モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第200話 イルファの異変 胸の奥に渦巻く不安を抱きし少女

 

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「え? イルファ山脈の調査ですか?」

 午後、突然家にやって来た村長とエレナ、そしてリリアの三人。やって来た早々にリリアはクリュウに抱きついて甘えるのでクリュウはエレナにしばかれるというお馴染みの光景の後、村長が深刻な面持ちで口火を開いた内容が、イルファ山脈の調査だった。

「何を調査するんですか?」

「フィーリア。今日の朝食、確かポポノタンのシチューとか言ってたわよね」

「は、はい。後でお裾分けしますね」

「ありがと。で、問題はそのポポノタンなのよ」

「ポポノタン?」

 首を傾げるクリュウにエレナもまた深刻そうな面持ちで説明を始める。その内容は、今が旬であり秋の終わりから冬にかけて木の実や野草やキノコが採れなくなる時期に村の収入源の主力となるポポから獲れるポポノタン。特にイルファ山脈のポポは木の実を主食としている為、脂ののりがいいと有名であるが、今年はなぜかそのポポの数が少ないのだ。その為に狩りで捕まえられるポポの数も少なく、現在イージス村やアルフレア産のポポノタンは価格が高騰している、との事。

「フィーリアも、結構高かったんじゃない?」

「そうですね。例年に比べれ二割から三割高かったです」

「あれでも利益を減らして原価ギリギリにまで下げて卸してるんだよ。数は取れないわ利益が出ないわで、ほとほと困ってるんだよねぇ」

「その影響でウチのお店もちょっと売上が落ちてるんだ。村特産のポポノタンと交換で仕入れられる品も交換できる上限がいつもより低いから、どうしても仕入れ量が減っちゃうし。そうなると価格を上げないといけないんだけど、そうすれば買ってくれる人が減っちゃって、見事な負のスパイラルなんだよぉ」

 村長も道具屋を経営しているリリアもいつになく悲観的な様子。これからキノコや野草の数が減り、真冬には流氷の影響で漁業にも影響が出るとなれば、村の収入源は一気に減ってしまう。そこを補うはずのポポノタンが多く取れないとなると、収入は減るわ外貨は稼げないわで村の財政への影響は計り知れない。リリアの道具屋が機能不全に陥れば、村人の生活に与える影響も大きい。それほどまでにポポノタンの不作は村にとって致命的なのだ。

「それで、ポポの生態調査という訳ですか」

「まぁ平たく言えばね。ポポが何体くらいいるのか、山脈全体を回って見て来てほしいんだ。それと可能であれば原因の究明もお願いしたい。もちろん専門的な事はわからなくても、何となくいつもと山の様子が違う事があれば教えてほしいんだ」

「なるほど。状況及び依頼内容は理解した。村の窮地なのだから、我々も可能な限り協力しましょう。なぁみんな」

 シルフィードの言葉に他のハンター四人も頷いた。皆の反応に村長はやっとパァッといつもの笑顔を咲かせると「ありがとッ。少ないけど報酬は出すから、よろしく頼むよ」と改めてお願いする。

「いえ、これくらいなら無報酬でいいですよ。ちょうど素材の補充も出来ますから」

 クリュウの言葉に村長は改めて「あ、ありがとッ。ほんと助かるよぉ」と安堵する。無報酬でいいなど、さすがお人好しなクリュウだと他の面々は改めて彼を評価する。クリュウが言い出してしまったのだから、他の面々も従うほかはないが、皆の気持ちは一つだった。

「それじゃ明日の早朝から調査を開始するという事で、今日の夜には出発するってのはどう?」

 クリュウの提案にフィーリア、サクラ、シルフィードも了承する。「それでは午後は各々準備をしてください。夕食は早めにしてしっかり眠ってから出発できるようにしますね」とフィーリアも家事全般において今日のスケジュールの大幅改正を進言。クリュウの「そうだね」の一言で今日の方針が決定した。

「ごめんねぇ。じゃあ、よろしく頼むよ」

 一つ案件が片付いた事で安堵した村長はそう言い残して去った。リリアも村長と村の重鎮と一緒に午前中に対策会議に参加していた為、店を半休にしていた事から、午後の開店の為に店に戻り、ルナリーフ家はいつもの日常を取り戻す。

 いつもの面々だけとなったルナリーフ家のリビングでは、当然先程の話題が続く。

「それにしても、何でポポが少ないんだろ。ギアノスは定期的に間引いてたはずだから、極端に減る理由にはならないはずだし」

「さぁ? それがわからないから苦労してるんじゃない」

「同じ理由で今の時期は木の実も豊富なはずだから、エサ不足で減っているとも言えんしな」

「大型モンスターが現れたって報告は、今のところ入ってませんしね」

 ポポの数が減っている理由が思い浮かばない面々は頭を悩ませる。だが専門家でもない彼らが頭を捻っても出て来る仮説などそう多くはない。結局、行ってみなければわからないのだ。

「じゃあ、用意しないとね。念の為必要最低限な装備だけ整えて行こうよ」

 クリュウの提案に皆は了承し、早速準備に取り掛かろうと席を立つ四人。だがそんな彼らをシルフィードが待ったを掛けた。何事かと振り返る四人に、シルフィードは少し考えながら口を開く。

「今回は調査依頼だからな。できるだけ広い範囲に散ってもらいたい。そこでチームを二人一隊(ツーマンセル)で全三チームに振り分けたいと思う」

 イルファ山脈は広い。狩猟依頼ではないのだから、ここにいる面々は手練ばかり。ならば手際良く調べる為にも少数部隊を複数散らせた方が効率がいい。シルフィードの考えは正しい。正しいのだが、フィーリアとツバメ、オリガミはあからさまに嫌そうな顔をしている。何せチーム分けとなるとフィーリアからすればクリュウと離れ離れになる可能性があるし、ツバメやオリガミからすればクリュウと別になってしまった面々と行くと腹いせに暴れる傾向にある為に、できれば避けたいのが本音だ。

 そんな面々の反応を見たシルフィードは苦笑を浮かべながら「まぁそう嫌そうな顔をするな。今回は特チームのバランスを考えないから、チーム分けはくじ引きでやろう」と提案する。

 最初は嫌そうだったフィーリアだったが、クリュウと二人っきりになれる可能性があると知ると少しばかりヤル気を出した。ツバメとオリガミは結局根負けという具合。

 一方、そんなやり取りを見ていたクリュウはふと違和感に気づいた。こういう時、真っ先に参加するはずのサクラがずっと黙っているのだ。おかしいなと思って彼女の方を見ると、窓の外を見ながら彼女は立っていた。その横顔は、どこか険しい。

「サクラ? 大丈夫?」

「……平気」

 サクラは短く答えると、クリュウの横を素通りしてくじ引きに参加する。いつもならこの隙を突いて抱きついて来たりするはずの彼女が何もしない。クリュウは妙な違和感を感じつつも、とりあえずチーム分けのくじ引きをした。

 待つ事数分……

「では山脈東側はA班の私とオリガミ、西側はB班のフィーリアとツバメ、中央部はC班のクリュウとサクラと決まったが、異論はないな?」

「「異議ありッ!」」

 ようやく決まった所だったが、やはり反発する面々がいた。予想していたとはいえやっぱりかという具合で呆れながら振り返ったシルフィードが見たのは、こちらを指差して立つ二人の少女。B班のフィーリアと無関係なエレナであった。

「クリュウ様とサクラ様を二人っきりにするなんて、一週間絶食していたリオレウスの前にアプトノスの子供を放り投げるような蛮行に等しい行為ですッ!」

「サクラの危険性はあんただって知ってるでしょッ!? この女、全くの容赦がないわよッ!」

 ガーッと怒鳴り散らす二人に、シルフィードも頭を抱える。実際公平なくじ引きで決めたとはいえ、確かに二人の言うとおりクリュウとサクラを二人きりにするのは危険だ。もちろんクリュウが危険という意味だ。フィーリアの言う通り、何が起きるかなんて明白と言えるだろう。

「し、しかしくじ引きで決めたからには……」

「クリュウ様をみすみす見殺しにしろと仰るつもりですかッ!?」

「帰って来た頃にはクリュウは貞操を失ってるわよッ!」

 怒鳴る二人に追い詰められて頭を抱えるシルフィード。そんな面々をツバメとオリガミがなだめようとするが、なかなか収拾がつかない。何をそんなに騒ぐ必要があるのか困惑するクリュウだったが、その隣をサクラが無言で通り抜ける。騒ぐ面々に「……ねぇ」と短く声を掛けると、皆は一斉に振り返った。

「……私、一人で行くわ」

 勝利宣言か、結婚宣言か、それとも完食宣言か。何を言い出すかと警戒していた面々に対し、サクラは全く違う方向での爆弾発言を言い出した。

「ひ、一人ッ!? な、何でまた……」

 サクラと同じC班に配置されていたはずのクリュウは一人で行くというサクラの言葉に驚きを隠せない。しかしそれは彼女の日頃を知っている他の面々も一緒だ。こんな絶好のチャンスを、なぜサクラは自ら捨てたのか。心底分からないという感じだった。

 そんな驚く一同に対し、サクラは短く答える。

「……何だか、嫌な予感がするの」

 いつになく険しい表情で言う彼女の言葉に、いよいよ冗談や気が触れたとかではないと悟る面々。彼女の真剣な様子を見てシルフィードが「嫌な予感とは何だ?」と尋ねるが、サクラは何も答えずに首を横に振る。何かが起きそうだとわかっていても、何が起きるかはわからないのだ。

「だとすれば、余計に一人で行動するのは無茶だよ」

 二人で行動すべきだと主張するクリュウに対し、サクラは首を横に振る。

「……クリュウはシルフィードやフィーリアと一緒の方がいい。その方が安全」

「安全って……僕だって、いつまでも守られてる側じゃないよッ」

 サクラの発言はいつも飾り立てずに容赦がない。それはクリュウに対しても例外ではない。彼女は単純に自分と行動するよりも安全な方を彼に提示しているに過ぎないが、その言い方ではクリュウだってムカッとするのは当然だ。二人の雰囲気が急速に悪化していくのを見て、他の面々は口を挟む余裕すら失っていた。

「僕だって、サクラを守れるよッ!」

 必死になって言う彼の言葉に、サクラは首を横に振る。そして、

「……クリュウは足手纏いになる」

 ――絶対に言ってはならない禁句を言ってしまった。

 絶句するクリュウを前にさすがのフィーリアも「い、言い過ぎですよサクラ様ッ!」と怒鳴り込んで来る。シルフィードも「言葉を選べ」といつになく厳しく叱りつける。だがサクラは反省した様子もなく「……事実を言っただけ」と取り付く島もない。

 依然として反省しようとしない彼女にツバメが怒ろうとした時、

「……何だよそれ」

 傍にいたクリュウの小さな声を聞いて振り返ると、顔を伏せていたクリュウがバッと顔をもたげた。いつもは優しげな笑みを浮かべている彼の顔は、怒り一色染まっていた。

「僕の事、そんな風に思ってたのか」

「……クリュウ」

 自分に向けられる彼の厳しい視線に、サクラは思わず目を背ける。だが彼女は拳を強く握り締め、凛とした様で彼と対峙する。

「……別にクリュウが弱いとかは言っていない。ただ、私のやりたいように動くには、クリュウは邪魔になるだけ」

「結局は、足手纏いって事だろ」

「……そうは言ってない。一人の方が動きやすいって言ってるだけ」

 サクラはいつも言葉が足りない。彼女の言う通り、彼女は別にクリュウの実力を卑下しているのではない。元々ソロハンターだった彼女からしてみれば、単独で動く方が利点が多いという事もある。彼女はあくまで、今回は単独行動をしたいと言っているだけに過ぎない。だが、問題はその言い方だ。

「……好きにすれば」

 彼女の意図は理解して、自らの誤解と知ったクリュウ。だが一度抜いてしまった剣を鞘に戻すのは恥ずかしい行為。一回怒りだしてしまったからには、すぐに謝るのもまた恥ずかしい行為だ。自分の中にある妙なプライドが彼の素直さを邪魔してしまい、結果冷たい態度を取ってしまう。

 クリュウの投げやりな言葉に対して、サクラは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐにいつもの無表情に戻って「……私は、私のやりたいようにやるわ」と言い残し、リビングを去った。

 当然、リビングには残りの面々と重苦しい空気だけが残る。

「あの、クリュウ様……」

 フィーリアが声を掛けると、クリュウもまた無言で立ち去ってしまう。伸ばした手は彼の肩に触れる事はできず、虚空を掴む。追いかけようとする彼女をシルフィードが止める。

「今は一人にしといてやれ。それより、本気でチーム編成を考えないといけないな」

「そっちは頼むのじゃ。ワシはサクラを叱って来る。今回はさすがにやり過ぎじゃからな」

 そう言ってツバメはオリガミを残してサクラを追いかけてリビングを離れる。シルフィードに止められたフィーリアはクリュウが消えた玄関を見詰めるが、自分にはどうする事もできないとわかると素直に諦める。だがそんな彼女に対して諦めの悪い娘もいる訳で、

「私はクリュウを追うわ」

「いや、今は一人にしておいた方が……」

「幼なじみをナメないでほしいわね。蹴りの一発でも叩き込んでやればすぐに元に戻るわよ」

 そう言いながらエレナは清々しく笑ってみせた。それは幼なじみとして、彼を立ち直らせられる自信があるからこそできる笑顔。伊達に十年以上の付き合いではないのだ。そんな彼女の笑顔を見てシルフィードも小さく笑みを浮かべると「頼む」と彼女に任せる事にした。エレナは「任せといて」と言い残し、外へと出る。

「シルフィード様」

「君の不満はわかるが、今はエレナの方が適任だ。我慢してくれ」

「……いえ、感謝しています」

 羽音のように小さな彼女の言葉に振り返ると、フィーリアはどこか淋しげな笑みを浮かべていた。いつも幸せに満ちた満面の笑顔が似合う彼女からは信じられないような、弱々しい笑顔だった。

「――私には、エレナ様のようにクリュウ様を立ち直らせられる自信は、ないですから」

「フィーリア……」

「人にはそれぞれ役目がある。私の役目は、今は違うんです」

 そう淋しげに、フィーリアはつぶやいた。

 

「バカクリュウ」

 木の木陰に入って幹に背中を預けながら座り込んでいたクリュウを発見するのに、そう時間は掛からなかった。声を掛けると、クリュウはゆっくりと顔を上げる。

「何だ、エレナか」

「何だとは何よ。失礼しちゃうわね」

 彼の前に腰に手を当てながら立つエレナは不機嫌そうに答える。そして興味無さげに視線を下げる彼を見て「何らしくもなく哀愁に浸ってんのよ」と言いながら、当然のように彼の隣に腰掛ける。

 それから数分、エレナは無言だった。彼を追いかけて来たはずなのに、肝心の彼の隣に座ったというのに彼女は何も自分からは話そうとはしなかった。ただ黙って、彼に寄り添うだけ。最初のウチは無視してたクリュウも、次第に居心地の悪さを感じたのだろう。おもむろに、口を開き始めた。

「……足手纏いだって」

「うん?」

「足手纏いだって言われて、ショックだった」

「あら、あんたその自覚はあったんじゃないの?」

「……改めて、ハッキリ言われるとさすがにショックを受けるよ」

 組んだ腕に顔の下半分を埋めながら、つぶやくように言う彼の言葉にエレナは「あんたってほんと打たれ弱いわね」と呆れたように言う。昔から、自分の事を過小評価する傾向があるくせに、いざそうやって言われると落ち込む程ショックを受ける。人は防御線を引く為に謙虚な態度を取るのだが、彼の場合はその防御線が全く機能していないと言える。

「でもまぁ、あんたが思っているような意味じゃなくて良かったじゃない」

「そ、それはそうだけどさ。でもあんな言い方しなくても……」

「サクラが誤解を招くような言葉足らずなのは、昔からでしょ。今更何を言っても無駄だって諦めなさいよ」

 クリュウがサクラと子供の頃を共にしていた昔なじみなら、彼の幼なじみであるエレナもまたサクラとは昔なじみだ。昔は今と違って人見知りが激しく、常に誰かの後ろに隠れていたサクラ。しかしいざ仲良くなってみればそれまでとは一転して強気になる妙な子供だった。単語単語で話す癖があり、いつも言葉が足りなくて周囲に誤解を与えていた。今は昔に比べればずいぶんマシになった――逆に強気になり過ぎてしまった感はあるが――が、それでも相変わらず周囲に誤解を与えるような言い方は変わっていない。

 もうアレはデフォルトと諦めるしかないのだ。エレナ自身は、そしてクリュウもまた心のどこかではそう思っていた。

「……あのさ、今日のサクラってやっぱりどこかおかしいよね?」

 しばらく黙っていたクリュウが再び口を開いたのは、そんなタイミングだった。

「そうね。何ていうか、何か別の事を考えてる。そんな感じに見えたわね」

 いつものサクラならクリュウと二人きりになる為なら何でもするし、こんな絶好のチャンスをふいにするとは思えない。なのに今日の彼女はどこか上の空で、自分達とは違う事を考えて行動をしている。みんなと一緒にいるはずなのに、一人孤立しているような、そんな何だか危なっかしい感じだ。

「やっぱり、ちょっと変だよね」

「――なら、何としても彼女を一人にさせちゃダメよ」

 考え込むクリュウに対し、エレナは軽い口調でそう言った。考え込むと顔を下げてしまう癖のあるクリュウが頭をもたげると、エレナは気さくな笑みを浮かべながらピッと人差し指を立てる。困っている人がいたら放っておけない、そんな姉御肌なエレナがよくする、人にアドバイスする時の癖だ。何度も何度も今まで助けられた、彼女の真骨頂。

「様子が変なら、それこそ一人にさせちゃダメ。あの子は、常日頃だって何をしでかすかわからない子だから、今の状態じゃほんとにシャレにならないわよ」

「で、でも……」

 あんな別れ方をしてしまった以上、今更彼女の傍にいる事はできない。それに、理由はどうあれ今は彼女に拒まれているのだ。それを強引に押し切って一緒にいようだなんて、そんなのエゴと言えるだろう。

 再び考え込むクリュウを前に、エレナは呆れたように大きなため息を零すと、彼の頭を優しく拳で小突いた。

「そんな細かい事気にしないのよ。男なら少しは強引になりなさいよ。特にあんたはそれくらいでやっと人並みくらいなんだから」

「何だよそれ」

 苦笑しながらも彼女のアドバイスを受けてクリュウの中で、自分のすべき行動は決まった。別にケンカした訳ではない。ただ、自分が彼女と顔を合わせづらいだけだ。ならば、自分の中にあるプライドなんて捨てて、アタックあるのみだ。自分の事なんてどうでもいい。今はサクラの為だけに行動する。常日頃、サクラが自分にしているように。

「ありがとエレナ。やっぱり幼なじみは頼りになるよ」

「バァカ。伊達に十年以上も一緒にいないわよ」

 そう言ってエレナは屈託なく笑った。昔から知っている困った時は頼りになる、幼なじみの笑顔。まぁ時々彼女の行き過ぎた行動力で苦労した事もある。冒険だと称してセレス密林で迷子になった時も、彼女はこんな笑みを浮かべて「大丈夫よ。あんたくらいなら私で守ってあげるから」と豪語していた。まぁ結局はアメリアが探しに来て珍しく怒られたのだが。どっちにしても、自分がくじけそうになった時は、いつも彼女がこうして励ましてくれた。

 十年以上も、この関係は変わっていない。

「ほら、そうと決まったらさっさ行って来なさい」

 二人して一緒に立ち上がると、エレナは彼の背中を押すように尻を軽く蹴飛ばす。実に彼女らしい背中の押し方だが、これ以上頼もしい背中の押し方もないだろう。クリュウは改めて礼を言って家に向かって走り出す。

 遠くなって行く彼の姿を見送りながら、エレナは優しく微笑む。

「ほんと、世話が焼けるんだから」

 文句を言いつつも、その表情はどこか楽しそうだった。

 

 紅葉と雪が同じ光景の中に収まるイルファ雪山の秋。紅葉の色鮮やかさと純白の雪のコントラストは、至極の景色と言えるだろう。麓の防風林に囲まれた高台にある拠点(ベースキャンプ)から見える景色は、そんな絶景だった。

 竜車から降りたサクラは一人身支度を整える。と言っても今回は調査任務なので装備は必要最低限な物に加えて用心の為にいくつか道具(アイテム)を追加しているに過ぎない。その為、拠点(ベースキャンプ)での準備はすぐに終わった。

 身に纏うは何年も愛用し続けている、過去の惨劇を忘れない為に作り上げた老山龍ラオシャンロンの素材を使って作り上げられた異国の鎧風の防具である凛シリーズをベースに、スキル構成を考えて腕と足だけレウスシリーズに換装した最近の彼女お気に入りの装備。背負う武器は雪山で最も効果を発揮する火属性の太刀、飛竜刀【紅葉】。鬼神斬馬刀と対を成すサクラの愛刀の片割れだ。鞘から引き抜くと、まるで暴れられる事を喜ぶように刀身で炎が踊り狂う。愛刀の元気な様を見て満足気にうなずくと、再び鞘に戻す。

 支度は整った。いつでも出撃できる状態となったサクラはゆっくりと振り返る。その視線の先にはまだ支度を整えているクリュウの姿があった。全身を砂漠に住む突撃魔獣、角竜ディアブロスの素材を使った褐色の無骨な鎧、ディアブロシリーズで包み、腰には彼女と同じ火竜リオレウスの素材から作られた炎の片手剣、バーンエッジが携えられている。

「ごめんね、待たせちゃって」

 屈託なく笑ってディアブロヘルム片手に駆け寄って来るクリュウはいつもの彼と何ら変わりなかった。いつもと変わる事なく、自分に微笑んでくれる。あんな事があってからまだそんなに日が経った訳じゃないのに。

 いつもと何ら変わった様子もなく振る舞う彼を前に、むしろサクラの方が居心地の悪さを感じていた。後から思えば、あの時の自分はどうかしていた。発言も、思い返せば自分はかなりひどい事を彼に言ってしまった。翌日には反省して謝ったが、その時にはすでに彼はいつも通りな感じで「気にしないで」と言ってくれた。そして、あろう事か今日の調査依頼のチーム分けを最初の通り遂行しようと言い出した。つまり、自分とコンビでやろうと言ってくれたのだ。

 その時は、本当に嬉しかった。あんなひどい事を言った自分を許してくれたばかりか、一緒に居る事を許してくれて。

 でも、結局二人の間――というかサクラの方――には何とも言いがたい気まずさが残された。クリュウはそんな空気を払拭しようとあえていつも通り振る舞うが、サクラからしてみればその無理している感じが彼に気遣わせてしまっている、そういう罪悪感があった。

 結果、二人の間には未だに微妙な空気が漂っていた。

「……行く」

 サクラはそう言って、逃げるように拠点(ベースキャンプ)を出発する。クリュウもまたディアブロヘルムを被って彼女を追いかけてゆっくりとした足取りで歩き出す。拠点(ベースキャンプ)は高台の上にあるので、しばらく下っていけばすぐにアルフレアギルド支部が発行しているイルファ雪山の地図で言う所のエリア1に出る。ちなみに他の面々はそれぞれ東西側を調査中で、最終的には山頂で落ち合う事になっている。

 エリア1は横に小川が流れていて、この雪山では比較的暖かい場所だ。草も絨毯のように生えている事から、ここはポポなどの草食動物が食事場として使っている場所でもある。普段ならここはポポが草を食んでいる光景がよく見られるのだが、村長の言う通りポポの姿は一匹も見えなかった。

「……静かね」

「そうだね。本当にポポの姿がないね」

 クリュウは辺りを見回してポポの姿を探すが、一行にその姿を発見できずにいた。一方のサクラは歩きながら、その異常な光景に見覚えがあった。それはあの事故の前兆の光景と、そっくりな景色だった。

「……まさか、ね」

 一瞬頭に浮かんだ可能性をすぐに振り払う。とにかく今はなぜポポの数が減っているのかを調査するのが先決だ。その為には、さらに雪山の奥へと進む必要がある。歩みを止めては、ならない。

 無言で歩き続けるサクラの背中を見ながら、クリュウもまたゆっくりとした足取りで進む。前を行くサクラの背中が、妙に無理をしているように見えるのは、気のせいだろうか。やはり、今日のサクラはどこかいつもと違う。そんな風に感じていた。

「サクラ」

 声を掛けると、サクラはゆっくりと振り返った。他人が見れば、いつもと変わらない無表情に見えるだろうが、クリュウからしてみればやはりいつもの無表情とどこか違うように感じた。

「肉、焼いていいかな。今回は支給品もないからさ」

 本当は道具袋(アイテムポーチ)の中にこんがり肉は入っているので、それを食べればいい。サクラも同じ事を思っているのか、怪訝そうに首を傾げている。そんな彼女の反応を見て、クリュウは慌てたように続ける。

「その、温かい方がやっぱりおいしいからさ」

「……そう」

 サクラは短く了承すると、その場に腰掛けた。それを見てクリュウは安堵すると「じゃあ肉焼きセット、持って来るね」と言い残して踵を返して拠点(ベースキャンプ)へと走って行く。そんな彼の後ろ姿を微笑を浮かべながら見送るサクラ。

 川の向こうには平原が広がっていて、このずっと向こうにイージス村がある。川幅のある川の対岸には紅葉に染まった木々が美しい景色を作っていて、依頼で来ていないのならここでお茶でも飲んでいたい。そんな風にすら思ってしまうような光景だった。

「……クリュウと二人きり、か」

 今更ながら、今の状況を思い返す。いつもなら彼を独占できると嬉しくて大喜びするような展開だが、今はどうしてもそんな気にはなれなかった。ハッキリとした理由がある訳ではないが、ただ妙な胸騒ぎがあって、それどころではないというのが本音。あの夢を見た日から、ずっと胸の奥に違和感を感じ続けている。そしてそれは、日増しに強くなっているようだった。

「……この山に、謎を解く鍵がある。そんな気がする」

 見上げたイルファの頂は遠い。だがこの山に、自分の中に渦巻く胸騒ぎの謎を解く鍵がある。そんな気がしていた。だからこそサクラは単独行動を志願した。自由に動けて、皆に迷惑を掛けない為に。しかし結果は自分の失態でクリュウが心配してついて来てしまうという、ある種最悪とも言える結果となってしまった。

 彼に迷惑を掛けたくはないし、危険にも晒したくない。そんな想いはあるのに、自分の思う通りには進まない。自分の不器用さには心底呆れ果て、嫌気が差す。

 自分は真っ直ぐ進む事しかできない。フィーリアやシルフィードのように避けて通ったり引き返したりといった器用な真似はできず、目の前の障害物を斬り伏せ、ただひたすらに真っ直ぐに進み続ける――動き出したら、もう前に進むしかないのだ。

「サクラぁッ!」

 だが、そんな猪突猛進しかできない自分の手綱を引いてくれる者が、ここにはいる。

 拠点(ベースキャンプ)の方から走って来るクリュウの手には肉焼きセットが握られている。嬉しそうに走って来る彼を見て、サクラの頬は自然と緩んだ。

 結局、彼と行動を共にしてしまった。だが同時にそれは謎の胸騒ぎのせいでどこかで不安を感じている自分にとって、何にも代えがたい支えとなっていた。彼と一緒にいれば、自分は間違った方向には進まない。前にしか進めなくても、彼が手綱を引いてくれれば曲がる事もできる。

 彼に危険が迫るのなら、自分がその危険を斬り伏せる。これまでと同じ、主君を守る侍の如く自分の責務。そう思えば、少しは彼と一緒に来た事に対する後悔が和らいだ。

 走り寄って来たクリュウは早速肉焼きを始める。いつものように肉焼きの歌を口ずさみながら楽しそうに肉を焼く彼の姿を見ていると、やっぱり幸せな気分になれた。改めて気づく――自分はどうしようもなく、彼が大好きなのだと。

「上手に焼けました……はい、サクラ」

 見事なこんがり肉を焼き上げたクリュウは自分よりも先にサクラに肉を渡した。こういう時は素直に受け取った方がいいと、経験上知っているサクラは短く「……ありがと」と礼を言ってそれを受け取る。

 焼きたての肉は香ばしい香りを漂わせ、実は若干小腹が空いていたお腹が欲するように小さく鳴く。幸い小さな音だった事と、彼が自分の分の肉を焼き始めたおかげで彼には聞こえなかったようだ。ほっと安心して、サクラはこんがり肉にかぶり付く。

「……おいしい」

 ただ肉を焼いただけなのに、とてもおいしかった。噛み締める度にわかる、彼の愛情。本当はわかっていた。自分がいつもとどこかが違うと気づいていた彼が、自分を気遣っている事を。自分を気遣う、彼の愛が、このこんがり肉にはしっかりと表れていた。

 食べ進めるごとにお腹と同時に心も満たされていく。言いようのない不安の氷が、彼の温かな優しさで溶けていく。そんな気がしていた。

 幸せそうにこんがり肉を食べる彼女の姿を見て、クリュウもまた安堵していた。やっと、いつもの彼女らしくなった。そんな風に感じていた――結果、そのせいで余所見をしていた為に焼きあげのタイミングを見誤り、生肉は見事なコゲ肉になってしまった。

 久しぶりの失態にがっくりと項垂れる彼を見て、サクラはおかしそうに小さな笑みを浮かべていた。

 

「これは……」

「……酷いのぉ」

 イルファ山脈西部、狩場認定されていない名もない広場に来たフィーリアとツバメ。そこで二人が見たのは――無惨にも食い殺されたポポの亡骸だった。それも一体や二体ではない。この広場だけでポポの亡骸は十体近くあった。群れでいた所を一網打尽にされたようで、そのうちの半数はまだ子供のポポだった。いずれも、巨大なモンスターに食い殺されたように腹部は抉られ、真っ赤な血が薄っすらと積もっている白雪を朱色に染めていた。

 ポポの亡骸を一体一体見ながら、二人はその無惨な光景に顔をしかめた。

「これは、リオレウスのような大型種に襲われたようじゃな。爪で斬られた跡や噛み付かれた跡がハッキリと残っておる」

「で、でも……、リオレウスもリオレイアも雪山には現れません。雪山に来る大型モンスターは、ドドブランゴやフルフルです」

「じゃが、これはそのような輩にやられたレベルではないぞ」

「……それは、そうですが」

 だが事実、フィーリアの言う通り雪山に現れるようなモンスターは危険度は高いものの、これほど大きな傷跡を残せるような種ではない。しかし目の前に倒れているポポの傷跡は、明らかにドドブランゴやフルフルに襲われたようなレベルではなかった。

 フィーリアはまだ生まれて間もないポポの亡骸を見つけると居た堪れない気持ちになったのか、近くに咲いていた花をいくつか積んで亡骸の前に供えると、手を合わせた。そんな彼女の姿を横目に、ツバメはイルファ雪山の頂を見上げた。全体的にこの地域は晴れてはいるが、なぜか山頂付近だけには妙な雲が垂れ込めていた――まるで、何かを隠しているかのように。

「……先を急ぐぞフィーリア。何か、嫌な予感がするのじゃ」

 いつになく真剣な眼差しで、ツバメはそうつぶやいだ。


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