モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第181話 変わらぬ想いを抱き 少女は愛しの彼の前で微笑む

 クリュウ達がアルトリア王政軍国から戻ってから、約一ヶ月の月日が流れた。季節はすでに北風も凍えるような寒さから涼しいものに変わった夏。春に芽を吹いた緑は皆一様にその淡い黄緑色を深緑に染め、生物達が最も活気づく季節。

 北国に位置するイージス村は冬は極寒だが、そういう意味では夏は涼しくて過ごしやすい。この地域には貴族の避暑地があるほどだから、その過ごしやすいさは折り紙つきだ。

 そんな夏の季節は、イージス村にも活気をもたらしていた。

 貴族のように別荘はなくとも、避暑を求めて訪れる観光客がこの時期多い。大部分は利便性もいいアルフレアへ行くが、中にはイージス村へ来る珍しい者も少なからず存在する。当然、そんな観光客相手に村は活気づいていた。村の財政は収穫物の輸出の他に、こうした観光事業においても支えられている。

 イージス村は周辺の村では一番栄えている村だ。雪解け水による湧き水が豊富であり、その水を水路を用いて各家庭へと流す仕掛けは村長の大偉業の一つだ。上水道が完備されているなんて、ドンドルマでもないような画期的なものだ。まぁ、ドンドルマは決して水が豊富な地域ではないので一概には比較はできないが。

 避暑目当ての観光客の他にも、先日ドンドルマの情報誌で取り上げられたエレナの酒場が目的の観光客も多い。その結果、エレナの酒場はいつにも増して忙しく、臨時でフィーリアとツバメをバイトで雇い、近所の人の協力を得て何とか運営している状況だ。

 そんな夏の活気に湧くイージス村で、クリュウは一人村の一番高い丘に位置する村長の家の横で稽古をしていた。木刀と木製の盾を持ち、足捌きや剣の振り方など、細かい場所を常に磨いている。ドンドルマなどの夏の暑さに比べれば涼しいここでも、彼の額には大粒の汗が浮かんでいた。体を振るたびにその汗がキラキラと輝きながら宙を舞う。

 右足で一気に踏み込み、剣をまるでレイピアのように突き刺してから手で捻って斬り上げ。そこから左腕に構えた盾をエルボーの要領で叩きつけ、捻った体を一気に回転させて回し斬り。その流れるような動きは全て繋がっており、練習に練習を重ねた結果生まれた動きだ。

「ふぅ……」

 止めていた息を一気に吸い込み、吐き出す。止まらない汗を無理やり腕で拭い取ると、傍においてあった桶の中に浮かぶタオルへと手を伸ばす。桶の中の水は冷たく、それをたっぷりと含んだタオルを首に巻くだけで体の熱が和らぐ。村長の家にはより源泉に近い井戸があり、そこの水は夏でも凍るように冷たい。近所の子供達が遊び疲れてはよくここで水を飲んでいる姿を見かける。クリュウもまた、冷たい水を欲してここで練習していた。

「おぉ、クリュウ君。疲れただろ? こっちへ来てスイカでも食べないかい?」

 爽やかな笑顔と共に縁側から声を掛けたのはもちろん、村長だ。クリュウは汗を拭い取り「ありがとうございます」と礼を述べて縁側へ腰を落とすと、切り分けられたスイカにかぶり付く。決して甘過ぎないジューシな甘味が口の中いっぱいに広がる。体が甘い物を欲している事がわかるように、全身にスイカの果汁が染み渡る。よく冷えているのが余計に最高だ。

 口の中に溜まった種を皿へと出し、口周りに付いた果汁をタオルで拭い取る。

「ふはぁ、やっぱり村長さんのスイカは最高ですね」

「あははは、それは良かった。でもまぁ、高貴なお方にスイカなんて庶民じみたものはお似合いじゃないのでは?」

「……もう、そのネタはいいですから」

「あはははッ」

 楽しそうに笑う村長に、クリュウは苦笑を浮かべた。

 アルトリアでの事は、一応村長にだけは伝えてあった。村長は両親と親しい仲だったので、伝えるべきだと思ったのだ。最初こそ驚いていたが、持ち前の臨機応変さですぐに順応し、今では時々こうしてクリュウをイジるネタにしている。

「だけど、エッジとアメリアの息子もずいぶんと大きくなったもんだね。ちょっと前まで僕の腰くらいの大きさだったのに」

「それ、いつの頃ですか?」

「うーん、キーちゃんがいた頃くらいかな?」

「それ、もう七年も前の話ですよ」

 年寄りは時間の感覚が壊れると言うが、どうやら村長もその例外ではないらしい。見た目は若く見えても竜人族である彼はこの村に住む最高齢のカリアおばあさんくらいの年月は生きているらしい。

 村長のボケを笑いつつ、クリュウはスイカを一気に平らげる。その時、

「ニャァ~ッ! クリュウぅッ!」

 庭への入口の方から一匹のアイルーが走って来た。若葉色の毛並みにドングリメイルを着こなしたアイルーは、以前はマフモフメイルを備えていたがさすがにこの暑さに断念したらしい。

 ツバメのオトモアイルーこと、オリガミだ。

「オリガミ? どうしたの、そんなに慌てて」

 足元まで走って来たオリガミをクリュウは不思議そうに見る。そんな彼の問いかけに、オリガミは息を整えると、キラキラとした瞳で彼を見上げた。

「アシュアから伝言だにゃッ。頼まれていた品が完成したから、最終調整をお願いしたいだってニャ」

「ほんとッ!? すぐ行くよ」

 オリガミの報告にクリュウは目を輝かせると、村長にお礼を言って荷物を持って走り出す。振り返ればオリガミが縁側に上がって今まさに自分が食べていたようにスイカに頬張るのが見えた。

 長い階段を一気に駆け下りて、村のメインストリートを走り抜ける。すれ違うたびに村人達が明るく声を掛けてくれる。元々村では有名人だが、ハンターとなった今では余計にだ。

 村人達一人ひとりに走りながら返事をして、クリュウは先を急ぐ。向かうは、村の住宅街から少し外れた丘の上に建つアシュアの工房だ。

 いつも絶えず煙突から煙を出しているのは、彼女が仕事熱心な証だ。そして今は、自分が発注した品を作っている最中だろう。

「アシュアさん、クリュウですけど」

 ドアをノックしながら声を掛けると、中から「おぉ、勝手に入って来てぇな」と元気なアシュアの声が響く。言われた通りにドアノブを回して中へ踏み入れ、住居ではなく工房へと入る。すると、外の外気とは比べ物にならない熱風が彼の頬を撫でる。

「暑ぅ……」

 余計に噴き出す汗を手の甲で拭いながら、階段を降りて工房へ入ると、燃え盛る鑪(たたら)の前で作業をしているアシュアの姿を発見する。火花などで火傷しないように全身を長い作業着で包み、眩い火花から目を守るゴーグルを掛け、頭には手ぬぐいを撒いたその姿はまさに職人と言うに相応しい出で立ちだ。

 何か作業をしていたアシュアはクリュウの姿を見つけると、ゴーグルを取っていつものように屈託の無い笑みを浮かべた。

「やぁクリュウ君。早かったやないか」

「そりゃ、走って来ましたから」

「そないに急がんでも品物は逃げへんて。ほんじゃ、最終調整と行こうかねぇ」

 そう言ってアシュアは部屋の隅に置かれたそれの前に立つ。布で上から覆われたその品はクリュウの身長と同じくらいの大きさだ。もちろん、そういう風に調整されて作られているのだから当然と言える。

「いくでぇ、ほいさッ」

 勢い良くアシュアが布を取り払うと、その品の全貌が明らかになった。

 それは褐色の武骨な鎧だった。クリュウが今まで使っていた比較的スマートなレウスシリーズに比べると全体的に分厚く、その防御力が今までのそれとは比べ物にならない程頑丈だという事が見て取れる。

 肩当てが大きく、腰回りも巨大な甲殻で守られたそれは昔彼が使っていたバサルシリーズに近いデザイン。だが細部を見れば全く違う防具である事がわかる。何よりも、左右の肩から突き出た巨大な角がこの防具最大の特徴であり、同時にそれはこの防具の素材となったモンスターの最大の特徴でもある。

 アシュアは自ら鍛え上げた品を満足そうに見ながら、今まさに目を輝かせているクリュウに向かって堂々と言い放った。

「これがクリュウ君の新しい防具――ディアブロシリーズやで」

 それは先日、クリュウがアシュアに発注していた新防具であった。

 エルバーフェルド帝国でのディアブロス討伐。その際に得た素材をアシュアに預け、彼女の腕と経験によって作り上げられ、完成したディアブロシリーズ。

 角竜ディアブロスの素材を使ったこの防具は、単純防御力ではレウスシリーズを上回る。性能においてもかなり強化され、より実用的な防具となっている。一見するとずいぶんと重そうなデザインだが、角竜の甲殻は丈夫であると同時に同じ硬さの鉱石なんかよりはずっと軽い為、意外と見た目程は重くはない。ただしそれでもレウスシリーズと比べれば重くはなる。

「まぁ、元々ディアブロシリーズはどちらかと言えばランス使いやガンランス使いが好む重装甲防具やからな。せやけど、慣れれば片手剣使いのあんたでも使いこなせるようにはなるで」

「ありがとうございます。あの、早速着けてみてもいいですか?」

「ニャハハハ、せっかちさんやなぁ。まぁ、ウチも早くあんたにピッタリにしたいから、さっさと始めようや」

 愉快に笑いながら、アシュアは慣れた手つきで防具を台から外していき、クリュウへ着方を教えながら着せていく。レウスシリーズとは着方も全く違うので、今のうちに慣れておかないと、一人で着るのに困るからだ。

 十分程でヘルム以外の装備が終わる。採寸をしっかり測っていたおかげで、大きさもピッタリで着心地はいい。アシュアは合っているか確認しながら細部で調整を行う。このわずかな調整をするかしないかで、より防具との相性が変わってくるのだ。

「でも、やっぱり重いですね」

「まぁな。せやけどクリュウ君鍛えてるからなぁ、数日も着てれば慣れるやろ」

 気にした様子もなく言うアシュアの言葉にクリュウは頷いた。実際、バサルシリーズを着る際だってあんなに重かったのも数日で慣れたし、それはレウスシリーズの際も同じだ。

「スロットの数もレウスシリーズより格段に増えてバリエーション豊かになってるからなぁ。注文通り、風圧【小】無効、見切り+2の初期スキルに体力珠一つ付けて体力-10を消して、残ったスロット五つ全部に爆師珠を付けてボマースキルを発動させといたで。これでええんやろ?」

「はい。やっと念願だったボマースキルも発動できました。これでより爆弾の破壊力を上げられます」

「あははは、あんたはほんまに爆弾が好きやなぁ」

「別に好きとかじゃなくて、より効果的にダメージを与えられるから使っているだけですよ」

「何や? クリュウ君、ツンデレ?」

「ち、違いますよッ」

 おかしそうに笑うアシュアにからかわれ、クリュウは顔を真っ赤にしながらそれを隠すようにヘルムを被る。視界が一気に狭まるが、狩りをする上での必要な視界は確保できている。昔はこの狭い視界が嫌いだったが、今ではすっかり慣れたものだ。

「どや? 苦しくないか?」

「大丈夫です。バッチリですよ」

「そうか。ほんじゃ、もう調整は終わっとるさかい。早速それをあの子達にお披露目してやったらどうや?」

「そうします。あの、ありがとうございました」

「礼なんていらんて。これも仕事やからなぁ。むしろ久しぶりにいい仕事ができたからウチが感謝したいくらいやで」

 ニャハハハと楽しそうに笑うアシュアに別れを告げ、クリュウはディアブロシリーズを着たまま彼女の家を出る。もちろんヘルムはしっかり外しておく。言うまでもないがこれを被っていると誰だかわからないからだ。村人に覚えてもらうまでは、しばらくは村の中でもヘルムは脱いでおいた方がいい。

 意気揚々と帰宅の途についていると、すれ違う村人達が物珍しげにディアブロシリーズを見ては「新しい防具?」「かっこいいじゃん」「はぁ、立派に見えるぞクリュウ」としきりに声を掛けてくるのが、何だか少しこそばゆい。それらに愛想よく返事を返しながら彼が向かうのは村の中程にある自宅だ。

 家へ戻る途中、前方から見知った二人が歩いて来るのが見えた。こちらが声を掛けるよりも先に向こうの方から声を掛けて来た。

「あ、クリュウさん。こんにちは」

「やっほぉ~、お兄ちゃ~ん」

「エリエ、リリア。こんにちはぁ」

 ぺこりと丁寧に頭を下げて挨拶する鳶色のポニーテールに同色のクリッとした瞳が可愛らしい少女はエリエ・フォルシア。その隣で元気よく挨拶して、ちゃっかりと抱きついて来るの桃色ツインテールにきれいな金色の瞳をした元気いっぱいな少女、リリア・プリンストン。村の子供達の間ではリーダー的役割を果たす二人組であり、クリュウとは少なからず縁のある二人だ。

「あ、新しい防具ですね」

「すっごぉいッ。何がすごいのかわかんないけど、かっこいいよお兄ちゃんッ」

「あははは、ありがとう」

 子供らしく天真爛漫に笑いながらグルグルとクリュウの周りを回るリリア。そんなリリアとクリュウの様子を、微笑ましげにエリエは見詰める。

「それより、二人してどうしたの?」

「私がエレナさんにおつかいを頼まれたんです。そしたらリリアちゃんが協力してくれて、今頼まれた品を届けに行く所です」

 そう言うエリエの手には食材が詰まった袋が握られていた。

「そっか。エレナの酒場、今忙しそうだもんね」

「はい。エレナさんにはお料理を教わったり、色々お世話になっているので少しでもご協力をしたいと思って」

 意外かもしれないが、エレナは面倒見がいい性格から子供からの人気が高い。たまに料理教室なんかも開いている為、クリュウ達よりもずっと子供達と仲がいい。優しげに微笑んで丁寧に教えてくれる所が人気らしいが、残念ながらクリュウはそんな彼女の姿を見た事は数える程しかないのであまり実感が沸かないのだが。

「それで、リリアの店に?」

「そうだよぉ。ちょうど行商人から色々と仕入れた所で。エレナお姉ちゃんが好みそうな調味料も仕入れといて良かったよ」

 ニパァッと笑うリリアは、この村唯一の道具屋を営んでいる。子供っぽくとも商人魂はかなりのもので、たまにリリアの店から怒鳴り合いが聞こえるのは、行商人との激しい値引き合戦をしているかららしい。この年で自分の店を持ち、それをきりもりできるのはすごい事だ。周りの皆に助けられているとはいえ、大したものだ。

「そっか。じゃあ、早く届けてあげてね」

「わかりました」

「じゃあ私達はここで。バイバイお兄ちゃん」

 手を大きく振って歩き出すリリアを追いかけるように、エリエが一礼して歩き出す。こうして見ていると、二人は何だか妹と姉のように見える。実際、あの二人は結構仲がいい。どちらもクリュウと少なからず縁で結ばれている結果、クリュウの事を話しているうちに意気投合した事は、彼は知らない乙女達の秘密だ。

 二人を見送ると、クリュウは改めて自宅を目指す。ここからならすぐに着く。

 五人が暮らしているだけあって、クリュウの家ことルナリーフ家は村の中でも結構大きい。元々ハンターだった両親が資金を貯めて建てた家なので、ハンターという職業柄、特に二人の実力はかなりのものだった為、自然と入るお金も多かったらしく、こんな大きな家を建てられたのだ。

 さらに、いつか三人で平和に暮らす為に蓄えられていたお金も相当あり、クリュウの学費の大部分がそこから捻出されていた。今でこそ自分で稼げるようになったが、これがつい一年半前までは重要な資金源だった。

 門を通り、庭を抜けて玄関を開く。玄関とリビングが併設されている為、帰って来れば誰かと顔を合わせる機会は多い。実際、リビングで一人がソファに横になりながら読書をしていた。

「ただいま、シルフィ」

「あぁ、クリュウか――お、ディアブロシリーズが完成したのか」

 ソファから起き上がったのは長い白銀の髪をポニーテールに結った凛々しい顔立ちのかっこいい美少女。クリュウ達のチームを率いるリーダー、シルフィード・エアだ。

「うん。似合う、かな?」

 少し照れながら問うと、シルフィードはうむと大きく頷く。

「あぁ、よく似合っているぞクリュウ。凛々しく見える」

「そ、そっか。えへへ、ありがとう」

 彼女に褒められた事が嬉しくて、クリュウは屈託なく笑った。そんな彼の笑顔を見てシルフィードもフッと口元を緩めると、手に持っていた本を閉じた。それは以前リオレウス戦の際に見せてもらい、その後も幾度と無く借りては勉強したシルフィードお手製の狩猟ノートだ。

「サクラは?」

「彼女なら、今台所にいるぞ」

「台所?」

「あぁ。そろそろ君が腹を空かせて帰って来るだろうと、率先してな」

 苦笑しながらシルフィードが指差した先、台所からは確かに料理をしている物音が聞こえる。姿を見る事はできないが、おそらくサクラだろう。リズム良く響く包丁で食材を切る音に、クリュウが慌て出した。

「いや、でも今日の食事当番は僕だよッ?」

「確かにそうだが、今はサクラの好意に甘えておけ。あの子が自分から積極的に何かをする時は、邪魔しない方がいいだろう」

 そう言って気にした様子もなくシルフィードはソファに深く腰掛け、テーブルに置いたコップを手に取る。入っているのはアイスティーだろう。一口飲み、再びノートを開く。

「い、いいのかなぁ……」

 自分が当番なのに、サクラが代行してしまっている事が彼としては罪悪感を感じずにはいられないのだろう。心優しいというか、責任感が強いというか。妙な所で不器用な少年だと、シルフィードは内心苦笑を浮かべていた。

「と、とりあえずお礼だけでも言っておくよ」

 そう言ってクリュウは台所へ向かって歩き出す。が、それよりも先にサクラの方が台所から出て来た。クリュウの姿を見つけると、まるで主人が帰って来たのを心待ちにしていた子供の忠犬のようにかわいらしく駆け寄って来た。

 だが、その姿を見た途端クリュウが顔を真っ赤にして突如逃げ出してしまう。何事かと思ってシルフィードが振り返ると――逃げるクリュウを「……待って、クリュウ」と追いかけるサクラは常軌を逸した格好をしていた。とりあえず、目の前を通り過ぎる所でむんずと彼女の首根っこを引っ張って確保した。

「……何をする」

「……君こそ、何をしているのだ?」

「……割烹着姿を見てわからない? 料理中よ」

「そうではなくてだな――なぜ裸の上から割烹着を着ているのかを問いただしているのだが」

 そう、クリュウが逃げ出した原因。それは――なぜかサクラは裸の上から割烹着を着ていた。振り返れば、お尻丸出しという、羞恥心など微塵も感じられない常軌を逸した格好だ。

 呆れ果てるシルフィードの問いに対し、サクラは全く動じずに堂々と返す。

「……裸割烹着は男の夢だと、アシュアが以前言っていた」

「あの小春日和め、適当な事をサクラに吹き込んで……とりあえず、クリュウが目のやり場に困るから普通の格好をしろ」

 暴走するサクラを叱りつけ、すごすごと退散するサクラに呆れ返りながら、シルフィードはまだこっちに背を向けているクリュウに苦笑を浮かべながら声を掛ける。

「もういいぞ」

「あ、うん。ありがとう……」

「まったく、妙な事を吹き込むアシュアもアシュアだが、それを容易に実行するサクラもサクラだ……どうして私の周りには常識の箍(たが)が外れた連中が多いんだ」

「あの、僕もそれは含まれるのかな?」

 

 いつもと変わらぬイージス村での日常。

 雲がゆっくりと空を流れていくように、この何気ない日常もゆっくりと流れていく。誰もがそう信じて疑わない、何の変哲もない一日。

 だが、青天の霹靂とは、突如現れる嵐を意味する。そしてそれは――恐ろしい暴風吹き荒れる、恋の嵐だった。

 

「……ここが、お前の目指す場所かニャ?」

「そうよ。ここが、先輩の故郷の――イージス村よ」

 村の入口、崖の下の小さな港に接岸した定期的に村へ物資を補給する定期船から降りて来たのは一人の少女と、一匹のアイル―であった。

 漆黒の美しい毛並みに、どこか鋭い眼光をしたアイルー。ドングリヘルムを深々と被り、ドングリメイルで胴を守り、マカライト鉱石の刃を備えたピッケルを背負った姿は、彼がオトモアイルーだという証だ。そして、そんな彼が見上げる先にいるのは彼が忠誠を誓うハンターの少女。

 少女は特徴的な防具で全身を包んでいた。まるで、空を舞う蝶のような出で立ち。黄色い蝶の羽根をモチーフにしたデザインで、腰や胴は特に美しい羽が太陽の光を浴びてキラキラと輝く。鎧と言うにはあまりにも弱々しい印象を受けるが、これもれっきとしたハンターの防具――名をパピメルシリーズ。オオツノアゲハの素材を中心に作られた防具で、防御重視と言うよりは回避重視の防具であり、スキルもそれに特化したものを備えている。

 そして、少女の背には綺羅びやかな防具に相反するように無骨なデザインのパワーハンターボウ1が背負われている。この事から、彼女が弓使いである事は見て取れる。

 少女は辺りを見回す。その凛々しい表情には、強さと共に知的さを思わせるような細メガネが掛けられており、なぜか少女はその下に左目を隠すように黒い眼帯をしていた。

 紺色の髪をザザミ結びと呼ばれるかわいらしい髪型で整え、その上からパピメルカプトを被った少女。その目立つ黄色い蝶は、作業中の漁師達の目にもしっかりと捉えられていた。

「嬢ちゃん、ハンターかい?」

 漁師達を代表して彼女に声を掛けたのは他の男達よりも一回りも二回りも大きな大男。彼らのお頭、バルドだ。

 バルドの問い掛けに、少女は振り返る。

「はい。人を探して、ここまで来ました」

「ほぉ、人探し? もしかして、クリュウの坊主か?」

「先輩をご存知なのですか?」

「おぉよ。この村でクリュウを知らねぇ奴はいねぇな。何せ、あいつは何度もこの村の窮地を救ってくれた英雄さんだ」

 クリュウの事をまるで自分の息子のように褒め称えるバルドの言葉に、少女の口元に初めて笑顔が浮かんだ。その、滅多に見る事のできない笑顔を、オトモアイルーが興味深げに見守っていた。

「……やっぱり、先輩はすごい」

「クリュウなら今村にいるぞ。小さな村だからその辺歩いてれば会えるんじゃねぇか?」

「そうですか。ご丁寧に、ありがとうございました」

 少女は恭しく頭を下げると、村へ入る為の長い階段を目指す。その後ろから、小走りでオトモアイルーが続く。

 背後で男達が作業に戻るのを感じつつ、少女は無言で階段を登っていく。その足取りは、軽いような重いような微妙なものだ。

 愛しの人に会える嬉しさと、緊張や不安が混じった足取りは長い階段を歩く疲れとは違った震えを彼女の足にもたらす。それを背後から続くオトモアイルーが不安げに見守る。

「大丈夫かニャ?」

「平気よ。これくらい、何でもない」

 決して弱音を見せる事のない主に、オトモアイルーはやれやれとばかりに無言で続く。

 長い階段を登り越えると、ようやく村の全貌が露わになる。

 崖下の漁師が言っていた通り、決して大きな村とは言えない。中規模程度の村と言った所で、これまでミナガルデやドンドルマなど比較的大都市で生活してきた少女にとっては、ずいぶんと田舎に見える。だが、ここがあの人の故郷だと言われると納得もできた。

 皆、幸せそうな顔で暮らしている。この笑顔を守っているのがあの人だとしたら、やっぱりあの人はすごい人だ。きっと今も、自分なんかよりもずっと先にいるはず。それでも、彼の背中を守れるだけの実力はつけたと自負はしていた――だからこそ、やって来たのだイージス村に。彼の故郷の村に。

 感動しながら村の光景を見ていると、心優しい門番が声を掛けてきてくれた。

「おや、ハンターちゃんかい? なら、クリュウ君の知り合いか?」

 本当に有名人、しかも皆に好かれている事がこのやり取りだけでわかる。

 少女がうなずくと、門番は「彼ならたぶん今、酒場の方にいるんじゃないかな? 酒場はこの道を真っ直ぐ行った先にあるから、すぐわかるよ」とご丁寧に道のりまで教えてくれる。

 少女は恭しく一礼すると、言われた通りの道を進む。自分の防具はかなり目立つ為、村人達が物珍しげに見て来た。だがそれは決して不快なものではない――本当に不快な視線は、もっと寒くて、怖くて、化物を見るような嫌悪感に満ちた視線だ。そして彼女は、その視線を知っている。嫌というくらいに。

 その視線から、かつて必死になって守ってくれた人がいた。

 ――クリュウ・ルナリーフ。

 二年前、少女はドンドルマハンター養成訓練学校において自分のある異質さから周りから迫害され、一人孤独に苦しみながら日々の生活を無為に送っていた。自分の異質さを呪い、これが日常だと諦め、絶望の中を生きていた――そんな闇の中でうずくまっていた自分を、光に満ちた世界へと手を取って解放してくれた人。それがクリュウ・ルナリーフという恩人。

 彼の慈愛に満ちた笑顔は、本当に比喩ではなく光り輝いて見えた。その、今まで自分に向けられていたのとは明らかに違う、温かな瞳。氷のように凍りついていた心が、彼と出会った事でゆっくりと溶け始めた。

 感謝、尊敬、忠誠――それらの感情が、恋心へと変化するのにはそう時間は掛からなかった。

 誰にでも分け隔てなく優しい彼に惹かれ、誰にでも分け隔てなく優しい彼が嫌で、二つの相反する想いが何だかくすぐったくて、こんな気持ち初めてだった。

 いつもは優しい彼が自分の為に怒り、人を殴り飛ばした事もあった。そんな彼の姿がかっこ良くて、でもその後に人を殴った事に苦しむ彼の姿を見て、罪悪感で胸がいっぱいになった。彼は、本当に優し過ぎるくらいに優しい人だった。

 一年半前、彼は自分よりも先に学校を卒業してしまった。故郷のイージス村へ帰ると言い、また会おう。また一緒に狩りをしよう、そう約束して、彼は自分の前から姿を消した。

 太陽を失った星が光を失うように、少女は大切な太陽を失った。それでも、彼が残してくれた友達という明かりは、確かに自分を照らしてくれた。

 少女は努力に努力を重ね、通常は二、三年で卒業できる所をわずか一年で卒業した。

 だが少女は、すぐには愛しの人の所へは行かなかった。自分はまだ、彼に会う資格がなかった。

 彼が卒業する前、卒業課題としてドスランポスの討伐を命じられた際、手違いでエリアに乱入したドスファンゴの攻撃から自分を守る為、彼は文字通り身を挺した。背中に大怪我を負い、それは今でも傷跡として残るほどの重傷だった。

 幸い、大事には至らず、彼も気にしないよう言ってくれたが、少女にとってそれは最大のトラウマとなり、彼に対する罪悪感となり、無力な自分を呪う最大の原因となった。

 もう二度と、彼をあんな目に遭わせない。その為に、彼女は卒業後も武者修行に明け暮れた。身を削るような苦しい訓練に明け暮れ、通常の何倍もの速度でハンターランクを上げていった。

 そして卒業から約半年。ようやく、彼の前に現れても恥じないだけの実力を身に付け、少女は彼の住むこの村へやって来た。

 決意に満ちた碧色の右目が見詰める先に、きっと彼はいるはず。

 早く会いたい。そんな想いが、彼女の足を早めた。

 まるで子供のよう。真っ直ぐに全速力で走る彼女の後ろから、オトモアイルーが必死になってついて来る。

 坂道を駆け抜け、目指すはこの村の酒場。周りの人達が何事かと自分を見て来るが、そんなもの自分には関係ない。今彼女に見えているのは、一年以上もの間会っていない、愛しの彼の姿だけ。彼の笑顔だけ。

 そして、一際大きな建物が見えた。露天のテラスに腰掛けて数人と楽しげに話している彼の姿を、彼女は見つけた。

 見間違える事なんてない。あそこにいるのは、確かにあの人だ。

 少女の目にたっぷりの涙が浮かぶ。視界がぐにゃりと歪み、慌てて手の甲で涙を拭い取る。そして、彼から教わった《笑顔》を浮かべながら、少女は彼の名を叫ぶ。

 

 自宅でサクラの手料理を堪能した後、クリュウは再びオリガミに呼ばれて今度はエレナの酒場に来ていた。

 お昼時を完全に過ぎた今、ようやく店は一段落した。本来なら一日中開店するのだが、さすがに疲れたエレナが今日ばかりはランチタイム終了と同時に閉店。夕食時まで休む事となり、クリュウ達がお邪魔する形になった。

「すごくお似合いですよ、クリュウ様ッ」

 クリュウのディアブロシリーズ姿を見て目を輝かせて喜ぶのはフィーリア。まるで自分の事のようにはしゃいで喜ぶ彼女は本当に純真無垢だ。

「あ、ありがとう」

「ハッ、格好だけ良くなっても中身がアレじゃない」

 そう言ってクリュウをバカにするのは彼女の幼なじみのエレナ。この店の店主であり、先程まで疲労のあまりぶっ倒れていたのだが、クリュウに弱みを握られないよう今は平然と振舞っている。まぁ、要するに素直じゃない子だ。事実、クリュウをバカにしつつも彼の凛々しい姿を横目に見て頬を赤らめている事は、彼以外にはバレバレだ。

「……クリュウ、素敵」

 そしてシルフィードを挟んでクリュウの二個隣に座るサクラはクリュウの凛々しい姿に目を輝かせて見ている。ハァハァと荒い息を繰り返して興奮する彼女は、今にも彼を押し倒しそう。それをさりげなく阻止しているシルフィードは、相変わらず狩猟関係以外の仕事が多い、苦労人だ。

「いいのぉ、ワシもクリュウのようなかっこいい防具がほしいものじゃ」

 ツバメは男らしい防具を着ているクリュウを羨ましげに見詰める。ドンドルマの中央工城へ行っても十中八九間違いなく女物の防具を作られてしまう彼にとっては、ある意味憧れの防具なのだろう。

 話題の中心にいるクリュウは終始仲間達の絶賛に頬を赤らめて照れていた。ただ照れ隠しの笑顔があまりにも可憐なので、乙女達の心を見事に撃ちぬく二次被害が発生しているのだが、本人は至って無自覚だ。

「スキルも今はボマースキルだけど、状況に合わせて変える事ができるから汎用性も高いし。レウスシリーズの時よりも色々な事ができるかなぁって」

「そうだな。以前のレウスシリーズはスロットの数が少ないのがネックだったからな。攻撃力UP【大】を失ったのは大きいが、カバーするように見切り+2がつき、その他有効なスキルが同時に発動できる点を考えれば、以前よりも使いやすい防具にはなるな」

「そうですね。防御力も格段に上がっているので、今までよりもより安全に戦えます。あ、でもだからって無茶はしないでくださいね?」

「……クリュウ、かっこいい」

「サクラ。お主はまずそのヨダレを拭け」

 ハンター達の専門的な会話がわからないエレナは一人自分だけ置いていかれているような気がして不服そうだが、そんな彼女の様子にいち早く気づいたシルフィードが「エレナ。悪いが皆に飲み物を出してもらえるか? 代金は私が持つから」と彼女へと話題を振った。

「え? い、いいわよ別に。それくらいサービスしとくわ――あ、でもクリュウだけ有料よ」

「えぇッ!? ちょっと待ってッ! 僕今この防具作って貯めてたお金が全然ないんだよッ!?」

「知らないわよんなもん」

 慌てふためくクリュウを見てエレナが楽しげに笑う。そんな彼の笑顔を見てシルフィードは一人微笑むと、すでに出されている水を一口飲む。

「まったく、お主も大変じゃな」

「もう慣れた」

 ツバメの同情に苦笑しながら返すのと同時、散々クリュウをいじめ倒したエレナがご機嫌そうに厨房へ消えていく。どうやらクリュウも無料になったらしい。まぁ、彼女も本気でクリュウから金を巻き上げようなんて思っておらず、結局はクリュウが無意味に振り回されただけだ。

「まったく、エレナは……」

「まあまあ。だがしかし、確かに今の君は全くお金がないからな。また適当なクエストをこなしてお金を集めないとならないな」

「そうだねぇ……」

「あ、でしたらちょうどいいクエストがありますよ。黄金魚や灰水晶の結晶の納品クエストなんか、比較的報酬もいいかと」

「……納品クエは嫌い。それより、私に入って来てる商隊の護衛依頼はどう? お得先だから、少しくらい報酬は上乗せしてもらえる」

 意外だが、このメンバーの中で一番交友関係が広いのはサクラだ。天上天下唯我独尊自分絶対至上主義で他人と揉め事ばかり起こす彼女だが、仕事に関しては一流だ。そんな彼女の護衛を切望する者は多く、数々の護衛依頼をこなしているうちに自然と交友関係も広くなったという。

「そうだね。じゃあまずは護衛依頼でも引き受けて――」

 その時、風の流れが変わった事をクリュウは敏感に感じ取った。前方から吹いていたそよ風は、一瞬にして逆からの風となった。そして、その風に乗って来る気配――その気配はすごく懐かしく、自然と胸が躍った。

 ガタッと突然立ち上がったクリュウを見て、きょとんとする一同を無視し、クリュウは振り返る――その瞬間、二人は再会した。

 

「クリュウ先輩ッ!」

 

 ハァハァと激しく肩を上下にさせ、少女は露天のテーブルに陣取っていたクリュウ達のすぐ横に立っていた。上気した頬には薄っすらと汗が浮かび、キラキラとした右目の先には愛しの彼の姿が。

 一年半前と、全然変わっていない――いや、また一段とかっこ良くなっていた。

 こちらを見て驚いた表情を浮かべている彼が、何だかかわいくて自然と笑みが浮かんでしまう。こういう風に普通に笑顔ができるようになったのも、全ては彼のおかげだ。

 彼は地獄から自分を救い出してくれた恩人であり、命の恩人であり、初恋の相手であり、今でも大好きな人。それが、ずっと我慢していた彼の姿が、今目の前にある。

 嬉しくて、嬉し過ぎて涙が出そうになるのを堪え、少女は満面の笑みを浮かべながら、ずっと決めていたセリフを言う。

 

「――ルフィール・ケーニッヒ。只今、先輩の下へ帰還しました」

 

 新たな恋の嵐が吹き荒れようとしていた。


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