モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第197話 泣き叫ぶ少女の悲痛な決意 地を這う少年の雄叫び

 翌朝、珍しくシルフィードの方が先に目覚めた。というより、横になったものの寝付けなかったと言う方が的確だ。眠っているクリュウを静かに起こし、帰る身支度を整える。幸いクリュウの怪我はリリアの薬が効いたおかげでゆっくり歩くくらいならできる程にまで回復した。これなら村に帰る頃までには普通に歩ける程には回復するだろう。傷のほとんどが打撲だったおかげだ。もしも骨が折れていたりヒビが入っていたりすれば、全快するのは一ヶ月以上も掛かるだろう。打撲などのあざの方が跡が残りやすい事から、シルフィードに対する挑発の意味を考えれば下手に骨折させるよりも効果があるという、ツヴァイの憎らしい計算の結果だ。

 身支度を整えると言っても、そもそも旅行に来た訳ではなく狩猟依頼を受け取る為に来た二人の荷物は最低限なものしかなく、すぐに準備が整う。シルフィードは武具を纏い、クリュウは怪我している為に動きやすい私服姿で出立する事となった。ライザにもあいさつする事なく、裏口を使ってハンターズギルドを出る。あとは港までの竜車に揺られ、そこから川を使って北上して数日も進めば海に出て、そこからイージス村の漁港へと行くまで船旅だけだ。

 慣れた道を進みながらも、その内心は二人共不穏だった。この道のどこかで、連中が待ち伏せているのでは。そんな不安が常に二人の頭の片隅にあった。そしてそんな二人の最悪の予想は、当たってしまった……

 

「どこへ行くつもりかしら?」

 ドンドルマの南門へ向かっていた二人は発見される事を警戒していつも使っている大通りではなく、裏道を駆使して進んでいた。しかしそれが仇となってしまった。その最中で二人は、連中と遭遇してしまったのだ。

 こちらを嘲笑いながら問うのはツヴァイ。その表情は獲物を見つけた飛竜の如く、狂気と歓喜に満ち溢れている。その背後にはトリィとこちらを興味無さげに見詰めるアイン、そして憮然とヘルムまでしっかり被った状態で鎮座するチェルミナートルの姿があった。全員、初めて会った時と同様物々しいまでの武装を施している。

 待ち伏せされていたのだろう。だとすれば、相手はこちらの考えを読んでいたのだろう。自分の失態にシルフィードは苦々しい表情を浮かべる。そんな彼女の背中に隠れるようにしているクリュウの姿を見つけると、ツヴァイはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「あらクソガキ。昨日は楽しかったわね」

 声を掛けられただけでクリュウはビクッと身を震わせるとシルフィードの背中に隠れてしまう。怯えたような表情を浮かべながら細かく身を震わせる彼の姿を見て改めて彼女の所業が彼に大きな心の傷を与えてしまった事を知り、シルフィードの怒りが再燃する。

「……貴様、昨日はずいぶん私の仲間をいたぶってくれたようだな」

「あら、お礼ならいらないわよ。私も久しぶりに楽しめたもの」

 コロコロと笑いながら、心の底から楽しそうに言う彼女の言葉にシルフィードの表情が険しいものに変わる。彼の前、必死に激昂を我慢しているという具合だ。背後から不安そうに自分を見詰めるクリュウに対しシルフィードは一度振り返り、大丈夫だと言いたげに一つうなずくと、再び彼らと対峙する。

「あなたの事だから、てっきり襲撃でもして来ると思ったけど、あんたもずいぶん弱腰になったわね」

 クククと笑う彼女の言葉にシルフィード「貴様の手のひらで踊らされるのはもうごめんだ」と切り捨てる。するとツヴァイは「ふぅん、つまんないわねぇ」と特に興味もなさげにつぶやく。そんな彼女の態度が、余計にシルフィードの癪に障る。

「仕方ないから、私直々にここに来たって訳」

「頼みもしない事を、余程暇なんだな貴様らは」

「そうよ。暇を持て余してるの。だから――私を楽しませてちょうだい」

 ニヤリと狂気に満ちた不気味な笑みを浮かべながら言う彼女の言葉に、シルフィードは本気で反吐が出そうだった。あの頃から全く変わっていない、ツヴァイの腐った根性。実力はともかく、奴のその腐り切った神経は昔から気に入らなかった。その正体がようやくわかった気がする――あいつは人間じゃない。

「断る。私達は貴様らと違って忙しいんだ」

 そう吐き捨てるように言うと、シルフィードはクリュウの手を取って反転する。だが振り返った途端、

「よぉ、そうつれねぇ事言うなや」

「……ッ!?」

 一瞬前までツヴァイの背後にいたはずのアインが、なぜか今は二人の前に立ち塞がるように立っていた。衝撃の光景に立ち止まるシルフィードに迫ると、アインはシルフィードの顎に手を当ててクイッと上げる。急接近する彼の顔を前に一瞬呆けたシルフィードだったが、すかさず拳を握り締めてアインの脇腹を殴りつける。が、寸前で彼のもう片方の手で押さえられてしまう。

「おいおい、初々しい反応は昔と変わらねぇな」

「下衆が……ッ!」

 空いている反対側の腕で殴りつけるが、拳が当たる前にアインは身を退く。拳は空を切った。睨みつけるシルフィードを前にアインはそんな彼女の反応を見て嘲笑う。

「昔のお前は近付くだけで斬られるような鋭さを持っていたが、今のお前はずいぶんその鋭さが失われた。それについては興味を削がれたが――その以前にも増して触れられる事を嫌う反応、悪くない」

「そんなに斬り殺されたいなら、相手してやろうか?」

 リオソウルシリーズを纏った状態で、シルフィードは背負ったキリサキを引き抜く。飛竜の鱗ですら削り飛ばす切れ味のキリサキの刃は、路地裏の細い空から注がれる日の光を浴びて神秘的に煌めく。

「シルフィッ」

「悪いクリュウ。竜車は何本か遅れそうだ」

 彼の胸を片手で押しながら壁際へと移動する。背後にクリュウを守るような形で、全方位を包囲するソードラントの連中と敵対する。何としてもクリュウだけは守る。そんな彼女の強い意思が感じられる行動に、アインの表情が狂気に歪む。

「ほぉ、ツヴァイが言っていたが、お前その坊主の事……」

「戯言はいい。貴様が用があるのは私のはずだ。私以外を見るな」

「……ッ!? し、シルフィードぉッ! あんた、私のお兄様を独占するつもりッ!?」

「ははは、モテる男は辛いぜ」

 シルフィードの言葉に違う意味で反応して激昂するツヴァイを一瞥し、アインは愉快そうに笑い飛ばす。そんな反応を見せるアインを前にシルフィードは一切気を緩めない。本当に襲いかねないような雰囲気のシルフィードを前に、クリュウはどうする事もできなかった。

「面白い、面白いぞシルフィード。やっぱりお前は面白い。ぜひ俺の傍に置いておきたいものだ」

「断る。貴様に与するつもりは毛頭ない」

「取り付く島もないってか――なら、勝手に護岸工事させてもらうだけだ。チェルミナートル」

 彼の呼びかけに反応して、今まで像のように鎮座していたチェルミナートルが動く。アインが退き、シルフィードの前に立ち塞がる。二メートルはあるかという大男。それも屈強な肉体を鎧で守っている為に幅も広く、圧迫するような圧力すら感じられる。バイザー越しに、彼の瞳は見えないが見詰められている事を感じる。

 無言で立ち塞がるチェルミナートルを相手に、シルフィードはゆっくりと剣を下げる。

「……バグラチオン。貴様程の人間が、なぜいつまでもあのような愚と行動を共にするか。私は貴様がまっとうな人間だと思っている。何度か手合わせしたが、貴様の槍には黒さは感じられなかった。そんな貴様が、なぜだ?」

 シルフィードの問い掛けに、チェルミナートルはしばらく沈黙する。動こうとしない彼を見てツヴァイが「何してんのよッ! さっさとやっちゃいなさいよッ!」と激昂する。

「バグラチオンッ!」

「……祖国の為だ」

 シルフィードに大声で名を呼ばれたチェルミナートルは、静かに口を開いた。

「アクラの為、だと?」

「……祖国の凍土にはモンスターに対抗する術がない。いつまでも異端に頼り続ける訳にはいかない。私は実績がほしいのだ。アクラの人間でも、モンスターを倒せると」

 淡々と語るチェルミナートルの言葉に、シルフィードは沈黙する。アクラは最近ようやくひとつの連邦国家として統一されたが、長い間小国同士での小競り合いが耐えなかった。その為、モンスターに対してまともに対抗できる術を持っていない。軍隊を投入しても、物量はともかく質では西竜洋諸国のそれに劣るア連軍は一度のモンスターとの戦闘でも多くの犠牲者が出る。この状況を打破すべく、ア連はハンターズギルドに対してハンターの駐留を求めた。現在はそのハンターの活躍もあってモンスターによる被害は最低限に押さえられている。ア連はこのハンターの強さに興味を惹かれ、ハンターズギルドに莫大な資源の贈与と引換に情報の開示を迫ったが、ハンターズギルド側がこれを拒否した為に破談となった。それでも諦め切れないア連はチェルミナートルのように優秀な軍人を選抜してハンターズギルドに入隊させた。今も彼のように諜報活動をしながらハンターを続けているアクラ人は数十人いると言われている。もちろん、この情報はハンターズギルドのトップシークレット情報。クリュウやシルフィードのような一般のハンターが知っている事ではない。

「実績を求めるなら、何も連中と一緒でなくてもいいだろうが。他にも方法があったはずだ」

「……私は不器用な人間だ。だから、アインの誘いは私にとっても僥倖だった。安心しろ、私もまもなくG級に認定される。そうすればここも用済みだ」

「うへぇ、寂しい事をサラッと言ってくれるねぇ。七年の付き合いだろうが」

「……アクラ人は、エルバーフェルド人を好ましく思っていない」

「チッ、俺はソードラント人だっての。エルバーフェルド人だと思った事は一度もねぇ」

 チェルミナートルの言葉に不機嫌そうに答えるアイン。

 彼の言うソードラント人とは、旧ソードラント連邦王国出身の民の事だ。三〇年程前に当時のエルバーフェルド王国との戦争、所謂チューリップ戦争にて敗北して解体された小国。それがソードラント連邦王国だった。現在はエルバーフェルドに併合され、ソードラント自治区とされている。

 ソードラントの地方都市サントロワ。それがアインとツヴァイの生まれ故郷であり、そこを中心にハンターとしての才能を開花した二人は、それぞれ称号にサントロワという都市名が使われた。二人のチーム名『剣聖ソードラント』はその時の民族の期待が込められていた異名だった。当時はソードラント人の誇りだとされていたが、次第に二人の残虐性が顕になり、現在では『剣聖』は皮肉を込めたものとなっている。その為、ツヴァイは剣聖ソードラントと呼ばれる事をひどく嫌っている。

 エルバーフェルドとアクラは戦争を経験し、現在も国交が結ばれていない。どちらの民族も、互いを嫌っている。

「そうか。貴様がいずれソードラントを抜けると聞いて安心したよ――貴様とは剣を交えたくはない。そこをどいてくれないか?」

 シルフィードの問い掛けに、チェルミナートルは無言だった。それを拒否と受け取ったシルフィードは「そうか……」と短くつぶやくと、再びキリサキを構える。チェルミナートルは背負ったブラックゴアキャノンを抜く事はなく、全く微動だにしない。

「バグラチオン。正々堂々と勝負だ」

「……悪いな」

 剣を構えたシルフィードの言葉にチェルミナートルは短くそう答えた。不自然に思うシルフィードを前にチェルミナートルは腕を突き出す。その手の中にはシルフィードも見覚えのある――否、ハンターなら誰もが知っている道具(アイテム)が握られていた。

「閃光玉ッ!?」

 気づいた時にはすでに遅く、突然小さな太陽が現れたかのように裏路地は膨大な光に一瞬支配される。その一瞬でチェルミナートルはその巨体からは想像もできないような速さで光の中で目を閉じているシルフィードの背後に回り込むと、彼女を羽交い絞めにして捕縛してしまう。

「……ッ!? き、貴様ぁッ!」

 光が消え、視界が戻った時にはすでに決着はついていた。チェルミナートルの太く勇ましい腕で捕まったシルフィードはいくら暴れてもその腕から逃れられない。抵抗する彼女を、チェルミナートルは無言で羽交い絞めにし続ける。

「シルフィッ!」

「おっと、ここは通さないぜ坊主」

 シルフィードが捕まったのを見て慌てて駆け寄ろうとするクリュウの前にアインが立ち塞がる。余裕を持った物腰と、人を見下すその目に、クリュウは改めて嫌悪感を抱く。

「そこ、どいてください」

「通さないと言ったはずだが。まぁそう怒るな、別に俺はシルフィードに何をしようって気はない。だがお前が無駄に抵抗すれば、それこそがあいつを傷つける結果になるかもしれんが」

 ニヤニヤと意地汚く笑う彼の言葉にクリュウは悔しげに押し黙る。人質を取られてしまっている以上、こちらは下手には動けない。それを知っていてあえて忠告する。バカにされているようで、胸くそ悪い。

 ギュッと強く拳を握り締めて耐えるクリュウを見て「そうそう。俺は物分かりのいい奴は嫌いじゃないぜ」と人を馬鹿にしたようなふざけた笑顔を浮かべ、改めてシルフィードに向き直る。脱出できないとわかっていても、それでも必死に抵抗するシルフィードを前に、アインは楽しげに笑う。

「無様だなシルフィード。血塗られた聖剣が台無しだ」

「貴様が勝手につけた名など知るか。それより、これを解け。貴様の命令だろうが」

「まぁそう怒るなって。俺はお前と話し合いをしたいだけだ。まぁこれはお前が逃げない為の保険だと思ってくれ」

「下衆が……ッ」

 歯軋りしながら憎々しげに睨みつけるシルフィードの視線を楽しみながら、アインは「用件はたった一つだ」と切り出す。聞く耳持たぬと言いたげにそっぽを向くシルフィードを前に、アインは笑う。

「――お前、もう一度ソードラントに入れ」

 アインの言葉に、その場にいた全員が驚いた。皆の驚愕に満ちた視線を受けながら、アインは意地汚く笑う。

「なぁ、俺が誰かの実力とかを見込んでわざわざ誘ってるんだ。これは名誉ものだと思うけどな」

 ニヤニヤと笑いながら言う彼の言葉に、背後に立つツヴァイとトリィの顔が憤怒に染まる。どちらの厳しい視線もシルフィードに注がれていた。ツヴァイは兄から特別扱いされる彼女に対する嫉妬、そしてトリィは自分よりもシルフィードの方が高い評価を受けている事に対する激怒。どちらも、アインの提案は受け入れがたいものだった。しかし、

「さっきも言ったはずだ。貴様らには二度と関わりたくはない」

 一瞬驚いたシルフィードだったが、すぐにいつもの冷静さを取り戻して彼の提案を全否定した。ソードラントに帰る気などケシ粒程もないし、そもそもクリュウ達と離別する気もない。約束したはずだ――これからも同じ道を進み続けよう、と。

 シルフィードの拒否の言葉に、クリュウは確信があったとはいえ安堵の息を漏らす。そしてこちらも予想通りの反応だったらしく、特に驚く事なく彼女の発言を噛み締めるように目をつむりながらアインは何度か頷く。

「そうかそうか。まぁお前がそう簡単に俺に与するとは思ってねぇよ――だからちゃんと手は考えてあるさ」

「何だと?」

 怪訝そうに見詰めてくるシルフィードに背を向けたアインは背後で黙って立っていたクリュウに再び向き直る。突然自分に注目が集まったのを見て驚くクリュウ――だが次の瞬間、彼は地面に倒れた。

「クリュウッ!」

 シルフィードの悲鳴にも似た声が聞こえたが、クリュウはそれどころではなかった。猛烈な激痛が襲う腹部を守るように地面に倒れながら丸くなるクリュウ。脂汗を浮かべた顔をゆっくりと持ち上げると、今度は顔面を激痛が襲った。

 言葉にならない悲鳴を上げてもがく彼を前に、アインは冷静に彼を見下す。腹と顔面を蹴られたクリュウはその場で悶絶する。顔を蹴られた事で、鼻血が出る。口の中も切ってしまい、昨日と同じ鉄の味が口いっぱいに広がる。

「貴様ぁッ! クリュウに手を出すなッ!」

「おいおい、俺は手なんか出しちゃいねぇぜ。足だよ、足」

「ふざけるなッ!」

 激昂するシルフィードを前にあっけらかんと言ってのけるアイン。シルフィードはこれまで以上に暴れ狂うが、チェルミナートルの屈強な体を使ったロックからは一向に抜け出せない。怒り狂い、激しい憎しみに満ちた彼女の鋭い視線に射抜かれるアインは臆する事なく、むしろその目を見て狂喜する。

「そうだぜシルフィード。お前はやっぱりその目がよく似合う。久しぶりだなぁ、その憎悪に満ちた瞳」

 楽しげに言うアインはさらに地面に倒れたままでいるクリュウの腹を蹴り飛ばす。

「あ…ぁぁ……ッ! あが……ぁ……ッ!」

 蹴られた瞬間、微量の血を吐いて悶絶するクリュウ。そんな彼の姿を見ながら、後ろで怒り狂うシルフィードの声を聞きながら、アインは楽しげに笑う。

「よぉシルフィード。これが俺の考えた手だよ」

「何、だと……」

「――お前がうんと言うまで、俺はこの坊主を蹴り続ける。どうだ、最高だろ?」

 振り返った彼の狂気に満ちた笑顔を見た瞬間、シルフィードの顔面は蒼白に染まった。

 

「もうやめてくれぇッ!」

 恥じらいもなく泣き叫ぶシルフィードの言葉に、アインはゆっくりと振り返る。その足下には、もう何十発も蹴られ続けてぐったりと倒れているボロボロのクリュウが転がっていた。全身を襲う激痛に苦しみながら、何度も腹を蹴られた事で激しく咳き込む。頭も蹴られたせいで鼻血は止まらず、口の中も血塗れ。視界も涙とは違った歪みでぐにゃぐにゃだ。

 ぐったりと倒れているクリュウを前にして、シルフィードは「もう、やめてくれぇ……ッ」と泣き叫ぶ。暴行を受ける彼を前に最初の頃は激昂して叫んでいたシルフィード。しかし次第に怒りよりも目の前の悲惨な状況に耐えられなくなり、後半はボロボロと涙を零しながら泣き叫んでいた。そして、何度目かの叫びで、ようやくアインは彼の吐血などでわずかに赤く染まったその足を止めた。

「おいおい、何だよシルフィード。綺麗な顔が台無しじゃねぇか」

 しかしアインは全く悪びれた様子もなく、ヘラヘラと笑う。そんな彼を前に、シルフィードは「頼む。もう、やめてくれぇ……」と嗚咽の混じった声で懇願する。その姿はいつもの彼女の頼もしくも凛々しい戦乙女のそれではなかった。顔を悲痛に歪め、恥じる事なくボロボロと涙を流しながら懇願する彼女を見て、アインの笑みは加速する。

「お前らしくねぇぞ。たかがこんなガキ一人が何だってんだよ」

 そう言ってアインは倒れている彼の腹を蹴る。

「あぐ……」

「やめろぉッ!」

 咳き込むクリュウを前にシルフィードは泣き叫ぶ。その姿を見て楽しむアインとツヴァイに対し、トリィはそうでもなかった。シルフィードはともかく、倒れているクリュウを見ると気まずそうに視線を逸らす。シルフィードを拘束するチェルミナートルはヘルムをしていてその表情は全く窺えない。

「貴様らが話があるのは私だろうがッ! クリュウは関係ないッ!」

「関係あるかないかは俺が判断するさ。それにお前を動かすにはこいつを使った方がやりやすいとわかれば、最短ルートを使うのが当然だろ?」

「ふ、ふざけるなッ!」

「ほぉ、まだそんな口を利けるのか」

 シルフィードの態度を見てアインはクリュウの胸倉を掴んで持ち上げるとそのままシルフィードの方へ放る。地面を二度程回転しながら転がった後、彼の体はシルフィードの足下で止まる。

「クリュウッ!」

 反応はなかった。気絶しているのか、それとも答えられない程に衰弱しているのか。とにかく今は、これ以上彼にダメージを負わせない。なのに、自分にはどうする事もできない。苦しむ彼を前に、何もできない。自分の無力さが、死ぬ程に嫌だった。

 倒れている彼を前に泣き崩れるシルフィード。そんな彼女へと、アインはゆっくりと歩み寄ると彼女の顎を取って顔を上げる。もはや先程までのような鋭い眼光はなく、涙でぐちゃぐちゃになった少女の顔がそこにあった。

「よぉシルフィード。どうだ? 俺ともう一度組まねぇか?」

「ふ、ふざけるな。誰が貴様のような奴と組むか」

 泣きながらも絶対に首は縦には振らない。そう決めていたシルフィードだったが、そんな彼女の反応を見てアインはクリュウの腹を蹴る。どうやら気は失っていなかったらしく、クリュウは激しく咳き込んだ。

「なぁ、今のは聞かなかった事にするよ。改めて訊くけどさ、どうするよ?」

 そう言いながらアインは彼の頭を踏みつける。返答次第ではまだまだ暴行を加えるという意思表示だ。アインは苦しむシルフィードを見ながら楽しそうに笑う。狂気に満ちた、心根が腐り切った笑顔だ。

 倒れているシルフィードを見ながら、シルフィードは悔しげに唇を噛んだ。泣きながら、必死に頭の中で葛藤する。そして、彼女は決めた……

「……わかった。貴様ともう一度組もう」

 ――それが、彼女の下した決断だった。

 アインとまた組むなど言語道断だ。そんな気は毛頭ないし、絶対に断る気でいた。だがボロボロになった彼を前にしては、そんな決意も揺らぐ。このままでは彼はずっと暴行を受け続けるだろう。アインという男はこうした蛮行を平然と行える奴だ。

 大切な仲間を、それも好きな男をこれ以上傷つけられない。それがシルフィードという戦乙女の、自らのプライドや想いを捨てた苦渋の決断だった。

 シルフィードの返答にアインは満足そうにうなずく。一方のツヴァイとトリィの二人は不満そうだ。ツヴァイは単純にシルフィードとまた一緒という事が気に入らず、トリィは自分よりもシルフィードの方が評価されている事が気に入らない。

 そんな二人の憎しみの込められた視線にも気づく事なく、シルフィードはうなだれ続ける。そんな彼女の打ちひしがれたような様を見て満足気に笑うアイン――踏みつけられていたクリュウが、彼の足を握り締めたのはその時だった。

「ふ、ふざけるな……ッ!」

「あぁ?」

 クリュウはアインの足を掴んだまま、その足を振り払う。アインは軽く後ろへステップして体勢を立て直しながら、ゆっくりと起き上がるクリュウを睨みつける。

「……クリュウ」

 フラフラの状態で立ち上がったクリュウは、足下もおぼつかないままシルフィードの前に立つ。呆然と彼の背中を見詰めるシルフィードは、見た。散々蹴られたり殴られたその顔は腫れ上がって少し歪つな形をしているが――それでも、一瞬だけ見えた彼の横顔は、とても凛々しく、そして勇ましく輝いていた。

「シルフィは僕の相棒だ。お前なんかに渡すもんか……ッ!」

「はぁ? お前の意見なんか聞いちゃいねぇんだよ。俺はシルフィードと話をして――」

「シルフィは約束したッ! これからもずっと一緒に居ようってッ! だから、僕はここで彼女と関係を断つつもりはないッ! だって――シルフィは僕の大切な存在だからッ!」

 ボロボロの姿で啖呵を切る彼の姿はあまりにも滑稽に見えただろう。全くもって説得力もなければ、威圧感もない。それでも、シルフィードの目から見ればその姿はあまりにも眩し過ぎた。優しくて温かな光が、まるで彼の全身から溢れ出ているかのように、輝いている。

 彼の言葉に、胸の奥でつかえていた想いが溢れ出る。先程までとは違う、大粒の涙をボロボロと流しながら、シルフィードは零すように自分の想いを吐露する。

「私も、ずっとクリュウと一緒にいたい……ッ」

 頬を伝った涙はそのまま顎に流れ、そして地面へと落ちる。クリュウは背後から聞こえた小さなそんな彼女の声に口元にわずかな笑みを浮かべる。自分達の想いは、同じだ――ずっと一緒にいたい、そんな淡くも強い想い。

「……あぁ、うぜぇ」

 二人の会話を傍観していたアインは興味なさげにつぶやく。自分の前にボロボロな様で立ち塞がるクリュウの姿にイラッとしながら、彼の胸倉を掴んで地面へと叩きつける。元々立っている事自体が不思議なくらいの様なのだ。少しの力でクリュウの体は簡単に崩れる。

 地面に背中から叩きつけられて咳き込む彼の腹を、アインは容赦なく蹴る。

「何だ今の反吐が出るような茶番はよ」

 再び彼の頭を踏みつけながら、アインは彼を見下す。先程までとは違って、踏みつけられながらも必死に睨みつけてくるクリュウを前にイライラは加速する。

「何だ、その目は」

「お前みたいなクズに、シルフィは渡さないからな……ッ」

「チッ、ゴミクズの分際で俺をクズ扱いだぁ? いい度胸じゃねぇか」

 再び蹴られて顔を苦悶に歪めるクリュウの髪を掴み、アインはグイッと彼の体を持ち上げる。もう足に力が入らないクリュウは膝立ちになり、至近距離でアインに睨みつけられる。

「もうシルフィードなんてどうでもいいや。単純に俺はお前がムカつく。泣いて謝ってももう許されねぇからな」

 そう言ってアインは拳を握り締め、それを大きく振り上げる。シルフィードが「やめろぉッ!」と叫ぶが、そんな声など聞こえないかのようにアインは拳を振り下ろす――直前で、アインの体は吹き飛んだ。否、正確には吹き飛んだように見える程の俊足の動きで後退したのだ。一瞬前まで彼がいた場所には一本の刀が突き刺さっていた。その刀の形状にクリュウとシルフィードは見覚えがあった。

「……貴様、私の旦那に何をしている」

 忘れるはずがない。その憮然とした威圧感全開の物言い。常識知らずで自分の考えこそが正義だと信じて疑わない天上天下唯我独尊自分絶対至上主義の申し子。悠然と現れ、場の空気を一気に自分へと引き寄せる存在感。漆黒の長い髪を揺らしながら、凛とした表情を崩さず、隻眼を鋭く細め、異国の鎧を纏うその様はまるで夜叉のよう。

 漆黒の夜叉はクリュウの前に立ち塞がると、今しがた投げた愛刀――鬼神斬馬刀を引き抜く。持ち手が持った瞬間、鬼神斬馬刀は本来の力を取り戻したかのように稲妻を迸らせる。

 稲妻を纏いし漆黒の夜叉は、平然と立っているアインを鋭い眼光で睨みつけると、ゆっくりとクリュウの方へ振り返る。その瞬間、フッとわずかな笑みを浮かべた。それは彼女の精一杯の満面の笑顔。それを見た瞬間、クリュウの中に安堵が広がる。

「……遅れてごめんなさい。助太刀に来た」

 飾り立てる事もない、真っ直ぐな言葉でそう言って、サクラは現れた。

 突然のサクラの乱入にすっかり場の空気を乱されたアインは「チッ、余計な奴が現れたな」と吐き捨てる。

「……余計かどうか、手合わせしてみる? 言っておくが、私の旦那に手を出して生きて帰れると思うな」

「いや、サクラ。君の助太刀は大変嬉しいのだが、その発言は看過できんぞ」

 かっこ良く現れても中身は恋に一直線な乙女。その恥ずかしがる事もなく堂々と言う様は恋敵(ライバル)として称賛に値するするが、勝手に旦那宣言されても困る。複雑な心境のシルフィードだった。

 一方のアインは現れたサクラの姿を見て合点がいったらしい。

「あぁ、お前が隻眼の人形姫か。噂通り礼儀知らずな嬢ちゃんみたいだな」

「……私は生まれて初めて、私以上に無礼な人間がいる事を知って自らの評価を改めるわ」

「自分が無礼だという事は、自覚はあったのか」

「……自覚はしても曲げるつもりはない。これが私の生き様よ」

 迷う事なく堂々と言ってのけるその姿勢は大変素晴らしいのだが、如何せん発言内容があまりにも情けない。言ってやったと言いたげに凛とした表情で立つサクラを前に、シルフィードは心底呆れ返る。

 場の注目を一身に纏いながら、それでも凛とした様で立つサクラ。その姿はとても凛々しく、そして美しい。

「ふ、ふざけんじゃないわよッ! お兄様に向かって何て失礼な物言いをしてるのよッ!」

 サクラの発言に激昂したツヴァイは怒鳴りながら銘火竜弩を彼女に向けて構える――が、彼女が引き金を引くよりも早く銘火竜弩の銃身が壊れた。正確には、銃身が狙撃されて壊されたのだ。

「な……ッ!?」

「――私も、クリュウ様を旦那と発言する事は看過できませんね」

 サクラが現れたと同じ方向から風に乗って聞こえる可愛らしい声。でも今はその可愛らしい声すらも凛々しく、そして頼もしく三人の耳に届いた。

 全身を桜色の雌火竜の鱗や甲殻で作った防具を纏う、金髪の少女。その手に持つ同色のライトボウガンの銃身からは今しがた撃ち出した銃弾の薬莢が放つ煙が吹き出て、風に揺られている。ガチャリと手を操作し、煙が残る薬莢を排出すると、薬莢は地面に落ちて甲高い音を辺りに響かせる。

 桜色の銃姫はゆっくりとした足取りで現れると、金色の美しい長髪を掻き上げる。現れたのは声と同じく可愛らしい顔立ちの少女の顔。しかしその瞳はいつになく鋭く、アイン達を睨みつけている。

「事情はわかりませんが、クリュウ様に乱暴をした以上、私としてもサクラ様同様にあなた方を無傷で帰すつもりはありませんので、覚悟してください」

 そう言って再びハートヴァイルキリー改を構えるフィーリア。その銃口は迷う事なくアインの頭部を狙っている。狙われたアインは驚く事も慌てる事もなく、堂々と彼女の銃口に向き合う。その隣ではツヴァイが銃身が変形してしまった銘火竜弩を見て奇声を上げる。

「ちょっとッ! よくも私の武器を壊したわねッ!」

「ロングバレルを壊しただけです。中央工城に行けば有料交換してもらえます。私が本気を出せば銃を破壊する事だってできるんですから、その点を配慮しただけでも感謝はされど非難される謂れはありません」

 ピシャリと言い切ってツヴァイの抗議を切り捨てる。言葉遣いこそいつもの彼女だが、その口調や物言いは完全に怒っている。目の前でボロボロの最愛の人の姿を前に、怒りを堪えている感じだ。

「何ですってッ!」

「やめなさいツヴァイ。見苦しいわ」

 そう言ってツヴァイの前に立ち塞がったのはトリィ。手には愛刀の鎌威太刀が握られている。その場でクルクルと何度か回転させた後、腰を落として突撃の構えを取る。

「言っておくけど、これでも私はクイーンクラスよ。二人共、どう高く見積もってもナイトクラス。武器をしまった方が得策と見るけど?」

「……問題ない。対人戦闘の方が得意よ」

 武装解除を促すトリィの声にもサクラは平然と拒否する。彼女の対人戦闘の方が得意という発言には今は触れないでおこう。

 トリィとサクラが睨み合うように対峙している間にフィーリアはシルフィードの前に立つと、彼女を拘束するチェルミナートルに銃を向ける。相当な距離からロングバレルだけを狙う彼女の腕だ。この距離で外す事はまずない。

「シルフィード様を放していただけませんか?」

 チェルミナートルは無言のまましばらく沈黙していたが、ゆっくりと彼女を解放した。拘束を解かれたシルフィードはフィーリアに短く礼を言うと、倒れているクリュウに駆け寄ってその体を抱き起こす。

「おいクリュウ。しっかりしろッ」

「……大丈夫。まだ死んでないから」

 そう言ってクリュウは小さく笑った。こんな時でも相手に心配をかけさせない為に笑える彼は、本当にすごい。心から尊敬し、そして愛おしい。シルフィードはクリュウを無言で抱き締めた。

 そんな二人の様を少し不満気に一瞥しながらもフィーリアとサクラは二人の前に立ってアイン達に立ち塞がる。

 四人揃ったクリュウ達を前に、アインはしばらく無言だったが、やがて――

「――あぁ、興醒めだな」

 そう言って、アインは面倒そうにため息を零す。その仕草にフィーリアとサクラの眉間がピクリと動く。

「興醒め? ずいぶんふざけた事を言いやがりますね」

「……本気で殺すわよ?」

「おぉ怖い怖い。可愛い顔だ台無しじゃねぇか」

 アインのふざけた物言いに二人の怒りのゲージは急激に上がる。そして彼の発言にツヴァイが嫉妬で激昂するが、トリィの「見苦しいわよ」という発言で歯軋りしながら黙る。

 シルフィードの手を借りてゆっくりと立ち上がるクリュウを見て、アインはわざとらしく大きなため息を零す。

「何か面倒になってきた。もういいや、面倒くさいし。引き上げるぞ」

 そう言ってアインは背を向けるが、その足下に銃弾が炸裂する。振り返れば銃口から煙を噴くハートヴァイルキリー改を構えたフィーリアが「無傷で帰すつもりはない、と言ったはずですが」と言いながら再び銃口を彼の頭部に向ける。だがアインは短くため息を零すと道具袋(ポーチ)に手を伸ばす。フィーリアがすかさず引き金を引こうとするが、それよりも早く銃声と共にハートヴァイルキリー改が弾き飛ばされた。

「な……ッ!?」

 銃声がした方を向けば、そこには銘火竜弩を構えたツヴァイが不敵な笑みを浮かべて立っていた。その手には今しがた銃弾を放ったばかりの硝煙を噴く銘火竜弩。驚くフィーリアは彼女の足下に転がっている折れ曲がったロングバレルを見て絶句した。

 ライトボウガンのバレルは武器屋で取り付けが行われる。戦闘中の衝撃などで外れないように特殊な工具を用いてしっかりと固定されており、そういった工具がなければ普通は外せない代物だ。だがツヴァイは銃が壊れる事を全く躊躇せずにロングバレルを何度か地面に叩きつけて破壊して外したのだ。一歩間違えれば修理不能になりかねない行動だ。それも銘火竜弩ともなれば作るのには多額の資金や素材を必要とする。何より相棒に対してそんな行いはガンナーは普通はできない。それを、ツヴァイは平然とやってのけたのだ。

 そして、ツヴァイが作った隙を突いてアインはけむり玉を取り出すと、それを地面に叩きつけた。途端に爆発するように広がった白煙はあっというまに路地を包む込む。さらにそこへ閃光玉や音爆弾などが投げ込まれ、視界は愚か音も無茶苦茶にされる。三人は奇襲に備えてその場でクリュウを守るように円陣を組む。

 しかし煙が晴れた時、そこにはアイン達の姿はどこにもなかった……


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