モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第192話 胸に想いを抱きし少女達の新たなる旅立ちの朝

 家に帰ると、すでに皆寝静まっている後だった。女子陣は酔い潰れているし、ツバメとオリガミもすでに就寝したらしい。二人は物音を立てないようにクリュウの部屋へと向かう。

 すでにルナリーフ家は空き部屋がない。結構な人数が暮らせるはずの家だが、客室は全て村所属のハンター全員に開放されている為だ。民宿などは空きはあったが、ルフィールがクリュウの傍じゃないと嫌だと断固これを拒否した上に他の女子陣との相部屋も本人や相手側の拒否もあって難航。仕方なくクリュウの部屋に布団を敷く事になったのだ。当然他の女性陣、特にフィーリアとサクラの根強い反対はあったが、クリュウの説得もあって渋々了承し、何とかルフィールの今夜の寝床が決まったのだ。

 クリュウの部屋は一階にある。本来ならルフィールとしては彼に案内されて、初めて彼の部屋を知るはずだったが、事前に侵入を果たしてしまっている為初見の感動はない。

 部屋の前に到着するとクリュウはドアを開けて部屋に入る。それから入口で待っている彼女を招き入れた。部屋の様子は数日前の昼間に見たものと大して変わらない。昼夜の変化くらいしか、基本的に差異はなかった。

 クリュウは手に持っていたランプを部屋の中央の天井から吊り下げられたフックに引っ掛ける。元々このランプはクリュウの部屋の灯りだ。持ち運びでもきるようになっている。大都市の街路灯などに使われているガス灯に比べれば明るさはないが、手軽に持ち運びできるという利点がある。

 部屋に招き入れられたルフィールはそのまま彼のベッドの上に腰掛けた。数日前にここで恥ずかし過ぎる痴態を彼に見られてしまったというトラウマが蘇るが、頭を振ってその忌まわしい記憶を記憶の片隅へと追いやる。

「それじゃ、もう寝ようか」

 クリュウはそう言って衣装ダンスの中から寝間着を取り出すと「それじゃ、僕は廊下で着替えるから。着替え終わったら呼んで」と言ってルフィールが止める間もなく部屋を出て行ってしまった。本来なら自分の方が廊下で着替えなきゃいけない立場だし、何なら同じ部屋で着替える事も構わないのだが、彼はそんな彼女の危険思想をいち早く察知して先手を打ったのだ。

 ルフィールはため息一つ零すと彼を廊下に長居させてはいけないと手早く着替える。すでに二人共それぞれ個別で風呂を済ませている。風呂に入った後、一息入れていた際にルフィールがクリュウに無理言って彼の両親の墓参りをしたのだ。

 彼に褒められた自慢の服を名残惜しそうに脱ぎ、きれいに畳む。下着は風呂を上がった時に換えたのでそのまま。ちなみに一年半前とサイズはまるで微動だしていない。二年くらい前に買った下着も使用できるので経済的な反面、何だか強烈な敗北感を抱かずにはいられない。

 服を畳んだ後、ルフィールは持ち物の中からパジャマを取り出す。ちなみにこのパジャマもある意味勝負服だった。先程の勝負服と同様に某ギルド嬢に連行される形で入ったドンドルマの女の子向けのファッション店で手に入れた一品。女の子らしいかわいさを全面に出した、変化球的な勝負服。

 クリュウには言えないが、普段はシャツ姿で寝たりとオシャレには一切興味を示さない出で立ちをしている。その為、今回の為に購入した慣れないパジャマに四苦八苦しながらも何とか着終え、クリュウを呼び戻す。

「入るよ。いい?」

「は、はい」

 緊張した様子で返答するルフィールの声に多少の疑問を抱きつつも、クリュウは部屋に戻った。彼の服装はいわゆる一般的なパジャマ姿だ。若葉色と白を基調としたチェック柄の上下。最も寝やすい格好と言ってもいい。

 部屋に戻ったクリュウだったが、目の前にちょこんと立っているルフィールの姿を見て一瞬言葉を失っていた。

 そこにいたのはかわいい後輩――ではなく、かわいらしいメラルーだった。正確にはメラルーの格好をしたルフィールだ。

 黒いワンピースのような上下が一体化した衣服を基礎にフードを備え付けたような形。しかもフードにはネコミミが備えられ、お尻からは黒い尻尾が垂れる。スカートの丈は膝より少し下くらい――要するにメラルーの着ぐるみパジャマという訳だ。

 衝撃の光景に固まるクリュウに対し、ルフィールは頬をほんのりと赤らめながら右手を頬の横まで持ち上げ、そのまま拳を作って垂らす。そして、

「にゃ、にゃぁ……」

 と、メラルーの鳴きマネを披露する。途端に頬は真っ赤に染まり、助けを求めるようにクリュウの方を凝視するが、クリュウもこの現状で彼女を救出する言葉が見つからずにいた。

 妙な沈黙が数秒続いた。ルフィールが恥ずかしさのあまり奇声を上げそうになった時、そんな沈黙を破ったのはクリュウの「ぷっ」という吹き出し笑いだった。

「わ、笑わないでくださいッ!」

 気まずい沈黙はなくなったが、ルフィールの羞恥心は限界にまで達しつつあった。こんな醜態を晒す事になるなんて、これを全面プッシュした某ギルド嬢には後で猛抗議する必要がある。慰謝料だって請求してもいいはずだ。

 顔を真っ赤にしながら涙目で床を睨みつけるルフィール。すると、そんな彼女の頭の上にクリュウはポンと手を置いた。フード越しでもわかる彼の温かな手のひら。ネコミミの間に置かれた手は、さながら本当にメラルーの頭を撫でているかのようだ。

「ごめんごめん。いや、何か面白いというか、かわいい格好してたからつい」

 楽しそうに笑う彼の言った《かわいい》という単語に、ルフィールは顔をうつむかせ続ける。だがその表情は先程までの穴があったら入りたい的な羞恥に染まったものではなく、ニヤけが止まらない的なとてもクリュウにはお見せできない絵面になっていたり。

「いやぁ、ずいぶんとかわいいパジャマがあるもんだね。さすが都会」

 単純にクリュウは都心のファッションのレパートリーの多さに驚嘆するが、彼の言った何気ない一言でルフィールは天にも昇る気持ちになっている。なでなでと優しく頭を撫でられ、ルフィールは嬉しくて仕方がない。

「さっきの服もそうだけど、ルフィールもオシャレを楽しめるようになったんだね」

「も、もちろんです」

 えっへんと威張ってみるが、本当は某ギルド嬢が「女の子なんだから、もっとオシャレしなきゃダメッ。せっかく素材はいいんだからぁッ」と無理やり自分にオシャレをさせているのが。いつもは鬱陶しくて仕方がないが、今回ばかりは彼女のお節介に大感謝だ。

「うん、いいものを見れて良かった」

 ルフィールが普通の女の子らしく暮らせているとわかり、安心するクリュウ。一方のルフィールは自身の格好が彼の目の保養になったと大喜び――どうにも二人の間には微妙に相違があるようだ。

「じゃあ、もう寝ようか。明日は早いんでしょ?」

「はい。ほんと、突然押し掛けたと思ったら早朝に出立するなど、騒々しくてすみません」

「いいよいいよ。こうして顔を出してくれただけでも嬉しいからさ。ゆっくりできないのは残念だけど、自分で決めた事なんでしょ? だったら、僕は何も言わないよ。ちゃぁんと明日は送り出してあげるさ」

「……先輩の温情に感謝します」

 礼儀正しく頭を垂れるルフィール。その行為自体は実に礼儀正しく、立ち振舞も凛々しいのだが、如何せん格好が格好だ。ネコミミパジャマでは迫力に欠け、むしろそのかわいらしい外見からのギャップでかわいらしさの方が抜きん出る。

「じゃあ、布団を敷くから。この辺で大丈夫かな?」

 クリュウが指し示したのはベッドの横。上から見れば並んで寝る形になる位置だ。一番無難だし、何の弊害もないはず。クリュウはこの選択に自信を見せたが、ルフィールからの回答は予想外のものだった。

「ダメです」

「え? じゃあ、こっちとか?」

 クリュウは別の場所を提示するが、ルフィールはそれも拒否。その後何度か別の場所を提案するも、ルフィールは全部拒否した。そんなに広くない部屋だ。敷設予定地などすぐになくなる。

「えぇ? じゃあどこで寝たいの? もしかして、ベッドの方がいいの?」

「そうですね。ベッドがいいです」

「え? で、でもいつも僕が使ってるベッドだし。洗濯もしてないよ?」

 女の子とはきれい好きであり、人が使った物を使いたくないという傾向が強いというのがクリュウの女子に対する認識だ。だが彼は知らない。世の中には例外というものがあるという事を。その例外とは、女子が特定の異性に抱く感情に起因するもので……

「構いません。ボクはベッドで寝たいんです」

「……いや、君がそれでいいなら構わないけど。じゃあ、僕はこっちに布団を敷いて寝るね?」

「ダメです」

 先程の布団の敷設最中にずっと言われた言葉をまたしても言うルフィール。だが今回はこれまでと違って彼女の判断を仰ぐ必要はないはずだが……

「いや、隣に布団を敷くだけだから、別にいいんじゃないかな? もう少し、向こうの方がいい?」

 一年半前は常に後ろにくっついていた彼女も、今では異性とはあまり近づきたくない年頃なのだろうか。彼女の成長を嬉しく思う反面、何だか寂しい想いが胸いっぱいに広がる。どうにも複雑な心境だ。

 ルフィールの成長をまるで父親のような視点で見詰めながら感動するクリュウだったが、次に彼女の口から吐かれる言葉は彼の予想を遥かに上回るものだった。

「先輩も一緒にベッドで寝てください」

 一切の躊躇なく、真っ直ぐな目で堂々と宣言するルフィール。なぜそこまで堂々とできるか理解できず、クリュウは顔を手のひらで押さえながら力なくうなだれる。ついさっきまで彼女の成長に喜んでいただけに、そのショックは大きい。

「えぇっと、ベッドもあるし布団も用意できる。部屋だってそんなに広くはないとはいえ、布団を敷くくらいのスペースは十分にあるよね? なのに、どうしてそういう結論に至るのかな?」

 額を押さえながら尋ねる彼の問いかけに対し、ルフィールは「先輩と一緒に寝る事が前提条件ですので」と平然と返す。その威風堂々とした受け答えに、クリュウは疲れたように大きなため息を吐いた。

「前提条件からそもそもおかしいよね」

 呆れたようにもう一度大きなため息を吐くクリュウ。そんな彼の反応にルフィールは心外そうに「ボクは何もおかしい事は言っていません」と堂々と言い張る。

「とにかく、僕はこっちで寝るから。君はベッドで寝てよ。明日は早いんでしょ」

 もうこの話は終わりとばかりに無理やり打ち切るが、当然ルフィールは納得いかない。布団を敷こうとするクリュウの前に立ち塞がると、彼の行動を妨害する。

「話は終わっていません。それに、勝手に布団を敷かないでください」

「……ルフィール。自分の言動が明らかにおかしい事、わかってる?」

「ボクは何もおかしい事は言っていません」

 断固自らが正しいと信じて疑わないルフィールの姿に、クリュウは半ば諦めたようにため息を零す。どうやら何を言っても無駄らしい。こういう頑固な所は昔から全く変わっていないようだ。成長していないようで嬉しいような、全く成長していない事に呆れるような。複雑な心境だ。

 黙り込む彼を前にして、ルフィールはそっと彼の手を握り締めた。そして、訴えるように彼の瞳を見上げる。二色の瞳を必死に輝かせながら、ルフィールは己の想いをぶつける。

「――ボクは先輩と寝たいだけですッ!」

「他人に聞かれたら誤解されるような事を大声で言わないでくれるかなッ!?」

 呆れを通り越してもはや頭痛すら感じるクラスだ。ちなみに彼が誤解した意味だとしても、ルフィールは彼相手なら拒否しないだろう事は、言うまでもないだろうが……

「……一年半ぶりなんです」

 額を押さえて考え込む彼の耳に届いたのは、そんな彼女の弱々しい声。視線を下げると、何をそんなに必死になっているのかと問い掛けたくなるほど、彼女は真剣な眼差しで自分を見上げていた。

「一年半、ずっと我慢してたんです。ずっと、寂しかったんです……」

 それは、彼女の本音だった。ずっと、胸の奥に留めていた想い。会いたいけど、会いに行けない。自分で決めた事だから余計に。いつか再会できる時を夢見て、ずっと夢の中でしか会えなくて。ずっと我慢してきた。我慢して我慢して、胸の奥に押し留めていた想い。

 一年半の時を経て、今それが叶った。ずっと待ち望んでいた彼が、今目の前にある――少しくらい、甘えたってバチは当たらない。

「もう、先輩と一緒に居られる時間は残りわずかなんです。だから……」

 淋しげにつぶやく彼女の言葉にクリュウは小さくため息を零す。そして、うつむく彼女の頭を優しく撫でる。視線を上げる彼女に向かって、彼は優しげに微笑んだ。

「仕方ないな。今日だけだからね」

「先輩……ッ」

 見る見るうちに満面の笑顔に変わっていくルフィールの姿に、クリュウもようやく諦めたらしい。半年間とはいえ、一緒に過ごした相手だ。自分が決めた事は絶対に曲げない彼女の頑固さには慣れっこだ。

「それじゃ、早く寝ちゃおうよ」

 そう言ってクリュウはランプの明かりを消す。部屋の中に光が消え、残るのは窓から注がれる月明かりだけ。それがどこか、幻想的な光景に見える。

 クリュウは先にベッドに入ると、端に寄る。そんな彼の元にルフィールがゆっくりと近づく。すると、立ったままうずうずする彼女に向かってクリュウは優しく微笑む。

「ほら、おいで」

「は、はい……失礼します」

 ゆっくりとベッドに潜り込むルフィールは、そのまま彼と一緒の毛布の中に潜む。クリュウが布団を胸元まで引っ張ると、自然とルフィールの頭もすっぽりと収まる。ぷはっと顔を出すと、目の前にクリュウの顔があってビックリ。一瞬にして顔が真っ赤に染まる。

「……近いんだけど」

「す、すみません」

 慌ててルフィールは距離を置く。二人してベッドの端に陣取る為、結果間には一人分のスペースが生まれる。それでも互いの温もりや存在を感じられる距離。自然と、二人共辺に意識してしまう。

 ルフィールは無言のまま、そっと手を伸ばす。毛布の中で探し当てたのは、彼の手。温かなその手を握り締めると、自然と安心感が心を包む。

「先輩の手、温かいです」

「眠いからね」

 クリュウも何だか照れくさいのか、妙に素っ気ない態度を取ってしまう。それがルフィールからすれば可愛らしかったのか、彼女の乙女心を妙に刺激する。

「照れてる先輩も、かわいいですね」

「か、からかうなよ」

「えへへ……」

 楽しそうに笑う彼女の笑顔を見ていると、自然と笑みが浮かぶ。すると、そんな彼に向かってルフィールは距離を詰めると、彼のパジャマの裾を握り締める。そして、トンと額を彼の胸板に当てる。

「な、何だよ」

「先輩の匂いがします」

「ふ、風呂ならちゃんと入ったけど」

「別に臭いなんて言ってないじゃないですか。ボクは好きですよ、先輩の匂い」

 笑顔で言ってくる彼女の言葉が恥ずかしくて、クリュウは視線を彷徨わせる。そんな彼のいじらしい姿が余計にルフィールの胸を弾ませる。

「こうして、先輩とまた一緒にいられる事が、すごく幸せです」

「だったら、ずっとここにいればいいだろ。ここは辺境の村だからさ、君の目の事だって気にしないよ」

「……お気持ちは嬉しいですが、先輩と一緒にいるには、ボクはまだまだ実力不足です。なので、今は我慢して、もっと腕を磨きます。その為に、ボクは旅に出るんです」

 ずっと傍にいたい。でも、ただ隣にいるだけじゃ嫌。しっかりと、彼の支えになれるように強くなってからでない方が嫌だ。二つの相反する想いの中で葛藤し、彼女が決断した結果がそれだった。それはあまりにも彼女らしい決断だ。だからこそ、クリュウは彼女の想いを尊重する。

「……まぁ、君がそうしたいなら僕は止めないけどさ。無理だけはしないでよね」

「わかってます」

「何かまた強くなるまで僕には会わないとか自分に枷をつけそうだけど、会いたかったらいつでもおいでよ。何もない村だけどさ、歓迎するからさ」

「……ありがとうございます」

 クリュウの言葉に、ルフィールは小さく微笑んだ。たぶん、彼女はまた自分で目標を作って、それを実現するまでは村には来ないだろう。一度決めたら忠実に、真っ直ぐに。それがルフィール・ケーニッヒという子だ。だからこそ、今こうして自分が言っている事は無駄なのかもしれない。でも、例えそうだとしても、自分の言葉に安心したように笑う彼女の笑顔を見ていると、少しは無駄ではない。そんな風に思えた。

「――先輩、ギュッってしてください」

 こちらを向きながら、物欲しそうな目で言う彼女の言葉にクリュウは少し逡巡する。

「先輩?」

「……まぁ、今日だけ特別だよ」

 そう言って、クリュウはゆっくりとルフィールを抱き寄せた。背に腕を回され、体全体で抱き締められる。それはまるで、彼に包まれているかのよう。体全身で感じる彼の温もりに、ルフィールの口元にも自然と笑みが浮かんだ。

「先輩の体、ポカポカです」

「さっさと寝てよね。は、恥ずかしいんだからさ」

「ふふふ、こんな状態じゃ興奮して眠れませんよ」

「じゃあやめる?」

「もう、意地悪言わないでください」

 ぷくぅと頬を膨らませる彼女のいじらしい姿にクリュウは楽しそうに笑みを浮かべる。楽しそうに笑う彼の笑顔を見て、ルフィールも自然と笑顔に変わる。気がつけば、どちらの顔にも楽しげな笑みが浮かんでいた。

「先輩、大好きです」

「僕も大好きだよ、ルフィール」

「……まぁ、今日はそれで我慢してあげます」

「何だよそれ」

「――でもいつかきっと」

「うん?」

「何でもありません。秘密です」

 クフフと楽しそうに笑いながらルフィールは毛布の中に顔を引っ込めた。クリュウが覗き込むと、ルフィールは毛布の中で彼にしがみつき、胸板に頬を当てていた。幸せそうに笑いながら目を瞑る彼女の姿を見て小さく笑みを浮かべると、クリュウもゆっくりと目を閉じた。

 互いの温もりを感じ合いながら、二人の意識はそれぞれ別の夢の中へと落ちていく。

 静かな辺境の村の夜は、少女に幸せな夢を見させながら、ゆっくりと過ぎ去っていった……

 

 早朝、崖の下にある港には出発の準備を整えたルフィールとレイヴンがいた。その後ろには二人を見送る為にクリュウ達の姿もある。私服姿のクリュウ達に対して、ルフィールはパピメルシリーズでしっかりと身を固め、レイヴンのドングリ装備でしっかりと武装を施している。

「あの、武具の調整をしていただいて、ありがとうございました」

「えぇってえぇって。クリュウ君の後輩ちゃんならウチにとって知らん仲やないし。せっかくの門出や、きれいに調整しておいた方がええやろ?」

 そう言ってニャハハハと楽しそうに笑うアシュア。だが笑い声に対してその表情はどこか疲れている。目の下には薄っすらと隈が浮かび、髪もボサボサだ。実はクリュウが無理を言ってルフィールの武具の調整をアシュアに依頼したのだ。その為アシュアは徹夜で彼女の武具を調整していたのだ。おかげでルフィールのパピメルシリーズは新品同様に生まれ変わり、パワーハンターボウ1も一度分解して摩耗した部品を全て新調したおかげで精度を増している。

 着心地が良くなったパピメルシリーズを纏いながらルフィールはその場で一度ふわりと回転する。朝日を浴びてキラキラと輝くその姿は、本当に妖精のように見える。

「いやぁ、クリュウ君も太っ腹になったもんやなぁ」

「ま、まぁ……」

 笑いながらも、クリュウの懐はフラヒヤ山脈のように凍えていた。イャンガルルガの捕獲が確認され、報酬金が手元に来るまでは一週間程掛かる。今回の狩りは一応周辺の村の合同で出された依頼な上に、捕獲をしてしまった為にギルドの仲介が必要など、色々と手間が掛かる。結果、報酬金の支払いも遅れる。ディアブロシリーズを作った事であまりお金にゆとりがないクリュウからしてみれば、今回の調整費は借金する一歩手前だ。

「あの、先輩。ご配慮、ありがとうございました」

 だが、嬉しそうに礼を述べる彼女の言葉だけで、そんな細かい事など吹っ飛んでしまう。何だかんだ言っても、後輩の前ではいい先輩ぶりたい。普通の男の子の思考回路だ。

 そんな後輩に優しいクリュウの姿を他の女子陣は不満そうに見詰めている。ルフィールばかりいい想いをして、やきもちを焼いているのは明らかだ。そんな彼女達の様子を見ても、アシュアは楽しそうに笑う。完全にこの状況を楽しんでいるようだ。徹夜明けなのに、タフな人だ。

「どこに行こうとしてるの?」

「とりあえずドンドルマに行きます。その後は一応エルバーフェルドに戻ろうかと思います。しばらくはエアフルトに拠点を置くつもりです」

 エアフルトとはエルバーフェルド帝国副都である。帝都エムデンよりも西に位置し、ハンターは沼地と呼称するクルプティオス湿地帯に向かう際は必ず寄る都市。そしてエルバーフェルド国内唯一のハンターズギルド支部が置かれている場所だ。

「エアフルトとは、また遠い場所だね。一度エムデンには寄るの?」

「公共竜車を使って移動するので、ひとまずターミナルとして寄るつもりです」

 その時、クリュウとルフィールの会話を聞いていたフィーリアが動いた。突然二人の元へ歩み寄ると、無言のままルフィールに何かを手渡す。それは一枚の封筒。ひっくり返すと封蝋(シーリングワックス)でしっかりと封をされている。その封蝋(シーリングワックス)に描かれているのは、一輪のチューリップとレイピアが交差する紋章。見た事もない封蝋(シーリングワックス)にクリュウが戸惑っていると、フィーリアは憮然と口を開く。

「私の名義であなたの紹介状を書いたの。これがあればエルバーフェルドへの入国や領の行き来で面倒な検問をパスできる。封蝋(シーリングワックス)と印章にレヴェリの紋章を使ったから、効果は抜群のはず。これ、あなたにあげる」

「ボ、ボクに、ですか……?」

「……勘違いしないで。私はあくまで、クリュウ様がこうした方が喜ぶかなぁって思っただけ。あなたの為じゃないよ」

 そう言ってプイッとそっぽを向くフィーリア。いつもの素直さとは似ても似つかないような素っ気ない態度に周りの面々は面食らっていた。背後からサクラとアシュアが「……ツンデレね」「ツンデレやなぁ」とこそこそと会話している声が聞こえる。

「それと、困った事があったらレヴェリ領へ行って。そこには私の家族や親友がいるはずだから、少しくらいは力になってくれるはずだから」

 ムスッとしたまま言うフィーリアの言葉にぽかんとするルフィール。すると、憮然としているフィーリアの頭をクリュウが優しく撫でた。驚くフィーリアが顔を向けると、彼の笑顔がまぶしかった。

「ありがとフィーリア」

「い、いえ。当然の事をしたまでですから」

 久しぶりに頭を撫でてもらえて嬉しかったのだろう。満面の笑みを浮かべて喜ぶフィーリア。尻尾が生えていればピョコピョコと左右に動き出しそうな感じだ。当然サクラとエレナ、そしてシルフィードが羨ましそうに見詰める。

 クリュウに頭を撫でられて喜ぶ彼女の姿に若干の苛立ちは感じたが、それでも彼女からの――友達からの好意にルフィールの胸いっぱいに温かいものが広がった。

「……ありがとうございます」

 礼儀正しく頭を深々と下げて例を述べるルフィールにフィーリアはただ一言「気をつけてね」とだけ言い残すと、サクラ達の所へ戻った。ルフィールは大切そうに、その封書を道具袋(ポーチ)の中にしまった。

「……本当に、この村に来て良かったです」

「友達もできたもんね」

「それもそうですけど、何よりやっぱり先輩の元気な姿を拝見できた事が、何よりも嬉しかったです」

「僕も君の元気な姿を見れて嬉しかったよ」

「……良かった。遠方より訪ねた甲斐がありました」

 そう言って、ルフィールは笑った。その屈託のない笑顔を見て、クリュウがどれだけ安心したか彼女は知らない。

 ずっと、心の片隅で彼女の事を心配していた。元気でやっているだろうか、無茶していないだろうか、ご飯はしっかり食べているだろうか、友達はできたのだろうか。色々な心配が常にあった――でも、そのどれもが杞憂だったらしい。彼女はこうして、しっかりと前に向かって歩き続けている。それを見る事ができて、彼女が笑顔を取り戻してくれて、ほんとうに嬉しかった。

 気づけば、クリュウは自然とルフィールの頭を撫でていた。そんな彼の優しい手を甘んじている彼女に向かって、クリュウは話しかける。

「元気でね、ルフィール。たまには手紙も出してよね」

「はい。これからは時々近況を報告します。基本的に色々な場所に移動するので先輩から送る事は難しいですが、手紙を出したら先輩からの返事が来るまではその場所に留まるつもりです――だから、ちゃんと返信してくださいね?」

「もちろん。君からの手紙、楽しみにしてるよ」

「はいッ」

 クリュウの言葉に、ルフィールは楽しそうに笑った。そんな彼女の笑顔を見てフッと隣に立つレイヴンの口元に笑みが浮かんだのを、シルフィードは見逃さなかった。

「ルフィール。そろそろ行くニャよ」

「わかってるよ。もう、ムードも何にもないなぁ」

「フン」

 鼻を鳴らしてそっぽを向くレイヴンに呆れつつ、しかしルフィール自身もそろそろ行かないといけない事にも気づいている。何せ港では村長が自分の為にドンドルマ行きの漁船を一隻用意してくれているのだから。船頭は帆を広げて時折風の角度に合わせてマストの調整をしながら待ってくれている。

 何度か深呼吸をした後、視線を再びクリュウに戻した時、ルフィールの気持ちは整っていた。

「それでは、そろそろ失礼します。先輩、お元気で」

「そっちもね」

 そう言ってクリュウは手を差し出した。ルフィールも合わせて手を伸ばし、彼の手を取る。互いにしっかりと握手し、別れを惜しむ。だがその時間はわずか数秒。ゆっくりと、どちらからとなく手が離される。

「行くよ、レイヴン」

「あぁ」

 ゆっくりと彼に背を向け、ルフィールはレイヴンと共に歩き出す。朝日の光にパピメルシリーズを煌めかせながら、ルフィールは新たな旅へ出発する。クリュウはそんな彼女に特に声を掛ける事なく、ただ無言で彼女の背中を見送った。

 もう言葉は何もいらない。むしろ何かを発すれば、彼女の決意を揺らいでしまうかもしれない。振り返る際に一瞬見えた彼女の悲痛そうな表情を見て、クリュウはそう決めたのだ。

「またね、ルフィール」

 彼女に聞こえるか聞こえないか、そんな小さな声でただ一言つぶやく。

 すると、埠頭に足を掛けたルフィールは突然足を止めると、くるりと振り返った。そのまま顔をうつむかせて足早に戻って来る。クリュウが何事かと首を傾げていると、ルフィールはそのまま彼へと近づき、彼の胸元に飛び込むようにして抱きついた。

 突然の行動に驚愕し言葉を失う村の乙女達。驚くクリュウの耳元で、ルフィールがそっとつぶやく。

「……ボク、先輩の事が大好きですよ」

 そう言ってルフィールは彼の首に両手を回し、グッと彼の体を強く引き寄せる。眼前に彼女の真っ赤に染まった顔が現れた瞬間、クリュウの脳内に一年半前の光景が蘇った。

 一年半前、別れ際に彼女がした行為。それが思い出された瞬間、記憶の中の光景と感触が現実となり――クリュウのルフィールに再び唇を奪われた。

 目の前には真っ赤になった彼女の顔があり、唇には柔らかな感触と熱いくらいに火照った彼女の唇が当てられている。

 長いようで、本当は一瞬。彼女が離れると同時に、唇を押さえつけていた熱も消えた。残されたのは、突然の事に混乱しながら立ち尽くすクリュウと、顔を真っ赤にしたまま満面の笑みを浮かべたルフィール。

「えへへ、先輩とのキスはこれで二回目ですね。次はもっと大人なキスしましょうね、せ・ん・ぱ・い♪」

 そう言い残してルフィールは全速力で漁船へと走った。漁船では船頭の男が下手な口笛を鳴らして彼女を出迎える。レイヴンは呆れたように「人間はわからんニャ」とだけつぶやくとそっぽを向く。

 帆が完全に開かれた瞬間、漁船は風を受けて進み出す。船尾に陣取ったルフィールは大きく手を振りながら彼の姿を探す。彼女が最後に見たクリュウは、顔を真っ赤にしたまま恥ずかしさのあまりこちらを見れず、手だ振っているという愛らしい姿だった。そんな彼の姿に嬉しそうに微笑みながら、ルフィールは村を去る。

 漁船はすぐに木々の向こうへと消え、嵐のように現れたルフィールは、再び嵐のように去って行った。

 

 木々の向こうに消えた漁船。クリュウも振っていた手をゆっくりと下ろした。唇に残る熱はまだ強烈に記憶に刻まれている。顔は赤らんだまま、クリュウは恥ずかしさのあまり視線を彷徨わせる。その時、彷徨った視線がふと何かを捉えた。それは、自分の方を見詰める三人の美少女の姿。皆、顔を真っ赤にして、目の縁にたっぷりの涙を浮かべた怒りの形相。それを見た瞬間、真っ赤だったクリュウの顔は一瞬にして真っ青に染まる。

「あ、いや、これはそのぉ……」

「く、クリュウ様ぁ……ッ!」

「……浮気は許さない」

「二回目って、言ってたわよね? 詳しく話してもらいましょうか?」

 もはやブチギレという言葉では言い表せない程、完全にキレまくっている三人。クリュウは逃げ出そうとしたが、フィーリアはともかくサクラとエレナから逃げ切る事はできないと、なぜか妙に冷静な自分が忠告する。

 謝るにしても、そもそもどういう謝り方をすればいいのか。それに、たぶんだが謝ってもダメな気がする。そんな予感がしていた。

 素直に三人にボコられるしかない。半ば諦めかけていたその時、そんな彼の前に立ち塞がる者がいた。伏せていた視線を上げると、そこにはいつも頼りになる彼女の背中がそこにあった。

「し、シルフィ」

 自分を助けてくれようとしている彼女の姿にクリュウは感動する。きっとこの後、いつものように三人を納得させるような大人の説得をしてくれる。そう思っていた。だが、

「シルフィ、ありが――もぷッ!?」

 突如振り返ったシルフィードはいきなり彼の首に両腕を回すと、自らに抱き寄せた。身長差的に、ちょうどクリュウの頭はシルフィードの豊満な胸の高さ。結果、抱き締められた事で彼の顔は彼の意思とは関係なくシルフィードの豊満な胸の中に埋まる。

 言葉にならない事を言いながら暴れるクリュウを優しく抱き締めるシルフィード。その表情はいつもの凛々しい戦乙女の表情ではなく――年相応の、一人恋する乙女のものだった。

 突然のシルフィードの行動に驚愕していた三人は、そんな彼女の乙女の表情を見た瞬間、全てを悟った。恋する乙女の第六感が、嵐が過ぎた後に現れた大嵐の予感を、察知していた。

「し、シルフィード。あんたもしかして……」

 愕然とするエレナの問い掛けに対し、シルフィードはようやくクリュウを解放した。だが慌てて離れようとするクリュウを今度は背中から抱き締めた。背中にコンプレックスから武器へとチェンジした自慢の胸を彼の背中に押し付け、慌てふためく彼を愛おしそうに抱き締めながら、愕然とする三人に向かい合う。そして、

「あぁ、すまんな。ちょっと自分の気持ちに素直になってみようかと思ってな――今日から君達の戦いに私も参戦させてもらうぞ」

 そう言ってシルフィードはいつもの凛々しい表情とは違う、年相応の少女がするような純真無垢な屈託のない笑みを浮かべると、そっとクリュウの頬に唇を押し付けた。

 早朝のイージス村に、少女三人の悲鳴が虚しく轟いたのは、その数秒後の事だった……


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