。そんないつになく警戒態勢のまま二人は歩き進め、ついに山頂ことエリア8へと到着した。

 エリア8は周りのほとんどを雪と岩の壁で覆われ、南側の一部だけが切り立った崖となっている、闘技場のような形状をしている。広さは先程のエリア6よりは狭いが、それでも十分に動き回れる程の広さはある。イルファ雪山は大昔は火山だったと言われており、この凹んだ地形の事を専門的にはカルデラと称するようだが、イルファの頂はそんな形状をしていた。一部壁が壊れている場所は、エリア7や6に繋がる道と同様に大昔に溶岩が流れた後と言われている。

 エリア8に入った二人はすぐに辺りを警戒しつつ、エリア全体をくまなく見回す。だがそこには何も無かった。モンスターの一匹はおろか、合流する手筈になっている他の面々の姿も見られなかった。

「みんな、まだみたいだね」

「……えぇ」

 辺りを警戒しながらも、拍子抜けしてしまったクリュウは柄から手を離す。サクラは依然として柄に手を当てながら辺りを見回す。その隻眼はいつになく鋭く、わずかな動きも見逃さない。

 エリアのちょうど真ん中にまでやって来たクリュウは改めて周囲を見回して何もいない事を確認する。すると、

「あれ、何だこれ」

 クリュウが見つけたのは、平らに積雪している中に見つけたわずかな膨らみだった。クリュウはそれに近寄ると、手で上に積もった雪を払いのける。周囲を警戒しながらサクラも彼の行動を見守る。そして、最後の雪を払いのけ、その正体に至る。

「これって、ポポだよね?」

 クリュウが見つけたのはポポの死骸だった。地面の上に横たわって死んでいるポポは、上に積もっていた雪を見ても少し前に殺されたとわかる。その証拠に周囲の雪の下には真っ赤な血が凍りついていた。そして、ポポの腹は何かに食い荒らされたようにポッカリと失われていた。

「……これ、何かに襲われたんだよね?」

 ポポの亡骸の状態を見て、どんなモンスターにやられたのかを推測するクリュウは意見を求めるようにサクラに振り返る。だが、

「サクラ?」

 サクラは無言でポポの亡骸を見詰めていた。眼帯にそっと手を当てながら、残っている右目でポポの傷跡を凝視する。その表情は信じられないものを見たかのように大きく見開かれ、寒さとは違った歯の震えが起きる。

「どうしたの?」

 彼女の尋常ならざる反応にクリュウが改めて声を掛けるが、サクラは何も答えない。ただジッと、ポポの亡骸を見詰めている。

 ズキッと、眼帯の奥にある失われた左目が痛んだ。もう視力は失われたが、完治はしているはずの左目がズキズキと痛む。痛みに顔を顰めながら、しかし彼女は決してポポの亡骸から視線を逸らそうとはしない。

「サクラ、ねぇどうしたの? ちょっと変だよ?」

「……まさか、そんな事って」

 クリュウの問い掛けにも答えず、サクラはブツブツとそんな事をつぶやく。いよいよ彼女の様子がおかしいと思い彼女の両肩を掴んで「しっかりしてッ」と激しく揺らすクリュウ。その時、バサッという何かが落ちる音がした。振り返ると、自分達が入って来たのとは違う、反対側にある道の方に何かが横たわっていた。それは血塗れのポポの子供だった。

「え……」

 なぜそんなものが。さっきまで何もなかったはずだ。そこまで思考が至ると、クリュウはゆっくりとポポが落ちて来たであろう方向を見上げる。そして、

「何、あれ……」

 呆然と呟く彼の言葉に、サクラもゆっくりと視線を同じ方向へ向け――目を見開いた。

「……あいつは」

 そしてそれは――現れた。

 岩壁の上から飛び降りたそれは、ちょうどエリア7へ続く道の前に立ち塞がるように着地した。その衝撃と風圧に柔らかな新雪はあっという間に飛び散り、その異形の存在を純白の粉塵で包む。

 粉塵の中から、明らかな敵意と殺意に煌めく蒼色の瞳が不気味に輝く。粉塵が晴れると、ようやくその全貌が顕になった。

 それは褐色の鱗と甲殻に覆われたモンスターだった。長い首を持ち上げて顔だけをこちらに向けて悠然と佇むそれは、四肢でしっかりと地面を踏みしめてそこにいた。その異質な姿に、クリュウは強烈な違和感を抱いた。

 自分の持っている知識では、飛竜種は通常後脚で地面を踏み、前脚は脚としては退化して翼へと進化している。その為、一見すると飛竜種は逆三角形のようなシルエットをしている。しかし目の前のそれはしっかりとした前脚を持ち、人間で言う這っているような印象を受ける。結果、その体高は低く、見るからに地上戦に特化している。

 だがドドブランゴやババコンガのような牙獣種とも明らかに違う。よく見れば、前脚には巨大な翼膜のようなものが備わっていて、それがきっと翼なのだろう。そう考えれば飛竜種に分類されるが、未だかつてクリュウはあのような飛竜種を見た事がなかった。自分の目でも、そして学生時代に散々読み通した教本にも、あのような形状の飛竜種は見た事はなかった。

 下半身は通常の飛竜種同様屈強な脚と、長い尻尾を持っている。しかし上半身の翼を備えた巨大な腕は、明らかに普通の飛竜種とは異なっていた。

 全くの未知の存在に困惑し、動けずにいるクリュウ。しかし、そんな彼の隣に立つサクラは違っていた。ゆっくりとこちらに振り返る褐色の竜を凝視しながら、その姿をしっかりと目に焼き付ける。そしてそれは、遠い過去の記憶の中のそれと重なっていく。

 横倒しになった母を食い殺し、家族をその巨大な爪で斬り殺し、最後には父までも殺した謎のモンスター。母の腹に食らいつき、真っ赤に染まったその凶悪な横顔を、サクラはしっかりと右目に焼き付けていた。そしてその竜と、今目の前にいる竜の姿が完全に重なるのに、そう時間は掛からなかった。

「……あ、あぁ、あぁあぁああ」

 見開かれた瞳からは涙が溢れ、次第にその瞳は妖刀のように鋭く細まる。全身に力が漲り、気配を静から動へと切り替える。全身を覆うのは、尋常ならざる殺意。噛み締める口からは憎悪に満ちたうめき声が漏れ、背負った飛竜刀【紅葉】を引き抜き、前傾姿勢を取る。その姿はまさに野獣とも言うべきものだ。

「さ、サクラ?」

 サクラの異常に気づいたクリュウだったが、一瞬遅かった。

「がああぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁああぁぁぁぁッ!」

 野獣のような咆哮を上げて、サクラは突撃した。クリュウの止める手が触れるよりも早く、雪の粉塵を纏いながら一直線に突貫する。その速度はクリュウがこれまで見て来たいずれの突貫よりもずっと早い。弾丸のような、常軌を逸した速度だ。

 思考を憎悪と殺意に染めながら、サクラは確信した――今目の前にいるこの竜こそ、あの日両親を殺した憎き仇敵だと。

 暴風を纏いながら突貫する彼女を前に、褐色の竜も相手を本気で敵と認識したのだろう。グッと前脚を踏ん張りながらゆっくりと胴を持ち上げる。フゥと吐いていた白い息が一転してスゥっと口の中に吸い込まれていく。そして、野獣の如き突貫で迫るサクラの刀が触れる寸前、溜め込んだ力と空気を全て放出するように、褐色の竜は吼えた。

「ギャァオオオオオォォォォォッ!」

 山全体を震わせるかのような巨大な咆哮(バインドボイス)。放出された膨大な声量で押し出された空気の壁は暴風と化し、接近していたサクラの纏う風を一瞬で吹き飛ばし、彼女の動きを止める。耳栓スキルのないサクラはその咆哮をモロに受けて膝を折った。少し離れていて無事だったクリュウはサクラの動きが止まったのを見て慌てて動く。

「サクラぁッ!」

 急いで走り出すが、クリュウの足ではサクラが一瞬で詰められる距離を追いつく事はできない。それでも諦めずに走り続けながら、道具袋(ポーチ)から素早く念の為に持ち歩いている閃光玉を手に取ると、褐色の竜の前に放り投げた。

 上げていた上半身を本来の高さまで戻し、まだ耳を塞ぎながらも憎悪に満ちた隻眼で睨むサクラを見据え、グッと腕に力を込める。だがその直後に、クリュウが投げた閃光玉は炸裂した。

「ギャアァッ!?」

 突然出現した膨大な光量に目を焼かれた褐色の竜は視界を失い、目を焼く痛みに身を震わせる。

 何とか竜の動きを封じたクリュウは安堵するが、そんな彼の想いに反するようにサクラが動く。何と、撤退するどころかそのまま竜に斬り掛かったのだ。

「サクラッ!?」

 サクラの振るった刀の刃先は竜の頭頂部に炸裂し、辺りの雪を一瞬で溶かす膨大な炎を放出する。ブランゴ如きなら一撃で焼き殺される一撃に、さすがの褐色の竜も後退する――違う、あれはダメージを受けたのとは違う動きだ。クリュウが叫ぶよりも早く、褐色の竜は力を溜めながら後退したかと思うと、そのままその場で回転した。四肢を全て使っての、通常の飛竜種の回転攻撃とは明らかに違う、一瞬での全方位回転だった。突然の回転攻撃に、さすがのサクラも回避できずに振り殴られた屈強な腕に弾き飛ばされた。しかしサクラは空中で器用に回転して足から地面に着地すると、痛む体を無視して再び突貫した。

「サクラッ! 下がってッ!」

 クリュウの必死の声も聞こえないのか。サクラは減速する事なく再び褐色の竜に迫る。しかし竜は再びその場で回転した。腕を振り殴る一撃はさすがに回避したサクラだったが、次に現れた尻尾は回避できず再び直撃した。短く悲鳴を上げて吹き飛ぶサクラは、今度は背後から地面に上に倒れた。

「サクラッ!」

 倒れたサクラにクリュウはすぐに駆け寄る。その間もクリュウは竜の動きを注視するが、竜は三度目の回転攻撃を行う。リオレウスやリオレイアなどは閃光玉を受ければその場で動かなくなる傾向があるが、どうやらあの竜は閃光玉を受けると無茶苦茶にその場で回転攻撃をしまくるらしい。閃光玉で隙を作っても、剣士では接近する事は難しそうだ。そんな事を考えつつサクラに駆け寄ったクリュウはすぐに自分の道具袋(ポーチ)から回復薬グレートを取り出し、彼女に飲ませようとする。だが、

「……邪魔するなッ!」

 起き上がったサクラは目の前にいる彼をクリュウだと気づいていないのか、激しい憎悪に満ちた眼光で睨みつける。邪魔をするなら殺す。そんな威圧を込めた視線にクリュウは思わず彼女の肩に当てていた手を離した。その隙を突いて彼を跳ね除けてサクラは立ち上がると、回復をする事なく三度目の突貫を仕掛けた。竜が一瞬動きを止めた隙を突いてサクラの振るった飛竜刀【紅葉】の一撃は再び竜の頭頂部に炸裂する。炎を激しく燃え上がらせながら、サクラはその場で刀を縦横無尽に振るう。峻烈とも思える攻撃の連続は一見すると勇猛果敢に見える姿だが、良く見れば斬り方が無茶苦茶だ。いつもの彼女なら激しい剣撃の中でも冷静に刀の向きを変えて刃が最大の威力を発揮する角度で振るっている。だが今の彼女の攻撃はそんな事を一切考えない、ただひたすらに刀で殴り掛かっているような、そんな支離滅裂な攻撃だった。

 さすがのクリュウもいよいよサクラの様子がおかしいと気づき、彼女を援護するように竜に迫る。このまま彼女一人に攻撃させていては彼女の身が持たない。そう考えたクリュウはまず道具袋(ポーチ)からペイントボールを取り出して竜に投げつける。投げ慣れたペイントボールはしっかりと竜の背中に命中した。これで山の周囲にいるはずの他の皆にもこちらの異変に気づくはずだ。そしてクリュウは竜に迫ると、その翼膜を備えた太い腕に斬り掛かった。刃先が触れた瞬間、彼女の飛竜刀【紅葉】同様に荒れ狂う炎が竜の体表を焼く。しかし灼熱の業火を受けた竜の鱗は、まるで何事も無かったかのように不気味に煌めいていた。

「火が、効かないのか……ッ!?」

 属性攻撃が通じないと見るや、クリュウはバックステップで距離を取る。だがサクラは我武者羅に刀を振り回していた。言葉にならない奇声を上げながら、目の前の竜の頭に全力で斬り掛かる。だがその間に、奴の動きを制限していた閃光玉の効力が切れる。それを見たクリュウが「危ないサクラッ!」と叫ぶと、ようやくサクラは状況に気づいたのだろう。竜と目が合った瞬間危険を感じ取った彼女はまるで飛ぶようなバックステップで大きく後退して距離を取った。

 視力を取り戻した褐色の竜はその場で両腕に力を込めるように身を縮めると、一気に解放。両腕の力と脚で一気に後ろへと跳躍した。バックステップで距離を取っていた二人からは一気に数十メートルは離れる。これだけの距離があれば、相手がどんな行動をしても対応できる自信が、クリュウの中にはあった。

「次は何だ。ブレスか……ッ!?」

 全く正体不明の竜相手に、ひとまず一般的な飛竜種にありそうな行動を予想するクリュウ。どんなブレスかはわからないが、とりあえず直線上にいなければ大丈夫だ。これまでの経験で、そう踏んでいた。ちらりと横を見ると、サクラは相変わらず血走った隻眼で奴を睨みつけている。いつまた斬り掛かるかわからない。早く頃合いを見て撤退しなければ。そんな事を思っていると、竜が動いた。

「ギョワアアアァァァッ!」

 褐色の竜はブレスを撃つでもなければ咆哮(バインドボイス)を上げるでもなかった――突如、一直線に突っ込んで来たのだ。

「何ッ!?」

 突進など、一般的な飛竜にありがちな攻撃パターンだ。それくらいクリュウも予想はしていた。だが、奴は彼の予想を遥かに上回る動きを見せた。通常の飛竜種は二本脚で走るが、奴は四肢を使って猛烈な勢いで突っ込んで来た。その速度はあの突撃の魔獣、ディアブロスにも引けは取らない。あまりの速さにクリュウは驚き、対応が遅れてしまう。慌てて盾を構えてガードするが、ものすごい衝撃と共に弾き飛ばされた。雪の上に背中から倒れ、ヘルムの下で「くそぉ……ッ」と悔しげにくぐもった声を上げる。

「そうだサクラッ!」

 ガバッと身を起こして彼女の姿を探す。するとサクラはまたしても咆哮を上げて突進を終えたばかりの竜に突貫を仕掛ける。まだ突進を終えた直後で動けない竜に背後から襲いかかったサクラだったが、竜は隙を見せる事なく体勢を立て直して振り返ると、突貫して来るサクラ相手に再び咆哮(バインドボイス)を轟かせた。これまたディアブロスにも匹敵するものすごい咆哮に、サクラの体は呆気無く吹き飛ばされた。これまでのモンスターと違い、奴の咆哮には猛烈な風が発生するようだ。

 しかしそんな異色な咆哮を前にしても、クリュウがより驚いたのは奴の突進後の隙の無さだった。通常の飛竜種は二本脚で全力疾走する為、止まる際には身を投げ出して無理やり止まる奴が多かった。その為、突進後の隙は極めて大きかった。ディアブロスはその強靭な脚を使って転倒する事なく砂の上を滑走しながら止まってはいたが、それでもわずかな隙はあった。しかし目の前の竜は四本の脚を全て使って突進し、停止もまた四本の脚全てを使って止まる為、ディアブロス以上に隙がなかった。これでは、突進直後の隙を突いて攻撃する事は不可能も同然だった。

 弾き飛ばされたサクラはすぐさま体勢を立て直すと、諦めず再び突貫を仕掛けようとする。だがそれを止めるようにクリュウが彼女の肩を掴む。

「サクラッ! いい加減にしてよッ! まともにやり合っても勝てる相手じゃないッ! 今すぐ逃げるよッ!」

「……放せッ! 邪魔するなら斬り殺すッ!」

「サクラ……ッ!?」

 ギロリと睨んで来るサクラの隻眼は完全に理性を失っていた。激しい憎悪に支配された隻眼はクリュウを威嚇すると、再び褐色の竜に向けられる。その視線の先で竜はゆっくりとした動作で右腕を引く。そして狙いを定めながら、力を溜めるように縮ませていた筋肉を一気に解放し、力強く腕を地面に向けて押し出した。手のひらがぶつかった瞬間、地面にあった積み重なって硬くなった雪の塊が飛び出し、一直線にクリュウ達に襲い掛かる。迫り来る雪の塊を前にクリュウはとっさにサクラの前に立ってガードする。受け止めては体勢が崩れると咄嗟に盾の向きを変え、盾の表面で雪の塊を滑らせて衝撃を逃がす。結果、雪の塊は盾で流された事で軌道を変えて背後に着弾した。着弾と同時に辺りの雪を吹き飛ばしたのを見て、その威力が直撃すれば骨の一本や二本が平気で折れるレベルだと知り、背中に嫌な汗が流れた。

 攻撃をうまく防いでほっとしたのも束の間、サクラは再びクリュウを振り切って突貫を仕掛けてしまう。クリュウの制止の声など聞かず、咆哮しながら我武者羅に真正面から突っ込んで行く。褐色の竜はそれに対抗するように再び四肢を使って低い姿勢のまま突進を開始する。全力で迫る双方の距離はあっという間に消え、サクラは身の危険を感じて横へと跳んだ。うまく突進を回避しし、転ぶ事なく二本の足で着地したサクラはすぐさま反転攻勢に出ようとする。だが、そこで彼女は信じられないものを見た。

 褐色の竜はサクラが避けた後も進み続けたかと思うと、その場で一八〇度反転したのだ。そして止まる事なく、再びサクラに向かって突進を続ける。その速度は衰える事なく、一気に彼女との距離を詰めてしまう。サクラは今度はもはや体勢など気にする事なく身を投げ出して回避した。雪の上に倒れ込んだ彼女のすぐ後を、褐色の竜が滑走する。

 四肢を使って見事な急停止を見せる竜に対し、サクラはまだ体勢を立て直せずにいた。それを援護するようにクリュウが竜へと突っ込み、側面から再び腕に向かって斬り掛かる。

「うぉらッ!」

 振るわれたバーンエッジは炎を爆ぜるが、竜の堅牢な鎧はその程度の炎ではビクともしない。続けて剣を振るった先は腕の先端に付いている爪だ。ここをうまく叩き割れれば状況は変わるかもしれない。そんな事を考えながら振るった剣だったが、その一撃は呆気無く弾かれてしまった。

「硬ぁ……ッ!」

 ビリビリと痺れる腕が、その硬さを表しているかのようだ。バーンエッジでは刃が通らないとわかるや、攻撃箇所を変更する。だがその頃には相手もこちらへと振り返り、再びわずかに後退する動きを見せる。その動きはもう何度も見ていたので、すぐさまクリュウは盾を構えると、直後に強烈な衝撃が彼を跳ね飛ばした。

「くぅ……ッ」

 回転攻撃を何とか耐えたクリュウ。その横をサクラが通り抜け、再び竜に斬り掛かった。爆炎を纏いながら奮闘するサクラだが、彼女の峻烈な攻撃の嵐を受けても竜はビクともしない。横一閃に刀を煌めかせ、サクラは仕方なく下がる。だがそんな彼女を追撃するように竜は再び雪玉を飛ばす。回避行動中だったサクラは突然の攻撃に回避できずに雪玉の直撃を受けて吹き飛ばされた。地面に倒れ、苦しそうに悶える彼女の姿を見てクリュウはすぐさま閃光玉を投げて竜の動きを封じた。

 視界に入った小さな物体を目で追っていると、突然破裂して膨大な光の奔流が辺りを支配する。同時に再び視界を封じられ、竜は悲鳴を上げながらその場で暴れる。

 暴れ狂う竜を横目にサクラに駆け寄ったクリュウは今度こそ回復弾グレートを彼女に飲ませる。今度ばかりは素直に飲んだサクラだったが、一本飲んだだけですぐにフラフラと起き上がる。

「今のうちに逃げるよッ!」

「……うるさい。逃げたければ勝手に逃げて。私はあいつを殺す」

 激しい憎悪に満ちた瞳で言う彼女の言葉と表情に、クリュウはゾッとした。今まで見た事がない程に憎しみに狂った彼女の姿は狂気すら感じられる程に激しく、禍々しかった。いつもの無感情な表情とは比べ物にならないほど感情任せな彼女の姿に、クリュウは困惑しながらも彼女の肩を掴んで説得を続ける。

「何でそこまであいつと戦いたいのさッ!?」

 クリュウの問いに対し、サクラはギリッと歯を軋ませると、悶え苦しむ竜を見ながら吐き捨てるように叫んだ。

「――あいつが、お父さんとお母さんを殺したからよッ!」

 激しい憎悪と共に叫んだのは、恐ろしい事実だった。クリュウは彼女の口から語られた真実に言葉を失う。そんな彼を横目に、サクラは苦々しくつぶやく。

「……忘れやしない。あいつが、お母さんを食い殺した。お父さんを斬り殺した。家族を皆殺しにした――これは仇討ちなのよ。邪魔するなら、クリュウでも容赦しない」

 ギロリと、血走った瞳で睨みつける彼女の視線にクリュウは黙り込む。否、恐怖のあまり声が出なかったのだ。今まで、サクラのここまでの激怒を見た事がないし、そもそも手がつけられない程怒っている時は大概は別の対象に向けられている。正面から、こうして彼女に激怒された経験がないクリュウは彼女の本気と、憎悪の激しさ、全身を覆う禍々しいまでの殺気に、呑まれてしまったのだ。

 何も言わずに呆然と立ち尽くすクリュウなど眼中にないとばかりにサクラは彼の横を通り抜けると、再び竜に向かって突貫する。憎しみに狂うあまり、その戦い方はあまりにも粗雑だ。数撃当てるたびに竜に跳ね飛ばされて雪の上に倒れる。それでも立ち上がり、また突貫し、また弾き返される。その繰り返しだ。その自分の体の事など無視した特攻にも等しい攻撃の連続。しかしそんな無茶苦茶な攻撃では竜はビクともしなかった。前へ身を押し出すようにしての噛み付き攻撃。歯は避けたものの頭突きの勢いは回避できず、再び弾かれた彼女はまたしても雪の上に倒れる。みぞおちに入ったのか、激しく咳き込むサクラ。それを見てクリュウが走り出すが、竜は今度はクリュウに狙いを定めた。再び四肢を使っての雪上だと思えない速度の突進で彼に迫る。慌てたクリュウは横へ緊急回避して何とか避けたが、起き上がる頃には少し離れた場所に急停止した竜が再びこちらに向き直っている。本当に突進後の隙がない。

 咆哮を上げながらまたしても突進を仕掛けて来る。今度はギリギリまで回避したが避け切れず、接触する寸前で盾でガードした。結果直撃こそ避けたが彼の体は簡単に跳ね飛ばされて雪上に倒れる。だがいつまでも倒れてはいられない。奴の突進後の隙のなさはこれまでも何度も見ていた。痛む体にムチを打って起き上がるクリュウを、竜の飛ばした雪玉が襲う。背中に凶弾を受けたクリュウは正面から再び雪の上に叩きつけられた。この一撃には強固なディアブロシリーズでもかなりのダメージを負ってしまい、クリュウは動けなくなる。そんな彼を助けるようにサクラが再び突貫を仕掛けた――否、もはや彼女にクリュウの姿は見えてはいなかった。ただひたすらに、目の前の仇敵を殺す。それだけしか今の彼女の頭にはなかったのだ。

 クリュウを動けなくした事で、今度は接近するサクラに狙いを定めた褐色の竜は再び正面から突進を仕掛ける。サクラは今度は回避せずに正面から真っ向勝負。跳躍し、接近する竜の頭部目掛けて飛竜刀【紅葉】を叩き込んだ。爆ぜる炎と強烈な一撃にさしもの竜も怯んで脚を止めた。結果サクラは退かれる事なく、すぐさま着地と同時に怒涛の剣撃の嵐を叩き込む。荒れ狂う剣撃の嵐は常の彼女の緻密な斬撃には程遠く、長期戦をしている訳ではないのにすでに刀の刃はボロボロになり始めていた。それでも彼女はそんな事お構いなしに刀を振るう。野獣にも思えるような咆哮を上げ、竜の返り血を浴びながらただひたすらに刀を振るい続ける。その姿は鬼神の如き戦姿だった。

 だが怯んだ程度の一瞬の隙ではそう長くは刀を振るってはいられない。再び噛み付き攻撃を受けたサクラは雪の上に転がった。全く回復をせずにただひたすらに突貫ばかりを繰り返して来たサクラも、さすがにダメージが大きいのか立ち上がったものの再び突貫を仕掛ける事はなく、痛みを耐えながらフラフラと立っているのがやっとという状態だった。長期戦に備えての体力配分を無視した結果だ。

 一時的とはいえスタミナ切れとなったサクラに対し、褐色の竜は容赦なく襲い掛かる。しかし猛烈な勢いで迫る竜相手にサクラは一切目を背ける事なく真正面から睨みつける。最後の一瞬まで絶対に憎しみの眼光をやめない。それが彼女のせめてもの抵抗だった。

 激しい憎悪に満ちた刃物のように鋭い隻眼で睨みつけながら、サクラは真正面から竜の突進を受ける。だが、その寸前で彼女の体は横へと突き飛ばされた。突然の衝撃にやっと我に返ったサクラは一瞬前まで自分がいた所を見て絶句した。そこには、横から自分を突き飛ばしたクリュウの姿があった。必死の形相で自分を突き飛ばした彼と一瞬目が合った――次の瞬間、クリュウはサクラの目の前で竜の突進の直撃を受けて吹き飛んだ。

「クリュウッ!」

 竜の突進を受けて吹き飛ばされた彼の姿を見て、サクラは着地と同時に突貫した。残る体力を振り絞って、体中の筋肉の全てを駆使して、彼女の最高に等しい速度での突貫。それは常人のそれを遥かに上回る速度だった。雪を吹き飛ばし、風を纏いながら空気の壁を突き破っての突貫だ。

 弾き飛ばされたクリュウの体は一直線に吹き飛ばされる。その背後には彼を受け止める壁はなく、雪風が吹き込む大きな空間が広がっていた。その下には、彼の足を立たせる床はない。あるのは――断崖絶壁。

 サクラは必死になって突貫しながら、クリュウに向かって腕を伸ばした。クリュウも自分の置かれている状況を知って慌てて彼女の方へ腕を伸ばす。

「クリュウッ!」

「サクラぁッ!」

 互いに伸ばした手が、あと一歩で触れる。そんな距離にまで縮まった。だが無情にもそのあと一歩が足りなかった。一度触れそうなくらいにまで迫った互いの指はあっという間に離れ、そして、

「クリュウぅッ!」

「サクラあああああぁぁぁぁぁ……ッ!」

 ――彼の体は、崖下へと落ちて行った。

 雪の混じった風は、あっという間に彼の姿と声をかき消してしまった。伸ばした腕は空を掴み、その指は彼には届かなかった。サクラは絶叫しながらそのまま膝を折った。先程まで憎しみ一色に染まっていた隻眼は見る見るうちに鋭い輪郭を失っていき、頬を大粒の涙が流れる。

 白い息と一緒に零れるのは、彼の名前をつぶやく彼女の震えた声。何度も何度も彼の名前を繰り返すが、決してそれに反応する声はなかった。絶望のあまり、頭の中には彼の事ばかり広がり、周りの音が消えていく。その背後では褐色の竜が大きく後ろへと跳躍し、彼女から離れた場所に着地した。そしてゆっくりと彼女の方へ向き直り、狙いを定めると再び雪玉を投げ飛ばした。

 目の前でクリュウを失ったサクラは、溢れ出る黒い感情に呑まれて全く気づいていない。ゆっくりと、届くはずもない彼に向かって手を伸ばす。

「クリュウ……ッ」

 だが、どんなに名前を読んでも、彼からの返事はなかった。

 迫る雪玉が彼女を背後から突き飛ばす寸前――蒼銀の戦姫がその間に体を捩じ込んで巨大な剣で雪玉を防いだ。防がれた雪玉は軌道が逸れ、何も巻き込む事なく崖下へと消えて行った。

「無事かサクラッ!」

 エリアに入った瞬間からここまで全力疾走して来たのだろう。荒い息を繰り返しながらそう尋ねたのは蒼銀の姫、全身に蒼色の火竜の鎧を纏った戦姫――シルフィードだった。

 防具と同じ蒼リオレウスの素材を使って作られた煌剣リオレウスを下ろし、雪玉が失敗した事に苛立ちながら唸る褐色の竜を見て「な、何だあいつは……ッ」と困惑する。今まで様々なモンスターに遭遇し、色々な書物を読んで来たシルフィードでさえ、目の前にいる褐色の竜は全くの未知の存在だった。

 困惑する彼女のすぐ隣に遅れて現れたのは全身に専用のマフモフ装備を纏ったオリガミ。彼はすぐに辺りを見回し、異変に気づいた。

「ニャッ!? クリュウはどこにいるニャッ!?」

「そういえば……おいサクラッ! クリュウはどこだッ!?」

 褐色の竜に意識を向けながらも、必死な声で尋ねるシルフィードの言葉も聞こえていないのか。サクラはずっと泣き崩れながら彼の名を呼び続ける。そんな彼女の姿を見たシルフィードは、そして彼女の見詰める先の崖を見て、全てを悟った。

「お、おいサクラ。まさかクリュウは……ッ」

「……クリュウ」

 だが、悲しみに浸っている余裕を与える程、褐色の竜は生易しい相手ではない。再び四肢を使っての全力疾走で迫って来る。それを見たシルフィードはすぐに閃光玉を投げてその突進を阻んだ。再び視界を封じられた褐色の竜は悶え苦しむ。そしてシルフィードは泣き崩れているサクラの腕を取ると無理やり立たせて走り出す。

「とにかく今は脱出するぞッ! オリガミッ!」

「ニャッ! 任せておけニャッ!」

 逃げるシルフィードとサクラの代わりにオリガミは小さな道具袋(ポーチ)からペイントボールを取り出すと、暴れる褐色の竜に向かって投げつけた。これでとりあえず奴の動きを把握できる。任務を果たしたオリガミも先にエリアを脱した二人を追いかけて急いでエリアを脱出した。

 閃光玉の効力が消える事、逃げる彼らの背後から雪山中に轟くような竜の怒号が響き渡り、そして曇天の空へと消えていった……


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