モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第180話 約束の空への旅立ち 悲しみの先にある答え

 そして、別れの朝はやって来た。

 早朝、ラミリーズ湖の畔にありロサイス軍港に停泊中の飛行巡洋艦『シェフィールド』のボイラーには火がともり、煙突からは機関が動いている証の黒煙が猛々と立ち上っていた。プロペラはゆっくりと周り、静かな朝に羽音を響かせる。

 今まさに出航の準備を整えつつある『シェフィールド』を前に集まる面々。二つに別れ向かい合うは、一方はこれから『シェフィールド』に乗ってこの国を去ろうとしているクリュウ達。そしてもう一方は、そんな彼らを見送るイリスやアリア達。

「艦長。必ずやクリュウ達を無事に村まで帰すのじゃぞ」

「ハッ」

 イリスの激励に艦長は見事な敬礼で答える。それを見て満足気にうなずくと、イリスはゆっくりと視線を変える。その先では涙ぐむアリアと今まさに別れの挨拶をしているクリュウの姿がある。

「クリュウ。風邪など引かぬよう、体には気をつけるんですのよ」

「アリアもね。君はがんばり屋さんだから、無理はしちゃダメだからね」

 瞳を濡らしながら、本当は泣いてしまいそうなのを堪えて努めて笑顔を振る舞うアリア。その後姿を、親友のフェニスとシグマが微笑みながら見守る。

「クリュウ。テメェは次ぎ会う時までに少しはその鈍感な性格を直しておけよ。振り回される方の身にもなれって」

「え? 僕って、何か鈍感なの?」

 心底わからないという様子で首を傾げる彼を見て、シグマは呆れ返ったように大きなため息を零す。その隣で「まぁ、今更な気もするけどね」とフェニスもまた少し呆れた様子で耳打ちする。

 そんな二人の親友を一瞥し、アリアは再びクリュウと向き合う。きょとんとしている彼を見て、アリアはフッと口元に優しげな笑みを浮かべた。

「……また、会えますわよね」

「もちろん。いつかまたこの国にも来るし、今度はアリアが僕の村に来ればいいよ」

「うふふ、そうですわね。その日が来るのを、楽しみにしてますわ」

 微笑みながら、アリアはまるで彼の姿を目に焼き付けるかのようにクリュウを見詰め続ける。だがそれも辛くなったのか、アリアはじわりと目の縁に涙がいっぱい溜まると顔を隠すように慌てて視線を逸らすと、そのままシグマとフェニスへと駆け寄って抱きついた。

 二人はがんばったアリアを慰めるように抱き締め、彼女のクリーム色の髪を優しく撫でた。そんな三人の様子をクリュウは怪訝そうに見詰める。

「アリア……?」

「まったく、オメガの娘が言う通りお主は少しその鈍感さを何とかせんといかんな」

 そんな彼に呆れながら近づいてきたのはイリスだ。いつものように軽装備のドレス姿で王冠にロッドという、見るからに高貴な人とわかる出で立ちだ。子供がしていると妙に滑稽に見える姿だが、彼女がしているとなぜかしっくり来る。それが本当に高貴な血を持つ者の風格なのだろうか。

「僕って、何か鈍感なの?」

 イリスの指摘にクリュウは振り返って背後に控えているフィーリア達に尋ねるが、返って来るのは彼女達の意味深なため息の音だけ。首を傾げる彼を見て、イリスは苦笑を浮かべる。

「ほんに、お主という奴は……」

 呆れつつも、それでも実に彼らしい姿に対してイリスはどこか諦めたような笑顔を浮かべる。これがクリュウ・ルナリーフ、自分の従兄弟なのだと割り切っているようだ。

「――クリュウ」

 名を呼ばれ、クリュウは振り返って改めてイリスと向き合う。自分を見詰める、遠い異国の地で女王として君臨している従姉妹のイリス。今思い返してみても、実に信じられないような、まるで小説の中の世界のような物語――だがこれは全て真実の物語であり、今目の前にいるのは確かにこの国の女王であり、自分の従姉妹であるイリス・アルトリア・フランチェスカだ。

「向こうに帰っても、達者で暮らすのじゃぞ」

 優しげな微笑みと共に言う彼女の言葉にクリュウも「イリスこそ。君もアリアと同じで無茶しがちな所があるから、気をつけるんだよ」と微笑み掛けた。

「何じゃそれは。アルトリアの女王を心配するなんて、お主も出世したものじゃな――じゃが、そうして心配してくれるお主の気遣い。何とも心地良い」

 嬉しそうに無邪気に微笑む彼女を見て、クリュウは心の底から安堵した。その表情には昨晩のような暗さはなく、心の底から笑っているように見える。辛いのには変わりはないだろうが、それでも前を向いて歩き続ける覚悟を、彼女はもうしているらしい。

「総軍師さん。イリスの事、お任せしましたよ」

「フン、貴様に言われるまでもない」

 クリュウの言葉にジェイドは不機嫌そうに鼻を鳴らして視線を逸らす。その隣ではいつもの彼らしからぬ態度がおかしいのか、エイリークがくすくすと笑っていた。いつも厳しい表情の彼女の笑顔を、クリュウは初めて見たが、それはただの歳相応な少女の楽しげな笑顔であった。

「……何を余所見しておるかお主は」

 ジェイドとエイリークを見ていたクリュウの態度が気に入らなかったのか、イリスは不貞腐れたように頬を膨らませると、自分を見ないクリュウの両頬を掴んで無理やり自分の方を向かせる。驚く彼を至近距離で見上げるイリスの表情は、とっても不機嫌そう。

「い、イリス……?」

「お主の別れ際の顔を覚えておきたいのじゃ――じゃから、今は妾だけを見てるのじゃ」

 頬を膨らませて怒る彼女を見て、いくら鈍感なクリュウでもそれがやきもちである事はすぐにわかった。何とも子供っぽくて可愛らしい彼女の姿に、思わず笑みが浮かび、彼女の銀髪を優しく撫でた。

「ごめんごめん。ちゃんと君を見てるからさ」

「う、うむ。それなら良いのじゃ」

 クリュウに見られているのが嬉しくも恥ずかしいのだろう。頬を赤らめて、イリスはくすぐったいような笑みを浮かべた。だがいざジッと見られているのも恥ずかしくて仕方がなかったらしく、イリスは「そ、そうじゃッ」と突然声を上げた。

「お主に渡す物があったのじゃ――ジェイド、例の物を持って参れ」

「ハッ」

 イリスの命令を受けてジェイドは彼女達が乗って来た馬に備えられた荷物の中から何かを取り出す。布に包まれたそれはそこそこ大きな品だ。イリスはジェイドからその品を受け取ると、両手で抱き締めてクリュウへと近づく。

「お主の宝物はしばし預かった」

 そう言ってイリスは胸元に下げている二つのペンダントのうち、クリュウから預けられた金火竜の紋章を一瞥し、再びクリュウを見上げる。

「然(しか)らば、お主には我が王家の秘宝を授けようと思う」

「ひ、秘宝ッ!? いや、そんな物を貰っても……ッ」

「遠慮するでない。それに、お主の方がこれを使いこなせると思うのじゃ。受け取れ」

 そう言ってイリスはその品をクリュウに押し付ける。思わず受け取ったクリュウだったが、その品の重みや形状に、初めて持ったはずなのに何だか慣れ親しんでいるような妙な安心感を感じた。

「こ、これって……」

「布を取ってみぃ」

 言われた通り、品に巻かれている布を取ると――

「これって……」

「かつて蛮族に支配されたこの地を解放し、アルトリア王国を建国した初代女王ヴィルヘルム・アルトリア。当時彼女は双子の守護竜を使役していたのじゃ。独立戦争の前、彼女は山に住みし美しき双子の竜と戦って見事勝利し、その双子の竜を自らの守護竜としたと言われている。これはその双子の守護竜が認めたヴィルヘルムに与えたと言われている伝説の秘剣、我が王家の宝具――銘(な)を《煌竜剣(シャイニングブレード)》と言う」

 それは、まるで芸術品のように美しい剣であった。

 銀火竜の甲殻の中でも特に選りすぐった素材、銀火竜の堅殻で峰を飾り立てると同時に安定感と強度を高め、何より眩い銀色の煌きで見る者全てを圧倒する荘厳さを生み出している。触れるだけで如何なる物も切り裂いてしまいそうな鋼色の刃を綺羅びやかに輝かせたその剣は、見るだけでそれが強力な剣である事がわかる。

 剣と対を成すのは、同じように選りすぐった眩い程に輝く金色の盾。金属製のシールド部分に金火竜の堅殻を用い、神々しさはもちろん武器としての耐久性も並みのものではない。マグマの熱にも耐える火竜の、それも希少種の堅殻を用いたこの盾で防げぬ火力はないと断言しても言いだろう。

 武器としても、美しい芸術品としても一級品。それはまさにアルトリア王家が宝具と認定するだけの事はある、まさに秘剣であった。

「煌竜剣(シャイニングブレード)……」

「お主は片手剣使いと聞く。ならばこの武器を有効に使えると思ってのぉ。この武器はずっと我が王家の宝物庫に眠っておってな。武器なら武器らしく、使われるのが本望じゃと妾は思う。ならば、信頼出来るお主に譲渡するのが一番じゃと思ってな」

「いや、でも……」

 すごい武器を前に渋る彼を見て「安心せい。その武器は人殺しの武器ではなく、建国後に国内に出没するモンスター討伐の際に使っていた武器じゃよ」と彼の抱くであろう不安を先に払拭するイリス。だが、クリュウは首を横に振った。

「これ、僕が持つにはすご過ぎる武器だよ。とてもじゃないけど、扱い切れない」

 見ただけでもこの武器は銀火竜と金火竜、それも熟練の竜からしか剥ぎ取れない堅殻を用いた武器だとわかる。亜種はおろか、通常種でさえ未だに苦戦するようなレベルの自分が持つには、あまりにも高嶺の花であり、自分が触るだけでこの武器の神々しさが霞んでしまうようにも思える。それほどまでに、それは美しくも気高い武器であった。

「悪いけど、これは受け取れないよ」

 自分には不釣り合いな武器だと、クリュウは剣を返そうとする。だがイリスは決してその剣を受け取る事はなかった。ただ真剣な瞳で、目の前の武器から目を背ける彼を見詰め続ける。

「妾はお主から、お主の大切な品を預かった。ならば、妾は妾が持つ物の中でお主の役に立つであろう物を授ける。これのどこに問題があるのじゃ」

「だからって、いくら何でもこれは……」

「――この武器は、アルトリアの血を受け継ぐ者にしか扱えない魔剣でもあるのじゃ」

 突如切り出した彼女の言葉に、クリュウは目を見開いて驚く。魔剣、そんな物語の中にしかないようなオカルトな武器など存在しない。比較的現実主義なクリュウはイリスの言葉を信じようとはしなかった。

「魔剣って、そんな子供騙し……」

「この武器の素材となった双子の竜は、ヴィルヘルムの力を認めて軍門に下り、その忠誠の証として自らの体の一部を差し出し、ヴィルヘルムはこの武器を鍛え上げた。じゃから、この武器はヴィルヘルムの子孫である王家の人間にしか扱えない。それも、妾かお主のような正当な王家の血を受け継ぐ者だけじゃ」

「そんな話、信じられないよ」

「信じないのならば、布から取って握ってみぃ」

 イリスの有無も言わせぬ女王としての威圧に気圧され、クリュウは渋々まだ柄の部分などに巻き付いていた布を全て取り払い、柄を握り締めた――その瞬間、不思議な感覚が走った。

「……しっくり、来る」

 まるで昔から知っていたかのように、握った瞬間しっくり来たのだ。新しい武器は慣れるのに時間が掛かるものだが、この武器にはそれがなかった。本当に昔から使い慣れていたかのような、体との一体感があった。剣も、盾も、まるで最初から自分の為に作られたかのように体に合う。

「エア、その剣を握ってみぃ」

「あ、あぁ……」

 指名を受け、シルフィードは半信半疑ながら仕方なくクリュウから剣を受け取る。使い慣れた大剣とは違うが、同じように柄を握り締める――だがその瞬間、まるで彼女に使役される事を拒むかのように彼女の腕に激痛が走った。

「くぁ……ッ!?」

「シルフィッ!?」

 悲鳴を上げて剣を放り捨て腕を押さえるシルフィード。そんな彼女にクリュウが慌てて駆け寄った。だが剣を放した瞬間痛みは消えたらしく、シルフィード自身驚愕に満ちた瞳で放り捨てられた剣を見詰めていた。

「これって……」

「そうじゃ。アルトリア王家の血を受け継いでおらぬ者が持つと、剣は使役される事を拒み所有者に苦痛を与える。じゃが、血を受け継ぐ者ならば剣は所有者に忠誠を誓って使役される事を望む――これでも、この武器が魔剣ではないと言えるか?」

 そう言いながら、イリスは地面に落ちた剣を手に取る。柄を握り締めても、シルフィードの時のような苦痛は起きない。剣が所有者を認めているからこそ、何も起きずに忠実に従っている証。それはつまり、アルトリア王家の血を持つ者だからだ。

「わかったじゃろ? これは王家の血を受け継ぐ者、つまりは妾かお主にしか扱えない武器じゃ。そして妾はそのような剣を持つつもりもない。さすれば、その剣の居場所はおのずと決まると思うが?」

「……僕しか、使えないって事?」

「そういう事じゃ。まぁ、秘宝とか魔剣とかそんな面倒なものは取っ払って、妾は純粋にお主に怪我をしてほしくない。じゃから、お主が自身の身を守れる最善であるそれを選び、お主に授けようとしておる」

 真剣な表情で語るイリスだったがそこで一度話を区切ると、今度は一転してどこか悲しげな笑みを浮かべた。まるで、頼みを聞いてほしくて必死になる子供のような、どこか自虐に染まった悲しき笑顔。震える瞳を彼に向けながら、彼女は話を続ける。

「なぁクリュウ。妾の気持ちも考えて、受け取ってはくれまいか? 何もその武器に縛られる必要はない。武器選びもハンターの仕事のうちなのじゃろ? ならば、ここぞという時に使ってもらえれば、それで十分じゃ――どうじゃ?」

 イリスの説得に、クリュウはしばし剣を見詰めながら考え込む。そんな彼をイリスはもちろんフィーリアやアリア達も無言でジッと見守っていた。そして、クリュウは小さくため息を零すと――イリスの持つ煌竜剣(シャイニングブレード)を手に取った。

 驚くイリスを前に、クリュウは剣を一振りし、うなずく。

「ありがとうイリス。そういう事なら、受け取っておくよ。いざって時には、ちゃんと使わせてもらうから」

 クリュウが笑顔でそう言うと、イリスは先程までの悲痛な表情から一転してパァッと笑顔を華やかせる。それはまるで春の訪れに喜びと共に開花する野花のように、日の下で美しく光り輝く。

「ま、まったく。人の好意は素直に受け取ってほしいものじゃ」

「ごめんごめん。あまりにもすごい武器だから、僕なんかが使っちゃっていいのかなぁなんて思っちゃって」

「阿呆。お、お主だから授けたのじゃ。他の奴などゴメンじゃ」

「え? でもこれって、僕かイリスにしか使えないんじゃ……」

「こ、言葉の綾じゃッ! き、気にするでない阿呆ッ」

「な、何で怒られるのかな?」

 怒ってプイッとそっぽを向いてしまうイリスを前にクリュウは意味がわからずに戸惑っている。そんな彼の様子に、周りで見守っていた少女達は一斉にため息を零すのであった。

「まぁ、イリスの気持ちは嬉しいよ。これ、ちゃんと大切に使わせてもらうからね」

 そう笑顔で言うと、クリュウはイリスの頭を優しく撫でた。髪の上をくすぐるように流れる彼の温かい手の感触に、イリスは幸せそうに瞳を細める。さながらその姿は喉を鳴らすアイルーのようだ。

「う、うむ。それなら良いのじゃ――あ、できればその……そのまましばらく撫でてもらえると嬉しい」

「うん、いいよ」

 イリスの可愛げな頼み事をクリュウは喜んで引き受けて、彼女の頭を優しく撫で続ける。そんな彼の姿を見て、アリアやフィーリア達は不満げだ。

「むぅ、いいなぁイリス様……」

「……羨ましい」

「チッ、あのロリコン野郎め」

「ほんと、見境がなさ過ぎますわ」

 不平不満懐きまくりな乙女達を、中立立場のフェニスやシグマ、シルフィードが苦笑しながら見詰めていた。

「欲しいもんがあんなら無理やり奪っちまえばいいのになぁ」

「世の中シグマみたいに2進数的な考え方しかできない人ばかりじゃないのよ」

「に、にしんすぅ? 何だそれ?」

「まぁ、彼がああいう奴だからこそ今の関係が成り立っているとも言えるがな。普通に考えればとっくに破綻している人間関係だからな。私達の周囲は」

 感心半分呆れ半分といった具合の乙女達を他所に、クリュウはイリスの頭を優しく撫で続ける。が、いつまでもそうしている訳にもいかない。スッと、頭の上に載せられた手をイリスが遮る。

「……もう、お別れじゃな。これ以上は、本当に別れが辛くなる――これ以上は、お主に泣き顔を見せてしまう」

 ――声を震わせながら言うイリス。その笑顔が、無理にがんばって浮かべているものだという事は、誰が見ても明らかだ。

 決めたのだ。クリュウに見せる最後の顔、別れ際の彼に覚えておいてほしい顔は、自分の精一杯の笑顔だと。そう、決めていたのだ。だからこそ、彼女は必死になって笑っていた。涙を堪えて、一心に笑っていた。

 そんな彼女の気持ちがわからない程、彼は鈍感な人間ではない。彼女のがんばりと無駄にしないよう、クリュウは一つうなずく。

「わかった。じゃあ、もう行くよ。色々と、ありがとうね」

「阿呆。礼は互いに言わない約束じゃろうが」

「……そうだったね。じゃあ――またね」

「うぬ。またいつか、お主と会える事を信じて――また、じゃな」

 クリュウがゆっくりと差し出した手を、イリスは満面の笑顔と共にしっかりと握り締めた。お互いの熱が伝わる程の長い握手の後、ゆっくりとどちらからとなく離れる。

「……フィーリア、サクラ、シルフィ、エレナ――行くよ」

 振り返った自分の表情は、一体どんなものだったのだろうか。きっと、イリスには見せたくないような、ひどい顔をしているのだと思う。息を呑む四人の反応を見れば、わかる。

 だが、四人は本当に優しい子達だった。何も言わずにうなずくと、フィーリアとサクラがそれぞれ左右の手を握り締めてくれ、シルフィードとエレナは優しく見守ってくれる。

 クリュウは四人の優しさに感謝しながら『シェフィールド』へ歩き出す。振り返ると、アリアやシグマ、フェニスや彼女達の親が盛んに手を振るっていた。ジェイドは言うまでもなくそっぽを向いたままで、それをエイリークがおかしそうに見ている――そしてイリスもまた大きく手を振りながら「達者でなぁッ」と笑顔で手を振っている。クリュウはそんな皆に向かって最後に微笑むと、『シェフィールド』へ乗り込んだ。

 乗り込むと同時に扉が閉まり、クリュウ達はすぐに艦橋横の見張り場へと出る。露天のここは胸程の高さの柵で守られている以外はほとんど外に等しく、高度では風も強く吹く為見張り兵は必ず柵に命綱をつける。五人は見張り兵が譲ってくれた場所に立って眼下を見下ろす。常に浮いている飛行船の艦橋の高さは地上十メートルはあるだろう。こちらを見上げながら手を振るイリス達を見下ろしながら、クリュウ達も必死になって手を振る。

 一際大きな汽笛が鳴り響いた。それを合図に煙突から噴き出る黒煙が濃くなり、プロペラの回転速度が上がっていく。それに合わせて『シェフィールド』はゆっくりと上昇を開始した。

 高度が上がるにつれて、手を振るイリス達の姿も小さくなっていく。それでも、クリュウ達は決して手を振るのをやめる事はなかった。

 きっと声は届く。そう信じて、五人は大声で別れの言葉を叫んだ。

 だがそれは、下から見送る者達も同じだ。

 アリアは泣きながら手を振り、そんな彼女の背を支えながらシグマとフェニスも手を振る。そんな三人の姿を一瞥しながらアルフ、オメガ、アルカディアの三人も遠くなる飛行船を見送った。

 ジェイドとエイリークは興味ないと言いたげにすでに帰還の用意を進めており、準備を整えたジェイドはイリスを呼ぼうと振り返る。

「陛下――」

「――好きじゃぁッ! 大好きじゃぁッ!」

 突如イリスはそう叫びながら走り出す。ジェイド達の制止を振り切って飛び出したイリスは、決して追いつく事はないとわかっていても、走る事をやめなかった。

 空の遠くへ行ってしまう『シェフィールド』を必死になって追いかける。彼女の目に見えるのはそんな艦ではなく、それに乗る大切な人の姿。

「好きなのじゃッ! お主の事が、大好きなのじゃクリュウッ!」

 きっとこの声は届かない。理性では賢い彼女は十分にわかっている。それでも、叫ばずにはいられなかった。

「また、またきっと会えるッ! 妾は、妾は信じておるッ! その日が来るのを、一日千秋の思いで待っておるぞッ!」

 その瞬間、彼女の細い足が平原にほんの少し突き出た石に引っ掛かった。進行を妨害され、彼女の体はあっという間にバランスを失って倒れる。自慢のドレスは一瞬で砂まみれになり、純白の所々に泥色が染まる。

 バッともたげられた彼女の頬には、女王なら普通付く事のない泥がしっかりと付いていた。それでも、彼女は気にしない。

 いつの間にか、『シェフィールド』は雲の向こうへ姿を消していた。それでも、彼女の目にはしっかりと、クリュウ・ルナリーフという一人の少年の姿が映っていた。

 頬に付いた泥が、零れ落ちる雫と共に洗い流される。とめどなく流れるそれは、彼女の震える瞳から溢れ続ける。

 顔は悲痛に歪み、口からは嗚咽が漏れる。

 彼に、決して見せたくなかった泣き顔。だが今はもう、彼は自分の姿を見る事はできない。だからこそ、もう我慢する必要もなかった。

「クリュウ……ッ、きっとまた、会えると信じておる……ッ」

 歯を食いしばり、胸に煌く彼から預かった金火竜のペンダントを握り締めながら、彼女は必死になってそう叫んだ。そしてそれを最後に、彼女の口からは言葉にならない悲痛な泣き叫ぶ声が溢れ出る。

 地面に転び、悲痛な声で泣き叫ぶ女王を、臣下達が優しく取り囲む。

 アルカディアが優しく背後から抱き留め、正面からは同じ気持ちのアリアが抱きつく。フェニスが優しく彼女の涙を拭い取り、シグマが少し乱暴に彼女の頭を撫でる。

 誰も決して、慰めの声は掛けない。今はただ、泣きたい時に泣けばいい。そういう想いが、皆の中にあった。

 イリスは泣き続ける。

 だが、彼女は諦めない。

 クリュウとまた会う日。彼女は絶対に諦めない――胸に輝く、彼から預かった彼の宝物がある限り。これを返す日が来る事を、彼女は絶対に諦めたりはしない。

 

 アルトリア王政軍国での一ヶ月に満たない日々は、一人の少年と一人の少女に、忘れられない思い出と絆を残し、幕を降ろしたのであった。

 

 大陸最大の独立都市であるドンドルマから西へ竜車で数日。シルクォーレの森とシルトン丘陵からなるこの地方は《温厚な心》という意味を持つアルコリスと名づけられている。名の由来の通り、ここはとても穏やかで草食竜が平和に暮らしており、のどかな時間が流れている。

 だが今、この地には温厚という言葉とは程遠い出来事が起きていた。一週間程前にここにリオレウスが住み着いてしまい、商隊が都市間の行き来を封じられてしまっていた。

 じわじわとドンドルマなどにも物流が途絶えた影響が出始めた頃、リオレウス討伐依頼を受けたハンター達の火竜リオレウスとの戦いもまた決着を迎えようとしていた。

 

 穏やかな地に突如鳴り響く爆音。それはリオレウスが放つ怒りに任せた全力ブレス。命中した岩壁は抉れるように崩れ、無数の破片となって大地へ降り注ぐ。その全てが、高圧の火力によって焼け焦げている。

 辺りに漂うはそんな焼け焦げた臭いと、血の臭い。

 ここはエリア4。森丘と呼ばれるこの狩場において山頂付近に位置する場所であり、細い道の先にある為、ここへ来れるのは人間か空を飛ぶ事ができる者だけだ。

 エリア中央で暴れるのは火竜リオレウス。それは別名空の王者とも呼ばれ、天空において無双の強さを誇る最強クラスの飛竜。どのような敵も鎧袖一触で粉砕してきた王の中の王。だが、今その王は狩られようとしていた――人間という、ちっぽけな存在によって。

「ここで畳み掛けるぞッ!」

 チームリーダーを引き受けている青年が大声で叫ぶ。彼が纏うはバサルSシリーズと呼ばれれる、岩竜バサルモスから剥ぎ取れる素材の中でも特に厳選された物が使用された防具であり、その防御力は本物の岩にも匹敵する強度を持つ。そんな彼が握るはバストンウォーロックと呼ばれるヘヴィボウガンであり、ヘヴィボウガンの典型的な形をベースに強力な素材を駆使した高性能な武器だ。その一撃はリオレウスの甲殻をも貫く威力を誇る。

 青年、ジークフリート・ディアベルトの指示に他のハンターも反応する。前衛を引き受けるのは二人の男ハンター。一人はグラビドシリーズに豪槍グラビモス、どちらも鎧竜グラビモスの素材を使った灰色で無骨なフォルムの武具で、強力な武具だ。もう一人は鎌蟹ショウグンギザミから剥ぎ取れる素材を使った攻撃的なフォルムが特徴のギザミシリーズに雪獅子ドドブランゴの素材を用いた氷属性の太刀、白猿薙【ドド】を備えている。

 二人の猛攻撃にリオレウスは動けず、その場で必死になって体を振り回す。だがすでに尻尾は切断されており、その反撃のほとんどが外れてしまう。

 二人を援護するようにジークフリートも貫通弾LV1で狙撃を続け、リオレウスの体を次々に貫いていく。的確な一撃一撃は、確実にリオレウスの体力を奪っていた。

 三人の猛攻撃に、リオレウスは包囲されていた。だが、怒り狂うリオレウスは無理やりその包囲網を突破する。グラビドシリーズの男を跳ね飛ばしリオレウスが包囲網を脱した。破れかぶれの無茶苦茶な突進だ。だが、その先にはもう一人のハンターが待ち構えていた。

「……往生際が悪いですね」

 それは小柄な少女であった。

 全身を世にも珍しい青いイャンクック亜種から剥ぎ取れる素材で作られたクックDシリーズで守っている。無骨な青怪鳥の鱗や甲殻を使っているので、繊細さに欠けたデザインではあるが、比較的かけ出しのハンターにとっては十分実用的な防具だ。飾り羽を頭に二つ付けた顔を覆うようなキャップで、少女の素顔は見る事はできない。細いメガネの奥に輝くのは碧色の右目。左目は無地の黒い眼帯に覆われている。右の碧眼は臆する事なく迫り来るリオレウスを射ぬく。

「おい危ねぇぞ嬢ちゃんッ!」

 ギザミシリーズの男が慌てた様子で叫ぶが、少女はリオレウスを前にしても一切動揺する事はなかった。ただ冷静に、握り締めた弓を構える。名をパワーハンターボウ1と言い、マカライト鉱石とドラグライト鉱石などの鉱石をベースに作られた武器であり、その硬さを生かして簡単なガードも可能な――近距離戦タイプの弓である。

 少女は構えた弓で照準を定めると、矢筒から一斉に三本の矢を取り出して構え、矢羽を弦に引っ掛けて力強く弦を引く。備えられた三本の矢の鏃は全てリオレウスを捉えていた。

 無言のまま、少女は弦に掛けた矢羽を放した。引き絞られた弦が戻る勢いを利用して、矢は一斉に勢い良く飛び出す。そしてそれは寸分狂わずリオレウスの頭に命中した。だがその程度ではリオレウスは止まらない――だが次の瞬間、リオレウスの下半身が地面に埋没した。

「お、落とし穴ッ!?」

 驚くジークフリートの声など聞こえていないように、少女は突如走り出す。

 落とし穴に引っ掛かり、下半身を埋めて暴れるリオレウスに向かって少女は突っ込むと、矢筒から矢を数本一斉に引き抜き、それをまるで剣のようにして構えると、リオレウスの首筋に向かって勢い良く突き刺した。

「ギャァッ!? グエェアッ!」

 激痛に苦しむリオレウスの声を無視し、少女は次々に矢を引き抜いてはリオレウスの体に突き刺して行く。だがそう長くリオレウスだって留まってはいない。落とし穴が壊れ、リオレウスは穴を脱して空へと逃げようとする。だが、少女の猛攻撃は止まる事はなかった。

 矢筒から矢を一本引き抜き、天空へと逃げようとするリオレウスの右目に向かって容赦無くそれを突き刺した。

「ギャァアッ!」

 悲痛な悲鳴を上げてリオレウスが地面へと崩れ落ちる。矢の突き刺さった右目からは赤い涙が零れ落ちる。唯一見える左目がギョロリと恨めしい敵の姿を捉えた――その目の前に、鏃が向けられている。

 至近距離で弓を構え、ピッタリとリオレウスの左目に鏃を向けた少女。何も言わず、無言で矢を放った。

 壮絶な悲鳴と共に、リオレウスは息絶える。その全身には、無数の矢が突き刺さっていた。

 

 リオレウス討伐を終え、拠点(ベースキャンプ)へと戻った四人。グラビド男とギザミ男は友人であり、リオレウスに勝ったという勝利の余韻を満喫している。

 そんな二人と離れた場所、拠点(ベースキャンプ)にある池へ伸びる桟橋の上に、クックDシリーズを纏った少女が立っていた。ゆっくりと被っていたクックDキャップを外すと、現れたのは紺色の柔らかな髪。ザザミ結びと呼ばれるかわいらしい髪型で整えた少女。顔立ちはまだ少し子供のあどけなさが色濃く残っているが、それでもその表情は実にハンターらしい凛々しいものだ。少しずれた細メガネを、人差し指でブリッジをクイッと上げて直すのが彼女のクセだ。

「お嬢ちゃん」

 声を掛けられ、少女は事務的に振り返る。その先にいたのはヘルムを取って野生的な顔立ちを露わにしたジークフリートだ。ジークフリートはゆっくりと少女へと近づく。

「何か?」

「お前、いつもあんな危ない戦い方をしてるのか?」

「危ない、と申しますと?」

「お前弓使いだろうが。なのに、まるで剣士みたいな戦い方をしやがる。ガンナーの防具で前衛に立つなんて、危ないとしか表現できないだろうが」

 ジークフリートはこの狩りの間、少女の戦い方に違和感を感じていた。弓使いはガンナーであり、後方からの攻撃を主とするハンターだ。だが彼女はまるで剣士のように接近戦を好む戦い方をする。後方からの射撃をしたかと思えば、剣士の間合で矢を剣のように使って戦う。とてもじゃないが、正気の沙汰とは思えない戦い方だ。

 だが少女は気にした様子もなく、ジークフリートの横を無言で通り過ぎる。

「お、おいッ」

「――ボクは、もっと強くならなければなりません」

 振り返って呼び止めようとしたジークフリートに掛けられたのは、少女の声だった。有無を言わせぬ迫力を放つ背中と、覚悟に満ちた声に、ジークフリートは押し黙ってしまう。

 本当に、自分よりも十歳近く年下の子供か? そんな疑念が、彼の頭に過ぎった。

「強くなって、誰よりも強くなって、先輩を二度と怪我させないくらい強くなる――その為なら、この身がどうなろうと関係ありません」

 振り返って、堂々と言い放った少女の瞳は真剣だった。その尋常じゃない気迫に、結局ジークフリートは何も返す事はできなかった。

 少女はその場で一礼すると、無言でその場を立ち去る。

 一人残されたジークフリートはため息と共に頭を抱える。少し前、自分は何かと無茶したがる姉とそんな姉に振り回される不憫な妹という危なっかしい双子のハンターと組んでいた事があるが――少女のそれは、危なっかしいをとっくに通りすぎている。強さを求めるあまり、自分の事が完全に眼中にないのだ。そんな覚悟を、十五歳の子供がするものだろうか。

「――ルフィール・ケーニッヒ、……末恐ろしい嬢ちゃんだな」

 

 数日後、ドンドルマにて狩猟達成報告を終えて報酬金を受け取った四人はそのままパーティーを解散した。元々リオレウス討伐の為だけに集まった面々の為、縛れる必要は何もない。

 そして、報酬金を受け取って事務的にあいさつを終えたルフィールは、一人騒がしい酒場から姿を消したのであった。


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